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芸術ぶった大衆歌謡の矜持 プナール・アルティノク [西アジア]

Pınar Altınok  DORUKTAKI ŞARKILAR.jpg

19世紀から20世紀に移らんとするオスマン帝国末期。
そのSP時代に栄えた古典歌謡を再興しようとする近年の傾向は、
「トルコ古典歌謡のルネサンス」と呼ぶにふさわしいものといえます。
その中心的レーベルともなったのが、
トルコ航空も後押しするアラトゥルカ・レコーズですね。

こうした新しい傾向が生まれる以前のトルコ古典歌謡といえば、
大編成のオーケストラをバックに、大仰な歌い回しで歌う、
わざとらしさ満点な歌謡音楽といったイメージが強かったですからねえ。
女装したゼキ・ミュレンがその典型で、
20世紀後半にサナートというジャンル名で呼ばれるようになった古典歌謡は、
いにしえの古典歌謡、シャルクと呼ばれた軽古典とはまったく異質の、
大衆歌謡がいびつに芸術化した音楽でした。

シャルクが小編成の室内楽的な伴奏で歌われる、
軽妙で爽やかな味わいを持つものであったことは、
初期のゼキ・ミュレンや、さらに昔のSP時代の録音が復刻されるまで、
気づくことができませんでした。

20世紀後半に、シャルクからサナートと称する芸術音楽に変質したのは、
1923年のオスマン帝国崩壊とともに野に下った帝国の宮廷楽士たちが、
イスタンブル新市街のナイトクラブを根城として大衆歌謡化した音楽に、
「芸術音楽」と称して箔を付けるための演出であって、
いわば宮廷楽士のプライドでもあったのでしょうね。

重々しいオーケストラが、やたらともったいつけて長ったらしい前奏をつけ、
やっと歌が出てきたかと思えば、聴き手を脅かすように声を張り上げたりと、
サナートはまさにケレンだらけの音楽になったんでした。
そんなことから、ここ最近のトルコ古典歌謡のルネサンス傾向の音楽を、
サナートと呼ぶのはふさわしくないんじゃないかと思うようになったきっかけが、
タルカンが昨年出した話題作“AHDE VEFA” でした。

なんと本作は、ミュニール・ヌーレッティン・セルチュークに、
サーデッティン・カイナクといった古典歌謡曲を、
ポップスの貴公子タルカンが取り上げた驚きのアルバムだったんですが、
最近の新傾向マナーではなく、
女装ゼキ・マナーのサナートを踏襲した内容だったんですね。
なるほど、旧態依然としたサナートも健在なんだなと、
あらためて気づかされたというわけです。
そういえば、ザラのアルバムも、同じように昔ながらのサナートでしたよね。

で、そのタルカンもザラもスルーしていた当方でありますが、
プナール・アルティノクというこの女性歌手のサナート作には、
ひっかかるものがありました。
オーケストラは厚ぼったいし、歌いぶりもケレン味たっぷり。
だけれど、なぜか惹かれるのは、強力な歌唱力がこれみよがしではなく、
歌い手として昇華したものを感じさせるからでしょうか。

芸術ぶった大衆歌謡が、必ずしもイヤらしくならないのは、
歌手が歌に殉じる、その透徹した美意識が表出するか否かにかかっているのかも。
そんな思いにとらわれた一枚です。

Pınar Altınok "DORUKTAKI ŞARKILAR" Elenor Müzik no number (2014)
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