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マラウィ北部のゲットー・ミュージック トンガ・ボーイズ [南部アフリカ]

Tonga Boys  TIRI BWINO.jpg   Tonga Boys  VINDODO.jpg

トンガ・ボーイズも、ピョートル・チチョッキの制作だったのかあ。
今回日本に入荷したジップロック・バッグ入りのCDを見て、
ああ、あのグループかと、すぐにピンときました。

以前、マラウィ帰りの方からいただいたCDで、
同じジップロックのバッグに入ったものがあったんですけど、
棚から取り出してみれば、やっぱり同じトンガ・ボーイズ。
袋の裏を見ると、録音・ミックスにピョートル・チチョッキの名が書かれていました。

トンガ・ボーイズのバンドキャンプのページを見にいったところ、
ぼくがもらったCDは17年に出たもので、現在はダウンロード販売のみになっています。
18年の新作はジップロック・バッグ入りCDで売られていて、
それが日本にも入ってきたんですね。

トンガ・ボーイズは、マラウィ北部の都市ムズズのスラムで活動するグループで、
故郷のンカタ灣からムズズにやってきて、日に1ドルを稼ぐのがやっとの、
経済的にギリギリの生活を送っている若者グループです。
プラスチック製のバケツ、シャベル、砂利を入れた缶、
木の板に針金を張って作ったギターなど、手近なもので作られた楽器を使いながら、
シンプルなコール・アンド・レスポンスの曲を歌います。

スラムにある彼らの自宅でレコーディングされた音楽は、素朴そのもの。
曲はすべて4分の4拍子で、リズムもとりたてて複雑ではありませんが、
ツバが飛んでくるような活気溢れる歌いぶりが、聞かせるんですね。
ヒップ・ホップ世代を思わせるビート感覚に、民俗音楽とは異質の手ごたえを感じます。
グループ名が示すとおり、トンガ人の音楽伝統にスラムの生活感覚が混入した、
都市のフォークロアを照射しているのが、彼らの強みでしょう。
ピョートル・チチョッキがビートを強化した、控えめなエレクトロも効果を上げています。

そして、今回の新作は、基本的に1作目と変わらないものの、
メンバーからもっと音を追加して欲しいという要望が出たようで、
チチョッキが前作よりもエレクトロを大幅に施した曲もあります。
その一方、いっさいオーヴァーダブを避けて、彼らのコール・アンド・レスポンスのみで
仕上げたトラックもあり、チチョッキは彼らの粗野なエネルギーを減じないよう、
細心の注意を払ったことがうかがえます。

トランシーな反復によるプリミティヴな音楽に、
スラムのなまなましいリアリティをドキュメントした2作です。

Tonga Boys "TIRI BWINO" 1000HZ no number (2017)
Tonga Boys "VINDODO" 1000HZ no number (2018)
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アフリカン・エレクトロ・リディム ブラックフェイス・ファミリー [南部アフリカ]

BlackFace Family  AFRICAN DRUMS.jpg

前回の記事で触れたピョートル・チチョッキは、
ワルシャワ大学民族学・文化人類学研究所の助教授で、
人類学者としての研究とともに、調査対象のマラウイ、タンザニア、ルワンダの
音楽プロデューサーとしても活動し、1000Hz というレーベルを主宰しています。

ローカルで相対的な視点を置く人類学と、普遍的な基準を探る音楽プロデュースという
両極の間を揺れ動きながら、共通点を見出したり、時にはその両極をナヴイゲートする、
独自の作業方法を模索していると、チチョッキはインタヴューで語っています。
そのインタヴューを読んで思い浮かべたのは、
カメルーンでバカ・ピグミーとヒップ・ホップの研究をされている矢野原佑史さんのお仕事。
二人のアプローチには共通するものがあり、
文化人類学の研究にも新しいディメンションがやってきていることを感じます。

前回のドクター・カヌスカ・グループによるヴィンブザは、
チチョッキの人類学のフィールド・ワークの成果だったわけですけれど、
今回のブラックフェイス・ファミリーは、音楽プロデューサーとしての仕事ですね。
チチョッキが調査地のマラウィで数か月暮らしていたときに
仲良くなったミュージシャンから手渡された自作CDが、制作のきっかけとなったそうです。

ブラックフェイス・ファミリーは、マラウィ北部の都市ムズズのヒップ・ホップ・チーム。
プロデューサーでクリエイターのツイッギーと、二人の弟スパロウ、ジャー・フェイスに、
幼なじみのシンガー、クリティックを加えた4人組で、公用語のチェワ語と、
北部で広く使われるトゥンブーカ語に英語を使ってラップします。

クカニンギナコ(「カニンギナ山から来た」の意)と称する彼らのスタイルは、
ヒップ・ホップ、ダンスホール、レゲトン、アフロビーツ、クワイト、ハウスなど、
若者受けする流行のサウンドから、イイとこ取りしたもの。
地元ムズズのクラブで開かれるディスコ・パーティでは、
彼らのmp3 が最高の人気だといいます。
アッパーでキャッチーな曲が多いことからも、それがわかりますね。

彼らのスタジオにちょくちょく出入りしていたチチョッキが、
ムズズを離れるさい、ツイッギーとジャー・フェイスからプレゼントされたCDをベースに、
あらためてブラックフェイス・ファミリーの過去3年間のシングルから選曲し直し、
リマスターして作ったといいます。
CDのスリム・ケースにデザインされたシールを貼り付けた仕様は、
ヴェトナム系ポーランド人デザイナー、トゥイ・ドゥオン・ダンの手によるもの。

時代遅れのソフトウェアが入ったラップトップに、
古いマイクが1本とモニターだけという粗末な設備で作られたものながら、
このグルーヴはどうです!
複雑なシンコペーションを組み込んで、
ダンサナブルなリズムを打ち出すビート・メイキングと、キャッチーな楽曲は、
ローテクな機材をものともしない、センスの塊を感じさせます。

聴き始めこそ、サウンドのチープな響きに失笑したものの、
聴き進むほどに、多彩なグルーヴの渦に腰は浮き立ち、
キレのあるラップに、すっかり夢中にさせられてしまいます。
なんだか、カシオトーンから生み出されたスレンテンを連想せずにはおれない、
アフリカン・エレクトロ・リディムじゃありませんか。

BlackFace Family "AFRICAN DRUMS" 1000HZ no number (2018)
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マラウィ北部のヒーリング・ダンス ドクター・カヌスカ・グループ [南部アフリカ]

Doctor Kanuska Group.jpg

ポーランドの人類学者ピョートル・チチョッキが、
マラウィ北部に暮らすトゥンブカ人の民間療法である
憑依儀礼のヒーリング・ダンス、ヴィンブザをフィールド・レコーディングしたアルバム。
マラウィ北部州ムジンバ県の中心地ムジンバで、
19年の5月から9月にかけて録音されたもので、
チチョッキが主宰するレーベル、1000Hz からリリースされました。

ヴィンブザを執り行うカヌスカ・グループは、3台の太鼓(ンゴマ)がリズムを主導し、
踊り手のベルトに付けられた金属やブリキ缶で作ったガラガラ、
それに手拍子がポリリズミックに装飾して、うねるような大きなグルーヴを生み出します。
コール・アンド・レスポンスする合唱とンゴマのリズムが
いっそう激しさを増すところなど、精霊が踊り手に憑依した瞬間なのでしょう。
そんなヴィヴィッドな様子がサウンドから、びんびん伝わってきます。

ンゴマの響きにノイジーなサワリ音がまじっているのは、
コンゴ、ルバ人のビビり太鼓、ディトゥンバと同じ、
ノイズ発生装置が付いているからかもしれません。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-12-12

ヴィンブザは、キリスト教を信仰する地元住民から悪魔的な邪教として扱われ、
忌み嫌われています。昔ながらの恥ずべき遺物で、悪魔祓いの対象にすら
なっているのですが、その一方で、キリスト教会の牧師が、夜になると人目を忍んで、
ヴィンブザが行なわれる小屋に、薬を求めてやってくることもあるそう。
こうしたアンビヴァレントが存在する一方、ヴィンブザは、
ユネスコの世界遺産に民間医療の項目で登録されてもいます。

治療師のドクター・カヌスカは、ムジンバ北部の山村で尊敬される存在だそうで、
婦人病の治療を専門に、産科病院の建設も計画しているそうです、
カヌスカのグループは、彼女の5人の子供のうちのゆいいつの生き残りのトーマスに、
孤児となった甥のマクレインがンゴマを叩いていて、
カヌスカの患者やその家族などが参加して、
カトコレ村のチパンガノ教会の聖歌隊がサポートしています。

トランシーなリズムとキャッチーなメロディという取り合わせは、
存外に親しみやすさがあって、これは、ひと晩中続く儀式のなかから、
音楽的な聴きどころをキュレーションした、チチョッキの手柄といえそうです。
ヴードゥー、サンテリーア、カンドンブレなどの音楽に特に親しんでいない人でも、
太鼓音楽好きなら、ソッコーとりこになることウケアイのアルバムです。

Doctor Kanuska Group "MUTENDE MIZIMU" 1000HZ CD011 (2020)
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アダルト・オリエンテッド・キゾンバ C4・ペドロ [南部アフリカ]

C4 Pedro The Gentleman.jpg

「キング・オヴ・キゾンバ」の異名をとるC4・ペドロの4作目となる新作。
コワモテのルックスに、ヒップ・ホップ色の強いヤンチャなシンガーとばかり
思い込んでいたんですが、あれ? こんな味のあるいいシンガーだったのか!
新作は『紳士』のタイトルどおり、オレも分別のつくオトナになったとでも言いたげな、
アダルト・オリエンテッドな歌を聞かせてくれます。

C4・ペドロことペドロ・エンリケ・リスボア・サントスは、83年ルアンダ生まれ。
父親が歌手の音楽一家に生まれ、ベルギーで生活していた時代に
弟のリル・サイントとコンビで活動をする一方、
07年にベルギーでデビュー作を出します。
その2年後、弟のリルとともにアンゴラへ帰国して故国でもデビュー作を発売し、
10年に新人賞とベスト・バラード賞のダブル受賞を獲得。
その後も毎年数々の音楽賞を受賞し、
キング・オヴ・キゾンバの名をほしいままとしました。

そのC4・ペドロの新作は、キゾンバのスター・シンガーらしく、
国内外から大勢のゲストを招いています。
まずアンゴラ国内では、同じキゾンバ・シンガーのアンセルモ・ラルフ。
国外から、カーボ・ヴェルデ系ポルトガル人のディノ・ディサンティアゴ、
ナイジェリアのミスター・イージーに、ブラジルのラッパー、MC・ズカ、
フランス生まれのポルトガル人シンガー、ダヴィッド・カレイラ、
ポルトガルのダンスホール・デュオ、スパ・スカッドの片割れ、
ミスター・マーリーの名前が並びます。

今作は泣かせる楽曲が満載。
いかつい顔つきに似合わぬビター・スウィートな歌声、
スムースな歌い口から溢れ出る男っぷりは、
アンゴラ女性のハートを捕まえて離さないだろうなあ。

