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新作CDとデビュー盤 フェイルーズ [中東・マグレブ]

Fayrouz.JPG

フェイルーズの新作“EH FI AMAL”(『望み』)は、
大勢の人が2010年のベスト・アルバムに選んだ一大傑作でした。
ただひとつ残念だったのは、ジャケットが紙パック・ケースという簡素なものだったこと。
アラブ世界最高の歌姫の傑作に、
このパッケージはないだろうと、ブーたれたくなる装丁でしたが、
新たに布張り装丁のCDブックがお目見えしました。

最初に日本に入ってきた紙パック式のCDジャケットは、
ディストリビューターのミュージック・ボックス・インターナショナルのマーク
<MBI>が左隅に置かれ、筆書きのフェイルーズの絵が
右寄りに追いやられた妙なデザインとなっていましたけど、
この布張りCDブックの方は、どかんと中央にフェイルーズの絵が配置されています。
デザイン的にもこの方が、納まりいいですよねえ。

このCDブックはアート・ライン・ミュージックがディストリビューターと記されており、
どちらもフェイルーズ・プロダクション盤であることに変わりありませんが、
表紙を開くと、まばゆい金色のライナーが現れ、
以前はなかった全曲の歌詞が掲載されています。
レーベルもゴールドで、ぐっと格調高く仕上がっていますよ。

ところで、この最新作に次いで、フェイルーズの50年代の初期録音を編集した
『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』がリリースされ話題を集めましたが、
もうみなさんはお聴きになりましたか。
ファンの間では、エル・スール・レコードとオフィス・サンビーニャの特典CD-R
『初期フェイルーズ・エキゾティック歌集』が本編よりいいと大評判で、
あらためてデビュー当初のフェイルーズの良さに、多くの人が感激したようです。

Fairuz Sings.JPG   Fairuz LPVD4.jpg   

去年のエントリでは、フェイルーズの顔が小さくしか映っていないので、
デビュー・アルバムとセカンド・アルバムの10インチ盤をご披露しませんでしたが、
実はこのデビュー盤が、B面最後の1曲を除いてすべてCD化されたんですね。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-12-18

『アーリー・ピリオド・オヴ・フェイルーズ』には、
「ホナイナよ」「羊飼いの少女へ」の2曲しか収録されませんでしたが、
『初期フェイルーズ・エキゾティック歌集』には4曲が収録。
これであの特典CD-Rがいかにお宝かってこと、もうお分かりですよね。
もしまだこれからの方は、特典CD-Rをもらい損ねないよう、お買い求めください。

Fayrouz "EH FI AMAL" Fayrouz Productions no number (2010)
[10インチ] Fairuz "FAIRUZ SINGS" Parlophone LPVD1 (1957)
[10インチ] Fairuz "FAIRUZ SINGS AGAIN" Parlophone LPVD4 (1957)
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アフリカ現代史を聴く アワディ [西アフリカ]

Awadi.JPG

セネガル、ダカールを代表するヒップ・ホップ・アーティスト、アワディが
5年の歳月をかけて完成させた新作“PRÉSIDENTS D’AFRIQUE” を発表しました。

クワメ・エンクルマ(ガーナ)、ナーセル(エジプト)、モディボ・ケイタ(マリ)、
セク・トゥーレ(ギネア)、ジョモ・ケニヤッタ(ケニヤ)、ジュリウス・ニエレレ(タンザニア)、
アミルカル・カブラル(ギネア=ビサウ)、ネルソン・マンデーラ(南ア)といった
アフリカの偉大な指導者たちの演説をコラージュした意欲作で、
アフリカ現代史を俯瞰した、壮大な内容となっています。
アフリカの指導者ばかりでなく、マーティン・ルーサー・キング、マルコム・X、エメ・セゼール、
フランツ・ファノンといった黒人解放運動家たちも加え、ぐっと内容に厚みを増しています。

独立が相次いだ「アフリカの年」から半世紀の2010年を睨んでリリースしたとのことで、
昨年中に聴けなかったのは、なんとも悔やまれますね。
記念すべき年にこれほどふさわしい作品はなく、ぜひベスト・アルバムに選びたかったところ。
そのかわり、バロジは蹴落とされただろうけども。

なんでアワディのアルバムは、いつも流通が悪いんでしょうかね。
前作“UN AUTRE MONDE EST POSSIBLE”(05)も日本に入ってきませんでしたが、
バイヤーの皆様方には、ぜひ入荷の努力をお願いしたいところです。

アフリカの若者たちに、偉大なアフリカの指導者を再認識して欲しかったというアワディ、
歴史の教科書から知識として知るのではなく、
彼らの肉声からそのパッションを汲み取らせようとしたその意図は、
豊かな音楽性のプロダクションによって、見事に具現化されています。
冒頭2曲目の、マーティン・ルーサー・キングの“I Have A Dream” に答えるように、
バラク・オバーマの“Yes We Can” が被さる箇所なんて、いかにもなアイディアとはいえ、
じっさいに耳にすると、グッときますよ。
肉声が持つパワーを引き出すスキルは、さすがラッパーですね。
キング牧師の重く湿った声と、オバーマのカラッと明るく乾いた声、
その声の対比に、半世紀の感慨を覚えずにはおれませんでした。
個人的には、フランツ・ファノンの演説にも感じ入りましたね。
若い時フランツ・ファノンの著作を読み、ずいぶんと感化されたことがあるもんで。

このアルバムでラップするのはアワディ一人だけでなく、
南アのスクワッタ・カンプ、ブルキナ・ファソのスモッキー、マリのババニ・コネ、タタ・プンド、
ケニヤのマジ・マジ、コンゴのレクサス、アンティーユのティウォニ、レディ・スウィーティ、
アメリカのデッド・プレスなど、アフリカ各国に加えカリブ、アメリカから大勢のラッパーを
ゲストに迎え、それぞれ出身の指導者の声と共演させています。

