SSブログ

オールド・スクールなポップ・ライの良作 シェブ・アジズ [中東・マグレブ]

Cheb Aziz  ZINA.jpg

聞き覚えのないライ・シンガーの03年作を見つけました。
同じ芸名で、96年にイスラム原理主義者に殺害されたシャウイの歌手がいましたけれど、
こちらのシェブ・アジズは別人で、
57年アルジェリア北西部シディ・アリ生まれのライ・シンガー。
ハリのある声に、キレのあるこぶし使い、オッサン臭い歌いっぷりと、
三拍子揃った実力派のライ・シンガーですね。

ダルブッカの響きと生の手拍子も懐かしい90年代サウンドで、
ピヤピヤと鳴るシンセの、ちょいダサなサウンドが嬉しくなります。
まだこの当時は、オートチューンのロボ声なんてない時代だから、安心して聞けますね。
アコーディオンをフィーチャーした(サンプリングかも)‘A Galbi, A Galbi’ なんて、
ウキウキしちゃいますよ。
女声のウルレーションや、グルーヴィなベース・ライン、クラヴィネット使いなども、
徹頭徹尾オールド・スクールなプロダクション・センスで、
この時代のポップ・ライで育った人間にはたまりません。

とはいっても、03年のアルバムですからね。
当時流行のライアンビーの影響を受けたトラックもちゃんとあって、
DJ・キムのラップをフィーチャーした‘Cool In The Bled (Remix)’
‘Ce Soir On Est De Sortie’ ではファンク色を強めたライを、
‘Ya Sahbi’ では、ディスコ・ライを聴くことができます。

このほかの聴きものでは、シェブ・サハラウィとデュエットした、
ライ版「枯葉」の‘Ouled Bledi’ かな。これには、ちょっと驚かされました。
かなり歌える人なので、このほかにもたくさんアルバムを出していそうなものの、
00年代にいくつかあるだけで、10年代以降のアルバムはまったく見つかりません。
今も歌い続けているんでしょうか。

Cheb Aziz "ZINA" Mega Rai Party/Maghreb World Develoent LAM013 (2003)
コメント(2) 

サイケデリックなアゼルバイジャニ・ギターラ ルスタム・グリエフ [西アジア]

Rüstəm Quliyev.jpg

うひゃひゃひゃ、こりゃ強烈!
耳をつんざくエレキ・サウンドに、脳しんとうを起こしそう。
これは「世界ふしぎ発見」な1枚ですね。
アゼルバイジャンの改造ギター、ギターラのパイオニアであるルスタム・グリエフが
99年から04年に残した録音を、ボンゴ・ジョーがコンパイル。
う~ん、よく見つけたなあ。

改造エレクトリック・ギターを使って、
アゼルバイジャンの旋法ムガームに沿った伝統音楽ばかりでなく、
アフガニスタンやイランのポップスに、
ボリウッドのディスコ・チューンまで演奏するという痛快なインストものです。

アゼルバイジャンの音楽シーンには、旧ソ連時代の60年代から
チェコスロバキア製のエレクトリック・ギターが持ち込まれていて、
タールやサズの演奏者たちが、ギターのチューニングや弦高を変えたり、
フレットを増やすなどの改造をするようになっていたそうです。
やがてアゼルバイジャンの国内メーカーが、その改造ギターを量産するようになり、
ギターラとして広く使用されるようになったんですね。

モーリタニアや西サハラのギタリストたちが、
ムーア音楽の旋法ブハールを弾くために、
フレットを改造しているのと同じ試みなわけですけれど、
演奏者個々の創意工夫という域を超え、メーカー量産というところがスゴイですね。
モーリタニアのティディニートやアゼルバイジャンのタールに限った話でなく、
世界各地の伝統楽器が、エレクトック・ギターに置き換えられるようになった
エレクトリック・ギター革命物語の、これもまたひとつのエピソードでしょう。

Grisha Sarkissian  GARMON DANCES.jpg   Azad Abilov  GARMON.jpg

で、このルスタム・グリエフなんですが、
キッチュなボリウッド・ディスコの‘Tancor Disko’ とか、確かに面白いけれども、
やっぱり聴きものは、アゼルバイジャンの伝統曲。
脳天を直撃するハイ・ピッチのサイケデリックなラインは激烈で、
楽器こそ違えど、アルメニアのアコーディオン、
ガルモンを初めて聴いた時のショックを思い出します。

サイケデリックなサウンドに惑わされぬよう、旋律を追って聴いてみれば、
古典音楽に代表されるアゼルバイジャン歌謡のメリスマ表現を、
ギターが忠実になぞっていることがよくわかるじゃないですか。
ガルモンを思わせるのも、南北コーカサスが共有するこぶしの楽器表現だからでしょう。

高音で見得を切るようなキレのある短いフレーズのあとに、
一転、低音でうねうねとしたフレーズを延々と弾いたり、
また高音にジャンプしたりと、歌唱を忠実に引き写したギターも妙味なら、
3拍子や2拍3連の前のめりに疾走するリズムも聴きものです。

ルスタムが05年に肺がんで亡くなってしまった後、
このサウンドを引き継ぎ、発展させるような動きはないんでしょうかね。
興味のわくところです。

Rüstəm Quliyev "AZERBAIJANI GITARA" Bongo Joe BJR053
Grisha Sarkissian "GARMON DANCES" Parseghian PRCD11-30 (1992)
Azad Abilov "GARMON" Çinar Müzik 2002.34.Ü.SK-P1244/02-02 (2002)
コメント(2) 

真摯な音楽家 藤井郷子 [日本]

藤井郷子/田村夏樹  PENTAS.jpg

真摯。

藤井郷子くらい、この言葉がふさわしいジャズ演奏家はいないんじゃないでしょうか。
その昔は、ビリー・ハーパーにも、同様の真摯さを感じたものですけれど、
ビリー・ハーパーの場合は、スタイルを変えない、求道者のイメージが強くありました。
藤井郷子の場合、ソロ、デュオ、トリオ、カルテット、オーケストラと、
フォーマットもさまざまなら、作品ごとに振れ幅の大きな演奏を聞かせるので、
求道とは違う、もっとしなやかな真摯さをおぼえます。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2010-04-30

