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ファドの道を歩む ジョアナ・アメンドエイラ [南ヨーロッパ]

Joana Amendoeira  MUITO DEPOIS.jpg

第一声で撃沈。
横隔膜を上下に動かし、たっぷりとした声量で発声するその歌声。
毎度のことながら、ほれぼれとさせられますね、ジョアナの歌いぶりには。

新作が常に最高作。
そんな快進撃を続けられる歌手って、そうそうはいませんよ。
すごいですよ、ジョアナ・アメンドイラがファドの音楽性を磨き上げようとする、その姿勢。
イチローと比較したくなってしまう、まさに「努力の人」じゃないですか。
周囲に惑わされず、我が道を歩むことに努力を惜しまない、
迷いなき音楽家の姿を見る思いがします。

前作から4年。
アマリア・ロドリゲス直系の伝統ファドの歌い手として、
新しいファドのスタイルを模索しながら、地道に自分のファドを磨き上げてきたジョアナが、
じっくりと時間をかけて、またも素晴らしいアルバムを送り出してくれました。

今作は、劇作家で作詞家のティアゴ・トレス・ダ・シルヴァの書き下ろし作品を歌っていて、
プロデュースもティアゴが務めています。
解説によれば、ティアゴはアマリア・ロドリゲスを題材にしたミュージカルをきっかけに
ファドを書くようになった人だそうで、マリア・ベターニャ、エルバ・ラマーリョ、
ネイ・マトグロッソ、ダニエラ・メルクリといったブラジルの歌手にも詞を提供しているそうです。
ぼくの大好きなサンバ作家、マルコス・サクラメントと共作しているのは、嬉しかったな。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-11-05

伝統ファドの特徴を生かした、音程が大きく上がり下がりする“Lisboa Da Madrugada” もあれば、
ピアノをメインにしたモダンなアレンジの“O Avesso Do Destino” もあるという、
ファドの基本を押さえながら、無理なく現代性を加味したレパートリー。
そしてジョアナの歌いぶりは、古風なファドの色を保ちながら、軽やかに歌っています。

伴奏は、ジョアナのお兄さんのペドロ・アメンドエイラのギターラに、
ヴィオーラのロジェーリオ・フェレイラのいつものメンバーで、息もぴったり。
イントロなしで歌い出すアルバム冒頭から、
ジョアナのヴォーカルの魅力を最大限に発揮した録音の良さも申し分ありません。
全ヴォーカル・ファンにおすすめしたい、珠玉の傑作です。

Joana Amendoeira "MUITO DEPOIS” CNM CNM533CD (2016)
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イベリアン・パーカッション・オーケストラ コエトゥス [南ヨーロッパ]

Coetus ENTRE TIERRAS.jpg

パーカッション・ミュージック・ファンにはたまらない、スペインのグループを見つけました。
といっても、スペイン音楽ファンならとっくにご存知でしょうけれど、
初のイベリアン・パーカッション・オーケストラを自称するという、コエトゥス。
スペインのタンバリン、パンデレータをはじめ、
イベリア半島各地のパーカッションを総合化しようという野心的な試みのもと、
アレイクス・トビアスが編成したオーケストラで、
12年の2作目を聴いて、すっかりファンになりました。

アレイクス・トビアスは、カタルーニャ民謡を現代化するグループ、
チャルパのパーカッショニストとして知られていますけれど、
自身が率いる20名近いメンバーを擁するオーケストラでは、
カタルーニャにとどまらず、イベリア半島全域を見据えたところが大胆です。

ライナーの歌詞カードには、各曲小さなスペインの地図が書かれていて、
その曲が歌われている地域に赤丸が付けられているんですが、
それを見ると、イベリア半島の各地から伝承曲が選ばれていることがわかります。
イベリア半島から遠くカナリア諸島の歌もあれば、
イベリア半島以外では、ベネズエラのシモン・ディアスの曲も取り上げられています。

演奏は、腹に響く重低音のパーカッションを押し出しながら、
伝承曲ごとにカラフルな伴奏が付けられています。
カタルーニャのダンス・チューン、サルダーナでは、ダブル・リードのティブレとテノーラが使われ、
ノイジーなビリビリ音で気分を盛り上げるほか、シンティールやベンディールをフィーチャーした
マグレブ・アラブ色濃厚な曲もありますよ。
鳥の音や風のざわめきなどの効果音を打楽器で出したりと、
演奏の手法はフォークロアな作法に従ったオーセンティックなものではなく、
イマジネイションに富んだアイディアがふんだんに使われているところに感心しました。