ひとつ気になったのは、
アワディの母国セネガルのレオポール・セダール・サンゴールが登場しないこと。
ネグリチュード運動の牽引者で、セネガルの初代大統領となったサンゴールを無視するとは、
なんか事情でもあったんですかね。これだけのアーカイヴを集めながら、
いかにも画竜点晴を欠くで、その点だけが残念でありました。

Awadi "PRÉSIDENTS D’AFRIQUE" Peripheria PECD5467 (2010)
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オルタナ・ノルデスチ イザール [ブラジル]

Issar.JPG

ゼー・カフォフィーニョの“DANÇA DA NOITE” を毎日聴いてたら、
レシーフェの女性シンガー・ソングライター、イザールの新作も楽しめるようになっちゃいました。
イザールのソロ・デビュー作“AZUL CLARO”(06)は、
素人同然のヘタクソな歌に唖然として、すぐに手放してしまったんですけどね。
ここんとこずっとゼー・カフォフィーニョの脱力ヴォーカルを聴いてたもんだから、
調子ぱずれなヴォーカルに免疫ができたんでしょうか。

風貌に似あわぬ、か細くチャーミングな声で、
音程を取るのもやっとといった不安定な歌いぶりは、このセカンドでも変わっていませんが、
ギター、ベース、ドラムスの3人のバックが放つ、
ユニークなオルタナティヴ・センスはかなりの聴きものです。
ワウワウをかけたギターが、哀愁味のあるメロディーを奏でる1曲目から
相当にすっとぼけてて、隙間だらけのストレンジなサウンドにやられます。

前半はフレーヴォやバイオーン、シランダといったノルデスチらしいリズムの曲が並びますが、
6曲目あたりからオルタナぽいカレージ・サウンドとなり、終盤はマラカトゥ・ロックに続いて、
ペルナンブーコが生んだ偉大な作曲家、カピーバの1934年のフレーヴォを
軽快なロック・アレンジで歌って大団円を迎えるという一枚。
アルバム全編を通じて、変化のあるレパートリーがうまく並んでいて、
あっという間に聞かせる構成がよくできています。

Comadre Florzinha 1st.JPG   Comadre Florzinha 2nd.JPG

経歴を調べてみたら、なんとイザールは97年から04年まで、
コマドリ・フロジーニャのメンバーだったんですね。
コマドリ・フロジーニャといえば、女性版メストリ・アンブロージオとして
話題を集めたレシーフェのグループ。
ノルデスチの伝統サウンドをモダンに響かせたデビュー作は、
ぼくのヘヴィー・ローテション盤でしたが、ひさしぶりに棚から引っ張り出してみると、
大勢のメンバーが抜けた2作目“TOCAR NA BANDA” の方にも、
イザールの名前がクレジットされていました。
そのほか、作曲家としても、ムンド・リヴレS/A、シバ、エジエなどに曲を提供していて、
イザールは90年代半ばに盛り上がったノルデスチ新世代アーティストのひとりだったようです。

Issar "COPO DE ESPUMA" Funarte no number (2009)
Comadre Florzinha "COMADRE FLORZINHA" CPC-UMES CPC023 (1999)
Comadre Fulozinha "TOCAR NA BANDA" YBrazil Music YBCD023 (2003)
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夜に踊れば ゼー・カフォフィーニョ [ブラジル]

Ze Cafofinho 2nd.JPG   Ze Cafofinho E Suas Correntes 1st.JPG

あいかわらずトボけてんなー、この人。
ノルデスチ流のよじれた音響派アクースティック・スウィング(?)を聞かせる、
レシーフェのシンガー・ソングライター、ゼー・カフォフィーニョのセカンドです。

デビュー作の“UM PÉ NA MEIA, OUTRO DE FORA” を聴いた時は、
そのやる気のなさそうなダルなヴォーカルと、
ひなびたフィドルやチェロに、ひょうひょうと吹かれるミュート・トランペット、
小刻みにカッティングされるカヴァーキーニョが奏でる、
すきまだらけのサウンドに、ノケぞったものでした。
デビュー作の路線を引き継いだこのセカンドも、まったく変わってませんね。

バンジョーやフィドルの枯れた音に、怪しげなシンセやオルガンがエフェクトとしてあしらわれ、
北東部のリズムに、レゲエやガフィエイラのスウィンギ(ジャズ風サンバ)も織り交ぜ、
実に複雑な表情を見せてくれます。
レオン・レッドボーンを土臭くしたような脱力ヴォーカルのゼーの歌が、
浮遊感のあるサウンドにたゆたうと、なんだかあの世の音楽のようにも聞こえますよ。
ゼー自身、東欧のブラスバンドやアフリカの音楽など、
さまざまな音楽からの影響を告白していますが、
一度聴いたら忘れられないこのユニークなサウンドには脱帽です。

今度のアルバムにはブラジル音楽界の大物、リルド・オーラが、
歌とハーモニカでゲスト参加してます。
リルド・オーラといえば、
70年代サンバの立役者的な名プロデューサーとして知られていますけど、
出身はペルナンブーコのカルアルーで、
近年は北東部の音楽に立ち返ったアルバムを制作していました。
ゼーの父親がハーモニカ奏者で、
その縁からリルド・オーラとコンタクトがとれ、共演に至ったのだとか。

サンパウロのミュージック・シーンとも共振しそうな、
オルタナ的感性を持ったノルデスチ人、それがゼー・カフォフィーニョといえそうです。

Zé Cafofinho & Suas Correntes "DANÇA DA NOITE" Vértices no number (2009)
Zé Cafofinho E Suas Correntes "UM PÉ NA MEIA, OUTRO DE FORA" Marca Registrada no number (2005)
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ゴンダールへの想い アスター・アウェケ [東アフリカ]

