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ポルト・アレグレの今 マルモータ [ブラジル]

Marmota.jpg

うぉー、カッコいい。
ブラジルのジャズ、ホントに来てるなあ。大豊作であります。
今聴いていたのは、11年にポルト・アレグレで結成されたマルモータのセカンド作。
ルデーリをホウフツさせる、コンテンポラリー・ジャズのグループです。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-09-24
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-09-13

ピアノ、ギター、ベース、ドラムスのカルテットで、編成こそルデーリと異なれど、
同じく新世代コンテンポラリー・ジャズのサウンド志向のグループです。
じっさい、メンバーが影響を受けたというミュージシャンに、
アーロン・パークス、ティグラン・ハマシャン、アリ・ホーニグのほか、、
シャイ・マエストロ、アヴィシャイ・コーエン、ギラッド・ヘクセルマンなど、
注目の集まるイスラエルの精鋭たちの名をあげるところからも、
彼らの音楽性は想像がつきますよね。

メロディに合わせてテンポが自在に動き、
変拍子を多用したリズム・アプローチは、まさしく現代ジャズのアイデンティティ。
ルデーリとの個性の違いといえば、マルモータの方がよりアンサンブルの中で
即興するスペースが広く取られていることでしょうか。

ルデーリのかっちりとしたアンサンブルに比べると、
ラフともえいる自由さが、マルモータの魅力でしょう。
特に、クライマックスで躍動的なドラミングを繰り広げる
ドラマーの熱量のあるプレイには、引きこまれます。

ドラマー以外の3人は、11年結成直前にバークリーで勉強していたという経歴も
ナットクの世界標準のジャズですね。
それにしても、ベロ・オリゾンチそしてポルト・アレグレと、
ブラジルの地方都市でジャズの新世代が育っているのに目を見張らされます。
ついこの前まで、ポルト・アレグレというと、
ガウーショ(牛追い)のイメージしかなかったんですけど、完全に時代錯誤ですね。

Marmota "A MARGEM" Audio Porto AP40001 (2017)
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ヘヴィーに変貌したトゥアレグ・ロック ケル・アスーフ [西アフリカ]

Kel Assouf  BLACK TENERE.jpg

おぅ! こういうサウンドを待ってたんだよ。
ニジェールのトゥアレグ人ギタリスト、アブバカル・アナナ・アルーナ率いる
多国籍ユニット、ケル・アスーフの新作。
過去2作からぐんと跳躍した、トゥアレグ・ロック・アルバムを作りあげてくれました。

前2作のサウンド・メイキングが、ロックを志向しているわりには、
どこか徹底できていないツメの甘さを感じて、気になっていたんですよね。
可愛らしい女性コーラスも、ロック・サウンドにはそぐわなかったし、ビートも軽めで、
もっと重量感のあるグルーヴが必要だよなと、不満が残っていたんです。

それが今作の変貌ぶりはどうですか!
3ペースのシンプルな編成となり、グッと重心が下がって、
ボトムの厚いサウンドになり、ヘヴィーなロック・サウンドに変わりました。
ドラマーの交替が大正解だったんじゃないですかね。
やるならこのくらい徹底しなくっちゃね、という胸がすく仕上がりに大満足です。

昨年アマール808で注目を浴びたチュニジア人プロデューサー、
ソフィアン・ベン・ユーセフが、前作に続いてプロデュースとアレンジをしているんですが、
今回グリッタービートへ移籍したことも功を奏したのか、
ソフィアンのアレンジの活躍ぶりがうかがえます。

まずベーシストの不在を、ソフィアンのキーボードが担っていること。
なんだかシンセ・ベースが活躍する最近のジャズみたい、
なんて連想も沸き起こりますけれど、それは関係ないにせよ、
ハモンドやモーグなどのヴィンテージな鍵盤使いが、
シンプルな編成の中で、ラウドなサウンドづくりに寄与していますね。
パワー・プレイのように聞こえるサウンドのなかで、
緻密に鍵盤の音を重ねていることがわかります。

ニジェールのトゥアレグ系ミュージシャンでトゥアレグ・ロックを聞かせるといえば、
ボンビーノが筆頭格でしたけれど、ケル・アスーフが良きライヴァルとなりそうですね。

Kel Assouf "BLACK TENERE" Glitterbeat GBCD068 (2019)
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抑えの美学 エイヨルフ・ダーレ・シーエン・ジャズオーケストラ [北ヨーロッパ]

Scheen Jazzorkester Eyolf Dale.jpg

これまであまり関心を向けてこなかったジャズ・オーケストラの作品が、
がぜん面白く感じられるようになったのは、
ジャズが「アンサンブルの時代」を迎えた象徴でもあるんでしょうね。
マリア・シュナイダー・オーケストラに耳目を集めるようになってだいぶ経ちますけど、
最近では、このノルウェイのジャズ・オーケストラが気に入りました。

