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トゥアレグ・ギターの逸材 ボンビーノ [西アフリカ]

Group Bombino.JPG   Bombino.JPG

次々とリリースされるデザート・ブルースものに、いささか食傷気味でもあるんですけど、
今度ライスから発売される、ニジェール北部アガデス出身の
ボンビーノことオマーラ・モクタールは、注目に値します。

ぼくがボンビーノを知ったのは、グルーポ・ボンビーノ名義で出た
サブライム・フリークエンシーズ盤が最初。
シアトルのユニークなレーベル、サブライム・フリークエンシーズがリリースする
一連の「砂漠のブルース」ものは、どれも音質が劣悪で、
一度聴いたっきり、放り出してしまうのがほとんどだったんですけど、これは違いました。

アクースティック・ギターとパーカッションによる、
ウネるようなビートがトランスを誘うアルバム前半4曲は音質も良く、
なによりその個性的なサウンドに、耳をそばだてられました。
後半5曲は、07年に地元アガデスで録られたライヴとなっていて、
エレキ・ギターに持ち替え、ベースとドラムスも加わったサイケデリックなサウンドを展開。
その強烈なバンド・サウンドに圧倒されました。
ぼくが苦手とするタテノリのロック・ビートとはいえ、そのおんぼろなドラムスの音に、
70年代のルンバ・ロックがぼろぼろの楽器で演奏していたのを思い出し、
なんだか胸が熱くなってしまったのです。

のちになって、前半4曲は、フランスのリアクションというレーベルから
ダウンロード版でリリースされている“AGAMGAM 2004” (CD未発売)
と同セッションのものであることが判明しました。
(なぜかこちらのアルバムでは「バンビーノ」と表記されています)
サブライム・フリークエンシーズ盤には、“AGAMGAM 2004” にはない2曲が収録されているので、
未発表録音がほかにもまだあるのかもしれません。
そして、これに続くボンビーノのセカンド作として世界に向けてリリースされたのが、
今度ライスから出る“AGADEZ” というわけです。

アメリカ人映画監督ロン・ワイマンのプロデュースのもと制作された本作は、“AGAMGAM 2004” や
“GUITARS FROM AGADEZ VOL.2” 前半をさらにグレイド・アップした内容で、
アクースティックとエレキ両刀使いのボンビーノの巧みなギターを中心としたサウンドとなっています。
ティナリウェンのような強度はのぞめないものの、
パーカッションを中心とした穏やかなグルーヴが、ボンビーノの頼りなげなヴォーカルを補い、
トゥアレグ・フォーク・ロックな趣も感じさせますね。

なかでも9分を超す“Izat Idounia Ayasahen” では、
さながら<砂漠のジャム・バンド>ともいえる熱演を繰り広げていて、
やはりライヴを観てみないと、ボンビーノの真価はわからないのかも知れません。

ボンビーノは今年、スキヤキへの出演で来日が予定されているとのこと。
富山までは行けませんが、もし東京に来てくれるのなら、ぜひ体験したいものです。

Group Bombino "GUITARS FROM AGADEZ VOL.2" Sublime Frequencies SF046CD (2009)
Bombino "AGADEZ" Cumbancha CMB-CD20 (2011)
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ベドウィンのディープ・ブルース シェイフ・ハマダ [中東・マグレブ]

Cheikh Hamada.JPG

仕事の緊張と興奮でぱんぱんになった頭を、リセットするのに役立っているのが、
ベドウィンのディープ・ブルース、ガルビの名歌手シェイフ・ハマダです。
20年近く前、フランスのクラブ・デュ・ディスク・アラブ(AAA)がリリースしていた
アラブ・アンダルース音楽の復刻CDのなかでも、
とびきり異色なアルバムとしてホレ込んだ一枚です。

異色というのは、ガルビが他のどのアラブ・アンダルース音楽とも肌合いの違う
音楽性を持っていたからで、最初聴いた時は、ベルベルの民俗音楽かと思ってしまいました。
ガルビは、リードの付いた笛(ガスパ)と片面太鼓(ゲラール)という、
ベルベル系民族の伝統楽器を伴奏に歌う野生味あふれる大衆音楽で、
そのブルージーな感覚は、まさしくベルベルのディープ・ブルースと呼びにふさわしいものです。

シンプルな反復フレーズを繰り返すガスパとゲラールの演奏にのって歌うハマダの吟唱は、
ストリート感覚を強く感じさせるもので、音量MAXにして耳から流し込むと、トランスできます。
ライナーの解説によると、1906年にガルビの名付け親である
シェイフ・モハメッド・セヌーシが初録音を残し、
10年にはウールド・エル=ムンワールとウールド・ザウィが、
26年にはシェイフ・ハマダとシェイフ・ベン・フミダが、
ガルビの歌い手として初録音を残したとあります。

20年代後半から30年代はアラブ・アンダルース音楽が多様化した時代で、
アルジェリア西部オランの町で育った「西方」を意味するガルビは、
その独自のサウンドで人気を高めることになったようです。
ベドウィンの白いターバンの装束で歌ったシェイフ・ハマダは、
そのエキゾティックなルックスで、さぞ注目を集めたのではないのでしょうか。
やがてガルビはリミッティへと受け継がれ、ライ誕生の大きな下地となります。

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AAA盤には録音年が記載されていませんが、20年代後半もしくは30年代録音と思われます。
他には、オランの音楽にスポットをあてたコンピレに46年録音の1曲が収録されていて、
女性歌手がお囃子を務めるガルビを聞くことができます。

