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スーダンのエレキ・バンド シャーハビル・アフメド [東アフリカ]

Sharhabil Ahmed  THE KING OF SUDANESE JAZZ.jpg

ハビービ・ファンク、快挙です!
スーダン歌謡をエレキ化した伝説の大物シャーハビル・アフメドを、
ついに復刻してくれましたよ。

いや~、長かったあ。
名前を知るばかりで、じっさいどんな音楽だったのかを聴くこともできず、
悶々としていた人の一人でしたからねえ。
シャーハビル・アフメドに限らず、60年代以前のスーダン歌謡は、
資料でその名は知っても、聴く手立てがまったくなく、謎のままでした。

35年、宗教的信心の深い家庭に生まれたシャーハビル・アフメドは、
預言者ムハンマドを称えるスーフィーのチャントに由来する音楽マデイや、
30~40年代のスーダンで流行した世俗歌謡ハギーバに囲まれて育ちました。
ハギーバは、リク(アラブのタンバリン)を持った歌手が、コーラスの手拍子とともに
コール・アンド・レスポンスする音楽で、結婚式やパーティーなどの社交の場には
なくてはならないものでした。
観客の手拍子も加わって、歌手が即興で歌いながら場を高揚していくハギーバは、
かなりトランシーな音楽だったようです。

50年代に入ると、ムハンマド・ワルディや
サイード・ハリファなど新しい世代の歌手たちが、
ハギーバにマンボの影響を受けたエジプト歌謡を取り入れるほか、
スーダン各地のリズムや地方の民謡なども取り入れ、ハギーバを近代化していきます。
当時幼かったシャーハビルも、当時の大スター、
アブドゥル・カリム・カルーマに感化され、ウードを覚えたといいます。

やがて、ロックンロールの波がスーダンにも届くようになると、
ギターに興味を覚えたシャーハビルは、イギリス人からギターを買い取り、
南スーダンの学生から弾き方を教わって、ギターを習得しました。

こうしてロックンロールに影響された独自のダンス・ミュージックを演奏しはじめた
シャーハビルは、60年に国立劇場で自身のバンドの初のお披露目をし、
やがてコンクールで「スーダンのジャズ王」の称号を勝ち取るのでした。
もちろん、ここでいう「ジャズ」とは、コンゴのOKジャズや
ギネアのベンベヤ・ジャズと同義で、北米黒人音楽を指すものではなく、
欧米のポピュラー音楽の影響を表す用語ですね。

ウードやヴァイオリンが伴奏するアラブ色の強かったスーダン歌謡のハギーバを、
ギター、ベース、ドラムス、管楽器などの西洋楽器で演奏したシャーハビルは、
まさにスーダン歌謡の変革者でした。
エレクトリック・ギターをスーダンで初めて使ったのもシャーハビルで、
ロックンロールやファンクの要素に、
コンゴ音楽ほか東アフリカ音楽のハーモニーを取り入れて、
スーダン音楽を近代化した立役者となりました。

今回ハビービ・ファンクが、シャーハビル本人に直接交渉して復刻が実現した本作、
音源についての詳しい記載がないのですが、サックス入りのギター・バンドで、
ジャケットに写る5人による演奏と思われ、シャーハビルと奥さんのザケヤ二人が
ギターを弾いているようです。おそらく60年代末頃の録音でしょう。
音源に関するこういう基礎情報が欠けているのって、
リイシュー・レーベルの姿勢として、いかがなもんですかね。

シャーハビル自身が所有していた4枚のレコードから復元した7曲は、
冒頭の2曲‘Argos Farfish’ ‘Malak Ya Saly’ こそ、
痛快なスーダニーズ・ロックンロールですけれど、
残り4曲は、スーダンらしいペンタトニックのメロディが全面展開する、
エレキ・バンドによるモダン・ハギーバといえ、これが「ジャズ」と称されたわけですね。
この濃厚なスーダニーズ・マンボ・サウンドこそ、スーダン歌謡の真骨頂といえます。

Sharhabil Ahmed "THE KING OF SUDANESE JAZZ" Habibi Funk HABIBI013
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ターラブを原点回帰させたシティ・ビンティ・サアドのひ孫 シティ・ムハラム [東アフリカ]

Siti Muharam  ROMANCE REVOLUTION.jpg

ザンジバルのターラブの歴史を知る人なら、
ターラブをスワヒリ語で歌って大衆歌謡として広めた伝説の女性歌手、
シティ・ビンティ・サアドの名をご存じと思います。
トピック盤に4曲、ヴェルゴ盤に2曲CD化されたSP録音を、
すでにお聞きのファンもいるかもしれません。

POETRY AND LANGUID CHARM SWAHILI MUSIC FROM TANZANIA AND KENYA.jpg   ECHOES OF AFRICA  EARLY RECORDINGS 1930s–1950s.jpg

時は1880年。奴隷制度が残る男性中心の封建的なイスラーム社会のザンジバルで、
シティ・ビンティ・サアドは貧しい農家の娘として生まれ、コーラン学校にも通えず、
読み書きのできないまま大人となります。やがて歌手となるチャンスに恵まれ、
東アフリカで初のレコーディングを1928年に行い、運命は大きく変わります。
インドのボンベイで行われたその録音は、
東アフリカで最初のレコードとなったばかりでなく、
女性歌手としての録音も初ならば、ターラブの記念すべき初録音となったのでした。
(注:ライナーに「1929年に初録音」という記述がありますが、1928年の誤りです)

シティは、日々の暮らしや社会問題を題材とする曲を作っては歌い、
人々から大きな人気を得ると、男性に限られていたターラブ演奏への女性の参加や、
女性だけのターラブ・クラブを発足させるなど、
女性のエンパワーメントを促す文化的アイコンとなりました。

のちに、そんなシティに感化されたのが、
成女儀礼ウニャゴの祭祀でもあったビ・キドゥデです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2013-04-20
ビ・キドゥデのドキュメンタリー映画“AS OLD AS MY TONGUE” に出てきた、
シティ・ビンティ・サアドのSP盤をかけるシーンにも、それは表われていましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-08-05

前置きが長くなってしまいましたけれど、
本作はその伝説的なシティ・ビンティ・サアドのひ孫にあたる、
シティ・ムハラムの世界デビュー作です。
ザンジバルのターラブは、アマチュア楽団のクラブが組織化されるにしたがって、
冠婚葬祭向けのヨソイキなお行儀のいい演奏が主流となり、
生きた大衆歌謡としての側面が失われていく傾向にありました。

本作のねらいは、曾祖母シティ・ビンティ・サアドの進取の気性を、
もう一度ターラブに取り戻そうとする試みにあります。
ヴァイオリンなど大人数の弦楽セクションを使わず、小編成の伴奏にしたのが肝。
パーカッションを効果的に使い、キドゥンバクのスタイルで演奏しているところに、
シティ・ビンティ・サアド時代の大衆歌謡へ回帰させる意図が表われています。

音楽監督を務めたのは、ムハンマド・イサ・マトナ。
覚えていますか? 一昨年、ノルウェイ人ジャズ・ミュージシャンとのコラボで
注目を集めた、マトナズ・アフダル・グループのリーダーです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-12-22
古典ターラブやザンジバルやエジプトの古謡を参照しつつ、
ターラブをモダン化したあのアルバムの試みをさらに推し進め、
マトナはウード、ヴァイオリンのほか、サポート・ヴォーカルも担っていますよ。

あのアルバムにも参加していたノルウェイ人ベーシストの躍動するラインが、
リズムを強化していて、サウンドの核となっています。
西洋人音楽家の起用についても、マトナズ・アフダル・グループの経験が
生かされたようで、バス・クラリネットなど実に上手い使い方をしていますね。
古典的なターラブのメロディを引き立てたアンサンブルを聞くと、
しっかりとリハーサルを積んだ様子がうかがえます。
サム・ジョーンズが施したエレクトロのデリケイトなトリートメントも効果的です。

多様な文化が混淆したスワヒリ文化のダイヴァーシティと、
女性のエンパワーメントを象徴する、
シティ・ビンティ・サアド時代のターラブへ回帰する試みは、
きわめて今日的な意義を持つアプローチなのではないでしょうか。
充実した演奏内容とともに、その企画意図にも大きな拍手を送りたい大力作です。

Siti Muharam "ROMANCE REVOLUTION" On The Corner OTCRLP005 (2020)
*タイトルはCD表記に従いました。ダウンロード・サイトには、
長い別タイトルが付いていますが、フィジカルにその表記はありません。
v.a. "POETRY AND LANGUID CHARM : SWAHILI MUSIC FROM TANZANIA AND KENYA" Topic TSCD936
v.a. "ECHOES OF AFRICA EARLY RECORDINGS 1930s–1950s" Wergo SM1624-2
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キクユ・ベンガの第一人者 ジョゼフ・カマル [東アフリカ]

Joseph Kamaru  KAMARU HITS OF THE 1960’S.jpg

もう1枚入手したのは、キクユ人ミュージシャンとしてもっとも有名な
ジョゼフ・カマルの60年代ヒット曲集です。

ジョゼフ・カマルは、ケニヤのポピュラー音楽黎明期を代表する
重要な音楽家であるばかりでなく、
大統領や支配層のエリートに辛辣な批判を浴びせた曲を歌い、
政治活動家としても歴史に名を残した人です。

60~70年代にEPをたくさんリリースし、LPも出しています。
その後はカセットに切り替わりますが、往時の音源がCD化されることはなく、
国外ではほとんど知られていませんね。
と思っていたら、こんなCDを見つけてしまったので、ビックリしたわけなんですが、
いつの間にこんなCDが出ていたんだろう?