エイヨルフ・ダーレというピアニストが率いる、シーエン・ジャズオーケストラ。
シーエンとは、エイヨルフが住むノルウェイ南部の都市で、
ノルウェイ国立音楽大学の准教授でもあるエイヨルフが、
大学のあるオスロまで通勤する退屈な時間を使って作曲したという作品です。
タイトルの『通勤者レポート』とは、そういうわけなんですね。

車窓に広がる冬の空模様が流れ行く様子を、
描写するかのような映像的なオープニングは、
シーエンからオスロへの電車からの眺めでしょうか。
イントロのクラシカルなピアノのタッチから、
北欧ジャズらしいサウンドが横溢しますけれど、
続く2曲目は、オリエンタルな旋律を細かく動かしていくアレンジで、
がらりと雰囲気が変わります。

オリエンタルなメロディばかりでなく、アコーディオンを起用するような音色の選択、
優雅なワルツを取り入れたリズム処理など、
エキゾティックに響く要素をあちこちに散りばめながら、
あくまでもスパイスにとどめた、抑制の利いた作編曲がすばらしいですね。

美しく整ったオーケストレーションで聞かせるクラシカルなトラックもあれば、
幾何学的なラインでアグレッシヴに攻めるトラックもあるという、
バランス感覚のある作曲と、抑えの利いた編曲が豊かな色彩感を生み出し、
音楽に風格をもたらしています。

Scheen Jazzorkester Eyolf Dale "COMMUTER REPORT" Losen LLOS204-2 (2018)
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カセ・マディとズマナ・テレタに捧ぐ バセク・クヤテ&ンゴニ・バ [西アフリカ]

Bassekou Kouyate & Ngoni Ba  MIRI.jpg

カセ・マディが亡くなった今、マンデ音楽の未来は、
この人の肩にかかっているんじゃないでしょうか。

07年に“SEGU BLUE” でデビューしたバセク・クヤテ率いるンゴニ・バは、
4台のンゴニでアンサンブルを組むという、それまでなかった斬新な編成で、
マンデの伝統音楽を見事に現代化してみせました。
あのデビュー作は、フレッシュなアンサンブルが奏でる重厚なサウンドと、
ロックから借用したリックを、ンゴニでさりげなく弾く耳新しさに、
めちゃカンゲキしたことを、いまでもよく覚えていますよ。

その後バセクは、トゥマニ・ジャバテやアビブ・コイテらと活動するかたわら、
アメリカのバンジョー・プレイヤー、ベラ・フレックとのセッションや、
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の本来の企画だった、
アフリカ音楽とキューバ音楽とのセッション『アフロキュービズム』へ参加するなど、
マンデ・ポップの可能性を拡張し続けています。
ポール・マッカートニーやデイモン・アルバーンとの共演で、
国際的にもその名を知られ、西アフリカ音楽を代表する音楽家の一人となりました。

グリッタービートから出した前作では、エレクトリク・ンゴニを前面に打ち出し、
ロック的なビート処理で現代的なサウンドにぐっと寄せた作品となっていましたが、
今回の新作は一転、原点回帰な作風となっています。
サウンドは生音中心で、アンプリファイド以外のエフェクト使用は感じられません。

一聴、「こなれたなあ」という満たされた思いにとらわれましたね。
キューバ音楽を取り入れたノスタルジックな味わいの‘Wele Cuba’も、
ンゴニ・バの音楽性にまったく違和感なく溶け込んでいます。
今回すごくいいのが、味わいを増したバセクの奥方、アミー・サッコの歌。
初々しくもあったデビュー作のフレッシュな歌声から、
徐々に渋みを増して、サビの利いた深みのある声になりましたねえ。
もちろんグリオらしい節回しは、天下一品です。

バセクのプレイでは、インストのタイトル曲で披露する、流麗なソロが聴きどころ。
望郷の念を抱かせるアイロニーに富んだ楽想とともに、グッときちゃいましたよ。
ここぞという場面で、速弾きを過不足なくプレイするところに、円熟を感じさせます。
また‘Wele Ni’ では、ボトルネックを使いンゴニをスライド奏法で弾くという、
これまた初のトライをしていて、ンゴニ奏者として
たゆみなく進化を続けていることがわかります。

デビュー作からゲスト起用され続けてきた、
故カセ・マディ、故ズマナ・テレタの大先輩両名に捧げられた本作、
個人的にはデビュー作と並ぶ愛聴盤となりそうです。

Bassekou Kouyate & Ngoni Ba "MIRI" Out Here OH032 (2018)
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影絵芝居の人形遣いとルークトゥン ノーンディアオ・スワンウェントーン [東南アジア]

Nongdiaw Suwanwenthong  KAMRANGJAI HAI KHONSU VOL.3.jpg   Nongdiaw Suwanwenthong  LOM HAIJAI NAI ROONGPHAK.jpg