Aster Aweke.JPG

やっぱりアスター・アウェケは、エチオピアを代表するトップ・シンガーですねえ。
23作目を数えるという最新作“CHECHEHO” を聴き、
ヴェテランらしい円熟した歌いっぷりにウナらされました。

ワールド・ミュージック華やかりし90年前後は、
メジャー・レーベルと契約して日本盤も出ていたアウェケですが、
正直言うと、当時ぼくはアウェケが苦手でした。
アウェケの細くカン高い声と、フュージョンぽいサウンドが、どうにも馴染めなかったのです。
それから10年余り経ったミレニアム前後あたりから、アウェケの声はぐんと太くなり、
かつてのか細い声質とは見違えるほど、豊かな中音域を聞かせるようになりました。
それにあわせてバックのサウンドもフュージョンぽさが消え、
エチオピア音楽の伝統を生かしたプロダクションとなって、ぐんと聴き応えが増したのです。

Ethiopian Groove.JPG

喉を細やかに震わせるアウェケのこぶし使いは、
エチオピアの伝説的な女性シンガー、ベズネシュ・ベケレの歌唱を受け継いでいます。
75~76年、デビュー間もないアウェケが
エチオピアの地元レコード会社カイファに残した録音を聴くと、
ベズネシュを真似たアウェケのういういしい歌声を聴くことができますね。
アウェケの初期録音3曲を収録した
“ETHIOPIAN GROOVE : THE GOLDEN SEVENTIES” には、
ベズネシュの録音も収録されていて、両者を聴き比べることもできます。
この当時から35年を経た現在のアウェケは、
往年のベズネシュをほうふつとさせるシンガーに成長したといえます。

新作のタイトル「チェチェホ」は、エチオピア北部ゴンダールにあるアウェケの出身地の町の名。
ゴンダールは、17~18世紀のアビシニア王国時代の首都で、
遺跡や教会など数多くの歴史的建造物で知られる、世界遺産にも登録されている都市です。
そのタイトル曲からアルバムはスタートし、
ラスト曲のタイトルが「ゴンダール」と付けられていることからも、
この新作にはきっとアウェケの郷土への思いが、込められているんでしょうね。

今回のアルバムは、長年アウェケを支えてきた現代エチオピアン・ポップスのキー・パーソン、
アバガス・キブレワーク・シオタがプロデュース兼アレンジを務めるほか、
新たに3人のプロデューサーを迎え、アジス・アベバでレコーディングされています。
鍵盤系の軽めの音が中心とはいえ、ホーンズは生だし、
ハチロクのグルーヴもよく弾けていて、申し分ありません。
伝統的なエチオピアの旋法にのっとったアウェケの曲は、
ブルースやレゲエのフォーマットを借りても、エチオピア色を薄めるどころか、
逆にその独自性を輝かせていて、その咀嚼力にポップ・センスの高さが示されています。

Aster Aweke "CHECHEHO" Kabu no number (2010)
Alemayehu Eshete, Aster Aweke, Bezunesh Bekele, Hirut Bekele, Ayalew Mesfin, Asselefetch Ashine and others
"ETHIOPIAN GROOVE : THE GOLDEN SEVENTIES" Blue Silver 002-2
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カリンドゥラの祭り [南部アフリカ]

The Karindula Sessions.JPG

コノノ、ベンダ・ビリリに続いて、クラムド・ディスクのプロデューサー、
ヴィンセント・ケニスさんが紹介するコンゴ音楽は、なんとカリンドゥラでした。

カリンドゥラは、ザンビア北部やコンゴ南東部に暮らすベンバ人の伝統音楽をもとに発展した
ローカルなダンス・ミュージックで、
ザンビア、マラウィ、コンゴ南東部一帯で広く親しまれている音楽です。
ザンビアでは80年代以降、ベンバ以外の民族の伝統音楽なども取り入れて、
エレクトリック化・都市化したカリンドゥラが流行しますが、
ヴィンセントさんがコンゴ南東部の町ルブンバシで出会ったのは、
田舎の伝統的なカリンドゥラですね。

ミルク缶で作った小型ギターのカリンドゥラと、
石油缶に羊の皮を張ったボディーの巨大なバンジョーという
ハンドメイドの楽器を伴奏に、コール・アンド・レスポンスで歌う田舎のカリンドゥラについては、
去年ザンビアのグリーン・マンバを取り上げたことがありました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-03-29

このクラムド・ディスクの新作は、地元の3日間のお祭りで録音したとありますが、
お祭りといっても、家の裏庭のようなところで行われている、ずいぶんと小規模なものです。
家の壁際に並んだメンバーたちが歌い演奏する前で、ダンスバトルや大道芸が繰り広げられ、
集まった観客たちが口笛を吹いたり、手拍子を叩いたりといった様子が、
臨場感いっぱいに収録されています。
時折わあっと歓声があがるのも、DVDを見ればわかるとおり、
ダンスの見せ場だったりするわけですね。
音楽じたいは素朴なものですけど、健康なエネルギーに満ち溢れたいきいきとした演奏ぶりに、
アフリカ音楽ならではの魅力がたっぷりと詰まっていて、誰もが理屈抜きに惹きつけられるはずです。
録音もナマナマしくよく捉えられていて、ヴィンセント・ケニスの仕事っぷりは、
なんだかヒュー・トレイシーに似てきたような気もしますね。

ところでよくわからないのが、サブ・タイトルの“MODERN SOUNDS” の意味。
どう考えても、“LOCAL SOUNDS” もしくは“RURAL SOUNDS” だと思うんですけれども。
またカリンドゥラの綴りですが、
ザンビアの都市化されたカリンドゥラは普通 kalindula と書かれますが、
このアルバムでは karindula と綴られています。
コンゴではこういうふうな綴りが一般的なのでしょうか。
以上2点、プチ疑問でした。