原盤はカマル自身がオーナーのレコード会社、
カマル・シティ・サウンズとクレジットされていますけれど、
配給はアメリカ、メリーランド州に住所を置くシンバ・ミュージックで、
CD番号から察するに、この配給会社が制作したCDのようですね。
前回紹介したH・M・カリウキのCDも、同じくこの会社から出たものです。

さて、主役のジョゼフ・カマルですが、
39年にナイロビの北100キロにあるカンゲマという田舎に生まれ、
ミュージシャンになることを夢見て、18歳でナイロビに出ます。
50年代後半のナイロビは、急速に都市化が進んでいた時代で、
東アフリカや中央アフリカの各地から、ミュージシャンが集まり活気に溢れていました。

路上生活でスタートしたカマルも、ほどなく家政夫の仕事にありつき、
稼いだ金で念願のギターを手に入れます。
さらにアコーディオンや1弦フィドルのワンディンディ、
パーカッションのカリンガリンガもこなして、65年についにプロとなり、
67年の‘Celina Hingura Murango’ が大ヒットとなり、一躍人気者となりました。
本CDにもそのオリジナル録音が収録されています。

カマルはキクユの伝統的なメロディを使って作曲したほか、
当時流行していたルオ人の音楽であるベンガの特徴的なベースのリフを取り入れ、
カン高いヴォーカルで歌う妹を従えて、ユニークなスタイルを生み出しました。
カマルのスタイルは、のちに「キクユ・ベンガ」と呼ばれるようになります。

本CDには、アクースティック・ギター、小物打楽器、女性コーラスとで歌う曲と、
エレクトリック・ギター、ベース、ドラムスのバンド・サウンドの曲が
混在していますけれど、バンド・スタイルの録音の方が、古い初期録音のようですね。
このほか、アコーディオンとカリンガリンガ伴奏のムウォンボコも、2曲収録されています。

今回調べてみたら、カマルの孫でサウンド・アーティストのKMRUが
バンドキャンプにカマルのページを開いていて、
かつてのカセットをもとにした音源をダウンロード販売していて、
本作もカタログにありました。
ダウンロード販売で上げた収益をもとに、
ヴァイナルでリイシューすることも計画しているんだそうです。
https://josephkamaru.bandcamp.com/

Joseph Kamaru "KAMARU HITS OF THE 1960’S" Simba Music, Inc. 005SMI
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キクユのポエトリー・ダンス・ミュージック ムウォンボコ [東アフリカ]

H.M. Kariuki & Mr. Wa Gakuya.jpg

ケニヤのキクユ人の古いポピュラー音楽を聞くことができる、貴重なCDを見つけました。
うち1枚は、ケニヤがまだイギリスの植民地だった1930年代に生まれた、
キクユ人のダンス音楽ムウォンボコを演奏したアルバムで、タイトルもそのものずばり。

ムウォンボコを代表するアコーディオン奏者であり、
キクユのポピュラー音楽のパイオニアでもあるH・M・カリウキと、
カリンガリンガという鉄製リングを鉄棒で叩く打楽器を奏する
相棒ワ・ガクヤのコンビによるムウォンボゴを、たっぷり13曲聴くことができます。

表紙に「1940」と大書きされているのは、
40年代当時そのままのサウンドを再現していることをアピールしているようです。
ムウォンボコ誕生のきっかけは、キクユ人の伝統的なダンス音楽のムシリグが
30年代初頭に植民地政府に禁止されたからでした。

20年代後半、反政府的な歌詞を歌いながらムシリグをダンスするのが、
キクユのコミュニティで流行となり、その抗議的なメッセージが
政治運動化するのを、植民地政府は怖れたのですね。
当時を振り返ると、21年に政治団体のキクユ青年協会(YKA)が設立され、
その後24年に政治活動を禁止されるも、その後キクユ中央協会が設立されるなど、
イギリスへの抵抗運動が萌芽しはじめた時代だったのです。

そしてムシリグを禁止されたキクユ人たちが、
代わりに考案した新しいダンスのムウォンボコは、
スコティッシュ・ダンス、ワルツ、フォックス・トロットの影響を受けたペア・ダンスで、
再び禁止とならないための狡猾なアイディアによって、生まれました。
カップルが手を取ってリズムに合わせて揺れ、
ゆっくりと円を描くようなステップを踏むムウォンボコは、
植民者の主人であるイギリス人の目にも、魅力的に映りました。

踊り手が列をなして、身をかがめて前後にコミカルなステップを踏むダンスは、
まったくアフリカ的ではない、ヨーロッパ的なダンスなのですが、
キクユの若者たちにも、男女が手を接触する新鮮さでウケたんですね。

こうしたスコティッシュ・ダンス、ワルツ、フォックス・トロットは、
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間にナイロビに駐屯した
空母部隊の兵士たちから習ったもので、アコーディオンという楽器も、
第一次世界大戦や第二世界大戦でイギリス軍に従軍したアフリカ兵たちが、
戦地から持ち帰ったものでした。

H・M・カリウキのムウォンボコを聴くと、際立った特徴があり、
アコーディオンが歌の伴奏をするというより、
アコーディオンがメロディをひとしきり弾いた後、ポエトリー・リーディングするという
形式の曲が多く、メロディは女性コーラスが歌う形式の曲も聞かれます。
語りに特徴を置いたこのスタイルは、ムシリグを継いだものなんでしょうね。

ベースとドラムスに、ミックスが悪くてほとんど聞こえない
エレクトリック・ギターが加わったバンド・サウンドの曲が1曲、
‘Njohi Ti Ngoma’ で聞けます。こういうエレクトリック・バンド化したムウォンボコを、
もう少し聞いてみたかったなあ。

H.M. Kariuki & Mr. Wa Gakuya "MWOMBOKO" Simba Music, Inc. 007SMI
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サヴァイヴァーからヴォーカル・グループへ ザ・ソワーズ・グループ [東アフリカ]

The Sowers Group.jpg

こんなステキなヴォーカル・グループがいたとは知りませんでした。
10年以上も前にタンザニアで出ていたアルバム。
タンザニアでレコーディング、オーストラリアでミックスされ、
CDのプレスもオーストラリア製ということで、デザインも洗練されていて、
このまんまインターナショナルなマーケットに通用する作品に仕上がっています。

ソワーズ・グループは、ルワンダ内戦から第一次コンゴ戦争に至る混乱期を
サヴァイヴしたコンゴ民主共和国出身の3人に、ルワンダ出身の女性から成る4人組。
東アフリカのゴスペルのハーモニーと、ルンバ・ロックのサウンドに
コンゴ、ルワンダ、タンザニアの伝統リズムをミックスしたヴォーカル・グループです。
洗練されたコーラス・ワークに、野性味のあるヴォーカルは得難い味わいがあり、
彼らが経験してきた苦難の道が、音楽にしっかりとした説得力を与えています。
ソングライティングにはポップなセンスもあり、ヴァラエティのある楽曲がスグレモノです。

東アフリカや南アではこうしたヴォーカル・グループが珍しくありませんけれど、
西洋人向けにアフリカ風を演出した創作の演出がハナについて、
シラけてしまうケースがよくあるんですよね。いわば<観光アフリカ音楽>みたいな。
そんなグループとは出自が違うことは、彼らの肉声を聞けば、イッパツでわかります。
ぼくもCDを聴いてノック・アウトをくらい、のちに彼らのバイオを読んで、
やっぱりねと思ったくらいだから、音楽ってのは嘘をつけないというか、
素性を怖いくらい明らかにしてしまうものなんですね。

アフリカのゴスペル・グループなら、なおさらの話で、
うわべの熱狂が空々しいケースも枚挙にいとまがないんですが、
ぼくが反応したのも、数多くの死を目にして生き抜いてきた者たちだけが
獲得できる真実が、彼らの歌に嗅ぎ取れたからです。

これが2作目だそうで、制作にはオーストラリアのアフリカ支援団体が協力しています。
アディショナル・ミュージシャンとしてクレジットされた名前を見ると、
ドラマーだけはアフリカ人のようですが、ほかはオーストラリア人のようで、
本作リリース後、オーストラリアとニュー・ジーランドをツアーしたとのこと。
CDに記載されているウェブ・サイトもすでに閉鎖されてしまっていて、
現在の活動の様子が不明なのが残念です。
きちんとプロモートすれば世界にも通用したグループなのに、もったいないですね。

The Sowers Group "CHEZA!" Pamoja Ministries/Translator no number (2009)
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ジブチ初のポップス・アルバム グループRTD [東アフリカ]

Groupe RTD.jpg

フィールド・レコーディングの民俗音楽のレコードは別として、
いまだポップスのレコードを1枚も聴いたことがないという国が、アフリカにはあります。
そのひとつが、77年にフランスから独立したジブチ。
ソマリア、エチオピア、エリトリアと国境を接し、
ソマリ人系のイッサ人が多く暮らす国なので、
ソマリ・ポップスに近い音楽がありそうな予感はするものの、
情報がまったく伝わってこない、長年ナゾの国なのでした。

今回ヴィック・ソーホニーが主宰するオスティナートから出たグループRTDは、
世界に向けて出されたジブチ初のポップスのレコードで、これは画期的です。
オスティナートがこれまで出してきた作品は復刻ものばかりで、
初の新録となったわけですけれど、そのきっかけは、
70~80年代のソマリアの音源を復刻した“SWEET AS BROKEN DATES:
LOST SOMALI TAPES FROM THE HORN OF AFRICA” の制作だったようです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-09-10

ソマリ・ポップの音源調査にあたり、ジブチまで足を伸ばし、外国人として初めて
国営ラジオ放送局のアーカイヴの使用許可を得たヴィック・ソーホニーたちは、
アフリカでもっとも保存状態の良いテープを、ジブチで目の当たりにしたといいます。
と同時に、それらのアーカイヴを生きた形で体現しているバンドが、
隣のレコーディング・スタジオで演奏しているとあっては、
ぜひ録音して、自分たちのレーベルから出したいと考えるのも、そりゃ当然ですね。

しかし、独立以来、事実上一党支配のジブチでは、
すべてのバンドは国家の統制化に置かれ、民間のバンドは存在しないという、
特殊事情のお国柄。国営ラジオ放送局 Radiodiffusion-Télévision Djibouti 専属の
グループRTDは、国家のプロパガンダ装置の最重要バンドであり、
その録音の許可を取るまでの交渉が生半可ではなかったろうことは、
容易に想像つきます。

グループRTDは、男女歌手3名に、サックス、ギター、キーボード、ベース、ドラムス、
ドゥンベクの9人編成。老練なヴェテランから、新進気鋭の若き才能までが揃います。
国家的な式典で演奏することを主な活動として、
昼間は大統領が出席する国家的セレモニーやイヴェントに出演し、
外国の要人を歓迎するためなど、公務で演奏しているとのこと。

そのグループRTDの録音の許可が与えられたのは、たったの3日間。
スタジオには、何十年も昔の機材しかなく、防音性の低い環境のために、
高性能マイクや最先端のレコーディング機材を持ち込む必要があり、
官僚主義と厳格なルールと格闘しながら、ジブチの税関長の協力を得て、
ようやく実現したそうです。

ソマリの伝統リズムを強化したドゥンベクとリズム・セクションのグルーヴにのる、
ボリウッド・スタイルの男女ヴォーカルの取り合わせが、妙じゃないですか。
レゲエの影響を受けたオフ・ビート、スーダン歌謡に通じるアルト・サックスのリフ、
アラブのポップスのサウンドを取り入れたシンセサイザーなど、
多彩なミクスチャーが施されたジブチのポップス、魅惑的です。

Groupe RTD "THE DANCING DEVILS OF DJIBOUTI" Ostinato OSTCD009 (2020)
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アディス・アベバ=メルボルン・コネクション ムラトゥ・アスタトゥケ&ブラック・ジーザス・エクスペリエンス [東アフリカ]