藤井のジャズには、クリシェがない。
そこにぼくはとても信頼を置いているんですね。
どんなフォーマットであろうと、自分の求める音を真剣に追いかけていて、
毎回心新たに音楽に向きあっているから、クリシェなど現れようもない。

自分の音を探求することに、どこまでも貪欲で、妥協を許せないところは、
言い換えれてみれば、融通が利かず、
大概の人が諦めてしまうところにも挫けず続ける、
「しつこさ」のようなものを感じます。
ぼくも、しつこさにかけては人後に落ちないので、親しみを覚えるんですよね。

彼女は、手癖を禁忌としているんじゃないのかな。
さもなくば、凝りに凝りまくった構成を持つ曲を書いて、
手癖など現れるべくもないようにしているのではとさえ思ってしまいます。
フリー・ジャズといいながら、
あらかじめ用意した型で演奏をする音楽家が少なくないなかで、
藤井はホンモノのインプロヴァイザーといえる即興を聞かせてくれる人です。

がっちりとした建造物のような曲も書けば、
自由に即興する完全フリー・インプロのような演奏もするので、
題材を変えることで、音楽へのアティチュードの鮮度を保っているようにも思えますね。

そんな信頼の音楽家、藤井郷子と田村夏樹とのデュオ新作がスゴイ。
この二人でなければできない境地を仰ぎ見るかのようで、
聴き終えて、しばし身体の芯がジーンとしびれる感動を覚えました。
これまでこの夫婦デュオを何度となく聴いてきましたけれど、
これほどまでに集中力を高めた演奏は、初めて聴いた気がします。

メロディがあってないような曲のなかで、二人が互いの音に反応しながら、
自分のボキャブラリーで音列を紡いでいくのですけれど、
生み出されるサウンドの透明感がすごくって、その美しさに陶然とします。
二人のエネルギーがぶつかりあって、硬質な感触を残すものの、
心拍も血圧も上がらない落ち着きを保っている、そんなところもシビれます。

奔流を生み出す藤井のピアノを、
ひょうひょうとした田村のトランペットがユーモアでくるんでみたり、
そのやりとりは、昨日今日結ばれた二人にはできない、
長年連れ添って、酸いも甘いも知り尽くした夫婦ならではの通じ合いを聴くようで、
う~ん、人生はフリー・ジャズだなあと感じ入ってしまいますね。

藤井郷子/田村夏樹 “PENTAS” Not Two MW999-2 (2020)
コメント(0) 

知的な伴奏とマランドロな歌声 マルシオ・ジュリアーノ [ブラジル]

Marcio Juliano.jpg

面白いサンバ作品が登場しましたね。
リオやサン・パウロのサンバではなく、南部クリチーバ産という珍しいもので、
主役のマルシオ・ジュリアーノは、歌手だけでなく、
舞台俳優のほか監督も務める、演劇界においてキャリアのある人とのこと。

クリチーバというので、クラロン(バス・クラリネット)奏者の
セルジオ・アルバッシを思い浮かべたところ、
なんとそのセルジオ・アルバッシがプロデュースした作品なのでした。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-08-26

セルジオ・アルバッシのクラロンとクラリネットを中心とする
7弦ギター、バンドリン、カヴァキーニョなどによるサンバ/ショーロの伴奏で、
セルジオ・アルバッシが音楽監督を務める、
クリチーバ吹奏楽オーケストラがゲスト参加した曲も1曲あります。
ラウル・ジ・ソウザのトロンボーンや女性コーラスをフィーチャーしたり、
クイーカだけをバックに歌ったりと、曲ごとにユニークな音楽的試みがされています。

たとえば、ウィルソン・バプティスタの古典サンバ‘Pedreiro Waldemar’ では、
長さの異なる塩ビ・パイプを両手に持った4人が、机の上にパイプの末端を落として
音階を出し(ヴィブラフォンの共鳴管で音を出すみたいな)、
それにレコレコとクラロンが加わってアンサンブルを作っているんですけれど、
これがなんとも不思議なサウンド。

編曲技法は現代音楽のようでもありながら、曲のユーモラスな側面を引き出し、
すごく面白い仕上がりとなっています。どこからこんなアイディアを思いついたんだろ。
ルピシニオ・ロドリゲスの‘Judiaria’ に、フェイクなアラブふうのイントロと
インタールードをアダプトしたアレンジも、実にウィットが利いています。

本作は、サンバ黄金時代の29年から45年に作曲にされた
古典サンバにこだわった選曲で、ピシンギーニャ、ノエール・ローザ、アリ・バローゾ、
ルピシニオ・ロドリゲス、ドリヴァル・カイーミなどのサンバ名曲を歌っています。
原曲のメロディを生かしながら、さまざまなアイディアを施したアレンジが鮮やかで、
クラシックやジャズの技法を巧みに取り入れながらも、
実験的なサウンドになっているわけではなく、伝統サンバの枠は崩していません。

高度に知的なアレンジを施しても、鼻持ちならないインテリ臭さがまとわないのは、
マルシオ・ジュリアーノのマランドロ気質をうかがわせる歌いっぷりのおかげですね。
街角のサンバを体現する庶民性たっぷりな歌声が、音楽の色彩を決定づけていて、
知的な伴奏とマランドロな歌声が、古典サンバに新たな味わいを醸し出しています。

Marcio Juliano "OUTRO SAMBA" Marcio Juliano Da Silva MJS171 (2020)
コメント(0) 

ミャンマーに生き残る清純な歌声 ピューティー [東南アジア]

Phyu Thi  BADAMYAR YATU TAY SU (2).jpg   Phyu Thi and Yar Zar Win Tint  SHWE SA PAL YONE.jpg

マンダレー・テインゾーの新作に驚いていたら、
ピューティーの新作も入荷していて、やれ嬉しや。
昨年ピューティーの別のアルバムを入手していたんですけれど、
記事にしなかったので、今回あわせて書いておきましょう。