[CD+DVD] BBK, Bana Simba, Bena Ngoma, Bana Lupemba
"THE KARINDULA SESSIONS : TRADI - MODERN SOUNDS FROM SOUTHEAST CONGO" Crammed Discs CRAW70 (2011)
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ストーリーテリング・ジャズ ブラックシープ [日本]

blacksheep 2.JPG

ブラックシープの新作と聞いて、おおっと思ったところ、
ジャケットのゴスロリ少女に、うげっ。
いい大人が「萌え~」とか言ってる、今日びの世の中の幼児性にはウンザリしているので、
カンベンしてくださーい、と叫びたくなります。
なんでブラックシープのジャケがこれなんだよと、情けなくなりましたが、涙をのんでガマン。 

ブラックシープは、渋さ知らズ、藤井郷子オーケストラなどの
バリトン・サックス・プレイヤーとして活躍する吉田隆一が、
トロンボーンの後藤篤、ピアノのスガダイローとともに05年に結成した変則トリオです。
フリー・ジャズ~ミニマル・ミュージック~現代音楽の垣根を飛び越えた演奏と、
ドラマティックな楽曲が持ち味のグループですね。
08年のデビュー作を聴いて、こいつはスゲエやとファンになったんですが、
2作目はさらにスケール感を増した仕上がりとなっていて、このトリオの実力にウナらされました。

バリトン・サックス、トロンボーン、ピアノ各楽器を鳴らし切った演奏も胸をすきますが、
ラウドな場面から静寂までが十分にコントロールされていて、
奔放なインタープレイといったものとは質の異なる演奏を聞かせるところに、
このトリオの良さがあります。
抑制と計算の行き届いたその演奏ぶりは、藤井郷子のジャズにも相通じますね。

特に藤井郷子との共通性を感じさせるのが、吉田隆一の楽曲。
吉田の作風にはドラマがあり、各曲につけられた日本語のタイトルにも示されているとおり、
演奏全体がひとつの物語を奏でています。
物語の場面の進行にしたがって、あるときは繊細に、またあるときは激しく荒れ狂うなど、
変幻自在な即興の中に、色彩感のあるハーモニーを組み込んでいて、
ぼくはそこにこのトリオの魅力を一番感じます。

このアルバムは限定客数40人の公開レコーディングで行われたとのことで、
ぴんと張りつめた空気感が伝わってくる録音も最高ですね。
あとは、このマンガさえなけりゃあなあと、ぶつぶつぶつ……。

ブラックシープ 「2」 ダウトミュージック DMF140 (2011)
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アフロビートの正統なる後継者 シェウン・クティ [西アフリカ]

Seun Kuti.JPG

この圧倒的なパワー。
あまたあるアフロビート・バンドとは格が違うぜと言わんばかりの
スケール感を見せつけてくれる、充実の最新作です。
カヴァー・アートが、フェラのジャケットを手がけたレミ・ガリオクウというのも嬉しいじゃないですか。

やっぱシェウン・クティこそ、アフロビートの正統なる後継者ですね。
それじゃフェミ・クティは?と訊かれそうですけど、フェミはヴォーカルが弱すぎます。
アフロビートというと、どうしてもあのサウンドにアイデンティティがあると捉えられがちですけれども、
フェラのヴォーカル表現があってこそのアフロビートでした。
だって、インストだったら、レベル・ミュージックたりえましたか?ってことでしょ。

アジテイトする攻撃性ばかりでなく、皮肉や嘲笑を交えつつ、
ときにはトリックスターのような両義性を持つ道化師として振る舞ったりと、
多元的なキャラクターを演じ分ける豊かさが、フェラの才能でした。
フェミにそんな役どころを演じる表現力はありませんね。
ビートを叩き込んでいくようなその歌いぶり、滑舌良くピジン・イングリッシュで韻を踏みながら歌う
シェウンのヴォーカル・スタイルは、まさしくオヤジ譲りです。

このアルバムはリオ・デ・ジャネイロで録音され、
共同プロデューサーとしてブライアン・イーノとジョン・レイノルズが名を連ね、
アディショナル・プロダクションとして、80年代レゲエのエンジニアで名をあげたゴドウィン・ロジー、
さらにジャスティン・アダムズがギターでクレジットされているほか、
シェウンによる謝辞の中には、マルタン・メソニエの名もみられます。
先に「イーノが参加したブラジル録音」ということを聴いた時は、イヤな予感がしたんですけど、
サウンドを聴く限り、彼らの影響は何も感じられず、余計なことをしなかったのは大正解。
ジャスティンもどこでギターを弾いているのか、さっぱりわかりません。

最初聴いた時は、分離のいいミックスと、
ホーン・セクションの音圧の低さが少し気になったんですけど、
聴き進めていくうち、各楽器の輪郭を際立たせながらも、
バンド全体の押し出しの強さをきちんと捉えていて、納得できました。
かつてビル・ラズウェルが、フェラの“ARMY ARRANGEMENT”(85)をミックスした時、
各楽器をばらばらに分離した欧米ロック仕様にしてがっかりした覚えがあるので、
少し不安を感じたんですけど、杞憂だったようです。

クドゥロやクワイト、レゲトンやバイリ・ファンキといったエレクトロニックなビートの流行に、
まったく未来を感じないぼくには、シェウンの生のグルーヴに救いをおぼえます。

Seun Anikulapo Kuti & Egypt 80 "FROM AFRICA WITH FURY : RISE" Knitting Factory/Because Music BEC5772820 (2011)
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<ジンバブウェのライオン>完全復活 トーマス・マプフーモ [南部アフリカ]

