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カンボジアの文弥節 コン・ナイ

Kong Nay.JPG 北村宗演.JPG

カンボジアから盲目の楽士コン・ナイがやって来るというので、妻と一緒に見に行きました。
そういえば十年前には、妻に教えられてカンボジアの影絵芝居スバエクを見に行ったんだっけ。
その時に買った、象のスバエク・トーイ(牛の皮をなめして作った影絵人形)が
我が家の居間にでんと鎮座していて、存在感を醸し出しています。

会場は銀座の王子ホール。クラシック用のコンサート・ホールという堅苦しさがやや残念でした。
お寺や神社の境内とかで、虫の音をBGMに聴きたかったですね。

コン・ナイは海外のフェスにも出演し、「メコン・デルタ・ブルース」などと形容されているようですが、
ぼくにはブルースというより、説経などの日本古来の語り物との共通性を感じました。
特に似てるなと感じたのが、佐渡の文弥節。
佐渡の文弥節は、盲人の座語りで伝承されてきた、かなり古い形を保ってきた語り物です。
説経節にも似た泣き節の自由奔放な力強さは、
洗練を強めた浄瑠璃にはない魅力があって、ぼくは大好きです。
コンサートから帰ってきて、さっそく文弥節の名太夫、北村宗演(1898-1974)のCDを聴きました。
ナマナマしい語り芸が好きな人なら、コン・ナイや北村宗演は格別です。

Master Kong Nay & Ouch Savy "MEKONG DELTA BLUES" Long Tale Recordings/Real World RWLT002 (2007)
北村宗演 『佐渡の文弥節 北村宗演の世界』 フォンテック FOCD9338 (1966)
コメント(17) 

コメント 17

イワタニ

こんにちは。
不思議です。日本の伝統芸能が苦手な僕なんですが、
bunboniさんのこの記事を見て、北村宗演に挑戦してみましたところ、コン・ナイより面白く聴けてしまいました。
bunboniさんの紹介だから聴いてみようという気になりましたが、これが研究者のような人の紹介なら絶対に聴いてませんよ。伝統という言葉を聞くとそれだけで警戒心が出てくる僕ですからね。
昔、小さい子供達から大人までを楽しませた文弥節、そんな人たちが聴いてたように無心で聴けるように僕もなりたい。日本の古い芸能世界(伝統は付けませんよ)に興味が湧いてきた一枚でした。
ありがとうございました。
by イワタニ (2015-09-19 17:02) 

bunboni

伝統を毛嫌いしちゃあ、もったいないですよ。「伝統」を隠れ蓑にして、ただの権威付けにしているような「ニセモノ」に警戒心を持つことは必要だと思いますけど、ホンモノの伝統は、どんな天才が生み出す作品もかなわない力を持っていると、ぼくは思います。
by bunboni (2015-09-19 17:20) 

イワタニ

いつの間に「伝統」というものに警戒心を持つようになったんだろう?
特に日本の伝統芸能には、強烈にそんなイメージを持ってます。
芸能そのものにではなく、そこに付いた胡散臭いたてまえのようなもの?に拒否反応が出てきてしまうのです。

そのくせ「芸能」が大好きなんていう、自分でもわけがわからない状態なんですよ。
たぶん、ホンモノとニセモノを聞き分ける力が僕にはないので、「伝統」をいい理由にして誤魔化してるんだと思います。
そう言えば、ヴェトナムのザンカーに最初は拒否反応をおこしていたぼくが、今はザンカー好きですからね。
不思議ですね。
by イワタニ (2015-09-19 18:19) 

bunboni

あらゆる権威が地に落ちた今、むしろ警戒すべきは、「権威」の側ではなく、「市民」「大衆」「国民」「庶民」側にあるんじゃないかという気分が、ますます強くなる今日この頃です。いまやかつて権威的だった「伝統」の側の方が、謙虚で、革新しようという動きが内部から沸き起こっているのを感じます。むしろ、これまで過剰に敵視してきたわれわれこそ、こつこつと地味な努力を重ねてきた人々に対して、リスペクトの気持ちをあまりに欠いていたんじゃないんでしょうかね。
by bunboni (2015-09-19 18:52) 

