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ビクツィ・ギターの悦楽 ロジャー・ベコノ [中部アフリカ]

Roger Bekono.jpg

カメルーンのベティ人やエウォンド人の伝統音楽で、
木琴メンドザングを伴奏に歌い踊るビクツィは、
50年代にアンヌ=マリー・ンジエがハワイアン・ギターを伴奏に歌ってポピュラー化し、
70年代に電化されてバンド・サウンドへと発展、80年代に大流行します。
90年代にはワールド・ミュージック・ブームにのって、レ・テット・ブリューレが
ビクツィ・ロックで国際的な舞台に躍り出て、世界的に知られるようになりました。

レ・テット・ブリューレが世界的な活躍をする以前の80年代のビクツィのレコードは、
カメルーンの弱小レーベルが制作していたので、
ヨーロッパに配給されることはほとんどなく、ぼくも耳にすることができませんでした。

今回オウサム・テープス・フロム・アフリカがリイシューした
ロジャー・ベコノの89年作もそんな一枚。
このレコードは、ロニー・グレアムさんが92年に著した
“Stern's Guide to Contemporary African Music” で紹介されていたので、
存在は知っていたとはいえ、ジャケットも見たことがなく、聴くのはもちろん初めて。

ロジャー・ベコノは本作と84年に出したデビュー作の2枚しか残していないようで、
本作のあと2枚組のカセットも録音したようですが、
プロデューサーと対立して発売は見送られたと、CD解説にあります。

84年のデビュー作がヒットして、ヤウンデのラジオ局をにぎわせ、
ベコノは瞬く間にビクツィ・シーンの人気アーティストとなり、
やがてカメルーン中のラジオ番組に招かれて、
ヤウンデ近郊のクラブやキャバレーへ連日出演するようになったとのこと。
翌85年には、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世のカメルーン初訪問を歓迎する
公式ソングを依頼され、ベコノが書いた曲は連日テレビやラジオで流されたそうです。

そして89年の本作は、ビクツィ・ブームの中で大ヒットを呼び、
そのヒットは赤道ギネア、ガボン、コンゴ共和国、サントメ・プリンシペへも
波及したとのこと。赤道ギネアの高官に主賓として招かれたほどだそうです。

さて、その本作ですけれど、89年作にしては貧弱な音質に腰がクダけるんですが、
ハチロクの三連のせわしないビートは、まるで痙攣を起こしているかのようで痛快至極。
これぞ、ビクツィですね。
最初はウチコミかと思ったドラムスも、
ドラムスの生演奏にドラムマシンのキックやハンド・クラッピングを補強しているとのこと。
そのドラムマシンを操っているのが、本作をディレクションしたミスティック・ジムです。

実は、このミスティック・ジムことクレマン・ジモニュが、
カメルーンのポピュラー音楽界の重要人物だったといいます。
ジモニュは、4トラック・レコーダー、シーケンサー、アンプを備えた
私設レコーディング・スタジオを自宅に作り、経験豊富なミュージシャンを集めて、
レコード会社のレベルの音楽制作に乗り出した人で、
ビクツィ・シーンを支える名ディレクターでした。

聴きどころは、木琴メンドザングのサウンドをギター2台が置き換えているところ。
木琴の左手と右手をギター2台が弾き分けていて、
まさに木琴が叩いているのと同じ反復フレーズを聞くことができます。
アフリカン・ギターのなかでも、ビクツィのギター・スタイルは
他では聞くことのできない、ユニークなサウンドを持っています。

Roger Bekono "ROGER BEKONO" Awesome Tapes From Africa ATFA047 (1989)

[追記] 2023.8.18
昔のミュージック・マガジンを読み返していたら、
90年9月号に海老原政彦さんがレ・テット・ブリューレの輸入盤紹介で、
「少し前に Roger Bekono というカメルーンの人のアルバムを手に入れて」
とあって、驚き。この当時すでに入手されていたとは、さすがです。
ただ、そのあとで海老原さんが Roger Bekono を、
「実はこのグループにも Roger Bekongo というギタリストがいるのだが、
同一人物だと思う」と書かれているのは誤りで、
レ・テット・ブリューレのリズム・ギタリストとは別人です。
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