Thomas Mapfumo.JPG

どうです、この面構え!
頬がこけたのは、病気療養の痕を示すものなんでしょうけど、
ジンバブウェの闘士らしい精悍さが、トーマス・マプフーモに蘇りました。

ジャケットを一目見て、これは力作に違いないと確信したとおり、
<ジンバブウェのライオン>の完全復活を示した新作です。
05年の“RISE UP” 以来5年ぶりの今作、
数年間のセッションを経て完成したアルバムのようです。

新作を制作しているとの知らせは聞いていましたが、
アメリカからのCDリリースが遅れていたところ、ジンバブウェ盤が先にリリース。
ハイパー・インフレによって経済破綻したジンバブウェで
CD生産が再開されたとは、これまたうれしいニュースですね。
ディスクはCD-Rですけど、インナーの印刷はキレイで、
アフリカの経済大国ナイジェリアのCDより、よっぽど品質は優れています。

“EXILE” のタイトルにもあるように、マプフーモは04年にアメリカへ亡命し、
オレゴンのユージーンを拠点に活動しています。
ジンバブウェ本国のムガベ独裁体制が倒れた後も、
ジンバブウェの既成政党への抵抗姿勢を変えておらず、
チムレンガ・ミュージックの強度は落ちていません。

ブラックス・アンリミテッドのメンバーを相次いで亡くし、
メンバーの半数がアメリカ人のミュージシャンに入れ替わったとはいえ、
ショナの伝統を継いだハチロクのグルーヴに変化はなく、
マプフーモの静かな闘志が宿ったディープな歌声にも、衰えはありません。
新しい仲間を迎えたブラックス・アンリミテッドのサウンドが、
カラッとした軽妙さも備え、若々しく蘇ったのを感じさせます。

ンビーラのフレーズを核とした、きらきらとしたギターの音色とともに、
細分化されたハチロクのビートを弾き出す一方、
上昇下降を繰り返す奔放なベース・ラインが、バンド全体をグルーヴさせています。
ンビーラを前面にフィーチャーして、ショナの伝統的な唱法で歌う曲など、
ロック的なサウンドと伝統的なビートがこれまで以上にしっくりしていて、
新生チムレンガ・ミュージックの存在感を示しています。

Thomas Mapfumo & The Blacks Unlimited "EXILE" Chimurenga Music Company CDTML140 (2010)
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桜色の白日夢 タミー [ブラジル]

Tamy.JPG

柔らかな桜色に一面覆われた並木道を歩いていると、
自分の身体が少し軽くなるのを感じます。
イアホンから流れてくるブラジルの女性シンガー、タミーのキューティー・ヴォイスに、
重苦しい足元がふわりと浮き上がるのをおぼえました。

新世代ボサ系エレクトロニカとでもいうべき、
アクースティックな音感をいかしたデリケートなサウンドカは、
かつて旋風を巻き起こしたフェルナンダ・ポルトより、もっとソフトな仕上がり。
打ち込みの音色がよく吟味されていて、
スペースを生かしたサウンドは羽毛のような肌触りで、天国にいけます。

ギターのバチーダを、しなやかな打ち込みが優しく包み込むボサ、
クールな女性コーラスとラッパーをフィーチャーした、柔らかなレゲエ、
生音をいかしたドラムンベースと、どのトラックも音数をぎりぎりに絞り、
余計な音を重ねない、引きの美学が徹底されています。

センシティヴなプロダクションに彩られたタミーのつぶやくようなヴォイスは、
低血圧ヴォーカルともいえそうな素っ気ない歌いぶりで、
それがなおさら、オトコごころをくすぐりますね。
少女のようなキュートさばかりでなく、アンニュイな表情も随所にみせる女っぷりは、
ぼくの夏の定番ともなっているスラマと、どこか相通ずるものを感じさせます。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-07-23

誰も祝おうとしない桜のぼんやりとした淡い色に、ふと春の白日夢をみたアルバムです。

Tamy "TAMY" Som Livre 1785-2 (2011)
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知られざるジャズソングの秘宝 童謡ジャズ [日本]

オ人形ダイナ.JPG

童謡ジャズ!!! こんなものが戦前にあったなんて……。
世の中には、まだまだ知られざる秘宝が眠っているもんですねぇ。
これだから音楽ファンはやめられません。

♪おてて~ つないで~ 野道をゆけば~♪
9歳の少女歌手が見事なフェイクとタップを交えて歌う「靴が鳴る」など、
ジャズソングにアレンジされた童謡全21曲を収録。
「狼なんか怖くない」「村の鍛冶屋」「村祭」「お祖父さんの時計」ほか、
耳馴染みの童謡が次から次へと飛び出し、
しかもその編曲がいずれも完成度が高いんだから、舌を巻きます。

ジャズソングが流行した昭和のはじめ、東京や大阪の劇場や映画館では
ジャズやダンスのショウが上演され、子供が歌とタップダンスを披露するのが人気を呼び、
ベイビー・タップ・ダンサーと称する子供の芸人が現れたんだそうです。
わずか5歳から十代半ばくらいまでの少女たちが、英語を含めたジャズソングを歌い、
タップを踊り、アクロバット・ダンスを見せる者もいたというのだから、驚かされます。

戦後、童謡ジャズがなくなってしまったのは、
彼女たちの多くが二世子女だったりハーフだったためで、
終戦後は彼女たちのほとんどが引退、もしくは消えてしまったとのこと。
エンタテイナー的センスのあるジャズ・シンガーとして戦後活躍した
日本人のミミー・宮島だけが、ゆいいつの例外だったようです。

