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未来世紀コロンビア システマ・ソラール [南アメリカ]

Systema Solar.JPG

おお、そうくるか~。
はっちゃけたサウンドに思わず相好を崩しながら、そのネタ使いの深さにウナらされました。

コロンビアから登場した新世代グループ、システマ・ソラールのデビュー作。
いやー、痛快ですねえ。
アフロ系コロンビアの伝統音楽を、ヒップ・ホップやダンスホールのマナーで
現代的にアップデイトしているわけなんですが、
これはなかなか「言うは易く行うは難し」の試み。
じっさい、これほど鮮やかにやってのけた例って、はじめて聴いた気がします。

ハウスやテクノで育った若者が生み出したデジタル・クンビアがいい例ですけど、
コロンビアの豊かな伝統音楽の魅力をさんざん知ったオヤジには、
正直新味に感じるところは少なくって、重低音の音響がウルサイだけ。
かといって、保守丸出しなクァンティックがいいかといえば、
あんなお手軽の演奏じゃ、こちとらの身体はぴくりとも動きません。
なんかもっと違う伝統の再構築の方法があるんじゃないかなあと思っていたので、
システマ・ソラールのアプローチは、まさしくツボでした。

もともとコロンビアには、雑食性の強いミクスチャー音楽を生み出してきた伝統があります。
クンビアにサルサやカリブ系のリズムをごった煮にして生まれたソン・カリベーニョや、
スークースを取り入れたチャンペータなどがそのいい例。
チャンペータなんかは、コロンビア版のサウンドシステムともいえるピコで発展したからこそ、
あのハチャメチャな雑食性を獲得したわけで、
やんちゃな若者がテクノ、ブレイクビーツでアプローチしたのは、
至極真っ当というか、大正解なわけですね。

若さほとばしる直感で、伝統音楽をサンプリングしたチョイスも確かなら、
未来世紀コロンビアを予言するかのような突き抜け具合は、
バングラ・ビートのパンジャビMCのデビュー時を思い起こさせます。

Systema Solar "SYSTEMA SOLAR" Chusma CR002 (2010)
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アンサンブル・グルフィーオ・ミーツ・アミルトン・ジ・オランダ [南アメリカ]

SESSOES COM HAMILTON DE HOLANDA.jpg

さぞすごいセッションになっているだろうと、聴く前から予想はしてたものの、
いやー、すんげぇ~。バリバリです。

ベネズエラ都市弦楽最高のグループ、アンサンブル・グルフィーオと、
ブラジル、ショーロ界最高のソロイスト、アミルトン・ジ・オランダとのガチンコ・セッション。
録音は08年6月の4・5・6日の3日間、
グルフィーオのホームグラウンド、カラカスで行われています。
レパートリーはベネズエラとブラジル半々。

1曲目のガロートの“Desvairada”から、もう圧倒的。
アミルトンとグルフィーオの面々が次々とソロを応酬しあい、
息を呑むようなインタープレイを繰り広げます。
一方、抒情的なスローのヴァルスでは、音数を抑えながら、
ここぞというところに、キラリと光るフレーズを残していきます。
アミルトンがまったく違和感なくグループに溶け込んでいるのは、
チェオ・ウルタードのクアトロがリズム・カッティングでソロを取るのに対し、
アミルトンは単弦ソロと、アンサンブル面のバランスもうまく取れているからでしょう。

互いに相手の音をしっかりと聴きながら、自分の出方を探っていくために、
耳を研ぎ澄ませているような緊張感、とでも言えばいいのでしょうか。
熟達者ならではの強烈なオーラのようなものが、演奏のはしはしからビンビン伝わってきます。
ヴァイオリニストのアレシス・カルデナが2曲でゲスト参加しており、
バーデン・パウエルの曲では、クイーカを模したような芸達者なプレイを聞かせてくれます。

