ハイチのチンドン、ポルトープランスを救え! オリジナル・シュレ・シュレ [カリブ海]
ハイチの首都ポルトープランスを、M7.Oの大地震が襲ったという一報が飛び込んできました。
大統領宮殿や政府庁舎が倒壊し、数千人が建物の下敷きになっているとの報道が流れています。
ポルトープランス郊外の埋め立て地に広がるスラム、シテ・ソレイユの住民が心配です。
あらゆる国際機関を通じて、ハイチ大災害への救援に全力をあげていただきたいと、切に願います。
人命救助が急がれる今の段階で、復興のことを話題にするのは時期尚早のそしりを免れませんが、
関東大震災の直後、添田さつきが中国の俗曲にのせて作った復興節を演奏したチンドンが
人々を勇気づけたように、ハイチでもチンドンに代わる音楽が現われ、
人々の心の支えとなってくれることを期待せずにはおれません。
「ハイチのチンドン」などと突飛なことを夢想してしまったのは、
シュレ・シュレを思い浮かべたからです。
60年代のハイチで小編成のエレキ・バンドがブームとなり、
ミニ・ジャズ・ムーブメントが巻き起こりましたが、そのきっかけとなったバンドが、
65年に結成されたアルト・サックス奏者トニー・モイーズ率いるシュレ・シュレでした。
エレキ・バンドじたいはシュレ・シュレ以前にすでに存在していて、
イボ・コンボが62年、レ・フレール・デジャンが63年に誕生していましたが、
シュレ・シュレがミニ・ジャズ初のバンドと呼ばれているところに、当時の人気がうかがわれます。
シュレ・シュレを名乗るグループは複数あって、
トニー・モイーズがリーダーのオリジナルのシュレ・シュレのほか、
のちのスカシャの母体となり、アルト・サックス奏者ジョルジュ・チャンシーが在籍していた、
ギタリストのセルジュ・ローゼンタール率いるシュレ・シュレの二つが有名です。
このほかにも、スカシャへ移らなかった残留組によるシュレ・シュレがいたり、
90年代になると、これまでとまったく違うメンバーによるシュレ・シュレが登場するなど、
いったいいくつのバンドがシュレ・シュレを名乗っていたのやら、よくわかりません。
実力はジョルジュ・チャンシーが在籍していたシュレ・シュレが一番ですけれど、
ぼくはオリジナルのシュレ・シュレにとても愛着があります。
あのフニャフニャした(悪口じゃありませんよ)トニー・モイーズの脱力サックスは、
まさしくチンドンと同じ吹奏スタイルといえます。
そんなトニーのサックスをたっぷりフィーチャーしたデビュー作は、
CD化ではじめてメンバーが集合した写真の別ジャケの存在を知りました。
LP時代に見慣れたイラストのジャケットでもCDが最近出て、
Remix(?)を謳うだけあって、盤おこしのイボ盤CDよりも音質が良くなっています。
ちなみにデビュー時の綴りはChleu-Chleuだったんですね。
このデビュー作や初期のシュレ・シュレが一番好きです。
苦難続きのハイチに襲い掛かった大災害という悲運も、
ハイチの逞しくも誇り高き人々は必ずや乗り越え、復興してくれることを祈るばかりです。
[LP] Groupe Les Chleu-Chleu "HAITI, MON PAYS" Ibo ILP139 (1967)
[CD] Groupe Les Chleu-Chleu "HAITI, MON PAYS" Ibo 139 (1967)
[CD] Groupe Les Chleu-Chleu "HAITI, MON PAYS" S.S. SS001 (1967)
[CD] Les Shleu Shleu "HAITI, TERRE DE SOLEIL" Mini MRSD1040 (1968)
[CD] Les Shleu Shleu "A NEW YORK" Mini MRSD1038 (1972)
大統領宮殿や政府庁舎が倒壊し、数千人が建物の下敷きになっているとの報道が流れています。
ポルトープランス郊外の埋め立て地に広がるスラム、シテ・ソレイユの住民が心配です。