ルークトゥンというのは、やっぱりタイ演歌なんだなあと、
エル・スールの原田さんと一緒にYouTube を観ていて、感じ入ってしまいました。
ノーンディアオ・スワンウェントーンという、タイ南部の盲目の歌手なんですが、
その歌声の素晴らしさは、中央のルークトゥン歌手にないディープさがあります。
ディープといってもアクが強いわけではなく、むしろ歌い口はなめらかで、
底に秘めた激情が伝わる、力のある歌い手ですね。

この人のミュージック・ヴィデオではなく、
影絵芝居のナン・タルンの舞台裏を映したヴィデオに、
盲目の人形遣いが複数の人形を操りながら、何人もの登場人物のセリフを使い分け、
場面転換時にはストーリーの説明を吟唱するのがあるんですが、
どうもノーンディアオに、顔がそっくりなんですよね。
ひょっとしてこの人、ナン・タルンの人形遣いから、
歌手に転身した人なんじゃないかなあ。

ちなみに、ナン・タルンの人形遣いのことをナイ・ナンと呼びますが、
エル・スールのサイトのコメントに「影絵芝居 “ナインナン”」とあるのは、
人形遣いのナイ・ナンと影絵芝居のナン・タルンを勘違いしたものと思います。

タイの影絵芝居というと、
アユタヤ朝時代まで起源が遡る、タイ中部のナン・ヤイが有名です。
大きな人形がカンボジアの影絵芝居スバエクとそっくりなのは、
アユタヤ朝がクメール王国を征服した戦利品だったことのあらわれでしょう。
そうしたナン・ヤイとは、南部のナン・タルンは起源が異なり、
17~18世紀にジャワのワヤンの影響を受けて生み出されたものです。
ナン・ヤイの人形より小型で、手足が動くところもワヤンと同じです。

ナン・ヤイが貴族階級の知識人を対象としたのとは対照的に、
ナン・タルンは民衆が生み出した大衆芸能で、
宗教儀礼より娯楽色の強い演目が多いのが特徴です。
民主化運動が盛んになった70年代には、
政治色の強いナン・タルンも多く演じられたそうです。

伴奏の楽団も伝統楽器ばかりでなく、ギターやベース、ドラムスまで使われ、
タイ南部ではVCDがたくさん作られているのも、
庶民の間で息づく芸能の証明といえますね。

ノーンディアオのCDでも、ダブル・リードの縦笛ピーがフィーチャーされていて、
ナン・タルンの伴奏音楽をかろうじて連想させますけれど、
直接ナン・タルンを思わせる部分はありませんね。
サウンド・プロダクションは、ホーンやストリングスもたっぷり使った、
ローカル色のないタイ歌謡の標準スタイルといえます。
イサーン・ルークトゥンのように、
南部のローカルな味わいのルークトゥンがあってもいいのにねえ。
ナン・タルンの音楽を取り入れたルークトゥンも、聴いてみたくなります。

Nongdiaw Suwanwenthong "KAMRANGJAI HAI KHONSU VOL.3" Koy 54 (2011)
Nongdiaw Suwanwenthong "LOM HAIJAI NAI ROONGPHAK" Koy no number (2018)
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オルカディアン・フォーク・カルテット ファラ [ブリテン諸島]

Fara  TIMES FROM TIMES FALL.jpg

ハンナ・ラリティのデビュー作の記事にいただいたコメントで、
山岸伸一さんから教わった、スコットランド、オークニーの女性4人組ファラの新作。
フィドル3人とピアノというユニークな編成のグループで、今作が2作目。

オープニングのポルカ、ジグ、リールの三連メドレーから、もうエキサイティング。
キリリと立ち上る3台のフィドルの響きに、
後ろからピアノがゴンゴンと打楽器の如く押し出していく
若々しいプレイに、ワクワクしちゃいましたよ。
曲はすべて彼女たちのオリジナルですけれど、
どれもオークニーの伝統に沿っていて、知らずに聞けば、伝承曲としか思えませんね。

ソングの可憐なみずみずしさにも、目を見開かされます。
う~ん、若いって、ほんとにいいねえ。
コーラス・ハーモニーも音を重ねて厚みを作るのではなくて、ずらしてレイヤーしたりと、
さりげないんだけど、アレンジに繊細な工夫が施されているのがよくわかります。
ピアノもアクースティックばかりでなく、‘See It All’ ではエレクトリックを使い、
柔らかな音色使いで、心あたたまるサウンドを作り出していますね。

ラスト・トラックは、短編映画を観るかのようなドラマを感じさせるインスト演奏で、
アルバムの聴後感をとても豊かなものにしていて、満足度はもう100%。
作編曲のアイディア、音色の選択、リズム・センスと、
いずれも抜きん出た音楽性を持つこの4人組、すごい才能です。
前作の垢抜けないフォークぽいジャケット・デザインから、
一転ロック・バンドかとみまがうカッコいいジャケットになったのにも、
オルカディアン・フォーク・カルテットとしての気概を感じさせます。

