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ジャズ・サイドの大友良英 ONJQ [日本]

ONJQ HAT AND BEARD  2020.jpg

これ、これ、これ。これが聴きたかったんですよ。
‘Hat&Beard’ と‘Straight Up and Down’ の
大友良英・プレイズ・『アウト・トゥ・ランチ』に、思わず快哉を叫んじゃいました。
ぼくが大友良英のジャズに期待するパフォーマンスが、この2曲で繰り広げられています。

あらかじめ告白しておくと、
エリック・ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』は、ぼくが偏愛するジャズの聖典。
その昔、このアルバムにジャズのひとつの理想郷を見つけてから、
このアルバムをクサすジャズ評論家のテキストは、読む価値無しとみなしています。

ost 大友良英 女人,四十。.jpg   Ground-Zero 革命京劇.jpg

大友良英は、民俗音楽研究の江波戸昭教授の同じゼミ生というよしみもあって、
ノイズ/音響に関心はないものの、気になる音楽家としてずっと意識をしていました。
じっさい、大友が手がけた香港映画のサウンドトラック『女人,四十』(95)や、
グラウンド・ゼロの『革命京劇』(95)は、愛聴していましたからね。

大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ OUT TO LUNCH.jpg

でも、本格的に大友に注目するようになったのは、
ONJQ(大友良英ニュー・ジャズ・クインテット)を結成して、
ドルフィーやオーネット、アイラーなどのジャズをやるようになってから。
クインテットからオーケストラへ発展したONJOが05年に発表した
『アウト・トゥ・ランチ』を丸ごとカヴァーした作品には、心底敬服したものです。

ドルフィーの音楽は唯一無比なあまりに、死後彼の音楽を継承する者は現れず、
コルトレーンやモンクのように楽理研究されることもなく、
メソッド化されないまま、放り出されていました。
そんなドルフィーに大友が真っ正面から向き合い、
ドルフィーの音楽を血肉化して演奏してみせたことは、
同世代の日本人として誇らしかったです。

ただ、正直言ってあの作品を愛聴したかと問われると、
ちょっと答えを言い淀んでしまうんですね。
Sachiko M、中村としはる、宇波拓といった音響派の音楽家たちは、
「エリック・ドルフィーのジャズ」にはジャマとしか思えませんでした。
もちろんこのアルバムは、大友がドルフィー以降のフリー、ノイズ、音響を経た地点から、
『アウト・トゥ・ランチ』をフィードバックしようという試みなのだから、
そこにジャズの影だけを追うことは間違いなことは、重々承知なんですけれど。
「ここのパート、退屈」とか「このインプロ、いらない」と思う場面があったのも、
正直な感想。

反対に、音響派のミュージシャンにとっても、
ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ』でなければならない理由はそこにはなく、
単なる素材として演奏しているようにしか聞こえなかったからです。
ジャズ・ミュージシャンには思い入れのある『アウト・トゥ・ランチ』も、
音響派のミュージシャンにとってはただの楽曲にすぎず、熱量がまるで違うみたいな。

で、今回はオーケストラでなく、クインテットに戻り、
メンバーを類家心平(tp)と今込治(tb)に代えて出した新作、
大友のジャズを期待するファンには、最高の仕上がりなんです。
クインテットの初期から演奏してきたオリジナル曲の‘Flutter’ はじめ、
これまでにさまざまなスタイルでカヴァーしてきた
オーネットの‘Lonely Woman’ もやっていて、大友のジャズ観が凝縮されています。
ノイズ、音響、インプロ、フリー・ジャズ、劇伴と多方面に渡る大友の音楽性のなかで、
音響を経たジャズの快楽を求めるファンには、絶好のアルバムですよ。

大友良英ニュー・ジャズ・クインテット 「HAT AND BEARD」 F.M.N. Sound Factory FMC051 (2020)
o.s.t. music by 大友良英 「女人,四十。」 Sound Factory STK003 (1995)
Ground-Zero 「革命京劇 -REVOLUTIONARY PEKINSE OPERA-」 Trigram TR-P909 (1995)
大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ 「OUT TO LUNCH」 ダウトミュージック DMF108 (2005)
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阿波の自由な民謡 [日本]

阿波百景.jpg

祝! ついに、お鯉さんの「よしこの」のオリジナル音源が初CD化!
ご存じ♪ えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ ♪、
24歳のお鯉さんが31年に吹き込んだ、「徳島盆踊り唄」です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2011-08-23

最初の録音では、「よしこの」とは名乗っていたなかったんですね。
「徳島盆踊り唄」の曲名で、空前の全国ヒットとなったのかあ。
いやー、それにしても若き日のお鯉さんの歌のパワーは、スゴイ。
軽やかでエネルギッシュというパラドックスに、ノック・アウトを食らいますよ。

古いスタイルを残す「よしこの」の三味線二挺が生み出すリズムも最高です。
チャンカ、チャンカでなく、チャン、チャンチャカ、チャンチャなんだな。
よしこの三味線とも呼ばれる、細かい返しの入った返しバチの技法が、
独特のグルーヴを生んでいるんですね。お鯉さんの唄が始まると、
太鼓と鳴り物がすっと後ろに下がるところなんて、まるでダブ。

このCDには、お鯉さんの「阿波よしこの」が冒頭の87年録音、
終盤の66年録音と31年の初録音と3ヴァージョン収録されています。
時代が下るほどに、歌い口は洗練され、味わいを深めていくのですけれど、
力強い美声がまったく変わらないのは、本当に驚異的です。

さて、お鯉さんの話ばっかりしてしまいましたけれど、
本作は87年に録音されたカセット『阿波の民謡集』をCD化したもので、
お鯉さんの過去音源は、ボーナス・トラックとして追加されたもの。
阿波の山間部に残された山仕事の唄や盆踊り唄を、
たっぷりと聴くことができるんですけど、どの唄も軽やかなんですよねえ。
それに明るいんです。この風通しの良さは、すごく貴重ですよ。

バブル期真っ只中の87年に、こんな録音が残されていたというのが驚くべきことで、
制作者には失礼ですけど、おそらく当時誰も見向きもしなかったんじゃないかな。
あの浮かれた時代に、こういう音楽を楽しむ環境はなかったもんねえ。
当時、型だけが保存されるばかりになった民謡は、すでに生命力を失って久しく、
いきいきとした民謡が日本で生きながらえているのは、
沖縄や河内音頭ぐらいしか、視界に入ってこなかったもんなあ。

阿波にこうした生きた民謡が遺されたのは、「先生」なんて存在がいなくて、
正調などと決められた通りの型を歌わせることがなかったからだろうな。
土地の歌自慢が、好き好きに自由に歌い、
個性を競い合っている気風が伝わってきます。
昨年復刻された『阿波の遊行』の野趣たっぷりの唄とはまた違い、
整って録音された民謡ですけれども、このすがすがしさは得難いものです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-08-12

v.a. 「阿波百景」 日本コロムビア COCJ41218
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いまが絶頂 岡村靖幸 [日本]

岡村靖幸 操.jpg

完全復活とともに成熟をみせた一大傑作『幸福』から4年ぶりの新作、
50代の岡村ちゃん、期待を裏切らない出来で、楽しませてもらってます。

前作の『幸福』は、やたらと耳にひっかかる歌詞が多くて、
普段言葉に頓着せず音楽を聴く自分にとっては珍しく、
歌詞カードを確認したりしたものでしたけれど、
今作はスキなく作られた岡村ワールドを演出するサウンドに没入しています。
過剰なほどヒリヒリした歌詞を書いてた前作の岡村を、
少し心配もしていたので、ちょっぴり安心したかな。

しょっぱなの「成功と挫折」から、「インテリア」「ステップアップLOVE」と
切れ目なく続く、怒涛の3曲がスゴイ。
その後も5曲目まで矢継ぎ早に曲が進み、
岡村のライヴを聴いているような錯覚を覚えます。

ボトムのぶっといデジタル・ファンクに小山田圭吾のギターが絡む「成功と挫折」から、
ラストの「赤裸々なほどやましく」に至る全9曲、
ミックスを含めサウンドの細部に至るまで、神経を配られているのがよくわかります。
岡村のサウンド美学が透徹したプロダクションの見事さにはもう、降参するしかないですね。

チャーミングなメロディの「少年サタデー」で、
エンディングにEW&Fの「セプテンバー」が引用されるおちゃめぶりにも、ニヤリ。
ライムスターのラップをフィーチャーした「マクガフィン」のキレもバツグンです。

岡村の絶頂は『家庭教師』の時ではなく、今ですね、いま。

岡村靖幸 「操」 V4 XQME91007 (2020)
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生で聴いた瞽女さん 伊平たけ [日本]

伊平たけ  「しかたなしの極楽」.jpg

うわぁ、懐かしいレコードがCD化されましたね。
刈羽瞽女の伊平たけが88歳の時に開いた、
東京赤坂の草月会館ホールでのリサイタルを収録した2枚組。
ライヴ盤と言うより、実況録音盤と呼んだ方が、しっくりくる感じ。
当時新進のジャズ・レーベル Nadja から出た、変わり種のレコードでした。

73年あたりから沸き起こった瞽女ブームをきっかけに、
高校生だったぼくも、瞽女唄のファンになったんでした。
高田瞽女の杉本キクイ、五十嵐シズ、難波コトミに、
長岡瞽女の中静ミサ、金子セキ、加藤イサを収録した
3枚組の『越後の瞽女唄』(CBSソニー)も、
乏しいこづかいを貯めて買うほど、夢中になったもんです。

そういえば、あの当時ブルースもブームだったけれど、
瞽女とブルースの両方を聴いてた人なんて、ほとんどいなかったんじゃないかな。
コンサート会場の客層が、まったく違ったもんね。
どっちみち高校1年生のぼくは、どちらの会場でも浮きまくってたように思うけど。

牛込公会堂で観た伊平たけは、第1回ブルース・フェスティバルで来日した
スリーピー・ジョン・エスティスと同じくらいの衝撃がありました。
当時の日記を見返してみたら、伊平たけを観たわずか10日後が、
ブルース・フェスティバルだったんですね。

どちらのコンサートも、この音楽が、どんな場で演奏され、
どんな人々の間で聞かれていたのか、その情景を想像するだけで、
ゾクゾクするような思いがしましたね。
非日常的な音楽にこそ好奇心を掻き立てられる変態高校生にとっては、
とてつもなく刺激的な体験でした。

このレコードの良さは、瞽女さんのレパートリーを一通り聴けるところにあります。
1枚目は口説、門付け唄、さのさ、萬歳など短い唄を集め、
2枚目で長い段物(祭文松阪)をたっぷりと聴くことができます。
1枚目では、司会の朝比奈尚行とのやりとりがほどよい解説となって、
初めて瞽女さんを聴く人にとっても、親しみやすい構成となっています。

瞽女さんのレコードというと、
無形文化財のアーカイヴといった堅苦しさがつきまとうんですけれど、
長尺の語り物だけを聴いていてはわからない、
庶民芸の娯楽の要素を引き出した本レコードの企画は、秀逸でした。

「葛の葉子別れ」や「小栗判官」「山椒太夫」といった段物は、
演目のクライマックスであって、瞽女宿に夜集まってきた村人の前で
繰り広げられる大宴会では、さまざまな流行(はやり)唄が披露されていたんですよね。
そんな瞽女さんのユーモアを、このレコードでは楽しむことができます。
76年に出た本『伊平タケ 聞き書越後の瞽女』
(鈴木昭英,松浦孝義,竹田正明編、講談社)も、
文芸的に語られすぎる瞽女さん像を軌道修正するのに役立ちました。