エストゥディアンティーナの伝統が芸術性を高め、
高度な音楽性を獲得したアンサンブル・グルフィーオの都市弦楽が、
ブラジルのショーロと出会ったことで、また新たな境地を切り開いた傑作といえます。
クラシックのオーケストラとセッションするカメラータ・クリオージャのプロジェクトより、
リズムの饗宴を堪能できるこういった試みの方が、ぼくは好きだなあ。

Ensamble Gurrufío "SESSÕES COM HAMILTON DE HOLANDA" no label DOP012 (2009)
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緑の鳥 セシリア・トッド [南アメリカ]

CANCIONES DE HENRY MARTÍNEZ.jpg

前々回、ロリータ・クエバスの話題で、「小学校の音楽の先生みたいな」と書いて、
ベネズエラのセシリア・トッドの軽やかな美声を連想しました。
セシリアが歌うのは、NHKの「みんなのうた」ぽい、子供からお年寄りまで愛される国民歌謡です。

ベネズエラの伝承歌を翻案した歌を歌い続けてきたセシリアの最高傑作といえば、
2000年にビゴー財団からリリースされた『ヘンリー・マルティネス作品集』でしょう。
ジャーノのホローポやトナーダ、カラカスのメレンゲ、スリアのガイタ、アンデスのバンブーコ、
オリエンテのマラゲーニャやポロなどなど、ベネズエラ各地の伝統形式を借りて、
現代的な感性で詩的世界を紡ぎ出すヘンリー・マルティネスの作品は、
セシリア・トッドと最高の相性を示しています。

民謡調の曲の合間に挟まれた、コンテンポラリー感覚のメランコリックな曲も、
これまた格別の美しさ。
歌詞の一語一語を噛みしめるように発声するセシリアの丁寧な歌唱と
ディクションの正確さに、ほれぼれとするばかりです。
クアトロやマンドリンなどの弦楽器に、フルートほかの管楽器を組み合わせた伴奏も、
セシリアの歌唱をみずみずしく引き立てていて、申し分ありません。

セシリアほどメロディーを一切崩さずに歌う人は、ちょっと珍しいんじゃないでしょうか。
ストレートに歌を歌うってことは、ある意味、歌手にとっては挑戦的なことですよね。
まったくごまかしは利かず、歌手の力量が丸裸にされてしまうからです。
<きれいなメロディーをきれいに歌う>というのも、これまた難しいことで、
<きれいに歌えている自分に酔っているような歌>になったりもしがちなんですが、
セシリアの歌には、なんのてらいもければ、気取りも感じられません。
自分の歌唱力をひけらかすような素振りとも、もちろん無縁です。
余計な邪心を持たず、正面から歌を歌うことだけに心を砕くところに、
ぼくはセシリアの歌手としてのスケールの大きさを感じます。

PAJARILLO VERDE.jpg    Uma Sola Vida Tengo.jpg

セシリアは、2003年10月にベネズエラ大使館が招聘したコンサートで来日しましたが、
生で聴いた彼女の歌声はCD以上に軽やかで、
風にのって舞うように飛ぶ「緑の鳥」そのものでした。
あ、「緑の鳥(Pajarillo Verde)」というのは、
セシリアの74年デビュー作のタイトル曲ともなった曲で、
彼女の代表曲ともなったベネズエラの伝承歌です。
デビュー作では、セシリアのクアトロ弾き語りに、
ギター、ベース、マラカスが加わったシンプルな伴奏で素朴に歌っていましたが、
再演した93年の"UNA SOLA VIDA TENGO"ではすっかり円熟し、
軽みのある喉で歌っていました。

現在のラテン界を見渡しても、これほど清廉な歌声が聴けるのは、
セシリア・トッドだけではないでしょうか。

Cecilia Todd "CANCIONES DE HENRY MARTÍNEZ" Fundación Bigott FD2662000853 (2000)
Cecilia Todd "PAJARILLO VERDE" Acqua AQ003 (1974)
Cecilia Todd "UNA SOLA VIDA TENGO" Acqua AQ018 (1993)
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エドゥアルド・ベタンクール&ルイス・ピノ@草月ホール [南アメリカ]