ピューティーは38年生まれ。
なんと大御所のマーマーエーより年長の人なんですが、
歌手になったのは遅く、80年からプロとして歌うようになったのですね。
歌手となる以前は何をしていたのかなど、経歴の詳細は不明です。
プロ歌手となった後も不可解なのは、ライヴ・パフォーマンスの経験がなく、
歌手生活33年目の13年になって、初のソロ・コンサートを国立劇場で開いたということ。
レコーディングのみの歌手活動だったんでしょうかね。

Phyu Thi  MOE TA SAINT SAINT.jpg

そんな情報皆無の人なんですが、
ぼくがピューティーに惹かれたのは、
15年以上前に手に入れた“MOE TA SAINT SAINT” がきっかけでした。
ジャケット写真は、70を超えていそうな高齢に見えるものの、
その歌声に老いは微塵も感じさせません。
それどころか、「清純」と呼びたい天使のような歌声で、
正直、本当にこのジャケ写の老女が歌っているのかと、びっくりしてしまったのでした。

歌い出しのひそやかな発声や、
伏し目がちな女性をイメージさせる控えめな歌いぶりに加え、
触れなば落ちん風情を漂わせる色香もあって、すっかりマイっていまったのでした。
柔らかな節回しに、まろやかなこぶし使いも絶品です。

サウン(竪琴)のみの伴奏から、曲が進むにつれ、サイン・ワインやヴァイオリン、
サンダヤー(ミャンマー式ピアノ)、フネー(チャルエラ)など、
徐々に楽器の数が増えていき、
スライド・ギター(バマー・ギター)が登場する曲もあれば、
バンド演奏とスイッチするミャンマータンズィン形式の曲もあり、
終盤になると欧米ポップス調のパートが増えていきます。
曲により録音にバラツキがあるので、ひょっとすると編集盤なのかもしれませんが、
この一枚で、ピューティーの名が脳裏に刻み込まれたのでした。

Phyu Thi  MILE PAUNG KA TAY MHA LAN PYA KYEL THOE.jpg

その後、既発カセットのジャケットをコラージュしたアルバム
“MILE PAUNG KA TAY MHA LAN PYA KYEL THOE” を見つけましたけれど、
こちらは全曲西洋ポップス調で、あまりに凡庸すぎる伴奏がツライところ。

そして、ひさしぶりに昨年手に入れたのが、
冒頭写真左の“BADAMYAR YATU TAY SU (2)”。
ジャケットの左上隅に眼鏡をかけた老人が映っていますが、これが誰なのか、
ジャケットの「2」とは続編を表すものなのか、などなど、
情報が無くてわからないことばかりですが、
内容はサイン・ワイン楽団を伴奏にした伝統歌謡集です。

サンダヤーやシンセも加わって、銅鑼も派手に打ち鳴らされて、サウンドは華やかです。
西洋風バンド演奏とスイッチするミャンマータンズィン形式の曲もあり、
ヤーザーウィンティンとトニーティッルインの男性歌手二人と
それぞれデュエットする曲があるほか、二人がそれぞれソロで歌う曲もあります。
トニーティッルインがソロで歌ったラスト・トラックは、ポップ曲ですね。
ピューティーの歌声は、“MOE TA SAINT SAINT” の頃となんらかわらず、
清楚な少女のよう。
自己主張が強く、解放された女性像が肥大化する風潮では、
この奥ゆかしい歌声は、21世紀の今日び、
まだ絶滅せずに生き残ってたのか!という驚きさえありますよ。

そして新作は、ヤーザーウィンティンとの共同名義で、ジャケットにも二人が写っています。
ピューティーが5曲、ヤーザーウィンティンが4曲、
デュエットが2曲(うち1曲の男性歌手は不明)となっています。
ヤーザーウィンティンが歌う曲で、バンジョーが使われているのに、耳を引かれました。

ピューティーの声が少し太くなったかな?という印象がありますけれど、
ふんわりとした清純な歌声は不変。
今年82歳となる声とは、とても思えませんね。エイジレスです。
ヤーザーウィンティンの柔らかく、心根の優しそうな歌声も、
仏教国ならではと思わずにはおれない清らかさですね。

Phyu Thi "BADAMYAR YATU TAY SU (2)” Yada Nah Myain no number
Phyu Thi and Yar Zar Win Tint "SHWE SA PAL YONE” Rai no number
Phyu Thi "MOE TA SAINT SAINT” May no number
Phyu Thi "MILE PAUNG KA TAY MHA LAN PYA KYEL THOE” Oasis PT99CD01
コメント(0) 

ミャンマーの名舞踏家が歌う伝統歌謡 マンダレー・テインゾー [東南アジア]

Mandalay Thein Zaw  AUNG E AUNG E.jpg   Mandalay Thein Zaw  MYAT SU MOON.jpg

マンダレー・テインゾーの新作!
いやぁ、これにはびっくり。
リーダー作の少ない人だけに、これは貴重ですよ。
歌手よりも伝統舞踏家として有名な方であります。

マンダレー・テインゾーを知ったのは、だいぶ昔のこと。
ニニウィンシュウェやソーサーダトンとデュエットをしている
ヴェテランふうの伝統歌謡歌手に、この人誰?と意識するようになったんでした。
それからリーダー作を探し始めたんですが、
数枚のソロ・アルバムが出ていることは判明したものの、なかなか実物が見つからず、
20年くらい前にようやく手に入れた1枚を持っているだけです。

そんな人なので、まさか新作と出会えるとは思ってもみませんでしたよ。
こういうヴェテランのアルバムが出るあたりも、
ミャンマーの伝統歌謡が見直されているのを感じさせますねえ。

さて、新作はトール・サイズのブックレット仕様で、
全曲歌詞付き、大衆芸能ザッポエの役者メイクをばっちりときめ、
舞台袖から舞台をみつめる姿や、メイクを落とした素顔の写真も多数載せた、
美麗なパッケージとなっています。

気付いたのが、新作のレーベルが、昔手に入れたCDと同じA.Z.L.Aなんですね。
このCD以外で見たことがないレーベルなので、
ひょっとすると.マンダレー・テインゾーが所属する劇団となにか関係があるのかな。
内容の方も以前のCDと同様。サイン・ワインほかの伝統楽器にサンダヤー(ピアノ)が
加わる編成で、一部の曲にシンセサイザーが加わります。

