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南アフリカと西アフリカの出会い シンピウェ・ダナ [南部アフリカ]

Simphiwe Dana  ZANDISILE.jpg   Simphiwe Dana  BAMAKO.jpg

シンピウェ・ダナのデビュー作ほど、
南ア音楽の新世代登場をはっきりと意識させたアルバムはありませんでした。
80年生まれ、牧師の父のもとで幼少期に教会音楽で育ち、
南ア合唱の伝統をしっかりと受け継ぎながら、
現代女性のパーソナルな表現をあわせ持った
シンガー・ソングライターの登場は、それは新鮮でした。
マリからロキア・トラオレが出てきた時のような、時代の変わり目を感じたものです。

ソウル、ゴスペル、ジャズ、レゲエ、クワイト、エレクトロなど
幅広い音楽性を咀嚼したサウンドに、シンピウェ自身の多重録音による
無伴奏合唱で締めくくった04年のデビュー作は瞬く間に評判を呼び、
05年の南アフリカ音楽賞の最優秀新人賞をはじめ、数多くの音楽賞を総ナメしました。

それ以来、シンピウェを聴くチャンスを逸していたんですけれど、
20年に出た5作目にあたる“BAMAKO” を手に入れました。
『バマコ』というタイトルに、え?と不思議に思ったんですが、
なんとサリフ・ケイタとコラボして、マリでレコーディングされた作品で、
シンピウェがヴォーカルを多重録音した合唱曲の2曲をのぞき、
サリフとシンピウェが共同プロデュースをしています。
バックのミュージシャンも、すべてマリのミュージシャンが務めているんですね。
サリフも1曲で、すっかり角の取れたヴォーカルを聞かせています。

ギター、コラ、ンゴニ、カマレ・ンゴニ、カラバシによる伴奏は、
マンデ音楽の作法にのっとっているんですが、
シンピウェ作の楽曲はどれも南アそのもののメロディで、
マリと南アのどちらにも寄らない拮抗したサウンドは、相当にユニーク。
実験的とか野心的といったニュアンスはなく、両者がしっくりと溶け合っていて、
得難い味わいもあります。
コサ語でなく英語で歌うところには、レゲエも少し交じっていますね。
こんな<サウス・ミーツ・ウエスト>のアフリカ音楽は、初めて聴いた気がします。

Simphiwe Dana "ZANDISILE" Gallo CDGURB063 (2004)
Simphiwe Dana "BAMAKO" Universal 060250874053 (2020)
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ンビーラ名手の忘れがたき名盤 エファット・ムジュール [南部アフリカ]

Ephat Mujuru & The Spirit of The People  MBAVAIRA.jpg

わぁ、懐かしい!
ジンバブウェのンビーラ・マスター、エファット・ムジュール率いる
ザ・スピリット・オヴ・ピープルの83年セカンド作がCD化。

ザ・スピリット・オヴ・ピープル名義で出したエファット・ムジュールの
80年代の3作のうち、いちばん愛聴したのが、このレコードだったんだよな。
これをCD化するとは、オウサム・テープス・フロム・アフリカ主宰の
ブライアン・シンコヴィッツ、わかってるねえ。

拙著『ポップ・アフリカ800』のエファット・ムジュールの項に、
なんて書いたっけなあと思って読み返してみたら、
「エファットのソロならば、80年代のスピリット・オヴ・ザ・ピープルを
率いた諸作が最高だが、残念ながら未CD化」と書いていた。
そうそう、まさしくこのセカンド作を想いながら、これを書いたんだっけなあ。

エファットと相棒のトーマス・ワダルワ・ゴラが弾く2台のンビーラに、
ホーショ(シェイカー)を振るタベタ・マティキの3人によるミニマルな演奏が、
ショナ人のクロス・リズムの奥義を、たっぷりと披露してくれます。
遠くへ声を投げつけるようなワダルゴのヴォーカルが、いいんだなあ。
ンビーラのアルバムというと、ついぞ楽器演奏ばかりに注目が集まりますけれど、
ぼくはこのショナ独特の奔放な歌があってこその音楽だと思うんですよね。

祖先の霊と交流するための音楽であるからこその、
霊を引き寄せる芯の強い声に、クロス・リズムが催眠状態を生み出すグルーヴ。
オルゴールのようなンビーラ2台のサウンドに、
シャッシャッと規則的に刻まれるホーショのビートによって、
円環を描くようなサウンドスケープを生み出していく。
ショナ音楽のエッセンスがここに詰まっています。

本作は4曲収録で、収録時間はたったの23分。
81年の第1作、87年の第3作、まとめて3イン1CD化できたような気もするけど、
オリジナル・フォーマットのままのCD化が個人的には嬉しいので、大満足です。
ちなみに81年の第1作は、ジンバブウェ独立1周年を記念して、出たんですよねえ。
『ポップ・アフリカ700』にジャケット写真を載せたけど、
せっかくだから、ここにも載せておきましょう。

Ephat Mujuru  & The Spirit of The People.jpg

Ephat Mujuru & The Spirit of The People "MBAVAIRA" Awesome Tapes From Africa ATFA038 (1983)
[LP] Ephat Mujuru "THE SPIRIT OF THE PEOPLE : THE MBIRA MUSIC OF ZIMBABWE" Gramma ZML1003 (1981)
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ディスク1枚分の未発表音源リイシュー ドゥドゥ・プクワナ [南部アフリカ]

Dudu Pukwana Diamond Express.jpg

南ア・ジャズのサックス奏者ドゥドゥ・プクワナの77年作が、2度目のCD化。
これまでに、オリジナルのままCD化したのは日本だけですけれど、
今回はディスク1枚分の未発表音源を付けてリイシューしたんだから、
これは大事件です。

ボーナス・トラックならぬボーナス・ディスク付きという今回の2枚組CD化、
40年以上このレコードを聴き倒してきた人間には感涙ものなんですが、
いったいどこに眠っていた音源なんでしょうね。

片岡文明さんの解説を読むと、配信のみで流通していた音源とのこと。
え~、ぜんぜん知らなかった~と、慌ててチェックしたところ、
12年にブラック・ライオン・ヴォルト・リマスタード・シリーズの1枚として、
デジタル・リリースされていたようです。
それを今回、日本で初ディスク化したというわけか。これは快挙です!

77年に出た“DIAMOND EXPRESS” は、二つのセッションからなっていて、
B面2曲目の‘Tete And Barbs In My Mind’ だけが、
ドゥドゥのアルトとモンゲジ・フェザのトランペットに、
サクセロとトロンボーンを加えて4管とした、8人編成のセッションだったんですが、
どうやらこちらのセッションのアウトテイクが、残されていたようです。

デジタル・リリースされたアウトテイク集に収録された‘Blue Nick’ は、
‘Tete And Barbs In My Mind’ からタイトルを変えた、フル・ヴァージョン。
‘Tete And Barbs In My Mind’ はエンディングをフェイド・アウトしていましたが、
‘Blue Nick’ はノー・カット・ヴァージョンになっています。
ロック色が強く出た“DIAMOND EXPRESS” のなかで、このトラックだけが、
ブラザーフッド・オヴ・ブレスを想わす異色なフリー・ジャズ演奏だっただけに、
エンディングの強烈なドゥドゥの吹奏をカットして、フリー色を薄めたかったのかも。

ちなみに、アウトテイク集含め、全曲ドゥドゥ・プクワナの作曲なのですが、
この‘Tete And Barbs In My Mind’ = ‘Blue Nick’ だけは、
ピアニストのテテ・ンバンビサとの共作となっていて、
テテとドゥドゥ夫人のバーバラ・プクワナに捧げられています。
60年代初めに、テテがリーダーを務めていたヴォーカル・グループ、
フォー・ヤンクスに参加したのが、ドゥドゥのプロ入り初の仕事だったのでした。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2012-05-19

アウトテイク集では、ドゥドゥがソプラノ・サックスも吹いているのが、聴きどころ。
このレコーディングのあとに急死してしまうモンケジ・フェザのトランペットも、
随所で目の覚めるようなプレイを聞かせています。
ブリティッシュ・ジャズの名手キース・ティペットの転がりまくるピアノは、
痛快そのものですね。
ビバップをフリー解釈した‘Blessing Light’ なんて、すごく面白い。
ソウル・ジャズの‘Black Horse’ では、ペニーホイッスルをドゥドゥが吹きまくっています。
あー、こんな素晴らしい録音が残されていたなんて、もう涙が止まりませ~ん。

最後に、一つだけ不満も。
紙ジャケットはオリジナル盤を表裏とも忠実に再現しながら、
なぜ地の色だけ、ホワイトからペール・オレンジに変えたの?
こういう意味不なデザイン変更が残念でなりません。

ドゥドゥ・プクワナ 「ダイアモンド・エクスプレス+6⃣~コンプリート・フリーダム・レコーディングス」 ミューザック MZCB1441 (1977)
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サヴァイヴァーの底力 ドム・カエターノ [南部アフリカ]

Dom Caetano  DIVINA ESPERANÇA.jpg

な~んていい顔してるんでしょうか。これこそ、福顔ですよねぇ。
アンゴラのヴェテラン・シンガー、ドム・カエターノのソロ第3作。
センバの名門楽団ジョーヴェンス・ド・プレンダで、
85年から96年まで看板歌手を務め、数多くの受賞に輝いたシンガーです。
ヴェーリャ・グァルダのサンビスタみたいなご尊顔ですけれど、
58年生まれでぼくと同い年なんだよなあ。なんで、こんなに風格あるの?

ゼカ・サーとのコンビで出した18年作が快作だっただけに、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-02-16
是が非でも17年作は見つけねばと、苦心惨憺の末、ようやく叶いましたよ。

本作はなんと、マティアス・ダマジオがプロデュースしたんですね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-11-24
本業はプロデューサーのメストレ・フレディが、
ここではアレンジャーの役割に回っています。
こうした制作陣からもわかるとおり、懐古調センバを意図するものではなく、
若い世代にもアピールするキゾンバを中心に据えたサウンドとなっています。
センバの曲も、ルンバやキゾンバのニュアンスを加えたアレンジで聞かせているんですね。
コンパのブレイクを差し挟むアレンジなど、
フレンチ・カリブも消化されているのがわかります。

洗練されたサウンドにのせて歌う、ドム・カエターノのヴォーカルはといえば、
味のあるガラガラ声がいいんですよ。
振り絞るような歌いぶりなんて、胸に沁みるじゃないですか。
レパートリーには、粋なソンもあって、
ロス・コンパドレスを範とした歌い口に、頬がゆるみます。

芳醇な歌声には、長い内戦時代をサヴァイヴしたヴェテランの気概がにじみ、
キゾンバのサウンドでアップデートしたセンバに、より深みを与えています。

Dom Caetano "DIVINA ESPERANÇA" Arca Velha Entretenimentos AV00617 (2017)
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キゾンバ生みの親の会心作 エドゥアルド・パイン [南部アフリカ]

Eduardo Paim  ETU MU BIETU.jpg

これが今回一番の拾いモノというか、意外だった一作。
キゾンバの生みの親、エドゥアルド・パインの12年作。

エドゥアルドのCDは何枚か持っていたけど、全部処分しちゃったし、
これもまったく期待できそうにないジャケだなと思ったら、
1曲目から、アコーディオンにヴァイオリンが絡み、
カヴァキーニョが涼し気なコラデイラのリズムを刻むセンバでスタートし、
中盤からホーン・セクションや女性コーラスも交えた、
麗しいキゾンバへスイッチするアレンジに、ノケぞっちゃいました。