またフィーチャーされているシンガーが魅力的で、
ジュディット・ネッデルマンという若い女性シンガーにホレました。
太鼓の響きを浴びて、透き通る清涼感あふれる声が、まばゆいですね。
今話題のシルビア・ペレス・クルースも1曲参加しているんですが、
ぼくはジュディットの方に、好感を持ちました。
一方、ヴェテランのトラッド・シンガーのエリセオ・パラは、安定感のある歌声を聞かせていて、
太鼓中心ではない、歌ものとしての伝承曲の魅力を全開にしています。

Coetus "ENTRE TIERRAS" Temps TR1284GE12 (2012)
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タランテッラの南欧ミクスチャー カラシマ [南ヨーロッパ]

Kalascm.jpg

サイケデリック・トランス・タランテッラ! かっちょいいー。
このタイトルに、ジャケットがケーブルの繋がったパンデレータときちゃあ、
聴かないわけにはいかないでしょう。

南イタリア、サレント地方出身の6人組グループのカラシマ。
アルバムはこれが2作目だそうですけれど、すでに15年以上の活動経歴を持ち、
イタリア内外で活発にコンサートを展開しているとのこと。
海外の音楽フェスやイヴェントにもひっぱりだこのようです。

調べてみたら、なんと昨年の6月に来日していて、
東京、大阪、博多でコンサートをやっていたんですね。
イタリア文化会館主催の無料コンサートだったそうで、うわー、残念、観たかったなあ。

エレクトロ仕立てのギンギンのタランテッラが飛び出してくるのかと、
いささか身構えていたら、想像していたようなクラブ仕様のサウンドではなく、
生演奏主体のアクースティックなサウンドとなっていて、ほっ。
サイケデリックでもなければ、さほどトランシーでもなく、
タイトルに偽りありな仕上がりは、むしろぼく好みのサウンドといえます。

トラッドなタランテッラをベースとしながら、
バルカン音楽やクレズマー、アイルランド音楽の要素を取り入れた
ミクスチャー・サウンドを作り出していて、エレクトロな要素は味付け程度となっています。

タイトルどおり、タランテッラのトランシーな部分に着目して、
打楽器とコーラスのコール・アンド・レスポンスに電子音楽的な処理をしてみても、
面白い作品ができそうですけれど、このグループの個性は、ミクスチャーの方にあるようです。
レパートリーもダンサブルなタランテッラばかりでなく、歌曲もあり、
曲ごと多彩なゲストを迎え、カラフルな南欧ミクスチャー・サウンドを楽しませてくれます。

Kalàscima "PSYCHEDELIC TRANCE TARANTELLA" Ponderosa Music & Art CD126 (2014)
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アマリア・ロドリゲスの妹 セレステ・ロドリゲス [南ヨーロッパ]

Celeste Rodrigues.jpg

自称マリア・テレーザ・デ・ノローニャ・ファンのぼくではありますが、
ライスから発売された52年の初アルバムのリイシュー『ファドの淑女』は、
購入を見合わせてしまいました。
かつてリリースされた4枚組CDブックにほぼ全曲が収録されているので、
未収録の2曲だけのために、手を伸ばす気にはなれなかったんですよ。
4枚組CDブックをお持ちでない方には、もちろんぜったいオススメのCDですけどね。
オリジナル盤のジャケット・デザインでも採用していたら、買ったんだけどなあ。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-11-27

そのかわりといってはなんですが、
同シリーズで出たアマリア・ロドリゲスの妹、セレステ・ロドリゲスのCDの方を買いました。
Patrimônio (遺産)と名付けられた、ポルトガルCNMによるファドの名歌手のこのシリーズ、
6年も前に出ていたんですね。気付きませんでした。

今年で92歳になるという、セレステ・ロドリゲス。
今も現役でファド・ハウスで歌っているっていうんだから、凄いですね。現役最高齢でしょうか。
セレステ・ロドリゲスのレコードはあまり出ていなくて、
ぼくもCDを1枚しか持っていなかったので、このCDには飛びついちゃいました。
新旧録音がごたまぜのベスト盤などでなく、
55年と58年の録音(発表年?)でまとめた構成が嬉しいですね。

さすがに実の姉妹だけあって、アマリアと顔立ちがよく似ているセレスチですけれど、
歌の方はお姉さんのような凄みはなく、軽やかでキュートな歌い口が持ち味。
さらにファドばかりでなく、カーニヴァルのマルシャも聞けるのが、このCDの香ばしいところ。
アコーディオンをフィーチャーしたコンジュントやオーケストラをバックに、
男女コーラスも伴って歌われるマルシャやヴァルサは、とても新鮮です。
のびのび歌うセレステもハツラツとしていて、気持ちよさそう。

アルバム・ラストが、これまた聴きものなんですねえ。
アマリアの名唱で知られる“Uma Casa Portuguesa”のライヴ録音です。
がやがやとした、いかにもファドハウスらしいくだけた雰囲気のなかで演奏が始まり、
コーラス部ではお客さん全員が歌うという親密さは、リスボンの下町にスリップするかのよう。
途中で思わずセレステも笑い出す一幕もあって、なんともいい雰囲気。
素晴らしい聴後感を残す、とても充実した内容の名盤。末永く愛聴できそうです。