Mulatu Astatke + Black Jesus Experience  TO KNOW WITHOUT KNOWING.jpg

エチオ・ジャズのゴッドファーザー、ムラトゥ・アスタトゥケと
オーストラリアのエチオ・ジャズ・バンド、ブラック・ジーザス・エクスペリエンスとの
共演第2作が出ました。16年の“CRADLE OF HUMANITY” 以来、4年ぶりです。

メルボルンを拠点とするブラック・ジーザス・エクスペリエンスは08年結成、
同年にデビュー作を出します。翌09年、ムラトゥ・アスタトゥケが
オーストラリアでコンサートを行った時にバックを務めてから、
ムラトゥとの関係が始まり、10年越しの交流を経て、すっかり打ち解けたようですね。

今作でも、ブラック・ジーザス・エクスペリエンスのアンサンブルの中に、
ムラトゥのヴィブラフォンやウーリッツァーが、見事に溶け込んでいます。
まるでムラトゥがメンバーの一員に成りきったようで、
ムラトゥ・アスタトゥケの新作というより、
ブラック・ジーザス・エクスペリエンスのアルバムに
フィーチャリングされている感の強いアンサンブルを聞かせています。

エチオピアン人女性シンガー、エヌシュ・タイのポエトリー・リーディングを思わせる
つぶやくようなヴォーカルと、ジンバブウェ人MCのリアム‘モンク’モンクハウスのラップが、
アルバムにコントラストを作っていて、ヒップ・ホップとファンクとエチオ・ジャズが
無理なく同居していますね。

ムラトゥがクリエイトしたエチオ・ジャズが世界的に広まり、
孫にもあたる世代から、圧倒的な支持を受けるようになったことも幸いなら、
ムラトゥをリスペクトする若者たちとともに、
エチオ・ジャズをアップデイトしたサウンドに作り上げていけるなんて、
ムラトゥは幸せ者だなあと感じ入っちゃいますね。
老境を迎えた音楽家にとって、これ以上ない最高の境遇じゃないでしょうか。

Mulatu Astatke + Black Jesus Experience "TO KNOW WITHOUT KNOWING" Agogo AG135CD (2020)
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エチオピア歌謡の抒情 ハイル・メルギア [東アフリカ]

Hailu Mergia  YENE MIRCHA.jpg

現役復帰したエチオピア人鍵盤奏者ハイル・メルギアが、
オウサム・テープス・フロム・アフリカから復帰第2作となる新作をリリースしました。
前作“LALA BELU” は、ポーランド人ベーシストとオーストラリア人ドラマーとの
トリオ編成でしたが、今作はベーシスト、ドラマーともにメンバー交代し、
曲によりマシンコ、ギター、サックス、トロンボーン、ヴォーカルのゲストを加えています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-03-03

交代したベース、ドラムスの両人とも、
ワシントンDCを拠点に活動するミュージシャンとのことで、
同郷人なのかもしれませんね。
ドラマーのケネス・ジョゼフは、ルーツ・レゲエ・グループ、カルチャーの
02年のライヴ盤“LIVE IN AFRICA”で叩いていた人だそうです。

本作は、ハイルが弾くアコーディオンとゲストのマシンコが、
泣きのフレーズを奏でる哀愁味たっぷりのティジータからスタート。
前作はジャズ系ミュージシャンとの共演だったせいか、
エチオ・ジャズ色が強かったですけれど、
今回は歌謡色が強く、エチオピア歌謡のインスト版といった仕上がりになっています。

レゲエの‘Abichu Nega Nega’ は、ハイレのピアノが生ダブ感溢れるプレイをしていて、
引き込まれます。ドラムスはカルチャーのバックで叩いていただけあって、本格的です。
途中でフォー・ビートになって、ジミー・スミスばりのオルガンを聞かせる
‘Yene Abeba’ もグルーヴィですね。

テディ・アフロの出世曲となった‘Shemendefer’ をカヴァーしているのも、
歌謡色を強めた本作のハイライトでしょう。当時テディ・アフロは、
まだ改名前のテウォドロス・カサフンを名乗っていた頃でした。
大ヒットとなったこの曲のキャッチーなコーラス・パートを、
ゲスト・ヴォーカリストが歌っています。
アルバムの最後は、抒情味たっぷりのティジータで締めくくられ、
深い余韻を残す聴後感に満たされます。

Hailu Mergia "YENE MIRCHA" Awesome Tapes From Africa ATFA037 (2020)
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エチオピアン・コンテンポラリー・フォークロア ミキヤス・チェルネット [東アフリカ]

Mikiyas Cherinet  10 KE10 YEGEBASHAL.jpg

全14曲77分超って、どんだけ詰め込めば気が済むのかという感じですけど、
この長さを飽きさせず聞かせる実力は大したものです。
またも知らないエチオピアの若手男性シンガーのアルバム。
ミキヤス・チェルネットと読むんでしょうか。
YouTube をチェックすると、2010年代に入ってから出てきた人みたいです。

新作の1曲目がレゲエだったので、レゲエ・シンガーかと思いきや、さにあらず。
ライト・タッチなコブシ回しも鮮やかに、
エチオピア民俗色をたっぷりと薫らせた曲の数々を歌っています。

アクのない聴きやすい声質のせいか、するすると聞き流してしまいがち。
スムースすぎて引っ掛かりがないシンガーなのに、
何度も聴き返したくなる魅力があるんです。
気合を入れて、じっくり耳を傾けてみると、かなり歌唱力のある人だとわかりました。
さっぱりとした歌い口に、晴れ晴れとした爽やかな歌いぶりで、
よく伸びるハイ・トーンを振り絞るように歌ったり、
ヴィブラートをかけて歌ったりと、コブシの技巧も抜群です。

プロダクションの方も、4~5人のアレンジャーを起用して制作するのが
近年デフォルトとなったようで、
かつてのナホンのような金太郎飴サウンドに堕することなく、
アレンジャーの個性を生かした、カラフルなアルバムに仕上がっているのも嬉しいですね。

マシンコ、ケベロをフィーチャーして、男女コーラスとのコール・アンド・レスポンスで
歌う3曲目‘Turinafa’ 、アクースティック・ギターと打楽器の伴奏で聞かせる4曲目‘Kiya’、
グラゲのリズムを使ったダンサブルな5曲目‘Ziyozi’、
アコーディオン、マシンコ、クラール、ワシントを全面に押し出した
タイトル曲の6曲目という、民俗色を打ち出した中盤の流れが、すごくいいんです。
そして、アルバム・ラストの‘And New Demachin’ で聞かせる
アズマリを思わせる泥臭いビートとレゲエをミックスしたグルーヴが最高ですね。

Mikiyas Cherinet "10 KE10 YEGEBASHAL!" Vocal no number (2019)
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一皮むけたエチオ・ポップのプロダクション ブザエフ・キフレ(ブジ・マン) [東アフリカ]

Buzayehw Kifle (Buze Man)  WEDEFIT.jpg

次から次へと出てくるエチオピアの若手男性シンガー。
出てくる人出てくる人、どの人も歌が上手いのには、毎度驚かされます。
いまやアフリカで歌の上手い若手男性シンガーの宝庫は、
エチオピアとアンゴラの二か国といえますね。

ということで、今回知ったブジ・マンこと、ブザエフ・キフレくん、
スムースな歌い口で、アクがないのはイマドキのシンガーらしさですけれど、
歌唱力がバツグンに高いことは保証します。
なかなかのイケメンくんで、ちょいとロジャー・トラウトマン似なマスクは、
年長の女性ファンにもアピールしそうじゃないですか。

全15曲収録時間66分というヴォリュームで、
アムハラ演歌やグラゲなど地方色豊かな伝統ポップから、
レゲエやコンテンポラリーなポップまで、幅広いレパートリーを歌っています。
メリハリの利いた歌いぶりが堂に入っていて、
こぶしを柔らかに回す技量も大したものです。

打ち込みと生演奏のバランスがよくとれたプロダクションは、
低予算の金太郎飴式のサウンドから、ようやく脱却したことを実感しますね。
これまで、ともすれば鍵盤楽器だけで作っていたところを
サックスなどの管楽器やマシンコなどの伝統楽器に、
生のパーカッションも使って、R&B/エレクトロ・サウンドとブレンドさせています。
ギターも曲により生とエレクトリックを使い分け、カラフルなサウンドを生み出しています。

チェリナのような飛び抜けたサウンドも登場するようになって、
コンサバな伝統ポップのエチオ・ソウル・サウンドも底上げしたようですね。

Buzayehw Kifle (Buze Man) "WEDEFIT" Vocal no number (2019)
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新時代エチオ・ポップの逸材 チェリナ [東アフリカ]

Chelina.jpg

エチオピアン・ポップの新時代を予感させたツェディでしたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-10-30
あの作品はアメリカ西海岸に渡って活動するディアスポラならではの音楽性であって、
エチオピア国内から彼女のようなアーバンなセンスのアフロ・ポップが
登場するのは難しいだろうなと思っていたら、いや、時代は動いていましたねぇ。

そう実感させられたのが、
チェリナという26歳の女性シンガー・ソングライターのデビュー作。
柔らかな発声にチャーミングな歌いぶりが魅力的なだけでなく、
これまでのエチオピアン・ポップの水準をはるかに超えたプロダクションが画期的です。

チェリナの音楽性を一言でいえば、ポップ・レゲエということになると思うんですが、
従来のエチオピアン・レゲエのシンガーにはみられない、
今日的なネオ・ソウルやジャズと親和性のあるハイブリッドなサウンドを聞かせていて、
「エチオピアのシティ・ポップ」と呼びたくなりますね。

チェリナは、歌手だった母親からの勧めで、
大学に進学して法律を学ぶ予定だったのを音楽学校へと進路を変更し、
そうして音楽家になったのだそうです。
親の反対を押し切って音楽家になるのが世の常だというのに、
こんな真逆のケースもあるんですねえ。

キャリアのスタートもユニークなら、デビューまでの道のりも、かなりユニークです。
母親が音楽業界に通じていたことから、多くのミュージシャンやプロダクションとの
コネクションがすぐに出来、デビューやアルバム制作の話も相次いだという、
超恵まれた環境にあったようなんですが、
彼女はデビューを急がず、むしろ自分の成長に時間をかけたとのこと。

多くの歌手たちのように、クラブやレストランでの演奏活動を行わず、
作曲活動に専念してアルバムの制作を進め、
3年前にアルバムをいったん完成させていたそうです。
しかしその後、出産などによる2年間のブランクの間に
新たなアイディアが生まれ、スポンサー面での課題なども現れ、
アルバム制作をやり直すことになったとのこと。