伊平たけ 「越後流し追分/松坂節」.jpg

伊平たけが出したLPは、この1作だけだったと思いますけれど、
つい最近、昭和3年にニッポノホンへ吹き込んだSP「越後流し追分/松坂節」が、
メタカンパニーの特典CD-Rになりましたね。
74年のブーム当時、物珍しさだけで伊平たけを聴いてた人が、
このCDを買うとは思えないので、瞽女唄をこれから聴いてみようという人にこそ、
ぜひおすすめしたいと思います。

伊平たけ 「しかたなしの極楽」 Nadja/ソリッド CDSOL1891/92 (1974)
伊平たけ 「越後流し追分/松坂節」 メタカンパニー SP006
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ディストピア時代のシティ・ポップス さかいゆう [日本]

さかいゆう Touch The World.jpg

それは、付属DVDのライヴ終盤、突然やってきました。
アンコールに一人ステージへ戻ってきたさかいゆうが、
ステージの真反対の客先の中に設置されたキーボードに座り、
弾き歌い始めた「君と僕の挽歌」。
聴き進むうちに胸の奥底を、ぎゅうっと強くつかまれて、
ぽろぽろと涙がこぼれるのを、止められなくなりました。

え? なんでじぶん、泣いてるんだ? うろたえながら、まず思ったのは、
歌詞がその理由じゃない。言葉は耳に入っていませんでした。
力のこもったヴォーカルと楽曲のメロディに、心を激しく揺さぶられたのです。

はじめて聴くアーティストの音楽に、いきなり胸の高まりを抑えきれず、
涙を流したのなんて、いったいいつ以来でしょうか。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-11-27
なんでこれまで、さかいゆうを知らないままでいたんだろう。
ちょっぴりそんな後悔とともに、そのまっすぐなハイ・トーン・ヴォイス、
掛け値なしに美しいヴォイス、甘く震える声に、胸を打たれました。

先に限定盤仕様のDVDを観てしまったんですけれど、
本編でもジェイムズ・ギャドソンが叩いたバラードの‘Dreaming Of You’ の、
ゴスペル・フィールのコーラスとともに歌い上げるところに、
この人の真骨頂を感じました。

シティ・ポップスど真ん中といっていいJ・ポップの音楽家だと思うんですけれど、
その引き出しにジャズが相当混じっているのは、
DVDのライヴでのキーボード・プレイを観ても明らか。
本編でも、‘So What’を下敷きにした「孤独の天才」や、
ニコラス・ペイトンを起用する人選に、それがよく示されています。
過去作では、ジョン・スコフィールドやスティーヴ・スワロウも起用していたんですね。

ロンドン、ニュー・ヨーク、ロス・アンジェルス、サン・パウロで
ブルーイ、テラス・マーティン、カット・ダイソン、マックス・ヴィアナなど、
各地第一級のポップス職人たちと交流しながら制作した本作、
もしスケジュールが半年遅れていたら、実現はできなかったはず。

コロナ禍というディストピアに立ち向かうリスナーのため、
神がスケジューリングしてくれたと、ぼくは解釈したいな。
世界に触れられなくなったいま、あらためて「世界に触れる」日に向け、
神がポップ・ミュージックの才人に力を授けた傑作です。

[CD+DVD] さかいゆう 「TOUCH THE WORLD」 ニューボーダー POCS23903 (2020)
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クラックラックスの新展開 [日本]

CRCKLCKS Temporary Vol.2.jpg

クラックラックスの『TEMPORARY』を絶賛溺愛聴中のところ、
わずか2ヵ月で新作EP『TEMPORARY VOL.2』を出してくるとは意外でした。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-11-05

「VOL.2」というタイトルに、ジャケットをモノクロに変えただけのデザインは、
なんだかリミックス・アルバムかダブ・アルバムかのよう。
そんなグラフィックに、続編的な内容とばかり思い込んで聴き始めたら、
いきなり冒頭の「かりそめDiva」で、イスから転げ落ちそうになりました。

コッテコテのディスコ・ナンバーで、えぇ? これ、クラックラックスなの??
全然違うバンドのアルバムをかけたのかと、ブッたまげ。
華麗なストリングスに(シンセだけど)、
ホーン・セクション(多重録音?)まで高らかに鳴るブギー・ファンクぶりは、
ミラー・ボールが目に浮かぶようなナンバーじゃないですか。
続いて2曲目の「IDFC」は、まるでPファンク。
小田朋美のヴォーカルに加工を施していて、
これまでのクラックラックスのイメージを打ち破りましたね。

新機軸は、まだこれだけでは終わりません。
小田朋美のヴォーカルが美しいスロウ・ジャムの「Crawl」。
弦セクションのゲスト起用も新たな試みですけれど、
なんと石若駿がドラムスを叩いておらず、プログラミングなんですよ。

最初聞いた時は、打ち込み使いに軽いショックをおぼえたんですが、
途中で、プログラミングからするっと石若の生ドラムスに変わるパートが出てくるんですね。
マシンと人力演奏を曲中で使い分けながら聞かせるアイディア、面白いなあ。
「IDFC」でもドラムスとパーカッションの絡みが面白いし、間奏で変拍子になったりと、
リズム・アレンジでもいろいろな工夫がみられます。

さらに『TEMPORARY』収録の「素敵nice」を、
思いっきりロックなヴァージョンに変貌して再演したのも、秀逸。
『TEMPORARY』にはなかった続きの歌詞が出てくると思ったら、
『TEMPORARY』のタイトルが「demo#01」となっていたことに、今頃気付きました。

いやあ、驚きましたねえ。
フル・アルバムの新作を出したばかりだというのに、
がらっと新たなイメージを打ち出すとは、彼らの才能は底知れませんね。
とはいえ、これだけ新機軸を打ち出したのに、
『TEMPORARY VOL.2』と題したのは、大いに疑問。
ちゃんとしたタイトルを付けるべきでしたね。

とにもかくにも。
『TEMPORARY』~『TEMPORARY VOL.2』~『ANSWER TO REMEMBER』の順で、
毎朝の通勤時は石若駿のドラムス三昧であります。

CRCK/LCKS 「TEMPORARY VOL.2」 アポロサウンズ APLS1913 (2019)
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世界に嵐を呼ぶドラマー 石若駿 [日本]

Answer To Remember.jpg

長谷川白紙を試聴して、不覚にも店頭でフリーズしてしまったワタクシでしたが、
その日のお目当ては、石若駿の新プロジェクトの新作だったのです。
こちらはすでに先行シングルのMVを観ていたので、
石若駿が存分に叩きまくっていることは、承知のうえ。
発売日をめっちゃ楽しみにしていたのでした。

これまで石若がさまざまな名義で制作してきたリーダー作は、
歌ものや作曲家としての作品ばかりで、もどかしく感じていたファンも多かったはず。
いまさら言うまでもないことですけれど、日本のジャズという枠をとっくに飛び越えて、
ワールド・クラスのドラマーに成長した石若駿ですからねえ。
新たに立ち上げた Answer to Remember というプロジェクトの新作、
思う存分ドラムスを叩きまくる石若が堪能できる、もってこいのアルバムに仕上がりました。

すでに先行シングルで聴いていた KID FRESINO をフィーチャーした‘Run’からしてスゴイ。
7拍子で始まる実験的なトラックは、トラップのようでもあり、
生ドラムスでこんなことができてしまうんだという驚きに満ち満ちています。
途中から4拍子に変わったかと思えば、また7拍子に戻って、
5拍子に着地するという複雑な展開は、まさにめくるめくといった構成で、
このトラックでなんなくラップしてみせる KID FRESINO も圧巻です。

高いところでハイハットを細かく鳴らしているサウンドが、すごく刺激的ですねえ。
前の長谷川白紙の『エアにに』で叩いていたトラックでも、
ハイハットをよれたリズムでキックと同期させずに叩くという、
人間技と思えぬドラミングを披露していましたっけ。

このアルバムでは、過剰なくらい音を足してサウンドを組み立てていても、
ドラムスが前景化せず、歌やメロディを表に出しているところがキモでしょうね。
ドラムスはバックでぶわーっと大きく鳴っているという構図が、
どのトラックでも徹底されています。

歌もラップもドラムもガツンといくところで、
ちゃんとイってる感がスゴくって、めちゃくちゃ爽快です。
超絶テクニックをガンガン押し出した生々しいサウンドがフルに鳴っていて、
ドラマーのリーダー作としては理想的なサウンドといえます。
いやぁ、去年のクリス・デイヴの初リーダー作が霞んじまったなあ。

世界に嵐を呼ぶドラマー、ここにありですね。

Answer to Remember 「ANSWER TO REMEMBER」 ソニー SICL287 (2019)
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エクスペリメンタル・ポップの奇才 長谷川白紙 [日本]

長谷川白紙  エアにに.jpg

とてつもない才能が現れましたよ!
「長谷川白紙」という人を食ったステージ・ネームは、
「長谷川博士」の変換まつがいなんすかね?
冗談はともかく、これが20歳の作品というんだから、もう、頼もしすぎる。
日本のポップス・シーンにパラダイム・シフト起こす、
異能のシンガー・ソングライターの登場です。
待ってましたよ、こういう有無を言わせぬ圧倒的な才能が出てくるのを。

1曲目の、ビッグ・バンドのホーン・セクションがフリーキーに炸裂するイントロから、
はや白旗を上げてしまいました。
一聴、エクスペリメンタルでアヴァンなセンスに、
とてつもないヒラメキを持っていることは、すぐ気付けますけれど、
何度も聴き込んでいくうちに、楽曲やビートがとてつもない高精度で
作り込まれているのがわかり、もう驚愕するほかありません。

変則的なコード進行、いびつなハーモニー、不協和な音使い、
ジェット・コースターのような曲構成、それらの要素をDAWにぶち込みながら、
難解になりすぎる手前でそっとポップなフックを置くという、
ポップスとしてギリギリ成立させる手腕に舌を巻きます。
ドリルンベースのカオティックなビートが、かくも肉感的に響くのにも、衝撃を受けました。
電子音楽に関心のない当方を、これだけ惹きつけてやまないのは、規格外の証しでしょう。

石若駿(ドラムス)や川崎太一朗(トランペット)を起用したトラックがあるとおり、
電子音楽ばかりでなく、現代ジャズと呼応した音楽性の持ち主でもあるんですね。
ボリリズムやメトリック・モジュレーションを駆使する技術力の高さは、
この人、ぜったいアカデミックな教育を受けているだろと思ったら、
なんと現役音大生なんですと。
だよねぇ。天才的なセンスだけでは到底獲得できない、
確かな技術力に裏打ちされているんですね。

現代音楽、ジャズ、テクノを自在に横断して、
これほどしなやかで、軽やかなサウンドスケープを構築してみせる恐るべき才能。
従来の日本のポップスの水準を無効にしてしまう破壊力が、彼の音楽にはあります。
でも、その破壊力が、ぼくには痛快でなりません。
日本の将来について、やたらと悲観的なことばかり言う御仁が多いのに、
日頃うんざりしてるんですけど、長谷川白紙に出会って、
日本の未来は明るいと、ぼくは確信しましたね。