Celeste Rodrigues "CELESTE RODRIGUES" CNM CNM221CD
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フラメンコから大西洋を臨む ラウル・ロドリゲス [南ヨーロッパ]

Raúl Rodríguez.jpg

もう1冊届いた本が、トレス・フラメンコという初めて聴く音楽でした。

名門セビージャ大学で歴史学、文化人類学、地政学を学んだラウル・ロドリゲスは、
文化人類学者でもあるという学研肌の音楽家。
90年代にフラメンコ・ファンク・ロック・バンドでプロ入りしたという経歴も異色ですけれど、
なんといってもビックリなのは、母親があのマルティリオだということ。

セビジャーナス歌手のなかでも異色中の異色として、ご記憶の方も多いですよね。
歌詞の主人公になりきった扮装で、ミュージカルのように歌うのを得意としていた人です。
エキセントリックなコスプレの俗悪趣味で、大衆音楽の一面をよく表した人でもありましたが、
その息子がこんな学究肌の体質の音楽家に育つのだから、世間は面白いもんです。

フラメンコのルーツを掘り下げて、アラブ、インドなどの東方へ目を向けた音楽家に
エル・レブリハーノがいましたけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2010-12-20
逆に大西洋へと目をつけたところが、ラウルの本作の白眉といえます。
ヨーロッパから渡った舞曲が、カリブや中南米で新たなスタイルとして生まれ変わったことを、
スペインの側から見直して、アンダルシア音楽文化の遺産を新たに掘り起こそうとしたんですね。

そんな試みを、ラウルはトレス・フラメンコという楽器を弾いて、見事に結実させました。
トレス・フラメンコとは、キューバのトレスをもとに、フラメンコも演奏できるように
ラウルが改造した楽器で、フラメンコとキューバのソンを鮮やかに融合させています。
クーロと呼ばれる、アンダルシアからハバナに渡った自由黒人やムラートたちの音楽を
想像して作った曲など、ラウルが20年に渡って探究してきた成果が、
きちんと血肉化して音楽の筋肉となっているところが頼もしいですね。

壮大な歴史学的なテーマを扱いながら、肉体感に富んだ豊かな音楽が、ここにはあります。

Raúl Rodríguez "RAZÓN DE SON" Fol Música 100FOL1079 (2014)
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トリキティシャとパンデイロ ケパ・フンケラ&ソルギニャク [南ヨーロッパ]

Kepa Junkera & Sorginak.jpg

本が2冊届きました。
といっても、オーダーしたのはCDなんだけど。
いったいこりゃどうしたことかと、荷物の包みをびりびりと開けて、口あんぐり。

ケパ・フンケラの新作は、152ページにも及ぶずっしりとしたハードカヴァーの本で、
こうなるともはや、本とCDのどちらが主役だかわからなくなるほど。
本の表紙を含め、ケパが写る写真には遠近感を失うトリッキーな合成が施され、
貴重な歴史的写真とともに、目を奪われます。
膨大なスペイン語のテキストは、ぼくにはまったく歯が立たないので、
日本盤解説の高橋めぐみさんの抄訳が頼りになります。

バスク音楽を代表するトリキティシャ奏者のケパ・フンケラは、86年ソロ・デビュー以来、
意欲的なアルバム制作を続けていることは、ファンにはよく知られているとおり。
毎回異なるアプローチで、コンセプチュアルな作品づくりをしている
ケパの創作意欲には、頭の下がる思いがします。
その力作ぶりに圧倒されてしまい、どちらかといえばシンプルな編成で制作した
11年の“ULTRAMARINOS & COLONIALES” のような作品に愛着をおぼえるぼくですけれど、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2011-12-05
『トリキティシャの小さな歴史』と題した今作も、とても親しみやすい作品に仕上がっています。

今回の目玉は、十代の女のコたち7人組のコーラス・グループ、ソルギニャク。
パンデイロを叩きながら、地声で歌う彼女たちのすっぴんヴォーカルが、すごくフレッシュです。
こういう飾り気のない女の子の歌って、ほんといいなあ。
テレビなんかから流れてくる、AKBやらなんやらのアイドル声が生理的に受け付けられないので、
こういう声を聴くと、ほっとします。

軽快なリズムにのせ、縦横無尽にトリキティシャを奏でるケパの演奏は、
バスク音楽が持つリズムとメロデイを純度高く結晶させたもの。
伝統を背負い民俗的な音楽を芸術にまで昇華したケパの音楽は、
大衆的と呼ぶにはあまりに崇高で美しく、
それでいながらチャーミングな魅力で、人を惹きつけてやみません。
う~ん、このメンバーで来日してくれないかなあ。