エドゥアルドの90年代のアルバムは、いかにもズークの亜流といった
プアなサウンド・プロダクションだったけれど、
見違えるようなクオリティのクレオール・ポップを聞かせるようになったんですねえ。

クレジットを見ると、エドゥアルド・パインが作編曲にプログラミング、
ベースまでこなしているんですね。ドラムスは生ではなくて、
エドゥアルドのプログラミングですけれど、これならOKでしょう。
楽曲がどれも良く、メロディはキャッチーだし、エドゥアルド自身のヴォーカルも、
少ししゃがれ声の庶民的な歌い口で、親しみがわきますね。

エドゥアルド・パインは、64年、コンゴ共和国ブラザヴィルの生まれ。
コンゴへ亡命したアンゴラ人両親のもとに生まれ、アンゴラへ帰国して、
キゾンバの先駆的バンドSOSで活躍しました。

「キゾンバの生みの親」というのは、SOSの歌手時代に、
インタヴュワーから「この音楽はなに?」と問われて、
キゾンバと答えたことから、その名が広まったといわれています。
じっさいにその発言をしたのは、バンドのパーカッショニストのビビだったのですが、
看板歌手のエドゥアルド・パインが、
キゾンバの生みの親と称されるようになったんですね。

エドゥアルドはその後SOSを脱退して、88年にポルトガルへ渡り、
91年にソロ・デビュー作を出し、90年代はコンスタンスにアルバムをリリースしますが、
21世紀に入って歌手活動を停止し、本作はひさしぶりの復帰作だったようです。

カッサヴのジャコブ・デヴァリューがゲスト参加して、
得意のスモーキー・ヴォイスを聞かせる曲もあれば、
ティンバレスをフィーチャーした、ラテン・テイストのセンバでは、
なんとパパ・ウェンバがゲストで歌っています!

また、ラ・ペルフェクタの曲にエドゥアルドがアダプトした曲では、
二人のギタリストが長いソロを弾いているのが聴きもの。
前半のフュージョン調、後半のロック調と、それぞれ個性的なソロで、
別人が弾いているとしか思えないんですが、クレジットには一人の名前しかないなあ。
このほか、クドゥロのシンガーのゾカ・ゾカやアグレCもゲストに迎えていますが、
ここではクドゥロではなく、キゾンバを歌っています。

アコーディオン、管・弦セクション、女性コーラスが彩りを添え、
適度にヌケのあるサウンドのアッパーなダンス・トラックが、てんこ盛り。
キゾンバ生みの親の会心作です。

Eduardo Paim "ETU MU BIETU" no label no number (2012)
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アダルト・オリエンテッドなキゾンバ エリカ・ネルンバ [南部アフリカ]

Erika Nelumba  POLIVALENTE.jpg

まだまだ続く、キゾンバ祭り。なんたって、大収穫祭ですから。

今度は、19年の本作が3作目となるエリカ・ネルンバ。
83年ルアンダ生まれというから、ペロラと同い年ですね。
ペロラのスムースな歌声とはまた別の、張りのある太い声が特徴。
アルト・ヴォイスのアダルトな歌声が魅力です。

01年に行われたコンテストでプロ入りしたエリカ・ネルンバは、
03年にデビュー作“PENSANDO EM TI” を出し、
08年にセカンド“AGORA SIM!” のあと、本作まで10年以上も沈黙してしまいます。
いったいどうしてたのかと思えば、この方、なんとお医者さんなんですね。
そちらの仕事が忙しくて、音楽活動からずっと離れていたそうで、
この3作目は自己資金で制作したんだそうです。

自主制作とはいえ、しっかりとプロデュースされた作品で、
メロウでいい曲だなと思ったら、カンダの作曲だったりと、楽曲も粒揃い。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-10-25
エリカもいい曲を書いていますね。
もろにズークな‘Estrilho’ なんて、キャッチーな佳曲じゃないですか。

フィーチャリングされたゲスト歌手も4人いて、
リル・サイントとデュエットした‘Café Mwangolé’ では、
テナー・ヴォイスのリルとアルト・ヴォイスのエリカの対比が絶妙。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-06-03
DJフィラスというトラックメイカーは知りませんでしたが、
なんとこの人もエリカと同業の医者で、トラックメイクだけでなくデュエットもしています。

そしてなにより話題をさらうのは、パウロ・フローレスとデュエットしたセンバでしょう。
キゾンバのレパートリーが並ぶなか、この曲‘Novos Tempos’ だけがセンバで、
なんとパウロ・フローレスは歌だけでなく、作詞も提供しています。
伴奏には、パウロ・フローレスの新作でも起用されていた、
大ベテランのコンガ奏者のジョアンジーニョ・モルガドが参加しています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-06-11

アダルト・オリエンテッドなキゾンバ、間違いありません。

Erika Nelumba "POLIVALENTE" no label no number (2019)
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ラグジュアリーなキゾンバ ペロラ [南部アフリカ]

Pérola  MAIS DE MIM.jpg

アリーのセカンドで、ヘヴィー・Cのプロデュース手腕に感じ入ったんですが、
ペロラのセカンドでもヘヴィー・Cが大活躍しています。
こちらは全曲プロデュースではないものの、大多数のトラックを手がけています。

ペロラことジャンディラ・サシンギ・ネトは、83年、アンゴラ第3の都市ウアンボ生まれ。
13歳の時に家族でナミビアのウィントフックに移り、
ダンス・グループに所属しながら歌い、いくつかのコンテストで受賞もしたとのこと。
その後南アへ渡り、コカ・コーラ主催のタレント発掘番組に出場するも、
南ア人でないことから失格。
アンゴラに帰国して、04年にペロラのステージ・ネームでデビューし、
09年にデビュー作を出します。

14年のセカンドとなる本作は、ヘヴィー・C印のラグジュアリーなサウンドで包んだ
アダルト・コンテンポラリーR&B仕様のキゾンバ。
都会的で洗練されたサウンドは、ヨラ・セメードのキゾンバとも親和性があるかな。
アリーのように、キゾンバ以外のジャンルに手を出すような試みはしておらず、
ストレートなキゾンバに徹したアルバムですね。

クセのない柔らかな声質で、伸びやかに歌うペロラのヴォーカルは、
しなやかな芯を感じさせる、いいシンガーですね。
作家陣は、ヘヴィー・C 、C4・ペドロ、マティアス・ダマジオ、
ネルソン・フレイタスほか、ペロラ自作の曲もあります。
ブラジルのアシェー・クイーン、
イヴェッチ・サンガロをゲストに迎え、デュオもしています。

Pérola "MAIS DE MIM" LS Republicano no number (2014)
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キゾンバ祭り絶賛開催中 アリー [南部アフリカ]

Ary  CRESCIDA MAS AO MEU JEITO.jpg   Ary  10.jpg

この夏は、キゾンバ祭りだっ!

梅雨が明けるのと同時に、どういう巡り合わせか、
アンゴラのキゾンバの良作が、どどっと手に入って、夏気分が全開。
どれも旧作なんですけど、スグレモノ揃いで、嬉しいったらありゃしない。
思わずその昔、ズークが初めて日本に上陸したときの記憶が蘇りました。

あれは、87年の夏だっけ。
GDプロダクションやデブのズークのアルバムが大量に日本へ上陸して、
解放感いっぱいのズーク・サウンドに、目の眩むような思いがしたもんです。
DX7のブライトなシンセ・サウンドに、
ビーチと青い空が目の前に、ぱあっと広がるようでした。

さて、じじぃの昔話はそのくらいにして、
まずはアリーこと、アリオヴァルダ・エウラリア・ガブリエルからいきましょう。
アリーは、86年ルバンゴ生まれ。
02年にコンテストでローリン・ヒルの曲を歌い、落選するものの、
それを観ていたプロデューサーのヘヴィー・Cに見出されて歌手デビューし、
07年にデビュー作を出したキゾンバ・シンガーです。

やっぱりこの人の歌は、華があるなあ。
チャーミングな歌いぶりには、ハジけるような若さが発揮されていて、
時に見せる切ない表情に、もうメロメロ。
16年作の“10” をすでに聴いていましたけれど、
今回手に入れた12年の2作目のサウンドには、ゾッコンとなってしまいました。

アリーを育てたヘヴィー・Cのプロデュースで、
ヴァラエティ豊かなレパートリーを彩るプロダクションが、よく出来てるんです。
さまざまなタイプのキゾンバを演出していて、
クラリネットをフィーチャーし、カヴァキーニョのリズム・カッティングを利かせた
アクースティックな仕上がりのキゾンバなど、
エレクトリックに偏らない音づくりがいいんだな。
前のめりに疾走する生演奏のセンバも、どこかほっこりしていて、なごめます。

アコーディオンとカヴァキーニョが活躍するコラデイラもあれば、
マネーカス・コスタがギターとベースで加わったグンベーなど、
アンゴラ以外のポルトガル語圏アフリカ音楽も取り入れて、
カラフルなアルバムに仕上がっています。

生音使いのトラックと打ち込み使いのトラックの使い分けが絶妙で、
両者がバランスよく配置されているのは、16年作の“10” とも共通していますね。
“10” の方はクドゥロもやっているなど、エレクトロ強めだったので、
ぼくはヘヴィー・Cがプロデュースした12年作の方が好み。
ちなみに“10” ではヘヴィー・Cのもとを離れ、
プロデュース・チームは一新されたんですね。

Ary "CRESCIDA MAS AO MEU JEITO" LS Produções no number (2012)
Ary "10" Divaary Empreendimentos no number (2016)
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男泣きの南ア・ソウル・ジャズ マイク・マガレメレ [南部アフリカ]

Mike Makhalemele  THE PEACEMAKER.jpg

今回、もろもろ手に入れたアッ=シャムス(ザ・サン)盤CDで、一番驚いたのがコレ。
サックス奏者マイク・マガレメレの75年デビュー作。

CD化されていたことを知らなかったので、それ自体もオドロキでしたけれど、
なんでまたザ・サンから出たんでしょうねえ。オリジナル盤はジョバーグなんですけれども。
調べてみたら、81年にザ・サンが再発していたんですね。
ジャケットはジョバーグのオリジナル盤どおりで、ザ・サンのロゴが付いただけ。
話は脱線しますけれど、当方「ヨハネスブルグ」という表記に、強い不快感を持っており、
間違ってもこのレーベルを、「ヨブルグ」などと読まぬよう、お願いします。

マイク・マガレメレは、38年ジョハネスバーグ、アレクサンドルに生まれたサックス奏者。
キッピー・ムケーツィに強い影響を受け、デクスター・ゴードン、チャーリー・パーカー、
ジョン・コルトレーン、ジョー・ヘンダーソンからも影響を受けたといいます。
ソウル・ジャズのグループ、ザ・ドライヴに在籍するなど、
ソウル・ジャズ色の濃い演奏が持ち味です。

昨年ザ・ヘシュー・ベシュー・グループの記事でも触れましたけれど、
70年代南アでザ・ドライヴが果たした役割は、本当に大きかったんですねえ。
マイクも参加した71年デビュー作の“SLOW DRIVE TO SOWETO” は、
ぜひCD化してほしいなあ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-11-29

南アにやってくるアメリカ人音楽家の伴奏に起用されることもしばしばで、
チャンピオン・ジャック・デュプリー、ジョー・ヘンダーソン、
カーティス・メイフィールド、クラレンス・カーターのバックを務めたとのこと。
このほか、ポール・サイモンの『グレイスランド』に参加して、‘Gumboots’ で共演。
87・88年にはレディスミス・ブラック・マンバーゾやミリアム・マケーバ、
ヒュー・マセケラとともに、サイモンのグレイスランド・ツアーに同行しています。