Fara "TIMES FROM TIMES FALL" Fara FARA002 (2018)
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アンゴラのロス・コンパドレス ドム・カエターノ&ゼカ・サー [南部アフリカ]

Dom Cateano & Zeca Sa.jpg

わお! ようやく手に入ったぞ、ドム・カエターノのアルバム。

ドム・カエターノは、アンゴラの内戦時代をサヴァイヴしたヴェテラン・センバ・シンガー。
数多くのバンドを渡り歩いた人ですけれど、もっともよく知られるのは、
アンゴラで初めてエレクトリック・ギターを導入した植民地時代のトップ・バンド、
ジョーヴェンス・ド・プレンダの81年再結成後のフロント・シンガーを務めたこと。
ブダの編集盤“ANGOLA 80s” にも、ジョーヴェンス・ド・プレンダをバックに歌った
86年のシングル曲‘Tia’ が収録されていたし、ジョーヴェンス・ド・プレンダの
ドイツの91年ライヴ盤でも歌っていましたね。

Angola 80  1978-1990.jpg   Os Jovens Do Prenda.jpg

97年になってようやくソロ・デビュー作“ADÃO E EVA” を出し、
その後もアルバムを2枚出したんですけれど、入手困難でとうとう見つからず。
それだけに、このゼカ・サーとの共同名義の新作が届いたのは、嬉しかったなあ。

ドム・カエターノは、アンゴラ政府(MPLA)がキューバとソ連の支援を受けていた70年代、
政府後援の留学生として77年にキューバへ渡っています。
この時、留学生の音楽仲間だったアントニオ・メンデス・デ・カルヴァーリョとともに、
キューバの人気デュオ、ロス・コンパドレスにあやかったデュオ活動を始めたところ、
キューバのアンゴラ人学生コミュニティの間で人気が沸騰。
そこでさらにメンバーを増やしたコンボ・レヴォルシオンを結成し、
キューバで3年間活動します。

その後アンゴラへ帰国すると、ゼカ・サーとともに、
アンゴラ版ロス・コンパドレスを復活させ、
ドムがジョーヴェンス・ド・プレンダに招かれるまで、デュオ活動を続けたのでした。
コンビを組んだゼカ・サーは、ドムが16歳のときに結成したグループ、
セヴン・ボーイズのメンバーで、ドムにとって幼なじみのもっとも古い音楽仲間です。
『35周年メモリアル』という新作のタイトルどおり、35年ぶりに再会した作品なのですね。

ほとんどの曲が二人の共作で、おそらく当時の曲なのでしょう。
二人の曲ではない‘Un Larara’ は、
本家ロス・コンパドレスの‘Hay Un Run Run’ のカヴァーです。
二人の土臭い声がいいんだよあ。
野趣に富んだこの滋味深さは、ヴェテランにしか出せない味わいですよ。

グァラーチャ、ソンゴ、ボレーロといったキューバのスタイルに、
センバをミックスしたサウンドも、たまりません。
ディカンザが刻む軽快なリズムや、メレンゲでタンボーラが叩くのと同じ
ト・ト・ト・トというリズムにのせて奏でられるアコーディオンに、
センバらしさがよく表われています。
ほっこりとしたラテン調センバは、キゾンバとはまたセンスの違ったサウンドで、
得難い味があります。

Dom Caetano & Zeca Sá "MEMÓRIAS 35 ANOS" Xikote Produções no number (2018)
v.a. "ANGOLA 80’S 1978-1990" Buda Musique 82994-2
Orquestra Os Jovens Do Prenda "BERLIN FESTA!" Piranha PIR40-2 (1991)
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スーダニーズ・ファンク・バンドの名盤復活 ザ・スコーピオンズ&サリフ・アブ・バクル [東アフリカ]

The Scorpions & Saif Abu Bakr.jpg

ハビービ・ファンクは、ドイツのヒップ・ホップ・レーベル、
ジャカルタのサブ・レーベルとして、15年にスタートした復刻専門レーベル。
アラブ/北アフリカの70年代レア・グルーヴをリイシューするという、
これまで誰も目を向けなかった秘境にスポットを当てています。

カタログには、モロッコのファンクやら、アルジェリアの電子音楽など、
好奇心をくすぐるタイトルが並んでいるんですけれど、
聴いてみると、どれもC級D級クラスの作品ばかりで、アテが外れます。
う~ん、もっと面白い音源があるような気はするんですけれどねえ。

「スーダンのジェイムズ・ブラウン」と称されるカマル・ケイラにも、がっかり。
曲にスーダンらしさはまるでなく、バンドの演奏もお粗末な限りで、
チューニングの甘いギターにイライラされっぱなし。
CD1枚聴き通すのは、相当苦痛でした。
やっぱダメだ、このレーベル、と見限ろうとしてたところ、
9作目にして、ようやくリイシューする価値ありの逸品が登場しましたよ。