Kepa Junkera & Sorginak "TRIKITIXAREN HISTORIA TXIKI BAT"  Fol Música 100FOL1082 (2014)
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ポルトガルのキャンディー・ポップ ロジーニャ [南ヨーロッパ]

Rosinha  EU CHUPO.jpg

うはぁ、こりゃ楽しいですねえ。
全編アコーディオンが軽快なリズムを弾ませる、ほがらかなダンス・ミュージック。
パーティのBGMにぴったりな、小難しさ皆無の、陽気なポップスです。
クンビア、フォロー、メレンゲなんでもありの歌謡ポップで、
ポルトガル語で歌っているからブラジル人とばかり思ったら、なんとこの人、ポルトガル人。
へぇー、ポルトガルのブレーガってわけかぁ。

ロジーニャは、71年生まれのアコーディオン弾きにして女性歌手。
これまで5枚のアルバムをリリースしていて、
ジャケットはいずれもアイドル歌謡仕様というか、ブレーガ丸出し。
本作は10年に出た4作目のアルバムで、
キャンディーをコラージュしたデザインは、コマーシャルそのもの。
タイトル曲は、菓子メーカーのタイアップ曲なんでしょうかね。
キャッチーなメロディが、いかにもコマソンぽくも感じますけれど、
これぞキャンディー・ポップ、なんてベタなことを言ったりして。

YouTubeを見てみると、小柄なロジーニャがボタン・アコーディオンを弾きながら、
石畳の広場で楽しそうに歌っていました。庶民的な雰囲気いっぱいのヴィデオで、
のびのびとてらいなくアコーディオンを弾き歌うロジーニャの歌いっぷりが胸をすきます。
ブレーガなんて、正直まともに相手をする気もしない音楽ですけど、
芸人気質のエンタメ精神と突き抜けたポップ感覚は、そうバカにしたものでもありませんね。

Rosinha "EU CHUPO" Vivadisco 11.80.9078 (2010)
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アフロピアン・ジャズ・ヴォーカリストの新星 カルメン・ソウザ [南ヨーロッパ]

20131007_Carmen Souza.JPG

うふっ♡ いいもん観ちゃったなあ。
カーボ・ヴェルデ人両親を持つリスボン生まれのポルトガル人ジャズ・ヴォーカリスト、
カルメン・ソウザ。10月7日、丸の内・コットンクラブ、セカンド・ショウ。

カーボ・ヴェルデというキーワードで、昔この人のCDを聴いてみたものの、
予期せずジャズ色が強く、こりゃぼく向きの人じゃないなあと思ってたんですけどね。
昨年出た“KACHUPADA” は、クセの強い歌い方にまだ抵抗を感じるものの、
アコーディオン入りのミュゼット・ジャズふうの伴奏でバップ・ヴォーカリーズを披露した、
チャーリー・パーカーの“Donna Lee” の新鮮な解釈に惹き付けられました。

ほかにも、ブラジルのショーロ曲でデ・カストロとミルトン・サントス作の“Ivanira” を取り上げ、
アデミルジ・フォンセカばりのショーロ・ヴォーカルを聞かせたり、
カルメンのお父さんによるギター伴奏の小品“Origem” に続く、
ギターとベースのシンプルな伴奏で歌った“6 On Na Tarrafal” では、
カーボ・ヴェルデ音楽のモルナを真正面から取り上げ、伝統スタイルで歌っています。

器楽的なヴォーカリーズやスキャットを学び取ったうえで、
カーボ・ヴェルデやブラジルなどのポルトガル語圏音楽を柔軟に吸収した音楽性は、
ジューサなどとも通じるハイブリッドなセンスを横溢していて、
少し気になる存在へと変わったんでした。

で、ライヴはどんなもんなんでしょと、期待と不安ないまぜで足を運んだんですが、
ご本人のナマ声は、CDで聴く以上に軽やかでしなやか。
CDではべらぼうに上手すぎて、作為的に思えたヴォーカル・パフォーマンスも、
この人のナチュラルな表現なんだなあということがわかりました。
カルメンと同じカーボ・ベルデ系ポルトガル人のサラ・タヴァレス、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2009-08-03
先日来日したばかりのナンシー・ヴィエイラと、
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-08-04
それぞれ音楽性は異なるものの、
海洋性を感じさせるクレオールらしい音楽性は、3人に共通する資質ですね。

カルメンは小型ギターやエレクトリック・ピアノを弾きながら歌い、
バンドはロンドン出身のピアニストに、カホンに座りボンゴやカウベルもセットしたドラム・セットで、
パーカッション的なドラミングを聞かせるモザンビーク人ドラマーに、
エレクトリックとアクースティックの両刀使いのポルトガル人ベーシストのテオ・パスカル。
テオ・パスカルはカルメンのプロデューサーで、もう12年のコンビだとMCで言ってました。