Cheïkh Hamada "LE CHANT GHARBI DE L’QUEST ALGÉRIEN" Club Du Disque Arabe AAA078
Cheikh Zouzou, Cheikh Hamada, Cheikh Ben Achitte, Saoud El Ouahrani, Reinette El Ouahrania
"ALGÉRIE - PANORAMA DE L'ORANAIS 1937-1946" Buda Musique 82221-2
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アルバータ・ハンターの戦前録音 [北アメリカ]

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クラシック・ブルースで好きな歌手のひとりに、アルバータ・ハンターがいます。
20年代から50年代までニュー・ヨークで活躍した人ですが、
77年に82歳でカムバックして出した“REMEMBER MY NAME” で大きな話題を呼び、
多くの音楽ファンに知られるようになりました。
カムバック後のしわがれ声で歌うアルバータも、
人生の荒波を越えて生きてきた女性ならではの、力強さや明るさが感動的なんですけど、
やはり聴くべきは、アルバータがもっとも脂ののっていた戦前録音でしょう。

ぼくが愛聴しているのは、30年代録音を中心に編集したドキュメント盤の第4集です。
1曲目がファッツ・ウォーラーのオルガンをバックに歌う“Sugar” というところが嬉しいんですよね。
“Sugar” といえば、リー・ワイリーの名唱がなんといっても最高ですけど、
アルバータが歌うこのヴァージョンもまろやかなスウィートさがあって、
これがまたね~、いいんですよぉ~。

30年代はアルバータが一番円熟していた時期で、
本CDには、キッパリとタフに歌い放つパンチの利いたブルースもあれば、
妖艶に歌うナンバーもあったりと、さまざまな表情を見せる歌いぶりが魅力となっています。
アルバータの歌唱は、キャバレー・スタイルともいえるヴォードヴィル風味の強い、
典型的なクラシック・ブルースのスタイルが基本といえますが、
ピアノのみの伴奏で歌う曲では、他のクラシック・ブルース・シンガーからは得られない、
繊細な歌いぶりを聞かせたりと、表現力に幅があるところがアルバータの強みです。

貧しい少女時代を送り、生活の糧として歌手になったアルバータですが、
1927年にはヨーロッパ・ツアーの一員として参加し、
パリやロンドンで歌うチャンスにも恵まれています。
ヨーロッパでは、人種差別のアメリカでは到底考えられない、
音楽家としての敬意のこもった歓待を受けて感動したことを、のちに彼女は語っています。

54年の母親の死を契機にアルバータは音楽活動をやめ、看護士として第二の人生を送ります。
勤めていた病院を定年でリタイアしたあと、昔取った杵柄で音楽界にカムバックし、
一躍脚光を浴びたわけですが、幸せな晩年を送れたのではないでしょうか。
84年にニュー・ヨークの自宅で眠るように息を引き取ったのは、89歳のことでした。

Alberta Hunter "COMPLETE RECORDED WORKS IN CHRONOLOGICAL ORDER VOLUME 4 1927-1946" Document DOCD5425
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レディ・デイのピアニストを務めた女性ブルース・シンガー マーガレット・ジョンソン [北アメリカ]

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クラシック・ブルースはブルース・ファンの間でも人気がなく、
マ・レイニーやベッシー・スミスといった大物が、わずかに聞かれている程度でしょうか。
ブルース・ファンはダウンホームなタイプのシンガーを好むので、
ジャズやヴォードヴィルの小唄ぽいブルース・シンガーは、
クラシック・ブルースの中でも、さらに軽んじられているのが残念です。

マーガレット・ジョンソンは、クラシック・ブルースのコンピレに
1曲あるかないかといった、知名度の低いブルース・シンガーなので、
ほとんど知る人もいないでしょうが、ぼくには忘れられない曲がある人です。

彼女の20年代録音を集大成したドキュメント盤は、マーガレットの決定版ともいえ、
ルイ・アームストロング、シドニー・ベシェ、クラレンス・ウィリアムスなどが
伴奏を務めた、ジャズ調のクラシック・ブルースのほか、
クラレンス・ウィリアムスのピアノのみをバックに歌ったピアノ・ブルース、
ハーモニカとギターのコンビによるヴォードヴィル・ソング、
コンサーティーナが伴奏に加わったカントリー・ブルースなど、
さまざまなタイプのブルースが収録されています。

ぼくのお気に入りは、コンサーティーナ、バンジョー、ストリング・ベースなどを伴奏にした、
26年録音の“What Kind Of Love” と“Folks In New York City”。
憂いを帯びたマーガレットの歌声がなんともセクシーで、
そこにファルセットを交えると、得も言われぬ独特の味わいを醸し出すんですよ。
この2曲は、マーガレット全録音のなかでも格別ですね。

マーガレットは32年3月12日の録音を最後に、歌手からピアニストへと転向します。
これはブルースに人気がなくなり、ブルース・シンガーとしてやっていくことより、
女性演奏家が脚光を浴びていたジャズの方が仕事があったという事情からのようです。

ピアニスト転向後にマーガレットが参加した代表的なレコーディングといえば、
ビリー・ホリデイの38年9月15日のニュー・ヨーク録音があげられます。
レスター・ヤングはじめ、バック・クレイトン、ジョ・ジョーンズ、フレディー・グリーンなど、
そうそうたるメンバーの名に交じって、マーガレットの名が残されているのでした。

