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ルイジアナ・クレオール語を取り戻す旅 コーリー・レデット・ザディコ [北アメリカ]

Corey Ledet Zydeco  MÉDIKAMEN.jpg

「ザディコ」をついに自分の名前に付け加えたコーリー・レデット。
前作で『コーリー・レデット・ザディコ』と題し、
原点回帰したザディコのアンバサダーとして、後進へと伝統を継承する
強い覚悟と意思を表明していましたが、
それをステージ・ネームにしたところに、並々ならぬ思いが伝わってきます。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-07

前作からドラマーが交代し、リズム・ギターが増員され、
リバース・ブラス・バンド結成当初のトランペット奏者カーミット・ラフィンズに、
スウェーデンからニュー・オーリンズに移住したギタリスト、アンダース・オズボーン、
ザディコ・ドラマーのジャーメイン・ジャックがウォッシュボードでゲスト参加しています。
今回も痛快なグルーヴで押しまくる、ザディコ100%のアルバムです。

前作でもルイジアナ・クレオール語のクーリ=ヴィニで書いた
オリジナルを歌っていましたが、今作は全曲クーリ=ヴィニで歌うという徹底ぶり。
歌詞はコーリーとジョナサン・マイヤーズの二人が書いていますが、
コーリーとジョナサン、そしてベースのリー・アレン・ジーノの3人は、
それぞれ異なるクーリ=ヴィニを喋るのだそうで、コーリーはさまざまな
クーリ=ヴィニのヴァリエーションを学ぶことができたと語っています。

コーリーの今作最大のテーマは、自分たちルイジアナ・クレオールに
アイデンティティを与えてくれる言語、クーリ=ヴィニを取り戻すこと。
フランス語の動詞 ‘courir(走る)’ と ‘venir(来る)’ のクレオール語の発音に由来する
クーリ=ヴィニは、18世紀初頭のルイジアナ州で奴隷たちが
プランテーションの植民者たちと意思疎通するために、
奴隷たちの母語である西アフリカの言語とフランス語を融合させて生み出された言語です。
1900年代初頭になるとコーリーの生まれ故郷のテキサス州東部へと波及し、
コーリーは年老いた親戚たちがこの言葉で会話しているのを聞いて育ったのですね。

クーリ=ヴィニの衰退は、1803年のルイジアナ購入から始まりました。
アメリカ合衆国によってルイジアナ領土が買収され、
英語を話さない人々は新政府の言語と文化を学ばねばならず、
1812年の州制施行によってそのプレッシャーはさらに増し、
第一次世界大戦時には英語以外の言語を話すことは非国民とみなされて、
クーリ=ヴィニはさらなる打撃を受けたのでした。

教養のないクレオールやプア・ホワイトが話す劣った言語として蔑視されていた
クーリ=ヴィニのルネサンスは、ようやくここ10年で動き始めました。
伝統的に口承で伝えられてきた言語であったために長く文字化が困難で、
16年になってようやく『ルイジアナ・クレオール正書法ガイド』が
オンライン出版されましたが、それまではクーリ=ヴィニの
包括的なアプローチは存在しなかったといいます。

「音楽は僕の薬なんだ」と語るコーリーがアルバム・タイトルとした “MÉDIKAMEN” は、
かつてのカッサヴのヒット曲 ‘Zouk-La-Sé-Sel Médikamen Nou Ni’
(ズークはオレたちの唯一の薬)を想起せずにはおれませんね。
コリーが目指すクーリ=ヴィニのザディコは、ハイチやグアドループなど
フランス語圏のクレオール・グルーヴともシンクロしています。

Corey Ledet Zydeco "MÉDIKAMEN" Nouveau Electric NER1025 (2023)
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