ディノ・ディサンティアゴをフィーチャーしたソダーデ感溢れる‘Nha Rainha’ や、
ギターラとピアノに弦オーケストラをフィーチャーした、
哀歓たっぷりの‘Vou Ter Saudade’ など、まさに大人の魅力が溢れていますよ。
ラストだけ、バッキバキのトラップの‘Bang Bang’ を置いて、
その後のシークレット・トラックに泣きの曲で締めくくったところも、ニクい構成。

ところで、ジャケット裏のクレジットの最後に、
小さく「やめろ」とひらがなで書かれていて、なんだソリャと思ったら、
デザイナーの名前が Yamero Djuric。
プート・ポルトゥゲースの新作をデザインした「侍」といい、
アンゴラ人デザイナーの間では、日本語がブームになってるんですかね。

C4 Pedro "THE GENTLEMAN" BLS Prod./Sony Music no number (2019)
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絶好調! センバ/キゾンバ新世代旗手 プート・ポルトゥゲース [南部アフリカ]

Puto Português  ALMA.jpg   Puto Português  ORIGENS.jpg

10年のデビュー作以来、3年おきにアルバムを出しているプート・ポルトゥゲース。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-10-23

リル・サイントやマティアス・ダマジオが参加した、
16年の前作“ORIGENS” を取り上げそびれてしまいましたが、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-06-03
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-11-24
4作目となる今作でも、マティアス・ダマジオの曲を3曲(1曲はプートとの共作)
取り上げていますね。

前作は、ストリート感たっぷりのルンバがオープニングでしたけれど、
今回はたおやかな弦楽セクションが導く、ボレーロ・ライクな
スローなセンバの‘Amigo’で、オトナっぽくスタート。涼し気なアコーディオン
(ライナーには「サンフォーナ」とクレジット)をフィーチャーして、
ドラムス抜きでディカンザとコンガがリズムを刻み、アダルトなムードを醸し出しています。

1曲置いて、3曲目の‘Se Um Dia’ は高速のセンバ。
スローな1曲目とは一転、この対比はうまい演出ですねえ。
終盤のルンバのセベンのようなギター・ソロのパートも、また聴きどころ。
前作でも大勢のプロデューサーを起用していましたけれど、
今作も1曲ごとプロダクションを違えるという、じっくりと手をかけた制作ぶりで、
アルバム発表が3年インターヴァルとなるのも、うなずけます。

アルバム全体を通すと、センバよりキゾンバの曲が多いですけれど、
人力演奏重視の姿勢は、デビュー作から一貫していますね。
クドゥロから転向した音楽家ゆえの、こだわりでしょうか。
生演奏のテクスチャーを前面に押し出して、打ち込みとのバランスもいい塩梅。
打ち込みのみのプロダクションは、アリィがゲスト参加したラスト・トラック1曲だけです。
プートの歌いっぷりも幅が広がり、絶好調なのがよく伝わってきます。

新作ジャケットのシブい赤の色使いもいいなあ。サムライという人のデザインとのことで、
脇に「侍」と漢字で書かれていて、どうやら日本びいきのデザイナーさんのようです。

Puto Português "ALMA" LS & Republicano no number (2019)
Puto Português "ORIGENS" LS & Republicano no number (2016)
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解放を目前とした南ア黒人の輝き ジョナス・グワングワ [南部アフリカ]

Jonas Gwangwa  FLOWERS OF THE NATION  1993.jpg   Jonas Gwangwa Flowers of The Nation 2001.jpg

南ア・ジャズを代表するトロンボーン奏者ジョナス・グワングワの初めて見るCD。
こりゃあ珍しいと、ロクにタイトルも確かめずにオーダーしてみたら、
届いてびっくり。なんと『ポップ・アフリカ800』にも載せた、
“FLOWERS OF THE NATION” と同内容のアルバムじゃないですか。

えぇ? これがオリジナルだったの!?
びっくりしてバック・インレイを確かめてみると、1993年と書かれてある。
『ポップ・アフリカ800』に載せたソニー盤は2001年作で、
じゃあ、こっちは再発盤だったのか!

あわてて調べてみたところ、オリジナルはさらに前の90年に
アフリカン・エコーズという会社から出たLPで、
3年後に‘Batsumi’ ‘Time Up’ の2曲を追加して、
曲順を変えてCD化したのが本CDだということが判明。
CD表紙は、オリジナルLPと違ったものになっています。
01年に出たソニー盤は、本CDにさらにボーナス・トラックとして
‘Diphororo’ のヴォーカル・ミックスを追加して再発されたものだったんですね。

うわー、知らなかったあ。
おかげで、あらためてこのアルバムの魅力の理由が、フに落ちましたよ。
翌02年に出た“SOUNDS FROM EXILE” が、
かなり洗練されたフュージョン・タッチのサウンドだったので、
“FLOWERS OF THE NATION” とのサウンドの違いが不思議でならなかったんです。

10年も前のリリースなら、サウンドが違うのも当然の話で、
なにより本作に充満している、ハンパない熱量の理由が、
90年作と聞けば、するっと了解できようというものです。
なんたって、90年といえば、アパルトヘイト関連法の廃止が目前となり、
2月にはネルソン・マンデーラが釈放されるという、
長年の悲願がついに叶えられた時期ですからね。

まさに南ア黒人たちの自由と解放が、すぐ手の届くところまで迫った時で、
“FLOWERS OF THE NATION” の歓喜に満ち溢れたサウンドは、
まさにそういう時期だからこそ生み出されたものだったんですね。

60年代から亡命生活を送っていたジョナス・グワングワは、
「アマンドラ」の音楽監督を務め、映画「クライ・フリーダム」のスコアを書くなど、
音楽家としてアパルトヘイト撤廃に向けた活動を一貫して続けていました。
91年になってようやく南アへ帰国を果たすわけですけれど、
本作はその前年、ロンドンでレコーディングされたんですね。
録音月日が不明なんですが、マンデーラ解放後だったんじゃないかな。

ピアノとアルト・サックスにベキ・ムセレクが参加しているように、
南ア出身のジャズ・ミュージシャンたちによる、
重厚なホーン・アンサンブルと男女コーラスが歓喜を爆発させたサウンドは、
解放を目前とした南ア黒人たちの万感の思いがたぎっていて、
いつ聴いても感動的です。

Jonas Gwangwa "FLOWERS OF THE NATION" Kariba/Tusk TUCD31 (1993)
Jonas Gwangwa "FLOWERS OF THE NATION" Sony CDEPC8177 (2001)
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鉱山労働者のヴォーカル・グループ マッセラ・レ・ディホバ [南部アフリカ]

Matsela Le Dihoba.jpg

先月レソトのアコーディオン音楽ファモの名グループ、
タウ・エー・マッセカを紹介しましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-06-14
今回紹介するのは、南ソトを代表するヴォーカル・グループのマッセラ・レ・ディホバ。

ぼくは初めて知ったグループなんですが、南ソトのア・カペラ・コーラスというと、
以前イギリス、イーグルから2枚組の10枚シリーズで出た、
南アフリカ放送協会SABCのトランスクリプションの第3集『南ソトとツワナ編』に、
ヴァージニア・ゴールド・マイナーズ、
プレス・ステイン・ゴールド・マイン・バンドの2曲が
収録されていて、聴いたことがあります。

AFRICAN RENAISSANCE VOL.3 SOUTH SOTHO & TSWANA.jpg

マッセラ・レ・ディホバもその2曲とまったく同じタイプのア・カペラ・コーラスで、
コール・アンド・レスポンス主体のワーク・ソングを強くうかがわせる音楽ですね。
南ア黒人のア・カペラ・コーラスというと、
ズールーのンブーベがすぐに思い浮かびますけれど、
ンブーベのような重厚でヴォリューミーなコーラスと違って、
こちらは、ひび割れた声に土臭い味わいがあり、粗く乾いた手触りを残します。
レディスミス・ブラック・マンバーゾのような洗練されたイシカタミアとも
まるでタイプの違う、野趣溢れるコーラスですね。

『南ソトとツワナ編』収録のグループ名が、どちらも鉱山の名を冠しているとおり、
どうやら鉱山労働者のグループらしく、マッセラ・レ・ディホバのリーダー、
ラッセマ・マッセラ(1925-99)も、40年代後半にウェスト・スプリングスの鉱山へ
出稼ぎで働き、56年に初のヴォーカル・グループを結成したとライナーに書かれています。
ラッセマがフル・タイムのミュージシャンだったことはなく、鉱山の仕事を終え、
鉱山仲間のメンバーとともに音楽活動をしていたようですね。

そんな出身を聞くと、この音楽はワーク・ソングそのものなのかと思ってしまいますが、
そうではなく、ソト人男性のダンスのモホベロ、ソト人女性のダンスのモヒボ、
結社の歌のマンガエやレリゴアナにもとづいて、
ラッセマ・マッセラが創作した曲なのだそう。
ラッセマの独自の解釈で、ソトのさまざまな伝統音楽を再構成して創作した、
新しい伝統音楽であるところが、マッセラ・レ・ディホバの真骨頂だったのですね。

ラッセマは鉱山労働をやめたあと、
ソウェトのソト人とツワナ人収容地区だったフィリに移り、
工場やマーケットで働きながら、コーラス・グループの活動を続けました。
結婚式をはじめ教会や鉱山などのアトラクションで次第に人気を集めるようになり、
SABCの目にとまったんですね。
本CDは、66年から74年にSABCに録音されたトランスクリプションから選曲されていて、
68年録音では、名歌手のマリタバとアコーディオンをフィーチャーしたファモを
2曲聴けるのも貴重です。

Matsela Le Dihoba "MME MMANGWANE" Recordiana CDREC102
v.a. "AFRICAN RENAISSANCE: VOL.3 SOUTH SOTHO & TSWANA" Eagle SABC003
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タウンシップ・ジャズの心意気 パット・マッシキザ [南部アフリカ]

Pat Matshikiza and Kippie Moketsi  SRKWL786153.jpg   Pat Matshikiza and Kippie Moketsi  CDSRKWL786153.jpg

うわぁん、やっと届いたあ!
南アのトレーダーから、「アンタが欲しがってたCDを見つけたよ」という
メールが3月の上旬に入り、小躍りしたのもつかの間、
なんとCOVID-19の影響で日本向け出荷が停止という措置に、がーん。
「禁輸が解けたら送るから」という慰めのメールをもらって、待つこと3か月。
6月に入ると空輸が再開したという知らせが入り、DHLでようやく無事到着。

20年近く探し続けて、「おあずけ」を食らっていたCDは、
タウンシップ・ジャズの名盤中の名盤、ピアニストのパット・マッシキザが、
アルト・サックスの名手キッピー・ムケーツィとの共同名義で出した
75年作の”TSHONA!” です。
ダラー・ブランド(アブドゥラー・イブラヒム)の大名作”AFRICAN HERBS” に並ぶ、
南ア・ジャズの傑作ですけれど、日本でこのアルバムを知る人が果たしているかしらん。