折坂悠太や中村佳穂が出てきた1年前あたりから、
日本のポップス・シーンに革命が起きているじゃないですか。
こんなスゴイ若者たちを目撃しても、将来が暗いなんて世を憂えてる老人は、
さっさとくたばっちまえばいいんですよ。

長谷川白紙 「エアにに」 ミュージック・マイン MMCD20032 (2019)
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神歌と古い音律 アマミアイヌ [日本]

Amamiaynu.jpg

朝崎郁恵と安東ウメ子の魅力は、十二平均律で歌っていないところにある。

そんな指摘をする人にこれまで出会ったことがないですけど、
二人が、日本の音楽からすっかり失われた古い音律で歌っていることは、
二人の音楽を語るうえで重要なポイントと、ぼくは考えています。
奄美民謡とアイヌ音楽がコラボした『AMAMIAYNU』を聴いて、
ひさしぶりにそんなことを再認識させられました。

このアルバムに参加している若いアイヌの歌い手たち、
マレウレウのレクポと、姉妹ユニットのカピウ&アパッポの3人は、
見事なまでに♪ドレミファソラシド♪で歌っているので、
なおさら朝崎の歌との違いがくっきりとわかります。
ヴァーチャル共演となった故・安東ウメ子の歌が登場すると、
途端に朝崎の歌と共振するじゃないですか。

朝崎の独特の裏声を使ったこぶし回しは、
グインと呼ばれる奄美民謡独特のものですけれど、
地を這うような低音から一気に高音域に伸び上がる、
声のダイナミズムを生かした歌いぶりは、二人に共通するものです。

そしてなにより、二人の歌う音律がドレミファソラシドでなく、
微分音のズレを感じさせる音律であるところが、
霊気すら感じさせる二人の歌の妖しい魅力につながっています。

これって、奄美やアイヌの音楽が持つ独自性ではなく、
かつて日本にあった古い音の記憶だと、ぼくは考えたいんですね。
奄美やアイヌの特殊性に焦点を当ててしまうと、話が広がらないじゃないですか。
アパラチアやスコットランドの古謡、
アイルランドのシャン・ノースを歌う老人の唄などにも、
同じ感慨をもつことがあるように、十二平均律に犯されていない古い音律に
それが遺されている可能性として、この問題を考えたいんですよ。

タイやミャンマーの古典音楽に残る七平均律や、ガムランのスレンドロの五平均律など、
世界には十二平均律とは異なる体系の音律もまだまだ生きながらえています。
とはいえ、ピアノで音感教育を受けたぼくたちのように、
そうした民族の音の記憶は、もう風前の灯であることも間違いないでしょう。
自分がその音律を持っていなくても、祖先の記憶を蘇らせるように、
古い音律を使った歌に無性に惹かれるのは、
脳のしわに刻み込まれた記憶が、まだ途絶えていない証拠だと思うのです。

朝崎が育った加計呂麻島の花富集落には、ノロと呼ばれる祝女が祭祀を執り行い、
ノロたちが歌う神歌を聴いて、朝崎は育ったといいます。
朝崎の複雑な抑揚や裏声使いのルーツは、神歌なのでしょう。
自分では歌うことのできない古い音律に魅せられるのは、
神をなくした現代社会に、神歌を求めているからなのかもしれません。

Amamiaynu 「AMAMIAYNU」 チカル・スタジオ/タフ・ビーツ UBCA1066 (2019)
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センスじゃなくて技術 クラックラックス [日本]

CRCK LCKS  TEMPORARY.jpg

クラックラックスの前作“DOUBLE RIFT” には、ホント打ちのめされました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-08-30
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-10-29

昨年のベスト・オヴ・ベストどころか、ここ十数年これ以上の衝撃を
日本のバンドから受けたことはなかったからです。
ジャズやクラシックの教養をしっかりと身に付けたうえで、
ポップスの作曲技法も兼ね備えたバンドの登場は、
日本のポップ・ミュージックのクオリティを、これまでとは別次元のレヴェルに
引き上げたことは疑いようがないでしょう。
ジャズとポップスの境界が溶解したことを、
これほど実感させるバンドはありませんでした。

ここ最近のシティ・ポップ・ブームには、
二十代でリアルタイムに聴いた初老世代には片腹痛い思いもしますけれど、
クラックラックスはそんな過去の音像に寄りかかるようなマネはしていません。
だからこそ、リスペクトしてるんです。センスなんかじゃありません、技術ですよ。
技術がない者に限って、センスとか言いたがるんですよね。
ぼくらの世代では成し得なかった演奏技術を備え、多様な音楽を修得して
空恐ろしいほどの才能を発揮している彼らが、本当にまぶしく見えます。

新作はフル・アルバムだそうですけれど、
前作がEPという扱いじたい、どうもピンときませんね。
収録曲数や時間も、どちらも大して変わらないのに。
そのあたりの事情はよくわかりませんが、
今回の『TEMPORARY』は、『DOUBLE RIFT』の姉妹編といった印象が強いです。

どちらも短いイントロダクションでアルバムがスタートし、
続くオープニング曲がキャッチーなメロの、ツカミのあるトラックを置いたのは、
同じネライというか、同じ構成ですね。
前回の「O.K.」がめちゃくちゃアガるハッピー・チューンでしたけれど、
今回の「KISS」は、これまたチャーミングでめっちゃいい曲なんです。
少し涙の味がして、こみあげるものがあるメロディに、ぐっときますよ。

石若駿のドラムスがアグレッシヴに迫るトラックも、ちゃんと用意されています。
前作の4曲目「Skit」に呼応するのが、3曲目の「嘘降る夜」で、
ポリリズムならぬポリテンポという、凝ったアレンジを聞かせます。
小田朋美が歌詞の1語を、ゆっくりと全音符で置いていくような歌に、
4倍のテンポで石若のドラムスがカオスに暴れまくる、
短いインタールードのようなトラックが聴きものとなっています。

前作との大きな違いは、小田朋美のヴォーカルに深めのリヴァーブをかけているところ。
井上銘のギターが端々に印象的なリックを聞かせるところも、耳残りしますね。

ラストに前作収録の「病室でハミング」のライヴ・ヴァージョンを置いて、
小田が「ありがとうございます」とMCしたあと、
すぐに始まる「Shower」のイントロでフェイドアウトするアルバムの終わり方も、
余韻の残る締めくくりで、胸アツです。

CRCK/LCKS 「TEMPORARY」 アポロサウンズ APLS1912 (2019)
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浪曲河内音頭の至芸 日乃出家小源丸 [日本]

日乃出家小源丸 十三夜.jpg

日乃出家小源丸といえば、
河内音頭界のレジェンドと呼ぶにふさわしい、現役最高峰の音頭取り。
その日乃出家小源丸が生誕80周年を記念して、
浅草木馬亭で記念公演を開くというので、妻を誘い行ってきました。

河内音頭は、基本ダンス・ミュージックなんだから、櫓のまわりで踊ってなんぼ。
♪イヤコラセ~ ドッコイセ♪とばかり、踊りに夢中になってしまうと、
音頭取りの歌の文句など、ぜんぜん耳に入らなくなってしまうこともありますよね。
踊って楽しけりゃ、それはそれで十分なんだけど、
河内音頭のレパートリーは、一大ドラマの演目でもあるので、
そこで語られる物語を楽しまない手はありません。

そのためには、櫓じゃなくって、小屋の方がじっくりと楽しめるというもの。
浅草の木馬亭で、日乃出家小源丸の河内音頭を聴けるというのだから、
こんな贅沢を見逃す手はありません。

その記念公演で小源丸師匠が選んだ演目は、「竹の水仙」。
な~るほど、浪曲の定席、木馬亭という小屋にあわせて、浪曲河内音頭としたわけですね。
竹の水仙は、名工・左甚五郎のもっとも有名な伝承話。
浪曲では京山幸枝若が得意とするネタで、落語でもよく取り上げられていますよね。

小源丸師匠は、円熟を極め尽くした味のある語りで、
左甚五郎のひょうひょうとした人物像を演じていました。
いやぁ、やっぱりこれは踊っていたら、なかなか味わえるもんじゃありません。
その軽妙な語り口にぐいぐい引き込まれてしまって、夢中にさせられました。
ほんと、素晴らしかったです。

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師匠の語り口とともに感激したのが、日乃出家源司の太鼓。
抑えに抑えたバチさばきに、ゾクゾクしました。
シンコペーションを利かせたリズムで胴を軽やかに叩き、
皮の打面を打つのは必要最小限だけという、簡潔なスタイル。
胴を叩くリズムのニュアンスが実に豊かで、
ひょいと裏拍のリズムに転じてみせる技巧に、ウナりました。

最初に出演した日乃出家富士春のバックで叩いていた時から、
その<打たない太鼓>ぶりに感じ入って、上手いなぁ~と聴き入っちゃいましたよ。
抑制が利いているからこそ、緩急のダイナミクスがスゴくて、一打一打に無駄がない。
河内音頭のグルーヴ・マスターですね。

終演後、出来上がったばかりという、
小源丸師匠の90年代から00年代初頭の私家録音を編集した4枚組CDをいただいてきました。
ブックレットの印刷が間に合わず、印刷所から木馬亭に直に届けられたのを、
公演中にスタッフが総出で封入し、終演後の販売になんとかこぎつけたんだそう。

タイトルに「十三夜」とあるとおり、
これほど広範なレパートリーを演じ分けられる音頭取りは、
小源丸師匠を置いて他にはいないでしょう。
70年を越す音頭歴を刻んできた小源丸師匠の名調子を、
これでいつでも、じっくりと楽しめます。

日乃出家小源丸 「河内音頭奔流 日乃出家小源丸十三夜」 ミソラ MRON3005
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4声が生み出すモアレ マレウレウ [日本]

Marewrew  Mikemike Nociw.jpg

マレウレウの新作がいい!