冒頭から、おごそかなムードで始まりますけれど、仏教歌謡なのでしょうか。
どの曲もおおらかな曲調で、ゆったりと大きくうねるようなリズムで聞かせます。
最後の12分を超す曲は、子供たちのコーラスも交えて、荘厳なムードを醸し出しています。
とはいえ、抹香臭さもなければ、いかめしさもないのがミャンマー歌謡のいいところで、
抜けるような青空を思わす、開放的なすがすがしさに溢れた伝統歌謡です。

Mandalay Thein Zaw "AUNG EI AYE EI" A.Z.L.A./M United Enertainment no number (2020)
Mandalay Thein Zaw "MYAT SU MOON" A.Z.L.A. no number
コメント(0) 

ヘイシャン・プリースティスが歌うブルース・ロック ムーンライト・ベンジャミン [カリブ海]

Moonlight Benjamin  SIMIDO.jpg

あれれ、新作もちゃんとフィジカルが出てたんですね。
前作をバンドキャンプで購入した時、新作はダウンロード販売のみだったので、
てっきりCDは出ていないとばかり思っていました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-10-20

前作のヴードゥー・ロック路線をさらに磨き上げたこの新作、
ムーンライト・ベンジャミンの吹っ切れた歌いっぷりがスゴイ。
アンジェリク・キジョを思わす強靭なヴォーカルが、耳に突き刺さります。
声は強くても、歌い回しはキジョのような固さがなく、柔軟なところがいいですね。
フランスのジャーナリズムは、ムーンライトに、
「ハイチのパティ・スミス」という形容を与えています。
ちなみにムーンライト・ベンジャミンという名は、ステージ・ネームではなく、
生後まもなく預けられた孤児院の牧師に名付けられたものだそうです。

前作からバンド・メンバーが交代して、
ベースとパーカッションのハイチ人二人が抜けたんですね。
パーカッションが不在になったかわりに、ギタリストが一人増えて、
全員フランス白人のフォー・ピース・バンドとなりました。
サウンドはまるっきり70年代の、シンプルなブルース・ロックで、
ローファイにしたりすることもなく、サウンドはクリーン。

悲惨な生活を送る庶民の窮乏に見て見ぬふりをする、
ハイチの支配階級を糾弾した1曲目の‘Nap Chape’をシングル・カットしたように、
ムーンライトは、困窮するハイチの人々に向けて歌っています。
ハイチの人々の助けとなるために、天使や精霊に呼びかけ、
ラスト・トラックの‘Kafou’ で、ブードゥー神のなかでもっとも重要なロアの
パパ・レグバの化身を歌うところにも、ムーンライトの思いの強さが伝わってきます。

前作では、フランス語で歌った曲も一部ありましたが、
今回はすべてクレオール語で通していて、
ヴードゥー・プリースティスの気迫のこもったブルース・ロックに胸が熱くなりました。

Moonlight Benjamin "SIMIDO" Ma Case Prod MACASE026 (2019)
コメント(0) 

スーダンのエレキ・バンド シャーハビル・アフメド [東アフリカ]

Sharhabil Ahmed  THE KING OF SUDANESE JAZZ.jpg

ハビービ・ファンク、快挙です!
スーダン歌謡をエレキ化した伝説の大物シャーハビル・アフメドを、
ついに復刻してくれましたよ。

いや~、長かったあ。
名前を知るばかりで、じっさいどんな音楽だったのかを聴くこともできず、
悶々としていた人の一人でしたからねえ。
シャーハビル・アフメドに限らず、60年代以前のスーダン歌謡は、
資料でその名は知っても、聴く手立てがまったくなく、謎のままでした。

35年、宗教的信心の深い家庭に生まれたシャーハビル・アフメドは、
預言者ムハンマドを称えるスーフィーのチャントに由来する音楽マデイや、
30~40年代のスーダンで流行した世俗歌謡ハギーバに囲まれて育ちました。
ハギーバは、リク(アラブのタンバリン)を持った歌手が、コーラスの手拍子とともに
コール・アンド・レスポンスする音楽で、結婚式やパーティーなどの社交の場には
なくてはならないものでした。
観客の手拍子も加わって、歌手が即興で歌いながら場を高揚していくハギーバは、
かなりトランシーな音楽だったようです。

50年代に入ると、ムハンマド・ワルディや
サイード・ハリファなど新しい世代の歌手たちが、
ハギーバにマンボの影響を受けたエジプト歌謡を取り入れるほか、
スーダン各地のリズムや地方の民謡なども取り入れ、ハギーバを近代化していきます。
当時幼かったシャーハビルも、当時の大スター、
アブドゥル・カリム・カルーマに感化され、ウードを覚えたといいます。

やがて、ロックンロールの波がスーダンにも届くようになると、
ギターに興味を覚えたシャーハビルは、イギリス人からギターを買い取り、
南スーダンの学生から弾き方を教わって、ギターを習得しました。

こうしてロックンロールに影響された独自のダンス・ミュージックを演奏しはじめた
シャーハビルは、60年に国立劇場で自身のバンドの初のお披露目をし、
やがてコンクールで「スーダンのジャズ王」の称号を勝ち取るのでした。
もちろん、ここでいう「ジャズ」とは、コンゴのOKジャズや
ギネアのベンベヤ・ジャズと同義で、北米黒人音楽を指すものではなく、
欧米のポピュラー音楽の影響を表す用語ですね。

ウードやヴァイオリンが伴奏するアラブ色の強かったスーダン歌謡のハギーバを、
ギター、ベース、ドラムス、管楽器などの西洋楽器で演奏したシャーハビルは、
まさにスーダン歌謡の変革者でした。
エレクトリック・ギターをスーダンで初めて使ったのもシャーハビルで、
ロックンロールやファンクの要素に、
コンゴ音楽ほか東アフリカ音楽のハーモニーを取り入れて、
スーダン音楽を近代化した立役者となりました。