ソウル/ディスコ全盛の70年代南アで、ジャズ冬の時代だった当時、
タウンシップ・ジャズの心意気をたぎらせていた音楽家たちの
貴重な記録ともいえるアルバムなんですよ、これが。
アパルトヘイトの過酷な環境下で、南アにとどまりながら活動を続けた
パット・マッシキザの代表作であります。

ダラー・ブランドの”AFRICAN HERBS” と同じザ・サンのレーベルから出た本作は、
タウンシップの日常を描いたジャケットのアートワークが強烈で、
LPで長年愛聴してきたんですよね。まさかCD化されているとは思わず、
気付いた時にはすでに廃盤で、いやー、長い道のりでした。
いったいこのCD、何枚プレスされたんだろう。
オリジナルのLPより、プレス数は少ないことは間違いなく、LPよりCDの方がレアだろうな。

全4曲、A面2曲がパット・マッシキザ、B面2曲がキッピー・ムケーツィのコンポーズ。
ダラー・ブランドのアルバムでもプレイしていた、テナー・サックスのバジル・コーツィーが
フィーチャーされ、熱いブロウを聞かせてくれます。
シャープに切り込んでくるキッピーのアルトと好対照で、
パットがゴンゴン叩く硬い響きのピアノの和音が、サウンドを支配しています。
この演奏の熱量と楽曲の雄大さはどうです。あらためてタウンシップ・ジャズが持つ
スケールの大きさに感じ入ってしまいますね。

パットはその後、ホテルでの演奏を主な活動場所として生計を支え、
ボツワナやスワジランド(当時)にも足を伸ばしたそうです。
ようやくジョハネスバーグのジャズ・シーンにカムバックしたのは、
2000年を過ぎてからでした。

Pat Matshikiza  SEASONS, MASKS AND KEYS.jpg

パットの最後のレコーディングとなった05年の“SEASONS, MASKS AND KEYS” は、
作曲家としての側面に大きくスポットをあてた作品でした。
ヴォーカリストをフィーチャーした歌ものを中心に、
とびっきり洗練されたサウンドを聞かせたアルバムで、これも忘れることができません。
パットの音楽人生を静かに回顧するようにアルバム終盤に収録された、
‘Tshona’ の再演も感動的です。

[LP] Pat Matshikiza and Kippie Moketsi "TSHONA!" The Sun SRK786153 (1975)
Pat Matshikiza and Kippie Moketsi "TSHONA!" As Shams/The Sun CDSRK(WL)786153
Pat Matshikiza "SEASONS, MASKS AND KEYS" Catwalk CDCAT002(ON) (2005)
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レソトのアコーディオン音楽ファモ タウ・エー・マッセカ [南部アフリカ]

Tau Ea Matsekha.jpg

南アフリカ共和国に囲まれた内陸国レソトに、
ファモと呼ばれるアコーディオン音楽があります。
ファモのもっとも有名なグループに、タウ・エー・マッセカがいますけれど、
80・90・91年に出た彼らの3枚のLPから選曲したCDが、
このほど南アでリリースされました。

タウ・エー・マッセカが南ア国内で大きな名声を得たのは、
アコーディオン奏者のフォレーレ・モロヘロアが、
ポール・サイモンの『グレイスランド』に起用されたからですね。
もっとも世界的には、ほとんど知られていないグループなので、
このリイシューCDによって、タウ・エー・マッセカや、ソト人音楽のファモが
もっと知られるようになるといいんだけど。

ファモは、1920年代に南アの鉱山へ出稼ぎに行っていたレソトの労働者たちが、
シェビーンと呼ばれる非合法酒場で広めた音楽です。
仕事を終えた男たちが、アコーディオンを伴奏にコール・アンド・レスポンスで歌う、
ソトのワーク・ソング由来の音楽でした。

やがてファモが酒場の音楽として人気を集めるようになると、
短いスカートを履いた女のダンサーたちも交じえて演じられるようになり、
下着を付けずに踊るという、酔客にはもってこいの、
エッチなお楽しみありのダンス・ミュージックとして流行ったのでした。

南アの政策変更によって、63年に大量のレソト人出稼ぎ者と
シェビーンのダンサーたちが本国へ帰還したことにより、
ファモはレソトへ持ち帰られます。
レソトではアコーディオンに加えて、石油缶で作った打楽器モロパが使われるようになり、
66年のレソトの独立とともに、ファモは下層庶民の酒場の音楽から、
レソトを代表する国民音楽へと変貌したんですね。

タウ・エー・マッセカも、70年代初めに南アの鉱山で働いていた
アコーディオン奏者のフォレーレ・モロヘロアと、歌手のアポロがコンビを組んで
結成されたグループで、南アのレコード会社CCPの目に留まり、
レコーディングした80年作がヒット。その後アポロが独立し、
新たな歌手を迎えて、90年代も活動を続けました。

ファモでは歌とディソコと呼ばれる語りを吟じられ、
ンバクァンガ顔負けのエネルギッシュな歌が、ツー・ビートにのせて歌われます。
硬質なベース音が強靭なグルーヴを生み出すところは、
南アフリカ黒人音楽と共通する特徴ですね。
全24曲、ファモの真髄がぎゅっと詰まった、
タウ・エー・マッセカのベスト・セレクションです。

Tau Ea Matsekha "MOHLAPE OA LITAU" Recordiana CDREC101
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正統派南ア・ジャズ・ピアニストの世界デビュー ンドゥドゥーゾ・マカティーニ [南部アフリカ]

Nduduzo Makhathini  MODES OF COMMUNICATION.jpg

南ア・ジャズのピアニスト、ンドゥドゥーゾ・マカティーニが、
なんとブルー・ノートから新作を出しました。
ブルー・ノート初の南アのアーティストになったみたいですけれど、
ンドゥドゥーゾ・マカティーニが注目されたのは、
UK新世代ジャズを先導するシャバカ・ハッチングスのジ・アンセスターズに、
ンドゥドゥーゾが起用されたからなんでしょうね。

シャバカ・ハッチングが起用した時にも、ちょっと驚いたんですけれど、
ンドゥドゥーゾのような、どちらかといえば保守的なタイプの
南ア・ジャズのミュージシャンが、国外で評価されることなんてまずなかったので、
意外に思ったのと同時に、すごく嬉しかったことを覚えています。

最近の南ア・ジャズも、世界のジャズ・シーンと同様に、
新しい世代による新感覚の才能がどんどん登場するようになってきていることは、
すでにここでも紹介しましたよね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-05-06
しかしンドゥドゥーゾは、そういった先鋭的なタイプのジャズ・ミュージシャンとは違い、
伝統的な南ア・ジャズの系譜に連なる音楽家といえます。

Nduduzo Makhatini  MOTHER TONGUE.jpg

南アですでに8枚のアルバムを出していて、
ぼくは14年の“MOTHER TONGUE” がすごく好きだったんですけれど、
今回の新作では、この“MOTHER TONGUE” とテナー・サックスとドラムスで
同じメンバーが起用されているんですね(嬉)。

Zimology Quartet.jpg

ンドゥドゥーゾのプレイは、ハーブ・ツオエリの12年の名作や、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-11-24
ジモロジー・カルテットの07年のライヴ盤でも聴いていたので、
ぼくには馴染み深いんですけれど、あらためて説明すれば、
マッコイ・タイナーにもろに感化されたピアノ・スタイルで、
アンドリュー・ヒル、ランディ・ウェストン、
ドン・ピューレンからも影響を受けたといいます。

ンドゥドゥーゾは、敬虔なキリスト教徒の家庭に生まれ育ちました。
父親はギタリスト、母親は歌手で、ピアノは母親から習い、
幼い頃は教会の合唱隊で、ズールー合唱のイシカタミヤを歌っていたそうです。
しかし13歳の時、ズールーの伝統的治療者で占者のサンゴマ(俗にいうヒーラー)の
啓示ウブンゴマを受けて衝撃を受け、精神的な混乱をきたします。
母方の祖母が偉大なサンゴマであったことから、
少年時代のンドゥドゥーゾは、キリスト教とアフリカの伝統宗教の狭間で悩みながら、
サンゴマの奥義を祖母から学んだといいます。

ンドゥドゥーゾの音楽に深い精神性が宿すようになったのも、
そうした宗教体験との関わりがあったからなんですね。
スピリチュアルなブラックネスを表出した
南ア・ジャズのピアニストといえば、ベキ・ムセレクがいますけれど、
ンドゥドゥーゾがベキをメンターと呼ぶのも、むべなるかなです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2011-01-17

今回ブルー・ノートから出た新作でも、
これまでのンドゥドゥーゾの音楽性をなんら変えることなく、
また、世界向けに何か演出を施すようなところも、
まったく見受けられないところが、とても好感を持てます。
派手さのない地味なピアニストですけれど、
アブドゥラー・イブラヒムから綿々と育まれてきた南ア・ジャズの
正統的な継承派ともいえる人。シャバカ絡みのチャンスをうまく生かして
世界デビューできたことに、祝杯をあげたい気分です。

Nduduzo Makhathini "MODES OF COMMUNICATION: LETTERS FROM THE UNDERWORLDS" Blue Note B003157502 (2020)
Nduduzo Makhatini "MOTHER TONGUE" Gundu GUNDPR001 (2014)
Zimology Quartet "LIVE AT BIRD’S EYE SWITZERLAND" Zimology ZIMCD001 (2007)
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アンゴラのメロディ・メイカー フィリープ・ムケンガ [南部アフリカ]

Filipe Mukenga  O Meu Lado Gumbe.jpg

去年の暮れ、調べものついでに、アンゴラ、ギネア=ビサウ、カーボ・ヴェルデ、
サントメ・プリンシペといったポルトガル語圏アフリカのCDを
<ここ掘れワンワン>していたら、アンゴラのヴェテラン・シンガー・ソングライター、
フィリープ・ムケンガの13年作を発見しました。

フィリープ・ムケンガについては、以前一度記事を書きましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-08-14
今回手に入れた13年作が、いまのところ最新作のよう。
いまごろ気付いたのもお粗末な話ですけれど、
40年を越すキャリアで、まだ5作目というのは、寡作家ですねえ。
タイトルを見て、ギネア=ビサウのグンベーを歌っているのかと早とちりしたんですが、
よく見たらグンベーではなくグンベで、フィリープの本名、
フランシスコ・フィリープ・ダ・コンセイソーン・グンベからきているようです。

ブラジルのジャズ・ピアニスト、
ルイス・アヴェラールを迎えてリスボンで制作した本作、
ぐっとジャジーなサウンドに仕上がっていて、
フィリープの個性的なソングライティングが芳醇な香りを放つ、
大人のポップスに仕上がっています。

キンブンド語、ウンブンド語、クワニャマ語、ポルトガル語、英語と
多言語で歌っていますけれど、昔から変わらないのは、
ブラジルのシンガー・ソングライター、ジャヴァンの作風が瓜二つなこと。
奇しくも同じ49年生まれという二人ですけれど、
フィリープ自身ジャヴァンからの影響を隠しておらず、
ブラジル色の強いメロディ・メイカーぶりを、今作でも発揮しています。
また今作は、ジャヴァンとの仕事でも知られるルイス・アヴェラールが
プロデュース、アレンジしているので、よりMPBのセンスが強く感じられますね。