12年の前作『もっといて、ひっそりね。』は、ちょっとがっかりだったんですよね。
マレウレウのメンバー4人による無伴奏歌では、
マジカルなポリフォニーを堪能できるのに、
バンド・アンサンブルが付いたとたん、4人の声が<きれいに>整理されてしまって、
ポリフォニックなマジックが消えちゃうんですよ。

う~ん、なんで、こんなふうにしちゃうのかなあ。
4人の声が織り上げるニュアンス豊かなヴォイス表現を、
バンド・アンサンブルが雲散霧消させるようじゃ、意味ないじゃないの。
マレウレウの一番の魅力である、
ウポポやウコゥクに宿る複雑な声のモアレが生かされず、
単なる女性コーラスにしてしまっていることに、不満ぷんぷんだったのです。

プロデューサーのオキが、そんな点を意識していたのかどうかは知りませんが、
今作は原点回帰で、バンドはおろかリズム・セクションが付く曲もなく、
オキのトンコリが伴奏を付けた1曲あるのみという、シンプルさに徹しています。
たぶんオキも、前作のプロダクションはうまくいかなかったと思ってたんじゃないかな。

マレウレウの一番の良さって、遊び唄を楽しく歌うところだと思うんです。
みんながマレウレウに親しみを持つのは、そこなんじゃないのかなあ。
昔ばなしを聴くのを楽しみに待つ、こどものような心持ちにさせられるのは、
子守唄や遊び唄が持つ豊かな音楽世界を、マレウレウが運んできてくれるからですね。

そのために、アイヌの伝統音楽であるウポポやウコゥクを借りてきた、
そんなふうにもぼくには思えるんです。アイヌの伝統が先にありきだったのではなく、
歌の楽しさをアイヌの歌に発見したような。違うかな。

個性に富んだ4人の声のレイヤーを生かした今作は、
マレウレウの魅力が十二分に発揮されましたね。
4人の声が溶け合うのではなく、異なる声色が重なったり離れたりしながら、
さまざまな色合いの変化をつけていくところがなんとも味わい深く、引き込まれます。

思えばマレウレウにノック・アウトされたのは、
ア・カペラのみで歌ったミニ・アルバムのデビュー作でした。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-11-23
そのミニ・アルバムのレパートリーをもう一度歌い直した16年の「CIKAPUNI」では、
4人の声の重心が深くなり、ゆったりと大きくうねるようになったグルーヴに、
グループの深化を感じました。
今作は、「CIKAPUNI」の成果をさらに前に進めた作品といえると思います。

Marewrew 「MIKEMIKE NOCIW」チカル・スタジオ/タフ・ビーツ UBCA1065 (2019)
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自由な流歌〜沖縄俗謡 嘉手苅林昌 [日本]

嘉手苅林昌 島唄の黄金時代.jpg

本土復帰前にあたる60年代の嘉手苅林昌は、やっぱり格別ですねえ。
アカバナーから出たマルテル音源の編集盤を聴いて、
何十年ぶりで嘉手苅熱が再燃しちゃいました。
マルテルに残されたシングル録音は、
これまでにもいくつかのコンピレでCD化されてきたとはいえ、
18曲もまとめて復刻されたのは、これが初。
カデカル節とじっくりと向き合うには、格好のアルバムといえます。

もうのっけから、嘉手苅林昌の世界に、ぐぃぐぃ引きずり込まれてしまいましたよ。
1曲目から、のちのち林昌を代表するレパートリーとなる「下千鳥」ですからねえ。
ファンにはおなじみの、別れの悲しみを歌ったバラードですね。
林昌は世の無常をも超越したかのように淡々と歌っていて、
その昇華した深い情念に、胸を打たれます。この境地こそが林昌ならではといえます。

後年の枯淡の歌いぶりで聞かせる「下千鳥」も美しいんですけれど、
こんなに丁寧に、言葉を慈しみながら歌っているのは、この時代だからこそでしょう。
マルテルに録音したのは66・67年頃。
林昌が40半ばの頃で、いわば脂ののった男盛りともいえる時期です。

マルテルに吹き込む直前には、65年にマルフクからデビューLPを出していて、
そのレコードを血眼になって探し回った話は、以前ここで書きましたけれど、
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-08-31
マルフク盤LPを知るきっかけとなった
平岡正明の『クロスオーバー音楽塾』(講談社、1978)には、
マルテルのシングル盤「国頭大福/サラウテ口説」についても、大いに語られていました。

嘉手苅林昌 国頭大福.jpg

本盤にはもちろんこの2曲も収録されていて、
ぼくはこのシングル盤をマルフク盤を手に入れた翌年に、
那覇のレコード店で直接手に入れました。
マルフク盤の良さがわかるようになるまでには、少し時間がかかりましたけれど、
「国頭大福」のスウィング感には、一聴でシビれましたね。

古典音楽や民謡の型からひょうひょうとはみ出し、
変幻自在な即興で自由な琉歌の境地を切り開いた、林昌の至芸の数々。
かつてマルテルのシングル盤には、「沖縄俗謡」と書かれていたように、
民謡=民俗音楽ではなく、俗謡=大衆音楽であることが、
くっきりと刻印された名編集盤です。

嘉手苅林昌 「島唄黄金時代の嘉手苅林昌」 アカバナー TR002
[EP] 嘉手苅林昌 「国頭大福/サラウテ口説」 マルテル MT1009
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ヒップ・ホップに娘を思う 泉まくら [日本]

泉まくら  as usual.jpg

この人に興味を持ったのは、15年の『愛ならば知っている』のジャケットがきっかけ。
大島智子のアートワークが、下の娘とオーヴァーラップして、妙に心にひっかかりました。
どんな人なのかとチェックしてみると、
「普通の女の子が半径数メートルで起こったことを
リリックにしたゆるふわラップ」とのこと。

聴いてみると、時にメロディを歌うパートもあるものの、
ポエトリー・リーディングのようなラップは、淡い語りのよう。
「ゆるふわラップ」というのも言い得て妙だなと思いましたけれど、
つぶやくようなフロウには、しっかりとしたビート感が宿っていて、とても自然に聞けます。

この「自然に聞ける」というところがキモで、語りを音楽的に聞かせるには、
相当な技量が必要だということを、再認識させられます。
歌謡曲の朗読とか、フォークの語りには、さんざん赤面させられてきましたからねえ。

語りを自然に聞かせるには、かつては節回しやこぶし使いというスキルを必要とされたのが、
ヒップ・ホップの時代では、新たにビートに言葉をのせる
リズムの咀嚼力が求められるようになり、それを若い世代が獲得してきたんですね。

ヒップ・ホップというビートの利いた音楽でありながら、
昔のフォークみたいなリズム感のなさを露呈するラッパーがたまにいるのは、
リズムの咀嚼力が足りないからでしょう。

そう考えてみると、泉まくらのラップを「ゆるふわ」と表現するのは、
いささか彼女のスキルを軽んじているようにも思え、
若い日本人ミュージシャンが持つ高度なリズム咀嚼力を、
彼女もまた備えていることがわかります。

トラックメイクも、泉まくらの音楽世界を過不足なく、簡潔に表現しています。
cero に通じるネオ・ソウル~ヒップ・ホップを横断したサウンドで、
どこか都市の郊外感をイメージさせるところも、cero と同じ匂いがしますね。

昨年、下の娘が家を出て一人暮らしを始めてから、
「どうしてるかなぁ~」とふと思い起こすことが増えました。
泉まくらを聴いていると、ますますそんな思いが募ります。

泉まくら 「as usual」 術ノ穴 XQND1012 (2019)
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日本のロック史上最高のソウル・バンド 上田正樹とサウス・トゥ・サウス [日本]

上田正樹とサウス・トゥ・サウス  1974ワンステップ・フェスティバル.jpg

キー坊ーーーーーーーーっ!!!

40年以上も昔の、女ともだちの黄色い声が耳元でものすごくリアルに蘇り、
全身の毛が逆立つような感覚に襲われました。
「懐かしい」なんて、ナマっちょろいもんじゃない。幻聴ってやつですね。
あれは確か、A・H嬢の絶叫。ずっと忘れていた彼女の名前まで突然思い出しちゃって、
人間の記憶の回路って、不思議だなあ。

聴いていたのは、74年8月、福島県郡山のワンステップ・フェスティバルでの
上田正樹とサウス・トゥ・サウスのライヴ録音。
2年前にワンステップ・フェスティバルのライヴ音源が、
CD21枚組という超弩級のボックスで世に出ましたけれど、
まさかそのボックスを買うこともできず、
「あー、上田正樹とサウス・トゥ・サウスだけは聴きたいなあ」と願っていただけに、
バラ売りされたと知り、狂喜乱舞して買ってきたのでした。

高校2年のことです。ぼくの高校は男子校でしたけれど、
同じ学校の女子部があり、よくツルんで遊んでたグループがありました。
その中に、上田正樹とサウス・トゥ・サウスの熱狂的なファン(A・H嬢)がいましてね。
その子に引きずられるように、ぼくらの仲間もライヴへ通うようになり、
全員サウス・トゥ・サウスのファンになったんでした。

当時サウス・トゥ・サウスはまだレコード・デビュー前で、
その年の6月に、上田と有山淳司とのコンビの『ぼちぼちいこか』が出たんだったな。
サウス・トゥ・サウスのライヴは2部構成になっていて、
第1部が有山のラグタイム・ギターとのアクースティック・セット、
第2部がサウス・トゥ・サウスのソウル・ショーで、その2部のライヴが、
その半年後の暮れに『この熱い魂を伝えたいんや』として出たのでした。
ジャケット・デザインが、「ロンパールーム」(当時の幼児番組)みたいで、
ぼくらの間では超不評でしたけれど、LPリリース後のNHKテレビの公開録画の時、
メンバー全員にサインを入れてもらったことを覚えています。

上田正樹と有山淳司 ぼちぼちいこか.jpg   上田正樹とサウス・トゥー・サウス.jpg

あの公開録画もケッサクだったな。
いつものグループで押しかけたんだけど、
ぼくらが踊ろうと立ち上がると、NHKの職員に制止されるんですよ。
サウス・トゥ・サウスのライヴを、大人しく座って観てろって、アホか。
さらにアタマにきたのが、NHKはわざわざ雇ったお姉さま二人だけを踊らせて、
カメラに映すというフザけた演出をしていたことで、A・H嬢が怒りまくったっけ。

想い出は尽きないわけですけれど、当時の日本のロック・シーンで、
上田正樹のパフォーマンスは、本当にずば抜けていたんですよ。
「おおきにっ!」という関西弁が、どれだけ観客の心を熱くしたことか。
関東のバンドは、トークが不器用というか、ヘタくそで、
エエカッコしいの誤解を招いたものですけれど、
関西弁の生活感溢れるトークは、ストレートに観客のハートをつかんだんですね。
オーティス・レディング、ルーファス・トーマス、
レイ・チャールズのナンバーを借り物でなく、
あれほど咀嚼して歌えた日本人は、上田正樹ただ一人でした。

歳月を経て、いまや本格的なR&Bシンガーが大勢輩出するようになったとはいえ、
あの時のサウス・トゥ・サウスが持っていた熱量を凌ぐライヴ・バンドは、
いまだ現れてないように感じるのは、
過去の想い出を美化した、自分の思い込みのせいですかね。

そんなことも確かめてみたくて、今回ワンステップ・フェスティバルのライヴを
やや緊張して聴き始めたんですが、有山とのアクースティック・セットで始まる、
冒頭のキー坊のしゃがれ声に、いきなり胸アツになっちゃいました。
そこにあるのは、自分が惚れ込んだソウル・ミュージックに身を投じ、
全身全霊で立ち向かっている若者たちの姿でした。
そんな真摯で、純粋な思いが、ビンビンと伝わってくる生々しいパフォーマンスは、
技術や演出が格段にグレード・アップした現代のR&Bでは生み出せない、
原初のエネルギーを感じさせます。
うん、やっぱり、これはホンモノだわ。記憶の美化でも、思い込みでもなかったね。

第1部は、NGワードもピー音なしでそのまんま収録した「タバコが苦い」から、
ブラインド・ブレイクの‘Police Dog Blues’のイントロを拝借した
「負けると知りつつバクチをしたよ」まで、
有山淳司のラグタイム・ギターがスウィングしまくります。

ゆうちゃん(藤井裕)のグルーヴィなベースでスタートする第2部は、
ホーン・セクションも従えファンキーに迫り、
「Soul to soul! そうちゃうか!」「後ろ! 元気ないやんけ」
「よっしゃあ、死ぬまで言うたろ」と観客を煽るキー坊も、最高潮。
このむせかえるような熱さに、グッとこないヤツはいないでしょう。

この当時のサウス・トゥ・サウスは、
ドラムスの正木五郎とキーボードの中西康晴がまだ参加する前で、
ジャズも叩ける上場正俊と、スタジオで活躍していた
実力あるキーボーディストの宮内良和、
関西ロック・シーンで名をはせたギタリストの萩原義郎を擁していました。
この郡山のわずか1週間前には8.8.ロック・デイに出演し、
そのライヴ盤に6曲を残しているので、既聴感はあったとはいえ、
ここでは倍の13曲、これこそサウス・トゥ・サウスのライヴですよ。