そうして長い歳月をかけたデビュー作は、発売直後から話題を呼び、
昨年10月に開催されたシェゲルFM主催の第9回レザ賞で、
最優秀新人賞と年間ベスト・アルバム賞のダブル受賞を獲得しました。
そんなエピソードも、本作を聴くといちいちナットクできる、
チェリナのユニークな個性が発揮されたこのアルバム、
インターナショナルで成功しても不思議はありませんよ。

エチオピア色は皆無と思いきや、
1曲だけエチオピアの旋法をさりげなく使った11曲目の‘Beyikrta’ では、
ほのかなエチオピアの薫りが漂い、頬がユルみました。
新時代エチオ・ポップの逸材といえるチェリナ、
ジャズ系のミュージシャンを起用したアルバムも期待してみたいなあ。

Chelina "CHELINA" Chelina Music no number (2019)
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エチオピアン・ディアスポラのアフロ・ポップ・シンガー ツェディ [東アフリカ]

Tsedi SEW.jpg

エチオピアのコンテンポラリー・ポップスというと、現地で人気の高いレゲエを含めて、
そこそこみんな上手いんだけど、飛び抜けた才能が見当たらないなあと思っていたら、
出てきましたね、頭一つどころか、二つも三つも抜けた人が。
それが、現在オークランドに暮らすアフリカン・デイアスポラの
若き女性シンガー・ソングライター、ツェデイことツェダル・テスファフン。

ケニヤで生まれ、エチオピアに育ち、アメリカへ渡ったというツェディ、
幼い頃はレゲエやヒップ・ホップに夢中だったそうですけれど、
十代後半からシンガー・ソングライターとして曲を作るようになってからは、
インディア・アリー、エリカ・バドゥ、ジル・スコット、
ローリン・ヒルに影響を受けたとのこと。
そう聞けば、ネオ・ソウルど真ん中という音楽性を感じさせますけれど、
本作で繰り広げられる音楽は、アフロビーツそのもの。

ナイジェリアのアフロビーツが、パン=アフリカン・ミュージックになったことを、
これほど強烈に意識させられるアルバムもありませんね。
その影響力の大きさを、あらためて認識させられましたね。

涼し気なスティールドラムのサンプリングがトロピカル・ムードを誘う
オープニングのレゲエから、従来のエチオピア産コンテンポラリー・ポップスのクオリティを
はるかに凌ぐプロダクションを聞かせます。
なるほどネオ・ソウルを通過した人だなと感じさせるソング・ライティングも巧みで、
耳に心地良いメロディを書ける人ですね。

あ、もちろん言うまでもなく、ここにエチオピアの伝統的な音楽要素はありません。
ディアスポラが生み出したグローバル・ポップだからこそ、
アフロビーツとの親和性の高さが示されているわけですからね。
いまのところデジタル・リリースはなく、エチオピアのみでCDリリースされており、
今後現地での評判がどのようになるのかにも、興味をそそられます。

Tsedi "SEW" Musixmatch no number (2019)
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エチオピア演歌のヴェテランのカムバック作 アサフ・ダバルキ [東アフリカ]

Asefu Debalkie  LTEGNABET.jpg

いや~、これまたアムハラ演歌の味わいを堪能できる快作ですね。
こぶし回しのキモチいいことといったら、ありませんよ。

かなりのヴェテランとおぼしきルックスの人ですが、
アサフ・ダバルキの名は初耳です。
この人のYouTube を観ると、かなり古そうな映像やカセットまで出てくるので、
70年代の黄金時代から歌ってきた人なのかもしれませんね。

テオドロス・タデセと一緒に歌っているヴィデオや、
ラス・バンドをバックに歌っているヴィデオもあるので、
アメリカへ渡って、ワシントンD.C.のエチオピアン・コミュニティで
活動してきたシンガーなのでしょう。
新作も在米エチオピアン・コミュニティのレーベル、ナホンからのリリースだし、
カムバック作という文字もみられるので、しばらくシーンから離れていたのかもしれません。

本作はそんなブランクを感じさせない歌声で、熟達したヴォーカルを聞かせます。
じっくりと歌うアムハラ演歌あり、
マシンコをフィーチャーしたハチロクのダンス・ナンバーあり、
いずれもアサフの練れたこぶし回しをたっぷり味わえるんですけれど、
哀愁を帯びたワシント(笛)をフィーチャーした民謡調の曲が、特にいいなあ。
声を張るとかすかにひび割れるあたりが、なんともいい味ですよねえ。

若手がコンテンポラリーなサウンドに寄って、ヴォーカルもメリスマを利かせない
スムースなスタイルがメインになっているので、
エチオピア演歌はヴェテランに頼らざるを得ません。

Asefu Debalkie "LTEGNABET" Platinum/Nahom no number (2019)
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アムハラ演歌の華 ハメルマル・アバテ [東アフリカ]

Hamelmal Abate  KEMSHA.jpg

姐さん、お帰りなさいましっ!
エチオピア演歌の女王ハメルマル・アバテ、6年ぶりの新作です。
13年の前作“YADELAL” も7年ぶりでしたけれど、待たせますねえ、この人は。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2013-11-28
待っただけのことはある、今作は会心の出来ですよ。
アスター・アウェケの新作と同時期の発売というのは、前回と同じですね。

いやぁ、それにしても、このこぶし回しの気持ち良さといったら!
背中がぞくぞくしますね。
今回一緒に若手の男性歌手のアルバムをたくさん買ったんですが、
どの人もライト・タッチの歌い方をするコンテポラリー・ポップ・タイプだったので、
ずっとそういうスムースなヴォーカルばっかり耳にしたあとで、
ハメルマル姐さんのど演歌なこぶしを聴くと、沁みる、沁みる。
5曲目‘Enetarek’ のサビで炸裂させるこぶしには、昇天しました。

今作もアバガス・キブレワーク・シオタのプロデュースは快調。
アレンジャーには、シオタ以外5人が起用されていて、
シオタがアレンジしたのは3曲のみ。
アディス・フェカドゥが6曲と一番多く担当しています。

前作は鍵盤代用のホーンでしたけれど、
今回はサックス奏者がクレジットされています。
ホーン・セクションは鍵盤ですけれど、そこに生のサックスが加わると、
がぜん圧が違ってきますね。

民謡調の曲ではアコーディオンを効果的に使っているほか、
マシンコやクラールも大々的にフィーチャー。
9曲目‘Say Mado’ではアコーディオンとマシンコの伴奏をメインに
情深い歌いぶりを聞かせ、ラスト・トラックの‘Yene Bite’では、
マシンコとクラールのみをバックに、ブルージーな味わいの泣き節を聞かせます。
シオタがこんなシブいアレンジをするのは、ちょっと意外でした。

全14曲収録時間78分超というヴォリュームに、捨て曲なし。
アップにスローに硬軟使い分け、前作をはるかに凌ぐ力作、
アムハラ演歌の華を輝かせた傑作です。

Hamelmal Abate "KEMSHA" Amel Production no number (2019)
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コンテンポラリー・エチオピアン・ポップを歌うオロモ人シンガー アブッシュ・ゼレケ [東アフリカ]

Abush Zeleke  HID ZEYIRAT.jpg

いまオロモ人にもっとも影響力のある歌手といわれるアブッシュ・ゼレケ。
R&B色の強いコンテンポラリー・サウンドの
エチオピアン・ポップを歌う歌手として、ただいま人気沸騰中。
新作では、オロモ色を強調しないエチオピア全方位のリスナー向けアルバムとなっていて、
カラフルなレパートリーが魅力。ダンスホール・レゲエの影響色濃いサウンドは、
イマドキのエチオピアのトレンドに沿ったものとなっています。楽曲もツブ揃いで、
アブッシュのスムースなヴォーカルは、イキの良さが感じられて、スッキリ爽やか。

オロモのアルバムというと、全編どすこい・ビートというのが多くて、
単調に感じることもあるんですけれど、本作はそれにはあてはまりません。
オロモの特徴的なリズムの曲は1曲のみで、
その曲だけオロモ語で歌っているようですね。
ほかはすべてアムハラ語で歌っていることに、
オロモ民族主義者から、早速批判されているそうです。

う~ん、なるほど、そういう急進的な民族主義者も多いから、
オロモのアルバムって、全編どすこい・ビートになっちゃうのか。
アブッシュ・ブレケは、そういう自民族中心主義には反対の立場を表明していて、
インタヴューなどでも、宗派を超えて融和することが大事だと主張しています。

そんなアブッシュの姿勢が、本作にもよく表れていて、
エチオピアのカラフルなフォークロアに、レゲエ/ラガやR&B、
ヒップ・ホップのセンスを兼ね備えた、
現代性に富んだポップスが生み出されているわけですね。

人力のドラムスやホーン・セクションの生音使いを強調したトラックと、
ヒップ・ホップ/ラガの打ち込みを活かしたダンス・トラックと、
くっきり使い分けたプロダクションが、いいバランスを保っています。
ギター、ベースの聞かせどころもしっかりあって、コーラス・アレンジの上手さなど、
アレンジ面でも若い才能が伸びてきたのを実感できる一枚です。

Abush Zeleke "HID ZEYIRAT" Hobinet Media no number (2019)
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泣きのエチオピア歌謡アルバム アスター・アウェケ [東アフリカ]

Aster Aweke  CHEWA  Kabu Ethiopia.jpg   Aster Aweke  CHEWA  Kabu US.jpg

エチオピア歌謡のヴェテラン女性歌手、アスター・アウェケの新作です。
前作から6年ぶりと、ずいぶん長いインターヴァルになりましたが、
今作はポップな前作“EWEDIHALEHU” とはガラリ変わって、
じっくりと歌ったシブいアルバムになりましたよ。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-11-30

オープニングからスローのエチオ情歌(ティジータ)で迫り、
ハイ・トーンを揺らしながら回すこぶし使いに、胸をキュッとつかまれます。
これぞアウェケ節といえる、若い頃から特徴的だった節回しなんですが、
若い頃は声が細くてキンキンと聞きづらかったものの、
円熟してすっかり角も取れ、まろやかになりましたねえ。いやあ、絶妙です。

前作のようなポップ作では、高音域を揺らすアウェケ節は影を潜めがちでしたけれど、
今作のようなスローやミディアム・スロー中心のレパートリーでは、
緩急自在に炸裂させていて、あらためて上手い歌手だなあと感じ入ります。

また、プロダクションががらっと変わったなと思ったら、
なんと長年の相棒アバガス・キブレワーク・シオタの名がありません。
アウェケ自身がプロデュースを務めていて、
今回はアレンジャーに、4人の名前が並んでいます。
そのアレンジャーも、前作とは総入れ替えになっていて、
1曲のみ担当のアビー・アルカだけが、前作に続いて起用されています。