「ドナ・リー」を取り上げたのは、ジャコ・パストリアスの影響をうかがわせる
テオ・パスカルのアイディアかなとも思わせましたけど、
ジョン・コルトレーンの「マイ・フェバリット・シングス」や、
ホレス・シルヴァーの「ソング・フォー・マイ・ファザー」を歌うところは、
やはりこの人が器楽的なジャズ・ヴォーカリストだという証明なんでしょうね。

一方で、観客にリフレインを歌わせ、アンコールでは客を立たせて踊らせた
南部アフリカ調の“Afrika” など、アフリカ性を浮き彫りにした曲も披露し、
アフロピアンとして生まれ変わったベティ・カーターを目撃したような一夜だったのでした。

Carmen Souza "KACHUPADA" Galileo GMC053 (2012)
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みずみずしさ溢れる伝統ファド ジョアナ・アメンドエイラ [南ヨーロッパ]

Joana Amendoeira  AMOR MAIS PERFEITO.JPG

そのうち日本でもライスから解説付きで出るからと待っていた、
マイ・フェバリット・ファド・シンガー、ジョアナ・アメンドエイラの去年秋に出た新作。
いつまで経ってもリリースされる気配がないので、しびれを切らしてポルトガルにオーダー。

ジョアナの10年の前作“SETIMO FADO” は、ピアノやアコーディオンを加え、
新世代ファドとしての試みを凝らした作品となっていましたけれど、
ジョアナの良さはなんといっても、伝統ファドにしっかりと軸足を置いているところ。
新世代の試みといっても、伝統ファドから大きく離れて、
ポップスに色気を出すようなことは、この人に限ってはありません。
アマリア・ロドリゲス亡き後の伝統ファドの継承者であることを、
ジョアナははっきり自覚しています。

新作は副題にあるとおり、ジョゼー・フォンテス・ローシャのトリビュート集。
新機軸はいったんお休みで、伝統ファドに回帰した作品となっています。
ギターラ(ポルトガル・ギター)奏者で作曲家のジョゼー・フォンテス・ローシャは、
ラウール・ネリの後をついでアマリア・ロドリゲスの伴奏を務めた人。
名作“COM QUE VOZ” でギターラを弾いたのもこのフォンテス・ローシャで、
当時はモダン派と呼ばれたものでした。

そんなモダンな作風を持ったフォンテス・ローシャの曲集といっても、
こうして今聴くと、古風なメロディをたたえた伝統ファドの味わいを強く感じます。
フォンテス・ローシャは、ジョアナの05年ライヴ作“AO VIVO EM LISBOA” に
特別ゲストとして参加したことがあり、フォンテス・ローシャの曲2曲での共演は、
あのライヴのハイライトとなっていましたね。

そんな縁もあって、11年に亡くなったフォンテス・ローシャを追悼する思いで、
ジョアナはこの企画に臨んだんじゃないでしょうか。
ジョアナの歌いぶりはますます円熟味を増していて、
いまや大歌手としての風格すら感じさせるようになっています。
その一方で、みずみずしさを失わないのもこの人のよさ。
口の中で柔らかに膨らむ発声が、無理なくファドのダイナミクスを表現していて、
1曲目の歌い出しからホレボレとしてしまいました。

伝統ファドの歌い手として、新しい試みに取り組みながらも、
時にはオーセンティックな伝統ファドに立ち戻りながら、
一歩一歩前進しているジョアナ・アメンドエイラ。
その確かな足どりは、間違いなくファド新世代の先頭を歩んでいます。

Joana Amendoeira "AMOR MAIS PERFEITO : TRIBUTO A JOSÉ FONTES ROCHA” CNM CNM419CD (2012)
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50年代後半のアマリア・ロドリゲス [南ヨーロッパ]

Amalia Rodriguez  ANTOLOGIA.JPG

アマリア・ロドリゲス全キャリアの中で、ゆいいつ未CD化の空白期間だった50年代後半の録音を、
まとめて100曲復刻した4枚組アルバムがリリースされました。
最近はやりのライノの廉価版ボックス同様、紙パックに4枚の紙ジャケを収めた仕様で、
CD1枚と変わらない価格設定という値打ちもんに、即飛びついちゃいました。

アマリアが62年以降リリースした数多くのLPは、これまで何度も再発されているし、
デビュー録音の45年のブラジル、リオ・デ・ジャネイロ録音16曲は、
95年にポルトガルEMIがCD化しています。
初期の録音は長い間未復刻のままでしたけれど、
07年にCNMが46~54年録音を5枚のCDに分けて復刻しました。
今回セヴン・ミューゼス・ミュージックブックスという
ポルトガルのレコード会社が復刻した100曲は、これに続く録音時期のリイシューとなるわけです。