本作に収録された少女歌手たちは、
童謡歌手らしい折り目正しさを感じさせる平井英子から、愛らしいチェリー・ミヤノ、
大人びた歌詞をちょっと鼻にかかったチャーミングな声で歌うヘレン隅田と、
それぞれくっきりとした個性を示していますが、
とりわけニッポン・ベティ・ブープことアリス浜田には悶絶。
まるでローズ・マーフィーなベビー・ヴォイスに、ノヴェルティな味もたっぷりに、
和製ベティ・ブープを演じるのだからたまりません。

さらに、当時のジャズ・バンドの傑出した編曲と演奏にも耳を奪われます。
クラリネット、テナー・サックス、ピアノが見事なソロ・リレーを聞かせる、
テイチクジャズオーケストラの「街からの手紙」。
カントリー・スタイルよろしくフィドルのイントロで始まるコロムビア・ジャズ・バンドの「カウ・ボーイ」。
スライド・ギター(ドブロ?)やシロフォンのソロも飛び出す、
アーネスト・カアイ・ジャズバンドの「村の鍛冶屋」。
聴きどころを挙げていけば、キリがないほどです。

上の見開き写真をご覧いただくとわかるとおり、
見事なデザインを施した装丁のCDブックとなっていて、
なかには42ページに及ぶブックレットが付いています。
日本のジャズソング評論なら、この人をおいてほかはない、
瀬川昌久さんの懇切丁寧な解説も読み応え十分なら、
詳細なクレジットに、数多くの写真資料も満載で、もう大満足というほかありません。

今年の和モノ復刻では、ナンジャラホワーズの『笑ふリズム』という強力盤が出たばかりですが、
それをも上回る本作は、バートン・クレイン以来の衝撃作といえそうえす。

マーガレット・ユキ,チェリー・ミヤノ,平井英子,ヘレン隅田,ニッポン・ベティ・ブープ,リラ・ハマダ,ニナ・ハマダ,ミミー・宮島
「オ人形ダイナ ~戦前童謡・ジャズとタップ~」 ブリッジ/コロムビア BRIGE184
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それでも春は来る トラインチェ・オースターハイス [西・中央ヨーロッパ]

Trijntje Oosterhuis.JPG

オープニング・ナンバーの“Everything Has Changed” を聴いていたら、
涙があふれて止まらなくなりました。
あの大震災の日以来、心が折れる毎日に、
こんなに力を与えてくれるメロディーに出会えたのは幸運です。

情報が錯綜し混乱の続くなかで、次々と降りかかる新たな事態。
後手に回るふがいなさを噛みしめながら、
誰もがもくもくと、今やらなければならない目の前の仕事に集中する。
余計なことは考えない。言ってもしかたのないことは、口にしない。
歯を食いしばって、爆発しそうな感情を胸の奥底に閉じ込める。

こんなときでも、いや、こんなときだからこそ、人と音楽に救われるのでしょうか。
オランダのポップ・シンガー、トラインチェ・オースターハイスの新作の1曲目、
シャワーのように降り注ぐ鮮やかなメロディーに、せき止めていた感情があふれ出ました。
挫けかかる心を引き上げ、緊張で強張った顔の筋肉がほぐれると、
しばらく忘れていた微笑みが、しぜんと浮かんだのです。

メロディーをいっさいいじらず、
真正面から歌い切るトラインチェの歌いぶりに、ハッとさせられました。
フェイクをいっさい使わない、そのストレートな歌唱に心が揺さぶられます。
クレイトン=ハミルトン・ジャズ・オーケストラをバックに、
なんの力みもなく、堂々と歌うトラインチェ。
自分の持てる力をフルに発揮して、あとには何も残さない潔さに胸がスカッとします。

見上げれば、桜の花がもういくつも芽吹いていました。
春はもうやって来ていたんですね。

Trijntje Oosterhuis "SUNDAYS IN NEW YORK" Blue Note 50999 07 14592 6 (2011)
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淑やかなヴェトナム歌謡 ニュ・クイン [東南アジア]

La Giuong.jpg

あぁ、これはいいなあ……。
ニュ・クインの新作に聴き惚れています。
結婚・出産のブランクを経て6年ぶりにリリースされた昨年のアルバムが、
いまひとつナットクいかなかっただけに、この新作には大満足です。

前作がナットクいかなかったのは、バックのサウンドが妙に凝っていたから。
ハードロック調のディストーション・ギターが飛び出したり、
むせびなくテナー・サックスをフィーチャーしたりと、
余計な小細工がうっとうしかったんですよね。
ニュ・クインのバックに、こんなサウンドはいりませんって。

新作では、そういった妙な趣向は凝らさず、
保守本流のヴェトナム歌謡に徹したプロダクションとなっていて、
しっぽりとしたニュ・クインの歌とじっくり向き合い、楽しむことができます。
打ち込みとハードロック調ギターがにぎやかな曲も1曲あったりしますけど、
前作のような違和感は感じずにすみます。
その1曲をのぞき、レパートリーはいずれもヴェトナムの民歌調バラード。
哀歓のあるメロディーを、丁寧にゆったりと歌うニュ・クインの発声は、
見事に力が抜けていて、その純度の高さはアジア随一といえるんじゃないでしょうか。

ニュ・クインのアルバムでは、これまで03年の“TƠ TẰM” が一番好きだったんですけど、
淑やかさを増したこの新作は、“TƠ TẰM” 以上の愛聴盤となりそうです。

Như Quỳnh "LẠ GIƯỜNG" Thúy Nga no number (2011)
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ドゴンがライフワーク ソリ・バンバ [西アフリカ]

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ドゴンというとすぐ思い浮かぶのは、フランスの文化人類学者マルセル・グリオールの名前。
グリオールの代表作『水の神』と『青い狐』の2冊を読んで、
ドゴンの神話的世界と宇宙哲学に魅せられたのは、もう30年も前のことです。

