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視界が開けてきたサントメ・プリンシペ音楽 ペドロ・リマ [中部アフリカ]

Pedro Lima  RECORDER É VIVER.jpg

中部アフリカの小さな島国、サントメ・プリンシペの音源をリサーチする
DJトム・Bことトーマス・ビッグノンが、ボンゴ・ジョーからリリースしている
リイシューは、見逃せません。
「聞き逃せない」んじゃなくて、「見逃せない」と書くのは、音源そのものより、
トーマスが提供してくれるライナーのテキスト情報が貴重だからなんです。

サントメ・プリンシペの音楽については、ほとんど情報がなくて、
十数年前に『ポップ・アフリカ700』を書く際にも、ずいぶん苦労しました。
その後『ポップ・アフリカ800』に改訂したときも、情報不足は変わらず。
ポルトガル語圏アフリカの音楽は、ナイジェリア、南アフリカ共和国、マリといった
音楽大国に比べて情報が乏しく、なかでもサントメ・プリンシペのような、
これといった独自性のある音楽が見当たらない国には、関心が集まらないので、
いかんともしがたいところです。

トーマス・ビッグノンによるサントメ・プリンシペ・リイシュー・シリーズの第4弾は、
「サントメの人々の声」と称されたシンガー、ペドロ・リマのアンソロジーです。
ペドロ・リマは、81年にガボンのチ=チという小さなレコード会社と契約して、
初のソロLPを出し、85年にはリスボンにあるポルトガル語圏アフリカの
ディアスポラ・レーベル、IEFEと契約してLP/カセット作品を制作したシンガー。

このアンソロジーはこれら80年代録音をまとめたもので、
未発表録音も収録されているほか、ソロ歌手に転じる前に在籍していた、
68年結成のオス・レオネンセス時代の76年録音も1曲収録されています。
前にボンゴ・ジョーから85年のIEFE盤 “MAGUIDALA” が
ストレート・リイシューされましたけれど、今回のアンソロジーとのダブリはありません。

ペドロ・リマに限らず、ボンゴ・ジョーが前に出したアフリカ・ネグラもそうでしたけれど、
サントメ・プリンシペの音楽は、ザイコ世代のルンバ・コンゴレーズの影響が強く、
口さがなく言うと、田舎っぽいスークースといった印象がぬぐえません。
トーマスも選曲にあたって、そんな凡庸なイメージを払拭しようとした意図がみえ、
1曲目の87年録音の ‘Ami Cu Manu Mu’ が、
アンゴラン・マナーなメレンゲなのには、意表を突かれます。

アンゴラばかりでなく、カーボ・ヴェルデもそうですけれど、
ポルトガル語圏アフリカでは、なぜかメレンゲが人気ですよね。
この謎も長年解明できていないんですけれど。
2曲目以降も、メレンゲのニュアンスが加わったルンバ調の曲が並びます。
カダンスやコンパ、バイーアのアフォシェなどの影響も受けているといいますが、
その影響がはっきり聴き取れるのは、やはりメレンゲですね。

本アンソロジーのトーマスの解説で、興味深く読んだのは、
50年代のサントメ・プリンシペには、人気を二分したサッカー・チームがあり、
チームのクラブに併設されていたダンス・ホールが、人々の社交場になっていたという話。
中・上流階層向けのクラブと下層庶民向けのクラブがあり、
テラソスと呼ばれた下層庶民向けのクラブで、さまざまな音楽グループが育ったといいます。

なかでも、50年代末に結成されたコンジュント・マラクージャは、
人気の高かったグループで、アンゴラ、ルアンダのンゴラ・レーベルに録音し、
70年代まで活躍したそうです。このコンジュント・マラクージャで
歌手を務めていたのが、スム・アルヴァリーニョだったんですね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-04-30

ちなみに、70年代にアンゴラのレコード会社ンゴラやメレンゲに録音した
サントメ・プリンシペの音楽は、アンゴラ人からサンバ・ソコペまたはソコペと呼ばれ、
のちにサントメ・プリンシペのミュージシャンやファンが、
プシャと呼ぶようになったといいます。

いまだ実体がよくつかめないプシャですけれど、
本アンソロジーで聞ける、メレンゲ調のスタイルが、プシャなんでしょうかねえ。
今回の解説にも、そこは明確に書かれていなくて、いまだ謎は解けぬままなんですが、
少しづつサントメ・プリンシペ音楽の視界が開けてきたのを感じる、
充実したアンソロジーです。

Pedro Lima "RECORDER É VIVER: ANTOLOGIA VOL.1" Bongo Joe BJR060CD
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