ただ、最初に不満を言っておくと、CNMが5枚のCDで復刻した時と同じで、
収録が録音順ではなく、あまり意味があるとも思えないテーマ別編集となっていること。
これじゃあ、アマリアの歌の成長ぶりを録音順に味わいたいと思っても不可能。
録音年などのデータの記載もないので、リッピングして並べ替えることもできません。
ゆいいつマルPマークで年号が曲名のあとに表示されているので、
録音年と一致するかどうかはわかりませんが、おおよその録音年は類推できますけれども。

あ~あ、やってくれるよなあ、ポルトガル人。
どうして国を代表する大歌手の音楽遺産に対して、こういう仕打ちをするんですかねえ。
前のCNMが出した5枚のCDは、
オフィス・サンビーニャが付けてくれた田中勝則さんの詳細な解説のおかげで、
リッピングして録音順に並べ直して聴くこともできたんですけれども。

とまあ、編集は大不満なわけですが、中身は聴きどころ満載ですよ。
なんたって、アマリア・ロドリゲスが円熟に向かう絶頂期ですからねえ。
“Foi Deus (神様)” “Ai Mouraria (アイ・モウラリア)”
“Noite De Santo Antonio (サント・アントニオの夜)”
“Fado Dos Fados (ファドの中のファド)”
などの初期代表曲の再演ヴァージョンでは、ぐっと成熟した歌いぶりが味わえます。

また面白かったのが、映画の挿入歌らしきフランス語で歌った曲。
これがアマリアにしては珍しく、フランス語の発音がうまくコブシにのらず、
歌いにくそうにしているのがよくわかるんですね。
上手くないアマリアの歌が聴けるっていうのも珍しいというか、
聴いててハラハラすることなんて、アマリアにはめったにないこと。
歌いぶりにホレボレとして、のめりこむように耳が吸い寄せられるのが
アマリアのファドと、相場がきまってますからねえ。
フランス語のリズムとファドの相性がよくないという、証明かもしれません。
反対に、スペイン語で歌った曲のノリは、ばっちりですね。

また、ドリヴァル・カイーミの“Saudade De Itapoã (イタポアーンの思い出)”
を歌っているのも驚き。
アマリアは声を張って歌うものの、案外歌の表情は淡々としていて、
カイーミが歌うようなドラマを表現できておらず、この仕上がりはちょっと期待はずれ。
アマリアが初期に歌ったブラジルの曲では、ジェラルド・ペレイラ作の名曲サンバ
“Falsa Baiana (偽りのバイーア女)” があるんですけど、これはいまだに未復刻。
いつの日にか聴いてみたいもんですねえ。

あと、このボックスには56年のライヴ“AMÁLIA NO OLYMPIA” 全曲も収録されています。
不満はもろもろあるものの、ここでしか聴けない音源の数々、ファンならやはり買いでしょう。
特別限定版とあるので、初回プレスのみで売り切れ御免となること必至。お見逃し無く。

Amália Rodrigues "ANTOLOGIA" Seven Muses Musicbooks SM001
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毒にもクスリにもならない歌 ウシーア [南ヨーロッパ]

Uxia  Meu Canto.JPG

試聴サンプルを十数秒聴いただけで、ピンときました。
ウシーアがどこの誰かも知らぬまま、直感でオーダーしたんですが、
届いた最新作をじっくり聴いてみて、いっぺんでファンになってしまいました。

ウシーアは、スペイン、ガリシアを代表する女性シンガーとのこと。
いやあ、いい歌い手ですねえ。
その声を聴いているだけで、もう涙が出てきそうなくらいで、
こういう素直に心になじむ歌を歌える人が、ぼくはほんとに好きです。

去年のベスト10で、「気取った音楽や俗悪ぶった音楽はもうたくさん」と口走りましたが、
歌で何かを主張するような<クスリ>になるアーティスティックな歌も、
<毒>のある俗悪ぶった歌も、うっとうしいだけなんですよ。
ぼくが聴きたいのは、あらためて考えてみればたわいもないような、そんな歌。
いっそ歌詞のないオノマトペで歌ってくれたら、どれほどスッキリするかてなもんです。

けっきょくぼくは、<毒にもクスリにもならない>歌が好きなんですね。
<毒にもクスリにもならない>とは、もちろんホメ言葉であって、
かつてミゲリート・バルデースが
「つまらない曲を歌いたい」と発言していたことを思い出します。
虚構を異化したドラマ性を曲に込めて歌う、まさにミゲリートならではのセリフですけど、
歌謡というものの真髄がそこにありますね。