Margaret Johnson "1923-1927 IN CHRONOLOGICAL ORDER" Document DOCD5436
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黄金のモレーナ ルーチャ・レジェス [南アメリカ]

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ペルー、クリオージョ音楽の名歌手で忘れられないのが、ルーチャ・レジェスです。
ぼくが大のごひいきにしているエバ・アイジョンが、
範とした歌手だということを知り、後追いで聴いてみたんですね。

ルーチャの70年の大ヒット曲“Regresa” は、エバの重要レパートリーとなっていますが、
そのオリジナル・ヴァージョンを聴いて、なるほどとナットクしました。
ルーチャのすすり泣くような歌い回しなど、
エバはルーチャのヴァージョンを忠実に歌っていたことが、これを聴くとよくわかります。
伴奏のアレンジもそっくりそのままで、再演といってもいい仕上がりとなっています。
ルーチャの“Regresa” は“LA MORENA DE ORO DEL PERU” の1曲目に、
エバの“Regresa” も、93年の名盤“GRACIAS A LA VIDA” の1曲目に収録されています。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-11-14

胸の奥によく響かせて発声する声量の豊かさと、
息の抜きどころやブレスの巧みさなど、コントロールの効いた節回しは絶品です。
哀切の表現に卓抜した情感を醸し出す、ルーチャの歌唱力にウナらされます。
「黄金のモレーナ」の異名をとったルーチャですが、そのデリケートな哀切表現は白人的といえ、
アフロ系のフェステーホなどを聴いていると、
白人のエバの歌いぶりの方がよっぽど黒っぽく感じます。

リマの貧民街に生まれたルーチャは、生後6ヶ月で父親と死別し、
母親と16人の兄弟との生活は困窮を極めたといいます。
養護施設で8年を過ごし、25歳に歌手デビューした後も、
病弱のため歌手活動も途切れ気味でしたが、
病気と戦いながらレコード制作を続け、人気歌手として貧しい人々のあこがれの存在となりました。
しかしその栄光も、70年の大ヒット曲“Regresa” からわずか3年という短い期間で、
心臓発作のため37歳という短い生涯を閉じました。

ルーチャ・レジェスのオリジナル・アルバム6タイトルは、
97年にまとめてCD化されましたが、いずれ劣らぬ名作揃いです。
濃密な情感あふれる歌がルーチャの持ち味といっても、“LA FLOR DE LA CANELA” では
あっさりとした歌いぶりが魅力的となっていて、彼女の歌唱表現の幅の大きさがよくわかります。
そういえば昔、家で“LA FLOR DE LA CANELA” を聴いていると、
まだ7歳と3歳だった娘が手を取り合い、タンゴの真似をしておどけて踊っていたのを思い出します。
しかし、やはり圧巻は、自分の死期を覚悟して歌った「私の最後の歌」をタイトルとした
“MI ULTIMA CANCION” でしょうか。まさしく絶唱というべき歌唱に、胸を打たれます。

Lucha Reyes
"LA MORENA DE ORO DEL PERU" Discos Hispanos Del Peru RH.10.0150
"UNA CARTA AL CIELO" Discos Hispanos Del Peru RH.10.0151
"MI ULTIMA CANCION" Discos Hispanos Del Peru RH.10.0152
"SIEMPRE CRIOLLA" Discos Hispanos Del Peru RH.10.0154
"EL SHOW DE LUCHA REYES" Discos Hispanos Del Peru RH.10.0195
"LA FLOR DE LA CANELA" Discos Hispanos Del Peru RH.10.0197
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ホセー・アントニオ・メンデスのメキシコRCA時代のアルバム [カリブ海]

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[LP] José Antonio Méndez "ESCRIBE SOLO PARA ENAMORADAS" RCA MKL1143

去年9月のエントリで話題にした、
ホセー・アントニオ・メンデスのセカンドのオリジナル盤が見つかりました。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-09-11

ニュー・ヨークのレコード屋さんのカタログ・リストに、
ホセーの聞き覚えのないタイトルのメキシコRCA盤が載っていたんですね。
え? これって、ひょっとして、例のセカンドのオリジナル???
写真がないので確証はありませんでしたが、
値段も21ドルと大したことないので、えいままよとオーダーしたのでした。

届いた荷を開けると、ホセーが暗がりのなかで手紙を書くジャケットが現れ、
“ESCRIBE SOLO PARA ENAMORADAS” というタイトルを確認することがでました。
3作目の“USTED… EL AMOR… Y JOSE ANTONIO MENDEZ” の裏ジャケットには
タイトルが書かれておらず、再発のカムデン盤は“JOSÉ ANTONIO MÉNDEZ” とあるだけで、
オリジナル・タイトルがずっと不明だったんです。

MKL1019.JPG   MKL1325.jpg
MKL1646.jpg   Jose Antonio Mendez_MKE803.JPG

あらためて、ホセーのメキシコRCA時代のアルバムをおさらいすると、
ファーストはみなさんもよくご存じのとおり、日本盤『フィーリンの誕生』の原盤となった、
“CANTA SOLO PARA ENAMORADOS” ですね。
ちょっとトリビアな話になりますけど、
このアルバムには、レーベル面が黒でなくオレンジ色のセカンド・プレスもあります。
ジャケットも少し違いがあり、ファースト・プレスは右隅に、
四角い枠に囲まれたRCAビクターの古いタイプのロゴが付いていますけど、
セカンド・プレスはジャケットの左隅にRCA、右隅にVICTOR の文字に変わっています。