本作でも、そんなマイクらしいアーシーな演奏をたっぷりと楽しめます。
ぶりぶりと豪放磊落にビッグ・トーンを鳴らす、男くさいサックスがたまんない。
フェンダー・ローズのエレピと絡むソウルフルなサックスなんて、
往年のウィルトン・フェルダーをホウフツさせるじゃないですか。
そう、南ア版ジャズ・クルセーダーズみたいな。

ラスト・トラックの‘My Thing’ のテーマが、泣けて、泣けて。
涙の味がにじんだアーシーなメロディをストレートに吹ききる、
テナー・サックスの武骨なブロウに、男泣きするしかありません。
これぞ、南ア・ソウルじゃないですか。

Mike Makhalemele "THE PEACEMAKER" As-Shams/EMI CDSRK(WL)786151 (1975)
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ソウェト蜂起を前にしたソウル・ジャズ ブラック・ディスコ [南部アフリカ]

Black Discovery NIGHT EXPRESS.jpg

70年代の南ア・ジャズを中心にリイシューしているイギリスのマツリ・ミュージックが、
ブラック・ディスコの76年セカンド作をデジタル・リリースしたのは、
もう5年も前になるのか。
マツリは、レーベル発足当初はCDも作っていたけれど、
いまではデジタルかヴァイナルのみのリリースで、
CDはまったく出さなくなっちゃったなあ。

そんなわけで、このブラック・ディスコも、記憶の彼方になっていたんですが、
つい最近、オランダのお店に在庫のあった南ア・ジャズのレアCDのなかに、
オリジナル盤のレーベル元、アッ=シャムス(ザ・サン)が
96年にCD化した盤を発見したんです!

ブラック・ディスコというのは、南ア・ジャズ・シーンで活躍していた
テナー・サックス兼フルート奏者のバジル・コーツィーと
ベーシストのシフォ・グメデが、当時まだ新人だった
オルガン奏者のポップス・ムハンマド・イスマイールをフック・アップして、
75年に結成したドラムスレスのトリオ。

デビュー作が成功したことから、バジル・コーツィーと
シフォ・グメデがダラー・ブランドのもとで一緒に演奏していたドラマー、
ピーター・モラケを加えて、本セカンド作をレコーディングします。
ちなみに、バジル、シフォ、ピーターの3人は、
ダラー・ブランドの最高傑作“AFRICAN HERBS” のメンバーですよ。
黄金メンバーですね。

こんなふうに紹介すれば、
ブラック・ディスコは、南ア・ジャズのグループと想像されるでしょうが、
グループ名にディスコとあるとおり、
ほとんどジャズ色のないインスト・ソウルに近いグループだったのですね。
ぎりぎりソウル・ジャズといえるかどうか。
ブッカー・T&ジ・MGズを範としているのは確かで、マツリのサイトでは、
「スタックス・サウンドへの南アフリカからの回答」と表現していました。

実は本作、当初はブラック・ディスカヴァリーという名義に変えて
リリースされる予定だったのが、当時の南ア政府の検閲を通らず、
許可されなかったという出来事がありました。
このアッ=シャムス盤CDのジャケットは、グループ名のあとに very を付けて、
ディスカヴァリーに変えるという粋なデザイン処理がされていて、
バック・インレイや背にもブラック・ディスカヴァリーと記して、
グループの当初の意志を実現しています。

本作が録音されたのがどういう時代だったかといえば、
ソウェト蜂起の4か月前となる76年2月。
アパルトヘイト下の抑圧によって、
黒人住民の不満が爆発寸前となっていた、まさにその時でした。

そんな不満をなだめるかのように、ブラック・ディスコのサウンドは、
リラックスしたオルガンとメロウなサックスとフルートが、その表面を覆っていますが、
その裏に沈み込んでいる、怒りを沈殿させた黒人たちのパワーは、
ウネりまくるベースと、キレのいいドラムスが生み出すグルーヴに表現されています。
このサウンドが、当時の黒人の胸にどれくらい刺さったかは、容易に想像つきますよ。

ティミー・トーマスふうのリフを織り込んだ、
11分を超す長尺のタイトル曲‘Night Express’ には、
やるせない思いがこみ上げてきます。

Movement In The City.jpg

その後、同じ76年の10月に、ベースとドラムスが交替して3作目を出したあと、
ポップスとバジルは、ブラック・ディスコを発展的解消し、
ムーヴメント・イン・ザ・シティを結成します。
ムーヴメント・イン・ザ・シティの79年デビュー作のジャケット・カヴァーが、
ゲットーの壊された住宅と細道の荒涼とした写真が飾られるという、
さらに過酷な現実が待ち受けていることを考えれば、
“NIGHT EXPRESS” は、嵐の前の静けさであったといえそうです。

Black Discovery (Black Disco) "NIGHT EXPRESS" As-Shams/EMI CDSRK(WL)786158 (1976)
[LP] Movement In The City "MOVEMENT IN THE CITY" The Sun SRK786147 (1979)
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センバのコミュニケーター パウロ・フローレス [南部アフリカ]

Paulo Flores  INDEPENDÊNCIA.jpg

パウロ・フローレスのイキオイが止まらない。
創作意欲が湧き上がって、ほとばしるのを止められないといった感じで、
なにが彼をそんなに突き動かしているのか。
若手ラッパーのプロジージョと組んで、
エスペランサというプロジェクトを立ち上げたかと思えば、はや新作が届きましたよ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-02-01

アンゴラ人最大のアイコンとなったパウロ・フローレスですけれど、
ルアンダ、カゼンガ出身のポルトガル人で、リスボン育ちのアンゴラ人という立ち位置が、
世代、文化、表現をつなぐコミュニケーターという役割を、
彼に自覚的にさせたのでしょうか。
今作でもディアスポラである自伝的ドキュメントをまじえながら、
アンゴラの過去と現在、そして未来につながるテーマを取り上げ、
庶民の生活に根差しながら、抑圧と貧困と闘う人々の人生を語り、
逞しきアンゴラ人の誇りを歌っています。

新作のタイトルは、ずばり『独立』。
マルクス・レーニン主義時代のプロパガンダ・ポスターにならったアートワ-クには、
目隠しされた女性が描かれ、皮肉にも in と dependência を分裂させています。
アンゴラ独立時にテタ・ランドは、同じ『独立』のタイトルでアルバムを出しましたが、
約半世紀を経て、独立への眼差しがすっかり様変わりしたことを暗喩していますね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-11-16

独立50周年にはまだ4年早い、中途ハンパなタイミングでこのタイトルを付けたのは、
現在の社会状況では、とても祝賀を美化することなどできないという思いからのようです。
アニヴァーサリーを祝う前に、パウロはアンゴラの人々が忘れてしまっている
脱植民地化への長い闘いと、独立後の内戦の苦しみを呼び覚まそうとしています。

オープニングの‘Heróis Da Foto’ は、キゾンバのリズムに甘やかなメロディがのる、
明るいトーンを持った曲。しかし、その底には涙の味が隠れていて、
踊りながら泣き濡れてしまいそうなトラックじゃないですか。
続いて、ブラジルのショーロ・ミュージシャン、ジオゴ・グアナバラがアレンジを務めた
‘Bem-Vindo’は、ブラジルのショーロとアンゴラのラメントをミックスしたような切ない曲。
ジオゴが弾くバンドリンとギターもフィーチャーされ、アルバム冒頭から、
歌に沈殿している悲しみの深さに、胸を射抜かれました。
これって、ブラジルのサウダージ感覚とも異なる、アンゴラ音楽独特の味わいです。

ギネア=ビサウの夭逝した伝説のシンガー・ソングライター、
ジョゼ・カルロス・シュワルツの曲と
アンゴラのシンガー・ソングライター、ボンガの曲をメドレーにして、
パウロの長年の相棒であるギネア=ビサウのギタリスト、
マネーカス・コスタと共に歌ったトラックがあるほか、
プロジージョとユリ・ダ・クーニャをゲストに迎えた曲、
さらに伝説的なヴェテラン・ミュージシャンを迎えた曲も用意されています。

Boto Trindade  MEMÓRIAS.jpg

アルバム終盤の‘Esse País’ と’Roda Despedida de Semba’ に参加した、
ギタリストのボト・トリンダーデと、
コンガ奏者のジョアンジーニョ・モルガドの二人が、それです。
ジョアンジーニョ・モルガドは、コンジュント・メレンゲ、センバ・トロピカル、
オス・ボンゴス、バンダ・マラビーリャなどの数多くのバンドで、
ドラマーやパーカッショニストとして活躍し、
ダヴィッド・ゼー、カルロス・ラマルチーネ、テタ・ランドなどの独立以前の歌手たちから、
独立後ではカルロス・ブリティ、フィリープ・ムケンガ、
最近ではユリ・ダ・クーニャに至るまで、数多くのヒット曲に関わってきた名手で、
モダン・センバのビートをクリエイトしたと尊敬される人です。

アンゴラの歴史に触れた歌詞を縦軸に置き、
ギネア=ビサウのグンベー、ブラジルのショーロなど、ルゾフォニアの音楽性を横軸に置いた
パウロ・フローレスの作風が、今作もいかんなく発揮されています。
キゾンバやズークを消化して、クドゥロ世代の音楽家とともにヒップ・ホップのセンスも
取り入れてきたパウロのセンバは、ダンスフロア向けの音楽やポップスからは求められない、
長編小説を読むような充足感が得られます。

Paulo Flores "INDEPENDÊNCIA" Sony 19439882772 (2021)
Boto Trindade "MEMÓRIAS" Rádio Nacional De Angola RNAPQ22
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アンゴラのポップス才人、発見 トトー・ST [南部アフリカ]

Totó ST  FILHO DA LUZ.jpg   Totó ST  NGA SAKIDILA.jpg

うわぁ、スゴイ上質なポップスをやる人じゃないですか。
アンゴラのシンガー・ソングライター/ギタリストのトトー・STの2作に驚かされました。
歌、楽曲、演奏と、三拍子揃ったクオリティの高さといったら!
アンゴラといっても、センバやキゾンバとは無関係。
ジャジーな味わいもある、グルーヴ感溢れるコンテンポラリーなアフロ・ポップの作家で、
リシャール・ボナやラウル・ミドンが思い浮かぶ場面多し、といえます。

どういう人かとバイオを調べてみると、自身のサイトに紹介がありました。
80年ルアンダ生まれ。本名はセルピアン・トマス。
ステージ・ネームのトトー・STのSTは、本名のイニシャルですね。
14歳からキャリアを積み、06年にデビュー作“VIDA DAS COISAS ” をリリース。
今回ぼくが入手した14年作と19年作の2枚は、3作目と4作目にあたるようです。

2作ともに、ソングライティングが非凡。
どの曲もフックがあり、スキャットや多重録音による自身のハーモニー・コーラス、
ギター・プレイなど、巧みな聴かせどころを作るセンスに長けた人です。
歌いぶりは伸びやかだし、美しいファルセット使いも要所に交えて、
ヴォーカリストとしても優れています。この人の歌には、官能性がありますよ。

アンゴラの音楽賞で、ワールド・ミュージックやアフロ・ジャズ部門のベスト・シンガーを
受賞するほか、最優秀曲、最優秀作曲者を受賞しているのも、ナットクです。
15年にダイアン・リーヴスとステージをともにし、
キザイア・ジョーンズとも共演するなど、
国外のミュージシャンとの共演歴も豊富なようです。

2作のプロダクションもめちゃくちゃ充実していて、伴奏陣は実力派揃い。
“FILHO DA LUZ” では、アンゴラのポップス・シーンの若手プロデューサーとしても
活躍する鍵盤奏者ニノ・ジャズに、グアドループ出身のベーシスト、
ティエリー・ファンファン、マルチニーク出身のベーシスト、ミシェル・アリボが参加。
“NGA SAKIDILA” には、カメルーンの実力派ジャズ・ベーシストの
ガイ・ンサンゲが参加するほか、アンゴラの若手で注目を集めるギタリスト、
マリオ・ゴメスがシャープなギターを聞かせます。

アンゴラ、いったいどんだけ才能が眠っているんだよ!