Eduardo Betancourt.JPG    Luis Pino.jpg

ベネズエラからやってきた若手アルパ奏者エドゥアルド・ベタンクールと、
クアトロ奏者ルイス・ピノのデュオ。
ここ十年くらい、ベネズエラ伝統音楽の音楽家がコンスタントに来日してくれていて、
ベネズエラ音楽ファンとしては嬉しい限りであります。

おとといのコンサートは、日本のアルパ演奏家ルシア塩満さんの企画で行われたもの。
なんでもルシアさんが、3年前のパラグァイのアスンシオンで開かれた
第1回世界アルパ・フェスティバルに日本代表で出演したさい、
ベネズエラ代表で参加していたエドゥアルドのプレイを聞いて感激し、
日本に呼びたいと思っていたのだそう。

ルシアさんを感激させたエドゥアルドのテクニック、いやー、スゴかったです。
アルパ・ジャネーラの奏法を革新したカルロス・オロスコも顔負けの、
機関銃フレーズを駆使した即興演奏は、ほとんどジャズのインプロビゼーションでしたね。
曲のサイズが短めで、実力の半分も出してなさそうな、余裕を残しまくった演奏ぶりでしたけど、
それであの華麗なテクニック。本気出したら、どんだけなんでしょ。
もちろんテクニックばかりでなく、ベネズエラのアルパ・ジャネーラならではの力強い指さばきも強力。
ハープでビートやノリを生み出すのは難しいなんて常識は、ベネズエラのハープには通用しない。
ポリリズムとシンコペーションがせめぎ合って、リズムばきばきでしたね。

ルイス・ピノは天才クアトロ奏者チェオ・ウルタードの弟子だったそうで、
アンサンブル・グルフィーオでチェオの代役も務めているとの前評判に、
さぞチェオ直伝の離れ業を見せつけるかと思ったら、プレイは案外地味なもの。
チェオ譲りのリズム・カッティングでエドゥアルドをもっと挑発したら、
すごいインプロビザーションの応酬が聞けたのではと、想像を膨らましてしまいましたが、
それはまた今後のお楽しみということで。

会場で売っていた二人のソロ・アルバムを買ってきましたが、
エドゥアルドのアルバムはアンサンブル重視で、テクニックは抑え目。
スタジオで一気に録ったかのような内容なのに対し、
ルイスのアルバムは1曲ごとアレンジを凝らし、
クアトロの華麗なるテクニックを駆使した内容となっています。
コンサートとはまるで逆なのは、意外でしたね。

ルイスのアルバムには、ゲストにベネズエラ歌謡最高の女性歌手セシリア・トッドや、
ヴェテラン・コーラス・グループのセレナータ・グアヤネサのほか、
バンドーラ奏者イスマエル・ケラレス、クラリネット奏者アンドレ・バリオ、
フルート奏者ルイス・フリオ・トロなどの名手たちも華を添えています。
装丁も凝っていて、丁寧に作られた気持ちのいいアルバムです。

ところで余談になりますが、アンサンブル・グルフィーオの新作、
なんとアミルトン・ジ・オランダとの共演だって知ってました?
まだぼくは手に入れていないんですけど、届くのが楽しみです。

Eduardo Betancourt Y Su Grupo Tolvaneras "MELODÍAS DEL RECUERDO" no label FD2522005224
Luis Pino "A LOS CUARTO VIENTOS" Cargill FD2522009864 (2009)
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スリナムの女偉丈夫 マー=エス、アン・ゴエダール [南アメリカ]