“ESCRIBE SOLO PARA ENAMORADAS” はVOL.Ⅱ、
“USTED… EL AMOR… Y JOSE ANTONIO MENDEZ” はVOL.Ⅲの表記がありますが、
ライヴ盤の“EL MENSAJERO DEL AMOR…” には第何集の表記はありません。
このライヴのA面が『フィーリンの誕生』の最後に収録されています。
このライヴ盤から4曲を収録したEP盤を、1枚持っています。

こうして眺めてみると、ホセーのメキシコRCA時代のアルバムは、どれもジャケットがいいですね。
都会的で洗練されたアートワークは、モダンな感覚とクールなセンスをあわせもった
フィーリンという音楽のムードをよく表しています。

[LP] José Antonio Mendez "CANTA SOLO PARA ENAMORADOS" RCA MKL1019
[LP] Jose Antonio Mendez "USTED… EL AMOR… Y JOSE ANTONIO MENDEZ" RCA MKL1325
[LP] Jose Antonio Mendez "EL MENSAJERO DEL AMOR…" RCA MKL1646
[EP] Jose Antonio Mendez "Sorpresa / Novia Mia / La Gloria Eres Tu / Si Me Comprendieras" RCA MKE803
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キプロスのオリーヴ [西アジア]

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キプロスの国旗が好きでした。

幼稚園生の時、カラーブックスの『世界の国旗』が愛読書で、
世界の国旗と国名や首都を、かたっぱしから暗記したものです。
幼稚園のお絵かきでは、国旗ばっかり書いてましたもんねえ。
母親に連れて行ってもらった東京オリンピックの閉会式で、
選手団の国旗が登場するたびに、その国の名前を言い当て、
周りにいたオトナたちを感心させては、得意がってたもんです。

そんな頃からお気に入りだったのが、キプロスの国旗でした。
白地の中央に、キプロス島が黄色で染め抜かれ、
その下に、緑色のオリーヴの枝が2本交叉しています。
この2本のオリーブはギリシャとトルコを表し、両民族の平和を願ったものだといいます。

ところがキプロスは、ギリシャ系とトルコ系が絶えまなく紛争を繰り返した結果、
いまや南北で分断国家となってしまい、
日常生活でこの国旗を目にすることはほとんどなくなってしまったと聞きます。
この国旗が黄と緑だけを使っているのも、
ギリシャの青とトルコの赤を意図的に排除したからなのだそうですが、
キプロスでギリシャ系とトルコ系が融和するのは、もう絶望的なのでしょうか。

そんな状況に一縷の希望を見出したくなるのが、
トルコ系キプロス人ミュージシャン、メフメット・アリ・サンリコルと、
ギリシャ系キプロス人ヴァイオリン奏者のテオドゥロス・ヴァカナスが共演した本作です。
ボストンを拠点に活動する二人が出会い、キプロスの伝統音楽集が生み出されました。
ギリシャ系とトルコ系が共演した、唯一無二のアルバムだといいます。

レパートリーは二人の家庭で伝承されてきた曲から選ばれ、
トルコ語とギリシャ語ほぼ半々で歌われています。
多くの曲で、同じメロディーを持つトルコ語の曲とギリシャ語の曲を繋げて演奏されています。
ウード、サズ、ヴァイオリン、ケマンチェ、リラなどのトルコとギリシャの弦楽器と、
ダルブッカやフレーム・ドラムの太鼓に、ネイなどが伴奏をつけています。
エーゲ海で伝承されてきた島唄らしい、ゆったりとしたこぶしを利かせた渋い歌声には、
伸びやかな明るさに溢れていて、目をつむるとエーゲ海のコバルト・ブルーが浮かびます。
後半のダンス・チューンも、キレのあるリズムでグルーヴィーな演奏を繰り広げていて、
思わずくるくると踊り出したくなります。

こうした試みがキプロス本国にもフィードバックされて、
対話と和解の道が広がってくれることを祈るばかりです。

Mehmet Ali Sanlikol, Theodoulos Vakanas "KIBRIS’IN SESI : MUSIC OF CYPRUS" Kalan 424 (2007)
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コミュニティのサンバをポップに チアンジーニョ・ダ・モシダージ [ブラジル]

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褐色の肌にソフト帽、白い歯をみせた笑顔のオヤジが写るジャケ。
こういう写真を見たら、エスコーラ系のディープなサンバを期待するのが、
サンバ・ファンのお約束ってもんでしょう。

「10点満点のバテリア」の名で知られるリオ北部のエスコーラ・ジ・サンバ、
モシダージ・インジペンデンチ・ジ・パードリ・ミゲルのエンレード作曲家の一人、
チアンジーニョ・ダ・モシダージの61歳にしてリリースした初ソロ作です。

ヴェーリャ・グァルダのサンバ・アルバムといったシブい内容かと思ったら、
オーセンティックな伝統サンバ路線ではなく、
ベースやドラムスを加え、男女コーラスにサックスやトロンボーンのソロなども配した、
ポップなアレンジを施したアルバムとなっていました。

こういうサウンドは、70年代サンバで育ったぼくとしては懐かしく、
リルド・オーラがプロデュースした、マルチーニョ・ダ・ヴィオラや
ベッチ・カルヴァーリョなどの70年代サンバの諸作を思いおこさせます。
半径100メートル以内の聞き手や、サンバのツウ向けではなく、
広く一般にアピールするプロデュースは、コミュニティの中だけに閉じこもらない、
開かれた風通しの良さを感じさせ、気持ちがいいものです。