Totó ST "FILHO DA LUZ" VIP no number (2014)
Totó ST "NGA SAKIDILA" 17A7 no number (2019)
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アマピアノ・シリーズ第2弾 DJ・ブラック・ロウ [南部アフリカ]

DJ Black Low  UWAM.jpg

オウサム・テープス・フロム・アフリカが、
テノ・アフリカに次いでリリースしたアマピアノ第2弾。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-03-31
テノ・アフリカはインストでしたけれど、
こちらは多彩なMCやシンガーをフィーチャーしています。

DJ・ブラック・ロウことサム・オースティン・ラデベは、
プレトリア出身の20歳のDJ/プロデューサーで、本作がデビュー作。
テノ・アフリカがジャズやハウス色の強いプロダクションだったのに比べると、
ブラック・ロウは、より実験性のあるアフロ・テックなサウンドを狙っているようで、
刺激的なダンス・ミュージックを作り上げています。

ループするビートはポリリズミックで、単調な四つ打ちのハウスやテクノとは別物だし、
電子音のパーカッションと深みのあるベース・ラインが生み出すグルーヴは、
生の打楽器使いと変わらないウネリを、しっかりと生み出しているじゃないですか。
クリアでヘヴィな重低音を響かせるオーディオ・エフェクトは、生楽器にはない快感で、
これこそエレクトロ・ミュージックならではの魅力でしょう。

ディープ・ハウスのジャジーでスムースなサウンドに、
不穏なシンセ音やドープなムードが漂うシンセ音がレイヤーして、
未来的なサウンドとなっているところが、アマピアノの真骨頂でしょうか。
また、歌詞については、ズールー語ばかりでなく、
ツワナ語やペディ語でも歌われているそうで、
ローカルをグローバルに連結させるハイブリッドな試みを、
若い才能が結実させています。

DJ Black Low "UWAMI" Awesome Tapes From Africa ATFA042 (2021)
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アマピアノ、ついに登場 テノ・アフリカ [南部アフリカ]

Teno Afrika  Amapiano Selections.jpg

南アの新しいエレクトロニック・ミュージック、
アマピアノがフィジカルになるのって、これが初なんでは?
これまで南アのプラットフォームからダウンロードするほか、
音源を入手できませんでしたけど、
オウサム・テープス・フロム・アフリカが世界に向けてリリースするとは、想定外でした。

南アのアンダーグラウンド・シーンからゴムに続いて登場した、アマピアノ。
ゴムはダーバンで生まれましたが、
アマピアノは、プレトリア、ジョハネスバーグ、ラステンバーグ郊外のタウンシップ発祥。
アマピアノ・フロム・ハウテン(ハウテン州発祥)とよく言われるのは、
プレトリア、ジョハネスバーグ、ラステンバーグという
面的な広がりがあるからなんでしょう。

ディープ・ハウスが好きな人なら、アマピアノに飛びつくこと必至で、
ゴムにあまりノレなかったぼくも、アマピアノにはすぐに反応できました。
南アはもともとハウスを受け容れてきた下地があるから、
アマピアノもその発展形といえそうだけれど、
ハウスから一度クワイトに発展した歴史があるから、
その迂回によって誕生したジャンルなのかな。

ハネるリズムがとにかくキモチイイったら、ありません。
小物系の鳴り物のサンプルを多用しているところも、魅力です。
4つ打ちのハウスと違って、スネアの不規則な置き方が独特で、
変則的なキックや、ごついベース音を響かせるログドラムとともに
ポリリズムを生み出してます。そのバックでは、
シェイカーがステディなビートを控えめに鳴らし続けていたりして、
う~ん、こういうビートって、いくらでも聞いてられるなあ。

だって、こういうリズムの構造や、アンサンブルの組み立て方って、
80年代後半のワシウ・アインデ・バリスター全盛期当時のフジとまったく同じですもん。
ワシウは小物打楽器の扱いがバツグンにうまくて、
旋律楽器を一切使わず、打楽器だけにこだわり続けた末に、
スクラッチを導入した90年の“AMERICAN TIPS” が頂点だったもんなあ。
装飾的に表われる小物打楽器のフィルインが、
リズム・パターンにすべり込んでいくスリリングさは、フジの快楽と同質もの。

生音と電子音の違いこそあれど、
ポリリズムをふんだんに活かしたビートの構築は、これぞアフリカ音楽のアイデンティティ。
若干21歳というDJ/プロデューサーのテノ・アフリカこと
ルテンド・ラドゥヴァの初アルバムという本作は、メロウなエレピの洗練されたタッチや、
ラグジュアリーなピアノ・サウンドはディープ・ハウスゆずりで、
スペースをたっぷりとった音空間を生み出していてます。
プレトリア流のクワイト、バカルディのサウンドも継いでいるみたいですね。

本作でゆいいつヴォイスをフィーチャーしたラスト・トラックでは、
「アフリカのチャント」というタイトルとは裏腹に、
インドのラーガのようなメロディを女性ヴォーカルがハミングしていて、
ミスティックなムードがクールです。

Teno Afrika "AMAPIANO SELECTIONS" Awesome Tapes From Africa ATFA040 (2020)
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コサ語使いのストーリーテラー ラリボーイ [南部アフリカ]

Laliboi.jpg

もう一人、スポーク・マタンボがフック・アップしたのは、
コサ語で「田舎の少年」を意味するラリボーイなるラッパー。
ラリボーイことシフォセンコシ・ンコドワネは、
コサ人の劇作家・小説家として著名なW・K・タムサンカ(1928-1998)の曾孫で、
曾祖父が残した芸術的遺産から多くのインスプレーションを得て、
自身のアイデンティティであるコサ語のラップ表現をクリエイトしたラッパーです。

東ケープ州、バターワース生まれのラリボーイは、
4歳の時に叔父からギターをもらって音楽を始め、
少年時代は、マンドーザやアラスカ、TK・ジーに影響を受け、
クワイトのアーティストを目指していたそうです。

14歳からラップを始めたものの、パンチラインで競い合うスタイルが性に合わず、
ライヴ・バンドのミュージシャンを志向していたところ、
ジョニー・メコアのミュージック・アカデミーでトランペットを学んでいたのを見込まれ、
インパンデ・コアのトランペット奏者兼歌手に起用され、プロの道を歩み始めます。
インパンデ・コア解散後は、元メンバーのスマッシュと結成したラジオ123で、
マンデーラ大統領が示した希望を持ち続けることの重要性を音楽へ反映させようと、
マンデラ・ポップを打ち立て、人気を獲得しました。

マタンボはラジオ123時代にラリボーイと出会い、ラリボーイのコサ語のラップを聴いて、
既成概念にとらわれない、南ア独自の表現をもつユニークなスタイルに感銘し、
プロデュースを申し出たといいます。
マタンボがラリボーイのために初めてビートメイクしたのが3曲目の‘Nomzamo’ で、
ダラー・ブランド夫人のサティマ・ビー・ベンジャミンが88年に出した
“LOVE LIGHT” 収録の‘Winnie Mandela - Beloved Heroine’ をサンプルに使い、
故ウィニー・マンデーラへのオマージュを捧げています。

そして、完成したフル・アルバムには、曾祖父の名前がタイトルに付けられました。
オープニングの‘Emonti’ では、ワークソングのコール・アンド・レスポンスのような
チャントをバックに、田舎の農村地帯を想起させる音像と、
都会的なクワイトのサウンドが並列されます。
このアルバムは、農村と都会、伝統とモダン、過去と現在など、
対照的な二者を関連付けながら、対話させようと試みているみたいですね。

ラリボーイは、コサ語とズールー語でラップしていて、
子音のクリック音がパーカッシヴな効果を強調する滑舌によって、
他の言語にはマネのできないフロウを生み出しています。
コサ社会には、西アフリカのグリオに匹敵する、
プレイズ・ポエットの語り部インボンギがおり、ラリボーイのラップは、
インボンギのプレイズ・ポエトリーを暗喩しているようにも思えます。

‘Blues for Bra Kippie’ は、キッピー・モケーツィの75年の曲‘African Day’ から
サンプルを取っていて、南ア・ジャズへの強い親密度を感じるほか、
ファンキーなリズム・ギターやグナーワなど、
さまざまなサンプルがカットアップされています。
スクラッチ音が懐かしいオールド・スクールなヒップ・ホップ・サウンドも、
かえって新鮮に響きますね。

インパンデ・コアやラジオ123で得たスキルを持って、
新たに自分の民族の物語を語るリリシストとして再出発したリリボーイの本作は、
ユニークなコサ語ラッパーというより、アフリカの伝統的なストーリーテラーの
ニュー・スターという文脈で捉えるべき才能でしょう。

LaliBoi "SIYANGAPHI" Teka no number (2019)
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マスカンダ一人多重録音アルバム ヴカジタテ [南部アフリカ]

Vukazithathe.jpg

スポーク・マタンボがフック・アップした新人のデビュー作。
これがヒップ・ホップとも、ハウスとも、エレクトロともまったく無縁の、
なんとマスカンダの音楽家なんだから、ビックリです。

マスカンダはズールーの吟遊詩人(ミンストレル)が伝えてきたズールー・フォーク。
バキバキに尖ったエレクトロを制作するプロデューサーの視界に、
マスカンダなんて音楽が入っていること自体、オドロキなんですけれど、
まさしくそこにこそ、南ア黒人音楽を継承し前進させるマタンボの資質が表れています。

マタンボの17年作“MZANSI BEAT CODE” にも、
マスカンダをエレクトロ化したユニークなトラックがあったし、
ファンタズマでもマスカンダが大きく取り入れられていましたけれど、
それにはこのアルバムの主役、ヴカジタテの存在があったんですね。
ファンタズマに、ベキセンゾ・セレとクレジットされたマルチ奏者こそが、
このヴカジタテなのでした。

クワズールー・ナタール州、ドゥウェシュラ育ちのベキセンゾ・セレは、
幼い頃からマスカンダに親しみ、マスカンダのギタリストだった父親から
ギターを習いました。ギターをマスターすると、コンサーティーナ、ハーモニカ、
ベース、ヴァイオリンと次々と楽器を習得してマルチ奏者に育ち、
やがて自身で作曲や歌も歌う、マスカンダの音楽家となったそうです。

12年の初のソロ・アルバムは、すべての楽器をヴカジタテ一人で演奏していて、
マタンボのプロデュースによって制作されました。
イキイキとしたギターのピッキング、ドライヴするベース・ライン、
大地を踏みしめるようなキックなど、一体感のある演奏はまるで生バンドで、
たった一人の多重録音とは思えないくらいです。
ヴカジタテは、早口で語る即興のイジボンゴを交えながら、
あけっぴろげな歌いっぷりで、マスカンダを快活に歌っています。