アクースティック・ギターやホーンズの生音を効果的に使いながら、
ヌケのいいサウンドでじっくりと歌ったティジータ中心のアルバム。
ブルージーな‘Yewedede’ もグッときますねえ。
ディアスポラのエチオピア人を泣かせることウケアイの、
エチオピア歌謡アルバムです。

Aster Aweke "CHEWA" Kabu no number (2019)
左:エチオピア盤 右:アメリカ盤
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南スーダンのファニーなポップス パンチョル・デン・アジャン・ラック [東アフリカ]

Panchol Deng Ajang Luk  THE VOICE OF SOUTH SUDAN.jpg

南スーダンのポップス?
あの国にポップスなんて存在するのか?
独立早々の国境紛争から内戦に突入した南スーダンの惨状を思えば、
当然わき上がる疑問です。

南スーダンの国旗の三色を背に、『南スーダンの声』と題した本作の主役、
パンチョル・デン・アジャン・ラックは、内戦を避けて国外に脱出した難民たちにとって、
レジェンド扱いされている歌手だとのこと。
いかにも低予算なチープな打ち込みは、ポンチャックの南スーダン・ヴァージョンの体で、
聴き始めはやれやれという気分にさせられたんですけれど、
聴き進めていくうちに、グングン引きつけられてしまいました。

いかにもスーダンらしいおおらかなメロディと、
2・4拍でハネるリズムがユーモラスというか、ファニーというか、
とにかく楽しいことこのうえないんですよ。
オルガン、シンセサイザー、シンセ・ベースをレイヤーしたスッカスカのサウンド、
キーボードのキュートな音色に、クスクス笑いを誘われます。
アコーディオンやエレクトリック・ギターは手弾きのようで、
シンセ・ベースでなく、手弾きらしきベースが聞こえる曲もあるんですけれど、
見事にチューニングが合っていなくて、アブなく妖しいサウンドを生み出しています。
何が功を奏するか、わからないもんですね。

パンチョル・デン・アジャン・ラックは、現在の南スーダン、デュック・パディエット群で、
69年の生まれ。兄弟の多くを失くし、父親は76年に、母親は90年に他界。
内戦のため通っていた学校も閉鎖され、初等教育も満足に受けられなかったそう。
歌手活動だけでなく、レスリングの選手としても活躍したが、
ディンカ人主体の反政府組織SPLMによる内戦が激しくなった91年には、
ほとんど芸能活動が不可能となり、
現在は難民キャンプを回って避難民を勇気づけているという。
国外へ逃れた難民の支援を受け、13年にカナダ、15年と17年にオーストラリア、
17年にアメリカへ招待されて公演を行っています。

ハイル・メルギアの85年の多重録音盤が好きな人や
アフリカ音楽カセットのマニア、ブライアン・シンコヴィッツさんのレーベル、
オウサム・テープス・フロム・アフリカのファンには、絶好の一枚でしょう。

Panchol Deng Ajang Luk "THE VOICE OF SOUTH SUDAN" JBT no number (2017)
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スーダンのブルース・レジェンド アブドゥル・アジーズ・ムハンマド・ダウード [東アフリカ]

Abd Al Aziz Mohammed Daoud.jpg

黄金の宝が眠っていることはわかっているのに、
待てど暮らせど、いっこうに発掘されないスーダン大衆歌謡。
オスティナート・レコーズのヴィック・ソーホニーが手がけ始めたので、
その成り行きを見守っていたところ、まったく別のところから、
ヴィンテージものがひょっこりリイシューされました。

それがアリゾナ州トゥーソンを拠点とする
ブルー・ナイル・レコーズというレーベルがリリースした、
アブドゥル・アジーズ・ムハンマド・ダウードのリイシュー作。
アメリカに渡ったスーダン人が主宰しているレーベルのようです。

アブドゥル・アジーズ・ムハンマド・ダウードは、伝統的なハギーバから
スーダン歌謡の現代化が大きく進んだ60年代に活躍した歌手。
北部の町ベルベル出身で、生年はライナーには30年とありますが、
ぼくの手元にある資料では22年説と16年説があり、ちょっと不確かのようですね。

少年時代のクッターブ(コーラン学校)では、コーラン朗唱に優れた生徒だったものの、
歌が好きでよく大声で歌っていたダウードは、
音楽を禁じるイスラームの教えに背いたとして、よく鞭打たれとのこと。
47年にラジオ・スーダン(ウム・ドゥルマン・ラジオ局)で歌い始めたダウードは、
ハギーバなどの大衆歌謡ばかりでなく、スーフィーの古い聖歌や
コーランの一節を吟唱したり、即興のコメディを歌うなど、
さまざまなレパートリーを歌える歌手としてその才能が高く評価され、
スーダンの著名な作曲家や詩人が競うようにダウードのために曲を書いたといいます。

50~60年代に人気を博したダウードのスタイルは、「ブルース」と呼ばれ、
やがて「スーダンのハウリン・ウルフ」の異名をとり
(アメリカのブルース・シンガーとは無関係)、
このCDにも、「スーダニーズ・ブルース・レジェンド」と記されています。
ウム・ドゥルマン・ラジオ局の公式記録では、ダウードは49を超すアルバムを残し、
186曲を録音したとあり、国内ばかりでなくアラブ諸国をツアーし、
74年にはドイツ、アメリカへも渡っています。

本CDは、60年代のオリジナル音源をもとに、
93年に伴奏をオーヴァー・ダブして差し替えられたもの。
ディスク化されたのは、今回が初のようですけれど、
せっかくお化粧直しした音源を、なぜ眠らせておいたんでしょうね。
そこいらの事情はよくわかりませんが、
ヴォーカルと伴奏に不自然さはなく、違和感なく聴くことができます。
オリジナルの録音時期は、けっこう幅がありそうです。

アコーディオン、ウード、エレクトリック・ギター、ボンゴが繰り出す
まろやかなビートがたまりません。ヴァイオリン・セクションが舞う
エレガントなサウンドは、スーダン歌謡の醍醐味といえます。
ダウードの気っ風のいい歌いっぷりやこぶしの利かせ方は、
まさに熟練の味わいで、奥行きのある歌声に懐の深さを感じます。
ブルース・シンガーというより音頭取りと言った方が、日本人にはピタッときますね。
60年代のオリジナル音源も、ぜひ聴いてみたいものです。

Abd Al Aziz Mohammed Daoud "THE BEST OF ABD AL AZIZ MOHAMMED DAOUD VOLUME ONE" Blue Nile BLN1804
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アズマリのメリスマ ギザチュウ・テショム [東アフリカ]

Gizachew Teshome  DES BELONAL.jpg

なんて味のあるコブシ回しなんだろうか。
メリスマの利かせ方ばかりでなく、発声の強弱を駆使して
風が舞うような節回しを描く、その技量の高さにタメ息がでます。

ヴァイタルに歌えば野趣な味わいがにじみ出るし、いやあ、いい歌い手ですねえ。
アズマリでなければできない芸当、その鍛え抜かれた芸能の深淵が
まさにそこに表現されている、そんな思いを強くさせる見事な歌唱です。

ギザチュウ・テショム。
経歴などのバイオ情報が見つからなくて、詳細はわかりませんが、
間違いなくアズマリ出身、中堅どころといった歌手でしょうか。
11年にこんなアルバムがカナダで出ていたとは知りませんでした。
これほど素晴らしいシンガーをずっと知らずにいたなんて、などと反省しながら、
データベースに打ちこんでいたら、あれ? この人の旧作を持ってる!
ぜんぜん記憶になくて、棚をごそごそ探して、ジャケットを見て、ようやく思い出しました。

Gizachew Teshome  YEHUNA.jpg

エチオピアで出た08年作(表紙の2001はエチオピア暦)で、
今回手に入れたカナダのサミー・プラス・プロダクションからも出ているようです。
歌はいいんだけど、プロダクションがちょっと難だったような覚えがあったんですが、
聴き返してみたら、やっぱりその通りでした。
主役のせっかく歌の上手さを、シンセやサックスなどバックの音がジャマしたり、
ヴォーカルがサウンドに埋没気味となっているミックスもいただけません。

そんな08年作の欠点をすべて改善してみせた本作は、
ギザチュウのヴォーカルが前面に押し出され、
クラール、マシンコ、ワシントなどの伝統楽器と、
サックスやエレクトリック・ギターとの絡みもこなれています。

反復フレーズでじわじわと熱を帯びていくのは、アズマリのお約束。
ウチコミ使いと思えぬグルーヴィなビート感も申し分ありません。
辛口の女声のお囃子と、パワフルなギザチュウとのかけあいに手に汗握れば、
絶妙なタイミングで炸裂するウルレーションに昇天します。

Gizachew Teshome "DES BELONAL" Samy Plus Production no number (2011)
Gizachew Teshome "YEHUNA" Master Sound no number (2008)
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スーダニーズ・ファンク・バンドの名盤復活 ザ・スコーピオンズ&サリフ・アブ・バクル [東アフリカ]

The Scorpions & Saif Abu Bakr.jpg

ハビービ・ファンクは、ドイツのヒップ・ホップ・レーベル、
ジャカルタのサブ・レーベルとして、15年にスタートした復刻専門レーベル。
アラブ/北アフリカの70年代レア・グルーヴをリイシューするという、
これまで誰も目を向けなかった秘境にスポットを当てています。

カタログには、モロッコのファンクやら、アルジェリアの電子音楽など、
好奇心をくすぐるタイトルが並んでいるんですけれど、
聴いてみると、どれもC級D級クラスの作品ばかりで、アテが外れます。
う~ん、もっと面白い音源があるような気はするんですけれどねえ。

「スーダンのジェイムズ・ブラウン」と称されるカマル・ケイラにも、がっかり。
曲にスーダンらしさはまるでなく、バンドの演奏もお粗末な限りで、
チューニングの甘いギターにイライラされっぱなし。
CD1枚聴き通すのは、相当苦痛でした。
やっぱダメだ、このレーベル、と見限ろうとしてたところ、
9作目にして、ようやくリイシューする価値ありの逸品が登場しましたよ。

それがスーダンのバンド、ザ・スコーピオンズ。
彼らが80年にゆいいつ残したレコード、クウェートのブザイドフォン盤を
ストレート・リイシューしたものです。
オークションで1000ドル超えして、マニアの間で話題となっていたレコードですね。
16年にブートレグLPがイタリアで作られましたけど(落札者の仕業?)、
今回は権利者とギャランティ契約も結んだ正規リイシュー。
じっさい音を聴いて、なるほどウワサにたがわぬ逸品だということがわかりました。