えーと、ちょっと話がそれちゃいましたけど、
ウシーアも自意識をひけらかさないタイプの、
<毒にもクスリにもならない>歌を歌える人で、
お母さんの子守唄のようなあったかさイッパイの歌に、
安心して身を預けることができます。

本作は、マリア・ベターニャのギタリスト、
ジャイミ・アレンをプロデューサーに迎えたブラジル録音。
音数をぎりぎりに絞った伴奏は、
ウシーアの歌を引き立てるためだけに奉仕しているかのようで、
アコーディオン、ヴィオーラ・カイピーラ、マンドリナ、
パンデイレッタなどのみずみずしい響きが、
ウシーアの円熟した歌を包み込んでいて、まさに歌と伴奏の理想型が示されています。

自作曲やガリシア民謡のほか、ジョゼ・アフォンソのコインブラ・ファドや
ジョアン・ノゲイラのサンバを歌っていて、
ジョゼ・アフォンソの曲の最後には、カルトーラの歌詞も引用しています。
レニーニが1曲ゲストで参加しているですけど、
こんな穏やかなお父さん声で歌うレニーニは初めて聴きました。

キューバのフィーリンやブラジルの70年代MPBにも通じる、
親しみやすいコンテンポラリー・ポップスにして極上の歌謡音楽が、ここにあります。

Uxía "MEU CANTO" Fol Música 100FOL1052 (2011)
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新旧が融合する都市ビルバオで ケパ・フンケラ [南ヨーロッパ]

Kepa Junkera  Ultramarinos & Coloniales.JPG

スペイン、バスク州ビスカヤ県の県都ビルバオは、
歴史的な旧市街と近未来的な建造物の新市街が見事に融合された都市と聞きます。
古くからの絵画好きにとっては、ビルバオ美術館でなじみのある地名で、
97年にグッゲンハイム美術館がオープンしたこともあって、
一度は行ってみたいなあと思っているんですけれども。

そんなビルバオのミュージシャンたちと制作したケパ・フンケラの新作が届きました。
ここのところ、世界各地のミュージシャンとのコラボが続いていたケパですけれど、
地元バスクの地に戻ってきた新作は、豪華ゲストの大作続きだった近作とがらり変わって、
ケパのトリキティシャ(ダイアトニック・アコーディオン)に、
ベース、ドラムス、キーボード、チャラパルタ兼パーカッション二人というシンプルな編成。

たった6人の編成とはいえ、演奏には厚みがあり、
バスクの伝統に根差したケパの世界観が今作でもしっかりと表現されている点で、
これまでの作品とケパの姿勢は、まったく変わっていません。
バスクのコンテンポラリー・ルーツ・ミュージックと呼ぶにふさわしいケパの音楽世界は、
ちょうどガリシアのカルロス・ヌニェスと同じ志向を持っているといえますね。

本作は全12曲ケパの自作で、インスト演奏。
バスクの伝統を感じさせる美しく雄大なメロディに、モダンなアレンジとプロダクションは、
あらゆる音楽ファンにアピールする魅力をたたえています。
もちろんバスク音楽ファンにとっては、
プリミティヴなマリンバのようにも響くリズミカルなチャラパルタの音色がたまりません。

新旧が融合した独創的な景観を作り出す都市ビルバオは、
まさしくケパ・フンケラの音楽そのものといえそうです。

Kepa Junkera "ULTRAMARINOS & COLONIALES" Warner Music 52498 7065 2 (2011)
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マルシャを歌うファドの女王 アマリア・ロドリゲス [南ヨーロッパ]

Amalia Rodrigues Marchas.JPG

うわー、ついにCD化されましたか。これは嬉しいですねぇ。
アマリア・ロドリゲスの珍盤中の珍盤、
アマリアがファドではなく、なんとカーニバル・ソングのマルシャを歌ったアルバムです。

アマリア・ロドリゲスのヴァレンティン・デ・カルヴァーリョ音源は、
ポルトガルEMIが最初にCD化をスタートさせ、ほぼすべてのカタログをCD化したあと、
ソン・リブレに権利が移って再発されましたが、
両社ともなぜか69年の“MARCHAS DE LISBOA” だけはCD化しなかったんですよね。

iPlayに権利が移ってからは、過去のカタログをただ踏襲して再発するのではなく、
歴史的名作“COM QUE VOZ” に19曲もの未発表曲を追加した2枚組編集盤をリリースしたり、
“AMÁLIA NO OLYMPIA” をフランス原盤のジャケットで出すなど、
アマリア・ファンには感涙ものの力作リイシューが続いていましたが、
マルシャを歌ったこのアルバムもちゃんとCD化してくれたとは、拍手ものです。