Ma-Es.JPG

以前スリナムのCDを予備知識なく、あてずっぽうで買った中に、
マー=エスというお婆さんのCDがありました。
このお婆さんがどういう人なのかもわからないまま、そのCDをすごく気に入っていたのですが
前回話題にしたDVD "IKO - KING OF KASEKO"に、
アフリカ系スリナム音楽の伝統を継承する歌手としてマー=エスが登場し、
あー、やっぱり有名な人だったんだ、と納得したのでした。

マー=エスのCDは全編コーラスとのコール・アンド・レスポンスによる歌で、
一部パーカッションが伴奏する曲もありますが、無伴奏歌が大半。
パーカッションが加わると、とたんにアフロ色が濃厚になるんですけれど、
無伴奏歌でバックのコーラスがハミングする曲では、教会の賛美歌の影響も感じられて、
アフリカ系の伝統ばかりをひいているのでもなさそうな気がします。

DVDを観るとマー=エスの肌は明るめで、黒人ではなくクレオールなのでしょう。
生まれたのは1926年8月1日というから、CDの録音時すでに76歳。
老いを感じさせない張りのある声でソウルフルに歌っていて、
そのキリッとした歌いぶりに華があります。

ちょうどコロンビアのトトー・ラ・モンポシーナと同じ立ち位置にいる人なのかもしれません。
あ、でもトトーを引き合いに出すなら、
スリナムにはもっとトトーそっくりなアン・ゴエダールがいますね。
アン・ゴエダールもパーカッション陣をバックに、コーラスとコール・アンド・レスポンスで歌います。
トトーが好きな人なら、ぜったい聴いておくべき人ですね。

Anne Goedhart_Bigi Busi.JPG    Anne Goedhart_Liba Mama.JPG

Ma-Es "MI NA SINGI-MAN" NAKS CDS013 (2002)
Anne Goedhart "BIGI BUSI" no label MFK8614 (1999)
Anne Goedhart "LIBA MAMA" no label MH9-2001 (2001)
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キング・オヴ・カセーコ リーベ・フーゴー [南アメリカ]

Iko.JPG
南米のスリナムに、カセーコというごきげんな
ダンス・ミュージックがあるのをご存知でしょうか。
フランス領ギアナからスリナムに伝わった
クレオール・リズムのカセーコは、
ビギ・ポク(ビッグ・ドラムの意)と呼ばれる
ディキシーランド・ジャズの影響を受けた
スリナムのブラス・バンド音楽に、
カリプソなどのラテン音楽がミックスして
スリナムでポピュラー化した音楽です。

おととし08年4月にフーゴーを称えるコンサートがアムステルダムで開かれ、そのライヴとコンサート・プロジェクトのメイキング・ヴィデオを収めた2枚組DVDがリリースされました。

DVDのタイトルともなっている「イコ」は、リーベ・フーゴーの愛称です。
(「アイコ」ではありません)
フーゴーがオランダ、ベルギー、ラテン・アメリカ諸国をツアーして
人気の絶頂を極めていた75年は、
スリナム独立を目前に控え、スリナム国民にとって熱狂の時代でもありました。
スリナム国民がそんな熱にうかれていた独立10日前、
フーゴーは持病だった心臓疾患のため、オランダで急死してしまいます。
フーゴーが故国スリナムに帰還し埋葬されたのは、独立わずか2日前のことでした。
そのシンボリックな出来事は、スリナムの多くの人にとって忘れがたい記憶として刻まれ、
カセーコがスリナムのナショナル・ミュージックとして発展するとともに、
フーゴーはスリナムのポップ・アイコンとして、人々にずっと愛され続けることとなりました。

コンサートは男女二人の司会が進行役を務め、
交響楽団の弦オーケストラも加わったゴージャスな伴奏陣に、
さまざまなゲスト歌手が歌うという、歌番組的な内容となっています。
そして、コンサート以上に見ものなのが、このコンサートのメイキング・ヴィデオです。
リーベ・フーゴーの思い出を語る関係者の証言や、フーゴーの往時の活躍ぶりを伝えるとともに、
スリナムのヴードゥーにあたるマルーン系の宗教音楽ウィンティまで取材を広げ、
カセーコのルーツに迫った中身の濃いドキュメンタリーとなっています。
DVDを観ていて気付いたのですが、フーゴーという発音は
スリナムのクレオール言語のものらしく、
オランダ人はほとんどヒューゴと発音していますね。