それがスーダンのバンド、ザ・スコーピオンズ。
彼らが80年にゆいいつ残したレコード、クウェートのブザイドフォン盤を
ストレート・リイシューしたものです。
オークションで1000ドル超えして、マニアの間で話題となっていたレコードですね。
16年にブートレグLPがイタリアで作られましたけど(落札者の仕業?)、
今回は権利者とギャランティ契約も結んだ正規リイシュー。
じっさい音を聴いて、なるほどウワサにたがわぬ逸品だということがわかりました。

The Scorpions eBay.jpg

ムハンマド・ワルディやアブデル・カリム・エル・カブリのスーダン歌謡とは
世代の違いを感じさせる、ファンク・バンド・サウンドが痛快です。
それでいて楽曲は、5音音階のスーダン特有のメロディなんだから、
北米ソウルのヘタクソなコピーにすぎないカマル・ケイラとは、雲泥の差。
サリフ・アブ・バクルのヴォーカルもソウルフルだし、バンドのグルーヴも一級品です。

スコーピオンズは、ライナーの解説によると、
アメリカン・スクールに通っていたアル・タイブ・ラベーが、
ロックンロールに感化されて当時のスーダンとしては珍しいギターを始め、
トランペッターのアメル・ナセルとボンゴのアル・トムとともに始めたバンドとのこと。
ライナーには、60年結成という記述と、65年に3人で初セッションしたという記述が
混在していますけれど、いずれにせよ60年代に始まった学生バンドが、
洋楽ポップスに影響を受けた先達のシャーハビル・アフメドを範として成長し、
70年代に活躍したバンドなのですね。

バンド結成当初のスーダンでは楽器の輸入が難しく、ドラムスを手作りしたことや、
アメル・ナセルが、ルイ・アームストロングとの出会いによって、
クラリネットからトランペットへ持ち替え、猛練習の末に
スーダンのトップ・クラスのプレイヤーとなったことなど、
ライナーからは、当時のスーダンの若者の奮闘ぶりがうかがえます。

シャーハビルのバンドに対抗する演奏力をつけるため、
エチオピアのハイレ・セラシエ1世皇帝劇場オーケストラの
サックス奏者ゲタ・ショウアから、指南を受けたこともあるそうです。
やがて、シャーハビルのレパートリーのコピーで、
スコーピオンズが人気を得るようになると、
本家本元が怒って裁判沙汰となり、
コピー演奏を禁じられる判決が下るという事件も起きたのだとか。

その後アル・タイブ・ラベーは70年代にバンドを脱退し、
新たにヨルダン出身のオルガン奏者や
コンゴ民主共和国出身のベーシストを迎え、スーダン国内ばかりでなく、
レバノン、クウェート、チャド、ナイジェリアへもツアーをして名声を高めます。
なかでもクウェートとは、ラジオ出演や、
カジノと1年間の専属契約を結ぶなど関係が深く、
彼らのゆいいつのレコードが80年に残されたのですね。

The Scorpions & Saif Abu Bakr "JAZZ, JAZZ, JAZZ" Habibi Funk HABIBI009
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アンゴラ内戦時代のサヴァイヴァー ロベルチーニョ [南部アフリカ]

Robertinho  YOSSO IXALA.jpg

アンゴラ独立後のクーデター事件によって粛清の犠牲となった、
ダヴィッド・ゼー、アルトゥール・ヌネス、ウルバーノ・デ・カストロの後進歌手として、
80年代の内戦の時代に活動していたロベルチーニョ。

その後、ソ連崩壊による冷戦終結によって、
アンゴラで敵対し合っていた二大勢力が包括和平協定に調印し、
91年にアンゴラに束の間の平和が訪れ、
ようやくロベルチーニョはソロ・デビューLP“JOANA” を出します。
さらに93年にはセカンドLP“SAMBA SAMBA” を出すも、
資源戦争へと様相を変えた戦闘がまたも勃発、
歌手活動を停止せざるを得なくなったといいます。

16年になって、23年ぶりにリリースされた3作目は、
90年に出した2作のレパートリーを再演したアルバムとなっています。
念願の復帰に奮い立ったのか、ヴェテランの歌声というよりは、
ハイ・トーン・ヴォイスのハツラツとした歌いっぷりが印象的で、
90年代のLPを聴いたことはありませんが、
それを凌ぐ出来になったんじゃないですかね。

Angola 80  1978-1990.jpg

ロベルチーニョは78年に初シングルを出していて、
自身最大のヒット曲となった88年の‘Sanguito’(ファンク・センバ!)は、
ブダの名編集盤“ANGOLA 80’S 1978-1990” でも聴くことができますけれど、
この時と歌声がぜんぜん変わっていません。

R&Bやヒップ・ホップを通過した、新世代のキレのいいセンバとは違う
朴訥とした味わいこそ、内戦時代のサヴァイヴァーならではでしょう。
洗練ばかりが美点じゃないよ、と教えられるかのよう。