マタンボはまた、ヴカジタテの半生を描いたドキュメンタリー・フィルムも制作しています。
そのフィルムのなかで、丘の上でギターを練習するために牧畜業を放棄したことや、
ギターを教えてくれた父親を幼くして亡くし、小学校を退学してウムラジに引越し、
楽器と洋服の入ったバッグだけを持って、音楽の道を歩んだことなどが語られています。
ダーバンに出て仕事を探すも、無学のため職にありつけず生活には苦労したことや、
母親と兄弟を殺害されるなど、苦難に満ちたヴカジタテの半生ですが、
そうした苦悩を越えて神に感謝するウガジタテの逞しさが、
その歌に宿っているのを感じます。

Vukazithathe "ANIBAKHUZENI" Teka no number (2012)
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南ア・エレクトロ・ポップの実験場 スポーク・マタンボ [南部アフリカ]

Spoek Mathambo Mshini Wam.jpg   Spoek Mathambo  Father Creeper.jpg  
Spoek Mathambo Mzansi Beat Code.jpg   Spoek Mathambo  Tales From The Lost Cities.jpg
Spoek Mathambo  Hikikomori Blue.jpg   Fantasma  Free Love.jpg

南ア電子音楽の才人、スポーク・マタンボのデビュー作“MSHINI WAM” の衝撃は、
いまも忘れられません。
いまだから正直に告白しますけれど、
『ポップ・アフリカ800』の選盤にあたってすごく悩んで、結局選ばなかったのも、
本作のクオリティの問題では全然なくって、選者であるぼくの方が、
この音楽を語るヴォキャブラリーを持ち合わせていないからなのでした。

エレクトロなんてまったくの門外漢なうえ、
ジョイ・ディヴィジョンのカヴァーがあるといったって、
ジョイ・ディヴィジョンなんて聞いたことないし、というありさまでは、
的外れなコメントしかできないこと必至じゃないですか。情けない話なんですが。
『ポップ・アフリカ800』とほぼ同時に出版された
『アフロ・ポップ・ディスク・ガイド』に的確な評が載せられていたのを読んで、
ホッとしたことをよく覚えています。

そんな電子音楽門外漢のぼくでも、夢中になったスポーク・マタンボでしたが、
このデビュー作以降まったくフィジカルが制作されなくて、悔しい思いをしていたんです。
いつだったか、スポーク・マタンボのレーベル・サイトに、
CDも出してほしいとオファーをしたりしたんですが、
月日も経ち、すっかりそんなことも忘れていました。

それがある日突然、スポーク・マタンボ本人から、
「CDを作ったよ」というメールが届いたのには驚かされました。
喜び勇んで「全部買うよ!」と返事したところ、マタンボが主宰するテカ・レコーズの
関連作品まで、どっさりオマケを付けて送ってくれたのでした、

あらためて、デビュー作の“MSHINI WAM” から最新作の“HIKIKOMORI BLUE” まで
順にじっくり聴いてみたんですが、1作ごと趣向を変えていて、
サウンドの実験場となっているフレキシブルな制作態度に、感嘆しました。
やっぱりこの人の音楽性の広さと深さは、ズバ抜けていますね。

ジョナス・グワングワの甥っ子として85年に生まれ、
ソウェトのタウンシップで育ったヒップ・ホップ世代のマタンボは、
南ア黒人音楽の伝統を継承し、前進させるために登場したサラブレッドだったんですよ。
ポスト・アパルトヘイトの南ア社会の現実を鋭く撃った“MSHINI WAM” の衝撃は、
今あらためて聴き返しても、まったく色褪せていません。

アメリカでもリリースされた12年の第2作は初めて聴いたんですが、
デビュー作のポスト・ダブステップといえるエレクトロなトラックが半分と、
残り半分はドラムス、ギター、シンセのスリー・ピースの生演奏をバックにラップしたもの。
ニルヴァーナやマッドハニーを擁したグランジの牙城というべきレーベル、
サブ・ポップがリリースした作品というので身構えていたんですが、
シンプルなロック・サウンドとなっていたのは意外でしたね。マタンボのフロウも軽快で、
ダークなデビュー作とはかなり雰囲気が違っています。
南アでは、ソニーからリリースされていたんですね。

5作目を数える17年の“MZANSI BEAT CODE” は、
がらっと趣向が変わって、80年代末のシカゴ・ハウスを思わすトラックに始まります。
それがやがてEDMへと繋がっていき、太いギターとベースが轟音を響かせるロックまで、
アフリカン・エレクトロを縦断する圧巻の作品です。
ラスト・トラックは、子供のコーラスをフィーチャーしたマスカンダ・エレクトロで、
国籍を問わないクラブ・サウンドと南ア音楽を接続させた、
まさしく南ア・ポップ・サウンドの実験場。

20年の“TALES FROM THE LOST CITIES” は初のラップ・アルバム。
南アの多くのラッパーが政治的なトピックを取り上げないというマタンボは、
人種や階級間に存在する不均衡をテーマとした、社会批評色濃い作品に仕上げました。
ラップのストーリーテリングを豊かにするサウンドメイクは実に多彩で、
ディープ・ハウス、ダンスホール・レゲエ、南ア・ジャズがパッチワークされています。

そして、今年1月に出たばかりの“HIKIKOMORI BLUE” は、またもハウス色濃い作品で、
ストーリーテリングは封印され、インスト中心のアルバム。
「アフリカ人 引きこもり 低音 実験的ヒップホップ」の文字にも驚かされますけれど、
グナーワをサンプリングしたブロークン・ビートや、アフロ・ハウス、ダブなど、
さまざまな音像が交叉するプロダクションに、幻惑されっぱなし。

リーダー作のほか、マタンボが組んだユニットもあります。
スポーク・マタンボ、DJスポコ、ギターのアンドレ・ゲルデンハイス、マルチ奏者
ベキセンゾ・セレ、ドラムスのマイケル・ブキャナンの5人によるファンタズマは、
ヒップ・ホップのマナーで、サイケデリック・ロックにシャンガーン・エレクトロと
マスカンダを取り入れたハイブリッドなサウンドを聞かせます。

グローバル・カルチャーのなかで、南ア音楽の可能性をいかに発揮していのくか。
スポーク・マタンボは、その回答を作品でいつも提示しています。

Spoek Mathambo "MSHINI WAM" BBE BBE156ACD (2010)
Spoek Mathambo "FATHER CREEPER" Sony CDCOL8320 (2012)
Spoek Mathambo "MZANSI BEAT CODE" Teka no number (2017)
Spoek Mathambo "TALES FROM THE LOST CITIES" Teka no number (2020)
Spoek Mathambo "HIKIKOMORI BLUE" Teka no number (2021)
Fantasma "FREE LOVE" Teka no number (2015)
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出発点はセロニアス・モンク ダラー・ブランド [南部アフリカ]

Dollar Brand  PLAYS SPHERE JAZZ.jpg

南ア・ジャズの巨匠であるピアニスト、
ダラー・ブランド(アブドゥラー・イブラヒム)のデビュー作が、
初のオリジナル・ジャケット仕様でアナログ・リイシューされました。
リイシューしたのは、イタリアのLP復刻専門レーベルのハニー・パイ。
CDでは、すでに5年前にスペインのフォノが、
ザ・ジャズ・エピスルズとの2イン1でリイシューしましたが、
その時は記事にしなかったので、書き残しておきましょう。

フォノがザ・ジャズ・エピスルズと2イン1にしたのは、なかなか秀逸な企画で、
ザ・ジャズ・エピスルズは60年1月22日の録音、そのわずか2週間後の2月4日に、
ダラー・ブランドのデビュー作が録音されたんですね。
メンバーはブランドに、ジョニー・グルツのベース、マカヤ・ンショコのドラムスという、
ザ・ジャズ・エピスルズからヒュー・マセケラ、ジョナス・グワングワ、
キッピー・モケッツィの3管を除いたピアノ・トリオ。
南ア黒人による初のジャズ・アルバムとなったザ・ジャズ・エピスルズと、
ブランドのデビュー作は、いわば姉妹盤といえるものなのでした。

「スフィア・ジャズをプレイする」のタイトルどおり、
セロニアス・モンクの影響を堂々、表明しています。
あ、スフィアとは、セロニアス・モンクのミドル・ネームですね。
ブランドの自作曲のほか、モンクの‘Misterioso’ や、
モンクがよく演奏した‘Just You, Just Me’ を取り上げています。
ブランドの自作曲‘Eclipse At Dawn’ の楽想なんて、もろにモンク風。

ただ、このレコードを聴いて強く感じるのは、モンクよりも、むしろエリントンの影響。
左手が生み出すストライド・ピアノゆずりの強靭なリズムは、まさにエリントン直系。
分厚い和音でピアノをフルに鳴らすところは、エリントンばかりでなく、
ファッツ・ウォーラーなど、マイクが発達する以前のピアノ・サウンドを継承しています。
ぼくはこれを聴くと、エリントンとミンガスとローチの凶暴トリオが生み出した
“MONEY JUNGLE” をいつも連想してしまうんですけれど、
タッチの重量感やノリの感覚は、かなり相通じますよねえ。あれほど凶暴じゃないけど。

そういえば、“MONEY JUNGLE” は62年録音。
ブランドのデビュー作の録音の2年後ですけれど、
ブランドのデビュー作は、ザ・ジャズ・エピスルズとともに、
南アでは62年になってから、ようやく発売されたんでした。
あまりに時代を先取りしすぎていて、発表をためらわれたんでしょうね。
当時アメリカでこのレコードが聞かれていたら、さぞ驚かれたんじゃないかな。

[LP] Dollar Brand "PLAYS SPHERE JAZZ" Continental ZB8047 (1962)
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南ア大衆音楽史を消化した4人組 アーバン・ヴィレッジ [南部アフリカ]

Urban Village  UDONDOLO.jpg

ノー・フォーマット!初の南アのアーティストというのも、なるほどです。
従来の南アのグループにはなかった、センスの新しさを感じさせます。

フランス人好みの洗練された音楽性が、このレーベルのカラーだから、
アフリカ音楽の野趣な魅力はもちろん求められませけれど、
グローバルなポップスのスキルを引き寄せて、
多彩な南ア大衆音楽をハイブリッドに再構築した展開が聴きものです。

アーバン・ヴィレッジは、ソウェト出身の4人組。
アパルトヘイトの末期に生まれた彼らは、暗く重い幼い時代の記憶を忘れさせる、
新生南アの時代に誕生したハウスやクワイトなど、さまざまなダンス・ミュージックに
夢中になり、エレクトロの道を歩んだ世代の若者でした。

その一方、幼い頃に染みついたンバクァンガやマスカンダなど、
ソウェトで育まれた大衆音楽やズールーのポップスに、
先祖代々の儀式で演奏された伝統音楽のリズムを結び付け、
まったく新しい音楽を作ろうと考えたと、
リーダーのギタリスト、レラート・リチャバは語ります。

オープニングの‘Izivunguvungu’ は、ンビーラとフルートの反復フレーズで始まり、
子守唄を思わすいかにも南アらしいメロディで、冒頭から頬がゆるみます。
古いクウェラをモチーフにしたようなメロディと、
反復フレーズが生み出すデリケイトなサウンドの組み合わせが、とても新鮮。
さらに、サックスとピアノがサウンドの隙間に音を置いていくような演奏をしていて、
ソロという形式を取らないアレンジも、ユニークですねえ。

続く‘Dindi’ は、往年のマッゴナ・ツォホレ・バンドを彷彿させるンバクァンガで、
生のリズム・セクションにプログラミングのヘヴィーなスネアの打音を加え、
電子音まで飛び交います。21世紀のンバクァンガといった仕上がりが、イマっぽいですね。
3曲目‘Ubaba’ のヴォーカル・ハーモニーには、イシカタミヤを思わせ、
4曲目‘Ubusuku’ は、トニー・アレンを思わす弾むドラミングにも耳を奪われます。
途中サックスが絡んでくるパートになると、ルースなアフロビートのようで面白いですね。

マスカンダふうのギターに始まる5曲目‘Madume’ は、
コーラス・パートでチェロが雪崩を打つようなラインを弾いたり、
フルート・ソロのバックで優雅なストリング・セクションを配したりと、
この曲のアレンジもユニークです。
6曲目‘Sakhi Sizwe’ は、ヴジ・マーラセラを思わせるンバクァンガ。
ごきげんな南ア・クラシックの7曲目‘Marabi’ は、ソロモン・リンダの‘Mbube’ に、
ドロシー・マスカの‘Yombela Yombela’、反アパルトヘイト運動のアンセムとなった、
ストライク・ヴィラカジの‘Meadowlands’ までが引用されています。

ハネるリズムと三連符でつっかかるビートが印象的な8曲目の‘Umuthi’ は、
オルガンやギターが効果的。11曲目‘Empty K-Set’ は、
サックスとハーモニカのハーモニーがジャイヴィーなサウンドを奏でるマラービで、
シェビーンでの愉快なダンスを思わせるユーモラスなメロディと、
露天商のかけ声と鉄道のアナウンスがコラージュされます。

過去の遺産と現代のスキルをミックスしたメンバーのクリエイティヴなアイディアに加え、
全曲をアレンジしたフランス人ミュージシャンも、
本作のサウンド・メイキングに大きな役割を果たしたと思われる、
南ア新グループのデビュー作です。

Urban Village "UDONDOLO" No Format! NOF49 (2021)
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南ア抵抗のサウンドトラック アッシャー・ガメゼ [南部アフリカ]

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『弁証法的魂』とは、なるほど言い得て妙だと、聴き終えてナットクしました。
「弁証法」や「アウフヘーベン」といった哲学用語で語られることの多かった
60年代後半の時代の空気が鮮やかに蘇るジャズです。

表層的に言えば、ファラオ・サンダースに代表されるスピリチュアル・ジャズの再現と
いえるのでしょうけれど、その音楽が説得力を持ってリアルに迫ってくるのは、
単なる過去への回顧でなく、この音楽の基礎となっている抑圧への抵抗が、
南ア社会の現実問題であり続けているからでしょう。
アメリカのBLM運動ともシンクロして、幅広い共感を得られるんじゃないでしょうか。

ジョハネスバーグ出身のアッシャー・ガメゼは、
ケープ・タウンを拠点に活動するドラマーで、
昨年ブルー・ノートから世界デビューしたンドゥドゥーゾ・マカティーニや、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-05-31
シカゴを拠点に活動するクラリネット奏者エンジェル・バット・ダウィッドなど、
内外の数多くの音楽家と共演しています。

アッシャーの初アルバムとなる本作は、ベース、テナー・サックス、トランペットの編成で、
数曲でヴォーカルが加わっています。
トランペットは、マブタのメンバーのロビン・ファッシー=コック、
テナー・サックスのバディ・ウェルズも、マブタのアルバムに客演していましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-05-06

冒頭の3部楽章の組曲‘State of Emergence Suite’ は、
植民地主義の暴力の歴史を描いたもので、
バディ・マイルズが激しい咆哮を放つ第1楽章の「テーゼ」、
ホーンズとリズム・セクションが無調に動いていく第2楽章の「アンチテーゼ」、
バディ・ウェルズの叫びから、リズム・セクションとポリリズミックに高揚していく
第3楽章の「シンセシス」と、引力と反発力が相互に作用していく、
まさに弁証法的な展開が繰り広げられています。

続く、平和と愛を象徴するゴスペル調の‘Siyabulela’ では、
怒りの組曲から一転、穏やかな笑顔で祖先に感謝する姿を示す歌声が、
心へ静かに染み入ります。
相反する力が緊張感を持って高め合っていくこうした曲構成が、
アッシャーの弁証法なのですね。

終盤にはンバクァンガの楽しげなメロディを奏でる‘Hope In Azania’、
そしてラスト‘The Speculative Fourth’ では、
冒頭組曲の第2楽章を発展させた無調ジャズを繰り広げます。

南ア激動の歴史をかたどってきた魂と精神を、
ラディカルに音楽化したこのジャズ作品、
ぼくは、抵抗のサウンドトラックと受け止めました。

Asher Gamedze "DIALECTIC SOUL" On The Corner OTCRCD9 (2020)
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ビター・スウィート・センバ エルヴィオ [南部アフリカ]

Hélvio  BAIA DOS AMORES.jpg

モダン・センバのごひいきシンガー、エルヴィオの新作を入手しました。
2000年代に出た2作を聴き倒したものの、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-10-19
その後音沙汰がなくて、どうしているのかと思っていたんですが、
18年に新作が出ていたんですね。

エルヴィオといえば、なんといっても、この声ですよ。
やるせないメロディを、しゃがれたビターな歌声で歌われた日には、
もう身をよじって、枕を濡らすしかないみたいな。

2000年代の2作は、アクースティック・ギターを中心に、
オーガニックなサウンドを聞かせていましたけれど、
新作はエレクトリック寄りのサウンドになって、
ロックやヒップ・ホップのニュアンスを加味したトラックが目立つようになっています。

それでも、この人らしい哀感たっぷりのソングライティングや、
ディカンザが刻むリズムや特徴的なコンガのセンバ由来のビートが、
アルバムのすみずみまで発揮されていますね。
キゾンバとミックスされたリズム・トラックも多く聞かれますけれど、
アコーディオンの響きがセンバの色合いを濃くしています。

シークレット・トラックの多重録音(?)のア・カペラも気が利いた演出。
一カ所、謎に思ったのが、2曲目‘Meus Amigos’ の最後に、
琴と篠笛がちらりと出てくるところ。
クレジットには何も書かれてませんが、サンプリングなのかな。
日本人の耳には、すごく引っかかりを残します。

Hélvio "BAIA DOS AMORES" no label no number (2018)
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グルーミーなセンバ パウロ・フローレス&プロジージョ(エスペランサ) [南部アフリカ]

Paulo Flores & Prodígio  A BÊNÇÃO & A MALDIÇÃO.jpg

パウロ・フローレスの新作は、ラッパーのプロジージョとコラボした共同名義作で、
「エスペランサ」というプロジェクト名を冠しています。

暴力や飢えなど、アンゴラの庶民が味わってきた苦しみや痛みの記憶を解きほぐし、
新しい秩序や連帯に基づいた価値観を求めて、
人々に希望と愛を紡ごうと試みたアルバムとのこと。
前作“KANDONGUEIRO VOADOR” でも、
パウロは未来に向けたメッセージを若者に託していましたが、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-01-10
世代の異なる若手と協働した新作は、
未来へつなげようとするパウロの意志を汲み取ることができます。

パウロが72年生まれなのに対し、プロジージョは88年生まれと、
ひと回り以上の年の差のある二人。
88年といえば、奇しくもパウロがデビュー作を出した年で、
子供の頃のヒーローとスタジオで一緒になるのは、
プロジージョにとって名誉でもあり、エキサイティングだったといいます。

プロジージョは、15年に出したソロ作がアンゴラのヒップ・ホップ・アワードで
最優秀アルバム賞とラッパーMVPのダブル受賞となり、
今アンゴラでもっともイキオイにのるラッパー。
本作では、どこか疲れも感じさせる翳りのあるパウロの歌声と、
向こう見ずな若いエネルギーを放出するプロジージョの声が対照的に響きます。

雨上がりの街角、アスファルトにできた水たまり、ネコ(一輪車)を手押しする若者、
どんよりとした天気のモノクロームの写真を飾ったジャケットのように、
アルバムの内容もグルーミーな曲調が多いんですが、
たまに打ち込みが加わる以外、全曲ギターと二人の声だけという超シンプルなもの。

最初に聴いた時、まるでデモみたいだなと感じたんですが、
じっさい、2回セッションしたデモが、そのままアルバムになったとのこと。
セッションの後、本格的なレコーディングに移ったものの、
最初に二人でセッションしたときのような、スポンテニアスなマジックが起こらず、
結局レコーディングを断念したのだそうです。

アンゴラに生まれた悲哀を歌う暗い曲が多いなか、
楽天的なトーンの‘Esquebra’にホッとさせられたりもします。
これほど陰影のくっきりとした、深みのある音楽を聞かせられるのも、
30年を超すキャリアと、未来に視点を置きながら、後進を育てようとする
パウロの進取の気風ゆえでしょう。

Paulo Flores & Prodígio "A BÊNÇÃO & A MALDIÇÃO" Sony 19439819482 (2020)
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南ア+ドイツ産ネオ・ソウル・ユニット セバ・カープスタッド [南部アフリカ]

Seba Kaapstad  KONKE.jpg

まるで、ムーンチャイルド。
うわぁ、南アからもこういう音楽が出てくるようになったのね。
な~んてキモチいい、たゆたうサウンド。いっぺんでトリコになりました。

セバ・カープスタッドは、南アとエスワティニ出身の男女ジャズ・ヴォーカリストに、
ドイツ人2人によるユニット。両国を行き来しながら、活動をしているそう。
ネオ・ソウル、ヒップ・ホップ、ジャズが結びついた音楽性は、
冒頭でムーンチャイルドを引いたとおりです。

ダーバン出身の女性ヴォーカリスト、ゾー・マディガは、
大ヴェテランのルイス・モホロから、ベンジャミン・ジェフタやタンディ・ントゥリなどの
新世代ジャズの俊英たちと共演歴を持つ実力派。
といっても、その歌声はジャズを意識させるより、
ジル・スコットやエリカ・バドゥの系譜をうかがわせる、
ヒップ・ホップ色濃いスタイルですね。
一方、エスワティニ出身のンドゥミソ・マナナは、中性的なイメージの強いソフトな声で、
フランク・オーシャンあたりと親和性のあるシンガーです。

セバスチャン・シュスターの弾く鍵盤に、
フィリップ・シェイベルのドラムスとプログラミングが、
二人のヴォーカリストをミニマルでエレクトロニックなグルーヴで包み込み、
メランコリックで浮遊感たっぷりなサウンド・スケープを描いていきます。
洗練されたアーバン・コンテンポラリー・サウンドに、南ア色は皆無と思いきや、
途中、アフリカ的なリズムが背景に滑り込み、
遠景でズールー語でチャントするのが聞こえてくる‘Magic’ や、
南アらしいメロディをピアノが紡ぐ‘Home’ があるなど、
南ア音楽ファンの頬をゆるませる場面もあって、ほっこりさせられます。

Seba Kaapstad "KONKE" Mello Music Group MMG00154-2 (2021)
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フォーキー・センバ チャロ・コレイア [南部アフリカ]