チアンジーニョ自身にしても、ヴェーリャ・グァルダのような枯れた味わいや、
シブさで勝負するほど年老いてはおらず、
ほがらかな親しみやすい声と温もりの伝わる歌いぶりが、聴く者の心をなごませます。
ソングライターとしても、伝統的なエンレードばかりでなく、ポップなサンバも書ける人で、
エミリオ・サンチアーゴやジョイスがチアンジーニョの曲を取り上げているとおり、
フックの利いたメロディが、楽曲に彩りを添えています。

ヴェーリャ・グァルダ級のサンビスタが、無理なくポピュラリティをアピールする
こんなサンバ・アルバムを制作していることに、頼もしく思いました。
インディ盤なれど、コミュニティにとどまらず外へ向けて歌っている姿勢に、喝采です。

Tiãozinho Da Mocidade "MULEKÊ TIÃÕ" Tiãozinho Produções Artísticas 066.023 (2010)
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不安をはねとばして ブラック・ウフルー [カリブ海]

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誰もが恐怖と悲しみに心を奪われています。
水、食料、暖の救援を必要とする人々に、
音楽を楽しむ心持ちなど、いま現在あるはずもないのは当然ですが、
被災地から離れた多くの方々においても、
漠然とした大きな不安を抱えているのではないでしょうか。

音楽は、水や空気のように生存に不可欠なものではありません。
ましてやこの非常事態の只中で、
音楽などお気楽な話をしている場合じゃない、という方もいらっしゃるでしょう。
しかし、深刻な顔をして下を向いていては、目の前の一歩を踏み出すこともできません。
不安定な心は憶測やうわさに惑わされて、正しく判断する力を人から奪います。

おととしの6月から始めたこのブログ、軽い気持ちで始めたつもりが、
今では当初考えもしなかった、大勢のみなさんにお読みいただくまでになりました。
前回のエントリは、ドサクサの合間を見つけて書き上げたものの、
今後続けられるかどうか自信がなくなり、いったんブログの休止を思い立ったのですが、
職場から一時帰宅し、また職場に戻るまでの間に、いろいろと考え直しました。

「ぜいたくは敵だ!」のスローガンが放たれ、日本国中がテンぱっていた昭和16年に、
ナンジャラホワーズは「今何時だと思って? 何時ってお前、非常時だ、アーン」と
笑い飛ばしていました。ぼくは、このナジャラホワーズを見習おうと思います。

音楽は、前を向いて力強く歩み出そうとする人間に、勇気を与えます。
また、恐怖で自分を見失いそうになる人間に、心の平静を与えます。
音楽は自由と夢と希望を与える、人間の営みのかけがえのないものと信じています。

仕事との兼ね合いでどこまで続けられるか、見通しはまったく立っていないのですが、
できるかぎり、これからも一日おきの更新を続けようと思います。
ただし、ネット環境などの諸事情により、画像の掲載、
コメントの許可・返信などが遅れることは、どうぞご容赦ください。

それぞれの人が、それぞれの立場で、この危機に立ち向かう一歩を踏み出すために、
そしてその合間のひとときの気晴らしに、このブログが役立つのなら、ぼくは嬉しいです。
今後はいままでどおり、音楽の話題だけをし、災害等に関するコメントを控えます。
その呑気な話ぶりに、この非常時になんだと、もし不快に思われる方がおられたら、
あらかじめ、ごめんなさいと申し上げておきます。
不安な気持ちをむやみに発信して、多くの人にさらなる不安や恐怖を掻き立て、
危機に立ち向かう人の足を引っ張るようなことだけは、ぼくはしたくありません。

いまこのエントリを書きながら、ブラック・ウフルーを小さな小さな音量で聴いています。
音量は小さくても、マイケル・ローズの力強い歌は、
テンぱったぼくの気持ちをチル・アウトさせ、挫けかかる気持ちに勇気をくれます。
いまごろになって、ブラック・ウフルーの84年のライヴがひょっこりリリースされ、
おやと思って買ってきたばかりなんですが、いまの自分にジャスト・ミートです。
08年リリースのクレジットがありますが、日本に入ってきたのはごく最近のことです。
84年といえば、LIVE UNDER THE SKY '84 で来日したのと同じ年のライヴですね。
7月29日よみうりランドのイーストで、友人たちと一緒に観たことを思い出します。

Black Uhuru "CHICAGO 84" Taxi 843655014448
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巨大地震の夜に イーデン・ブレント [北アメリカ]

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みなさん、怪我はありませんか。被災などされていないでしょうか。
多数の死者が出ている情報など、断片的に入ってくるばかりで、
被害状況の全容がつかめず、国内観測史上最大の地震発生に不安がつのります。

泡立つ気持ちを落ち着けようと聴き始めたのは、イーデン・ブレント。
街娼に扮したかのような、ムードのあるセピア色のジャケット。
初めて目にした時、まるで70年代のアルバムみたいなアートワークに目を奪われました。
まったく知らない人でしたけど、ピンとくるものがあって聴いてみたら、第一声でノックアウト。