これで順調に現役復帰かと思いきや、なんとその後逮捕され、現在係争中。
なんでも新作をひっさげて、17年にブラジルへツアーをして帰国したところ、
ブラジルの空港で見知らぬ人物から預かった2つのスーツケースから
コカイン9キロが発見され、昨年5月に逮捕されてしまったんだとか。
本人は関与を否定していますが、9月に起訴され、
その後の報道がありません。どうなったんだろう。

Robertinho "YOSSO IXALA" Xikote Produções no number (2016)
V.A. "ANGOLA 80’S 1978-1990" Buda Musique 82994-2
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ゴキゲンななめの謎ジャケ フィエル・ディディ [南部アフリカ]

Fiel Didi  NOSSA SENHORA DA MUXIMA.jpg   Fiel Didi  EM DEFESA DO SEMBA.jpg

うわははは、なんだこのブッちょうずら。
11年に“COISAS DE PAIXÃO” で遅咲きの歌手デビューを果たした、
アンゴラのセンバ・シンガー、フィエル・ディディの3作目。

13年の2作目“EM DEFESA DO SEMBA” を、
3年前のミュージック・マガジン誌に紹介記事を書いたものの、
その時は日本に入荷せず、今回ようやく新作と一緒に入荷したんですけれど、
その新作のジャケット写真の不機嫌なことといったら。
いったい撮影時に何があったんでしょうね。

中身の方は、そんなジャケ写を忘れる、明るい表情のセンバがたーっぷり。
この人のセンバは、哀愁味があまり表に出てこなくて、人懐っこいんですよ。
ここ数年、若手による新世代のセンバばかり聴いていた気がしますけど、
こういうオールド・スクールなセンバには、ほっこりしますねえ。

フィエル・ディディはもともと歌手ではなく、政治家だったという異色の人。
青少年スポーツ大臣やルアンダ州副知事などを歴任し、
その後ホテル経営や観光業を営む実業家へと転身したアンゴラ政財界の大物です。
ジャケット裏には湖畔のコテージみたいな建物が写っていますけど、
これもフィエルが経営しているホテルなのかな?
それにしてもヒドいピンボケ写真で、
ジャケットを制作したデザイナー、なんか悪意でもあったのか。

レパートリーは、アルトゥール・ヌネスやウルバーノ・デ・カストロなど、
70年代センバの曲が中心。タイトル曲も、ヴェテラン・シンガー・ソングライター、
エリアス・ディアー・キムエゾの曲です。
ディカンザ(スクレイパー)をシャカシャカと刻むリズムに、
アコーディオンの涼風のような響きが、オールド・センバの味をよく伝えていますよ。
サウンド・プロダクションもキゾンバのような洗練されたコンテンポラリーではなく、
ほどよいチープさを残しているところがいいんだなあ。
フィエルのざっくばらんとした、あけっぴろげな歌い方も、
実に庶民的というか、いい雰囲気で、聴いているだけで、しぜんに笑みがこぼれます。

Fiel Didi "NOSSA SENHORA DA MUXIMA" Xikote Produções no number (2018)
Fiel Didi "EM DEFESA DO SEMBA" Xikote Produções no number (2013)
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南ア・ディープ・ハウスの傑作 シミー [南部アフリカ]

Simmy  TUGELA FAIRY.jpg

もう1人の南ア新人は、シミーことシンフィウェ・ンホラングレラ。
出身はムリンド・ザ・ヴォーカリストと同じクワズールー=ナタール州で、
より内陸部のツゲラ・フェリー。齢も24と、ムリンド・ザ・ヴォーカリストと1つ違い。
出身も年齢も近い2人ですけど、音楽性は違って、シミーの方はディープ・ハウスです。
クワイトが再び盛り上がってきたのにつられて、ハウスも盛り上がっているんでしょうか。
南アは、昔からハウスが人気ありますよね。

13年、クワズールー=ナタル大学で社会工学を学んでいたシミーは、
ハウス・プロデューサーのサン=エル・ミュージシャンと出会い、
共演を求められたといいます。
その時は学位取得を優先して断ったそうですが、卒業後にジョハネスバーグに向かい、
サン=エル・ミュージシャンのもとで活動してきたとのこと。
デビュー作もサン=エル・ミュージシャンのプロデュースで、
彼のレーベルからリリースされました。
「KARAOKE QUEEN」と胸に書かれたTシャツを着ている、
バック・インレイの写真には笑ってしまいました。

選び抜かれた鍵盤の音色、デリケイトにプログラミングされたビート、
身体がふわりと軽くなる浮遊感のあるサウンドは、ネオ・ソウルとも親和性があり、
重みのあるボトムのビートが、濃密な空間を生み出します。
シミーの歌いぶりは、ハウス・トラックのフィーチャリング・ヴォーカリストそのもの。
ヴォーカルが自己主張するのではなく、
サウンドやコーラスに自分のヴォイスを溶け合わせることに、心を砕いています。