今回ハビービ・ファンクが、シャーハビル本人に直接交渉して復刻が実現した本作、
音源についての詳しい記載がないのですが、サックス入りのギター・バンドで、
ジャケットに写る5人による演奏と思われ、シャーハビルと奥さんのザケヤ二人が
ギターを弾いているようです。おそらく60年代末頃の録音でしょう。
音源に関するこういう基礎情報が欠けているのって、
リイシュー・レーベルの姿勢として、いかがなもんですかね。

シャーハビル自身が所有していた4枚のレコードから復元した7曲は、
冒頭の2曲‘Argos Farfish’ ‘Malak Ya Saly’ こそ、
痛快なスーダニーズ・ロックンロールですけれど、
残り4曲は、スーダンらしいペンタトニックのメロディが全面展開する、
エレキ・バンドによるモダン・ハギーバといえ、これが「ジャズ」と称されたわけですね。
この濃厚なスーダニーズ・マンボ・サウンドこそ、スーダン歌謡の真骨頂といえます。

Sharhabil Ahmed "THE KING OF SUDANESE JAZZ" Habibi Funk HABIBI013
コメント(3) 

ラッパーからアフロビート・バンドへ バントゥー [西アフリカ]

Bantu  EVERYBODY GET AGENDA.jpg

ナイジェリア人の父とドイツ人の母のもと、
71年にロンドンで生まれたアデ・バントゥーことアデゴケ・オドゥコヤ。
バントゥーの名を知ったのは、フジ・シンガーのアデワレ・アユバをフィーチャリングした
05年のアルバム“FUJI SATISFACTION” でした。
ドイツのピラーニャから出たこのアルバムは、
ひさしぶりにフジがインターナショナルなシーンに登場した作品で、
おおっと注目したんですが、アフロビートやレゲエを取り入れたアレンジが凡庸で、
がっかりしたものです。

アユバが強靭なフジのこぶしを利かせているものの、
主役のラッパー、バントゥーとの絡みがチグハグで、まるっきりイケてないんだよなあ。
フジとヒップ・ホップの融合については、当時ワシウ・アインデ・バリスターの試みから、
打楽器と肉声をガチンコ勝負させる可能性に期待を持っていただけに、
このアルバムのサウンド・プロダクションには落胆させられました。
ソッコー売っぱらっちゃったので、画像は載せられませんが、当時日本盤も出ました。

というわけで、ナイジェリア系ドイツ人ラッパーとして記憶したバントゥーでしたが、
その後、13人編成のナイジェリア人メンバーによる
本格的アフロビート・バンドを率いるとは、意外でしたね。
10年作の“NO MAN STANDS ALONE” ではファタイ・ローリング・ダラーと共演したり
(今気づいたけど、ガーナのワンラヴ・ザ・クボローも、ゲストに迎えていたんだね)、
17年の前作“AGBEROS INTERNATIONAL” では、
トニー・アレンが1曲ゲスト参加していました。

そして、先月出たばかりの新作、これが過去作をはるかに上回る快作なんですよ!
これまでバンド・アンサンブルが洗練されすぎていて、アフロビートの強度や
ストリート感に欠けるのが気になっていたんですけれど、今作では洗練を上回る
エネルギーが満ち溢れていて、がぜん説得力を増しています。
レゴスに暮らす庶民の現実を照射したポリティカルなメッセージが、
エネルギーの源泉になっていますね。

バントゥーというバンド名を、アデ・バントゥーの名前ではなく、
Brotherhood Alliance Navigating Towards Unity の
頭文字とした心意気にも、グッとくるじゃないですか。
歌詞もピジンのほかヨルバ語でも歌っていて、
地元リスナーに向けたリアリティが伝わってきます。
アフロビート・バンドには珍しいトーキング・ドラマーも、大活躍していますよ。

ジャジー・ヒップ・ホップとアフロビートを結合した‘Water Cemetery’ も、
一歩間違えばスカした感じに仕上がりそうなところを、
踏みとどまっているところが、いいじゃないですか。
ハード・ボイルドなアフロビートのトラックの合間に置かれた
ヨルバのプロヴァーブ(諺)をチャントする‘Jagun Jagun’ にもウナらされました。
そして、アルバムのハイライトは、
ラスト・トラックのシェウン・クティがゲスト参加した‘Yeye Theory’ ですね。
生前のフェラ・クティのモノローグが、最後にフィーチャーされています。

ジャケットを開くと、トタン屋根の貧しい住居が並ぶ地区を
上空から写した白黒写真となっていて、これはアパパ地区かな。
対照的に、全曲歌詞が掲載されたライナー中央には、
超高層ビルが乱立するヴィクトリア島のビジネス街の写真が載っていて、
レゴスの貧富の格差を象徴的に示しています。

ゴツゴツとしたアフロビートのアグレッシヴなサウンドと、
R&Bセンスのメロウなコーラスとジャジーに仕上げたサウンドとのバランスもよく、
アフロビート・ファン必聴のアルバムですよ。

Bantu "EVERYBODY GET AGENDA" Soledad Production 04515 (2020)
コメント(2) 

アンゴラ・ポップ職人の快作 イェイェ [南部アフリカ]

YeYe  IMBAMBA.jpg

しつこいとお思いでしょうが、アンゴラ四連投、これで最後です。

イェイェことオズヴァルド・シルヴァ・ジョゼ・ダ・フォンセカは、
73年生まれのキゾンバ・シンガー。ソロ・シンガーとなる前、
モザンビークで11年間音楽プロデューサーとして働き、
帰国後にプロデューサー業の経験を生かして、
アンゴラの音楽シーンへ貢献したいと、歌手へ転身したそう。

実はその昔、この人の96年作“TERRA DE SEMBA” を買って、
がっかりした記憶があったんです。
タイトルにセンバとあったので、おっ、とばかりに買ってみたんですが、
中身はセンバのセの字もないキゾンバ。
キゾンバが悪いというわけじゃないんですが、プロダクションがショボくって。

だもんで、その後のアルバムに手を伸ばすのを避けてたんですが、
う~ん、これはいいじゃないですか。
さすがに時を経た11年の制作は、プロダクションが目覚ましく向上しています。
しかも、この当時のセンバ回帰のトレンドを取り入れて、
アルバム前半は、すべてセンバで押していますよ。