‘Licking Stick’‘Funky Broadway’ でギタリストのくんちょう(堤和美)が歌う
シブいヴォーカルもまた、サウス・トゥ・サウスの魅力。
サポートで加わった石田長生のジャジーなギター・ソロに導かれて
キー坊が歌い出す‘Try A Little Tenderness’ も、
オーティスに少しでも近づこうとする、その気合の入りぶりに、
胸を打たれずにはいられません。

上田正樹とサウス・トゥ・サウス 「1974ワンステップ・フェスティバル」 スーパーフジ/ディスクユニオン FJSP371
[LP] 上田正樹と有山淳司 「ぼちぼちいこか」 バーボン BMC3003  (1975)
[LP] 上田正樹とSouth to South 「この熱い魂を伝えたいんや」 バーボン BMC7001 (1975)
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母のわらべ唄 書生節 [日本]

大正滑稽はやり唄 -書生節と小唄による風刺・モダン・生活-.jpg

♪ラメチャンタラ ギッチョンチョンで パイノパイノパイ
パリコト パナナで フライ フライ フライ♪

大正時代のコミック・ソング「東京節」を知ったのは、いつだったんだろう。
小学生の時、ザ・ドリフターズがカヴァーしているのを聞いて、
すぐ一緒に歌えたくらいだから、もっと幼い頃、たぶん母親が歌うのを聴いて、
覚えたんじゃないかと思うんですけれど。

ぼくの幼児期の音楽体験といえば、
もっぱら父親のラテン・レコード・コレクションでしたけれど、
そういう正統(?)な音楽体験じゃなくて、
母親が歌っていたわらべ唄とはいえない珍妙な歌が面白く、
何とはなしに覚えてしまったものが、いくつもあります。
それが書生節の「東京節」や、数え唄の「日露戦争」といった俗謡でした。

母は昭和6年、芝の愛宕町で板長の次女に生まれました。
女学生の時に東京大空襲に遭い、愛宕山の愛宕神社へ逃げ込んで、
命からがら助かったという戦争体験をした世代の人です。

子供の頃に聞かせてくれた母の俗謡は、母のリアルタイムの時代の唄ではなく、
明治生まれの祖母から習った唄が多く、
女の子のお手玉唄などが多かったように思います。
その歌詞が、西南の役だったり、日露戦争だったりと、
あまりにも時代がかった不思議なもので、それで妙に記憶に残ったんでしょうね。

街角のうた 書生節の世界.jpg

そんな記憶をまざまざと呼び覚まされたのが、
93年に出た『街角のうた 書生節の世界』です。
この時初めて母の歌の原曲を聴き、
タイムスリップするような感覚をおぼえましたけれど、そればかりでなく、
秋山楓谷・静代、鳥取春陽、神長瞭月の歌いっぷりは、めちゃくちゃ新鮮でした。
このCDはすごく愛聴したんですが、その後書生節を聴くチャンスは訪れず、
今回のCD復刻まで、26年も待たされてしまいました。

父が、戦中期のハワイアン・バンド、カルア・カマアイナスのメンバーとご学友という、
帝大生のおぼっちゃまくんだったのに対し、
母は、ひと筋違いにお妾横丁があるような庶民的な下町育ちだった好対照さが、
ぼくの音楽嗜好の両極を育ててくれたように思えてくるのでした。

v.a. 「大正滑稽はやり唄 -書生節と小唄による風刺・モダン・生活-」 ぐらもくらぶ G10043
v.a. 「街角のうた 書生節の世界」 大道楽 DAI005
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三代目東京人も60年間知らず おしゃらく [日本]

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この夏、『阿波の遊行』を聴いて四国の盆踊り歌にヤラれ、
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-08-12
やっぱりこういう豊かな芸能は、
地方に行かなきゃ見つからないんだろうなあなどと、
ぼんやり思ったもんですけれど、なんと今度は東京ですよ、東京。

「おしゃらく」というその名すら初耳という自分の不明ぶりが、
情けない限りなんですけど、江戸川区の葛西から千葉の浦安にかけて
伝わってきた、念仏踊りをルーツとする芸能だそうです。
いちおう東京人三代目で60年も生きてきたのに、まったく知らなかったという。
不明ついでに、まずは予備知識なしに向き合ってみようじゃないのと、
ブックレットの解説を読まずに聴いてみたんですが、
いやあ、圧倒されましたよ。
職業歌手には到底求められない、なまなましい唄の数々に。

明治生まれの爺さん婆さんたちの芸達者なことといったら。
おばちゃんたちが歌うあっけらかんとした明るい猥歌も、突き抜けていますねえ。
野趣溢れるのは唄ばかりでなく、猛烈にグルーヴする三味線も圧倒的。
民謡に三味線が入るようになったのは、昭和になってからというのが通説ですけれど、
おしゃらくでは、すでに明治の頃から弾かれていたというのだから、むちゃくちゃ早い。
グナワのゲンブリをホウフツとさせるワイルドぶりですよ。

念仏踊りにさまざまな遊興の芸能が交わってきたという痕跡は、
遊芸人がやっていた歌舞伎の演目が取り込まれていることにも、見て取れます。
念仏踊りのようなダンス・ミュージックあり、段物のような聴きものありと、
村の衆が念仏講で盛り上がっていた様子が、ダイレクトに伝わってくる芸能ですね。

圧倒されっぱなしで聴き終えたあと、あらためて解説を読んでみましたが、
監修した民謡DJユニットの俚謡山脈がおしゃらくとどうやって出会い、
この音源をCD化したのかという話には、ワクワクさせられっぱなしでした。
CD解説にこんなにコーフンさせられることは、なかなかないことです。

解説を読んで、64年にコロムビアから出された『東京の古謡』という5枚組LPに、
おしゃらくが10曲収録されているほか、74年にはキングから
『無形文化財 おしゃらく』というLPが出ていることも知りましたが、
いつもなら「これは早速探さなくちゃ」となる自分も、
今回はそんな気にはなりませんでしたね。

それは、伝承者の自宅に残されたプライヴェート録音から厳選した本CDの方が、
スタジオ録音のLPなどより、はるかにイキイキとした演唱であることは、
聞かずしてもわかるからです。
野趣溢れるホンモノの民謡は、こういうプライヴェート録音や
フィールド録音の中でしか、味わうことができませんからね。
あ、でも解説の中に書かれていた『おしゃらく』という本は、早速探して読んでみよう。

葛西おしゃらく保存会ほか 「おしゃらく」 エム EM1181DCD
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ケタ違いの才能を伸ばせ RIRI [日本]

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ケタ外れの歌唱力に圧倒されたRIRI の『RUSH』。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-07-10
女子高生R&Bシンガーの逸材登場に、オジサンの胸もトキめいたわけなんですが、
その後満を持してリリースされたメジャー・デビュー作は、新作4曲があったものの、
インディ・リリースのEP2作からの5曲とリミックス1曲を収録した
再編集ともいえるアルバムだったので、
今回が実質的なメジャー・デビュー作といえるかも。

出だしの第一声で、うん、今回もいいねと確信。
その声に身体の細胞が活性化されるのを感じる、まさしく天性の声です。
高校卒業後、ロス・アンジェルスに3か月滞在して制作されたという本作、
アメリカのメインストリームを照準に置いたプロダクションは、申し分ありません。
楽曲もいいし、ゼッド&アレッシア・カーラの「Stay」のカヴァーも鮮やか。

英語詞の合間に、ところどころ日本語詞を挟み込むというスタイルも
完全に定着しましたね。RIRI ほど、英語と日本語を全く違和感なくつなげて歌える
日本人歌手はいません。英語のリズムに、日本語のアクセントを落とし込んで、
シームレスに繋げるスキルが、RIRI の最大の武器です。
なぜ群馬で生まれ育った彼女が、
こんなスキルを身につけたのか、不思議でなりません。

歌唱・プロダクションとも、あまりにスキなく作られていて、
物足りなさが残るといえば、ゼイタクな注文でしょうか。
じっくり聴けば、さまざまな冒険をしているのもわかるし、
けっしてコンサバな作りではないんだけれど、
ケタ違いの才能がもっとハジけるような、規格外のところが欲しいなあ。

あと、ひとつだけ苦言を。
『RUSH』をリリースした時のミニ・ライヴの会場でRIRI に会ったとき、
「Jポップにならないでね」と老婆心ながら言ったおぼえがあるんですけれど、
その懸念がはや今回のアルバムに表われています。

清水翔太とデュエットした「Forever」がそれ。
こういう凡庸なバラードを、彼女に歌わせちゃ、ダメ。
こんな曲は、あまたあるJ-ポップ・シンガーに歌わせときゃいいんです。
この1曲ゆえ、本作を年間ベストに選べないのが残念でなりません。

[CD+DVD] RIRI 「NEO」 ソニー AICL3584~5 (2018)
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ビート・センスが更新した日本語の響き 中村佳穂 [日本]

中村佳穂  AINOU.jpg

日常的に日本のポップスを聴く習慣があまりないので、
あくまでも偶然耳に飛び込んできた歌に、
反応する範囲での感想にすぎないんですけれど、
最近の日本の若手の歌って、日本語の響かせかたが、
べらぼうに巧みになったのを感じます。

先日知った折坂悠太もそうでしたけれど、
日本語を英語風に崩して発声するタイプの日本語ポップスの歌唱とは、
まったく異なる語法を身に付けている人が増えたように思います。
母音を強調する日本語の発声のまま、洋物のリズムにのせるスキルが、
若手はものすごく上達したんじゃないでしょうか。

これって、ヒップ・ホップを通過した若い世代ならではの、
リズムやビートに対する鋭敏な感受性が成せる技という気がします。
もっとも、大西順子のアルバムにゲスト参加していたような、
昔の日本語フォークみたいなラップを聞かせる者もなかにはいるわけで、
みんながみんな、スキルが上がったわけでもないようですけれど。

日本語の響きをビートにのせることにかけては、
ヒップ・ホップより、むしろポップスの分野できわだった才能が目立ちます。
水曜日のカンパネラのコムアイしかり、小田朋美しかり。
彼女たちのようなリズム・センスって、一昔前までは、
矢野顕子のようなひと握りの天才だけが持っていたものだったのに、
いまや多くの若手が獲得しているのだから、とてつもない進化です。

そんなことをまた思わせられたのが、
京都のシンガー・ソングライターという中村佳穂の新作。
ビート・ミュージックに始まり、新世代ジャズやネオ・ソウル、ピアノ弾き語り、
民謡をモチーフにした曲など、さまざまな情報を詰め込んだトラックが並ぶものの、
一本芯が通っているのが、ビートで磨きあげられた日本語の響きです。
作為のない中村の発声が、日常感情を率直に表現した歌詞をまっすぐに伝えます。

「日本語ロック論争」などといったものが、
完全に昔話となったのを実感させる、頼もしい若手たちの登場です。

中村佳穂 「AINOU」 スペースシャワー DDCB14061 (2018)
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いさぎよい歌 折坂悠太 [日本]