The Scorpions eBay.jpg

ムハンマド・ワルディやアブデル・カリム・エル・カブリのスーダン歌謡とは
世代の違いを感じさせる、ファンク・バンド・サウンドが痛快です。
それでいて楽曲は、5音音階のスーダン特有のメロディなんだから、
北米ソウルのヘタクソなコピーにすぎないカマル・ケイラとは、雲泥の差。
サリフ・アブ・バクルのヴォーカルもソウルフルだし、バンドのグルーヴも一級品です。

スコーピオンズは、ライナーの解説によると、
アメリカン・スクールに通っていたアル・タイブ・ラベーが、
ロックンロールに感化されて当時のスーダンとしては珍しいギターを始め、
トランペッターのアメル・ナセルとボンゴのアル・トムとともに始めたバンドとのこと。
ライナーには、60年結成という記述と、65年に3人で初セッションしたという記述が
混在していますけれど、いずれにせよ60年代に始まった学生バンドが、
洋楽ポップスに影響を受けた先達のシャーハビル・アフメドを範として成長し、
70年代に活躍したバンドなのですね。

バンド結成当初のスーダンでは楽器の輸入が難しく、ドラムスを手作りしたことや、
アメル・ナセルが、ルイ・アームストロングとの出会いによって、
クラリネットからトランペットへ持ち替え、猛練習の末に
スーダンのトップ・クラスのプレイヤーとなったことなど、
ライナーからは、当時のスーダンの若者の奮闘ぶりがうかがえます。

シャーハビルのバンドに対抗する演奏力をつけるため、
エチオピアのハイレ・セラシエ1世皇帝劇場オーケストラの
サックス奏者ゲタ・ショウアから、指南を受けたこともあるそうです。
やがて、シャーハビルのレパートリーのコピーで、
スコーピオンズが人気を得るようになると、
本家本元が怒って裁判沙汰となり、
コピー演奏を禁じられる判決が下るという事件も起きたのだとか。

その後アル・タイブ・ラベーは70年代にバンドを脱退し、
新たにヨルダン出身のオルガン奏者や
コンゴ民主共和国出身のベーシストを迎え、スーダン国内ばかりでなく、
レバノン、クウェート、チャド、ナイジェリアへもツアーをして名声を高めます。
なかでもクウェートとは、ラジオ出演や、
カジノと1年間の専属契約を結ぶなど関係が深く、
彼らのゆいいつのレコードが80年に残されたのですね。

The Scorpions & Saif Abu Bakr "JAZZ, JAZZ, JAZZ" Habibi Funk HABIBI009
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前進を続けるユーカンダンツ [東アフリカ]

Ukandanz  YEKETELALE.jpg

うお~ぅ、ユーカンダンツ、前進してるなあ。

エチオピア黄金時代のクラシックスを、
変拍子使いのラウドなオルタナ・ロックへ変貌させるという、
ドギモを抜くアイディアで、脳天をブン殴られたデビュー作。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-12-27
その衝撃が冷めやらぬ間に来日もしてくれて、
その実力がホンモノであることを、しっかりと確かめられました。

ユーカンダンツの手柄は、黄金期のエチオピア歌謡をオルタナ・ロック化することで、
エチオピア音楽が持つ「臭み」を蘇らせたことにありました。
90年代以降のエチオピアン・ポップが、
フュージョン寄りのサウンドでコンテンポラリー化したことで、
「洗練」を獲得した代わりに、「エグ味」や「臭み」といった
エチオピア音楽唯一無比の個性を手放してしまったからです。

そこにユーカンダンツは、まったく異なるサウンド・アプローチで、
エチオピア歌謡が持っていた、独特の臭みを取り返したのです。
これ、案外気付いていない人が多いというか、
ユーカンダンツのハードコアなサウンドばかりに注目が集まりがちですけれど、
彼らの最大の功績は、
エチオピア歌謡のエグ味の奪還にあったと、ぼくは考えています。

その点で、前作はぼくには不満でした。
バンドのヘヴィーなサウンドに負けじと、
アスナケ・ゲブレイエスが無理に声を張り上げていたからです。
ああ、アスナケは何か勘違いしてるな、と思いました。

デビュー作では、バンドのサウンドがいくら鋭角に歌に切り込んでこようと、
アスナケは自分の唱法を変えずに歌ったからこそ、あの傑作が誕生しました。
シャウトなんかしなくたって、十分なパワフルなヴォーカリストなのに、
ロック・サウンドに無理に合わそうと唱法を変えたことで、
こぶしの妙味が失われてしまったのは、致命傷でした。
今作はそれに気づいたのか、アスナケは本来の唱法に戻って、
存分にメリスマを利かせて歌っています。そうそう、こうでなくっちゃあね。

そして今回は、シンセ・ベースとドラムスのメンバー・チェンジによって、
バンド・サウンドも変化しました。
ファンキーなブレイクなどを使い、ヒップ・ホップのセンスも加味したサウンドとなって、
エレクトロ・ファンクなサウンドも随所にみせています。
ビート・ミュージックのようなセンスもうかがわせ、
前2作にはなかったサウンドが新鮮です。

レパートリーは、今回もテラフン・ゲセセ、マハムド・アハメド、ギルマ・ベイェネなど、
往年の名曲を題材に、思い切り現代化していて、エチオピア歌謡が持っていた芯を
アスナケの卓抜した歌唱力で、再解釈しています。
ラストのマハムド・アハメドが得意とした、グラゲのダンス・ナンバーもサイコーです!

Ukandanz "YEKETELALE" Buda Musique 860332 (2018)
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ターラブの温故知新 マトナズ・アフダル・グループ [東アフリカ]

Matona’s Afdhal Group.jpg

ターラブは、アフリカとアラブとインドが出会ったハイブリッドな歴史を持つ音楽。
そこに、ジャズやクラシックなど西洋の音楽も取り込んでみれば、
より複雑なアラベスク文様をみせるターラブになるんじゃない?なんて思ってたら、
そんな期待に応えてくれる、素晴らしい作品が登場しました。

ノルウェイのジャズ・ミュージシャンが、ザンジバルのターラブの音楽家と出会い、
ターラブとジャズを互いに教え合いながらグループ活動を続けてきたという、
マトナズ・アフダル・グループ。
ブッゲ・ヴェッセルトフトが新たに発足させたレーベル、
OK・ワールドからのリリースです。

少し前に、ノルウェイ放送局管弦楽団と
ザンジバルのターラブの音楽家たちが共演したアルバムが出ていましたけれど、
そこにも参加していたウード奏者で歌手の
ムハンマド・イサ・マトナ・ハジ・パンドゥを中心に、ヴァイオリン、サックス、ギター、
ベース、ドラムスの5人のノルウェイ人ジャズ・ミュージシャンが集まったのが、
マトナズ・アフダル・グループです。

初めてのセッションがとてもうまくいき、ご満悦となったマトナが思わず発した一言、
「アフダル」(アラビア語で「最高」の意)を取って、グループ名にしたんだそう。
なるほどそのエピソードがよくわかる演奏ぶりで、
ノルウェイ勢がターラブ・マナーに寄り添い、
両者の音楽性を見事にブレンドしています。
ヴァイオリンの女性がスワヒリ語で歌っているのも、堂に入ってます。

最近は、ジャズとローカルなフォークロアとの融合が、
無理なく行われるようになりましたね。
ジャズ・サイドの音楽家たちが、ローカルな音楽の音階や旋法を理解しようと意識を
変え始めたことが一番大きいんじゃないのかな。
ひと昔前までは、ローカルな音楽にないハーモニーを加えたり、
テンション・ノートやスケール・アウトする音使いで、
「ジャズぽい」演奏にしてしまう無神経さが横行したものですけれど、それも今や昔。
ここで聞かれるギターなんて、ジャズ・ミュージシャンとは思えないほど、
ジャズ・マナーをおくびにも出さないプレイをしています。

ザンジバルの伝説的なターラブ音楽家イサ・マトナを父に持つ
ムハンマド・イサ・マトナ・ハジ・パンドゥは、
父の楽団でパーカッション奏者として修業したのち、
18歳でカシ・ミュージカル・クラブに参加して一本立ちしたターラブ音楽家。

Ilyas Twinkling Stars.jpg   Ikhwani Safaa Musical Club  ZANZIBARA 1.jpg

20歳でムハンマド・イリアス&トゥインクリング・スターズに加わり、
91年に来日して日本でレコーディングしたCDでは、
ヴァイオリンとコーラスを務めていました。
その後、名門楽団のイクワニ・サファー・ミュージカル・クラブに移り、
『100周年』記念アルバムでも、マトナの名をみつけることができます。

本作のレパートリーでは、ターラブを大衆化させた
伝説の女性歌手シティ・ビンティ・サアドの4曲に、
アラブ歌謡の巨匠ムハンマド・アブドゥル・ワハーブの2曲を
取り上げているのが注目されます。
モダンな音楽性を志向する一方、ターラブの古典やザンジバルやエジプトの古謡を
多く取り上げた温故知新の姿勢が、本作を成功させた秘訣といえそうです。

Matona’s Afdhal Group "MATONA’S AFDHAL GROUP" OK World 377 908 7 (2018)
イリアスのきらめく星 「ザ・ミュージック・オブ・ザンジバル」 セブンシーズ/キング KICP203 (1992)
Ikhwani Safaa Musical Club "ZANZIBARA 1: 1905-2005 CENT ANS DE TAARAB À ZANZIBAR" Buda Musique 860118 (2005)
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オランダで生み出した濃厚なエチオピアン・サウンド ミニシュ [東アフリカ]

Minyeshu  DAA DEE.jpg

エチオピアン・ポップスにはまれなジャケットのデザイン・センスに、
おぉ!と手にした、オランダ在住エチオピア人歌手ミニシュの前作。
その洗練されたジャケット・デザインが暗示するかのように、
サウンドの方もグローバル・スタンダードなクオリティのプロダクションで、
実にクールな仕上がりとなっていたのでした。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2014-11-17

ところが、5年ぶりとなる新作は、垢抜けないジャケットに、
おやおやと気落ちしたものの、中身は上出来。
前作のプロデュースはスーコ・103のメンバー二人が担っていましたが、
今回は2作目“DIRE DAWA” 同様、鍵盤/ドラムス担当の
エリック・ファン・デ・レストとミニシュの共同プロデュースに戻っています。

“DIRE DAWA” は、ジャジーな無国籍なワールド・フュージョンといった
サウンドでしたけれど、前作“BLACK INK” の経験がモノをいったんでしょう。
前作以上にエチオピアのフォークロアを巧みにブレンドさせた、
ハイブラウなサウンドを生み出しています。
洗練されているのに、濃厚なエチオピアの味わいを保ったままというのが、
得難いですねえ。