オープニングは、マラヴォワふうビギンをミックスしたようなセンバ。
艶やかなヴァイオリンの響きがエレガントです。
そして2曲目以降、アコーディンをフィーチャーしたセンバ尽くしで、
ホーン・セクションなどもフィーチャーし、
打ち込みを使わない生演奏のリズム・セクションで、申し分のないサウンド。

ゲストがまた豪華で、大ヴェテランのボンガに始まり、
マティアス・ダマジオ、ユリ・ダ・クーニャなど、多数が参加しています。
「アンゴラ・モザンビーク」「マラベンタ」なんていう曲もあり、
リズムはセンバながら、マラベンタの影響をうかがわせるメロディが聞けます。

そして、中盤からするっとキゾンバに移る構成もうまいですね。
なかにはズークのニュアンスが濃いトラックもあり、
ラスト・トラックの‘Tonito’ は、完全にズークそのもの。
センバ~キゾンバ~ズークを横断する、アンゴラ・ポップ職人の手腕が光る一枚です。

YeYe "IMBAMBA" LS Produções no number (2011)
コメント(0) 

アンゴラ内戦時代のヴェテラン・シンガーの死を悼んで ゼカックス [南部アフリカ]

Zecax  AVÓ SARA.jpg

アンゴラ音楽連投第三弾は、ヴェテラン・シンガーの追悼作。

56年ルアンダ、バイロ・マルサルに生まれた
ゼカックスことジョゼ・アントニオ・ジャノタは、
長く内戦下にあったアンゴラ音楽の停滞時代に、
アンゴラ国内で歌手活動を続けたシンガーです。

キサンゲーラ、オス・メレンゲス、ディアマンテス・ネグロス、
ジョーヴェンス・ド・プレンダ、オス・キエゾスなどのバンドを渡り歩き、
30年を超すキャリアの末に初のソロ・アルバム制作に取り掛かるも、
持病の悪化により、完成を待つことなく12年12月に亡くなりました。
平和な時代に歌手活動ができていれば、何枚もソロ・アルバムを出していただろうに、
この時代を過ごしたアンゴラ国内の多くの音楽家同様、不遇な歌手でした。

本作は、そんなゼカックスの最初にして最後のレコーディング11曲を収めたディスクと、
もう1枚‘Memórias’ のサブ・タイトルで、
往年のヒット曲14曲を収めた2枚組となっています。
‘Memórias’ の14曲は、80年代録音が中心のようですけれど、
発表年やバンド名などのクレジットが一切ないのは、遺憾です。
追悼作なのだから、故人の功績を称えるためにも、きちんと載せるべきでした。

音を聞く限り、クロノロジカルに並べてあるようで、
初期のレパートリーにメレンゲが多いのは、オス・メレンゲス時代の録音でしょうか。
いずれの曲もホーン・セクションをフィーチャーしていて、聴きごたえがあります。
初期録音のホーン・セクションは、チューニングが甘かったりするんですけれど、
後年の録音ではビシッときまっていますね。
ジョーヴェンス・ド・プレンダ時代のヒット曲‘Makota Mami’ ‘Fim De Semana’や
オス・キエゾス時代のヒット曲‘Maximbombo’ なども収録されています。

そして新録のソロ・アルバム‘Avó Sara’ は、DJマニャのアレンジによる
新時代センバのサウンドに溢れた作品となっています。
新曲に交じって往年のヒット曲‘Fim De Semana’ も再演していて、
曲によりラテンやズークのアレンジが施され、
エレガントなキゾンバやボレーロもあり、カラフルなサウンドが楽しめます。

終盤のハイライトは、アンゴラ伝統音楽のパーカッション・グループ、
キトゥシがバックを務めた、2010年のカーニバル優勝曲‘Mulher Angolana’。
フィリープ・ムケンガ作のカーニバル・ソングで、
カズクータ(ルアンダのカーニバル・ダンス)が十八番の
ゼカックスにうってつけの選曲です。

そしてラスト・トラックは、オープニング・ナンバー‘Panxita’ のハウス・ミックスで、
クラブ世代の若者にもアピールしようという、ヴェテランの意気を感じますねえ。
生前に出せなかったのは、実に残念ですが、
ゼカックスのキャリアを総括した見事なアルバムです。

Zecax "AVÓ SARA" Xikote Produções no number (2013)
コメント(0) 

ウルトラ・モダンにしたチアンダを世界へ ガブリエル・チエマ [南部アフリカ]

Gabriel Tchiema  AZWLULA.jpg   Gabriel Tchiema  MUNGOLE.jpg

もう一人見つけたアンゴラの才能。
ガブリエル・チエマは、センバやキゾンバではなく、
チョクウェ人の音楽チアンダをベースにするシンガー・ソングライターです。

コンゴ民主共和国と国境を接する、アンゴラ内陸部のルンダ・スル州のダラで
66年に生まれ、18歳でFAPLA(アンゴラ解放人民軍)に入隊してからギターを覚え、
音楽を志したという経歴の持ち主。
兵役期間中に音楽祭で受賞するなどの功績が認められてプロのミュージシャンとなり、
90年の除隊後にソロ活動を開始し、98年に初アルバムを出します。
05年には、愛知万博(愛・地球博)で来日したそうです。

今回入手したのは、2作目の08年作と3作目の13年作。
まず2作目の“AZWLULA” を聴いて驚いたのは、その洗練された音楽性。
ジャズ系ミュージシャンを起用したスムースな演奏とメロウなサウンドは、
広くポップス・ファンにアピールする力があり、
これを世界に向けて売り出さないで、どうするよ、ホントに。

アレンジは、ルアンダ出身のピアニスト、ニノ・ジャズが全曲担当。
フィリープ・ムケンガとの仕事などでも知られる、
MPA(アンゴラのポップス)の若手プロデューサーとして活躍する人ですね。
チョクウェの伝統音楽であるチアンダの影を見つけるのが難しいほど、
ソフィスティケイトされた音楽に塗り替わっているものの、
南部アフリカらしいメロディには、ガブリエルのルーツがしっかりと刻印されています。