オープニング曲のみンゴニを使って、西アフリカ風のサウンドを創作していますけれど、
それはほんの味付け程度のもので、全編ポルトガル人ミュージシャンによる生演奏。
プログラミングを全く使用していないところは、潔ささえ感じさせますね。
7管のホーン・セクションも加わる贅沢なプロダクションで、
ありていなキゾンバとは天と地ほども違う、ゴージャスなサウンドとなっています。

これほどの力作も、ポルトガル制作のポルトガル盤という事情ゆえ、
まったく世間に知られぬままとなっているのは、残念すぎます。

Filipe Mukenga "O MEU LADO GUMBE" Get!Records GET00005/13 (2013)
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センバのディーヴァとして復活 パトリーシア・ファリア [南部アフリカ]

Patrícia Faria  EME KIA.jpg   Patrícia Faria  BAZA, BAZA.jpg

アンゴラの女性シンガー、パトリーシア・ファリアは、81年ルアンダ生まれ。
ガール・グループのアス・ジンガス(・ド・マクルソ)で活動した後、ソロ歌手に転身し、
内戦がようやく終結した02年にデビュー作の“EME KIA” を出しました。

デビュー作が出たのは、まだセンバがリヴァイヴァル・ブームとなる前のことでしたけれど、
パトリーシアはすでにセンバの曲を多く歌っていて、
キゾンバ、アフロ・ズーク、サルサといったレパートリーとともに、
キレのあるフレッシュな歌声を聞かせていました。
ロック調のギターを取り入れるなど、
さまざまにアレンジしたセンバのプロダクションは意欲的で、
若手によるセンバ復興の兆しがすでに垣間見えるアルバムだったのですね。

09年には、パウロ・フローレスやユリ・ダ・クーニャをゲストに迎えたセカンド作
“BAZA, BAZA” を出します。このアルバムのプロダクションは超充実していて、
アフロ・ズークをベースとしたキゾンバながら、生演奏にこだわったスグレもの。
厚みのあるパーカッション・アンサンブルに、ホーン・アンサンブル、弦セクション、
アコーディオンやハーモニカに加え、ラップの取り入れ方も巧みで、
複雑なサックス・ソリをさらりと組み込んだり、高度なアレンジに舌を巻きました。
アルバムのフックとなるダンサブルなセンバの‘Nzagi’ も、爽快な仕上がりでしたね。

これほどの充実作を出したものの、その後長くブランクが空いてしまいます。
パトリーシアはラジオ・ルアンダのブロードキャスターで、法律家でもあり、
歌手以外の活動が忙しかったのかもしれません。
というわけで、10年ぶりに3作目となる新作が届いたんですが、
前作の懲りに凝ったプロダクションのキゾンバから一転、
今作はセンバにこだわったアルバムとなりました。

Patrícia Faria  DE CAXEXE.jpg

こちらをまっすぐに見すえたくりっとした目に、
南部アフリカの伝統的な化粧をあしらったポートレイトというツカミのあるジャケットに、
今回も傑作の予感をおぼえましたが、予想は大当たり。
すっかり声も円熟して、気負うなく歌うパトリーシアの歌声は、
これぞアフリカン・フィメール・ヴォーカルといった味わいに溢れています。

1曲目は意外にもセンバでなく、
北東部チョクウェ人の伝統音楽チアンダのリズムを取り入れたもの。
ルンバぽいリズムですけれど、コンゴ民主共和国やザンビアにも暮らす
チョクウェの音楽をオープニングにするとは、意表を突かれました。

そして2曲目からは、センバ尽くし。
マラヴォワ風のヴァイオリン・セクションが伴奏につく2曲目以降、
アコーディオンや華やかなホーン・セクションもたっぷりとフィーチャーして、
ディカンザの刻みをこする響きも小気味よい、ダンサブルなセンバが続きます。

前半の中ほどには、メロウなズーク・ラヴの‘Será Que Vale a Pena’と
センチメンタルなボレーロの‘Toda Mulher’のスロー・ナンバー2曲を置いたのも、
ダンスの中休みとなっていて、いいアルバムの流れとなっていますね。
長いブランクをものともしない、見事な仕上がりに感服しました。
「キゾンバやクドゥロばかりじゃないのよ」というパトリーシアの発言も頼もしい、
センバのディーヴァとしての復活です。

Patrícia Faria "EME KIA" Balafon RNA-PF001-02 (2002)
Patrícia Faria "BAZA, BAZA" Paty Faria no number (2009)
Patrícia Faria "DE CAXEXE" Xikote Produções no number (2019)
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苦節を超えた朗らかさ ジヴァゴ [南部アフリカ]

Jivago  NGUEZA N’DINDI.jpg

う~ん、この歌い口! たまりませんねぇ。
今のアンゴラの若手からは出てくることのない、野趣に富んだヴォーカル。
包容力のある温かな歌声から、人柄が伝わってくるかのようです。
内戦で経済が崩壊したアンゴラ国内で歌手活動を続けた苦節を考えれば、
その朗らかな歌声は驚くべきことで、人を笑顔にさせる力に感じ入ります。

ジヴァゴことアダン・ゴンサルヴィスは、54年ルアンダ生まれ。
77年、アンゴラ南西部沿岸ナミベを拠点とするベンティアバ・ショウに参加して
プロの歌手となり、83年フェノメナル在籍時に録音した‘Avó Tete’ がヒットします。
その後ソロ活動に転じ、89年に‘Ramiro’ が大ヒットとなって成功しました。
‘Ramiro’ は、のちにパウロ・フローレスが05年のライヴ盤でもカヴァーした名曲です。

27年間の内戦が終結した02年から、初ソロ・アルバムの制作にとりかかり、
ジヴァゴのシグニチャー・ソングである
‘Avó Tete’ ‘Ramiro’ の2曲の再録音を含む“KIAUBA” を、
08年になってようやく完成させました。

本作はそのデビュー作から11年を経て出た新作。
セカンドと数えてよいのかどうか、新たにレコーディングした6曲と、
ボーナス・トラックにデビュー作で再演した
‘Avó Tete’ ‘Ramiro’ を追加したミニ・アルバムとなっています。

新たにレコーディングした6曲のうち‘Mendonça’ は、
65年結成のアンゴラの最古参バンド、オス・キエゾスの92年のアルバム
“KENIEKE TUENE - NÓS SOMOS ASSIM” で歌っていた曲です。
ここではアコーディオンのカクシ味も利いた、
ディカンザが刻むリズムが爽快なダンサブルなセンバに仕上げていますね。

柔和な表情のジヴァゴの歌を守り立てる、
プログラミングをいっさい使わない人力演奏がまた良くって、
古き良きセンバの味わいに富んだ楽曲の良さを引き立てています。
アフロ・ズークのニュアンスを加味したキゾンバの‘Luminga’ の切なさなんて、
グッときますねえ。

Jivago "NGUEZA N’DINDI" Xikote Produções no number (2019)
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アンゴラから登場したジャズ新世代シンガー・ソングライター アナベラ・アヤ [南部アフリカ]

Anabela Aya  KUAMELELI.jpg

アンゴラの新人女性シンガー・ソングライターのデビュー作。
アンゴラとはいえ、センバやキゾンバではなく、
アフロ・ジャズのシンガーというところが、新味の人であります。

アナベラ・アヤは83年ルアンダの生まれ。
5歳の時から教会で歌い始め、将来歌手になることを夢見ていたそうですけれど、
俳優としての才能を見出されて劇団に加入し、
舞台女優として15年のキャリアを積んだという人。
劇団に所属する間、本格的な歌唱レッスンを受け、
この時期にジャズを学んだようです。

演劇の世界から音楽の世界に移り、ジャズのシンガー・ソングライターを志向した
アナベラの音楽性はレコード会社に理解されず、
17年にルアンダの歌謡祭で受賞するも、レコード会社からの引きはありませんでした。
30も半ばになり、3人の子を持つ母親となっていたアナベラは、
歌手デビューする最後のチャンスと、アルバムを自主制作する決心をし、
バー・シンガーとして働きながら資金を作り、昨年デビュー作を完成させたのでした。

そんな遅咲きの人ですけれど、アルバムを出すや否や評判を呼び、
さまざまな賞にノミネート、そして受賞もし、
カーボ・ヴェルデで開かれたジャズ・フェスティヴァルに出演するなど、
アナベラの評価は一気に高まりました。
ウンブンドゥ語で「前進」を意味するデビュー作のタイトル Kuameleli は、
時流に乗らず、自分の音楽を大事に育んできたアナベラの気概が表れています。

芯のあるしっかりとした歌声で、ざっくばらんとした歌いぶりから、柔らかな歌い口、
さらに粘っこい節回しを使ってみたりと、さまざまに表情を変えて歌う技巧派です。
自作の曲のほか、フィリープ・ムケンガ、アルトゥール・ヌネスなどの
曲も歌っていて、アコーディオンやアクースティック・ギターの響きを生かした
オーガニック・テイストのみずみずしいサウンドが胸をすきます。

レベッカ・マーティンやベッカ・スティーヴンスといった、
新世代ジャズのシンガー・ソングライターと共振する同時代性を感じさせる人で、
カミラ・メサやアンナ・セットンあたりが好きな人なら、どストライクでしょう。
昨年12月15日に急死したブラジルの名ベーシスト、
アルトゥール・マイアのベース1本をバックに歌った‘Tic Tac’ などは、
リシャール・ボナのファンにもアピールしそうですね。

ウンブンドゥ語で歌うタイトル曲のほか、クワニャマ語で歌う‘Nangobe’、
ピジンで歌う‘I Love You Bue’、キンブンドゥ語で歌う‘Tia’、
リンガラ語で歌う‘Kaumba’など、多言語使いがアンゴラ人らしい、
新感覚のシンガー・ソングライターです。

Anabela Aya "KUAMELELI" Anabela Aya no number (2018)
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アンゴラのソウルフルなアーバン・ポップ ヨラ・セメード [南部アフリカ]

Yola Semedo  SEM MEDO.jpg

アンゴラのキゾンバ・シンガー、ヨラ・セメードの前作“FILHO MEU” は、
アフロ・ズークの亜流と受け止められがちなキゾンバのイメージを払しょくする、
一大傑作でした。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-06-09

ポルトガル語圏アフリカとフレンチ・カリブの多様な音楽要素をミクスチャーした手腕が、
それまでのキゾンバにない高度な洗練を遂げていて、
ゴージャズなプロダクションともども、魅惑的なクレオール・ポップに仕上がっていました。
2016年のベスト・アルバムで、エディ・トゥッサの新作を押さえて選んだんですけれど、
迷いはありませんでしたよ。

あれから4年、昨年春にリリースされた新作が、1年遅れでようやく手元に届きました。
CD2枚組、全29曲120分超の新作は、ヴォリューム感たっぷり。
前作が弦オケから始まる意表を突くオープニングだったのに比べると、
今作は打ち込み使用のキゾンバでスタートし、
前作の練り上げたクレオール・ミュージックの豪華さに比べると、
ちょっと後退した感のある、平均的な仕上がり。