なんてブルージーな声。酒と煙草で身をやつしたかのようなハスキー・ヴォイス。
まるでブルースを歌うために生まれてきたような白人女性ですね。
ブルース・フィーリングを体得した、作為を感じさせない自然体の歌いぶりにもウナりましたけど、
若さに似合わぬ味わいすら醸し出しているのには、脱帽です。
ほとばしリ出るシャウトにも無理がなく、聴き手の胸をぐっとつかまえて離しません。
イーデンの歌を聴いていると、一瞬にして、
ミシシッピのバレルハウスやジュークジョイントに連れていかれるようです。

しかもこのイーデン嬢、ただのブルース・シンガーじゃなくてピアニストなんですよ。
軽快に転がるニュー・オーリンズ・スタイルのピアノから、豪快なブギウギまで
なんなく弾きこなすんだから、こりゃたいへんな逸材です。

録音はニュー・オーリンズ、なんて言われなくても聴きゃわかる、ゴキゲンなグルーヴ。
コリン・リンデンのギター、ジョージ・ポーター・ジュニアのベース、
ジョン・クリアリーのハモンド・オルガン、ブライアン・オーウィングズのドラムスという
売れっ子セッション・プレイヤーに、3管を加えたバックは最強の布陣でしょう。
ニュー・オーリンズならではのしなやかなリズムが繰り出すふくよかなスウィング感に、
聴いているだけで、しぜんと顔もほころんでしまいますね。

ホンキートンク・スタイルのノスタルジックな香りのナンバーから、
軽快なブギウギ、じっくり聞かせるバラード、
さらにはブラインド・ブレイクばりのラグタイム・ギターをバックに歌う曲と、
どこまでぼくのツボを押しまくるんですかっ!と身悶える、ぼく好みなレパートリーの数々。

イーデンはミシシッピ出身、グリーンヴィルでブーガルー・エイムズにピアノを習ったという、
なんだか出来すぎのような経歴の持ち主ですが、
09年にブルース・ミュージック・アワードを受賞するなど、
インディの枠に収まるような才能じゃない気がしますね。
もしジョー・ヘンリーがプロデュースしたら、大ブレイクするんじゃないでしょうか。

取り急ぎ、当方無事の知らせとして記事をアップしました。
現在帰宅困難中につき、写真は帰宅後までお待ちください。

Eden Brent "AIN’T GOT NO TROUBLES" Yellow Dog YDR1716 (2010)
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汗飛び散るアメリカン・ロックを思い出して ジョッシュ・ディオン・バンド [北アメリカ]

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珍しいことが続くもんです。
ジャズのピアノ・トリオを愛聴するなんてのも十年ぶりぐらいなら、
このテのアメリカン・ロックのアルバムに夢中になったのなんて、四半世紀ぶりぐらいかも。

プッシュしていたCDショップの「だまされたと思って聴いてみてください」の文字に、
ふらふらと試聴してみたら、ほんとにだまされちゃいました。
ニュー・ヨークを拠点に活動する無名バンドのデビュー作なんですが、
直球ストレートの開放的なアメリカン・ロックに、いや~、胸がスカッとしました。
頭ガクガク揺らすタテノリの感覚なんて、ほんと30年くらい忘れてましたね。

それにしても、このジャケの垢抜けなさは、ちょっとヒドイっすね。
アメリカのどっかの地方都市にでもいそうな学生バンドふうのルックスで、
YouTubeにあがってるライヴを観ても、主役のジョッシュくんのファッションのダサいことといったら!
ステージでその普段着は何だよと、突っ込みのひとつも入れたくなる構わなさ。
でもその構わなさが、好きな音楽をやること以外、
なんの興味もありません的なミュージック・クレイズぶりを表しているようで、
すっかり共感してしまったというわけなんですね。

ドラムスをがしがし叩きながら歌う、ふっ切れたパワフルなヴォーカルが、とにかく爽快です。
ジョッシュくんのヴォーカルが暑苦しくなる一歩手前で、
紅一点のバッキング・ヴォーカルがクールダウンさせているのも効果的ですね。
バンドもタイトにまとまっていて、小気味よく弾き出すファンキーなビートが快感この上ありません。

さらにこのバンドの強みは、キャッチーなメロディーを持った楽曲の数々。
これまたジョッシュくんの手によるものなんですが、
ドゥービー、ホール&オーツ、スティーリー・ダンあたりを思わせるポップなメロディーに、
巧みなリフやブレイクを施したアレンジがツボにハマっていて、その実力は相当なものです。
5拍子の“Make Her My Girl” や7拍子の“Almost” など、昇天もののカッコ良さだし、
曲後半に向かってじわじわ盛り上げるロックお約束のアレンジも、
わかっちゃいるといっても、ノせられずにはおれません。
もっさりとした風貌の下にジョッシュくん、どんだけ才能を秘めてんでしょうか。

お店では3作目の新作“ANTHEM FOR THE LONG DISTANCE” も大プッシュしていましたが、
こちらはブルー・アイド・ソウルぽいファンキーなテイストのデビュー作と違い、
サザン・ロックふうのサウンドに変わっていて、ちょっとぼくは反応できず。
なんでもこのジョッシュくん、キャンディ・ダルファーのバックバンドとしての来日経験があり、
話題の新進女性シンガー・ソングライター、
ダイアン・バーチのツアー・メンバーとしても活躍中とのこと。
ロックと無縁なぼくの耳にも届いたあたりは、バンドのブレイクの日も近いのかもしれません。

Josh Dion Band "GIVE LOVE" WeBad 04189 (2005)
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北欧のフォーキー・ロマネスク・ジャズ ダーグ・アーネセン [北ヨーロッパ]