20181102_折坂悠太 平成.jpg

不思議な歌を聴きました。
フォークのようでフォークじゃない。これまでにない感触の日本語の歌。

明瞭な日本語の発音、こぶしの入った節回し、朗々と歌いもすれば、
演劇的な台詞回しもする。かつての日本語フォークのようでありながら、
フォークぎらいのぼくをグイグイ惹きつけるのだから、どうやら別物のようです。

歌のナゾはさておき、このアルバムの分かりやすい魅力は、その音楽性の豊かさ。
冒頭のサンバから、ジャズ、フォーク、カントリーを取り込んで、
自分の音楽にしっかりと血肉化させているところは、頼もしさを覚えます。
なになに風の借り物サウンドにならないのは、
すべてこの人の音楽に消化されているからですね。
ほのぼのとしたオールド・タイミーなサウンドに見え隠れする不穏な影や、
アヴァンなコラージュにも、一筋縄でいかない音楽性を感じます。

一方、メロディには、わらべ唄や唱歌のような「和」の香りがするのが、
この人の不思議な魅力。何度も聴くうちに、折坂が書くメロディと、
歌詞の日本語の収まりが、飛び抜けて良いことに気付きました。
この人の歌詞がはっきりと聞き取れるのは、そこに理由があるんですね。

いわゆるかつての日本語フォークにあった字余り感はまったくなくて、
言葉の持つリズムやイントネーションに対する感性が、鋭敏な人のようです。
日本語の響きにこだわった言葉選びが、
時に古めかしい言葉づかいになっているようにも思えますけれど、
それがすごくメロディとマッチしているんですね。

20181102_折坂悠太 タワレコ.jpg新宿のタワーレコードでインストア・ライヴを
やるというので、のぞいてきたんですが、
思いがけず強度のある歌いぶりで、
ちょっと驚かされました。
ひ弱ささえ覚える風貌なのに、
声の圧がスゴくって、気おされましたよ。
ノドを詰めた声や、似非ホーミーみたいな
声を出すパフォーマンスも聞かせて、
どれも我流ぽいんですが、それがすごく良かったな。
ギターも、ナインスやディミニッシュを
多用していましたけれど、
ジャズ・ギターを学んだとかじゃなくて、
これまた独学自己流ぽいんですね。

最近は、なんでもスクールで
習ったりするようですけれど、
この人は、歌もギターも自分で創意工夫しながら、
ひとつずつ自分の表現を獲得してきたとおぼしき確かな手ごたえを感じます。
その独創力が歌にいさぎよさを宿していて、頼もしかったです。
大器じゃないでしょうか。

折坂悠太 「平成」 PCI ORSK005 (2018)
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日本のポップ・ミュージック史を塗り替える演奏力 クラックラックス [日本]

クラックラックス 20181828.jpg

クラックラックスの新作が、毎朝のウォーキングのパートナーとなって、はや3か月。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-08-30
楽しみにしていた9月30日のリリース・ライヴが台風で中止になってしまい、
すっかり気落ちしてたんですが、先日のアンダーグラウンド・ファンク・ユニヴァースで、
新宿ピットインに出向いたところ、「石若駿3デイズ6公演」のチラシを見て、なぬ?
なんと今度の日曜日の昼公演に、クラックラックスが出演とあるじゃないですか。

あわててレジへ駈け込み予約を入れましたけど、
クラックラックスがまさかピットインでやるとは思わなかったなあ。
しかも昼公演だっていうんだから、これまた意外。
若い人が集まるクラブで、アウェイ感たっぷりに
踊りに行くのを覚悟していたオヤジにとって、想定外の出来事でありました。

ところが、クラックラックスは、
新宿ピットインのイベントの企画として結成されたという話を
ライヴのMCで知り、二重のオドロキ。へぇ~、ここがホーム・グラウンドだったんですか。
確かに全員ジャズに精通したメンバーなんだから、不思議じゃないけど、
ポップ・ミュージックのバンドとしてカンバンをはってるだけに、これは意外でしたねえ。

そして、じっさいライヴに接して、いやもう圧倒されましたよ、その演奏力の高さに。
複雑な構成の変拍子曲で、フロアを熱く盛り上げ踊らせる技量は、
そんじゃそこらのポップ・バンドじゃできない芸当です。
ジャズのスキルばかりでなく、クラシックや作編曲の能力がふんだんに取り入れられ、
日本のポップ・ミュージックのバンドも、ここまで来たかという思いを強くしましたね。

「ここまで来たか」という感慨は、40年前に荻窪のロフトで観た、
シュガー・ベイブの演奏力のなさを、ふと思い出してしまったからなんですけれどね。
シュガー・ベイブに限らず、ぼくが学生時代だった70年代の日本のバンドは、
自分たちがやろうとしている音楽に、演奏力がぜんぜん追いついていない
不甲斐なさが、常につきまとっていたもんでした。
あの当時を思うと、今の若者たちがものすごく頼もしく映るんですよ。

リーダーの小西遼の、キーボードを操りながらヴォコーダーやサックスを吹く姿なんて、
テラス・マーティンとダブってみえましたもん。
面白いなと思ったのは、ヴォーカルの小田朋美の、日本語を響かせる感性に、
60年代アングラの匂いがしたこと。これは意外だったかな。
そして、圧巻だったのは、今回のライヴ企画の主役である、ドラムスの石若駿。
その重量感は日本人ばなれ、なんてありていな感想が失礼と思えるほどで、
間違いなく世界のトップ・プレイヤーと肩を並べるレヴェルです。

切れ味の鋭さとか、スピード感のあるドラマーなら、過去も現在も大勢いますけど、
石若ほどの圧倒的な爆発力と猛進するドラミングは、森山威男以来じゃないかな。
その一方で、驚くほど柔らかい手首のスナップが、
しなやかで大きなグルーヴを生み出しているのにも、感じ入りましたね。
この人なら、直径3メートル・クラスの和太鼓でも叩けそう。
そして、ラストの「No Goodbye」で披露した猛烈なプッシュは、
ライヴ最大のハイライトでした。

あのハッピーな「OK」を、ライヴでぜひ踊りたいというオヤジの願望、
ついにかなえられましたよ。
心ゆくまで踊って楽しんだシアワセな日曜の午後でありました。

CRCK/LCKS 「DOUBLE RIFT」 アポロサウンズ POCS1710 (2018)
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ハードコア・フリー・ジャズ・ファンク アンダーグラウンド・ファンク・ユニヴァース [日本]

Underground Funk Universe.jpg

まさしく百戦錬磨の面々。
中央線ジャズの豪傑がずらりと並んだ新バンドのクレジットに、
これは買いでしょうと飛びつこうとした矢先、
一夜だけのアルバム発売記念ライヴを新宿ピットインでやると聞き、
さっそく予約を入れ、CDは会場で買うことにしました。

事前にCDを聞かず、ライヴで初めて聴くなんてことは、
ぼくの場合、けっしてしないんだけど(だからフェスには足が向かない)、
長年聴きなじんできたこのメンバーなら、中身は間違いなし、保証付ですよ。

10月23日のライヴは、残念ながらメンバー勢揃いとはならず、
前日に退院したばかりの片山広明が、大事をとって欠。
代わりに、バリトンの吉田隆一とテナーの佐藤帆がゲスト参加したんだけど、
吉田隆一を高く買っているぼくにとっては、これは嬉しいサプライズでした。

1部は、加藤崇之と林栄一がステージにあがり、
2人のフリー・インプロヴィゼーションからスタート。
エフェクトを駆使したギターから、変幻自在なサウンド空間を生み出す加藤と、
硬質な音のアルトを過激に吹き鳴らす林に、ぐいぐい引き込まれました。

やがてメンバー10人が揃って、
フリー・ジャズとファンクとロックをないまぜにした轟音ファンクを炸裂。
耳をつんざくホーンズの大音響が、ピットインの狭いハコにとどろきます。
地響きのような早川岳晴のベースが腹にごんごん響き、
湊雅史と藤掛正隆のツイン・ドラムスが豪胆なグルーヴを巻き起こします。
これぞ耳じゃなく、身体で聴く快楽ですね。

大音量に負けじと、小柄な桑原延享が
アンダーグラウンド・ファンク・ユニヴァースのマニフェストをラップする姿にも、
ジンときましたね。すっかり髪が白くなっていたのには少し驚かされましたけれど、
ジャジー・アッパー・カットを代々木のチョコレートシティで観たのを最後に、
あれから25年も経ってるんだから、そりゃあ、髪も白くなるわなあ。

Jazzy Upper Cut.jpg

ジャジー・アッパー・カットは、ジャングルズの桑原延亨、フールズの川田良、
SALTの早川岳晴と石渡明廣、ヒカシューの角田犬らが集まり、
90年代前半に活動していた大所帯のヒップ・ホップ・バンド。
当時SALTのファンだったことから、このバンドも気に入って、
ライヴに通うまでのファンになったんでした。

桑原延享のラップって、不器用きわまりないんだけど、
借り物でない身体感覚にもとづいた言葉にはウソがなくて、信頼が置けます。
2部の始まりで、石渡明廣のギターと佐藤帆のテナーをバックに、
フールズの曲を歌ったのも、彼の変わらぬロック魂が滲んでいたし、
川田良やECDの名をあげ、天国の彼らに届けとばかりにラップする姿は、
胸に沁みました。

ライヴを先に体験してしまうと、CDが物足りなく聞こえたりするものですけれど、
サウンドを整理しながらも、ツワモノたちのエネルギーを削ぐことなく
パッケージしたのはグッジョブです。
ライヴでは泥酔して醜態を晒した後藤篤のトロンボーンも、よく鳴っていますよ。
メンバーにサインを入れてもらったら、吉田隆一がおちゃめにも、
自分のサインの下に(片山?)と書いてくれましたけれど、
片山広明がまた元気にブリバリと吹きまくれるよう、早い回復を祈っています。

Underground Funk Universe 「UNDERGROUND FUNK UNIVERSE」 Fulldesign FDR1038 (2018)
Jazzy Upper Cut 「JAZZY UPPER CUT」 ナツメグ BC2201 (1992)
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子世代にヤられる快感 クラックラックス [日本]

CRCK_LCKS.jpg

バンド名もメンバーの名前もぜんぜん知らない、
初めて知るアーティストにヤられるという、快感。
キャリアをよーく知ってるようなヴェテランの新作だったら、
こんなカンゲキは味わえません。
自分の子供と同年齢の若い世代が頼もしく思えるのって、嬉しいねえ。
これって、子育てを終えた親世代の感慨でしょうか。

そんな歓喜に打ち震えたのが、クラッククラックス。
これが3作目という新作EPと偶然出くわして、ビックリ仰天。
今年の日本ものはceroの新作が圧勝と思っていたのに、
あっさりとそれを超える作品が登場したのには、心底驚かされました。
聞けばceroのサポート・メンバーを務めていたというんだから、
う~ん、才能ある者どうし、みんな繋がっているんだねえ。

それにしても、すごいな、この5人組。
ジャズがポップスのフィールドに越境するとこうなるという、
とんでもないテクニックとスキルが、圧倒的な説得力で迫ってくる作品です。
なんでも、ヴォーカルの小田朋美は東京藝大作曲科卒、
キーボードの小西遼はバークリー卒って、そりゃスキルがあるのも当然だわ。

ドラムスは石若駿。この人の名前だけはウワサを聞いたことがあり、
東京藝大器楽科を首席卒業という経歴を耳にしたことがあります。
でも、学校の優等生がポップスやジャズの世界で通用するわけでなし、
なんて思ってたんですが、彼のプレイに初めて接してみたら、
ウワハハハと笑うしかありませんでした。なんすか、この超弩級のテクニックは。
キックとスネアがズレまくる「zero」なんて、
クリス・デイヴかよと、ツッコミを入れずにはおれないプレイだし、
「No Goodbye」のドラミングは、ロナルド・ブルーナー・ジュニアばりだし。

ハイライトは、オープニングの短いイントロに続いて始まる「O.K」。
このハッピーなダンス・トラックは、何度聴いても、踊り出さずにはおれません。
あと数か月で還暦を迎えようというオヤジに、
クラブのフロアで踊りたいと本気で思わせるんだから、スゴいよ、ほんと。
極上ポップのコード進行とハーモニー・センスを兼ね備えた、キラー・トラックですね。

一方、個人的に一番苦手とする、日本の70年代フォークを思わせる曲
(「病室でハミング」)もあって、最初、げっ、とか思ったものの、
途中から巧みな変拍子にすべり込むアレンジに舌を巻き、
激しいビートに変化して怒涛の展開を迎える後半には、
ひれ伏したくなりましたよ、もう。

小田朋美の歌唱力、特に日本語の表現力は、圧倒的ですね。
水曜日のカンパネラのコムアイもスゴいけど、彼女以上の才能だな。
水曜日のカンパネラのトラックメイクの通俗さを、ずっと残念に思っていただけに、
歌と演奏がとんでもなく高いレヴェルで拮抗し合う
クラックラックスのサウンドには、快哉を叫びたい気持ちでイッパイになりました。

CRCK/LCKS 「DOUBLE RIFT」 アポロサウンズ POCS1710 (2018)
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掘り起こされた野趣な芸能のエネルギー [日本]

阿波の遊行.jpg

オドロキのアーカイヴ。
こんなスゴい音源が残されていたんですねえ。
68年から20年間に渡り四国で採集された、数百時間に及ぶ唄や芸能の音楽。

これを<民謡>と呼ぶのは、いささかためらいを覚えます。
世間に流布する商業化された民謡とは、あまりに落差がありすぎるからで、
中世から歌い継がれてきた、神様に捧げる踊り歌などの古謡が、
いかにストロングかを思い知らされる、圧巻のアーカイヴです。

冒頭の「津田のよしこの」三連チャンで、いきなりノックアウトくらいました。
こんなディープな盆踊り歌は、めったに聞けるもんじゃありません。
衆会の者たちが思い思いに手拍子を叩いては歌い出し、
「いっちょ、踊ったろ」なんてオッサンのつぶやきもが聞こえてきます。
リズムに合わせて太鼓が打ち鳴らされると、ますます興が乗っていき、
「えらい、やっちゃ、えらい、やっちゃ」の」囃子に煽られ、
爺さんや婆さんが交互に、唾も飛び散るような勢いで歌い出します。
このグルーヴ、まるでサンバ・ジ・ローダじゃないですか。

その強烈な大衆臭に圧倒されていると、今度は一転、神踊り歌や神楽となって、
場が清められるような神聖な雰囲気に包まれます。
とはいえ、よーく聴いていると、その神踊りのはしばしからも、奔放な野性が顔を出します。
神を祀るというタテマエの皮を一枚めくってみれば、
祭りのエロスがほとばしるのが聴き取れるじゃありませんか。背中がぞわぞわしますねえ。

爺さん婆さんが歌う、戯れ歌や作業唄がすごくいいんですよ。
こういう歌を歌ってくれるまでに、相当な時間をかけていることは、容易に想像がつきます。
ヨソから偉い先生がやってきて、ちょっとばかりの民俗調査をやってみたところで、
村人はお行儀のいい歌しか歌いやしません。
こんなに野趣で、なまなましい歌は、
心を許した者でなければ、けっして録ることはできません。
ホンモノの、生きた<野の唄>です。

三番叟などの放浪の門付け芸、浄瑠璃崩しの盆踊り歌、念仏踊り、子守唄、
2枚のディスクにぎっしりと収められた、四国の芸能の豊かさにウナらされるとともに、
その濃厚さにも圧倒されるばかりです。
そして、アッと驚かされたのが、ディスク2の中盤、お鯉さんこと多田小餘綾の
歌と三味線の登場です。がらりと雰囲気が変わり、これぞ洗練の極致といった
お鯉さんの「阿波よしこの」は芸術品です。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-08-23
そのルーツである、冒頭の「津田のよしこの」のむき出しの野性味との距離感には、
眩暈を覚えますね。
そのふり幅にこそ、四国の芸能の豊かさが示されているじゃないですか。

民族誌(エスノグラフィー)として整理されたものを、
いまいちど音楽の側から整理し直すことの意義は、
かつてマイケル・ベアードがアフリカのフィールド録音を再編集した
“AFRICAN GEMS” で示してくれましたよね。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-07-08
日本でもそれに匹敵する仕事が現れてきたのには、嬉しくなります。

V.A. 『阿波の遊行』 那賀町音盤 NCO001
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たゆたうハーモニー ゆるぎないグルーヴ cero [日本]

Cero POLY LIFE MULTI SOUL.jpg

すごいアルバム作っちゃったな、cero。

シティ・ポップとして括られているのに違和感を持ちつつも、
彼らが生み出すサウンドは、ずっと気になっていました。
ネオ・ソウル~ヒップ・ホップ~ジャズを参照しまくった
前作の『Obscure Ride』は、かなり前のめりになったもんです。

そして、今作。
豊かなハーモニーに独創的なコード展開という音楽性を深めるばかりでなく、
リズムの解釈、グルーヴの獲得が、とんでもない領域に達しちゃってますよ。
クラブ世代のビート感覚を根っこに持ちながら、
ヒップ・ホップのリズムを人力に置き換えた、
現代ジャズのゆらぎ感を咀嚼するだけでなく、
さまざまなクロス・ビートが顔を出し、ラテンやアフリカ音楽を学んだ痕跡もくっきり。

多層的に音楽を取り込みながら、それをミクスチャーするのではなく、
それぞれの層をくっきりと露出させているところが、すごく魅力的なんだな。
このリズム、このサウンド、いったいどこから参照してきたんだろうと思わせながら、
そうした多様な要素を、整理したり、まとめたりするのではなく、
ばぁーっと放り出して、ライヴ演奏したようなエネルギーを感じさせるところが、
すごい魅力的なんです。スタジオ・ワークだけで作ったら、こうなりませんよねえ。

ceroのサウンドに惹きつけられているぼくは、
インスト・ヴァージョンのボーナスCDが付いた初回限定盤を買いました。
個人的には、文学的な歌詞がカンベンてなところもあるので、
インスト・ヴァージョンの方が、テイストに合います。
とはいえ、全部が全部インストの方が良いわけではなく、
演奏だけだと物足りなく聞こえる曲もあり、
声の響きがサウンドの一翼を担っている証拠ですね。

今作の白眉は、
ムーンチャイルドとアフロビートを溶け合わせたような「魚の骨 鳥の羽根」。
そしてラストのタイトル・トラックのハウス・ビートに、
サンバのパンデイロが絡んでくるところで、
やもたまらず立ち上がって、踊り出してしまいます。

cero 「POLY LIFE MULTI SOUL」 カクバリズム DDCK9009 (2018)
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音楽を引き立てる音響の快楽 細野晴臣 [日本]

細野晴臣 Vu Jà Dé.jpg

細野晴臣の新作が、とんでもない。
オープニングからして、スリム・ゲイラードの“Tutti Frutti” なんだから、
いきなりニヤニヤが止まりません。いかにも細野さんらしいカヴァーと思ったら、
ご本人曰く、レオ・ワトソンのヴァージョンを、最近知ったばかりというのだから、
意外や意外。スリム・アンド・スラムのオリジナルは聞いたことがないんだそう。

で、「とんでもない」のは、そういうカヴァー曲云々てな話じゃありません。
この録音の良さ、なんなんすか!
目の前に飛び出てくる、細野の歌声。
手を伸ばせば、ギター抱えて歌っている細野の顔を触れるんじゃないかってほど、
まぢかに感じることのできる録音。このナマっぽい音は驚異的です。

ヴォーカルは、SP時代の音質を追及したようなミックスをしているし、
バックの演奏の音録りは、アナログのような温かみに溢れ、
これがデジタル録音とは、にわかに信じられないほど。
ブラシのスネアなんか、50年代のブルー・ノートみたいな音をしてるじゃないですか。
アコーディオンやペダル・スティールの響きに、脳がトロけます。

細野が表現するノスタルジックな音楽を、もっともふさわしい音響で演出していて、
音響が音楽をこれほど引き立てているのは、ここ最近聴いたおぼえがありません。
これは、単にアナログぽい音をねらったとかのレヴェルを完全に超えた、
音楽の快楽を音響の面から追及したレコーディングです。

ところが、このアルバムの特集を組んだ、
『ミュージック・マガジン』の今月号の記事を読んでも、音響に関する言及がほとんどなく、
「録音そのものは抜群にいいけど」なんて、軽いコメントで済まされちゃっていて、
おいおい、聴きどころ、まつがってないか、みたいな思いがふつふつと。

ぼくは、録音や音響といったことにあまり興味のない方なんですけれど、
それは、ナカミの音楽とは次元の違う、
純技術的なエンジニアリングの側面ばっかりが、語られるからなんですよね。

デジタルの時代になって、「音の良さ」というものが、エンジニアリング一辺倒で語られ、
音楽家と技術者の間に、壁ができてしまったように感じるんですよ。
肝心の音楽を聴かず、勝手に技術面での音の良さを競い合っているみたいな
違和感を感じるのは、ぼくだけですかね。
音の定位のありかたなど、その音楽を生かす音響という観点から、
レコーディングやミックスを練り上げた最良の例が、このアルバムなんじゃないでしょうか、

事実、このアルバムでゆいいつ違和感を感じるのが、84年と87年に録音した2曲で、
ミニマルを追及していたアンビエント期に録音された、このエッジの立った音は、
他のトラックとあまりに異質です。

音楽と音響の調和という問題は、その好例と悪例が、
細野さんのかつての名作で、すでに実証されているじゃないですか。
音楽と音響がベスト・マッチングだった『泰安洋行』に対して、
『はらいそ』は、デジタルな音質が音楽を台無しにしていましたよね。

かの名作を傷つけたくない配慮からなのか、
なぜかこの問題はあまり話題にされることがありませんが、
『はらいそ』の録音が、音楽とミス・マッチだったことは、みんな内心感じてきたはず。
ぼくには新作『Vu Jà Dé』が、『はらいそ』のリヴェンジに聞こえ、
快哉を叫びたくなるんですよ。

細野晴臣 「Vu Jà Dé」 スピードスター/ビクター VICL64872~3 (2017)
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音楽をする喜び ブラッデスト・サキソフォン feat. ビッグ・ジェイ・マクニーリー [日本]

Bloodest Saxophone feat. Big Jay McNeely.jpg

なんて羨ましい連中なんだろう。
ミュージシャンをこれほど羨ましく思わせるアルバムも、
なかなかないんじゃないかな。

自分たちが、その音楽をやる直接の動機となった、
伝説クラスの音楽家と共演できる幸福。
会えるだけでも、自分たちの音楽を聞いてもらうだけでも、
天にも昇る心地となるほど憧れた相手と、今一緒に演奏しているということ。
そんな敬愛の念がびんびんと伝わってきます。

しかも、そんなリスペクトの気持ちが、遠慮につながってないところが、またいい。
とかく、こういう愛が強すぎる共演では、愛する側が遠慮しすぎてしまって、
萎縮してしまったりするもんですけれど、ぜんぜん、そんなになっていない。

伝説のホンカー、ビッグ・ジェイ・マクニーリーを前にして、
ハンパな演奏など、恥ずかしくてできないぜとばかり、
全力を出し切ろうとする、ブラッデスト・サキソフォンの演奏ぶり。
ソロ・リレーでは、ビッグ・ジェイに負けてなるかと挑む、
その熱い気持ちがびんびん伝わって来て、目頭の裏をジーンとさせます。
12年のクラブクアトロで踊りながら泣いたあの夜を、また思い出してしまいました。

あの後、ライヴ盤が出て、
その3年後に再来日し、レコーディングをしたことは聞いていたので、
待ちに待ったアルバムです。
クリス・パウエルの“I Come From Jamaica” をやってくれたのは、嬉しかったなあ。
モノラル録音の良さも格別。

ジュウェル・ブラウンとの共演も感動の一作でしたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-12-09
音楽で結びついた日米・老若の友情に、胸アツとなる大傑作。
ビッグ・ジェイ、この時、88歳。とんでもありません。

Bloodest Saxophone feat. Big Jay McNeely 「BLOW BLOW ALL NIGHT LONG」 Mr. Daddy-O SPACE006 (2017)
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J-R&Bのネクスト・ステージ RIRI [日本]

20170709_RIRI.jpg

これ、17歳の女子高生が歌ってるの!?
ま・じ・で・す・か。
うおぅ、ついに日本にも、ジョス・ストーンみたいな才能が登場したってか。

いやあ、びっくりさせられましたねえ。
CDショップのR&Bコーナーの試聴機にセットされていた、新人女性歌手のEP。
は? なんで洋楽フロアに日本人の女のコのCDが入ってんの?
なんて思いながら、ボタンを押したら、脳天に雷落ちました。

こんな衝撃は、宇多田ヒカルの「Automatic」のMVを、
深夜放送の音楽番組で初めて見た、あの時以来。
偶然にも、あの時TV初登場だった「Automatic」を目撃したぼくは、
あわてて「宇多田ヒカル」とメモして、リリースの日を待ったんですが、
無名の新人のデビュー・シングルを心待ちにしたなんて経験、生涯あの1回こっきり。
のちに空前のブームが巻き起こるなど、その時点では想像だにしませんでした。
その「Automatic」ショックに匹敵する衝撃を、
RIRIの『RUSH』におぼえましたよ。

思い起こせば、ゼロ年代あたりからでしたかね。
R&Bを歌う新人シンガーが、それ以前の日本のR&Bとは、
一段も二段もレヴェルの上がった歌を聞かせるようになったのは。
本場アメリカとヒケをとらない歌に、
「うほ~、カッコいい。さすが、若い人は違うねぇ」と思いつつも、
身銭切ってCDを買おうとまで思わせる人は、残念ながらいませんでした。

やっぱり、うまいねえ、だけでは、心は震えんのですわ。
どんなに本場モノに迫るといっても、イミテイトだけじゃ満足できません。
うまいだけなら、イギリスにだって、カナダにだって、
それこそ今や、韓国や香港やマレイシアにだって、R&Bシンガーはいますよ。

ですが、このRIRIは、違いましたね。イミテイトを超したサムシングがある。
繊細な歌い出しから、一気に歌い上げるダイナミクスの大きな歌唱、
その若さに似合わぬ豊かな表現力が、さまざまな表情をみせ、聴き手を翻弄します。
もちろんそのマナーは、さまざまなアメリカの先達から吸収したものではあっても、
このコ自身の中からあふれ出るパッションが、
まごうことなき、オリジナルの輝きを放っているんですね。
わずか11歳で出場したデイヴィッド・フォスターが主催したオーディションで、
なんとファイナリストに選ばれたという実力は、ケタ違いです。

RIRI I LOVE TO SING.jpg

あまりの衝撃に、昨年出したというデビューEPもあわてて買ってみたんですが、
これまた、爆発せんばかりの歌いっぷりにノックアウトされました。
もう、歌いたくて歌いたくて、歌わずにはおれないといった気持ちが、
アルバム中からほとばしり出ています。
上滑りしてるくらいの感じが、いいじゃないですか。胸に響きますよ。

英語詞も日本語詞も分け隔てのないクリアなディクションで、
身体ごとぶつけてくるような歌いぶりは、歌のスキルを超え、
圧倒的な説得力をもって迫ってきます。
この時で16歳なのかあ。空恐ろしい才能、というより、
むしろこの若さ、デビュー当初だからこその輝きを捉えた、
逸品といえるんじゃないですかね。

このトンデモな才能のナマ声を聴きに、
タワーレコード新宿店のインストア・ライヴに行ってきました。
すんごい。ホンモノだわ、このコ。
リハーサルの歌い出しの第一声で確信しました。
笑顔がチャーミングなことといったら♡♡♡
十代特有の屈折なんて、関係ないって感じ。
MCを聞いていても、女子高生とは思えぬしっかりとしたトークで、
きちんと躾けられたことのわかる言葉づかいに、大好感。

いずれビッグになって、ドーム・クラスのハコで歌うシンガーに成長するはず。
デビュー間もない時期に目前で拝んだことは、将来貴重となるかも。

RIRI 「RUSH」 The Mic-A-Holics Inc. TMAH0002 (2017)
RIRI 「I LOVE TO SING」 The Mic-A-Holics Inc. TMAH0001 (2016)
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オーネット門下生のフリー・ファンク対決 梅津和時×グラント・カルヴィン・ウェストン [日本]

梅津和時×Grant Calvin Weston  FACE OFF.jpg

梅津和時とグラント・カルヴィン・ウェストンの共演作!!
うわぁ、これは意表を突かれたなあ。

オーネット・コールマンのプライム・タイムのドラマーであり、
ジェイムズ・ブラッド・ウルマーを支えたドラマーとしても忘れられないウェストンと
梅津さんが、フリー・インプロヴィゼーションを繰り広げるだなんて、夢のよう。
ぼくにとってお二人は30年来、いや、もっとか、のファンですからね、
願ってもないアルバムです。

2017ベスト・ジャケット大賞を進呈したい傑作ジャケットは、
二人がメンチ切りしていて、『対決』というタイトルも戦闘モード丸出し。
ラストのオーネット・コールマンの“Lonely Woman” 以外、
すべて完全即興、しかも全曲ワン・テイクで録ったという、
おそるべき集中力による作品。

圧倒されるのは、梅津の引き出しの多さ。
淀みなく溢れ出す音列はラプソディカルでも、その饒舌さに文学性や演劇性がまとわず、
純音楽的な演奏に徹するところが、梅津の一番の魅力ですね。
そして、次々と繰り出す梅津の技に、
フレキシブルに対応するウェストンの柔軟なドラミングも最高。
梅津が引っ張る演奏もあれば、カルヴィンの手数の多いドラミングの後を追って
梅津が吹く曲もありの、完全な互角試合となっていますね。

また、4曲目のように、梅津に好きに吹かせたまま、
カルヴィンはクールにステデイなパターンで、リズムを叩く曲もあり、
二人が対決モードで丁々発止を繰り広げるばかりでもないところもいいな。
二人の協調ぶりも聴きどころな、オーネット門下生二人によるフリー・ファンクです。

梅津和時×Grant Calvin Weston 「FACE OFF」 ZOTT ZOTT101 (2016)
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ジャズ十月革命・2016 梅津和時+原田依幸 [日本]

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うわぁ、‌とうとうCD化されたか。
梅津和時と原田依幸が渡米して、
当時のロフト・ジャズ・シーンの精鋭たちとセッションした、
生活向上委員会ニューヨーク支部。

デザインするという意識がまるでない、いかにも自主制作なジャケットは、
およそ購入意欲のわかないシロモノで、
行きつけのジャズ喫茶で聴けるからいいやと思っているうちに、
そのジャズ喫茶も店じまいして、
すっかり忘却の彼方になってしまいました。40年近く前の大学生だった頃の昔話です。

それ以来、ずっと耳にしていなかったわけですけれど、
冒頭「ストラビザウルス」のホーン・リフがすごく懐かしくって、鳥肌が立っちゃいました。
サン・ラ・アーケストラのトランペッター、アーメッド・アブドゥラーと
梅津のアルト・サックスによるユーモラスなリフに続いて、
集団即興になだれ込んでいくカッコよさは、ぜんぜん古くなってないですねえ。
ラシッド・シナンのドラムスがキレまくりで、これぞフリー・ジャズの醍醐味ですよ。
梅津が作曲したラスト2分弱のニュー・オーリンズ風の陽気なメロディも、楽しいかぎり。

集団疎開.jpg

その後ニューヨークから帰った二人は、集団疎開を新たに結成し、ライヴ盤「その前夜」を、
生活向上委員会ニューヨーク支部同様、コジマ録音から出したんでしたね。
当時ぼくは、コジマ録音とお付き合いがあったので、高円寺の小島さんのおうちで、
この集団疎開のレコードを聞かせてもらった覚えがあります。
当時は「ひどいジャケットだな。
フリー・ジャズっていうより、ビンボくさいフォークみたい」
と思ったもんですけれど、正直これがCD化されるとは予想しませんでしたねえ。

梅津和時+原田依幸 ダンケ.jpg

結局、梅津和時と原田依幸の二人に親しみを覚えながらも、
「ジャケ買い」ならぬ「ジャケ敬遠」をし続けて、
ようやく二人のレコードを初めて買ったのが、81年の「ダンケ」でした。
一緒に買ったのが、宮野弘紀のデビュー作「マンハッタン・スカイライン」だったもんで、
レコード屋のオヤジから
「フリージャズとフュージョンの両方、聴くのかい」と嗤われましたけども。

この頃、二人はすでに生活向上委員会大管弦楽団で、大ブレイクしていました。
その後、それぞれの方向性が変わっていき、二人別々の道を歩むことになったんですね。
ぼくはといえば、どくとる梅津バンドからKIKI BANDと、
もっぱら梅津和時のライヴに足を運んでいましたけれど、
原田依幸のライヴは一度も観たことがありませんでした。

今回30年ぶりに二人が合流し、生活向上委員会東京本部として、
10月5日の京都を皮切りにコンサートを行うという、
ビッグ・ニュースが飛び込んできました。
しかも、ドン・モイエを招いてのトリオ編成だというんだから、これは事件です。
ぼくは早速、最終公演10月10日の高円寺のチケットを確保しました。
カエターノ・ヴェローゾなんぞ観てる場合じゃありませんよ。

かつて原田依幸ユニットで、セシル・テイラーのドラマー、
アンドリュー・シリルと共演した時は、
原田に合わせるだけのシリルが物足りなかったウラミが残っているので、
今回のドン・モイエには、期待したいですねえ。
なんたって、元AECなんだからさあ。
果たして、今回の公演、2016年の「ジャズ十月革命」となるや否や。楽しみです。

生活向上委員会ニューヨーク支部 「SEIKATSU KŌJYŌ IINKAI」 オフ・ノート NON25 (1975)
集団疎開 「その前夜」 デ・チョンボ/ブリッジ BRIDGE049  (1977)
梅津和時+原田依幸 「ダンケ」 P.J.L MTCJ5531 (1981)
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