ディスク1の4曲目まで、打ち込み使いの平凡なキゾンバが続き、
5曲目でようやく生ドラムスにクラリネットをフィーチャーしたモルナとなります。
レゲエのリズムを取り入れたこのトラックがフックとなり、
その後生ドラムスによるトラックがしばらく続き、ビギンとセンバのミックス、
センバとコンパのミックス、コラデイラなど多彩なクレオール・ミュージックを繰り広げ、
終盤には、アコーディオンをフィーチャーしたストレートなセンバも出てきます。

プロダクションのことばかり書いてしまいましたけれど、
伸びのある声でしなやかに歌うヨラのヴォーカルは、
アンゴラのポップ・クイーンといった風格を感じさせます。
まさにヴェテランの味わいというか、いいシンガーですよねえ。

クレオール・ミュージック中心にまとめたディスク1に対して、
ディスク2はバラード中心のポップスで、
ヨラのソウルフルな歌いぶりを堪能できる美メロ曲が並びます。
2曲目のボレーロ‘Athu Mu Njila’ での歌いぶりにはグッときたし、
インドネシアかマレイシアのポップ曲を思わす7曲目の‘Dias Da Semana’ は、
アンゴラでもこんなメロディがあるのかと、とても新鮮でした。

プロダクションもオーケストラを使うなど、バラード編の方が手が込んでいますね。
コンガ、ディカンザ、ギター3台のシンプルな伴奏で歌うセンバを、
ラスト・トラックに持ってきたのは意表を突かれましたけれど、
爽やかな締めくくりになっています。

Yola Semedo "SEM MEDO" Energia Positiva Music EPCD005 (2018)
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パウロ・フローレスのルゾフォニア音楽絵巻 [南部アフリカ]

Paulo Flores  EXCOMBATENTES.jpg   Paulo Flores  EXCOMBATENTES REDUX.jpg

アンゴラのヴェテラン・シンガー・ソングライター、パウロ・フローレスが
09年に出した3枚組の力作“EXCOMBATENTES” がようやく手に入りました。
12年に出た“EXCOMBATENTES REDUX” は、本作の抜粋ヴァージョンで、
あー、全編聴きたいなあと、長年願っていたんですよ。
10年も前の作品で、入手はもう不可能だろうとすっかり諦めていたんですが、
よく残っていたもんです。うれしー♡

3枚のディスクは、それぞれ「旅」「センバ」「島」と題され、
トール・サイズのCDブックに収められています。
パウロ自身が音楽監督を務めるほか、
ブラジルのプロデューサー、シコ・ネヴィスを迎えて制作されました。
シコ・ネヴィスといえば、レニーニの97年ソロ・デビュー作の
プロデュースを手がけたことなどで知られていますね。
レコーディングは、ルアンダ、リオ・デ・ジャネイロ、リスボンと、
アンゴラ、ブラジル、ポルトガル3か国に渡って行われていて、
まさしくルゾフォニア(ポルトガル語圏)・コネクションといえます。

ブラジル録音では、ベースのアルトゥール・マイア、チェロのジャキス・モレレンバウム、
ピアノのダニエル・ジョビン、クラリネットのパウロ・モウラ、ラベッカのシバ、
ピファノとサックスのカルロス・マルタといった名うてのミュージシャンたちが参加。
その名をよく知るブラジル音楽ファンなら、おおっ!と注目せずにはおれないでしょう。

2枚目がセンバと題されているとおり、センバのリズムの曲が多いものの、
3枚ともMPBならぬMPAと呼ぶべきサウンド・プロダクションで、
パウロの詩的な美しさを湛えたコンポーズを引き立てています。
パウロの自作曲以外では、ユリ・ダ・クーニャとデュエットした、
ダヴィッド・ゼーの往年の曲‘Rumba Nza Tukiné’ や、
マイラ・アンドレーデとデュエットしたヴィニシウス・ジ・モライスと
バーデン・パウエルの名曲「プレリュードのサンバ」がハイライトですね。

もちろんこれらは抜粋盤にも収録されていましたけれど、
そこから漏れた曲ではドロドロのブルースの‘Eu Quero É Paz’ や、
アコーディオンとホーン・セクションを配したダンサブルなセンバの‘Contratempo’、
カーボ・ヴェルデのダンス・リズム、フナナーの‘Funana Di Nha Filo’ など、
聴きものが目白押しで、やっぱりこの3枚を聴けばこそ、
パウロのルゾフォニア音楽絵巻を堪能することができます。

Paulo Flores "EXCOMBATENTES" LS Produções no number (2009)
Paulo Flores "EXCOMBATENTES REDUX" Terra Eventos 3700409810480 (2012)
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無垢の美 マダリッツォ・バンド [南部アフリカ]

Madalitso Band  WASALALA.jpg

音楽って、こんなにシンプルでも、これほど楽しくできるんだなあ。
そんなことをあらためて教えてくれる、マラウィのマダリッツォ・バンドです。
バンドを名乗っているものの、実はたった二人のコンビであります。

ババトニなる手作りの1弦ベースの弦をぶんぶん鳴らし、
空き缶を弦に当ててノイズをまき散らしながら、
ぶっきらぼうに投げつけるように歌うヨブ・マリグワくんと、
ギターをかき鳴らしながら、
足踏み太鼓でツンのめるビートを叩き出すヨセフェ・カレケニくん。

言ってみれば、たったこれだけの音楽。
それなのに、そこから生み出される、
みずみずしい生命力、ワクワクする躍動感といったら、どうです。
太鼓もベースもハンドメイドという、貧しさ丸出しにもかかわらず
そこから生み出される音楽の豊かさは、いったいどういうわけなんでしょう。
はじめに「シンプル」とか口走っちゃいましたけれど、じっくりと耳をすませば、
ベースの装飾音やリズム・アレンジなど、その複雑なニュアンスに驚かされます。

レコーディングに何万ドルのバジェットを使ったとて、
これだけの音楽が生み出せるわけもなく、あらためて音楽制作とはなんぞやと、
振り返って考え直される案件なんじゃないでしょうか。

普段は路上だったり、市場の片隅で歌っているに違いありません。
ダンスホールやナイトクラブなどとは、無縁の音楽。
思えば独立前のニヤサランド時代から、廃品から作った楽器や
バンジョーやギターを弾き語る辻芸人やストリング・バンドがいましたけれど、
マラウィで圧倒的に魅力を放ってきたのは、いつもこうした音楽でした。
ヒュー・トレイシーがフィールド録音していた70年近くも昔の時代から、
60年代に南アから流入して流行したクウェーラ・バンド、
ここ最近ではマラウィ・マウス・ボーイズに至るまで、一貫しています。

資源のない内陸の農業国で世界最貧国のマラウィだから、
こういうビンボーくさい音楽しかないのだ、なんて誤解が広まってはいけないので、
マラウィの名誉のために言っておきますが、
マラウィにはヒップ・ホップだって、R&Bだって、レゲエだってあります。
ありはしても、そうした音楽に、欧米の焼き直し以上の魅力がないのも、また事実。

これはマラウィばかりでなく、隣国のザンビアやタンザニアの音楽事情も同じですね。
ザンビアのR&Bと田舎で演奏されるカリンドゥラと、どっちが面白いかといえば、
カリンドゥラの圧倒勝利でしょう。

以前、このブログで取り上げたヴェテラン音楽家ウィンダム・チェチャンバにも、
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-03-31
無垢な音楽性を感じたものですけれど、
マダリッツォ・バンドの人を巻き込まずにはおれないグルーヴにも、
無垢の美をおぼえます、

Madalitso Band "WASALALA" Bongo Joe BJR029 (2019)
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80年代南アのトランスクリプションから アイリーン・マウェラ [南部アフリカ]

Irene Mawela.jpg

昨年ンバクァンガのヴェテラン女性歌手、アイリーン・マウェラの新作を出した
新興レーベル、ウムサカゾ・レコーズから、
今度はなんと、80年代録音22曲を復刻した編集作が出ました!
音源はSABC(南アフリカ放送協会)のトランスクリプションで、
82年から85年にかけて制作されたレコード(未発売)から編集されています。

SABCのトランスクリプションというと、古手のアフリカ音楽ファンなら、
00年にイギリスのイーグルから『アフリカン・ルネッサンス』の2枚組シリーズで、
10タイトルが出ていたのを覚えていますよね。
思い出してCD棚をチェックしてみましたが、
そちらにはアイリーナ・マウェラは収録されていませんでした。

アイリーン・マウェラの経歴については、以前の記事に書いたので、
そちらを参照してもらうとして、
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20
歌手活動ばかりでなく、250曲以上もの曲を提供してきた作曲家として、
南ア大衆音楽の芸能史60年を、まさしく表・裏から見てきた重要人物であることを、
強調しておきたいと思います。

今作のライナーノーツを読んで、初めて知りましたけれど、
あの名門コーラス・グループ、レディスミス・ブラック・マンバーゾがデビューできたのも、
アイリーンがプロデューサーの夫、ルパート・ボパーペへ口添えしたおかげだそう。
ラジオ・ズールーでレディスミスを聴いたアイリーンが、
ルパートにぜひ契約するようにと薦めたのがデビューの発端となり、
いまでもレディスミスのメンバーたちは、アイリーンに恩義を抱いているのだそうです

南アの60年代は、アパルトヘイトの人種隔離政策という醜悪な手段によって、
皮肉にも南ア音楽の民族別アーカイヴが築かれた時代でもありました。
SABCの黒人専用ラジオ・ステーション、ラジオ・バンツーの傘のもとに、
民族別のラジオ・ステーションでのプログラムが盛んになり、
それまで伝統音楽しか録音されてこなかった各民族の大衆音楽が、
商業録音のビジネス・シーンにも進出するようになったのです。

ズールー、コサ、ソトといった勢力の大きな民族だけでなく、
アイリーンの出自であるヴェンダの音楽も多くの録音を残すことになりました。
アイリーンに初めてヴェンダ語の歌を録音するチャンスを与えたのも、
65年に編成されたラジオ・ヴェンダでした。
ズールーやソトの曲をヴェンダ語に置き換えた曲が、
SABCを通して南ア中に流れたことは、ヴェンダ以外のツォンガなどの少数民族にも、
大きな希望となったのです。

しかし、70年代半ばになると、アイリーンのSABCでのセッションは、
次第にボパーペの制限を受けるようになり、
ボパーペがプロデュースするマヴテラの売れっ子アーティストへの曲の提供や、
ンバクァンガ・シーンに力を注ぐよう、仕向けられます。
80年代に入ると、家族の問題を抱えるようになったアイリーンは、
故郷のリンポポへ戻ることが増え、次第に音楽ビジネスの場から離れていきます。
その代わりにSABCへの復帰を決意し、ヴェンダやツォンガの新曲を30曲以上用意しました。