ところで、それほどの伝説的なシンガーでありながら、フーゴーが残したアルバムはたったの2枚、
74年の“KING OF KASEKO”と、75年の“WANG PIEPEL, WANG NATION”のみです。
いまではこの2枚をカップリングした2イン1CDで、全曲を聴くことができます。
ぼくがカセーコを知ったのもこのCDがきっかけで、
マイティ・スパロウをホウフツとさせる陽性の歌と、
ジャンプアップさながらのホーン・セクションとともにグルーヴするサウンドに、すぐ虜となりました。

Lieve Hugo.JPGこのCDを聴くたび、もし今もフーゴーが生きていたら、どんなにすばらしいレコードを数多く残したかと思わずにはおれません。このCDは何度も再発され、90年にオランダで最初にCD化された後、98年にも再発されました。
最近になって2枚組で復活したと聞き、おやと思って買ってみたら、74年録音の15分に及ぶ“Langa Bere”1曲をボーナスCDに追加した再々発盤でした。
この曲はシングルで出ていた曲なんでしょうか? ひょっとして未発表曲???

それにしても70年代当時、これだけ成熟したサウンドがスリナムにあったのだから、
リーベ・フーゴー以外にも大勢の歌手がいて、
レコードも活発にリリースされていて当然だと思うんですが、
いまだに70年代のカセーコのアルバムは、この2枚しか知りません。
いくらリーベ・フーゴーが圧倒的人気だったからといっても、これは不思議です。
当時のカセーコのミュージック・シーンって、どんなものだったんでしょうか。
この辺の事情に詳しい方、どなたかいらっしゃいませんか?

[DVD] "IKO - KING OF KASEKO" IKO Foundation 501262 (2009)
[CD] Lieve Hugo "THE KING OF SURINAM KASEKO" EMI 0946 3768192 3 (1974/1975)
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春を呼ぶアルパの響き フェリックス・ペレス・カルドーソ [南アメリカ]

Felix Perez Cardozo.JPG

戦前パラグァイ歌謡の最高峰アーティストともいえる
フェリックス・ペレス・カルドーソのCDがついに手に入りました!
かつてアルゼンチンEMIから出ていたCD“PARAGUAYO PURO”ではなく、
初期の戦前ヴィクター録音と戦後のオデオン録音の両方から編集された、
まさしくフェリックス・ペレス・カルドーソのベスト・オヴ・ベストなパラグァイ盤CDです。

“PARAGUAYO PURO”が見つからなくてねえ…。もう十数年探し続けましたが、
完全に諦めモードだっただけに、このCDの存在にはビックリですよ。
選曲も“PARAGUAYO PURO”に洩れていた代表曲がずらり並んでいて、大満足です。
エル・スールの原田さんが、パラグァイに行く若者がいることを知って、
フェリックス・ペレス・カルドーソを探して来いと命じたお願いしたおかげです。

その若者は日中40度を越す灼熱のパラグァイの空の下、CD探しに2週間奔走し、
ようやく見つけ出してきたんだそう! えらい! でかした!! パチパチパチ!!!
それほど探して、パラグァイに1店しか在庫がなかったというのだから、
こういう古いパラグァイ歌謡は、いまや現地でも見向きもされてない証拠ですね。

昨年末に出たライス盤のマリア・テレーサ・マルケスといい、
こういう古いパラグァイ歌謡がいままたCDで聴けるなんて、あー、長生きはするもんです。
前にも書きましたが、小学生の頃、父が日曜の朝になるとマリア・テレーサ・マルケスや
ロス・インディオス(パラグァイのグループです。念のため)のレコードをよくかけていたんです。
羽毛のように柔らかなアルパの響きを聴くと、一瞬にして子供の頃にタイムスリップして、
春のまばゆい朝日や、庭の木々の柔らかな緑が、ぱあっと瞼の裏に蘇ります。
それは、ぼくにとって、休日の家族の憩いの時間を象徴する音楽でした。