ダンスフロア向けでない、リヴィング・ルームで聴くためのディープ・ハウス。
クワイトが盛り上がったゼロ年代前半に、南ア産ハウスもけっこう聴いたんですけれど、
これほどのクオリティのアルバムには出会えませんでした。
ビートメイクのセンスなんて、US/EU産ディープ・ハウスを凌いでるんじゃないですかね。

あと、終盤に1曲(‘Lashona Ilanga’)だけ、
南アらしいゴスペル・フィールなトラックがあるのは意外性満点で、聴きものです。
南ア・ディープ・ハウスの傑作、しばらく手放せそうにありません。

Simmy "TUGELA FAIRY" El World Music CDCOL8342 (2018)
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王道の南ア・ポップ新人 ムリンド・ザ・ヴォーカリスト [南部アフリカ]

Mlindo The Vocalist  EMAKHAYA.jpg

南アから、男女若手2人それぞれのデビュー作が届きました。

まずはじめは、クワズールー=ナタール州南岸、ポート・シェプストーン出身という、
ムリンド・ザ・ヴォーカリストことリンドクレ・マジェデジ。
若干23歳の新人で、ヒット・メイカーのDJマフォリサにインターネットで見出され、
一躍ブレイクしたというアフロポップのシンガーです。

そのデビュー作から溢れ出す、
南アらしいオーセンティックな味わいをもった歌い口に、
グイグイ引き込まれてしまいました。
どっしりとしたスロー中心で迫り、ダンス・ナンバーのアップ曲はまったくなし。
じっくりと歌う落ち着いた歌いぶりにも、びっくりさせられました。

え? この人、まだ23歳なんだよね?と思わず確かめなくなるほど、
若さに似合わない、風格のある歌を歌える人で、
じわじわと聴く者の胸に、狂おしさを沁み込ませていくあたり、力量を感じさせます。
終盤の‘Lengoma’ を初めて聴いた時は、思わずもらい泣きしてしまったほど。
胸に沁みる、いい曲です。
歌詞はわかりませんが、鎮魂の祈りを強烈に感じさせる曲です。

「アパルトヘイト」を知らないポスト・アパルトヘイト世代の音楽家が増えるなか、
ムリンドは母親や叔父の体験を通して、アパルトヘイト時代の苦闘から
多くのインスピレーションを得ているというので、
そういう思いが、きっと歌に込められているんでしょう。
共演を願うアーティストとして、オリヴァー・ムトゥクジの名をあげるなんて、
嬉しい若者じゃないですか。そのコメントだけで、この人の音楽性ばかりでなく、
人間性が伝わってくるようです。

クワイトやヒップ・ホップR&Bを消化したコンテンポラリー・サウンドは、
グローバル・ポップとして通用するハイ・クオリティなプロダクションが施されていて、
南ア・アフロポップの進化を実感させます。
アップデイトされた現代のプロダクションにのせて、
南アらしいメロディと歌い口で王道のポップスを歌うムリンド。
ザ・ヴォーカリストの芸名は伊達じゃありませんよ。

Mlindo The Vocalist "EMAKHAYA" Sony Music CDSAR019 (2018)
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セネガル文化再発見の旅 クンバ・ガウロ [西アフリカ]

Coumba Gawlo  TERROU WAAR.jpg

セネガルを代表する女性歌手、クンバ・ガウロの3年ぶりの新作。
昨年暮れの12月7日に、現地セネガルでCDとUSB(!)のフォーマットで
リリースされたんですが、これは力作ですねえ。
セネガルの多様な民族、各地方の文化遺産を掘り下げて歌うという企画に加え、
2月24日に予定されている大統領選挙に向け、
セネガル社会の団結と平和への願いを込めたアルバムとなっています。

こういう企画なら、元文化観光大臣のユッスー・ンドゥールこそやるべきじゃない?
と思うところですけれど、近年、ユニセフやUNDP(国連開発計画)など、
さまざまな国連機関の活動に積極的に参画してきた、クンバらしい仕事ともいえます。
ぼくがクンバの慈善活動に共感するのは、
2010年のハイチ地震の時、クンバがアフリカの音楽家で、
真っ先に支援の手を差し伸べたことを、よく覚えているからです。

2010年1月12日、ハイチの首都ポルトープランスを襲った地震によって、
大統領府や国会議事堂が倒壊し、死者31万6千人に及ぶ
未曾有の大災害となったことは、みなさんも覚えていますよね。
クンバはこの時、苦しむハイチの人々のために、
アフリカが何もコミットしようとしないことに苛立ちを覚え、
3月に“Africa for Haiti” の旗印をあげ、
プロジェクト・コーディネイターを引き受けました。

クンバは、ロクア・カンザにハイチ救援ソングの作曲を依頼し、
アフリカ中の音楽家に声をかけ
ウム・サンガレ、セクーバ・バンビーノ、パパ・ウェンバ、アルファ・ブロンディ、
ユッスー・ンドゥール、オマール・ペン、バーバ・マール、アイチャ・コネ、
イドリッサ・ジョップ、イスマエル・ローを集め、レコーディングを実現しました。
その後、大規模なチャリティ・コンサートをダカールで敢行しています。