ホーン、ストリングス、コーラス、エレクトリック・ギターをレイヤーし、
立体的なサウンドを構築したアレンジが見事です。
曲中で変化するリズム・アレンジもスリリングで、
やっぱり人力演奏のリズム・セクションはいいと、改めて実感しますよ。

マシンコとワシント以外の演奏者は、全員欧州人のようですけれど、
エチオピアの旋法やリズムの理解も申し分なく、
北部ティグリニャの曲から南部のワライタのリズムまで、
エチオピア色満開のサウンドを楽しませてくれます。
ミニシュの線の細い歌もふくらみが増して、
前作を上回る充実したアルバムとなりました。

Minyeshu "DAA DEE" ARC Music EUCD2782 (2018)
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モガディシュを沸かせたソマリ・ディスコ・バンド ドゥル・ドゥル・バンド [東アフリカ]

Dur Dur Band Volume 1 Volume 2.jpg

これは、アナログ・アフリカのひさしぶりの快作ですね。
ここ数年のアナログ・アフリカの復刻のお仕事には、
あまり感心できないものが続いていたんですが、
80年代のソマリアで、民間バンドとして活躍した
ドゥル・ドゥル・バンドの復刻には発見がありました。

ようやくソマリ音楽の往年の音源に、
少しずつ光があたり始めるようになった今日この頃ですけれど、
アナログ・アフリカがドゥル・ドゥル・バンドをリリースするというニュースには、
正直歓迎できないというか、もっとほかにリイシューすべきものが
あるんじゃないのとしか思えなかったのでした。

というのも、ドゥル・ドゥル・バンドは、
オウサム・テープス・フロム・アフリカが87年の『第5集』をCD化していて、
平凡なアフロ・ファンク・バンドといった感想しか持っていなかったからです。

しかし、あらためてこのアナログ・アフリカ盤を聴いてから振り返れば、
オウサム・テープス・フロム・アフリカ盤は音質が悪すぎましたね。
劣化したカセット・テープのノイズのせいで、
このバンドの魅力を伝えきれていなかったことが、いまではよくわかります。

今回アナログ・アフリカがリイシューしたのは、
彼らのデビュー作とセカンド・アルバム。
ギターやベースの音もくっきりと捉えられていて、
当時モガディシュのディスコを沸かせたという、
ドゥル・ドゥル・バンドの演奏力をようやく認識できましたよ。

たしかにサウンドは、北米ファンク・マナーというか、
まんまコピー・バンドであるものの、それぞれ個性的な男女歌手がコブシを利かせて、
ソマリらしい5音音階のメロディを歌い、ディープな味わいを醸し出しています。
ガッツのあるサックスのブロウなども、嬉しいじゃないですか。
セカンド作では、レコードの針飛びを模したミックスという斬新なアイディアも聞かせ、
サウンド・エンジニアリングの才にもウナらされました。

モガディシュを沸かせたソマリ・ディスコ・バンドから、
濃厚なソマリ風味を味わえる、得難いリイシュー作です。

Dur-Dur Band "VOLUME 1 & 2" Analog Africa AACD087 (1986/1987)
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エグ味は旨味 デレブ・ジ・アンバサダー [東アフリカ]

Dereb The Ambassador  ETHIOPIA.jpg

アズマリ出身の歌手デレブ・デサレン率いる
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-11-02
在オーストラリアのエチオ・ポップ・バンド、デレブ・ジ・アンバサダーが、
昨年に続き3度目の来日を果たします。

ホーンズを従えた生バンドによるエチオ・ポップは、
本場エチオピアでも、おいそれとは聞けるもんじゃありません。
それを日本にいながらにして体験できるんだから、
これを贅沢と言わずして、何と言いましょう。
んもー楽しみで、今からソワソワしっぱなしですよ。

エチオピーク・シリーズを聴き倒しているエチオ・ポップ・ファンなら、
デレブ・ジ・アンバサダーのライヴを見逃すような人はいないと思いますけど、
もし情報をキャッチしそこねている人が周りにいたら、教えてあげてください。
今回のツアーは、今月19日から始まりますよー!
https://ethiopianartclub.org/events/

で、今回はなんと、新作をひっさげての来日なんですね。
思えばデビュー作が出たのは、もう8年も前のこと。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2012-02-01
2作目を出すまで、ずいぶん時間がかかったものです。
デビュー作は、バリトン・サックスも加えた5管編成という
ブ厚いホーン・セクションが聴きものとなっていたんですが、
今作のホーンズは3管となり、メンバーもだいぶ入れ替わっています。

バンド・サイズがやや縮小したことによって、
デビュー作の音圧でぐいぐい迫ってくるようなパワーは減じたとはいえ、
エチオピア黄金時代のサウンドの再現にとどまることなく、現代性を加味しながら、
じっくりとサウンドを練り上げたことがわかる力作に仕上がっています。
野性味溢れるデレブのファンキーな歌いっぷりも申し分なく、
なにより嬉しいのは、エチオピア音楽独特のエグ味を失っていないことです。

それは、‘Ethiopia’と題されたタイトル・トラックにも表れていますね。
‘Ene Negn Bay Manesh’ を原題とするこの曲は、
エチオピア黄金時代の影の立役者、ギルマ・ベイェネの名曲で、
昨年ギルマがフランスのエチオ・ポップ・バンド、
アカレ・フーベとともに制作した初ソロ作にも収録されていました。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2017-03-12

ギルマ・ヴァージョンでは、エレクトリック・ギターがジャズぽいリックを繰り出し、
ジャジーなサウンドを演出していましたけれど、
デレブはクラールをカクシ味にして、
ノスタルジックなエチオ・ポップの味わいを溢れさせています。

こうした濃厚な味わいは、
コンテンポラリーなエチオ・ポップのサウンドがクリーンになるにつれ、
じょじょに薄れつつあるものなのですけれど、
デレブはエチオ・ポップの美学ともいえるエグ味を、
意識的にキープしてるみたいですね。

アルバムの前半を占めるデレブのオリジナル曲が、
エチオピアの伝統モードのなかでとりわけアクの強い、
アンチホイェやアンバセルを使った曲が多いことからも、それは見て取れます。

オーストラリアに渡ったデレブが多国籍のメンバーとバンドを組み、
外からエチオピア音楽を見つめたことで、
あらためてエチオピア音楽の独自性である<旨み>を自覚したのかもしれません。

黄金時代を思わすむせかえるような臭みに、
エチオピアの人情味が宿った会心のアルバムです。

Dereb The Ambassador "ETHIOPIA" no label no number (2018)
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ティグリニャのどすこいヴォーカル アベベ・アラヤ [東アフリカ]

Abebe Araya.jpg

この泥臭さ!

ひび割れた声でヴァイタルに歌う、ヴォーカルの味わいがたまりません。
ティグリニャ独特のどすこいツー・ビートにのせて、
絶妙なこぶし使いを聞かせる歌いっぷりにホレボレするばかりです。

こぶし使いがライのハレドに似ているような気がするのは、ぼくだけですかね。
そういえば顔立ちや、ちりちりヘアというルックスまで似ているじゃないですか。
歌える顔の典型なのかもしれませんね。

ウチコミにサックス、ギターによるコンテンポラリーな伝統サウンドは、
十年一日といえる平凡さですけれど、ヴォーカルの良さを引き立てれば、
それで十分じゃないでしょうかね。
鍵盤系の音色はよく選び抜かれていて、
レイヤーしたサウンドがチープな印象を与えないし、
サックスとベースがユニゾンを取ったり、別のラインを作ったりしながら、
安定したグルーヴを生み出しています。

ティグリニャの曲は、一本調子になりがちなところもありますけれど、
本作にはヒネリのあるメロディや、珍しいコードを聞かせる曲もあって、飽きさせません。
とはいえ、なんといっても聴きものは、主役アベベ・アラヤの歌いぶり。
粗塩の独特の苦みを思わすヴォーカルの味わいは、格別です。

Abebe Araya "GIZ’E" no label no number (2018)
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アンバセルの女王 マリトゥ・レゲセ [東アフリカ]

Maritu Legesse  YIGEMASHIRAI.jpg   Maritu Legesse  YEBATI NIGIST.jpg

エチオピア北部ウォロ地方を代表する伝統派歌手、マリトゥ・レゲセの新作が出ました。
ウォロの伝統音楽グループ、ラリベラ・キネットの看板歌手として70年代に活躍し、
ウォロ文化センター設立者の一人にも名を連ねた名歌手です。
高い名声を持つ人ですけれど、アルバムは少なく、これが2作目のはず。

マリトゥが有名になるのは、地元のウォロを離れ、
アムハラ州東部の町デセのナイトクラブ、ワリアで歌うようになってからで、
さらにアディス・アベバへ進出して、
エチオピアを代表する伝統派歌手の一人として目されるようになりました。

エチオピア文化大使としての役割を担ってさまざまな代表団に加わり
アメリカやヨーロッパのツアーも経験しています。
86年には音楽監督テスファイエ・レンマに見いだされ、
テラフン・ゲセセ、マハムード・アハメッドもメンバーだったピ-プル・トゥ・ピープル団に
迎え入れられました。

こうした輝かしい経歴の一方、私生活は幸福ではなかったようで、
12人の子供をもうけながら11人と死別し、
その11人の子供たちの葬式に出席することも許されなかったとのこと。
のちに夫とも離婚し、99年にアメリカへ渡り、
06年に遅すぎる初ソロ作をナホンからリリースしました。

本作はそれ以来の作と思われ、すでにエチオピアに帰国しているようですね。
音域が少し低くなったかなという印象を受けましたけれど、
伸び上がるハイ・トーンのシャープさや、音を伸ばして大きく揺さぶるように
メリスマを利かせる強烈さは、相変わらず。
この大きなメリスマ使いがマリトゥの個性で、
鍛え抜かれたこぶし回しは、圧巻の一語に尽きます。

マリトゥは、ウォロが発祥の地とされる
エチオピア音階のアンバセルを使った曲を得意としていて、
「アンバセルの女王」の異名を持っています。
本作のハイライトが6曲目の、そのものずばりのタイトル‘Ambassel’ で、
強烈なメリスマを響かせるマリトゥの絶唱に圧倒されます。

Maritu Legesse "YIGEMASHIRAI" Vocal no number (2018)
Maritu Legesse "YEBATI NIGIST" Nahom NR3537 (2006)
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エチオピアン・ポップ・スター登場 ベティ・G [東アフリカ]

Betty G. (Bruktwit Getahun)  MANEW FITSUM.jpg   Betty G  WEGEGTA.jpg

エチオピアから、ナイジェリアのティワ・サヴェイジや
南アのリラに匹敵するポップ・レディの登場です。

15年のデビュー作でも、キリリとした歌声や、
弾けるポップ・サウンドにのせてハツラツと歌うさまが、強い印象を残しましたね。
従来のエチオピアの女性歌手にない現代的なオーラをまとっていて、
新世代の登場を予感させるのに、十分なアルバムでした。