イワタニ

あっ!それです。
僕も「大衆音楽」とか「庶民の音楽」とかを自分の大事なものだと、ずっと思ってきました。
でも数年前ぐらいからか?「大衆音楽」は、ちょっと見せかけ?のような感じを受けるようになったり、立て前だけが立派になっているようなイメージを持つようになってきました。「大衆音楽」を警戒するようになってしまってるんですよ。そんなイメージを持つようになってしまいました。
「伝統」を見直す時期なのかもしれませんね。

by イワタニ (2015-09-19 19:36) 

としま

イワタニさん

歴史や伝統なしに、どうやって庶民の文化を産み出せるんでしょうか?僕にはサッパリ理解できません。
by としま (2015-09-22 19:44) 

としま

今夕の日テレのニュースで、狂言師の野村萬斎がいいことを言っていました。それは「型にはまる」ということ。これ、狂言のような世界だけでなく、あらゆる表現者にとって、非常に重要なことだと思うんですね。

時々誤解されたり、時には否定されることもある考えですが、型にはまり、型を憶え、それをいつでもどこでも自然かつオートマティックに再現できるように猛特訓しないと、即興などの自由自在な表現も不可能なんです。一見、矛盾していることに思えるかもしれませんが。

型を熟知しているからこそ、「型破り」ということの真の革新性も理解できるんです。型を知らないで、それで自由にやっているように思っているのは、それは自由でもなんでもなく、ただ単にムチャクチャなだけなんです。

そして、この「型にはまる」ということこそ、言葉を換えれば、伝統を知るということに他なりません。
by としま (2015-09-22 20:06) 

bunboni

「型にはまる」「型にはまらない」で思い出しましたけれど、
ぼくが就職した81年当時、「ただの歯車になりたくない」といって、
就職活動をする同級生たちに侮蔑の目を向け、
野心に満ちた芸術家を目指す同級生がいました。

その彼は、おそらく仮にどの企業に就職したとて、
「ただの歯車にもなれない」であろうハンパ者であることは、
同級生全員が了解していたので、誰も彼を相手にしなかったんですけどね。

「型にはまる」「歯車になる」ことをナメてかかるのは、
若者特有の思い上がりなんでしょうね。
経験を積み重ね、年を経て、ようやくその意味の重さがわかるのかもしれません。

ちょっと別の話になっちゃったかな。
by bunboni (2015-09-22 20:31) 

としま

今晩ブログでちょっと書きましたけど(笑)、ポピュラー音楽の世界だと、ブルーズ演奏の面白さなんてのは、まさに型にはまることの面白さだと思います。

亡くなった歌舞伎役者の中村勘三郎(勘九郎)は、型を知らないのは、単なる「形無し」だと言ったこともあります。
by としま (2015-09-22 21:22) 

bunboni

フリー・ジャズが登場した時、
「あんなの、めちゃくちゃな演奏してるシロウトと同じじゃないか」という批判に、
誰が言ったんだったか、「シロウトは30秒ぐらいはめちゃくちゃに吹けるかもしれないが、
3分もめちゃくちゃに吹けない」という秀逸なセリフがあったような(記憶はおぼろげ)。
シロウトに「型破り」はできず、「型無し」になるということですね。
by bunboni (2015-09-22 21:42) 

イワタニ

こんな遅くにゴメンなさい。
仕事が終わるのが23時頃なので、やっと今拝見しました。
としまさん
僕なんかのコメントにいろいろご教示いただきありがとうございました。勉強になります!(勉強嫌いですけどね)
「歴史や伝統なしに、庶民の文化は生み出せない。」
賛成です。
ただ、「音楽を聴く」ならどうでしょう?
歴史や伝統など知らなくても、楽しめますよね。
ぼくが言いたいのは、その楽しい音楽を伝統というイメージが上から目線になっているようなイメージが嫌いなだけです。
なぜそんなイメージが僕に付いたのかは自分でも分かりません。
歴史や伝統などを意識して音楽を聴いてないのは確かですけど。
としまさんのブログ拝見しました。
スゴイですね。まじめ?に音楽と向き合っている方なんだなぁと感心しました。
楽しみがひとつ増えましたよ。がんばってください。
変なコメント入れるかも?その時は、お許し下さい。
by イワタニ (2015-09-23 00:52) 