フェリックスが生み出した「創られた」ファルクローレというパラグァイ歌謡音楽は、当時頂点を極め、
やがてアイデンティティを主張する、「ホンモノの」フォルクローレへと、取って代わられていきます。
フェリックス・ペレス・カルドーソのナイーヴな美しさに溢れたしなやかな演奏は、
そんな失われしポピュラー音楽の古き美の結晶でもあり、
ぼくにとっては子供時代の思い出もあいまって、うたたかの夢のように響きます。

Félix Pérez Cardozo Y Su Conjunto "20 GRANDES EXITOS" F.P.C Producciones no number
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バジェナートで謹賀新年 カルロス・ビベス [南アメリカ]

Carlos Vives.JPG

あけましておめでとうございます。
みなさんは新年をどんな音楽で迎えられましたか。

なんかこう、パァーッと心あらたに気分一新できる音楽で、
新年を迎えたいなあと思っていたところ、
暮れにとびっきりフレッシュなCDと出会えました。
コロンビアのポップ・スター、カルロス・ビベスの新作です。

93年、カルロス・ビベスがバジェナートをロック感覚でリフレッシュさせた
“CLASICOS DE LA PROVINCIA”を大ヒットさせたことは、ご記憶のある方も多いはず。
それまで田舎者の音楽と蔑みの目で見られていたバジェナートを、
国民的人気のスター歌手が取り上げ、ヒットさせたのだから、オドロキでした。

その傑作“CLASICOS DE LA PROVINCIA”の続編が、
なんと17年の時を経てリリースされました。
今回もカルロス・ウエルタス、ルイス・エンリケ・マルティネス、アレホ・ドゥランはじめとする
バジェナートの古典的なレパートリーを並べ、伝統の味わいを損なうことなく、
最高のアレンジによって、現代バジェナートとして蘇らせています。

バジェナートを知らない人も、一聴でトリコにしてしまうビベスのエンタテイナー性と、
ソノルクス、フエンテス、コディスコスといった名門レーベルのバジェナートを聴く本格ファンも、
思わずうなるレパートリーとサウンドに、頬はゆるみっぱなし。

アコーディオンの響きを中心に据え、アグレッシヴなエレキ・ギターを効果的に絡ませつつ、
古典バジェナートをロック感覚のバジェナートに変貌させる手腕が鮮やかです。
これまでビベスのアルバムはエミリオ・エステファンのプロデュースが続いていましたが、
今作はビベス自身によるプロデュース。
前回はアメリカ盤が先に出回ってしまったので、コロンビア盤を入手するのに苦労しましたが、
今回はコロンビア盤で流通しているようです。

胸がスカッとする痛快なサウンドに、今年も新鮮な音楽を楽しめそうな予感大です。

Carlos Vives "CLASICOS DE LA PROVINCIA Ⅱ" Gaira Producciones 7707334654376 (2009)
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朝日のようにさわやかに マリア・テレーサ・マルケス [南アメリカ]

Maria Teresa Marquez.JPG

またまたオフィス・サンビーニャのサイトに、「超」楽しみな告知が載りました。
なんとアルゼンチン生まれの歌姫マリア・テレーサ・マルケスのアルバムが出るんだそうです!
これを快挙といわず、なんと言いましょーっ!!!

