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ボビー・ベンソン考 [西アフリカ]

西アフリカ音楽史にその名を残す重要人物にも関わらず、
いまだ一枚のLPもCDも復刻されていない
ナイジェリアン・ハイライフの父、ボビー・ベンソン。

経歴をおさらいすると、1921年レゴス近郊イコロドゥの生まれ、
本名はバーナード・オラバンジ・ショボワレ・ベンソン。
若い頃にボクサーとして活躍したようですが、
その後引退し、軍楽隊入隊を経て水夫となります。
雇われた船がナチスの魚雷に沈められてしまい(!)、
32日間漂流したあと救助され、カーボ・ヴェルデへ移送。
その後、イタリアの捕虜収容所に身柄を移され、43年にイタリアが同盟国に降伏して、
ようやく44年6月に解放、ロンドンへ移住しました。

ロンドンでニグロ・バレーを立ち上げ、ヨーロッパの都市数箇所を公演して回ったのち、
47年にナイジェリアへ帰郷。
帰郷後、妻のカサンドラとニュー・ヨークのハーレムのミュージカルを真似た劇団を立ち上げ、
ボビー・ベンソン・ジャム・セッション・オーケストラを設立します。
53年にはゴールド・コーストからE・T・メンサーとテンポス一行を迎え、
ナイジェリアでハイライフの一大ブームを巻き起こす大きな役割を果たしました。
ジャム・セッション・オーケストラは“Taxi Driver”の大ヒットを飛ばし、
ベンソンのもとからは、ヴィクター・オライヤ、ロイ・シカゴほか
数多くのミュージシャンが育っています。

数多くの録音をパーロフォンやセナフォン(グラモフォンのサブ・レーベル)などに残しますが、
ほとんど未復刻のまま。
LP時代はオランダ・フィリップスの10インチ盤“CATCHY RHYTHMS FROM NIGERIA”に
“Taxi Driver”と“Gentleman Bobby”の2曲がわずかに復刻されただけで、
CD時代になってからも、ナイジェリアのエヴァーグリーンが“Taxi Driver”1曲を復刻したのみ。

最近になってようやく、オネスト・ジョンズ盤の“MARVELLOUS BOY”に
上記2曲のほか“Calypso Minor One”が収録され、ようやく3曲がCD化されたとはいえ、
あー、もぅ、じれったいったら、ありゃしない。

Catchy Rhythms From Nigeria.JPG Evergreen Hits of 20 Music Masters of Our Country Nigeria.JPG Marvellous Boy.JPG

もっと聴いてみたい人は、こちらのサイトへ。
https://africanmusic.unibas.ch/resources/music-from-the-archives/nigeria-popular-music-1954-1957/collection-of-shellac-records
54年のSP3枚分計6曲“Cherrycoco” “Bebiji Topi Yo Sokotijimu” “Portable Girl”
“La Castagnette” “Darling I Know What You Want” “Shemiloya No. 2”が聞けます。

一体いつになったら、フルCDの復刻が実現するんですかねー。
つまらんコンピレを乱発してるヨーロッパのアフリカ音楽コレクターに、
「B級ミュージシャンを追っかける前に、先にやることあるだろ」と、
ケリを入れたいお願いしたい気持ちでイッパイです。

[10インチ] "CATCHY RHYTHMS FROM NIGERIA" Philips P13400R
[CD] "EVERGREEN HITS OF 20 MUSIC MASTERS OF OUR COUNTRY NIGERIA" The Evergreen Musical Company HRS005
[CD] "MARVELLOUS BOY : CALYPSO FROM WEST AFRICA" Honest Jons HJRCD38
コメント(4) 

コメント 4

いしだまさたか

音楽夜噺の深沢さんのカリプソ話のとき、話を聞きに行ったら、ボビー・ベンソンかけていました。50年代以前の曲ばかり、30曲近くかけて、凄く面白い話だったのですが、ほとんど忘れてしまいました。
「気持ちでイッパイ」の「イッパイ」がカタカナなところから本気っぽさがつたわってきます。ではでは。
by いしだまさたか (2009-06-28 09:35) 

bunboni

深沢さん、音楽夜噺では“Taxi Driver”をかけておられましたね。とても内容の濃いお話を聞けた回でした。ところで、首を長くして待っていた『オルタナティヴ・ミュージック』、何度も読み返しては、人との出会い、音楽との出会いの妙に、ウナっています。石田さんがBruce DavidsonのEast 100th Streetについて語られているのにはびっくりしてしまいました。ぼくも写真が好きになったのは、あの写真集がきっかけなんです! ぼくが石田さんの「まなざし」に惹かれるワケがわかったような気がしました。
by bunboni (2009-06-28 10:14) 

アフリママリ

1984年、サニー・アデのところで聞かせてもらったのが初ですね。
古くて擦り切れたLPでした、懐かしい !

フェラが初めてアフロ・ビートの曲を作曲したときも、彼に舞い降りたのは、ボビー・ベンソンだと言われています。

古い話でどおもぉ・・・・

ところでこないだのアンジェリク・キジョの話、他意はありません・・・ただ単に私がすきだ、というだけで、よろしくぅ。
by アフリママリ (2009-06-28 20:49) 

bunboni

おぉ、すばらしいエピソード、ありがとうございます。

そうなんですよね。ボビーが育てた多くの後進たちは、ボビーの思い出を一様にとても懐かしく大切に語るのが、ことのほか印象的です。きっとすばらしい人柄だったんじゃないかと想像してるのですが。
by bunboni (2009-06-28 21:44) 

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