イワタニ

bunboniさんスミマセン!
ぼくは昔ハンパの部類に入る方でした。
もちろん芸術家になるためでもなく、就職活動する連中を侮辱したりもしませんでしたけどね。
そんなハンパよりもっとたちが悪い部類だったかも?
でも、そんなハンパを今でも押し通してる奴に会うと
ちょと羨ましいと感じることがありますよ。
「型にはまる」ことが絶対だとは僕は思いません。
みんなが右を見てるから僕も右を見る。
左を見る勇気が誰にも無くなっている気がします。
by イワタニ (2015-09-23 01:27) 

としま

イワタニさん

好きな時に、好きなものだけを好きなだけ聴いて、それで勝手なことをほざいているだけで、僕の音楽との付合い方が、「まじめ」なものだとはあまり思っていません。イワタニさんのおっしゃるように、ただひたすら楽しんで聴いているだけなんで、それはちゃんと読んでいただければ、お分りいただけるはず。

ただ、そのただ単に「楽しんで聴く」だけのために、というかよりもっと楽しみたいから、伝統を知りたいだけなんです。伝統を知った(勉強??)方が、よりよく楽しめるもんなんです。
by としま (2015-09-23 09:36) 

bunboni

イワタニさん
「型にはまる」ことが絶対なわけないじゃないですか。
それは本人が選ぶことであり、いわば「覚悟」ですよ。
「覚悟」がない人が、みんなが右といえば右みるんです。
左を見るのは勇気じゃありません。
みんながどうであるかなど関係ありません。自分がどうするかです。
by bunboni (2015-09-23 09:52) 

イワタニ

としまさん、bunboniさん
ありがとうございます。
なんだか、音楽聴いてる時より楽しい気分です。
説教されてる気分だなぁ。
実際にお話が聞けたらもっと楽しいけど、それは無理。
音楽の知識が無い僕が、「after you」にコメントを入れだしたのは、好きな音楽を少しでも理解したいと思うところからです。どうせコメントするなら、相手は一流がいいと。
コメントして良かったです。今なぜかそう思いました。
としまさん
僕も伝統に少し興味がわいてきました。音楽を今より楽しむために。ありがとうございました。
by イワタニ (2015-09-23 10:23) 

としま

イワタニさん

締め括っていらっしゃるのに、いい加減しつこすぎると思われるでしょうから、これで最後にします。

歴史とか伝統とか、あるいは古典とか言われているものは、権威づけとか上から目線とか、そういうものではなく、いやまあ一部にそういう使い方をしている人達もいるみたいですけど、本来は、上手く使えば、旨味の源なんだろうと思うんです。

日本料理における出汁みたいなもんです。出汁を取らずして、殆どどんな日本料理もできません。出汁を取った上で、そこにどういう味を付け加えていくかは、料理人の創意工夫で、そこに新しい創作の可能性も出てくるのでしょう。

別に料理人の側だけでなく、創られたものを味わって楽しむ側の僕たちだって、出汁の味を分らずして、日本料理を楽しむことはできないはず。たとえ、それが出汁というものだということは自覚できなくても、出汁の味そのものは味わって楽しんでいますよね。

歴史や伝統や古典とは、そうやって極めて自然に現代文化の中に血肉となって溶け込んで、旨味の源となって、無自覚でも僕たちに伝わってくるものです。

そして、そういうものを理解していた方が、快楽はより強くなります。僕らは、別に勉強したいとか、そういうつもりで(大衆音楽などの)伝統に接しているのではなく、単により強い快楽を求めて探求しているだけです。

イワタニさんだって、快感は強い方がいいでしょう?
by としま (2015-09-23 16:53) 

bunboni

はい。としまさん、ありがとうございました。
いったん、これで終わりにしましょう。
by bunboni (2015-09-23 17:08) 

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