あらゆる国際機関を通じて、ハイチ大災害への救援に全力をあげていただきたいと、切に願います。
人命救助が急がれる今の段階で、復興のことを話題にするのは時期尚早のそしりを免れませんが、
関東大震災の直後、添田さつきが中国の俗曲にのせて作った復興節を演奏したチンドンが
人々を勇気づけたように、ハイチでもチンドンに代わる音楽が現われ、
人々の心の支えとなってくれることを期待せずにはおれません。
「ハイチのチンドン」などと突飛なことを夢想してしまったのは、
シュレ・シュレを思い浮かべたからです。
60年代のハイチで小編成のエレキ・バンドがブームとなり、
ミニ・ジャズ・ムーブメントが巻き起こりましたが、そのきっかけとなったバンドが、
65年に結成されたアルト・サックス奏者トニー・モイーズ率いるシュレ・シュレでした。
エレキ・バンドじたいはシュレ・シュレ以前にすでに存在していて、
イボ・コンボが62年、レ・フレール・デジャンが63年に誕生していましたが、
シュレ・シュレがミニ・ジャズ初のバンドと呼ばれているところに、当時の人気がうかがわれます。
シュレ・シュレを名乗るグループは複数あって、
トニー・モイーズがリーダーのオリジナルのシュレ・シュレのほか、
のちのスカシャの母体となり、アルト・サックス奏者ジョルジュ・チャンシーが在籍していた、
ギタリストのセルジュ・ローゼンタール率いるシュレ・シュレの二つが有名です。
このほかにも、スカシャへ移らなかった残留組によるシュレ・シュレがいたり、
90年代になると、これまでとまったく違うメンバーによるシュレ・シュレが登場するなど、
いったいいくつのバンドがシュレ・シュレを名乗っていたのやら、よくわかりません。
実力はジョルジュ・チャンシーが在籍していたシュレ・シュレが一番ですけれど、
ぼくはオリジナルのシュレ・シュレにとても愛着があります。
あのフニャフニャした(悪口じゃありませんよ)トニー・モイーズの脱力サックスは、
まさしくチンドンと同じ吹奏スタイルといえます。
そんなトニーのサックスをたっぷりフィーチャーしたデビュー作は、
CD化ではじめてメンバーが集合した写真の別ジャケの存在を知りました。
LP時代に見慣れたイラストのジャケットでもCDが最近出て、
Remix(?)を謳うだけあって、盤おこしのイボ盤CDよりも音質が良くなっています。
ちなみにデビュー時の綴りはChleu-Chleuだったんですね。
このデビュー作や初期のシュレ・シュレが一番好きです。
苦難続きのハイチに襲い掛かった大災害という悲運も、
ハイチの逞しくも誇り高き人々は必ずや乗り越え、復興してくれることを祈るばかりです。
[LP] Groupe Les Chleu-Chleu "HAITI, MON PAYS" Ibo ILP139 (1967)
[CD] Groupe Les Chleu-Chleu "HAITI, MON PAYS" Ibo 139 (1967)
[CD] Groupe Les Chleu-Chleu "HAITI, MON PAYS" S.S. SS001 (1967)
[CD] Les Shleu Shleu "HAITI, TERRE DE SOLEIL" Mini MRSD1040 (1968)
[CD] Les Shleu Shleu "A NEW YORK" Mini MRSD1038 (1972)
2010-01-14 06:18
コメント(2)
ハイチ音楽の情報が余りにも少ないので、色々検索した結果ここにたどり着きました。この頃のコンパは和みますね。ゆるーいサックスとメローな歌、それと激しいパーカッション。自分の好みで言うとレ・ファンテジストも大好きです。又、良い情報お願いします。
by えすぺらんさ (2013-10-17 22:58)
レ・ファンテジスト! いいですねえ。
こちらの記事もご覧ください。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-02-23
by bunboni (2013-10-17 23:05)