Chalo Correia  KUDIHOHOLA.jpg   Chalo Correia  AKUÁ MUSSEQUE.jpg

ハーモニカ・ホルダーを首にかけたギター弾き語りの歌手といって思い浮かぶのは、
ボブ・ディランをはじめとする60年代のフォーク・シンガーたちです。
アフリカでこのスタイルの歌手というと、セネガルのイスマエル・ローと
マダガスカルのジャン・エミリアンぐらいかと思っていたら、
アンゴラにもハーモニカー・ホルダー使いのシンガーがいるのを発見しました。
それが、68年ルアンダ生まれのシンガー・ソングライター、チャロ・コレイアです。

そもそも、ハーモニカ・ホルダーを使って
ギターを弾き語るスタイルは、誰が始めたんでしょうね。
レス・ポールの36年のデビュー当時の写真に、ハーモニカ・ホルダーを首にかけて、
ギターを弾いている写真がありますけど、ひょっとしてレス・ポールの発明なのかなあ。
なんせレス・ポールは、希代の発明家だからねえ。すでに10代前半で、
自作のハーモニカ・ホルダーを使っていたという話が残っているくらいだから、
まんざら間違いじゃない気がするんですけれど、
どなたか真相を知る方はいませんでしょうか。

話が脱線しちゃいましたけど、チャロ・コレイアは子供の頃、
母親からプラスチック製のギターを買ってもらって、ギターを弾き始めたそうで、
ハーモニカを吹くようになったのは、レビータの演奏で使われる
コンセルティーナのサウンドに憧れたからだそうです。
アメリカのフォーク・シンガーや、イスマエル・ローとかの影響ではなかったんですね。
若い頃は、ギターをとるか、ハーモニカをとるかの二者択一に悩んだものの、
その両方のサウンドとも自分には必要と悟り、現在のスタイルに落ち着いたのだそう。

チャロのバックグラウンドにあるのは、70年代のアンゴラ音楽黄金時代の音楽で、
ンゴラ・リトモス、ダヴィッド・ゼー、ウルバーノ・デ・カストロ、オス・メレンゲス、
オス・キエゾスに影響されて育ったとのこと。
90年代前半に内戦から逃れるためにポルトガルへ渡り、
自作曲を歌って歌手活動を始めますが、チャロのギターを核とした
オーガニックなサウンドは、センバをはじめ、レビータ、カズクータ、ルンバなど、
どのレパートリーにも在りし日のアンゴラ音楽のテイストが強く宿っているのを感じます。

それを実感できるのが、15年のデビュー作“KUDIHOHOLA” と、
17年のセカンド作“AKUÁ MUSSEQUE” の2枚。
デビュー作は全6曲わずか23分弱のミニ・アルバムですけれど、
ほっこりとした丸みのあるビートにのせて、フォーキーなセンバを歌っています。

チャロはポルトガルに渡った後、ヨーロッパのみでしか演奏活動をしておらず、
アンゴラでは一度もコンサートを行っていないにもかかわらず、15年のデビュー作は、
16年のアンゴラ音楽賞のベスト・アルバム部門ほか2部門にノミネートされたのだそう。
意外なのが、今年になってドイツのDJ系レーベルが、
デビュー作収録の2曲をシングル・カットしたことで、
「エキゾチックともいえる独自の音楽性で聴くものを陶酔させるオブスキュアすぎる一枚」
なんて書いている輸入CDショップの宣伝文句には、吹き出しちゃいました。

田舎ぽさ満点ののんびりとしたグルーヴがたまらない、カズクータの"Kudiholola" なんて、
クラブに集う若者の興味をそそるとは思えないんですけれど、
ほんとにこれがウケるなら、もっとセンバに注目が集まらなきゃ、ウソだよねえ。

Chalo Correia "KUDIHOHOLA" Celeste Mariposa no number (2015)
Chalo Correia "AKUÁ MUSSEQUE" no label no number (2017)
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エモい南ア・ハード・バップ ザ・ヘシュー・ベシュー・グループ [南部アフリカ]

The Heshoo Beshoo Group  ARMITAGE ROAD.jpg

おぅ、ついにこのレコードがリイシューされたかぁ。
南ア・ジャズに関心のない人でも、ジャケット・カヴァー名作として知る人の多い、
ザ・ヘシュー・ベシュー・グループの70年作です。

『アビー・ロード』のジャケットをパロディー化したレコードは、
世界津々浦々に山ほどあれど、このレコードほど秀逸なものはないでしょう。
荒れた未舗装の道路には、もちろん横断歩道のペイントがあるはずもなく、
貧しい田舎町の通りを渡る5人のメンバーは、
ポージングを決めるのに手間取ったからか、遠巻きに見るヤジウマたちが、
何をしているんだ?と不思議そうに眺めている姿も映り込んでしまっています。

モノクロームで撮られたこの写真は、
アビー・ロードの整然とした風景との違いをあからさまに示すことで、
アーミテージ・ロードが置かれている社会状況のイメージを増幅させます。
もちろんそのねらいが、アパルトヘイトへの批判であることは言うまでもないでしょう。
世界にあまたあるパロディー・ジャケットが、しょせん悪ふざけにすぎないなか、
本作のジャケットが飛びぬけた強度を持つのは、そのメッセージ性ゆえです。

タイトルのアーミテージ・ロードが、じっさいの写真のロケーションかどうかは不明ですが、
アーミテージ・ロードは、グループの作編曲を担当したギタリスト、
シリル・マグバネのオーランドにある生家の住所で、
ポリオに罹患して車椅子に乗っているのがシリルです。

ザ・ヘシュー・ベシュー・グループは、ジョハネスバーグで演奏活動していた
ダーバン出身のアルト・サックス奏者ヘンリー・シトルが、
弟のテナー奏者スタンリー・シトルに、ギタリストのシリル・マグバネ、
ドラマーのネルソン・マグワザ、ベーシストのアーネスト・モスルを集めて
69年に結成したジャズ・クインテットです。
アーネスト・モスルがプレトリア出身のほかは、全員ダーバンの出身者ですね。

演奏は典型的なハード・バップで、
南ア・ジャズ独特のマラービやサックス・ジャイヴの匂いをかぎ取ることはできません。
北米ジャズのコピーとはいえ、抑圧されたアパルトヘイト下で、
全員20歳代という若さを爆発させた粗削りな魅力は、今なお色褪せていませんね。
「ヘシュー・ベシュー」の意、「力づくで行く」プレイそのものです。
コルトレーン直系のスタンリーのテナーに、
アヴァンギャルドな要素もあるヘンリーのアルト、
そしてケニー・バレル譲りのオーソドックスなスタイルを聞かせるシリルのギターと、
この時代独特の熱気を伝えていて、エモいハード・バップを堪能できます。

このグループは、本作1枚を残して消滅してしまいますが、ヘンリーとスタンリーは、
71年4月に開催されるアルコ・ベスト・バンド・コンペティションに
出場のため新たなバンドを結成します。
このバンドが、のちの南ア・ソウル・ジャズのトップ・バンドとなるザ・ドライヴで、
メンバーにはシトル三兄弟の残り一人のトランペッター、
ダニーを加え、ピアニストにはベキ・ムセレクも在籍していました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2011-01-17

ザ・ドライヴはアルコのコンテストで見事優勝し、
南部アフリカをツアーして成功を収めますが、
77年5月の交通事故によってヘンリーは死亡、残りのメンバーもあいついで亡くなり、
ベースのアーネスト・モスルのみが生き残りとなります。
アーネストはのちに南アを離れ、80年代を通じて
クリス・マクレガーのブラザーフッド・オヴ・ブレスで活動しますが、
現在は南アに帰国しているようですね。

う~ん、ザ・ドライヴもリイシューしてくれませんかねえ。
バブルガムのつまんないアルバムなんか出してないで、
まだ山ほど眠っておる南アのお宝を、掘り出してくれよと言いたくなります。

The Heshoo Beshoo Group "ARMITAGE ROAD" We Are Busy Bodies WABB063CD (1970)
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13年も前に帰還していた南ア・ポップのヴェテラン レッタ・ンブール [南部アフリカ]

Letta Mbulu  CULANI NAMI.jpg

13年も前にアルバムが出ていたのに、ずっと気付かなかったとは、なんたる不覚。
南ア・ポップの名シンガーとして知られる、レッタ・ンブールの07年作です。

レッタ・ンブールといえば、
76年の代表作“THERE'S MUSIC IN THE AIR” が、なんといっても最高傑作でしたね。
あのアルバムのみずみずしさは格別で、
その後ディスコ/フュージョンに傾いた80年の“SOUND OF A RAINBOW” や、
83年の“IN THE MUSIC THE VILLAGE NEVER ENDS”、
シンセ・ポップの91年の“NOT YET UHURU” など、
レッタの歌声の輝きに変わりはないものの、時流のサウンドとの折り合いのつけ方は、
“THERE'S MUSIC IN THE AIR” には遠く及ぶのではありませんでした。

いずれのアルバムもプロデュースを務めたのは、レッタの伴侶、カイファス・セメニヤ。
カイファスは多くの曲を提供するばかりでなく、アレンジや、時にヴォーカルも務め、
公私ともに音楽パートナーとして、レッタをずっと支え続けてきました。
今思えば、68年に出したレッタの2作目のタイトルが「フリー・ソウル」だったのは、
のちに欧米から見たレッタの立ち位置を暗示していたように思えます。

さて、そのレッタの07年作。
時代からして、クワイトの影響があるんだろうなと思っていましたけれど、
予想通り、冒頭の2曲は打ち込み使いで、
1曲目はポップ・クワイト、2曲目はレゲエ調のアフロ・ポップです。
3管のホーン・セクションも起用して、サウンドをゴージャスに演出しています。
打ち込みのドラム・サウンドと相性のいいシンセ・ベースが、よくホップしていますね。

フュージョン系ギタリストのルイ・ムランガが冒頭の3曲で起用され、
3曲目で短いながら、印象的なアクースティック・ギター・ソロを聞かせます。
その3曲目以降は、ドラムスとベースによる生のリズム・セクションで、
従来のレッタらしいアフロ・ポップ・サウンドとなっていて、こうした構成もいいですね。
こちらのキー・パーソンは、ジャズ・ピアニストのテンバ・ムクイジかな。

レッタの声は、声域が低くなって落ち着いた声となり、
それに合わせて、シブい歌い方に変えています。
70年代とは違った歌いぶりですけれど、枯れた味わいがいいじゃないですか。
無理に強く歌うことをせず、静かに語りかけるような歌い口が、
齢を重ねたヴェテラン歌手らしい、いい変化なんじゃないかなあ。

南アの大地を踏みしめるような、ミディアムの懐の深いグルーヴも心地良いですね。
ビリンバウをサンプリングした電子音で始まる‘Akekho’ は、
南アの伝統リズムを現代的なビートに接続させ、
打ち込みと生ドラムスを重ねたリズム処理が、すごくキャッチー。
カイファスの時宜を得たプログラミングが成功したトラックで、これは聴きものです。

サンバのラスト・トラックまで、手を変え品を変え楽しませてくれるプロダクションは、
80~90年代に不満が残る作品しか残せなかったレッタにとって、
見違えるような会心の出来になっているじゃないですか。
なぜこれが当時話題にならなかったんでしょう。謎すぎます。

Letta Mbulu "CULANI NAMI" Sony BMG CDPAR5024 (2007)
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アンゴラ・ポップ職人の快作 イェイェ [南部アフリカ]

YeYe  IMBAMBA.jpg

しつこいとお思いでしょうが、アンゴラ四連投、これで最後です。

イェイェことオズヴァルド・シルヴァ・ジョゼ・ダ・フォンセカは、
73年生まれのキゾンバ・シンガー。ソロ・シンガーとなる前、
モザンビークで11年間音楽プロデューサーとして働き、
帰国後にプロデューサー業の経験を生かして、
アンゴラの音楽シーンへ貢献したいと、歌手へ転身したそう。