その後、ドゴンはすっかり世界的に有名となり、
バンディアガラの断崖絶壁の谷底で密やかに執り行われていた仮面舞踏の秘儀も、
数々の海外のテレビ・クルーたちのカメラに収まり、その神通力もずいぶん弱まってしまいました。
日本のバラエティ番組にまで登場するようになったのには、アゼンとさせられましたけど、
第21回<東京の夏>音楽祭2005の公演、「ドゴン族の仮面舞踊~宇宙創世神話と葬送儀礼」を
世田谷パブリックシアターで観た時も、「聖なる儀式」をコンサートのように鑑賞していることに、
居心地の悪さをおぼえたものでした。

その公演をプロデュースしていたのが、長年ドゴンの文化を内外に紹介し続けてきた
マリのヴェテラン・ミュージシャン、ソリ・バンバです。
ソリはここ十年来、ドゴンの仮面舞踏公演に力を入れ、ソロ・アルバムを出さずにいたので、
15年ぶりの新作『ドゴン・ブルース』が突然リリースされたのには、ちょっと驚いてしまいました。

メジャー・レーベルのユニバーサル・ジャズからリリースされたのは、
ディー・ディー・ブリッジウォーターのマリ録音プロジェクトで活躍した、
鍵盤奏者シェイク・ティジャーン・セックの尽力によるものだったようです。
シェイク・ティジャーン・セックとソリは、かつてコート・ジヴォワールへ亡命し苦労を共にした同志で、
本作ではキーボードのほか、コーディネーター役を果たしています。

この新作は、生音重視のアクースティックな音づくりがトレンドの昨今のアフリカ音楽と異なり、
ベースとドラムスのリズム・セクションに、ホーン・セクションや女性コーラスを加えた
昔懐かしいエレクトリック・サウンドのマンデ・ポップ。
ジャズぽいアレンジのセンスが古臭かったり、英・仏語のナレーションが興ざめだったりと、
ところどころに疑問符を打ちたくなる箇所もあるものの、
グルーヴィーな5曲目など、全体にはスッキリと仕上がったマンデ・ポップといえます。
収録曲のうち7曲は、ドゴンの伝承曲をアレンジしたもので、
ドゴンをライフワークとするソリらしいアルバムといえます。

Sorry Bamba_Hamdallaye.JPG   Sorry Bamba_Le Tonnerre Dogon.JPG

ソリ・バンバのアルバムでは、ドゴン色のない95年の“HAMDALLAYE” が
もっとも充実した内容で、ぼくはソリの代表作と評価していますけど、
ソリ自身はインタビューで「あれはデモ」と発言していて、どうも気に入っていないご様子ですね。
“HAMDALLAYE” は、ソリの出身地のモプティを行き来する漁労の民ボゾや、
北からモプティに移り住んだプールなどの音楽を取り入れた作品で、
モプティで育ったソリが、自然と身につけてきた音楽を無理なく熟成した内容となっていました。
肩の力の抜けた土臭いサウンドが、とてもいい雰囲気だったんですけど、
作り込んだプロダクションを志向するソリからすると、きっと物足りなかったんでしょう。
その意味からすると、ドゴンをテーマに、エレクトリックなプロダクションを施した87年の野心作
“LE TONNERRE DOGON” の21世紀ヴァージョンが、今度の新作というわけでしょうか。

Kanaga De Mopti.jpg   Orchestre Régional De Mopti.JPG

それ以前の70年代は、ソリはソンゴイやソナフリックにソロ・アルバムを残していますけれど、
なんといってもこの時期の代表作は、
ソリがリーダーを務めたカナガ・ド・モプティのマリ、クンカン盤でしょう。
ホーン・セクションとオルガンが一丸となって迫り、
ママドゥ・ココ・デンベレの見事なギター・ソロが聞ける“Gambari” をはじめ、
“Kanaga” のダイナミックなファンクぶりなど、熱演揃いのアルバムです。
仮面を付けたドゴンのダンサーがずらりと並ぶ壮観なジャケットとともに、
ぜひCD化してもらいたいと長年願っているんですけど、いまだ実現しませんね。
マリ音楽屈指の名盤が、ほとんど知られずにいるのが残念でなりません。

カナガ・ド・モプティは、マリ国立オーケストラの
オルケストル・レジオナル・ド・モプティが改名したもので、
国立オーケストラ時代のアルバムは、サリフ・ケイタ在籍時のレイル・バンドなどと並び、
ドイツ、ベーレンライター盤のシリーズの1枚として残されています。
マリのベネツィアともいわれる水の都モプティらしく、ボートの上にメンバーが並ぶジャケットには、
トランペットを持った若き日のソリが写っています。

Kante Manfila, Sorry Bamba.JPG   Sorry Bamba_DAD800.JPG
Kante Manfila_DAD801.JPG     Kante Manfila_DAD802.JPG
Kante Manfila_DAD804.JPG   Sorry Bamba_DAD833.JPG

さらにソリのキャリアを遡ると、アビジャン亡命時代、
ギネアのカンテ・マンフィーラとともに残した68年録音が、
“CLASH MANDINGUE” にまとめられています。
ブーガルーやパチャンガといった、
この当時ならではのアフロ・ラテン・サウンドを楽しむことができます。
ドゴンをライフワークとする以前のソリが聞ける、貴重なリイシューです。
原盤となったEP盤を持っているので、最後にご披露しておきましょう。