こうして、マヴテラ時代のなじみのプロデューサーやミュージシャンたちが、
SABCでの録音にも大勢参加し、82、85、87、88年に残した録音から編集されています。
22曲中、17曲がヴェンダ語で、5曲がツォンガ語で歌われます。
82年のセッションの2曲のみ、ギター2台を伴奏に歌ったトラディショナル曲で、
ほかはすべてアイリーン作曲のンバクァンガです。
グルーヴィなベース・ラインに硬質のギターの響きもゴキゲンなら、
タイトに引き締まったリズム・セクションにのるアイリーンのヴォーカルが、
めっちゃスウィートです。

Irene Mawela "THE BEST OF THE SABC YEARS" Umsakazo UM103
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アンゴラのロス・コンパドレス ドム・カエターノ&ゼカ・サー [南部アフリカ]

Dom Cateano & Zeca Sa.jpg

わお! ようやく手に入ったぞ、ドム・カエターノのアルバム。

ドム・カエターノは、アンゴラの内戦時代をサヴァイヴしたヴェテラン・センバ・シンガー。
数多くのバンドを渡り歩いた人ですけれど、もっともよく知られるのは、
アンゴラで初めてエレクトリック・ギターを導入した植民地時代のトップ・バンド、
ジョーヴェンス・ド・プレンダの81年再結成後のフロント・シンガーを務めたこと。
ブダの編集盤“ANGOLA 80s” にも、ジョーヴェンス・ド・プレンダをバックに歌った
86年のシングル曲‘Tia’ が収録されていたし、ジョーヴェンス・ド・プレンダの
ドイツの91年ライヴ盤でも歌っていましたね。

Angola 80  1978-1990.jpg   Os Jovens Do Prenda.jpg

97年になってようやくソロ・デビュー作“ADÃO E EVA” を出し、
その後もアルバムを2枚出したんですけれど、入手困難でとうとう見つからず。
それだけに、このゼカ・サーとの共同名義の新作が届いたのは、嬉しかったなあ。

ドム・カエターノは、アンゴラ政府(MPLA)がキューバとソ連の支援を受けていた70年代、
政府後援の留学生として77年にキューバへ渡っています。
この時、留学生の音楽仲間だったアントニオ・メンデス・デ・カルヴァーリョとともに、
キューバの人気デュオ、ロス・コンパドレスにあやかったデュオ活動を始めたところ、
キューバのアンゴラ人学生コミュニティの間で人気が沸騰。
そこでさらにメンバーを増やしたコンボ・レヴォルシオンを結成し、
キューバで3年間活動します。

その後アンゴラへ帰国すると、ゼカ・サーとともに、
アンゴラ版ロス・コンパドレスを復活させ、
ドムがジョーヴェンス・ド・プレンダに招かれるまで、デュオ活動を続けたのでした。
コンビを組んだゼカ・サーは、ドムが16歳のときに結成したグループ、
セヴン・ボーイズのメンバーで、ドムにとって幼なじみのもっとも古い音楽仲間です。
『35周年メモリアル』という新作のタイトルどおり、35年ぶりに再会した作品なのですね。

ほとんどの曲が二人の共作で、おそらく当時の曲なのでしょう。
二人の曲ではない‘Un Larara’ は、
本家ロス・コンパドレスの‘Hay Un Run Run’ のカヴァーです。
二人の土臭い声がいいんだよあ。
野趣に富んだこの滋味深さは、ヴェテランにしか出せない味わいですよ。

グァラーチャ、ソンゴ、ボレーロといったキューバのスタイルに、
センバをミックスしたサウンドも、たまりません。
ディカンザが刻む軽快なリズムや、メレンゲでタンボーラが叩くのと同じ
ト・ト・ト・トというリズムにのせて奏でられるアコーディオンに、
センバらしさがよく表われています。
ほっこりとしたラテン調センバは、キゾンバとはまたセンスの違ったサウンドで、
得難い味があります。

Dom Caetano & Zeca Sá "MEMÓRIAS 35 ANOS" Xikote Produções no number (2018)
v.a. "ANGOLA 80’S 1978-1990" Buda Musique 82994-2
Orquestra Os Jovens Do Prenda "BERLIN FESTA!" Piranha PIR40-2 (1991)
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アンゴラ内戦時代のサヴァイヴァー ロベルチーニョ [南部アフリカ]

Robertinho  YOSSO IXALA.jpg

アンゴラ独立後のクーデター事件によって粛清の犠牲となった、
ダヴィッド・ゼー、アルトゥール・ヌネス、ウルバーノ・デ・カストロの後進歌手として、
80年代の内戦の時代に活動していたロベルチーニョ。

その後、ソ連崩壊による冷戦終結によって、
アンゴラで敵対し合っていた二大勢力が包括和平協定に調印し、
91年にアンゴラに束の間の平和が訪れ、
ようやくロベルチーニョはソロ・デビューLP“JOANA” を出します。
さらに93年にはセカンドLP“SAMBA SAMBA” を出すも、
資源戦争へと様相を変えた戦闘がまたも勃発、
歌手活動を停止せざるを得なくなったといいます。

16年になって、23年ぶりにリリースされた3作目は、
90年に出した2作のレパートリーを再演したアルバムとなっています。
念願の復帰に奮い立ったのか、ヴェテランの歌声というよりは、
ハイ・トーン・ヴォイスのハツラツとした歌いっぷりが印象的で、
90年代のLPを聴いたことはありませんが、
それを凌ぐ出来になったんじゃないですかね。

Angola 80  1978-1990.jpg

ロベルチーニョは78年に初シングルを出していて、
自身最大のヒット曲となった88年の‘Sanguito’(ファンク・センバ!)は、
ブダの名編集盤“ANGOLA 80’S 1978-1990” でも聴くことができますけれど、
この時と歌声がぜんぜん変わっていません。

R&Bやヒップ・ホップを通過した、新世代のキレのいいセンバとは違う
朴訥とした味わいこそ、内戦時代のサヴァイヴァーならではでしょう。
洗練ばかりが美点じゃないよ、と教えられるかのよう。

これで順調に現役復帰かと思いきや、なんとその後逮捕され、現在係争中。
なんでも新作をひっさげて、17年にブラジルへツアーをして帰国したところ、
ブラジルの空港で見知らぬ人物から預かった2つのスーツケースから
コカイン9キロが発見され、昨年5月に逮捕されてしまったんだとか。
本人は関与を否定していますが、9月に起訴され、
その後の報道がありません。どうなったんだろう。

Robertinho "YOSSO IXALA" Xikote Produções no number (2016)
V.A. "ANGOLA 80’S 1978-1990" Buda Musique 82994-2
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ゴキゲンななめの謎ジャケ フィエル・ディディ [南部アフリカ]

Fiel Didi  NOSSA SENHORA DA MUXIMA.jpg   Fiel Didi  EM DEFESA DO SEMBA.jpg

うわははは、なんだこのブッちょうずら。
11年に“COISAS DE PAIXÃO” で遅咲きの歌手デビューを果たした、
アンゴラのセンバ・シンガー、フィエル・ディディの3作目。

13年の2作目“EM DEFESA DO SEMBA” を、
3年前のミュージック・マガジン誌に紹介記事を書いたものの、
その時は日本に入荷せず、今回ようやく新作と一緒に入荷したんですけれど、
その新作のジャケット写真の不機嫌なことといったら。
いったい撮影時に何があったんでしょうね。

中身の方は、そんなジャケ写を忘れる、明るい表情のセンバがたーっぷり。
この人のセンバは、哀愁味があまり表に出てこなくて、人懐っこいんですよ。
ここ数年、若手による新世代のセンバばかり聴いていた気がしますけど、
こういうオールド・スクールなセンバには、ほっこりしますねえ。

フィエル・ディディはもともと歌手ではなく、政治家だったという異色の人。
青少年スポーツ大臣やルアンダ州副知事などを歴任し、
その後ホテル経営や観光業を営む実業家へと転身したアンゴラ政財界の大物です。
ジャケット裏には湖畔のコテージみたいな建物が写っていますけど、
これもフィエルが経営しているホテルなのかな?
それにしてもヒドいピンボケ写真で、
ジャケットを制作したデザイナー、なんか悪意でもあったのか。

レパートリーは、アルトゥール・ヌネスやウルバーノ・デ・カストロなど、
70年代センバの曲が中心。タイトル曲も、ヴェテラン・シンガー・ソングライター、
エリアス・ディアー・キムエゾの曲です。
ディカンザ(スクレイパー)をシャカシャカと刻むリズムに、
アコーディオンの涼風のような響きが、オールド・センバの味をよく伝えていますよ。
サウンド・プロダクションもキゾンバのような洗練されたコンテンポラリーではなく、
ほどよいチープさを残しているところがいいんだなあ。
フィエルのざっくばらんとした、あけっぴろげな歌い方も、
実に庶民的というか、いい雰囲気で、聴いているだけで、しぜんに笑みがこぼれます。

Fiel Didi "NOSSA SENHORA DA MUXIMA" Xikote Produções no number (2018)
Fiel Didi "EM DEFESA DO SEMBA" Xikote Produções no number (2013)
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南ア・ディープ・ハウスの傑作 シミー [南部アフリカ]

Simmy  TUGELA FAIRY.jpg

もう1人の南ア新人は、シミーことシンフィウェ・ンホラングレラ。
出身はムリンド・ザ・ヴォーカリストと同じクワズールー=ナタール州で、
より内陸部のツゲラ・フェリー。齢も24と、ムリンド・ザ・ヴォーカリストと1つ違い。
出身も年齢も近い2人ですけど、音楽性は違って、シミーの方はディープ・ハウスです。
クワイトが再び盛り上がってきたのにつられて、ハウスも盛り上がっているんでしょうか。
南アは、昔からハウスが人気ありますよね。

13年、クワズールー=ナタル大学で社会工学を学んでいたシミーは、
ハウス・プロデューサーのサン=エル・ミュージシャンと出会い、
共演を求められたといいます。
その時は学位取得を優先して断ったそうですが、卒業後にジョハネスバーグに向かい、
サン=エル・ミュージシャンのもとで活動してきたとのこと。
デビュー作もサン=エル・ミュージシャンのプロデュースで、
彼のレーベルからリリースされました。
「KARAOKE QUEEN」と胸に書かれたTシャツを着ている、
バック・インレイの写真には笑ってしまいました。

選び抜かれた鍵盤の音色、デリケイトにプログラミングされたビート、
身体がふわりと軽くなる浮遊感のあるサウンドは、ネオ・ソウルとも親和性があり、
重みのあるボトムのビートが、濃密な空間を生み出します。
シミーの歌いぶりは、ハウス・トラックのフィーチャリング・ヴォーカリストそのもの。
ヴォーカルが自己主張するのではなく、
サウンドやコーラスに自分のヴォイスを溶け合わせることに、心を砕いています。

ダンスフロア向けでない、リヴィング・ルームで聴くためのディープ・ハウス。
クワイトが盛り上がったゼロ年代前半に、南ア産ハウスもけっこう聴いたんですけれど、
これほどのクオリティのアルバムには出会えませんでした。
ビートメイクのセンスなんて、US/EU産ディープ・ハウスを凌いでるんじゃないですかね。