実はその昔、この人の96年作“TERRA DE SEMBA” を買って、
がっかりした記憶があったんです。
タイトルにセンバとあったので、おっ、とばかりに買ってみたんですが、
中身はセンバのセの字もないキゾンバ。
キゾンバが悪いというわけじゃないんですが、プロダクションがショボくって。

だもんで、その後のアルバムに手を伸ばすのを避けてたんですが、
う~ん、これはいいじゃないですか。
さすがに時を経た11年の制作は、プロダクションが目覚ましく向上しています。
しかも、この当時のセンバ回帰のトレンドを取り入れて、
アルバム前半は、すべてセンバで押していますよ。

オープニングは、マラヴォワふうビギンをミックスしたようなセンバ。
艶やかなヴァイオリンの響きがエレガントです。
そして2曲目以降、アコーディンをフィーチャーしたセンバ尽くしで、
ホーン・セクションなどもフィーチャーし、
打ち込みを使わない生演奏のリズム・セクションで、申し分のないサウンド。

ゲストがまた豪華で、大ヴェテランのボンガに始まり、
マティアス・ダマジオ、ユリ・ダ・クーニャなど、多数が参加しています。
「アンゴラ・モザンビーク」「マラベンタ」なんていう曲もあり、
リズムはセンバながら、マラベンタの影響をうかがわせるメロディが聞けます。

そして、中盤からするっとキゾンバに移る構成もうまいですね。
なかにはズークのニュアンスが濃いトラックもあり、
ラスト・トラックの‘Tonito’ は、完全にズークそのもの。
センバ~キゾンバ~ズークを横断する、アンゴラ・ポップ職人の手腕が光る一枚です。

YeYe "IMBAMBA" LS Produções no number (2011)
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アンゴラ内戦時代のヴェテラン・シンガーの死を悼んで ゼカックス [南部アフリカ]

Zecax  AVÓ SARA.jpg

アンゴラ音楽連投第三弾は、ヴェテラン・シンガーの追悼作。

56年ルアンダ、バイロ・マルサルに生まれた
ゼカックスことジョゼ・アントニオ・ジャノタは、
長く内戦下にあったアンゴラ音楽の停滞時代に、
アンゴラ国内で歌手活動を続けたシンガーです。

キサンゲーラ、オス・メレンゲス、ディアマンテス・ネグロス、
ジョーヴェンス・ド・プレンダ、オス・キエゾスなどのバンドを渡り歩き、
30年を超すキャリアの末に初のソロ・アルバム制作に取り掛かるも、
持病の悪化により、完成を待つことなく12年12月に亡くなりました。
平和な時代に歌手活動ができていれば、何枚もソロ・アルバムを出していただろうに、
この時代を過ごしたアンゴラ国内の多くの音楽家同様、不遇な歌手でした。

本作は、そんなゼカックスの最初にして最後のレコーディング11曲を収めたディスクと、
もう1枚‘Memórias’ のサブ・タイトルで、
往年のヒット曲14曲を収めた2枚組となっています。
‘Memórias’ の14曲は、80年代録音が中心のようですけれど、
発表年やバンド名などのクレジットが一切ないのは、遺憾です。
追悼作なのだから、故人の功績を称えるためにも、きちんと載せるべきでした。

音を聞く限り、クロノロジカルに並べてあるようで、
初期のレパートリーにメレンゲが多いのは、オス・メレンゲス時代の録音でしょうか。
いずれの曲もホーン・セクションをフィーチャーしていて、聴きごたえがあります。
初期録音のホーン・セクションは、チューニングが甘かったりするんですけれど、
後年の録音ではビシッときまっていますね。
ジョーヴェンス・ド・プレンダ時代のヒット曲‘Makota Mami’ ‘Fim De Semana’や
オス・キエゾス時代のヒット曲‘Maximbombo’ なども収録されています。

そして新録のソロ・アルバム‘Avó Sara’ は、DJマニャのアレンジによる
新時代センバのサウンドに溢れた作品となっています。
新曲に交じって往年のヒット曲‘Fim De Semana’ も再演していて、
曲によりラテンやズークのアレンジが施され、
エレガントなキゾンバやボレーロもあり、カラフルなサウンドが楽しめます。

終盤のハイライトは、アンゴラ伝統音楽のパーカッション・グループ、
キトゥシがバックを務めた、2010年のカーニバル優勝曲‘Mulher Angolana’。
フィリープ・ムケンガ作のカーニバル・ソングで、
カズクータ(ルアンダのカーニバル・ダンス)が十八番の
ゼカックスにうってつけの選曲です。

そしてラスト・トラックは、オープニング・ナンバー‘Panxita’ のハウス・ミックスで、
クラブ世代の若者にもアピールしようという、ヴェテランの意気を感じますねえ。
生前に出せなかったのは、実に残念ですが、
ゼカックスのキャリアを総括した見事なアルバムです。

Zecax "AVÓ SARA" Xikote Produções no number (2013)
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ウルトラ・モダンにしたチアンダを世界へ ガブリエル・チエマ [南部アフリカ]

Gabriel Tchiema  AZWLULA.jpg   Gabriel Tchiema  MUNGOLE.jpg

もう一人見つけたアンゴラの才能。
ガブリエル・チエマは、センバやキゾンバではなく、
チョクウェ人の音楽チアンダをベースにするシンガー・ソングライターです。

コンゴ民主共和国と国境を接する、アンゴラ内陸部のルンダ・スル州のダラで
66年に生まれ、18歳でFAPLA(アンゴラ解放人民軍)に入隊してからギターを覚え、
音楽を志したという経歴の持ち主。
兵役期間中に音楽祭で受賞するなどの功績が認められてプロのミュージシャンとなり、
90年の除隊後にソロ活動を開始し、98年に初アルバムを出します。
05年には、愛知万博(愛・地球博)で来日したそうです。

今回入手したのは、2作目の08年作と3作目の13年作。
まず2作目の“AZWLULA” を聴いて驚いたのは、その洗練された音楽性。
ジャズ系ミュージシャンを起用したスムースな演奏とメロウなサウンドは、
広くポップス・ファンにアピールする力があり、
これを世界に向けて売り出さないで、どうするよ、ホントに。

アレンジは、ルアンダ出身のピアニスト、ニノ・ジャズが全曲担当。
フィリープ・ムケンガとの仕事などでも知られる、
MPA(アンゴラのポップス)の若手プロデューサーとして活躍する人ですね。
チョクウェの伝統音楽であるチアンダの影を見つけるのが難しいほど、
ソフィスティケイトされた音楽に塗り替わっているものの、
南部アフリカらしいメロディには、ガブリエルのルーツがしっかりと刻印されています。

美しいボレーロの‘Salsa Pa Bó’ で、カーボ・ヴェルデ系シンガー・ソングライターの
ボーイ・ジェー・メンデスとデュエットしているほか、アフリカン・ネオ・ソウルと呼びたい
‘N´gunay’ の仕上がりにはトロけました。

3作目の“MUNGOLE” は、前作の路線を推し進めて、
さらにコンテンポラリー度をあげた作品となっています。
このアルバムでは、ニノ・ジャズのほか3人のアレンジャーを起用して、
ガブリエルのメロディ・メイカーとしての才能をうまく引き出していますね。
コンテンポラリーにしても、無国籍なサウンドになっていないことは、
ルンバの‘Itela’ が証明していますよ。

アフリカン・ポップスを意識せずとも聞くことのできるクオリティの高さは、
インターナショナルなマーケットで勝負すべき作品だよなあ。
アンゴラのミュージック・シーンのマーケティング力の弱さが残念でなりません。
ウルトラ・モダンにしたガブリエルのチアンダを、世界に向けて届けてほしいなあ。
リシャール・ボナのファンには、聞き逃さないでほしい人です。

Gabriel Tchiema "AZWLULA" Kriativa KR010 (2008)
Gabriel Tchiema "MUNGOLE" Nguimbi Produções GTCD03 (2013)
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ゴールデン・エイジのセンバをアップデイトして レガリーゼ [南部アフリカ]

Legalize  MULUNDO.jpg

独立を目前に控えた植民地時代末期のアンゴラ音楽を受け継ぐ歌手を発見しました。
その人の名は、「合法化」という風変わりなステージ・ネームを持つ
レガリーゼこと、アントニオ・ドス・サントス・ネト。
アンゴラ独立宣言の2か月前、
75年9月7日、ルアンダのランゲル地区に生まれたレガリーゼは、
75年に暗殺されたソフィア・ローザに、77年のクーデター未遂事件によって粛清された
3人のセンバ歌手、ウルバーノ・デ・カストロ、ダヴィッド・ゼー、アルトゥール・ヌネスに
強く感化され、当時のセンバの作風を現代に継承しています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-04-16

幼いころから、ウルバーノ・デ・カストロやダヴィッド・ゼーなどのセンバを
週末のパーティで歌う、近所でも評判の歌の上手い少年で、
9歳の時、アンゴラにやってきたブラジルのサンバ歌手
マルチーニョ・ダ・ヴィラが、テレビ出演した番組を見て触発され、
自分でも曲を書くようになったといいます。

新天地を求めて91年にポルトガルに渡りますが、夢と現実のギャップは大きく、
レンガ職人の助手からレストランの皿洗いなど、さまざまな仕事を転々とした末、
00年にセンバレガエというレゲエ・バンドに拾われ、プロの歌手としてスタートします。
当時のポルトガルでは、ラスタ・ムーヴメントの「ファンカンバレガエ」がブームで、
センバレガエもそうしたバンドのひとつ。
のちにトロピカル・ルーツとバンド名を変えています。
アントニオ自身もボブ・マーリーが大好きになったそうですが、
ウルバーノ・デ・カストロの曲を歌うことも忘れてはおらず、
彼はそれを「レガエ・ネグロ」と称していました。

レガリーゼというステージ・ネームは、当時、不法移民を合法化するためのデモが
盛んに行われていて、友人たちから付けられたアダ名を気に入り、
そう名乗るようになったといいます。
03年に初のソロ・アルバムを出して、04年に帰国。
11年に出したキンブンド語で「山」を意味するタイトルのセカンド・アルバムが本作です。
なお、CDには2010年のクレジットがありますが、
じっさいのリリースは2011年だとのこと。

のっけから、あけっぴろげなレガリーゼの歌いっぷりに、胸アツ。
苦み走った声は、今日びの若手では出せない味ですねえ。
なるほど、ゴールデン・エイジのセンバを継ごうという熱い思いが、
そのヴォーカルからほとばしるのを実感させられます。

また、サウンドが嬉しいじゃないですか。全編生音重視のプロダクション。
アコーディオンの音色にディカンザが刻むリズム、
コンガのポ・ポ・ポ・ポ・ポと時折入れるアクセントは、まっこと正調センバの証し。
チャーミングな女性コーラスをフィーチャーしたり、
ズークの影響を感じさせるリズム・ギターのカッティングなど、
現代的にアップデイトされたセンバを、手を変え品を変え、楽しませてくれます。

10年前にこんな傑作が出ているのに、誰もレヴューしなければ、
ジャーナリズムも完全スルーのアンゴラのミュージック・シーン。
なんでこれほどのお宝の山をほっとくのか、気が知れないね、まったく。

Legalize "MULUNDO" LS Produções BMP033 (2010)
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