Dag Arnesen Trio.JPG

去年の年末から、なんだかんだ言いながらよく聴いている、
ノルウェイの人気ジャズ・ピアニスト、ダーグ・アーネセンのノルウェイ曲集の第3弾。
基本はピアノ・トリオでも、半数の曲でトランペットのパレ・ミッケンボルグが参加しています。

「なんだかんだ言いながら」というのは、はじめ聴いた時、そのメランコリックな牧歌調に、
なんだこのヌルいジャズは? 最近ハヤリの女子ジャズか?と、
ソッコー売却予定の棚に投げ込んでしまったからなんですね。

ところが、仕事のイザコザで心身共にくたびれきって帰ったある夜、ふと思いついて聴いてみたら、
センチメンタル過ぎると感じた旋律が、心にじんわりと染み渡り、
ダーグがゆったりと紡いでいく耽美的なメロディー・ラインに、
すっかり疲れが解きほぐれていったのでした。
「癒し」なんて言葉、好きじゃないのであまり使いたくないんですけど、
疲れきってなーんにも考えたくない時など、このアルバムを鳴らしてぼけーっと聴いていると、
ゆったりと温泉に浸かっているように心が落ち着き、ささくれだった気持ちも回復していきます。

パレの抑えの効いたミュート・トランペットも、ダーグの詩情豊かな世界に陰影を付け、
そのかすれた音色が、コクのある芳醇な味わいを醸し出しています。
バラードばかりでなく、リズムのエッジをたて、ビートボックスをフィーチャーした曲もあったりして、
アルバムがリリカルに流れすぎないよう、適度なアクセントを付けているところもいいですね。

最初は「女子ジャズ」とか悪口言っときながら、
今では「北欧のフォーキー・ロマネスク」なぞと言ってるんだから、イイカゲンなもんです。
仕事で疲れた夜には、いまや手ばなせない一枚となりました。

Dag Arnesen Trio "NORWEGIAN SONG 3" Losen LOS101-2 (2010)
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アフリカの大型新人現る ヤミ [南ヨーロッパ]

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リシャール・ボナのライヴァルとなる逸材が登場しました。
その人の名はヤミ。本名フェルナンド・アラウージョという、
リスボンで活躍するアンゴラ出身の音楽家です。

ジョアナ・アメンドエイラなどのファドのレーベルとして知られる
ポルトガルのH・M・ムジカから、07年にこのデビュー作が出ていたとのことですが、
今回ライス盤が出るまで、ぼくもぜんぜん知りませんでした。
アフリカのミュージシャンでは、ひさびさに現われた大型新人だと思います。

リシャール・ボナを思い浮かべたのは、その音楽性がとってもよく似ているからなんですね。
二人に共通するのは、特定の民族や伝統に拠った音楽をやるのではなく、
自身のルーツに多様な音楽をミックスさせながら、アフリカ性を際立たせる才能です。
こういうマルチカルチャライズの方向性こそ、
今後のアフリカン・ポップスの可能性だとぼくは考えているので、
ヤミは出るべくして出た人と、期待を寄せたくなります。

ライス盤の解説によれば、ヤミはルアンダ生まれといっても、
4歳でポルトガルに渡ったため、ほとんどアンゴラの記憶はないようです。
キンブンドゥ語を教わった母親の影響で、
アンゴラ人としてのアイデンティティを模索するようになったとのこと。
そんなヤミがデビュー作で打ち出した音楽は、
ポルトガル、アンゴラ、ブラジル、カーボ・ヴェルデなど、
ポルトガル文化圏の多様な音楽の養分を吸収した、のびやかなポップスです。

そこには人を熱狂させるような音響やビートがあるわけでなく、
ジャーナリスティックな評判を呼ぶような要素もないので、
リリースから3年以上経っても、話題にさえ上らなかったということなのでしょうか。
H・M・ムジカのディストリビューションの弱さといったこともあるんでしょうけど、
こういう上質のアフリカ音楽が見逃されて、ストリート系の音楽がもてはやされるところに、
現在のアフリカ音楽をめぐるシーンのいびつさを感じずにはおれません。

じっさい、リシャール・ボナを評価したのは、
アフリカ音楽ファンとはまったく無縁なフィールドのファンでした。
ヤミも「アフリカ」という冠をつけないでプロモーションをした方が、
良い音楽をキャッチすることのできる、
柔軟な音楽ファンの耳に届かせることができるように思いますね。

このアルバムには、アンゴラのセンバ、
カーボ・ヴェルデのモルナやコラデイラといったレパートリーもあるものの、
そのいずれもヤミが創り出すサウンド・テクスチャーに溶け込んでいて、
そのポップ・クリエイターとしての才覚は、新人と思えぬ手ごたえを感じさせます。
そしてリシャール・ボナを連想させるのは、自身のヴォーカルを多重録音したコーラスや、
ファルセットを多用するところ、またなにより、同じベーシストであるところですね。
ジャズ/フュージョンの素養だけでなく、シタールをちらりと使ったりする意表をつくアイディアを
さらりと聴かせてしまう匠の技は、ボナをホーフツとさせます。

ヤミ 「アロエレラ」 ライス HJR245
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おそるべし大衆藝能の底力 ナンジャラホワーズ [日本]

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いや~、おそれいりました。
こんなグループが戦時中の日本に存在していたなんて、
ひれ伏すほかありません。降参です。