この時にクンバが取った行動は、クインシー・ジョーンズとライオネル・リッチーによる
“We Are The World 25 Years for Haiti” のレコーディングよりも、
はるかに大きな意義のあるものと、ぼくの目には映りました。
クンバのプロジェクトは、日本ではニュースにすらなりませんでしたが、
クンバの志は、ぼくの胸にしかと刻みこまれたのですよ。

そんなぼくが信頼を置くクンバの新作のテーマは、「セネガル文化再発見の旅」。
セネガルを代表するスター歌手としての、
強烈な自覚があってこそ作り上げられた作品といえます。
クンバ出自のプールだけでなく、ウォロフ、セレール、バンバラ、ジョラなど、
セネガルのさまざまな民族に由来する曲を取り上げ、
曲中に特徴的なダンス・リズムを差し挟みながら、
セネガル音楽のカラフルな魅力を浮き彫りにしています。

ホーン・セクションやパーカッション・アンサンブルが炸裂する
ンバラ・マナーなトラックもあるものの、
コラ、ハラム、リティ、バラフォン、ウードをフィーチャーした、
セネガルの民俗色を打ち出したサウンドづくりが聴きものです。
もちろんプールの曲では、濁った音色とひび割れた響きが特徴のプールの笛が奏でられ、
グリオ育ちのクンバの歌声を、グッと引き立てていますよ。

作曲家、脚本家、詩人、画家と多方面に活躍し、17年に亡くなった父親の
レイ・バンバ・セックに捧げたレクイエムもあれば、
サッカーのアフリカ・カップのアンセムとなった、
高揚感溢れるハッピー・チューンもあり。
全曲生音・人力演奏のなか、ファーダ・フレディと共作したこの曲のみ、
打ち込み使いとなっていて、プロダクションはダーラ・J・ファミリーが担当し、
ボーナス・トラックとしてアルバム・ラストに収録されています。

アフリカのスター歌手という立場で、社会的な責任も引き受け、
それを担おうとする意気込みに、ぼくはクンバの人間性を感じてきましたけれど、
今回の新作ほどその姿勢をはっきり打ち出した作品はありません。
2年前に来日公演が計画されたものの、直前になって頓挫してしまいましたが、
ぜひ今年こそ実現してほしいものです。

Coumba Gawlo "TERROU WAAR" Sabar no number (2018)
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アフリカン・クロスオーヴァー・エキゾティカ オニパ [ブリテン諸島]

Onipa  OPEN MY EYES.jpg

エスニック雑貨屋なんかでよく売ってる、似非アフリカンな仮面。
アフリカ現地の土産物屋に並んでいるコピー商品なら、まだマシな方で、
インドネシアのバリ島あたりで作っているフェイクものをよく目にします。
アフリカの仮面もオセアニアの仮面も見分けがつかない人なら、
なんとも思わないんでしょうけれど、プリミティヴ・アートを愛する者には、
そのあまりなガラクタぶりに、目をそむけずにはおられません。

インチキな匂いがぷんぷん漂うジャケ画に、そんなことを思いながら、
まったく期待せずに聴いてみたんですが、あらららら。
意外にもオモロイどころか、ゴキゲンじゃないですか。
バッタもんの面白さを超越した、アフリカン・ダンス・ミュージックです。

コノノを思わすアンプリファイド・リケンベをフィーチャーした1曲目、
スークース・ギターが活躍するアフロ・ディスコの2曲目、
ヘヴィーなシンセ・ベースに、
コラやカルカベが絡み合うトラックをバックにラップする3曲目、
シャンガーン・エレクトロをパクった4曲目と、
アフリカのトライバルなダンス・ビートを縦横無尽にクロスオーヴァーするオニパは、
イギリス白人ギタリストとガーナ人シンガーのデュオ。

ギタリストのトム・エクセルは、サウンドウェイやトゥルー・ソーツなどのレーベルで、
プロデューサー兼エンジニアとして活躍してきた人で、
なるほどそういうキャリアの人なら、思いつきそうなアイディアですね。
そして歌っているのが、コンゴ人でもなけりゃ、
シャンガーンやツォンガでもないガーナ人で、
アカン語で歌っているっていうんだから、笑っちゃいます。フェイクやん!

アルバムはさきほどの4曲に、
ハウス、ガラージュ、エレクトロニカのリミックス・ヴァージョン3トラックを加えたもの。
クラブでかけたら大ウケしそうな、理屈抜きに楽しめるダンス・アルバムです。
レス・バクスター、マーティン・デニー、アーサー・ライマンのセンスで、
クラブ・ミュージックを通過させた
アフリカン・クロスオーヴァー・エキゾティカでしょうか。

Onipa "OPEN MY EYES" Wormfood MWF005 (2018)
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