ひとり狂喜乱舞してますけど、果たしてマリア・テレーサ・マルケスを知っている人って、
いったいどれくらいいるんだろうかと、少し不安にもなります。
日本で彼女のファンがいるとすれば、もう鬼籍に入ってしまった方がほとんどなのでは。
というのも、ぼくがマリア・テレーサ・マルケスを知っているのは、
昨年逝った父がレコードを愛聴していたからなんですね。
ぼくがまだ小学生の低学年だった、今から45年も前の昔のことです。

その頃の父は、日曜の朝になると、マリア・テレーサ・マルケスやロス・インディオスなど、
パラグァイのフォルクローレのレコードをよくかけていて、
ぼくも日曜の朝食のBGMとして聞いていました。
パラグァイのフォルクローレは、アルパとレキント・ギターの音色がすがすがしく、
まさしく「朝日のようにさわやかに」聴ける音楽で、ぼくも大好きだったんです。

こうしたパラグァイのフォルクローレは、60年代には日本でもレコードが出ていましたが、
その後はまったく顧みられなくなってしまい、CD時代になっても再評価されないままでした。
それだけに、まさか彼女のフル・アルバムが出るなんて、想像だにしませんでした。

20年くらい前にアルゼンチン・オデオンの10インチ盤を見つけた時も、
タダ同然の値段が付けられていて、
ああ、もう誰もマリア・テレーサ・マルケスを知らないのかと、
悲しくなったことを覚えています。

先日出たエリゼッチ・カルドーゾの『サンバ歌謡の女王』に感激したばかりのライス・レコードから、
12月27日のリリースとのこと。今年最後で最高のプレゼントとなりそうです。
いーやっほーーーーーーーっいっ!!!

[10インチ] María Teresa Marquez "MARÍA TERESA MARQUEZ" Odeon LRS15029
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お悔やみ アルトゥーロ・サンボ・カベーロ [南アメリカ]

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なんてことでしょう。お悔やみ続きです。
前回ジェラール・ラ・ヴィニの追悼文をしたためたところ、土木作業員さんから、
ペルーのアルトゥーロ・サンボ・カベーロが亡くなったという知らせをいただきました。

あわててネット検索をすると、すでにウィキペディアに掲載されていて、
9日、リマの病院で敗血症のため亡くなられたとのこと。まだ68歳だったそうです。
あの小錦にも似た巨体では、内臓への負担もさぞ大きかったことでしょう。
知らせを聞いて思わず、「とうとう逢えずじまいになってしまった」とつぶやいたのは、
8年前の来日を事前にキャッチできず、見逃してしまったからです。

01年の5月、在日ペルー人有志がアルトゥーロを日本に招き、
千葉(3日)、小牧(6日)、大阪(12日)、伊勢崎(13日)とツアーをしたのです。
雑誌「ラティーナ」に伊勢崎のレストランでのライヴの様子がレポートされてはじめて来日を知り、
ええっ!と驚いてしまいました。
なんでも大阪のボリビア領事館のパーティでは、夜10時半から朝方まで歌い、
大盛り上がりだったとのこと。ためすがえすも観れなかったのが、残念でなりません。

サンボの愛称で親しまれた国民的歌手アルトゥーロをぼくが知ったのは、
フェステーホ、ランドー、サマクエッカといったペルーの黒人系音楽を集めた
ペルー、イエンプサ盤のコンピレがきっかけでした。
ソロ・アルバムでは、ヴァルスやマリネーラなどクリオージャ音楽ばかり歌っていて、
黒人系音楽をレパートリーに入れていないのが意外でしたね。

いまごろ天国で、巨体を揺らしながらカホンを叩き、深みのある歌声を響かせているのでしょうか。
いつかそちらへ行ったら、ぜひフェステーホやランドーで踊らせてくださいね。

Oscar Aviles, Lucila Campos, Arturo "Zambo" Cavero "Y... SIGUEN FESTEJANDO JUNTOS" Iempsa CD91150003
Arturo "Zambo" Cavero "ARTURO "ZAMBO" CAVERO - OSCAR AVILES" Iempsa CD91150020
Arturo "Zambo" Cavero Y Oscar Aviles "SIEMPRE" Iempsa IEM0460-2
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