しかもLPは12曲収録だったのが、CDは2倍以上の26曲収録という大判ぶるまい。
今回ライナーを読んではじめてわかったんですけど、
このアルバムはLP制作されたものではなく、EP音源を編集したアルバムだったのですね。
CD化にあたり、録音単位に曲をまとめた編集をしてくれたのも嬉しい配慮です。

60年代のアマリアは、ファドばかりでなく、ポルトガル各地の民謡を歌ったりと、
意欲的にレパートリーを広げていて、歌手としてもっとも充実していた時代でした。
ブラスバンド編成のマルシャのサウンドにのって歌うアマリアのヴォーカルは、
ファドでは味わえない躍動感に満ち溢れています。
といっても、陽気なアップテンポのマルシャであろうと、
コブシをぐりんぐりん回しているところは、あいかわらずなんですけどね。

ブラスバンドにのって歌うアマリア・ロドリゲスの、いきいきと快活な表情が妙味な一枚。
ファドのアマリア・ロドリゲスしか知らない人に、ぜひ聴かせたいアルバムです。

Amália Rodrigues "MARCHAS" iPlay IPV1678-2
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アフリカの大型新人現る ヤミ [南ヨーロッパ]

Yami.JPG

リシャール・ボナのライヴァルとなる逸材が登場しました。
その人の名はヤミ。本名フェルナンド・アラウージョという、
リスボンで活躍するアンゴラ出身の音楽家です。

ジョアナ・アメンドエイラなどのファドのレーベルとして知られる
ポルトガルのH・M・ムジカから、07年にこのデビュー作が出ていたとのことですが、
今回ライス盤が出るまで、ぼくもぜんぜん知りませんでした。
アフリカのミュージシャンでは、ひさびさに現われた大型新人だと思います。

リシャール・ボナを思い浮かべたのは、その音楽性がとってもよく似ているからなんですね。
二人に共通するのは、特定の民族や伝統に拠った音楽をやるのではなく、
自身のルーツに多様な音楽をミックスさせながら、アフリカ性を際立たせる才能です。
こういうマルチカルチャライズの方向性こそ、
今後のアフリカン・ポップスの可能性だとぼくは考えているので、
ヤミは出るべくして出た人と、期待を寄せたくなります。

ライス盤の解説によれば、ヤミはルアンダ生まれといっても、
4歳でポルトガルに渡ったため、ほとんどアンゴラの記憶はないようです。
キンブンドゥ語を教わった母親の影響で、
アンゴラ人としてのアイデンティティを模索するようになったとのこと。
そんなヤミがデビュー作で打ち出した音楽は、
ポルトガル、アンゴラ、ブラジル、カーボ・ヴェルデなど、
ポルトガル文化圏の多様な音楽の養分を吸収した、のびやかなポップスです。

そこには人を熱狂させるような音響やビートがあるわけでなく、
ジャーナリスティックな評判を呼ぶような要素もないので、
リリースから3年以上経っても、話題にさえ上らなかったということなのでしょうか。
H・M・ムジカのディストリビューションの弱さといったこともあるんでしょうけど、
こういう上質のアフリカ音楽が見逃されて、ストリート系の音楽がもてはやされるところに、
現在のアフリカ音楽をめぐるシーンのいびつさを感じずにはおれません。

じっさい、リシャール・ボナを評価したのは、
アフリカ音楽ファンとはまったく無縁なフィールドのファンでした。
ヤミも「アフリカ」という冠をつけないでプロモーションをした方が、
良い音楽をキャッチすることのできる、
柔軟な音楽ファンの耳に届かせることができるように思いますね。

このアルバムには、アンゴラのセンバ、
カーボ・ヴェルデのモルナやコラデイラといったレパートリーもあるものの、
そのいずれもヤミが創り出すサウンド・テクスチャーに溶け込んでいて、
そのポップ・クリエイターとしての才覚は、新人と思えぬ手ごたえを感じさせます。
そしてリシャール・ボナを連想させるのは、自身のヴォーカルを多重録音したコーラスや、
ファルセットを多用するところ、またなにより、同じベーシストであるところですね。
ジャズ/フュージョンの素養だけでなく、シタールをちらりと使ったりする意表をつくアイディアを
さらりと聴かせてしまう匠の技は、ボナをホーフツとさせます。

ヤミ 「アロエレラ」 ライス HJR245
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ファドの冬 カルロス・ラモス [南ヨーロッパ]

Carlos Ramos.JPG

冬になるとファドを聴きたくなります。
寒い季節にならないと、ポルトガル・ギターのキンとした響きに身を浸す気分にならないというか、
逆に考えてみると、夏にファドを聴いたことなんて、これまで一度もないかも。
で、ファドを聴くにはいい季節となったわけですが、
久しぶりに手が伸びたのは、男性ファディスタのカルロス・ラモス。

この人のファドはロマンティックで、あったかいんです。
ゴリゴリとこぶしを回すようなタイプとはぜんