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ジャズ十月革命・2016 梅津和時+原田依幸 [日本]

生活向上委員会ニューヨーク支部.jpg

うわぁ、‌とうとうCD化されたか。
梅津和時と原田依幸が渡米して、
当時のロフト・ジャズ・シーンの精鋭たちとセッションした、
生活向上委員会ニューヨーク支部。

デザインするという意識がまるでない、いかにも自主制作なジャケットは、
およそ購入意欲のわかないシロモノで、
行きつけのジャズ喫茶で聴けるからいいやと思っているうちに、
そのジャズ喫茶も店じまいして、
すっかり忘却の彼方になってしまいました。40年近く前の大学生だった頃の昔話です。

それ以来、ずっと耳にしていなかったわけですけれど、
冒頭「ストラビザウルス」のホーン・リフがすごく懐かしくって、鳥肌が立っちゃいました。
サン・ラ・アーケストラのトランペッター、アーメッド・アブドゥラーと
梅津のアルト・サックスによるユーモラスなリフに続いて、
集団即興になだれ込んでいくカッコよさは、ぜんぜん古くなってないですねえ。
ラシッド・シナンのドラムスがキレまくりで、これぞフリー・ジャズの醍醐味ですよ。
梅津が作曲したラスト2分弱のニュー・オーリンズ風の陽気なメロディも、楽しいかぎり。

集団疎開.jpg

その後ニューヨークから帰った二人は、集団疎開を新たに結成し、ライヴ盤「その前夜」を、
生活向上委員会ニューヨーク支部同様、コジマ録音から出したんでしたね。
当時ぼくは、コジマ録音とお付き合いがあったので、高円寺の小島さんのおうちで、
この集団疎開のレコードを聞かせてもらった覚えがあります。
当時は「ひどいジャケットだな。
フリー・ジャズっていうより、ビンボくさいフォークみたい」
と思ったもんですけれど、正直これがCD化されるとは予想しませんでしたねえ。

梅津和時+原田依幸 ダンケ.jpg

結局、梅津和時と原田依幸の二人に親しみを覚えながらも、
「ジャケ買い」ならぬ「ジャケ敬遠」をし続けて、
ようやく二人のレコードを初めて買ったのが、81年の「ダンケ」でした。
一緒に買ったのが、宮野弘紀のデビュー作「マンハッタン・スカイライン」だったもんで、
レコード屋のオヤジから
「フリージャズとフュージョンの両方、聴くのかい」と嗤われましたけども。

この頃、二人はすでに生活向上委員会大管弦楽団で、大ブレイクしていました。
その後、それぞれの方向性が変わっていき、二人別々の道を歩むことになったんですね。
ぼくはといえば、どくとる梅津バンドからKIKI BANDと、
もっぱら梅津和時のライヴに足を運んでいましたけれど、
原田依幸のライヴは一度も観たことがありませんでした。

今回30年ぶりに二人が合流し、生活向上委員会東京本部として、
10月5日の京都を皮切りにコンサートを行うという、
ビッグ・ニュースが飛び込んできました。
しかも、ドン・モイエを招いてのトリオ編成だというんだから、これは事件です。
ぼくは早速、最終公演10月10日の高円寺のチケットを確保しました。
カエターノ・ヴェローゾなんぞ観てる場合じゃありませんよ。

かつて原田依幸ユニットで、セシル・テイラーのドラマー、
アンドリュー・シリルと共演した時は、
原田に合わせるだけのシリルが物足りなかったウラミが残っているので、
今回のドン・モイエには、期待したいですねえ。
なんたって、元AECなんだからさあ。
果たして、今回の公演、2016年の「ジャズ十月革命」となるや否や。楽しみです。

生活向上委員会ニューヨーク支部 「SEIKATSU KŌJYŌ IINKAI」 オフ・ノート NON25 (1975)
集団疎開 「その前夜」 デ・チョンボ/ブリッジ BRIDGE049  (1977)
梅津和時+原田依幸 「ダンケ」 P.J.L MTCJ5531 (1981)
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宮古島の古謡 與那城美和 [日本]

20160722_輿那城美和.jpg

宮古の唄を堪能してきました。
コンサートではなく、少人数のファンの集いといった
インティメイトな雰囲気で宮古民謡を楽しめたのは、
国吉源次さんを五反田にある20000114_国吉源次.jpg
沖縄料理居酒屋の結まーるで聴いた、00年1月以来ですね。

宮古民謡を知ったのも、国吉源次さんがきっかけで、
平岡正明の『クロスオーバー音楽塾』を読み、
沖縄に電話をしまくってレコードを送ってもらった
78年の冬のことでした(遠い目)。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-08-31

宮古民謡は、本島の民謡とはだいぶ趣が違って、
ひとことでいえば、朴訥。
華やかさを感じさせる本島や八重山の唄に比べれば、
ぐっと素朴な佇まいながら、
その底に宿る、揺るぎない強靭さを感じ取れるようになると、
こたえられなくなるんだな。

與那城さんのストレートな発声や、コブシを多用しない節回しはすがすがしく、
CDを聴いていた時から大好きだったんですが、
生で聴いた與那城さんの歌声は、高い調子でも低い調子でも声の音圧が変わらず、
いい歌い手だなあと、あらためて感じ入ってしまいました。

最近では、久保田麻琴さんのフィールド録音や映画「スケッチ・オブ・ミャーク」などで、
広く知られるようになった宮古の古謡ですけれど、
この夜もとりわけ印象的だったのは、無伴奏で歌った古謡「白鳥ぬアーグ」。
マイクなしで聴く與那城さんの発声に、身体の細胞を揺り動かされる思いがしましたよ。

輿那城美和@渋谷Li-Po.jpg

輿那城美和 「宮古島を唄う」 輿那城美和 MFGT01 (2013)
国吉源次 「宮古民謡特集」 丸福 F25-3
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八尾のギターMC ローホー [日本]

ローホー.jpg

アクースティック・ギター一本でラップし、歌を歌うというのは、
ごまかしのきかない、いわば丸裸ともいえるスタイル。
ギターMCとでも呼べばいいのか、
ローホーを名乗る若者のPV「浮き草」を偶然観て、イッパツで魅了されました。

バツグンに滑舌が良くって、ディクションも明快。
日本語をリズムにのせるフロウが鮮やかで、
日本人でこんなに肉感のあるビートを吐き出すラッパーを聴いたのは、ぼくは初めて。
もっともラップには疎いので、ぼくが知らないだけの話だとは思いますが、
そんな門外漢のオヤジ・リスナーをCDショップに向かわせたんだから、
このPVの説得力、ただごとじゃありませんよ。

そんでもって、ギターの腕前がこれまたスゴい。
ギターをばんばん叩くスラム奏法を駆使して、スピード感溢れるビートを繰り出します。
う~ん、ヒップ・ホップで育った世代のギター弾き語りって、カッコイイねえ。

だってねえ、おじさん世代のギター弾き語りって、ダサかったんだよ。
アルペジオでしみったれた歌を歌うフォークや、
ギターをただストロークするだけの、技のないフォーク・ロックがデカい顔してたんだから。
あの頃のギター好きとしては、ブルースかジャズに向かうしかなかったので、
イマドキの若者の音楽性が、まぶしくみえますよ。

ブルースを体得した渋みのある曲を歌う一方、
サーフ・ロックを思わせる、からりとした曲も歌ってみせる。
ジャイヴやホーカムをホウフツとさせるユーモアもあって、
ギター1本でひょうひょうとジャンルを越境する豊かな音楽性が、この人の強みですね。

ホームレスになったことも1度や2度ではないという、
どん底生活を経験をしたことも、リリックに深みを与えています。
「One Day」の傷ついた人に寄り添う温かさに、
痛みを知る者の器の大きさがさりげなく示されているし、
原発問題をテーマにした「Genpatsu Boogie」にも、
自分の足元に引き寄せて語る誠実さに、反原発ソングに鼻白むぼくも共感できました。

本人もリリックで語っているとおり、不幸自慢ではなく、
みずからの境遇を笑い飛ばす人なつこさが、この人の最大の魅力。
関西人ならではのユーモアとペーソスは、
ぼくの世代的には有山淳司や憂歌団に通じるものがあって、
親近感が持てますねえ。
もしストリートの投げ銭ライヴで観たら、
その場を離れられなくなることウケアイの、強力な磁力を持った逸材です。

ローホー 「GARAGE POPS」 Pヴァイン PCD22394  (2016)
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80年代J-フュージョンの金字塔 ザ・プレイヤーズ [日本]

The Players  Madagascar Lady.jpg

あああああああ、やっと! ついに! とうとう! CD化なりましたぁ!
いったい、どんだけ待たすんだ、ばかやろー、でありましたね(怒のち感涙)。

コルゲンさんこと鈴木宏昌率いるコルゲン・バンドあらため
ザ・プレイヤーズの最高傑作である、81年の『マダガスカル・レディー』であります。
前に渡辺香津美の記事にも書きましたけれど、
世のフュージョンのぼんくら評価のせいで、
いつまでたってもCD化がかなわなかった作品ですよ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-02-14

ザ・プレイヤーズの代表作というと、
80年の2作目『ワンダフル・ガイ』で事足れりにされてましたからね。
(ちなみに、LP当時から邦題がおかしいんだよなあ。「ガイズ」にすべきでしょ。
バンド名をプレイヤー「ズ」と名乗っているくらいなんだからさ)

なぜこれまで『ワンダフル・ガイ』が代表作扱いされてきたかといえば、
発売当時、日野皓正のゲスト参加で話題となったから。
ウェザー・リポートに強く影響されたバンドの音楽性が完成したのは、
このあとの3作目にあたる『マダガスカル・レディー』であることは、
ナカミをしっかりと聴いている人なら、歴然だってのにさ。

ハービー・ハンコックのジャズ・ファンクを
いち早く取り入れたコルゲンのキーボード・プレイ、
エリック・ゲイルそっくりのギターを弾く松木恒秀、
スティーヴ・ガッドと聴きまがう渡嘉敷祐一のドラムス、
アンソニー・ジャクソンばりの太いベースを弾く岡沢章、
後期コルトレーン、ウェイン・ショーターの影響あらたかな山口真文のサックスという、
超一流のスタジオ・ミュージシャンが集まったザ・プレイヤーズ。

このメンバーで、和製ウェザー・リポートといった演奏を聞かせるんだから痛快です。
本作に収録された「C.P.S.(Central Park South)」は、
曲想・メロディともに、ウェザー・リポートの「バードランド」のまんま引き写し。
ここまであからさまに似せると、かえってすがすがしいくらい。
このトラックに続き、ウェザー・リポートの名曲「8:30」も
カヴァーしているんだから、なおさらです。

本作がザ・プレイヤーズの代表作にふさわしいのは、
山口真文の激烈なソプラノ・サックスが聴けるからなんですね。
ザ・プレイヤーズが素晴らしかったのは、山口真文がメンバーにいた時代で、
山口が抜け、サックスがボブ斉藤と中村誠一になってからは、バンドに華が失われました。
それくらい山口の存在感は大きかったといえます。

タイトル・トラックの「Madagascar Lady」、
「Get Away」でのソプラノ・サックスのソロは、
山口生涯ベスト級の名パフォーマンスです。
ひさしぶりに聴き返したけれど、血沸き肉躍って、もんどりうっちゃいました。
やっぱこれは、80年代J-フュージョンの金字塔というべき作品ですね。

大音量で聴いていて、家族から苦情がきちゃいましたけど、
長年ガマンしてたんですからね。もう辛抱たまりません。
35年ぶりに爆音でヘヴィ・ローテーションでっす!

The Players 「MADAGASCAR LADY」 GT MHC7 30042  (1981)
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快進撃! チャラン・ポ・ランタン [日本]

チャラン・ポ・ランタン 女の46分.jpg

すごいぞ、チャラン・ポ・ランタン。
エイベックスと契約して、メジャー・デビューしたと思ったら、
フジロックで最大級の賛辞を浴びるなど、あれよあれよという間に急成長を遂げて、
すっかりビッグな存在になりましたねえ。

チャラン・ポ・ランタンを知るきっかけになったのは、
日本のゼロ年代ロックの最高傑作、
キウイとパパイヤ、マンゴーズの『TROPICAL JAPONESQUE』のなかで、
小春のアコーディオンが、重要な役割を果たしていたからでした。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-08-19

当時小春は、マンゴーズの正式メンバーではなく、サポート・メンバーでした。
ライヴを観た時、小柄な小春がおっきなアコーディオンを抱えて弾いている姿がなんとも勇ましく、
人のよさそうなマンゴーズのメンバーの中で、
一人ふてぶてしい面構えで演奏しているところも異彩を放っていて、強い印象が残ったものです。
その後、小春が妹とともに結成した
チャラン・ポ・ランタンのインディ・デビュー作を聴いてぶっとび、
こりゃ、そら怖ろしい才能の持ち主だぞと、注目するようになったんでした。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-01-08

エイベックス・トラックス第1弾でも、
バルカン音楽、クレズマー、シャンソンをごった煮にした音楽性は従来のままに、
新たにエレクトロの導入など新機軸をみせ、攻めの姿勢を前面に出した意気は感ずでしたが、
正直言って、まだ消化不良な面は否めませんでした。

しか~し。メジャー第2弾となる本作で、エレクトロの咀嚼も万全。
「ちゃんとやってるもーん」で<ぜんぶやってるもーん>とクレジットした
小春のプロダクションは圧巻。
作曲・アレンジ・プロダクションと縦横無尽に発揮する小春の音楽的才能が、もう大爆発状態。
もちろん、カンカンバルカンとのスピード感いっぱいのグルーヴも、絶好調というほかありません。
インディ・デビュー作でやっていた「ハバナギラ」の再演はスケールも倍増して、
自信に満ちたサウンドにねじ伏せられます。

そんな小春の噴火しまくる音楽性に応えるように、
さまざまな女を演じ切る変幻自在なももの歌いっぷりにも、脱帽・降参。
「男のサガ」を聴いて、冷や汗の流れないオトコはいないでしょう。
若い男のコたちが恋愛を怖がるというの最近の傾向も、わからんじゃないよなあ。
21世紀の日本女子、無敵です。

チャラン・ポ・ランタン 「女の46分」 エイベックス・トラックス AVCD93323 (2016)
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大人になった岡村 岡村靖幸 [日本]

岡本靖幸 「幸福」.jpg

90年はワールド・ミュージック大爆発の年で、
日本のポップスなんてまったく視界にありませんでしたが、
それでも岡村靖幸の『家庭教師』には夢中にさせられたんだから、
岡村ちゃん、ほんとに当時の世評どおり、掛け値なしの天才だったんでしょう。

過剰なほどの才気をほとばしらせながら、孤高の存在感を示したポップス職人って、
あの当時、岡村のほかにいませんでした。
岡村の歌詞世界を共感するには、ちょいと世代が上すぎていた、
当時31歳の子持ちサラリーマンのぼくにとって、岡村の何に魅せられたかって、
若者のもどかしさや狂おしさを、ファンクにのせて鮮やかに消化してみせた、
サウンド・クリエイティヴィティの才能でした。

米と魚食ってる華奢な日本人には、ファンクは無理だよなみたいな、
肉体派の黒人を前に、闘わずして白旗上げる根性のない見方しかできなかった自分にとって、
岡村の歌謡ファンク路線は、あぁ、こういう乗り越え方もあるのかと、
目を見開かされた気がしたものです。
プリンスのモノマネ的な揶揄も、ぼくにはぜんぜん気にならなかったですね。
だってプリンスの影響も、全部この人のオリジナリティに血肉化され、別物に昇華されてましたから。

その後、岡村がメディアから姿を消したあとも、
友人の写真家が事務所にしていた参宮橋の小さなマンションの一室の真下に
岡村が住んでいたなんてこともあり、ずっと気にかかっていた存在でありました。
世間を騒がす事件もたびたび繰り返してきましたけれど、
あれほどの才能、またいつの日か輝かせてほしいと、ずっと願っていたんですよ。

そして、東日本震災で日本が意気消沈していたあの2011年、岡村は復活しました。
それまでにも、何度か復活の兆しはありましたが、この年が本当のホンモノの復活でした。
あの年にリリースされたセルフ・カヴァー・アルバム『エチケット(パープル)』は、
ぼくにとって『家庭教師』以来買う岡村の2枚目のCDで、
あの苦しかった2011年を乗り越えるエネルギーを、ぼくはこのCDからもらいました。

『エチケット』リリース後、岡村はワンマン・ツアーを敢行しましたが、
まだぼくはライヴへ向かう元気が出ず、会場で岡村を観ることはなかったものの、
9月20日、SHIBUYA-AXで行われたツアー最終公演を収めた
DVD「ライブ エチケット」に、ぼくは涙しましたよ。

開場を埋め尽くした、岡村とともに過ぎ行く青春を慈しんだ観客たちの待ちきれないといった表情。
「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」で、
たまりかねたようにギターを一心不乱にかき鳴らす岡村の姿。
すっかり痩せて昔のスタイルに戻り、高音の声を再び取り返し、
キレのあるダンスができるようになった岡村を観ていると、
こみあげてくるものを抑えることはできませんでした。

セルフ・カヴァー・アルバムとツアー・ライヴのDVDを観て、
次のオリジナル・アルバムは、ぜったい傑作になると確信しましたね。
そして、その予想どおり、新作『幸福』は、
50の歳を迎えた岡村のキャリア第2幕の傑作となりました。

20代のヒリヒリする過剰なリビドーの代わりに、
孤独や挫折や絶望を通り越したことによって得た人生のスキルが、
岡村の音楽人生第2幕を晴れやかに、そして豊かに結実させています。
ブラボー! 50歳の岡村ちゃん。

岡村靖幸 「幸福」 V4 XQME91004 (2016)
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渡辺香津美の80年代最高傑作 [日本]

Kazumi Band GANESIA.png   渡辺香津美 MOBO SPECIAL   UCCJ4116.jpg

渡辺香津美がジャズ/フュージョン・ギタリストという枠を超え、
野心溢れる音楽家として才能を溢れさせていた80年代の最高傑作が、
『ガネシア』(82)と『MOBO SPLASH』(85)の2作でした。
当時はLPで聴いていたんですけれど、
85年にCDリリースされた時の音質があまりにショボくて、残念でなりませんでした。

今回、渡辺香津美のデビュー45周年を記念して、ユニバーサルミュージックから
ポリドールdomo時代(1982年~2001年)の19作品がSHM-CD仕様で出るというので、
喜び勇んでこの2作品を買い直しましたよ。
85年に出たCDを今見直したら、なんと3300円もしてたんですねえ。
初期のCDがいかに高かったかがわかろうというものですけれど、
今回は1728円とお値打ち価格でございます。

あらためて今聴き直しても、この当時の香津美は、本当にスゴかった、うん。
1作ごとにどんどんサウンドを進化させていってたもんなあ。
TVCFに起用されて大ヒットとなった『トチカ』(80)は商業的成功を呼びましたけれど、
大きな音楽的な成果を上げたのは、カズミ・バンドの2作目『ガネシア』のほう。

当時もっともプログレッシヴなジャズ・ロックを展開していたプロジェクトのマライアから、
清水靖晃(ts, bcl)、笹路正徳(Key)、山木秀夫(ds)の3人を起用し、
セッション・ベーシストの高水健司を加えたカズミ・バンドは、
軟弱化していくフュージョンに背を向けた、アンチテーゼともいえました。

張りつめた緊迫感あふれる演奏でスタートする「リボージ」から、
極端にハイ・ピッチなチューニングをした山木秀夫のスネア・ドラムが甲高い打音を炸裂させ、
香津美のベスト・パフォーマンスといえる圧倒的なギター・ソロを展開する「ガネシア」、
チンドンをジャズ化したオリエンタル趣味の「カゴのニュアンス」まで、
溢れ出るハイ・テンションなエネルギーは、ただごとじゃありませんね。
これを聴いて、キング・クリムゾンやビル・ブラッフォードを想起する人がいるのも、
むべなるかなです。

カズミ・バンド解消後、香津美はMOBOプロジェクトを始動させますが、
ぼくが評価したいのは、スライ&ロビーを起用して話題をさらった第1弾の『MOBO』(83)ではなく、
MOBOプロジェクトの最終作となった第3弾の『MOBO SPLASH』のほう。
グレッグ・リーのベース(1曲のみ井野信義)に村上ポンタのドラムスのトリオ編成を核に、
鍵盤担当を置かず、香津美がギター・シンセサイザーやサンプラーを駆使して、
先進的なサウンドを作り出しています。実験的ともいえる音づくりをしつつも、
ポップにまとめあげるところは、YMOとの活動を通じて学び取ったセンスなんじゃないのかな。

ゲストにマイケル・ブレッカー、デビッド・サンボーン、梅津和時の3人のサックス奏者を起用し、
それぞれの持ち味にあった曲で、3人の水を得た魚のようなプレイを楽しめるのも、
本作の聴きどころ。「時には文句も」での梅津さんのフリーキーなアルト・ソロも痛快なんですが、
びっくりしたのは「師走はさすがに忙しい」のサンボーンのトリッキーなソロです。
最初は梅津和時がソロを取ってるのとばかり思ってたんだけど、
こんなブチ切れたサンボーンのソロ、ほかじゃ絶対聞けませんよ。

これほどの傑作2枚なんですが、当時も今も、
この2作を香津美の最高傑作と評した記事に、お目にかかったことがありません。
だから、わざわざここで書いているってこともあるんですけれど、
記録的な大ヒットを読んだ『トチカ』(80)や新プロジェクトで話題をさらった『MOBO』(83)ばかりが、
常に香津美の代表作として取り上げられ、名盤ガイドに載ることもなかったのは遺憾千万です。

フュージョンが軽んじられたのも、
セールスや話題を呼んだかどうかという、業界事情に左右されすぎていて、
音楽的な中身できちんと評価する姿勢に欠けていたからなんじゃないですかね。
フュージョンの名盤ガイドを見るたび、毎度違和感を感じるのは、
ライターの確かな耳で選んでおらず、
定評を優先しすぎる編集サイドの問題のように思えてなりません。

渡辺香津美 MOBO SPECIAL H33P20050.jpg最後に蛇足ながら、
今回のSHM-CDリイシュー、
音質もグンとアップしてとても嬉しいんですが、
『MOBO SPLASH』がオリジナル・ジャケット(写真右)でなく、
再発時のジャケットに変更されたのが残念でした。
ホログラム・ペーパーの色合いがキレイで
気に入ってたんですけどねえ。

MOBOの一連の作品は、
アメリカのグラマヴィジョンからもリリースされて、
その際にこの赤いジャケットに変わったんじゃなかったっけ。
デスマスクみたいと敬遠されたのかなあ。

Kazumi Band 「GANESIA」 ユニバーサルミュージック UCCJ4111 (1982)
渡辺香津美 「MOBO SPLASH」 ユニバーサルミュージック UCCJ4116 (1985)
渡辺香津美 「MOBO SPLASH」 ドーモ H33P20050 (1985)
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1200回目のクリスマス・イヴ [日本]

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気がついてみると、もう1200回目の記事になるんですね。
エントリ数を意識していなかったので、1000回目も知らぬまに過ぎてしまいましたが、
57回目の誕生日を明日に控えたクリスマス・イヴに、
ブログのアニヴァーサリーを迎えられるのは、ちょっと嬉しい気持ちがします。

軽い気持ちでうっかり始めてしまった、1回目の2009年6月2日。
それから一日おきの更新を1度も休むことなく、6年半続けてきたこと自体は、
なんでも始めると長続きする性分なので、さしたる感慨もないんですが、
3.11で驚天動地となった本業のかたわら、
このブログを続けてこれたことについては、いろいろと思うところもあります。

それは、自分が心から愛する音楽を「書く」という行為が、
自分と向き合う大事な作業となっているのを、あらためて確認できたことです。
ブログを始める前までは、非公開の日記こそが自分と向き合う作業だと思っていましたけれど、
読み手を強く意識したブログの方が、自分自身と深く対話していることに気づいたんですね。

日記は、感情のおもむくままに書き散らすだけの、ハキダメみたいなところがあって、
決して人に見せることのない安心感が、オノレの醜悪を露骨に示してもいて、
後で読むと、恥ずかしいを通り越して、自己嫌悪に陥ることもあるんですよねえ。
でも、日記にはセルフ・カウンセリングみたいな役目もあるから、
これはこれで、自分にとっては大切なものなんですけれども。

「ディスク・ハンティング」というレコードの購入記録も、
備忘録として、もう四半世紀以上書き続けているんですが、
こちらも日記と同じで、放言を炸裂させてるものだから、
とても人さまにお見せできるようなシロモノじゃありません。
その昔、ごく親しい友人だけに、メルマガとして公開していた時期もありましたが、
ブログを始めたのを機に、日記同様非公開に戻して、
思いの丈(毒?)を吐き出したい時は、こちらに書くようにしています。

日記52年、ディスク・ハンティング26年、ブログ6年、フェイスブック4年。
新旧付き合いの長さはそれぞれですけれど、うまいこと棲み分けされているようで、
忙しかろうが、時間がなかろうが、これからも続いていくみたいです。
書くことは、ぼくにとって生きること、そのものになっています。

1200回目は、山内雄喜さんの『ハワイアン・クリスマス』をBGMに書きました。
このブログが、お読みいただいているみなさんの音楽生活に役立ちますよう。
今日も読みに来ていただいて、ありがとうございます。

山内雄喜 「HAWAIIAN CHRISTMAS」 リスペクト RES3 (1995)
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奄美の俗謡うたい 盛島貴男 [日本]

盛島貴男 奄美竪琴.jpg

渋谷で宮崎県の神楽をたっぷり4時間味わったあとは、
下北沢に移動して、奄美の竪琴を聴く、週末の土曜日。
う~ん、なんて贅沢なダブル・ヘッダー。

奄美からやって来たのは、なんの前触れもなく、いきなりCDを出した御年65の盛島貴男。
里国隆の再来というべき、野趣あふれる歌声と竪琴は、
きれいに漂白された民謡ばかりの21世紀の日本に、
まだこんなディープな歌声を持った歌い手がいるのかという驚きを禁じえないもの。

レコーディング・スタジオではなく、自宅の工房で酒を飲みながら、
たった1日で録音したというのは、大正解でしたね。
リラックスした雰囲気がよく伝わってくる傑作です。

ライヴはCD以上の衝撃。とんでもない傑物ですよ、このオジさん。
50歳から歌い始めたとか、見よう見まねで竪琴を作ってきたとか、
とても真には受けられないプロフィール。どこまでほんとうなんだか。
寄席芸で長年鍛えてきたとしか思えない、喋りの巧さ。
歌漫談のような絶妙な語り口で、満員となった会場中のお客さんを一気に引き込んじゃいました。
超弩級な自由さが天然無為のスーダラ流儀を爆発させていて、圧倒されました。

CDでも「十九の春」や「製紙小唄」を歌っていましたけれど、
俗謡うたいというのが、この人の立ち位置のように思えましたね。
「黒の舟唄」「座頭市」「一番星ブルース」「リンゴ追分」が、堂に入ってましたからねえ。
ダミ声の浪曲師さながらのディープな歌声と、機微ありすぎの喋りに堪能した、
初の東京ライヴでありました。

盛島貴男 「奄美竪琴」 ウサトリーヌ UTCD0011  (2015)
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椎葉民謡の明るさ [日本]

現地録音による椎葉の民謡.jpg

渋谷の國學院大學へ、宮崎県椎葉村の尾前神楽の公演を観に行ってきました。
公演に先立ち、宮崎県の神楽の概要や椎葉神楽の特色や演目に関する講演も行われ、
秋の土曜の午後にたっぷり4時間半、贅沢な時間を過ごさせてもらいました。

宮崎県の椎葉といえば、音楽学者の小島美子さんが録音された
『現地録音による椎葉の民謡』で、とてもなじみのある村です。
2枚組CD全62曲すべて無伴奏歌という地味な内容なんですが、
これほどピュアな美しさに溢れた日本民謡は、めったに聞けるもんじゃありません。
日本の民謡CDでは一二を争う、ぼくの最愛顧盤です。

民謡というと、一般にレコードに残されているのは、プロの歌手が歌ったものばかりで、
現地の普通の人が歌ったこういう本物の民謡は、なかなか聞けないんですよね。
職業的な洗練をまとわない歌は、過度な技巧とも無縁で、
聴く者の胸をすうっとすり抜けていくような爽やかさを残します。

このCDでとても感じ入ったのが、椎葉の民謡の「明るさ」と「おおらかさ」です。
椎葉の民謡は、東北や北海道の民謡と表情が違っていて、そこにとても惹かれます。
小島美子さんもCDの解説で、「西日本の民謡のもつ明るさもある」と書かれていて、
その秘密は、東日本の民謡には少ない律音階にあると指摘されています。

CDの解説には触れられていませんでしたが、
椎葉村は明治41年に柳田國男が訪れ、
翌年に狩猟伝承をまとめた『後狩詞記(のちのかりことばのき)』の出版によって、
民俗学発祥の地といわれた村だということも、だいぶ後になって知りました。

公演では、神楽曲の勇壮な舞と御神屋からの神歌や唱教を楽しめましたが、
面白かったのが、客座から神楽せり歌が飛び交うこと。
4人のお年寄りたちが歌うんですけれど、実に味がありましたねえ。
奉納者たちをせきたてたり、からかったりと、
ユーモアたっぷりな言葉かけが、とても楽しかったです。

弓の舞や矢の舞など、ほとんど連続スクワットのような踊りは相当にキツそうで、
二十代の若い男子がへとへとになってました。
神様もさぞ愉しんだことでしょう。

黒木タマヨ,黒木福一,中瀬守,蔵座輝美,甲斐光義,那須弥伊蔵,那須義男,椎葉成記,椎葉サダ子 ほか
「現地録音による椎葉の民謡」 財団法人ビクター伝統文化振興財団 VZCG8064~5 (1999)
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ボサ・ノーヴァのフロウを発明したリズムの天才 タクシー・サウダージ [日本]

Taxi Saudade BOSSA-MONK.jpg

「ボサ・ノーヴァを日本語で歌ったところで、しょせん借り物の歌謡曲にしかならない。
日本人が日本語でボサ・ノーヴァを歌えないのは、サンバのリズムがわかってないからだよ」
そんなことをしたり顔で言っていたぼくの後頭部を、
タクシー・サウダージのデビュー作は、思いっきり張り倒したのでした。
ここまで見事に、日本語をサンバのリズムに乗せて歌ってのけた人は、彼が初めてです。
サンバのニュアンスをしっかりと持ったその歌い口に、ぼくはすっかりまいってしまったのでした。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-07-22

衝撃的だったあのデビュー作から1年、早くも届いた2作目。
新作はボサ・ノーヴァばかりでなく、サンバやマルシャも取り入れ、
タクシー・サウダージのサンバ解釈がホンモノであることを、鮮やかに示しています。
でも今作のスゴさは、そんなところにあるんじゃないですね。
はっきりいって今作でのサンバは、アルバムにほんのアクセントをつけたにすぎません。

今回ぼくがブッとばされたのは、オープニングの<ボサ・ノーヴァ・ラップ>と、
シャンソンの大有名曲「枯葉」のカヴァーです。
<ボサ・ノーヴァ・ラップ>なぞと思わず口走ってしまいましたが、
冒頭のオリジナル曲「尊いこと」のヴォーカルは、
そうとしか表現しようのない、ユニークなヴォーカル・スタイルを聞かせてくれます。
ぼくはこの1曲で、タクシー・サウダージがリズムの天才であることを確信しましたね。

前作で彼は、日本語をボサ・ノーヴァのリズムにのせる類まれなるセンスを発揮しましたけれど、
新作ではそれをさらに深化させ、ラップにおけるフロウを、
ヒップ・ホップでなくボサ・ノーヴァという土俵でやってのけているんですよ!
こんな斬新なリズムの挑戦をした人、誰ひとりもいません。よくまあ、考えついたなあ。
いや、おそらく、頭で考えたアイディアではないんでしょうね。
これほど自然体で表現できるのは、日本語の響きをリズムにのせていく天性のリズム感を、
身体の中にしっかりと持っているからこそなんでしょう。

さらに、その日本語をリズムにのせる勘の良さを証明してみせたのが、
あの超有名曲「枯葉」のカヴァー。
聴き慣れた「枯葉」の譜割りを変えて、彼独特のボサ・ノーヴァに仕上げているんですが、
このリズム・アレンジの新鮮さには、降参です。
「枯葉」のボサ・ノーヴァ・カヴァーなんて、とんでもなく凡庸になりそうなところを、
こんなふうに聞かせることができるのかというオドロキの仕上がりに、
タクシー・サウダージの天性のリズム・センスが如実に表れています。
ジョアン・ジルベルトの歌とギターのリズムのズレを研究し、体得したからこその芸当でしょうか。

タクシー・サウダージの真骨頂はリズムにあり、ですね。

Taxi Saudade 「BOSSA-MONK」 Ja Bossa Disc JBD001 (2015)
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無為の音楽 DJまほうつかい(西島大介) [日本]

DJまほうつかい(西島大介) 「LAST SUMMER」.jpg   西島大介直筆ドローイング.jpg

どういう風の吹き回しか、魔が差した(?)のか、わかりませんが、
生まれて初めてアンビエントのコーナーでCDを買いました。

DJまほうつかいという、本職は漫画家である西島大介の作品。
この人の漫画を読んだことはないんですけれど、
どこかで見たことがあるようなイラストに目が留まって、手に取ってみたら、
西島氏の直筆ドローイングが入ってたんですね。
そのドローイングに惹かれて、聴いてみたくなったんでした。

試聴してみると、ピアノ・ソロのアルバムで、
冒頭の即興曲の無為な表情に引き込まれました。
メロディがあるような、ないような、モチーフをそのままフレーズにして紡がれる曲。
手探りで鍵盤を押さえていくような演奏は、幼児が初めて音の出る楽器に接して、
驚き楽しむ無邪気さと共通するところがあります。

こういう無為な音楽を成立させるのって、とても難しいと思うんですよ。
ピアノの上達とともに、こういう素朴な音列を弾いて楽しむことを、人は忘れがちだし、
達者な演奏家が、あえてこういう「ヘタウマ」な音楽をやると、
作為のいやらしさがどうしてもつきまといます。
上手く弾きたいとか、きれいに弾きたいとか、人を感動させたいとか、
そういった雑念を取り払って、音を出すことそのものに没入するのは、
そうたやすいことではありませんよね。

キース・ジャレットに代表される、ナルシシズムの塊みたいな自己陶酔型のピアノは
虫唾が走る性分なので、現代音楽だろうが、アンビエントだろうが、フリー・ジャズだろうが、
こういう音楽はほとんど受け付けられないんですけれど、
この人のピアノを抵抗なく聴けたのは、無為の音楽に徹していたからだと思います。

乾いた叙情の伝わる曲や、愛らしさやせつなさがまじりあった曲も、
しみじみとしていいですね。
全編、無為の音楽に透徹された演奏かといえば、
3曲目の後半や6曲目の一部に、自意識が立つような場面もないじゃないですけど、
ぼくは、この人の演奏、とても気に入りました。

DJまほうつかい(西島大介) 「LAST SUMMER」 ウェザー[ヘッズ] HEADS207 (2015)
西島大介直筆ドローイング
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長い休暇の終わりに マッド・カブ・アット・アッシュゲイト [日本]

20150731_Mad-Kab-At-AshGate.jpg

明日からまた仕事が始まりますが、
7月ひと月、いい長期休暇を過ごすことができました。
あれこれ欲張った計画を立てた1か月でしたけれど、
概ね計画どおりやりおおせたことに、とても満足しています。

長い休暇というと、じゃあ海外旅行と考えるところですが、今回はやめ。
それは本格的なリタイアのあとでもいいかなあと。
秩父のお祭りを見に、一泊の小旅行をするだけにしておきました。

それより今回の休暇は、<感謝>を優先したかったんですね。
34年間の会社生活とライフワークを支え、助けてくれた人に、
これまできちんとありがとうを言えてなかったという
後ろ髪引かれる思いが、ずっと残っていたもんで。

これまでさんざん好き勝手やらせてもらったんだから、
今回の休みは、お世話になった人にお礼をしにいったり、
お手伝いをしたり、掃除したりして、人の役に立ちたかったんです。
ひさしぶりに突然訪ねて行って、驚かれた人もいましたけれど、
みなさん笑顔で迎えてくれたのが、とても嬉しかったです。

で、休暇の締めくくりくらいは、自分の楽しみを入れようということで、
30日、マッド・カブ・アット・アッシュゲイトのライヴを観に、
西荻窪のCLOP CLOPへ行ってきました。
マッド・カブ・アット・アッシュゲイトは、
日本人ギタリストでぼくがいっちばん好きな、石渡明廣が新たに始めたバンド。
妙なバンド名ですけれど、バンド・メンバーと担当楽器の頭文字を組み合わせたそう。

思えば、石渡さんのファンになってから、もうずいぶんになるよなあ。
だって、天注組(古っ!)以来だもんねえ。
SALTやJAZZY UPPER CUTでの活躍も忘れられないし、
渋谷毅オーケストラではギタリストとしてだけでなく、
コンポーザーとしてなくてはならない存在になっていますよね。
石渡さんのキレのいいギターにいつもシビれるんですけれど、
石渡さんが書く曲が、またものすごく良くって、大好きなんですよ。
年を重ねて、ますます円熟した深みのある曲を書くようになりましたよね。

ギター、トロンボーン、ベース、ドラムスという変則の新バンド、
石渡さんのキャリアでも一二を争うバンドじゃないですか。
これに対抗できるのは、梅津さんのKIKI BANDだけでしょう。
小技の効きまくった、しなやかな湊雅史のドラミングはよく歌うし、
のほほんとした表情で、どっしりと屋台骨を支える上村勝正のベース・ライン、
パワフルなブロウをひょうひょうと吹き鳴らす後藤篤のトロンボーンは、
ソリッドでシャープな石渡のギターと好対照な冴えをみせ、最高の相性。

Mad-Kab-At-AshGate@CLOPCLOP.jpg

ライヴのお客さんはたったの5人しかおらず、それも店の関係者となじみの常連さんだけ。
フリの客はぼくだけみたいでしたね。
日本最高のジャズ・ロック・バンドの、最高のパフォーマンスを独り占めしてるみたいな。
う~ん、なんて贅沢。すっかり堪能した夏の夜でありました。

Mad-Kab-At-AshGate 「FUNNY BLUE」 アカオ AR001 (2014)
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神楽三昧 [日本]

古事記 神楽の世界.jpg

長年、全国民俗芸能大会の会場となっていた日本青年館が、
オリンピック開催に向けて取り壊しとなるため、今年が最後の大会となりました。
来年からは会場を移してやるそうです。

そういえば、同じ日本青年館で毎年夏にやる全国こども民俗芸能大会の方は、
今年なぜか突然平日の開催となってしまい、観に行くことができませんでした。
毎年楽しみにしてるのに、なんで平日にやるんだよ~(プンプン)。
観客のほとんどが、平日も休日も関係ない老人ぱかりだからなのか?

全国民俗芸能大会はどうなることやらと心配しましたが、
こちらは例年どおり、無事土曜日の開催と相成りました。
それにしてもあいかわらず観客の9割は、入場無料ゆえやって来る70歳超えの老人ばかり。
この公演で、音楽関係者の見知った顔と出会ったことがありません。
グローカル好きの若者よ、なぜ来ない?

今年は神楽三昧の構成で、鎌倉の鶴岡八幡宮御神楽、山形金山の稲沢番楽、
駒ヶ嶽神社の太々神楽、隠岐島前神楽というそれぞれ個性の異なる贅沢なラインナップ。
これを現地へ出向いて観に行こうなんて考えたら、途方もなく大変なことになるわけで、
まとめて東京で観れちゃうなんて、なんともありがたい限り。

なかでも、一番楽しみにしていた隠岐島前神楽(おきどうぜんかぐら)は、
期待にたがわず、ほんっと、すんばらしかったです。
笛の入らない太鼓と鉦のみの伴奏は、驚くほど洗練されたものでした。
辺境の地の神楽ということで、プリミティヴでトランシーという前評判もあったんですが、
ぜんぜん違いましたね。プリミティヴどころか、すごい洗練された神楽でしたよ。

リズム・パターンが豊かで、曲の途中で何度もスイッチするんですけど、
どういうタイミングでリズムが変わるのかさっぱりわからず、
昔、ナイジェリアのジュジュを初めて聴いた時にも似たオドロキがありました。
何か合図があるわけでもなく、演奏者同士目くばせするでもないのに、
すっとリズムが変わるカッコよさにノケぞりました。

能の影響だという速い三拍子系のリズムが出てきたり、
それが3連の四拍子にスイッチするんですけど、
日本のリズムって、こんなにカッコよかったんだっけか?
能に詳しい奥さん曰く、すごく洗練された舞だとカンゲキしてました。
チャントのようなかけ声もすごく面白くて、柔らかなグルーヴが絶品でした。

駒ヶ嶽神社の太々神楽の太鼓のリズムも面白かったなあ。
拍をジャストに叩くパートと、前のめりにつんのめるように叩くパート、
反対にもたって裏拍で叩くパートの3つを繰り返すパターンを延々繰り返し、
大きなウネリを生み出していくところが、聴きものでした。

日本各地の神楽には、まだまだ面白いリズムが眠っていそう。
ひさしぶりに63年の神楽の名盤『古事記 神楽の世界』を聴き直してみようかな。

美保神社の巫女神楽,佐太神社の七座の神事と神能,波宇志別神社の神楽,古戸の花祭,岳の神楽,秋田根子の番楽,伊勢大神楽
「古事記 神楽の世界」 日本コロムビア COCJ37172 (1963)
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極私的日本のポップス開眼 南佳孝 [日本]

南佳孝.jpg

中学を卒業するまで、洋楽ばかり聴いていたぼくは、邦楽が大の苦手でした。
ギターを弾く同級生たちが夢中になっていた、
かぐや姫に代表される四畳半フォークのダサさが、とにかく耐えられなくってねえ。
友達から無理矢理、泉谷しげるの「おー脳」を聴かされた日には、
こんなサイテーな曲が日本のポップスのレヴェルなのかよって、心底幻滅したもんです。

そんなぼくがはじめてホレこんだのが、南佳孝の『摩天楼のヒロイン』でした。
ジャケットのカッコよさに惹かれて買ったんですけど、
戦前のハリウッド映画を夢想したノスタルジック・サウンドに、一聴ノックアウト。
ダン・ヒックスとホット・リックスの“STRIKING IT RICH!” や、
マリア・マルダーの“WAITRESS IN THE DONUT SHOP” のような
ノスタルジック志向のアルバムにちょうど夢中になっていた頃だったので、
日本にもこんな都会的で洗練された音楽を作る人がいるのか!とカンゲキしたのでした。

さっそく荻窪のロフトへご本人のライヴを聴きに行くと、
レコードとは違って、ピアノの弾き語りというシンプルなスタイルとはいえ、
フォークの連中みたいな、田舎ぽさやビンボ臭さとはまるで無縁の音楽世界。
ヤスっぽい現実を歌うフォーク歌手の歌詞とは真逆の虚構を歌い、
歌の世界が物語を紡いでいて、この人天才!と高1のぼくは舞い上がったのでした。
上の写真は、その時南さんにサインを入れてもらったレコードです。

でも、その当時の南さんは、デビュー作の『摩天楼のヒロイン』がまったく売れず、
ロクな評価もされないという有様で、たまにライヴハウスへ出演するほかは、
アルバイトで糊口を凌いでいたようでした。
南さんが常連だった渋谷・道玄坂の百軒店にあったギャルソンというお店に誘われて行くと、
はちみつぱいのメンバーなどもたむろしていて、
「レコード1枚で終わった男」なんてキツい言葉でからかわれてたことを思い出します。

「シティ・ミュージック」なんて言葉が流行するようになったのは77年頃からで、
73年作の『摩天楼のヒロイン』は、まさしく早すぎた作品でした。
でも、今思えば、『摩天楼のヒロイン』に出会った74年を皮切りに、
都会的な洋楽センスに溢れたポップスがどんどんと登場し始めたんですよね。

あの年の秋に、久保田麻琴の『SUNSET GANG』が出て、冬には小坂忠の『ほうろう』、
翌年高2になったばかりの春に、鈴木茂の『BAND WAGON』が出て、
続いてシュガー・ベイブの『SONGS』、夏休み前には大瀧詠一の『ナイアガラ・ムーン』と、
それまで邦楽なんてとバカにしていたのが、一変してしまったのでした。

今回、『摩天楼のヒロイン』が高品質SHM-CD仕様で復刻され、
あの当時の思い出がいろいろと蘇ってきました。
それにしてもこのSHM-CD、素晴らしい音質ですね。ビックリしました。
同時期のライヴ録音『1973.9.21 SHOW BOAT 素晴らしき船出』収録の4曲も
ボーナス・トラックに加えられ、往年のファンには感涙もののリイシューです。

[LP] 南佳孝 「摩天楼のヒロイン」 ショーボート 3A1005 (1973)
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来年こそ行きたや河内音頭 本家秋月会 [日本]

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今年も行けなかった、すみだ錦糸町河内音頭大盆踊り。
だってさあ、スキヤキトーキョーとおんなじ日なんだもん。
なんで同じ日にやるのかなあ、両方とも行きたいって人、多いのになあ。

とまあ、ぶつぶつ言ってたんですが、
今年出演した本家秋月会のCDを手に入れることができました。
これで行けなかったうらみを晴らすかという気分で買ったんですけど、
聴いてみたら素晴らしいのなんのって、ますます観れなかったうらみが募っちゃいましたよ。

秋月八重丸師匠の歌い回しのスムーズさが、もうサイコー。
言葉がするすると頭の中に入ってきて、気持ちのいいことこのうえありません。
節回しに華やかさがあって、コクのある歌いぶりとともに、ぐっときますねえ。
秋月八重丸師匠の芸歴五十周年記念とあり、昨年出たCDなんですね。

太鼓、三味線、ギターに女性のお囃子という、オーセンティックなスタイルですけれど、
音頭取りをくっきりと浮き彫りにした録音がいいんですよねえ。
手堅くしっかりとした伴奏をつけるバックのアレンジがまたよく考えられていて、
1曲目の「河内音頭 八田荘地車祭」のアタマとオシリに、
大太鼓・小太鼓と手打鉦と笛による神楽をアダプトしたところなんて、憎い演出といえます。
また、秋月勝衛丸が音頭を取る3曲目の後半、江州音頭から伊勢音頭に変わる場面で、
三味線とギターがすっと退き、手打鉦がせり出してきて
打楽器のみの伴奏になるところのかっこよさは、悶絶もの。
グルーヴを巻き起こす鉦の響きがたまりません。

あ~、ぜひ来年はバッティングなしで、聴きに行きたいです。

本家秋月会(秋月八重丸,勝衛丸) 「河内音頭 八田荘地車祭」 秋月音楽事務所 番号なし (2013)
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秩父で発見されたサンビスタ タクシー・サウダージ [日本]

Taxi Saudade  Ja-Bossa.jpg

こりゃマイりました。こんな逸材が登場するとは。
自作の日本語ボサ・ノーヴァを歌う秩父のタクシー運転手って、
はあ???と思いながらヘッドフォンを付けたんですけど、一聴、ビックリ。ノケぞりました。

ボサ・ノーヴァを歌う日本人も珍しくなくなった今日この頃ですけど、
ポルトガル語がいくら達者でも、あまり関心を持てる人が出てこないんですよねえ。
雰囲気だけボサ・ノーヴァらしくやっていても、歌はただのJ-ポップだって人が多くってね。
小野リサというしっかりとした先達がいるだけに、彼女と同等か彼女を超えるレヴェルの人でないと、
わざわざ日本人が歌うボサ・ノーヴァを聴く気にはなれません。
ましてや日本語で歌うとなると、そのハードルはかなり高いものになります。

で、このタクシー・サウダージさん、ホンモノです。
ボサ・ノーヴァを歌うといいますが、ちゃんと歌がサンバになってます。
そこがただのJ-ポップになっちゃう人との違いですね。
サンバが歌えない人にボサ・ノーヴァは歌えません。それがわかってない人が多いんですよね。
このおじさん、どこでこんな本格的なサンバのフィーリングを習得したんでしょ。ナゾすぎます。

ギターの腕前は確かだし、サンバのリズムをきちんと体得とした歌に、
朴訥とした歌いぶりはボサ・ノーヴァ流儀で、
歌詞には還暦近いご本人の人生が織り込まれています。
まさしく音楽からサウダージが溢れ出していて、芸名は伊達じゃありませんよ。

タクシー・サウダージの低音の歌の魅力は、
歌謡曲なら石原裕次郎か浜口庫之助を思い浮かべるところですけど、
ぼくには、トッキーニョが持つイタリア系ブラジル人の「粋」に通じるものを感じました。
そのせいか、このアルバムはボサ・ノーヴァというよりも、
録音に恵まれなかったサンビスタが、還暦近くでようやく出したデビュー作のような、
ヴェーリャ・グァルダのサンバ・アルバムを聴くのに似た感触があります。

日本における外国音楽の受容も本格的になったもんだと、しみじみ思いますが、
それはぼくよりずっと若い世代だからこその進化の結果であって、
まさかぼくより年上の世代から現れるとは、正直思ってもみませんでした。
「弁ブルース」以上のオドロキ、こりゃ事件ですよ。

ほろ苦い人生の歩みを静かに沈殿させたような自作曲、
「イパネマの娘」「デザフィナード」「サマータイム」といった手垢にまみれたスタンダードに
日本語詞をのせて、かくも新鮮に蘇らせるその手腕。
はぁ、この人、どんな人生を送ってきたんでしょうか。ぜひ知りたい。
詳しいインタヴューをどなたかお願いします。

Taxi Saudade 「JA-BOSSA」 Ja Bossa Disc/Aby ABY014 (2014)
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ポスト・ロック・ピアノ・トリオ フォックス・キャプチャー・プラン [日本]

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CDショップのジャズ・コーナーで大プッシュされていた、日本のジャズ・ロック・トリオ。
ピアノもベースもアクースティックというフツーのピアノ・トリオながら、
タテノリで直線的に突き進む高速ドラムスは、完全にロック感覚。
「現代版ジャズ・ロック」というキャッチ・フレーズが付いてましたけど、
このドラムスはジャズのセンスじゃないな。クラブ・ジャズの出身者でしょう。
ストレイトにロック新作のコーナーに置くべきアルバムだと思いますね。

それを顕著に示しているのが、YMO初期の名曲「Tong Poo」のカヴァー。
アレンジをいじらず、オリジナルに忠実に演奏しているんですが、
クラブ・ジャズの得意とする高速ドラミングが、ぴたりとハマっています。
これをジャズ屋が叩いたら、もっとグルーヴしてしまい、
よりフュージョンぽい演奏となって、感覚の違う仕上がりとなったはずです。

ほかにもレディオヘッドなどもカヴァーしていますけれど、
大半を占めるメンバーのオリジナルは、ロマンティックなメロディが多く、
劇伴か映画音楽でも聴いているみたい。
このキャッチーさとツカミの良さが、このトリオの最大の武器かもしれませんね。
そんな美味なメロディを性急なリズムにのせて狂おしく弾くピアノは、情熱的かつリリカルで、
噴き出す音のシャワーに、覚醒するような快感を味わえます。

ピアノ・トリオという編成で、ダブステップも取り入れたポスト・ロックに仕上げたのは痛快至極。
この明快なすがすがしさは、他に類を見ない個性でしょう。
ジャズぶったりしないで、素直にロック・ファンへアピールした方がいいと思います、はい。

fox capture plan 「WALL」 Playwright PWT010 (2014)
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歌うギター 内田勘太郎 [日本]

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エルモア・ジェイムズのケント盤をもじったジャケットに、こりゃ買いだと思いましたね。
ぼくの大・大・大好きなアクースティック・ギタリスト、内田勘太郎の新作。
レーベルがタワーレコードというので、仕事の帰りがけに買っていこうと、
新宿のタワレコへ寄ってたんですが、いつ行っても在庫がないんですよ。
自社レーベルの新作だというのに、面出しどころか1枚の在庫もないって、どゆこと?
ひと月待っても一向に入荷してこないので、あきらめてディスクユニオンで買っちゃいました。

内田勘太郎とは古いお付き合い。
高校二年の時に憂歌団の東京初コンサートで観て、いっぺんでファンになり、
ロフトや日比谷野音などに、足繁く通ったもんです。
漫才コンビみたいな木村充揮と内田勘太郎のやりとりは、ライヴでしか味わえない醍醐味でした。
「嫌んなった」の木村の強烈なヴォーカルは何度聴いても胸をすく思いがしたし、
「パチンコ」や「君といつまでも」には毎回大笑いさせられました。
憂歌団ほど喜怒哀楽豊かで、ペーソスに富んだバンドは、ほかにありませんでした。

木村の歌とともに魅力だったのが、勘太郎さんの雄弁なスライド・ギターで、
まさに「ギターが歌う」という形容がぴったり。
正直、ぼくはこの人のギターを聴いて、こりゃかなわん、とギターを挫折したんでした。
当時お手本にしたアクースティックのブルース・ギタリストに、
ライ・クーダーやデヴィッド・ブロムバーグやステファン・グロスマンがいましたけれど、
勘太郎さんのギターは、その3人と根本的に違うサムシングがありましたね。
ブルース求道的なタイプとひと味違う勘太郎さんの個性はとても真似ができず、
白旗上げるしかなかったんです。

ステージで勘太郎さんが曲の間に、手慰みといった感じで、
ぱらぱらっと弾くギターのフレージングがすごく色っぽくて、
それを聴けるのも憂歌団のライヴの楽しみの一つだったんですよね。
テディ・バンを思わすジャズぽいフレーズが、すごくカッコよくってねえ。
勘太郎さんがギターを弾くのをいつまでたってもやめず、次の曲にいけずに困り果てた木村が、
「か、かんたろ…、い、いこか」とオドオド言う姿なんて、今も目に浮かびます。

そんな歌うギターの集大成といった感じのこの新作、
デビュー当時から変わらないエルモア調のスライドはすっかり熟成して、
より深いニュアンスがこもっています。
その一方で、憂歌団の頃には聴くことのできなかった、
スラック・キー・ギターにも似た味わいのフィンガー・ピッキングなど、
オープン・チューニングの世界をさらに広げています。

大人になったギター小僧が、その深めた内面をプレイに響かせた傑作、
タワーレコードさん、しっかり売ってください。

内田勘太郎 「DES’E MY BLUES」 タワー TRJC1033 (2014)
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熱気あふれる革新期の現代河内音頭 初音家 [日本]

河内音頭夢幻 初音家.jpg

戦後、河内音頭が近代化するさまをドキュメントしたプライヴェート録音が、
6CDボックスとなって登場しました。
貴重な音源の復刻であることはもちろんのこと、
伝統的な音楽が変革されようとする現場を追体験できる、
エキサイティングなボックスです。

河内音頭の老舗会派である初音家は、
大正時代に初代の初音家太三郎が河内地方に伝承されてきた伝統的な音頭に、
当時流行していた浪曲の節調を採り入れ現代河内音頭を生み出した、
いわば河内音頭のニュー・ウェイヴでした。
太三郎を中心に「初音家五人衆」と呼ばれる名人が現れ、
戦前に「踊って・聴ける」河内音頭を創り上げましたが、戦争でその試みは切断され、
戦後に太三郎を継ぐ第二世代たちが、現代河内音頭の創作を続けたといいます。

ボックスのCD6枚には、50年代後半~60年代中頃に初音家の盆踊りや舞台風景を
私家録音した、第二世代を中心とする初音家の幻の音頭取りたちの歌声が
ぎっしりと詰め込まれています。
そのなかでなんといっても華のあるのは、初音家小太三丸のちの初音家賢次ですね。
ディスク1冒頭の説経節の代表的な演目である「俊徳丸」は、
全編に節をつけて歌う節回しが絶妙。太鼓とお囃子のみをバックにぐいぐいと迫ってきます。
小太三丸(賢次)には、ほかの音頭取りにはないスター性がはっきりとあるのを感じさせます。

初代太三郎の昭和40年頃の録音の「河内十人斬り」では、
早くもギターを取り入れているばかりでなく、
語りのパートを多くとって、浪曲や講談のネタと節とを共存させています。
浪曲音頭ともいえるこのスタイルは、ダンス・ミュージックとしての櫓という場だけでなく、
舞台でも聞かせるための試みといえ、
じっさいこのボックスには、櫓ではない舞台録音が収録されていて、
「聴ける」浪曲音頭が数多く聴けます。

なかでも一番興奮させられたのは、
CD2枚目の冒頭に収められた、初音家宇志丸の「勧進帳」。
自宅の居間で録った練習風景なのか、後ろで赤ちゃんの泣き声なども聞こえるという録音で、
そんな日常のひとこまながら、音頭取りと囃子を含め男たちの歌は、
真剣を通り越して殺気さえ感じさせます。
伝統的な音頭にさまざまな工夫を重ね、実験を試みていた現場ならではの
ただならぬ集中力が、すさまじいエネルギーの塊となって伝わってくるんですね。
聴いているだけで、動悸がしてくるようなスゴイ録音です。

初音家太三郎,宇志丸,辰丸,小太三丸(賢次),太三広,太三春,かをる,つとむ,初音家社中
「河内音頭夢幻 初音家 浪曲音頭の誕生」 ミソラ MRON3003
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舶来の薫りに交じる父の追憶 [日本]

戦前モダン・ミュージック集 VOL.1 -瀬川昌久秘蔵コレクション-.JPG

洋楽に影響された戦前日本のポピュラー音楽の掘り起こしが、本格的に進んできましたね。
舶来音楽の戦前インディーズ録音を編纂した『ニッポンジャズ水滸伝』の
続編『地之巻』も大労作でしたけど、今回取り上げたいのは、こちら。

瀬川昌久さん秘蔵のコレクションを蔵出ししたという編集盤なんですが、
これが選りすぐりの曲を揃えていて、聴きどころ満載なんです。
どちらかといえば『ニッポンジャズ水滸伝』が曲そのものの魅力より、
その曲が録音された時代背景に興味をかきたてられる内容であるのに比べ、
こちらはストレイトに、音楽そのものに惹き付けられるコンピレとなっているんですね。

コロムビア・オーケストラを中心に、コロムビア専属のミュージシャンによる演奏を
選曲しているんですが、あらためて当時の彼らの音楽水準の高さにうならされます。
冒頭のヴィック・マックスウェル楽団という変名で録音した
ラファエル・エルナンデスの「ルンバ・タンバ」なんて、
レクオーナ・キューバン・ボーイズのオリジナルを凌ぐんじゃないでしょうか。
この曲や「マリネラ」での服部良一のアレンジは、当代随一でしょうねえ。

ワイキキ・セレネーダスによるアンドリュー・シスターズの「素適なあなた」も、
スウィンギーなスティール・ギターのソロに、ノックアウトをくらいました。
スティール・ギター奏者の山崎彰彦は、灰田晴彦の弟子だとのこと。
戦前日本のハワイアンは、ほんとにレヴェルが高かったんですね。

ハワイアンといえば、カルア・カマアイナスを聞けるのが、個人的にちょっと面映いかな。
主要メンバーが華族の師弟という上流階級のおぼっちゃまバンドで、
アマチュア学生によるハワイアン・バンドとして、当時一世を風靡したんですが、
実はメンバーの芝小路豊和さんと原田敬策さんが、父と親しかったんです。

父と学校は違ったものの祖父の関係で知り合い、学年が一緒だったかで意気投合し、
たしか父がウクレレを教わったのも、原田敬策さんだったはず。
戦後も付き合いは続き、ぼくはお二人のほかカマアイナスの他のメンバーとも、
何かの集まりでお会いしてるようなんですが、残念ながら覚えていません。

カルア・カマアイナスの思い出話は父からいろいろ聞いただけに、
他人のような気がしないんですよねえ。
ここでの選曲がハワイアンでなくタンゴというのはユニークで、
スティール・ギター入りの「エル・チョクロ」が聴けるのは、なんとも珍味です。

そして今回の選曲で一番嬉しかったのは、
日本のエディ・ラングとぼくがみなしている、角田孝をフィーチャーしていること。
「スペインの女」のバンジョーも聴きものなんですけど、なんといってもスゴいのが、
チャーリー・クリスチャンばりの単弦ソロを聞かせる「東京ブギウギ」。
こればかりは戦後の53年録音ですが、戦前からのスター・プレイヤーである角田が弾いた
「東京ブギウギ」のインスト・ヴァージョンがあったなんて知りませんでした。カンゲキです。

また、「ブギウギ」と「バップ」の混成語を曲名と歌詞に織り込み、
スキャットをフィーチャーした「東京ブパッピー」も痛快です。
流行歌にバップを取り入れようとした先取りセンスは、さすが服部良一ですねえ。
もっとも先を行き過ぎていて、当時のリスナーには理解されなかったようですが、
新し物好きの胃袋の強さにほとほと感心させられます。

V.A. 「戦前モダン・ミュージック集 VOL.1 -瀬川昌久秘蔵コレクション-」 ブリッジ/コロムビア BRIGE216
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宮古・ミーツ・おっちゃんのリズム ブルー・アジア [日本]

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おお! おっちゃんのリズム([コピーライト]細野晴臣)だ!
セカンド・ラインがちょいとヨれて訛ったようなリズム。ハネるようでハネない微妙なグルーヴ。
70年代半ばに久保田麻琴や細野晴臣が開発したジャパニーズ・セカンド・ライン、
懐かしのチャンキー・リズムが飛び出てきたのには、思わず頬が緩んでしまいました。

ゴジラのジャケットが懐かしい久保田麻琴の『サンセット・ギャング』を想わせるサウンドは、
久保田麻琴を中心とする多国籍プロデューサー・チーム、ブルー・アジアの新作。
宮古の古謡や神歌の古い音源に、新たなプロダクションを施した作品です。
アンビエント色の強いこれまでのブルー・アジアの作品には共感できなかったぼくも、
アメリカ南部のフィーリングにあふれた、泥臭くも肉体感いっぱいのスワンプ・サウンドが
飛び出してきた新作には、快哉を叫びたくなってしまいました。

ここまでくれば、もはやリミックス作品とはいえませんね。
宮古の音楽に惚れ込み、宮古に通いつめて
その音楽に向き合ってきた者だからこそ作り上げられた、立派な共演作品です。
ともするとこの種のリミックス作業は、辺境の地の民俗を単なる音の素材として、
中央の人間が好き勝手に料理するような、野蛮な振る舞いに堕することがありますけれど、
その音楽の良き理解者が腕を振るえば、これほど素晴らしい共同作品になるという証明ですね。

宮古の男たちや女たちの歌に、うっすらとしたコード感を施し、
スワンプの香りも高いサザン・ロックに仕上げるなんて、
言葉にするとそれこそ無茶ぶりに聞こえますけど、
「貢織布納めぬ綾語」の仕上がりなんて、最初からそういう曲だったとしか思えないほど
しっくりと馴染んでいるのだから、びっくりです。

成功のカギは、音源を切り刻んだり、打ち込みで作ったビートにのせるようなことをせず、
宮古の音楽が持つビートを生かして、<おっちゃんのリズム>にのせたことですね。
それによって宮古の歌の生命力を、オリジナル録音以上に引き出すことに成功しています。
逆に、イスラエル人リミキサーやウクライナ人DJに任せたトラックは、
ダビーなダブ処理といった手練れなリミックス作業に愛が感じられず、ちょっと反感。
音楽への共感や理解のない人間が扱った感がもろに出ていて、ハナにつきました。
この3曲を除けば、最高にファンキーなミャーク(宮古)を堪能できる快作ですよ。

ブルー・アジア 「ラジオ・ミャーク」 ヴィヴィッド・サウンド VSCD9724 (2013)
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昭和に残された女流義太夫の名演 竹本土佐廣 [日本]

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竹本土佐廣(たけもととさひろ)といえば、ぼくが初めて女流義太夫を聴いてぶっとんだ人。
説教節の二代目若松若太夫をホウフツとさせる
ナマナマしい語り芸に、魂抜かれたことがあります。
型を守ることばかりに固執して生命力を失い、
ひからびた伝統芸に堕した邦楽というイメージをブチ破る、
女流義太夫の生き生きとした庶民感情がほとばしる芸に、心底感動を覚えたものです。

85年にテイチクから出た4枚組『女流義太夫・いま』も、
竹本土佐廣の録音を収めた1枚目ばかり、繰り返し聴きましたからね。
ドスの利いた声でせき込みながら語る、老父の演技ぶりがすさまじいのなんのって。
息苦しくなるような迫真の名演ぶりに、何度聴いてもグイグイ引きつけられます。
ちなみにこの4枚組は『女流義太夫の魅力』のタイトルで、
日本伝統文化振興財団からCD化されました。

そんな土佐廣ファンには、嬉しいニュース。
昭和61年正月に国立演芸場で録音された
「心中紙屋治兵衛(しんじゅうかみやじへえ) 河庄(かわしょう)の段」がCD化されました。
『女流義太夫・いま』は83歳の時の録音でしたが、こちらは86歳の時の録音。
晩年とはいえ、まったく衰えを知らぬ名演ですよ、これは。

このCDが三味線奏者鶴沢友路(つるざわともじ)の名義となっているのは、
2012年12月に、数えで百歳を迎えたお祝いのアルバムだからとのこと。
録音当時、鶴沢友路は72歳で、もっとも脂ののった時期だったそうです。
オープンリール録音で、途中オーヴァーラップして録られたため、
テープ交換のための中断もなく、42分に及ぶ「河庄の段」をまるまる聴くことができます。

いやあ、スゴイですよ。浪曲も形無しのこの迫力。
「河庄の段」は、遊女の小春になじんだ紙屋の治兵衛が、
小春の客に嫉妬して取り押さえられたところ、その客が自分の兄であることに気付き、
兄に意見された治兵衛は小春と別れると承知したものの、
小春に宛てた治兵衛の女房おさんの手紙が出てくる、という物語。
治兵衛を演じる土佐廣は、女性の声とは思えないドスを利かせ、スゴみすら覚えます。

治兵衛と小春を巧みに演じ分ける土佐廣に対し、
鮮やかなバチさばきで挑む鶴沢友路の三味線もまたすごい。
それまで「河庄の段」を舞台にかけたことのなかった友路が、
土佐廣の要請で初めて演奏した記念すべき舞台だったそうで、
そんな緊張感も功を奏して、最高のパフォーマンスとなったのかもしれません。

人形浄瑠璃発祥の地である淡路島在住で、
女流義太夫きっての三味線弾きである鶴沢友路は、
女流義太夫界初の人間国宝の竹本土佐廣のあとに、人間国宝を与えられた真の実力者。
まさに二大巨人ががっぷり四つに組んだ、世紀のパフォーマンスだったわけですね。
戦後の黄金期と呼ばれた昭和40年代の女流義太夫の録音は、
義太夫協会が相当数デジタル化しているそうなので、今後のCD化も期待できそうです。

鶴澤友路 「心中紙屋治兵衛 河庄の段」 SEIBI工房 SBKC003
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河内音頭の名盤誕生 鉄砲博三郎 [日本]

鉄砲博三郎.JPG

まさしく河内音頭界のヴェーリャ・グァルダ!
鉄砲博三郎、83歳にしてデビュー作、圧巻の初フル・アルバムです。
何がすごいって、そのノド。齢八十を越す声だとは、到底思えません。
それもそのはず、鉄砲博三郎は大阪市平野区の出身、わずか6歳で河内音頭の櫓に上がり、
70年の芸歴を誇るというんだから、その鍛え抜いたノド、語りの熟成ぶりは、人間国宝級。

こんなすごい人が、なぜこれまで録音を残さなかったんでしょう。
いや、むしろ、よくぞ今録音を残してくれたというべきですかね。
60年代から吉本興業の劇場に上がり、音頭ショウを編成していた時期もあったという鉄砲博三郎。
吉本では数少ない音頭取りとして三十年近く活躍し、
その後櫓の世界に戻って現役を続けてきたというのだから、まさしく現場の人だったのですね。
なんせ音頭取りが83歳なら、三味線の曲師は75歳、ギターは74歳、太鼓が66歳ですからねぇ。
こんな大ヴェテランに♪お見かけどおりの若輩でぇ~♪などと歌われた日には、
聴いてるこちらの方が困ってしまいますよ。

70年のキャリアを感じさせるのは、力みのない語り口。
ふわりと軽やかにコブシを回しながら、余計な力が入っていない明快な発声で、
キモとなる言葉の響きを聴き手に打ち込んでいく、歌と語りの技術。
ここが聴かせどころといったパートでも、たたみかけるような凄みを利かせずに、
ぐいぐい引きつけてしまう説得力は、老境に達したヴェテランの技量としか言いようがありません。
若手じゃこんな芸当はとてもできませんよ。
浄瑠璃でも老齢の太夫だけがなし得る境地じゃないでしょうか。

そんな高度に磨き上げられた語り芸を守り立てる伴奏陣もまた鮮やか。
ちんどん通信社の面々をはじめ、アコーディオン、サックス、チューバ、ヴァイオリン、ドラムスなどが、
ごく自然に河内音頭になじんで演奏しているところが素晴らしい。
二十年前、河内家菊水丸や江州音頭の初代桜川唯丸が聞かせた、
プログレッシヴなサウンドとはまったくの別物です。

これまで河内音頭を現代化しようと、レゲエなどの異種音楽とミックスするなど、
さまざまな実験が繰り返されてきたわけですけれど、
ここではプレイヤーたちが自分たちの音楽を主張することを止めて黒子となりきり、
河内音頭に寄り添うように伴奏を務めたことで、
河内音頭を新たなステージに上らせたように思えます。

河内音頭の新たな地平を切り開いた会心の一作。
歌舞伎役者の如く、きりりとした立ち姿も美しい鉄砲博三郎の写真に、
ロゴタイプとジャケット・デザインも絶妙です。
21世紀の河内音頭の名盤誕生に、喝采を贈りたいですね。

鉄砲博三郎 「音頭師」 ミソラ MRON3002 (2013)
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無頼姉妹のミンストレル・ショウ チャラン・ポ・ランタン [日本]

20121226_チャラン・ポ・ランタン.JPG

ちょっと時間が経ってしまいましたが、去年の暮れの26日、
新宿のタワーレコードでチャラン・ポ・ランタンのインストア・ライヴを観てきました。

職場の忘年会を抜け出し、開演時間9時ぴったりに着いたら、すんごい数のお客さんにびっくり。
軽く100人以上はいて、こんなに人気があるとはツユ知らず、おみそれいたしやした。
こんな後ろじゃあ、ステージが見えないなあと思っていたら、
ぼくのすぐ真後ろからヴォーカルのももちゃんとアコーディオンの小春が、
この日発売の新作『たがいの鍵穴』の衣装で、ちんどんよろしく開演の呼び込みをしながら登場。

ジプシー・バンドと昭和歌謡をミックスした演劇的な曲の数々を、
小春のアコーディオンとももちゃんの切迫感あふれるヴォーカルで、はなからトばす、トばす。
ドSの姉妹二人がドMな客をイジるという、ライヴのお約束の図式も出来上がっているようで、
小春のMCも毒っ気たっぷり。どこまでも芝居っけあふれる二人の大道芸人ぶりに降参です。
途中から、愉快なカンカンバルカンのブラス3人にスネア・ドラムも加わり、
インストアにあるまじき1時間に及ぶ大熱演。
アンコール付きという大盤振る舞いで楽しませてもらいました。

チャラン・ポ・ランタン ただ、それだけ。.JPG

思えば、チャラン・ポ・ランタンと愉快なカンカンバルカンのアルバムを初めて聴いた二年前。
東欧ジプシーからトルコ歌謡にミュゼットまで呑み込んだ無国籍音楽をひっさげ、
女のドロドロとした嫉妬を練り込んだ歌詞に、こいつら、何ヤツと目を剥いたんでした。
「ムスタファ」を替え歌するくらいは、気の利いたミュージシャンなら思いつくでしょうけど、
「ハバナギラ」を鮮やかにカヴァーするに至っては、
かつてのコンポステラを思い出さずにはおれません。

コンポステラも同じ音楽性を持ちながら、一部のインテリにしか受けなかったのに対し、
この姉妹はみずからをカリカチュアライズする卓抜したセンスで、
楽々とポピュラリティを獲得していることに、なんだか軽い嫉妬を覚えたんでした。
『ただ、それだけ。』をものすごく気に入ったくせ、ブログに取り上げなかったのも、
素直にホメちぎるのが、なんかクヤしかったからかも。
あとから来たヤツは得だよなぁ、なんてね。

でも、もういいや。二人の才能を素直に賛美しましょ。
アルバムを重ねるごと、ますます深化するチャラン・ポ・ランタンの存在感はホンモノ。
ケレンやアクの強さに、好きキライがはっきり分かれそうですけど、
好きになりゃ、新曲よろしく「墓場までご一緒に」行けます(笑)。
キライなんつーたら、背中越しに「死ね!ブサイク」とかドナられそう(汗)。

彼女たちのパフォーマンスって、現代のミンストレル・ショウだと思いますね。
二人の無頼ぽい雰囲気も、どこまでが素でどこまでが演技だかわからず、
将来どーなっていくか予想も付かないところに、大器の可能性を感じさせます。

チャラン・ポ・ランタン 「たがいの鍵穴」 マスタード LNCM1019 (2012)
チャラン・ポ・ランタンと愉快なカンカンバルカン 「ただ、それだけ。」 プラナ/バウンディ XQAY1104 (2010)
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レコード馬鹿の思い出話 嘉手苅林昌 [日本]

嘉手苅林昌.JPG

喜納昌吉の「ハイサイおじさん」で沖縄音楽と出会い、
もっと沖縄の音楽を知りたいと思った時に絶好の参考書となったのが、
平岡正明さんの『クロスオーバー音楽塾』(講談社 1978)でした。
平岡さんがディスク・ジョッキーを務め、チャーリー・パーカーからアマリア・ロドリゲス、
テレサ・テン、ジミー・クリフ、ボラ・デ・ニエベ、ダミアまで語るという痛快な内容で、
平岡さんの著作でぼくが一番好きな本です。

なかでも、嘉手苅林昌を軸に沖縄の音楽、琉歌について語った回では、
平岡さんが熱くなりすぎて客とケンカになり、客が帰ってしまう一幕があり、
この本のハイライトともなっていました。
これを読んだら、その時に流されたという嘉手苅林昌のマルフク盤LPを、
聴かずにはおれないですよねえ。

しかし78年当時は今と違って、東京で沖縄のレコードを買うなど不可能な時代でした。
沖縄のレコードは沖縄だけで売られていて、どうしても欲しけりゃ、沖縄へ行って探すほかない。
あきらめきれなかったぼくは、御茶ノ水にあった旧電電公社の電話帳売り場で
沖縄県の電話帳を買ってきて、片っ端から沖縄のレコード屋に電話をかけまくりました。

どのくらいの数のレコード屋にかけたっけなあ。
とにかく、かけてもかけても、返事は毎度「ありませんねえ」。
なんせこのマルフク盤は、沖縄の本土復帰前に出たという、かなり昔のレコード。
そう簡単には見つかりませんでした。

何十件もかけた末に、ようやく在庫のあるお店と出くわした時は嬉しかったなあ。
「東京なんですけれど、送っていただけますか?」とお願いし、
届いた小包の住所を見たら、なんと八重山のレコード屋さんでした。
結局、沖縄本島のレコード屋にはどこにもなかったんですね。

そんな執念の末、ようやく手に入れたマルフク盤。
さあ、どんなにスゴい音楽が聴けるのかとわくわくして針を落としたんですけど、
嘉手苅林昌の歌は、微妙、というかなんというか、
内地の民謡歌手とはぜんぜん違う不可思議な歌いぶりで、
いいも悪いも、その時はまったく判断がつきませんでした。

ノン・ブレスでずーっと歌っていて、どこで息つぐのかと身構えて聴いていると、
拍の途中、しかも音節の途中という、とんでもなくヘンなところで息つぐ唱法に、
なんだこの妙な歌い方はと思ったものです。

結局、その後かなり沖縄音楽を聴きこんでから、
ようやく嘉手苅林昌の良さがわかるようになったんですけど、
沖縄音楽の入門にはまったく向かない歌手ですね。
いつものぼくだったら、とっくにレコードを売り払ったところですけど、
さすがに苦労の末手に入れたので、手放しはしませんでした。

そうそう、後日談ですけれど、このマルフク盤を手に入れた後、
とんでもなく高い電話料金の請求が家に届き、母親にこっぴどく怒られたっけなあ。
そりゃそうです。沖縄に数十本電話をかけたうえ、
そのたびに店の人がレコードの在庫を探すので、通話時間もけっこうかかったしね。
バカ息子の行状に母親も呆れ果てるばかりだった、大学2年生の冬の思い出であります。

嘉手苅林昌にとって初アルバムのこのマルフク盤は、64年録音、65年発売。
一部の曲はCD化されていて、「かいされー」「時代の流れ」が『風狂歌人』(ビクター 2000)に、
「ヒンスー尾類小」が『ジルー』(ビクター 2000)に収録されています。
マルフクからたくさん出ている名曲集的なコンピレにも、
ひょっとすると収録されている曲があるかもしれませんが、そこまでは未確認。あしからず。

[LP] 嘉手苅林昌 「嘉手苅林昌」 マルフク F8 (1965)
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ビッグ・バリトン・ママ 浦朋恵 [日本]

浦朋恵 WALKIN’ WITH MR. BIMBO.JPG

女のバリトン・サックス吹きというだけでも、相当に興味をひかれますけど、
デビュー作『ROCKIN' AT THE 1,000,000 RESTAURANTS』の秀逸なジャケットには降参。
一度聴いてみたいなと思いつつぐずぐずしてたら、セカンド・アルバムが届いちゃいました。

新作はなんとも生活感あふれるフォーキーなジャケで、
ウラには女性版ビッグ・ジェイ・マクニーリーを思わせる、ライヴでの彼女の勇姿が写っています。
タイトルがまたふるっていて、リー・アレンの“WALKIN' WITH MR. LEE” をもじっているのは明らか。

「アンタ、また素通りするつもりかい?」とCDに言われているような気がして、
今度は素直に買ってみたところ、想像以上のすばらしい演奏にすっかりまいってしまいました。
ビッグ・ジェイ・マクニーリー、ジョー・ヒューストン、リン・ホープといった名ホンカーたちに触発された
ジャンプ・ブルースから、ブーガルー、スカ、レゲエまで呑み込んだインスト演奏がずらり。

いや、この人逸材ですね。女性でバリトンをばりぶりいわせる力量も相当なものですけど、
生み出している音楽が実におおらか。これだけ趣味性の強い音楽を器用にこなしながら、
せせこましさが微塵も無く、のびのびと演奏しているところがいいじゃないですか。
ユーモアたっぷり、エキゾなスパイスを利かせた曲作りも巧みで、降参です。

エゴ・ラッピンのサポート・メンバーとして活躍している人だというので、
ロック・フィールドから出てきた人なのかなと思いきや、
バリトン・サックスを吹く前はクラリネットでクレズマーを演奏し、
ニュー・ヨークでクレズマー修行もしたとのこと。
原田依幸のオーケストラ、大怪物団にバリトン・サックスで参加し、
08年の韓国公演では大韓ジャズメンとも共演したそうです。
彼女の豊かな音楽性は、さまざまなフィールドの音楽を消化してきた経歴に裏打ちされていて、
その自在なプレイに滲み出ている実力がホンモノであることがわかります。

そんな彼女をサポートするロッキン・バリトーンズのメンバーやゲスト・ミュージシャンたちも、
音楽をやるのが楽しくってしょうがないといった喜びに満ち溢れていて、
スタジオが笑顔でいっぱいのレコーディングだったんじゃないかなあ。
楽しもうぜっ!という雰囲気が全面に出たゴキゲンなアルバムです。

ぜひライヴも体験してみたい、ビッグ・バリトン・ママであります。

浦朋恵 「WALKIN’ WITH MR. BIMBO」 マイベスト! MYRD33  (2012)
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野性の裏声 中山音女 [日本]

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中山音女(なかやまおとじょ)という奄美の唄い手が、1928(昭和3)年に録音した
SP18枚のうち14枚ががまとまって発見され、再生可能な27曲を復刻したCD。
1年以上も前にリリースされていて、
平成23年度の文化庁芸術祭レコード部門優秀賞も受賞したんですと。
ぜんぜん知りませんでした。

SP録音時代の奄美民謡を聴くのは、これが初体験。
パワフルなその声の強さに圧倒されました。
野性的とも言うべき、芯の太い唄声には凄味があります。
これを聴くと、いまの奄美の唄い手たちがいかに技巧的で、
装飾的な裏声使いをしていることがわかりますね。
音女の唄い方はあくまでもストレイトでソウルフル。
語尾の音が下がるのはこの人のクセなのか、耳残りする特徴ですね。

かなり速いテンポで唄っているのにも驚かされるんですが、
これが芸能化する以前の、唄遊びの感覚を残したスピード感なのかもしれません。
即興感覚の強い自由さにあふれているところも魅力です。
リズム楽器のように歯切れよく弾く三線も、リズムが浮ついたり走ったりせず、
実に安定した演奏ぶりで、安心して聴くことができます。

すっかり古いシマ唄の良さに感じ入ったんですが、
ずっと聴いていてアタマから離れない疑問は、SPの回転数。
唄も三線も明らかにピッチが高く、これはどう考えても速回しでしょう。
戦前ブルース音源研究所が開発した、トレイス・ピッチから本来の音程を計測した原音で、
音女の唄を聴き直してみたいものです。

中山音女 「奄美しまうたの原点」 日本伝統文化振興財団 VZCG8474~5
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艶美な語り 豊竹呂昇 [日本]

豊竹呂昇 義太夫名演集.JPG

明治から大正にかけて娘義太夫(女流義太夫)の黄金時代を飾った大スター、
豊竹呂昇(とよたけろしょう)のナマ声をついに聴くことができました。
呂昇に熱狂した書生たちがこぞって追っかけをし社会問題になっただの、
貴族伯爵から実業家、金満家たちの贔屓筋が邸宅に招こうと競い合っただの、
逸話は山ほど聞かされるものの、じっさいの声を聴くチャンスはないままでした。

初CD化でたっぷり78分、その語りを堪能させてもらいましたが、いやー、すんごいです。
当時の男どもが萌えたのもナットクの、ノイズまじりの録音をものともしない、
呂昇の明晰な発声と美声に魅せられました。

男の義太夫が文楽人形の裏方にすぎないのに対し、
娘義太夫は太夫が主役だからこそ、表現もよりストレイトでダイナミックなんですね。
しかも太夫自身が三味線を弾き語るので、
迫真部分の語り口のなまなましさは説経節や浪曲にも負けません。
もっとも晩年の録音では、呂昇も三味線を人に任せたようで、
本CDにも弾き語りでない音源が交じっているようですが。

そして、なによりいいのが呂昇の声。
明るさと華があるその声は、まさしく天性というほかありません。
ふっくらとした艶美な語りは、いかにも女性らしい柔らかさなんですけれど、
その心地よさにうっとりとしていると、ぽーんと突き放されるような冷たさがあって、
こうした手綱さばきに、当時の男たちはメロメロになったんでしょうね。
呂昇の語りには聞き手を翻弄させる円転滑脱さがあって、
こういう魅力は、常磐津や清元といった洗練された浄瑠璃には見当たらないんじゃないかなあ。
たいして常磐津や清元を聴いているわけでもないので、自信はないですけれど。

こうなると、呂昇と人気を二分した竹本綾之助も聴いてみたくなりますねえ。
東京の竹本綾之助と大阪の豊竹呂昇は、東西の二大スターだったんですからね。
呂昇も生涯に500面ものSP録音を残しているので、CD復刻は今後も続けてもらわないと。
できることなら大手レコード会社じゃなく、インディで復刻してもらいたいものです。
なんせ大手が作ると、このCDみたく短い略歴を載せただけの手抜き解説、
録音年や原盤などのクレジット皆無という、やる気のなさですからね。
こういう歴史的録音の復刻は、熱意ある研究者やSPコレクターが関わんなきゃダメです。

豊竹呂昇 「義太夫名演集」 日本コロムビア COCJ37069
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マジメが倒錯したエキゾチシズム ニッポンジャズ水滸伝 [日本]

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こりゃスゴイ!
戦前インディーズ洋楽ポップを集大成した、画期的な復刻4枚組の登場です。

昭和初期の洋楽録音を、大手レコード4社以外のインディ・レーベルの音源から集め、
①ジャズソング②ジャズバンド③「ダイナ」カヴァー④書生節系ジャズソング
⑤端唄・民謡のジャズ化という5つのテーマで編集しているんですね。
やたら「ジャズ」の名が出てきますけど、もちろん北米黒人音楽のジャズを指すものではなく、
アフリカン・ポップスでおなじみ「ベンベヤ・ジャズ」「TPOKジャズ」「シラティ・ジャズ」と同義の、
「舶来音楽」という意味です。

すでにCD化された『日本のジャズソング』でも和製ジャズソングスを楽しめますけど、
こちらはジャズソングにとどまらず、タンゴ、ルンバ、ブルース、フォックストロット、パソドブレなどと、
より幅広に舶来音楽を吸収した曲を聴けるのが魅力です。
当時こんな舶来音楽で社交ダンスに興じたのは、都市の一部エリート層だったんでしょうけど、
より大衆好みなところでは、書生節や端唄、民謡と和洋折衷した曲も多数収録されています。
108ページに及ぶブックレット含め、今年のベスト・リイシュー・アルバムはこれに決まりでしょう。

それにしても感じ入るのは、演奏技術の高さと、職人気質を思わせる演奏ぶり。
歌手のほとんどが音楽学校の発声法なのは、この時代らしいところですけれど、
なかには素性知れずの歌手が抜群にスウィンギーなスキャットを聞かせたりと、あなどれません。
ニットーリズムボーイズの「戀人がほしい」など、「山寺の和尚さん」と双璧のスキャット名演です。

和洋合奏のインスト演奏にもコミカルな味わいがあって、
なおかつ、あっけらかんとした表情が同時に味わえるところが妙味ですねえ。
民謡とジャズを折衷しようとしているところなんて、日本人のマジメさがよく出ているというか、
メロディは一所懸命まねてるんだけど、リズムがまるっきりグズグズというアンビバレンスが面白い。
マジメが倒錯して、無意識・無防備なままにエキゾチシズムがさらけ出されているというか。

昔は単純に、「だから日本人はリズムがダメ」みたいな理解をしていましたけど、
洋楽と邦楽の越えがたい溝に、今は面白味が感じられるんですよね。
三味線とアコーディオンによるウエスターン三味線アンサンブルが演奏する
「私の青空」「おゝスザンナ」「ダイナ」なんて、リズムの稚拙さを越えた妙味があります。

和洋折衷で「洋」への傾き度合いが強くなるほど、
リズムが弱く、頭でっかちな演奏に聞こえますけど、
「和」への傾き度合いが強くなると、今度はぐっと奔放な自由さをみせるようになります。
その代表例が演歌師とジャズバンドの共演で、
東一聲が歌う「アラビヤの歌」「青空」のアナーキーぶりは驚愕もの。
石田一松の「濱邊の唄(ハレルヤ)」も、強烈の一語に尽きます。

和洋折衷のさまざまな実験が繰り広げられていた、ユニークなインディ録音が満載で、
ここには収めきれない名演名唱の数々も、まだまだあるんでしょうねえ。
輸入音楽を日本人はどのように受容してきたのかという歴史を知り、
またその受容の程度にさまざまな味わいがあることを教えてくれる、
聴きどころ満載のアンソロジー、ぜひとも続編を期待したいです。

美空ひばりの「チャルメラそば屋」や生田恵子の「バイヨン踊り」をカヴァーした、
キウイとパパイヤ、マンゴーズのリーダー廣瀬拓音さんにも、ぜひ聴いてもらいたいなあ。
きっといいアイディアが、このアンソロジーから見つかると思いますよ。

V.A. 「ニッポンジャズ水滸伝 天之巻」 華宙舎 OK3
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