あと、終盤に1曲(‘Lashona Ilanga’)だけ、
南アらしいゴスペル・フィールなトラックがあるのは意外性満点で、聴きものです。
南ア・ディープ・ハウスの傑作、しばらく手放せそうにありません。

Simmy "TUGELA FAIRY" El World Music CDCOL8342 (2018)
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王道の南ア・ポップ新人 ムリンド・ザ・ヴォーカリスト [南部アフリカ]

Mlindo The Vocalist  EMAKHAYA.jpg

南アから、男女若手2人それぞれのデビュー作が届きました。

まずはじめは、クワズールー=ナタール州南岸、ポート・シェプストーン出身という、
ムリンド・ザ・ヴォーカリストことリンドクレ・マジェデジ。
若干23歳の新人で、ヒット・メイカーのDJマフォリサにインターネットで見出され、
一躍ブレイクしたというアフロポップのシンガーです。

そのデビュー作から溢れ出す、
南アらしいオーセンティックな味わいをもった歌い口に、
グイグイ引き込まれてしまいました。
どっしりとしたスロー中心で迫り、ダンス・ナンバーのアップ曲はまったくなし。
じっくりと歌う落ち着いた歌いぶりにも、びっくりさせられました。

え? この人、まだ23歳なんだよね?と思わず確かめなくなるほど、
若さに似合わない、風格のある歌を歌える人で、
じわじわと聴く者の胸に、狂おしさを沁み込ませていくあたり、力量を感じさせます。
終盤の‘Lengoma’ を初めて聴いた時は、思わずもらい泣きしてしまったほど。
胸に沁みる、いい曲です。
歌詞はわかりませんが、鎮魂の祈りを強烈に感じさせる曲です。

「アパルトヘイト」を知らないポスト・アパルトヘイト世代の音楽家が増えるなか、
ムリンドは母親や叔父の体験を通して、アパルトヘイト時代の苦闘から
多くのインスピレーションを得ているというので、
そういう思いが、きっと歌に込められているんでしょう。
共演を願うアーティストとして、オリヴァー・ムトゥクジの名をあげるなんて、
嬉しい若者じゃないですか。そのコメントだけで、この人の音楽性ばかりでなく、
人間性が伝わってくるようです。

クワイトやヒップ・ホップR&Bを消化したコンテンポラリー・サウンドは、
グローバル・ポップとして通用するハイ・クオリティなプロダクションが施されていて、
南ア・アフロポップの進化を実感させます。
アップデイトされた現代のプロダクションにのせて、
南アらしいメロディと歌い口で王道のポップスを歌うムリンド。
ザ・ヴォーカリストの芸名は伊達じゃありませんよ。

Mlindo The Vocalist "EMAKHAYA" Sony Music CDSAR019 (2018)
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アンゴラの美メロ・シンガー・ソングライター マティアス・ダマジオ [南部アフリカ]

Matias Damásio  Por Amor.jpg

とろっとろの甘さ。
この人もまたアンゴラの美メロ・マスターといえそうな、
マティアス・ダマジオであります。

美メロ曲で埋め尽くされた“POR AMOR”。大ヒットとなるのも当然ですね。
オリジナルは15年にリリースされましたが、ポルトガルの人気シンガー、
エベル・マルクスをフィーチャーした‘Loucos’ が16年にポルトガルで大ヒットし、
この曲をオープニングにすえ、曲順、ジャケットを変えて
16年に新装リリースされたのが本作です。

遅ればせながら、ようやく手に入って聴いたんですが、
いや~、女子はもちろんのこと、オヤジでもトロけますね。
ベイビーフェイス・クラスの美メロを書ける才人です。

ソングライターの才能ばかりでなく、ヴォーカルもまたいいんだ。
やるせない歌いぶりは、ラヴ・ソング歌いに必須の歌唱力といえ、
スウィートな歌声に加えて、ぐうっと歌い上げる男っぷりも鮮やかです。
なんでアンゴラって、こんなに歌える男が多いんだろうね。

82年ベンゲラに生まれたマティアス・ダマジオは、
11歳で内戦のためルアンダへ避難民として家族と共に移住し、
靴磨きや洗車などの仕事をするなど、苦しい生活を送ったようです。
少年時代はカッサヴのカセットを聞きながら、歌手となることを夢見ていたそうで、
テレビのコンテストをきっかけにプロ・デビューし、
05年にデビュー作をリリースしました。

Matias Damásio  AMOR E FESTA NA LIXEIRA.jpg

ぼくがこの人を知ったのは、09年の2作目“AMOR E FESTA NA LIXEIRA”。
キゾンバをベースに、マラヴォワ風のストリングス・セクションや
アコーディオンをフィーチャーしたセンバなどもやっていて、即お気に入りとなりました。
3作目の“POR ANGOLA” を探したんですけれど、とうとう入手することができず、
ようやく4作目の改訂版を入手できたというわけです。

キゾンバをベースとしたコンテンポラリー・ポップスという路線は、
2作目の“AMOR E FESTA NA LIXEIRA” を踏襲しているものの、
プロダクションはグンと向上しています。
打ち込みに頼らない生演奏主体なのが、アンゴラのいいところです。

キゾンバといってもこの人の場合、センバをベースにしているというより、
ズークやコンパなどフレンチ・カリブ色が強いのが特徴。
「ラスタファーライ」や「ガンジャ」が連呼される曲のリズムが、
レゲエでなくコンパというのが、この人らしいところです。
センバの‘Beijo Rainha’ では、ダイナミックなホーン・セクションに
アコーディオンを絡ませ、聴きものとなっています。

今月末には新作“AUGUSTA” がリリースされる予定。なんとか入手しなきゃ。

Matias Damásio "POR AMOR" Arca Velha/Sony Music 88985362412 (2016)
Matias Damásio "AMOR E FESTA NA LIXEIRA" Vidisco 11.80.8927 (2009)
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ンバクァンガ最後の大物 アイリーン・マウェラ [南部アフリカ]

Irene Mawela  ARI PEMBELE.jpg

アイリーン・マウェラの新作!!!

これは思いもよらないリリースです。
南ア音楽シーンから、ンバクァンガやマスカンダの姿がすっかり消えていたところに、
ンバクァンガ時代を代表する女性歌手で作曲家のアイリーンの新作が届くとは。
南ア黒人音楽の黄金時代を知るファンにとって、これほど嬉しいニュースはありません。

07年のカムバック作にもカンゲキしたものですけれど、
その後出た復帰第2作の12年作を、とうとう入手することはできなかっただけに、
この新作には驚かされました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-02-20

新興レーベルの第1弾としてリリースされた本作は、
その12年作に次ぐアルバムと思われ、
12年録音の3曲、15年録音の4曲、17年録音の6曲が収録されています。
全曲アイリーン・マウェラの作(共作含み)で、
数多くのンバクァンガの名曲を書いてきた人だけに、
これぞ南ア・ポップといった刻印の押された曲が、ずらりと並んでいます。

アイリーンは40年ソウェト生まれなので、72~75歳時の録音になるわけですけれど、
その声に老いはあまり感じられません。
もともとパワフルに歌うタイプではなく、優しく穏やかな歌い口のシンガーなので、
年齢を重ねても、さほど衰えは目立たないようです。

驚いたのは‘Tirekere’ に、南ア音楽界の偉大なるプロデューサー、
ルパート・ボパーペの語りがフィーチャーされていたこと。
ルパート・ボパーペは、ンバクァンガの生みの親であり、
アイリーンの育ての親であることは、南ア音楽ファンならご存じですよね。

この曲はルパートとの共作で、12年録音となっているんですが、
ルパートは12年6月15日に86歳で亡くなっているので、
この録音は死の直前にあたる、最期の録音と思われます。
ここでルパートは、「イリーナ」と呼びかけているように聞こえるんですけれど、
「アイリーン」でなく、こちらが本当の発音なのでしょうか。

グロウナーとして知られるヴェテラン・シンガー、
マザンバネ・ズマをーフィーチャーした‘Makhaza’ では、
かつてマハラティーニとのコンビで歌った60年代のヒット曲を思わせ、頬が緩みます。
どの曲からも南ア黒人音楽の特徴といえるメロディがふんだんに出てきて、
嬉しくなってしまうんですけれど、惜しむらくは、
打ち込みを中心としたプロダクションの貧弱さが、
マテリアルの良さを生かしきれていないこと。

人力演奏ではないから、60~70年代のンバクァンガ・サウンドの再現なんて、
ないものねだりをするつもりは毛頭ありませんけど、打ち込みを使うなら使うで、
もっとマシなプロダクションにしてくれなきゃ、ガッカリだよなあ。
ボトムは薄いし、鍵盤のチープな音色もグルーヴ感を損なっていること、おびただしい。
プロダクションさえ良ければ、数倍聴きごたえのある作品となったろうに、
それだけが悔やまれます。

Irene Mawela "ARI PEMBELE" Umsakazo UM101 (2018)
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アンゴラ音楽の歴史的名盤、発見! ルイ・ミンガス [南部アフリカ]

Ruy Mingas  MONANGAMBÉ E OUTRAS CANÇÕES ANGOLANAS.jpg

アンゴラの往年のシンガー、ルイ・ミンガスの見覚えのないCDを見つけました。
ポルトガル盤なんですけれど、こ、これって、ひょっとして、70年のデビュー作では?
500円コーナーにあった中古CDを救出して持ち帰り、早速調べてみましたとも、ええ。

ルイ・ミンガスの70年のデビュー作
“ANGOLA CANÇÕES POR RUI MINGAS” と照らし合わせてみると、
A面1曲目“Mu Cinkola” が、“Monangambé” に差替えられています。
ディスコグラフィにあたると、このヴァージョンで77年に再発されたLPがあり、
その再発LPを94年にCD化したものが、これだったんですねえ。

たった2枚しかアルバムを残さなかった、アンゴラ音楽史に残る大物、
ルイ・ミンガスの歴史的名盤、そのデビュー作がCD化されていたとは、
ぜんぜん知りませんでした。大発見です。
95年にCD化された2作目の方は、日本にも入ってきましたけれど、
こちらは日本未入荷じゃないですか。ぼくはまったく見たことがありません。
日本でこのCDの存在を知っている人って、果たしているのかしらん。

ルイ・ミンガスは、アンゴラ音楽の伝説のグループ、ンゴラ・リトモスのメンバーで、
「アンゴラのポピュラー音楽の父」と称されたリセウ・ヴィエイラ・ディアスの甥っ子。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-01-15
ルイがリスボンへ留学していた59年、
リセウ・ヴィエイラ・ディアスが逮捕されたのと時を同じくして、高級官僚だった父親も、
植民地政府に批判的だったことから不当逮捕されてしまいます。
ルイが20歳の出来事でした。