プロダクションも、従来のエチオピアン・ポップとは段違いのクリエイションで、
ヒップ・ホップR&B、ロック、EDM、レゲエの咀嚼ぶりは、
ナイジェリアや南アのポップとまったく遜色がなく、舌を巻きました。
エチオピアにもすごいクリエイターがいるんだなと瞠目したものです。

ただ残念だったのは、汎アフリカン・ポップスに照準が当たりすぎていて、
ご当地エチオピア色がきわめて希薄だったこと。
アムハラ色のある曲もわずかにありはしたものの、
アルバム全体の中では影が薄く、
それが、ちょっともったいないなあと思ったんでありました。

ところが、3年ぶりとなったセカンド作では、
エチオピアの田舎の朝の風景が浮かぶ生活音を背景に、
サックスが吹かれるオープニングのイントロに、おっ、と耳をそばだてられました。
続いて、トランペットとサックスの合奏に、ケベロ(太鼓)のビートと
ハチロクの手拍子が絡むところで、もう身を乗り出してしまいましたよ。

アムハラの匂いが香り立つ2曲目は、マシンコやワシントをフィーチャリングしつつ、
コンテンポラリーな伝統ものとは一線を画す斬新なアレンジが施されていて、
こういうのが聴きたかったんだよと、小躍りしてしまいました。

デビュー作同様、プロダクションのモダンぶりは、エチオピアのトップ・レヴェル。
曲ごとカラフルな意匠で楽しませてくれますが、
そのなかで、アムハラのメロディやリズムを絶妙に生かしているのが、今作の良さです。

7曲目の‘Sin Jaaladhaa’ のアムハラ独特の民俗的なメロディを
とびっきりジャジーに洗練したアレンジも、実に新鮮。
ハーモニー、コード感、リズムのいずれをとっても、
これまでのエチオピアン・ポップスになかったセンスを感じさせます。

この方向性ならば、海外のプロデューサーが目をかけること必至というか、
ご本人やプロダクション・サイドも、
インターナショナル・マーケットをネラっているんだろうから、
うまくチャンスがつかめるといいですね。

Betty G. (Bruktwit Getahun) "MANEW FITSUM" Sigma Entertainment & Events no number (2015)
Betty G "WEGEGTA" Yisakal Entertainment no number (2018)
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エチオピア伝統派の力作 タデセ・メケテ [東アフリカ]

Tadesse Mekete  MAN MERETE - SITOTA.jpg

エチオピア盤の新作で2枚組とは珍しいですね。
それも伝統派の歌手であれば、なおのこと。
84年生まれのタデセ・メケテは、アディス・アベバの南東99キロに位置する
オロミア州都アダマ出身の歌手。
結婚式の祝い歌などを歌っている歌手だそうで、ぼくは初めて聴きました。
少しハスキーさのあるノドでハツラツと歌う、力量のある歌い手です。

2枚のアルバムには、それぞれタイトルが付けられていますけれど、
2枚続けて聴いても、サウンドに変わりはないようです。
どちらもコンテンポラリーなサウンドで、マシンコ、クラール、
ワシントなどの伝統楽器をフィーチャーしたプロダクションとなっています。

反復の多い曲を手拍子とともに歌ったり、お囃子とのコール・アンド・レスポンスなど、
アムハラの民俗性を感じさせる曲がぎっしり詰まっています。
なかでも“SITOTA”の2曲目、♪ヤー、ホー♪という掛け声が印象的な‘Hayloga’は、
戦闘の前の儀式で歌われてきた、アズマリの伝統的なレパートリーで、
来日したデレブ・デサレンもステージで歌っていましたね、
名アズマリ、チャラッチョウ・アシェナの遺作でも聴くことのできる名曲です。
https://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-11-22

そして、充実の2枚組のラストを締めくくるのは、
エチオピア最強の不気味旋法アンチホイェを使った曲で、
10分30秒に及ぶ長尺トラックの濃厚さが、もうたまりません。
つい「最強の不気味旋法」などと口ばしっちゃいましたけれど、
アンチホイェは、怪奇映画に使ったらピッタリといった暗黒メロディを紡ぎます。

エチオピア独特のメロディを特徴づける4つの主要旋法、
ティジータ、バティ、アンバセルの中でも、もっともエグ味のある強烈な旋法で、
エチオピアン・ポップに耳馴染みのある人なら、ああ、あれかとすぐわかりますよね。

アンチホイェのねぶるような旋律にしつこく追い回され、
聴き手はなすすべもなく昇天するほかありません。
エキゾ度満点なこの曲をラスト・トラックに置いたことで、
力作2枚組が引き締まりました。

Tadesse Mekete "MAN MERETE - SITOTA" Revo Communication & Event no number (2018)
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宝探しゲームのアフリカン・ポップス ダイアモンド・プラトゥナムズ [東アフリカ]

Diamond Platnumz.jpg

アフリカン・ポップスの魅力の座標軸が、移り変わりつつあるのかもしれない。
タンザニア、ボンゴ・フレイヴァの新人、
ダイアモンド・プラトゥナムズのデビュー作を聴いて、
鈍感なわが脳ミソも、その地殻変動にようやく気付きはじめました。

ボンゴ・フレイヴァは、タンザニアで生まれた、
アメリカのR&Bやヒップ・ホップの影響を受けた音楽。
90年代から流行するようになりましたが、これまでここで紹介したことはありません。
南アのバブルガムやガーナのヒップライフ同様、
アフリカのどの国にもある「洋楽かぶれ」のジャンルで、
チープなプロダクションは、世界標準のクオリティからほど遠いものでした。

これまでこうした音楽は、所詮欧米のモノマネにすぎず、
B級C級の作品しか生み出せないという時代が、長く続いてきましたが、
ようやくそれが、過去のものとなりつつあるようです。
その大きな要因のひとつは、
プロダクションのクオリティが欧米と遜色なくなったことにありますが、
そうしたテクニカルな問題以上に、
文化のグローバル化によって、アフリカの音楽環境が質的にも構造的にも、
大きく変化したことによるものと思われます。

かつてのアフリカン・ポップスは、欧米からの影響を受けながらも、
それらの音楽を咀嚼したうえで、アフリカのオリジナルな表現として
作り変えてしまうところに、醍醐味がありました。
アフロビートやエチオピアン・ポップスが、まさにその良きサンプルといえます。

さらに歴史をさかのぼれば、欧米の音楽以前にラテン音楽やアラブ音楽など、
さまざまな外来音楽との出会いによって、
ルンバ・コンゴレーズやハイライフやターラブが生まれたように、
アフリカン・ポップスは、文化往来によるミクスチャーが起こした化学反応の賜物であり、
文化混淆の産物でありました。

文化混淆が生み出す魅力は、アフリカ独自の民俗性の発揮にあり、
独自性が発揮されない欧米亜流の音楽に価値はないというこれまでの常識は、
2010年代半ばのナイジャ・ポップによって、すっかり塗り替えられてしまいました。
マーケティングにたけたイギリスのDJたちが、
さっそくこうした音楽を「アフロビーツ」と名付けてラベリングしていますが、
ジャンル名はともかく、現在のナイジャ・ポップや、南アのクワイトやゴム、
そして今回のタンザニアのボンゴ・フレイヴァには、
欧米の音楽と同一線上で語れる共通の資質が感じられます。

それは、R&Bやグライム、トラップなどへの音楽的共感が、
ヒップ・ホップやクラブ・カルチャーという同世代文化のなかに、
しっかりと根付いていることです。
アフリカのデジタル世代の若者にとって、すでに欧米のカルチャーは憧れではなく、
カジュアルなライフスタイルとして、身近なものとして定着していることが、
そうした音楽から強烈に印象づけられます。

記号的なアフリカ性を必要としない同時代音楽へのアプローチは、
欧米の音楽性やテクノロジーのスキルを身に付けることによって、
欧米と遜色ないアウトプットを生み出すとともに、
従来のアフリカン・ポップスのような民俗性を強調せずして、
アフリカ性をにじみ出すようなニュアンスの変化をもたらしています。

いっさいアフリカの伝統楽器を使わず、
アフリカらしさなど一聴皆無に思えるサウンドにも、
アフリカの人々にとってみれば、「これがわれわれのオリジナリテイだ」と、
アフリカ性を具体的に指摘できる痕跡が、
メロディ、節回し、リズム、グルーヴなどに、くっきりと刻印されているのでした。

さて、それで、ダイアモンド・プラトゥナムズくんですよ。
89年、ダル・エス・サラームの下町タンダーレの貧しい家に生まれ、
10年あたりからさまざまな音楽賞を獲得して、快進撃を続ける新人スター歌手。
今年3月に本デビュー作をケニヤでリリースすると、東アフリカ中の話題をさらい、
南アで初めてCDリリースされるタンザニアのアーティストという栄誉を飾りました。
ちなみにぼくが入手したのも、南ア盤です。

全20曲、収録時間76分という長さを、最後まで飽きさせずに聞かせるんだから、
すごい力量です。シンガーとしての魅力ばかりでなく、他人との共作を含めすべて自作、
プロデュースも自身がやっているのだから、たいへんなものです。

ゲストも多彩で、アメリカからはニーヨ、オマリオン、ダヴィド、
ラッパーのリック・ロス、レゲエのモーガン・ヘリテイジが、
ナイジェリアからはティワ・サヴェイジ、P・スクエアが、
ジンバブウェからはジャー・プレイザーが、
同郷のタンザニアからは、ヴァネッサ・ムディーと
ラッパーのレイ・ヴァニーが参加しています。
さらに、異色なゲストに、イスラエルのヒップ・ホップ・ヴァイオリニスト、
ミリ・ベン=アリまでもが参加(!)。

いわゆるアフリカぽい音など、ここにはまったく登場しません。
それでも、6曲目の“Kosa Langu” のイントロでミリ・ベン=アリが弾く
ヴァイオリン・ソロは、ターラブを思わせます。メロディもアラブぽいので、
なおさらそのニュアンスを感じるわけなんですが、
それはぼくのうがった聞き方ではないはず。
ダイアモンドくんの本名は、ナシーブ・アブドゥル・ジュマ。
その名からわかるとおり、ムスリムです。
ターラブが彼の素地にあっても、まったく不思議じゃないでしょう。

見事にアカ抜けしたイマドキのアフロ・ポップの魅力は、
グローバル・マナーな音楽の中に潜んだアフリカ性を見出す、
宝探しゲームのようにも思えてきます。

Diamond Platnumz "A BOY FROM TANDALE" WCB/Universal CDRBL938 (2018)
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