ナンジャラホワーズは、オーディブックの『日本の庶民芸能入門』所収の
「笑ふリズム(下)」を聴いていたとはいえ、
これほどスゴいグループとは、正直思っていませんでした。
今回のフル・アルバムには、戦時色が強まる
昭和15・16年(1940・1941)に録音されたSP10枚両面に加え、
戦後「ミス妙子とそのグループ」名義で残された2曲が収録されています。
これまで「笑ふリズム」片面しか復刻されていなかったグループだけに、
初復刻曲をずらり並べた今回のフル・アルバム化は、奇跡的偉業といえます。

阿呆陀羅経、端唄、都々逸、浪花節、書生節、義太夫、
民謡、唱歌、童謡なんでもござれのレパートリーに、
ジャズ、ポルカ、ハワイアンをベースにした
ジャズソングをパッチワークさせた、ナンセンス・ソングの数々。
あきれたぼういずの向こうを張った、ナンジャラホワーズというネーミングも絶妙なら、
同時代のスリム&スラムをホーフツとさせる音楽性の
和製ジャイヴ・ミュージックに圧倒されます。
リーダーであるミス妙子のチャーミングな歌いぶりもめちゃくちゃ魅力的で、
70年前の録音とはとても思えないスピード感ある歌や語り、
スウィング感いっぱいの演奏は、必笑必至です。

ギターとドラムスの女二人に、ギターとアコーディオンの男二人という編成もユニークで、
この時代に女性のドラマーって、すごくないですか?
音を聴く限りでは、ドラマーというより、鳴り物担当だったようですけれども。
演奏にはクラリネットが加わっていますけど、これは誰が演奏したんでしょう?
彼らが一流の芸人グループだったことは一聴瞭然ですけども、
これだけ見事にジャズソングを消化していたのは、
ジャズバンド出身の音楽家がいたとしか思えず、
タイヘイジャズバンドのメンバーでも交じっていたのではと、想像を巡らさずにはおれません。

なんせ、ミス妙子、ミス洋子、フランク富夫、フランク正夫という4人の芸名以外、
まったく素性知れずのグループなので、どういう芸歴の人たちだったのかは謎なんですね。
この情報時代に、写真1枚しか現存していないというバイオ不明ぶりにも、
かえってロマンをかきたてられます。
当時関西ではかなりの人気者だったにもかかわらず、芸(SP音源)しか残らなかったなんて、
大衆藝能者として本来あるべき姿といえるのかもしれません。

それにしても、新体制と称して統制の厳しくなった昭和16年2月に
「今何時だと思って? 何時ってお前、非常時だ、アーン」(「ナンジャラ時局學」)
と笑い飛ばすアナーキーぶりは驚愕。
当時の言論統制が穴だらけだったことは、
毛利眞人さんの『ニッポン・スウィングタイム』を読むとよくわかりますが、
官憲の目をかいくぐれた奔放さも、昭和16年がぎりぎりのタイミングだったんでしょうね。
笑いで戦中を耐え、逞しく生き抜いた庶民のヴァイタリティを体現した大衆藝能、ここにあり。

ナンジャラホワーズ 「笑ふリズム」 華宙舎 OK2
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声がかたどる詩の韻律 シーリア・ニ・アールタ [ブリテン諸島]

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シャン・ノースのアルバムを買う時は、いつもちょっと緊張してしまいます。
無伴奏の丸裸の歌と向き合わなければならないので、
まずアルバム1枚聴き通せるかどうかが、最大の難関。
仮に全部聴き通せたとしても、何度も聴きたいと思うかどうかが、さらに問題です。
そんなわけで、シャン・ノースと聞くと、なかなか手を伸ばす勇気が出ないんですが、
このアルバムは、思い切って買ったかいがあったというか、
近年にないシャン・ノースの傑作だと思います。

シーリア・ニ・アールタは歌の名門グリアリシュー家出身の女性歌手。
99年にシャン・ノースのコンテストのオ・リアダ杯を受賞した経歴をお持ちとのこと。
デビュー作の本作は、もちろん全編無伴奏のゲーリック・シンギングによるシャン・ノース集。
ゆったりとしたテンポで、装飾的なこぶしを回しながら歌うスタイルは、
シーリアの出身地であるコネマラ地方のシャン・ノースの特徴をよく表しています。
きっぱりとしたシンギングには凛とした美しさがあり、聴いているだけで自然に背筋が伸びます。

ヴィブラートを使わず地声で歌うシャン・ノースを聴いていると、
あらためて歌の表現力というものを考えさせられずにはおれません。
シャン・ノースでは声に大小の変化をつけたり、音程を揺らすようなことは一切しません。
ポップスではよく歌の表情を付けるなどと言いますが、
むき出しの声とでも言うべきシャン・ノースの前では、
そんな「歌の表情」といった技巧は小ざかしくみえます。

シャン・ノースは、十分息をためて出す強い声と確実な音程をもとに、
こぶしをつけていくところに特徴があります。
歌の表情ではなく、発声の表情というところがキモなんですね。
アイルランド音楽に詳しいわけではないので、自信をもって言うことはできませんが、
装飾音はメロディにつけられるのでなく、詩の韻律につけられているように聞こえます。
それだけ詩の内容が重視されているんじゃないかと想像するのですが、どうでしょうか。
類い希なる声の表現力が備わったシャン・ノースに圧倒される一枚です。

Celia Ní Fhátharta "IRISH TRADITIONAL SEAN-NÓS SONGS" Cló Iar-Chonnacht CICD183 (2010)
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