美しいボレーロの‘Salsa Pa Bó’ で、カーボ・ヴェルデ系シンガー・ソングライターの
ボーイ・ジェー・メンデスとデュエットしているほか、アフリカン・ネオ・ソウルと呼びたい
‘N´gunay’ の仕上がりにはトロけました。

3作目の“MUNGOLE” は、前作の路線を推し進めて、
さらにコンテンポラリー度をあげた作品となっています。
このアルバムでは、ニノ・ジャズのほか3人のアレンジャーを起用して、
ガブリエルのメロディ・メイカーとしての才能をうまく引き出していますね。
コンテンポラリーにしても、無国籍なサウンドになっていないことは、
ルンバの‘Itela’ が証明していますよ。

アフリカン・ポップスを意識せずとも聞くことのできるクオリティの高さは、
インターナショナルなマーケットで勝負すべき作品だよなあ。
アンゴラのミュージック・シーンのマーケティング力の弱さが残念でなりません。
ウルトラ・モダンにしたガブリエルのチアンダを、世界に向けて届けてほしいなあ。
リシャール・ボナのファンには、聞き逃さないでほしい人です。

Gabriel Tchiema "AZWLULA" Kriativa KR010 (2008)
Gabriel Tchiema "MUNGOLE" Nguimbi Produções GTCD03 (2013)
コメント(0) 

ゴールデン・エイジのセンバをアップデイトして レガリーゼ [南部アフリカ]

Legalize  MULUNDO.jpg

独立を目前に控えた植民地時代末期のアンゴラ音楽を受け継ぐ歌手を発見しました。
その人の名は、「合法化」という風変わりなステージ・ネームを持つ
レガリーゼこと、アントニオ・ドス・サントス・ネト。
アンゴラ独立宣言の2か月前、
75年9月7日、ルアンダのランゲル地区に生まれたレガリーゼは、
75年に暗殺されたソフィア・ローザに、77年のクーデター未遂事件によって粛清された
3人のセンバ歌手、ウルバーノ・デ・カストロ、ダヴィッド・ゼー、アルトゥール・ヌネスに
強く感化され、当時のセンバの作風を現代に継承しています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2015-04-16

幼いころから、ウルバーノ・デ・カストロやダヴィッド・ゼーなどのセンバを
週末のパーティで歌う、近所でも評判の歌の上手い少年で、
9歳の時、アンゴラにやってきたブラジルのサンバ歌手
マルチーニョ・ダ・ヴィラが、テレビ出演した番組を見て触発され、
自分でも曲を書くようになったといいます。

新天地を求めて91年にポルトガルに渡りますが、夢と現実のギャップは大きく、
レンガ職人の助手からレストランの皿洗いなど、さまざまな仕事を転々とした末、
00年にセンバレガエというレゲエ・バンドに拾われ、プロの歌手としてスタートします。
当時のポルトガルでは、ラスタ・ムーヴメントの「ファンカンバレガエ」がブームで、
センバレガエもそうしたバンドのひとつ。
のちにトロピカル・ルーツとバンド名を変えています。
アントニオ自身もボブ・マーリーが大好きになったそうですが、
ウルバーノ・デ・カストロの曲を歌うことも忘れてはおらず、
彼はそれを「レガエ・ネグロ」と称していました。

レガリーゼというステージ・ネームは、当時、不法移民を合法化するためのデモが
盛んに行われていて、友人たちから付けられたアダ名を気に入り、
そう名乗るようになったといいます。
03年に初のソロ・アルバムを出して、04年に帰国。
11年に出したキンブンド語で「山」を意味するタイトルのセカンド・アルバムが本作です。
なお、CDには2010年のクレジットがありますが、
じっさいのリリースは2011年だとのこと。

のっけから、あけっぴろげなレガリーゼの歌いっぷりに、胸アツ。
苦み走った声は、今日びの若手では出せない味ですねえ。
なるほど、ゴールデン・エイジのセンバを継ごうという熱い思いが、
そのヴォーカルからほとばしるのを実感させられます。

また、サウンドが嬉しいじゃないですか。全編生音重視のプロダクション。
アコーディオンの音色にディカンザが刻むリズム、
コンガのポ・ポ・ポ・ポ・ポと時折入れるアクセントは、まっこと正調センバの証し。
チャーミングな女性コーラスをフィーチャーしたり、
ズークの影響を感じさせるリズム・ギターのカッティングなど、
現代的にアップデイトされたセンバを、手を変え品を変え、楽しませてくれます。

10年前にこんな傑作が出ているのに、誰もレヴューしなければ、
ジャーナリズムも完全スルーのアンゴラのミュージック・シーン。
なんでこれほどのお宝の山をほっとくのか、気が知れないね、まったく。

Legalize "MULUNDO" LS Produções BMP033 (2010)
コメント(0) 

クラブ・ミュージックからトラップへ タッシャ・レイス [ブラジル]

Tássia Reis  PRÓSPERA.jpg

うわぁ、スタイリッシュですねえ。
ブラジルで話題となっている、
フィメール・ラッパー、タッシャ・レイスの3作目となる新作。
聴き始めたら、もうワクワクが止まりません!