Sorry Bamba "DOGON BLUES" Universal 532596-2 (2010)
Sorry Bamba "HAMDALLAYE" Sonodisc CDS6844 (1995)
Sorry Bamba "LE TONNERRE DOGON" Bolibana 76715-2 (1987)
[LP] L'Orchestre Kanaga De Mopti "L'ORCHESTRE KANAGA DE MOPTI" Kunkan KO77.04.15 (1977)
[LP] Orchestre Régional De Mopti "ORCHESTRE RÉGIONAL DE MOPTI" Bärenreiter-Musicaphon BM30L2602 (1970)
Kante Manfila, Sorry Bamba "CLASH MANDINGUE" Oriki Music ORK004
[EP] Sorry Bamba "Djelimango - Kadji Maiga - N'diarabi Bedonna - Djantou Madjila" Djima DAD800 (1969)
[EP] Kante Manfila "Air Afrique - Diyabanale - Mobakan - Keleya Magni" Djima DAD801 (1969)
[EP] Kante Manfila "Mosso Gnouma - N'na - Takoulata - Soufiana" Djima DAD802 (1969)
[EP] Kante Manfila "Keleya - Fara N'mossola - Tie Gbanan" Djima DAD804 (1969)
[EP] Sorry Bamba "Serre - Kelai Magni - Bravo Mimos - Manou" Djima DAD833 (1969)

【うれしいニュースです】 2011-04-10
祝! カナガ・ド・モプティのマリ、クンカン盤がついに復刻されます!
リリース元は、アムステルダムのクラブ・ミュージック系レーベルKindred Spirits。
LP・CD両フォーマットの復刻は快挙ですね。

レーベル・ニュースによれば、LPはドゴンの仮面ダンサーの
オリジナル・ジャケットもそのまま採用したストレート・リイシュー。
CDはオリジナルLPと曲順を変えていますが(なんで?)、内容はストレートCD化。

Kindred Spirits は昨年11月のエントリで紹介した、
ドイツのエチオ・ジャズのグループ、ウォイマ・コレクティヴをリリースしているレーベルです。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-11-20
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夫をスルタンにする方法 ムスタファ・カンドゥラル [西アジア]

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う~ん、ゾクゾクしちゃうタイトルですね。
69年にアメリカで出たベリー・ダンスの教則レコードなんですけど、
アメリカで15万枚、トルコでは100万以上のセールスをあげたっていうんだから、スゴイ。
ハウ・トゥものとは思えぬ大セールスになったのも、その扇情的なタイトルとジャケのせいで、
いまでも中古レコード屋でよく目にするし、一時期はモンド盤扱いされてましたね。
04年にトラディショナル・クロスローズがCD化し、昨年日本盤でもリリースされました。

トルコでミリオン・セラーとなったのは、
それまでトルコ本国ではベリーダンス・ミュージックのレコードがなかったからという、
灯台もと暗しみたいな話も興味深いところです。
ナイトクラブのいかがわしい音楽をレコードにするなんて発想は、
当時のトルコ人にはまだなかったんですね。
アルバム名義はカリスマ・ベリー・ダンサーである、オゼル・テュルクバシュとなっていますけど、
演奏はトルコのトップ・クラスのミュージシャンが勢ぞろいした一大セッション。
トルコ古典音楽や西洋クラシック音楽も身につけた精鋭ぞろいによるハイ・レベルな演奏が、
なおさら新鮮な衝撃を与えたんでしょう。

メンバーの中でも特に有名なのが、クラリネット奏者のムスタファ・カンドゥラルです。
ゼキ・ミュレンの楽団で名を挙げ、60年代からはトルコ国内ばかりでなく世界的に活躍しました。
30年、トルコ第3の都市イズミールに生まれ、
54年にイスタンブールでルイ・アームストロングとセッションをし、
60年代のはじめにはベイルートの有名ナイトクラブにレギュラー出演、
さらにインド、オーストラリア、アメリカへとツアーをして、その名が一躍有名になった人です。

Coskun  CD051.jpg   Coskun 2nd.JPG

カンドゥラルのクラリネットが堪能できる代表作といえば、トルコCoşkun盤があります。
カンドゥラルの脂が乗り切った時期の、60~70年代の演奏が楽しめます。
最近またジャケを変えて再発されていて、
新しいリイシュー作が出たのかと勘違いして買ってしまいましたけど、
現在でも廃盤とならず、入手容易な定番となっているのはイイことですね。

Mustafa Kandirali.JPG

このほか、生誕75歳を記念して制作された、
ハードカヴァーの豪華CDブックでも、充実した演奏が聞けます。
こちらは70年代録音を中心に、ジプシーの歌、ベリー・ダンスの曲、
即興ソロ演奏(タクシーム)を織り交ぜて計15曲を収録。
抑制の効いたタクシームが聴きもので、じっくりと耳を傾けるほどに味わいが深まります。
トルコ語・英語で書かれた100ページに及ぶブックレットも、読みごたえがあります。

カンドゥラルはどんなに激しくブロウしてみても、
どこか覚醒しているような感が強く、常に抑制が利いています。
だから、ベリー・ダンス音楽をやっても、プレイが扇情的にならないんですよね。
たとえばイスタンブールのロマたちが演奏するベリー・ダンス音楽と表情がまったく違うのは、
トラディショナル・クロスローズ盤の“SULUKULE : ROM MUSIC OF ISTANBUL” と
聴き比べてみれば、一聴瞭然でしょう。

ベリー・ダンスものは当たると味をしめたトルコのレコード会社は、
その後のカンドゥラルのジャケに、あからさまなヌードを配したり、
ずいぶんあざといことをしてましたけど、
カンドゥラルのプレイはそんな卑俗さとは無縁で、常にキリッとクールなのでした。

Özel Türkbaş "HOW TO YOUR HUSBAND A SULTAN : BELLY DANCE WITH ÖZEL TÜRBAŞ" Traditional Crossroads CD4323
Mustafa Kandirali "MUSTAFA KANDIRALI" Coşkun CD051
Mustafa Kandirali "MUSTAFA KANDIRALI" Coşkun no number
Mustafa Kandirali "MUSTAFA KANDIRALI" Uzelli 1302-2
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