学業を終えたルイは、ポルトガルの兵役につき、ギネア=ビサウへ送られます。
そこで62年、アンゴラ解放人民運動(MPLA)の兵士
アントニオ・ジャシントの詞に曲をつけた“Monangambé” を歌い、
これがアンゴラ国内で絶大な人気を呼びました。
独立運動に神経をとがらせていた植民地政府は、この曲の録音を禁じ、
アンゴラ独立目前となる74年まで、レコード化されることはありませんでした。

独立闘争が激しさを増していた70年、ルイはリスボン録音のデビューLPを出します。
“Muxima” をはじめとするンゴラ・リトモスのレパートリーを多く取り上げる一方、
そこに“Monangambé” を収められることはありませんでした。
そして73年、2作目の“TEMAS ANGOLANOS” を出します。

Ruy Mingas  TEMAS ANGOLANOS.jpg

ルイはこの2作しか制作しませんでしたが、
“Monangambé” は、74年にリリースされた4曲入りEPに収録されて世に出ました。

独立闘争時代を象徴する記念碑的な曲となった“Monangambé” は、
ブダから出た名編集盤“ANGOLA 60’S 1956-1970” に収録されています。
ルイは独立を果たしたあと、アンゴラ国歌“Angola Avante!”(進めアンゴラ)も作曲し、
スポーツ大臣、ポルトガル大使などを歴任しました。

暗喩に富んだ歌詞で歌われる、ギター弾き語りの“Monangambé” ばかりでなく、
どの曲もしみじみと哀愁に富んでいて、これがアンゴラ人の琴線に触れるんですね。
ギターの弾き語りを中心に、フルートや男女コーラス、
ディカンザなどのパーカッションが付くというシンプルな伴奏が、
センチメントなメロディを引き立てます。

ボンガとテタ・ランドが共作した名曲“Muadiakimi” のような、
アップ・テンポのダンス・チューンのセンバでさえ、
浮き立つような明るさがなく、深い闇に沈み込んでいくような哀感が漂います。

それは独立闘争で流された血ばかりでなく、
はるかかなたの奴隷貿易時代から、
黒人たちが強いられてきた苦難が生み出した、
拭い難い哀しみが宿されているからと思わずにはおれません。
マルチーニョ・ダ・ヴィラが77年のアフロ回帰作でこの曲をカヴァーしたのも、
そこに宿るディープな黒人性に、共感したからだったのではないでしょうか。

Ruy Mingas "MONANGAMBÉ E OUTRAS CANÇÕES ANGOLANAS" Strauss ST02011010202 (1977)
Ruy Mingas "TEMAS ANGOLANOS" Strauss ST1067 (1973)
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アンゴラの美メロ・マスター リル・サイント [南部アフリカ]

Lil Saint NEW DAY.jpg

アンゴラのセフ・タンジーがすっかりお気に入りとなって、はや2か月。
センバやキゾンバといったアンゴラ色のまったくない、
北米R&Bマナーのシンガーなんですけれど、
スウィートな歌いっぷりに、聴けば聴くほど惹きつけられています。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2018-04-08

そんなところに、また一人、アンゴラの歌えるシンガーと出会っちゃいました。
リル・サイントことアントニオ・リスボア・サントスのセカンド作。
こちらはキゾンバのシンガーですけれど、歌は完全にR&Bマナーですね。

やるせなく歌うテナー・ヴォイスが、女子イチコロといったセクシーさで、
歌い上げると声がかすれるところも、たまりませんねえ。
作曲やプロデュースもほとんど一人で手がけていて、才能豊かな人です。
ルーサー・ヴァンドロス、ボビー・ウォーマック、タンク、タイリース、
ドネル・ジョーンズといったシンガーの影響を受けたというのが、
この人の音楽性をそのまんま説明していて、
アンゴラの美メロ・マスターと呼びたくなります。

経歴をみると、14歳の時に、留学先のオランダで学校の友人と音楽活動を始め、
ポルトガルへ移って、ヒップ・ホップ・グループ、マフィア・スクワードを結成して活動、
その後ベルギーで実兄のC4・ペドロと落ちあって、
ブラザーズ・リスボア・サントスというデュオを組み、
その後アンゴラへ帰国してソロ活動をスタートさせたという、
若いながらもキャリアのある人です。

父親のリスボア・サントスがシンガーで、音楽一家に育ったんですね。
C4・ペドロもR&B色の強いキゾンバ・シンガーですけれど、
お兄さんの方がR&Bよりヒップ・ホップ色が強いみたい。

それにしても謎なのは、7曲目のイントロに登場する楽器。
どう聴いても、タイのソーみたいな音なんだけど、
アンゴラにこんな胡弓みたいな楽器ってあったっけか?
サンプルなのかもしれませんが、妙に耳残りして気になります。

Lil Saint "NEW DAY" B26 Entretenimento/LS & Republicano no number (2017)
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グローバル時代の南ア・ジャズ マブタ [南部アフリカ]

Mabuta.jpg

南アからも、世界同時多発する新しいジャズが聞こえてきましたよ。
ロンドンで活躍するサックス奏者シャバカ・ハッチングスが、
初のリーダー作で南ア・ジャズの若手たちと共演して話題を呼んだように、
グローバルな共通言語を持った若手たちが、新たな南ア・ジャズをクリエイトしています。

ケープ・タウン出身のベーシスト、シェーン・クーパーが送ってきた、
彼の新しいバンド、マブタの新作もそのひとつ。
シェーン・クーパーは、カイル・シェパード・トリオのベーシストとして16年に来日し、
反復フレーズを展開するグルーヴ・センスに、抜きんでた才能をみせてくれましたが、
なんと彼はビートメイカーとしても活躍しているそうで、
あとでそれを聞き、なるほどぉと、深くうなずいたものでした。

そんな多彩な才能を持つシェーンがリーダーとなり、
昨年ジョハネスバーグで立ち上げたのが、このマブタ。
なんとバンド名は日本語の「瞼」から取ったんだそうで、
バンド結成から間をおかずに、デビュー作を完成させましたよ。

マブタは、シェーン・クーパーのベースに、
テナー・サックス、トランペット、ピアノ、ギター、ドラムスの6人組。
おおっ、ピアノにボカニ・ダイアーが起用されていてるじゃないですか。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-11-22

ボカニは2曲目で早速、親指ピアノを模したピアノの弦をミュートしたプレイを聞かせます。
バックでシャカシャカと刻むパーカッションは、ホショを意識したものでしょう。
こういうところに、ちゃんとアフリカ音楽のエッセンスが生きてますよねえ。
この曲には、シャバカ・ハッチングスもゲスト参加しているんですけれど、
ボカニ・ダイアーのプレイで、完全に影が薄くなっちゃいましたね。

他にも、カイル・シェパードとも共演しているバディ・ウェルズのテナー・サックスに、
アルトとバリトンの3管がゲスト参加した5曲目のアフロビートや、
7曲目のエチオ・ジャズなど、それぞれ異なるカラーリングを持った楽曲が並び、
シェーン・クーパーの作編曲能力の高さは、まさしくグローバルなジャズのクオリティ。

日本盤がリリースされることなど皆無だった南ア・ジャズですけれど、
本作は日本でもリリースされるというのだから、
グローバル化もまんざらじゃありませんね。

Mabuta "WELCOME TO THIS WORLD" Kujua no number (2018)
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アンゴラのセクシーなR&Bシンガー セフ・タンジー [南部アフリカ]

Cef Tanzy  CARTEL D'AMOR.jpg

今回入手したアンゴラ新作3枚、最後の1枚はR&B。
センバやキゾンバといったアンゴラ色は皆無、
アダルト・オリエンテッドなR&Bが好きな人なら、トリコになることウケアイの1枚です。

セフ・タンジーことカルロス・フェルナンド・タンジーは、
サッカー選手を夢見る少年だったのが、
ミュージシャンだった二人の兄に後押しされて、歌手デビューしたという人。
13年のデビュー作“BOTÃO DE ROSA” では、セフ名義でしたけれど、
今セカンド作では、姓名と一緒に名乗っています。

レイヤーしたシンセがたゆたうサウンドが極上のメロウさで、
適度にスキマのあるサウンド・スケープが、ラグジュアリーそのもの。
いやあ、トロけますねえ。やるせなく、せつない、泣きの曲が満載で、
ピアノをバックに切々と歌い上げるバラードも、女子涙目じゃないでしょうか。

以前、アンゴラのフリー・ソウルと呼びたいカンダにもマイっちゃいましたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2016-10-25
インターナショナル・マーケットにそのまま乗せられる
プロダクションのクオリティの高さは、南アのポップスと同列のものがありますね。

セフは声よし、こぶし回しもイヤミなく使うし、なめらかなフェイクも巧みと、
R&Bシンガーとして卓抜した才能を聞かせます。
肩の力の抜けた軽い歌い回しと、バラードで歌い上げる時の、
ふり絞る歌いぶりとの振り幅の大きさに、奥行きを感じさせる、
セクシーないいシンガーです。

Cef Tanzy "CARTEL D’AMOR" LS Republicano no number (2017)
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キャク・キャダフの弟分、デビュー フィーリョ・ド・ズア [南部アフリカ]

Filho Do Zua  Tudo Ou Nada.jpg

アンゴラのギター侍(?)みたいなジャケットの
フィーリョ・ド・ズアことマティアス・ダマージオくんのデビュー作。
まだ21歳という若きシンガー・ソングライターで、
キャク・キャダフの弟的存在として注目を集めているみたいです。

ジャケットの背景に、高層ビル街とスラム街をコラージュしているのは、
歌の内容を反映したものなんでしょうか。社会派なのかな?
メッセージの方はよくわからないんですが、
サウンドの方は、生演奏主体のキャク・キャダフとは正反対で、
打ち込みをベースとしたプロダクションとなっています。

キャク・キャダフのゴージャスなプロダクションを聴いたあとでは、
ちょっと分が悪いですけれど、決してこちらがチープというわけではなく、
聴き劣りするものでないことだけは、きちんと言っておきましょうね。

面白いのは、その打ち込みを使ったキゾンバのトラック。
ヒップ・ホップ・センスを感じさせるビート感が気持ちよくって、
4曲目の“Ta Lembido” のつっかかるような、
ギクシャクしたビートなんて、すっごくユニークで興味をおぼえました。
これ、アンゴラのリズムから参照したものなのか、
それともオリジナルの創作なのか(J・ディラの影響 !? )、どっちなんだろ。
いずれにせよ、こればかりは生演奏では得られない、
打ち込みならではのビートの快楽ですね。

その一方で、9曲目の“Mamã Falou” のような、
アコーディオンと生ドラムスが疾走するアップテンポのセンバもあれば、
ズーク・ナンバーもありで、センバ新世代というより、
もう少しヴァーサタイルなアフロ・ポップのシンガーといえそうです。

ラスト・トラックで、プート・ポルトゥゲースがゲスト参加してるんですけど、
主役を完全に食ってしまった、エネルギッシュな歌いっぷりがスゴイ。
まだ若いコのデビュー作だっていうのに、プート、遠慮なしだなあ。
でも、プートの魅力が炸裂していて、プート・ファンならゼッタイの聴きものです。

Filho Do Zua "TUDO OU NADA" Clé Entertainment no number (2017)
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