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クールなツォンガ・ディスコ ペニー・ペニー [南部アフリカ]

Penny Penny.jpg

こりゃまた面白いカセットをリイシューしましたね。
オウサム・テープス・フロム・アフリカの第5弾は、
南アのツォンガ・ディスコ(シャンガーン・ディスコ)です。

ツォンガ人のペニー・ペニーが94年にリリースしたデビュー・カセットは、
南ア国内で25万本を越すセールスを上げ、一大センセーショナルを巻き起こしたのだとか。
シャンガーン・ディスコというと、マガイサの93年作のように、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-01-14
のちのシャンガーン・エレクトロに連なるせわしないビートが特徴とばかり思っていたんですが、
ペニー・ペニーはもっとスローなハウス・ビートを聞かせます。

シャンガーン・ディスコ/エレクトロが、安っぽい機材を駆使して、
異常に早いテンポで痙攣するようなビートを繰り出すストリート・ポップとすれば、
ペニー・ペニーのツォンガ・ディスコは、もっとクールなクラブ仕様。
シャンガーン・エレクトロのようなキワモノ感はなく、
クワイトにも通じるハウス・サウンドは、普通にクラブで流せますね。
ペニー・ペニーのハスキーなヴォーカルが、
ガラージな雰囲気のハウス・トラックによく映えます。

解説にはペニー・ペニーの生い立ちが書かれているんですが、これが壮絶な物語。
父親はサンゴマという伝統的な治療師として地元で尊敬される人物だったそうで、
2.1メートルの大男だったというのだから、威風堂々とした風貌だったんでしょうね。
その父は25人の妻を持ち、ペニー・ペニーは68人目の父親の最後の子供として、
60年に生まれたといいます。66年に父親が亡くなった直後、
南アの人種隔離政策が激しくなり、家族は強制移住させられ、
兄弟姉妹ともども学校へ通うこともできなくなり、突如貧困の淵に立たされます。
母は農場に働きに出て、10歳のペニー・ペニーも金鉱労働者として汗を流しますが、
月25セントしか稼ぐことができず、苦しい毎日を送ったようです。

そんな苦しい生活の中でも、ペニー・ペニーはツォンガの伝統的なダンス、
ムチョンゴロ、シチャイチャイ、シグブの踊り手として成長し、
やがてマイケル・ジャクソンやM.C.ハマーに強く感化されて、
歌手やダンサーとなるのを夢見るようになったのでした。

91年からデモ・テープを作っては、レコード・プロデューサーに送り、
ついに念願のデビュー作をリリースした94年は、アパルトヘイトが撤廃され、
ネルソン・マンデーラが大統領に就任した記念すべき年となりました。
そのデビュー・カセットが爆発的ヒットを呼んだのだから、
南ア黒人が自由を勝ち得たのと、自分の長年の夢の実現がした、
ペニー・ペニーの生涯でも最高に輝かしい年となったはずです。

成功したペニー・ペニーはその後政治の世界に身を転じ、現在はANC党員となり、
県の地域評議員として地元リンポポ県に尽くすための政治活動をしているそうです。

Penny Penny "SHAKA BUNDU" Awesome Tapes From Africa ATFA008 (1994)
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