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フラメンコとアラブ・アンダルースの邂逅 エル・レブリハーノ [南ヨーロッパ]

ENCUENTRO.jpgCASABLANCA.jpgPUERTAS ABIERTAS.jpg

SP時代のフラメンコは素直にいいなあと思えるんだけど、
新しいフラメンコって、どうもしっくりこないというか、
特にパコ・デ・ルシア以降のフラメンコは、まるで別物の音楽のように思えます。

そんなぼくでも好きなフラメンコ歌手に、エル・レブリハーノことファン・ペーニャがいます。
フラメンコ史上最高の歌手ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの養子でもあった人で、
多くのフラメンコ・アーティストを出した名門ペラーテ・デ・ウトレーラ一族のひとりです。
ギタリストとしてキャリアをスタートさせたレブリハーノは、
パケーラ・デ・ヘレスなど有名なダンサーの伴奏を務めながら、カンテ(歌)の技術を磨き、
カンタオーラ(歌手)に転向してからは、アントニオ・ガデス舞踏団の一員にも参加するなど、
伝統的なカンテ・ホンドの歌手として名声を高めました。

ぼくがレブリハーノを最初に知ったのは、85年の“ENCUENTRO” です。
このアルバムは、イギリスのグローブスタイルからもリリースされるなど、
当時のワールド・ミュージック・ブームでも注目を浴び、
従来のフラメンコ・ファンよりも、幅広い層の音楽ファンにアピールしました。
グローブスタイルがこのアルバムを取り上げたのは、
モロッコのグループ、オルケストラ・アンダルシ・デ・タンゲルと共演した異色作だったからです。

『出会い』というアルバム・タイトルどおり、
フラメンコとアラブ・アンダルース音楽との融合は、驚くほどしっくりといっています。
それもそのはずですよね。フラメンコもアラブ・アンダルース音楽も、
イベリア半島にイスラーム帝国が繁栄していた時代に発展した音楽だったのですから。
その後アラブ・アンダルース音楽は、レコンキスタによって東へ東へと追われ、
マグレブの地にたどり着いて継承されてきました。
フラメンコとはいわば兄弟のような関係にあったのだから、
実験的作品といってもしっくりと融合するのは道理で、
両者の邂逅は、いわば歴史を証明したものでもあったわけです。

レブリハーノは、98年にも同様の企画で、
荘厳なオーケストレーションを従えた“CASABLANCA” をリリースしました。
レブリハーノも力のこもった歌いっぷりを聞かせていて、大力作ともいえる内容だったのですが、
曲によってはアレンジが重厚すぎて、やや胃もたれもする感もあります。

ぼくが好きなのは、“ENCUENTRO” の発展ヴァージョンともいえる、
05年の“PUERTAS ABIERTAS”。
モロッコ人のヴァイオリニスト、ファイサル・コウリッチとの共同名義作で、
オーケストラやコーラスは“CASABLANCA” 以上に厚みを増していますが、
ドラムスとベースを加えた逞しく引き締まったビートが快感です。
リズムにキレがあるため重苦しくなく、“CASABLANCA” のような胃もたれ感がありません。
ファイサルは“CASABLANCA” でも共演していたミュージシャンで、
ペドロ・ゲラ、ケパ・フンケラ、ガブリエル・ヤコブといったアーティストとも共演している人です。

ここ数年、アラブ・アンダルース音楽への関心が高まっていますけど、
レブリハーノが話題に上らないのは、ちょっと残念です。

El Lebrijano "ENCUENTRO" Ariola 9J257240 (1985)
El Lebrijano "CASABLANCA" EMI 7243-8-23416-2-8 (1998)
El Lebrijano y Faiçal "PUERTAS ABIERTAS" Ediciones Senador CD02852 (2005)
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