14年にデビューEP、16年にセカンドを出しているそうで、
今作で初めてタッシャを聴きましたが、キュートなラッパーじゃないですか。
ソフトな声質を生かしたスムースなフロウ使いは、
この夏ゾッコンとなったジェネイ・アイコとも親和性を感じさせ、グッときちゃいました。
ラップばかりでなく、ヒップ・ホップR&Bシンガーとしても魅力的な人です。
ローリン・ヒルやエリカ・バドゥに影響を受けたというのもナットクですね。

そして、なんといっても聴きものなのが、プロダクションです。
すぐに連想されるのが、2000年代に一大ブームを巻き起こしたトラーマ。
マックス・ジ・カストロ、ウィルソン・シモニーニャ、DJパチーフィあたりが
人気沸騰だった時代を、思い出させるじゃないですか。
ハウスやドラムンベースなどのクラブ・ミュージックをベースにした新世代MPBを
クリエイトしていたトラーマが、現代に更新されて蘇ったのを感じさせます。

更新されたのは、クラブ・ミュージックからトラップへと変化したビート・センスでしょう。
‘Dollar Euro’ のビートメイキングが、それを象徴していますね。
テンポの遅いドラッギーなビートに、重厚なベース・ラインが絡むトラックの上で、
タッシャが高いスキルを示すラップを聞かせるトラックですけれど、
バックでゆったりと鳴る金属的な響きが、まるでガムランのようで、
トーパティ・エスノミッションのメンバーに聞かせたくなりますねえ。

トラーマのアーティストたちがクラブ・ミュージックをベースにしていたように、
タッシャの世代がトラップをベースとするのは、
進化し続けるヒップ・ホップの流行を反映した、当然の帰結。
その一方、タイトル・トラックの‘Próspera’ では、
レイ・チャールズのような60年代ソウルから、
プリンスやディアンジェロまでが、シームレスに繋がっているのを感じさせ、圧巻です。

さらに、ジャズのセンスがあるのも、タッシャの強みですね。
デビュー・シングルは‘Rapjazz’ というタイトルだったそうですけれど、
ジャジー・ヒップ・ホップの‘Try’ のスキャットを組み合わせたフロウなど、実に鮮やか。
‘Ansiejazz’ では、ネオ・ソウルとミックスした、
いかにもイマドキなジャジー・ヒップ・ホップを聞かせます。

そうしたヒップ・ホップ世代にも、サンバが底層にあるのは、やはりブラジル人ゆえ。
クララ・ヌネスやパウリーニョ・ダ・ヴィオラからの影響を言うとおり、
‘Amora’ ではカヴァキーニョやパンデイロのリズムにのせて、
さらりとサンバをやるパートも交えて、サンバ・ソウルを歌います。
歌ごころ溢れるセンスは、トラーマ世代から変わらない、
ブラジル産ヒップ・ホップの良さであり、強みですね。

Tássia Reis "PRÓSPERA" MCK MCKPAC0349 (2019)
コメント(2) 

世界に知られるべきギネア=ビサウの才媛 カリナ・ゴメス [西アフリカ]

Karyna Gomes.jpg

わぁ、やっと見つかりました。
ギネア=ビサウの新進女性シンガー・ソングライター、カリナ・ゴメスのデビュー作。
エネイダ・マルタの新作でカリナの曲が起用され、その時にちょっと話題にした人です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-01-10

カリナ・ゴメスはギネア=ビサウ独立2年後の76年、
ギネア=ビサウ人の父とカーボ・ヴェルデ人の母のもと、ビサウに生まれました。
ビサウには大学がなく、大学教育を受けるため、奨学金を得てブラジルへと渡ったんですね。
ブラジルで5年間滞在する間に、サン・パウロの教会でクワイアに参加したことが、
音楽の道に足を踏み入れるきっかけとなったそうです。

大学ではジャーナリズムを学び、学位取得後、07年にギネア=ビサウへ帰国すると、
AP通信の特派員、ラジオ局員、ユニセフの報道官などを経験したとのこと。
その一方、レストランで歌うなど、音楽活動も並行していたようで、
ギネア=ビサウの歴史的な名門バンド、スーパー・ママ・ジョンボの元バンドリーダー、
アドリアーノ・ゴメス・フェレイラに誘われて
スーパー・ママ・ジョンボに加入したのを機に、本格的なプロ活動に転じたようです。

そして、14年にリスボンでレコーディングしたデビュー作が本作。
冒頭、サルサ・タッチのアレンジの‘Baluris Torkiadu’ から、ウナりましたよ。
イナセなアコーディオンをフィーチャーした生演奏主体のプロダクションにのせた、
カリナの柔らかく穏やかな歌いぶりが、もう絶妙。
ウチコミを排したプロダクションはデリケイトの極致で、
この演奏のアーバンな洗練度合いは、リシャール・ボナ級でしょう。

3曲目のグンベーなんて、現代アフロ・ポップ最高のクオリティじゃないですか。
プロデュース、アレンジは、鍵盤奏者のパウロ・ボルジェス。
ギネア=ビサウの才人マネーカス・コスタもギター、ベースで参加しています。
極上のハワイ音楽を聴いているかのような‘Mindjer I Mamê’ や、
コラの美しい音色を生かした‘Mindjer di Balur’ など、珠玉の仕上がりと言いたいですね。
デビュー当初のロキア・トラオレを思わす知性と、
アフリカ新世代のみずみずしさをあわせ持った才能が生み出す、
インティメイトな親しみある音楽の質感に、感じ入りました。

前半はカリナの自作曲が続きますが、中盤から名門バンド、
スーパー・ママ・ジョンボのオリジナル・メンバーのゼー・マネール・フォルテスの曲や、
カリナを見出したアドリアーノ・ゴメス・フェレイラの曲に、
70年代のギネア=ビサウを代表するバンド、コビアナ・ジャズの創立者
ジョゼー・カルロス・シュヴァルツの曲が登場します。
それらの曲のなかには、詩人のエミリオ・リマや、
コビアナ・ジャズのメンバー、エルネスト・ダボーがゲスト参加しています。

終盤の聴きどころは、
ギネア=ビサウの伝統的なマンジュアンダディを歌った‘Nha Cunhada’。
マンジュアンダディはギネア=ビサウの女性たちが伝承してきた音楽で、
女性たちによる伝統的な互助グループを指す名前でもあります。

ギネア=ビサウのポピュラー音楽第一世代から引き継いだ音楽性と
レパートリーを活用しながら、ギネア=ビサウ女性のアイデンティティを発揮しつつ、
現代的な感性を生かした本作、デビュー作にして見事な傑作です。

惜しむらくというより、遺憾千万なのは、
インターナショナルなマーケットにまったく流通していないこと。
ゲット!レコーズのカタログには、
グローバルに知られるべき素晴らしい作品が並んでいるのに、
これが知られずに埋もれているのは、腹立たしい限りです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-01-29
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-01-18

Karyna Gomes "MINDJER" Get!Records GET00002/14 (2014)
コメント(0)