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大臣になったアズマリ テセマ・エシェテ [東アフリカ]

Ethiopiques 27.jpg眼下に広がる雄大なアビシニア高原に立ち、
マシンコを弾き語るアズマリの姿は、
さながら孤高の吟遊詩人をイメージさせます。
エチオピア取材のテレビ番組などに登場する、
典型的な演出シーンですね。
現代のアズマリは、そんなオリエンタリズムの
「絵」が似合う存在ではなく、
バーの専属歌手として客に小金をせびる
芸人だったりもするわけですが、
地方ではいまでも、生活の営みになくてはならない
音楽職能民として機能しています。

そんなアズマリの伝統芸能の世界と
じっくりと向き合えるリイシューが、
『エチオピーク』シリーズ最新作の
第27集としてリリースされました。
エチオピアの伝説的人物という
テセマ・エシェテ(1876-1964)が、
1908~10年にベルリンで録音した、
エチオピア人初となる歴史的な音源集です。
当時テセマが録音した17枚のSPのうち、
現存する16枚分32曲が今回初復刻され、
2枚のCDに完全収録されました。

縦長のCDブックに収められた30ページに及ぶ解説を読んで、
下層芸人のアズマリとはまったく異なる人生を送ったテセマの生涯をはじめて知り、
ちょっとびっくりしてしまいましたね。

テセマはアズマリの父のもとに生まれましたが、父の死後、家が貧しかったため、
メネリク2世皇帝の宮殿内にあった孤児院に引き取られて青年期を過ごし、
これにより、テセマのその後の人生は、大きく変わることになります。

テセマは皇帝の命を受け、皇帝専属の運転手兼整備士となるため、
1908年、ドイツへと送られます。
ドイツから帰国してエチオピア初の自動車運転手となったことを皮切りに、
テセマは出世街道をひた走り、1916年には逓信大臣にまで登りつめます。
政界を離れた後は国内を探訪し、温泉資源の開発や水力発電所建設のための
ダム・サイト開発をてがけた実業家としても成功したんだそうです。

テセマはアラビア語、ドイツ語、フランス語、イタリア語も堪能で、
写真撮影を趣味にするなど、ハイカラな人でもあったようです。
詩人や彫刻家としての才能も発揮し、
CD表紙にはテセマが自身の彫刻作品とともに写っています。

テセマにとってアズマリとしての録音は、
ドイツ修業時のオマケのようなものだったのかもしれませんが、
それがまたエチオピアの歴史的録音となったのだから、すごい話ですね。

CDを聴くと、当時30代のテセマは、ゆったりとこぶしを回し緩急をつけながらも、
技巧的すぎない自然体な歌い回しをしているのが印象に残ります。
アズマリの父のもとに生まれたとはいえ、
アズマリとして正規の教育を受けたわけではないテセマの吟唱は、
いわゆる嘆き節やブルースと形容されるものと趣が異なり、
おおらかさとともに洗練された気品を感じさせます。
テセマのこぶし回しに身を任せていると、心の澱を洗い流されるようで、
ぼくには32曲、まったく聴き飽きることがありませんでした。

Tèssèma Eshèté "ÉTHIOPIQUES 27 : AZMARI TESSEMA ESHETE" Buda Musique 860192
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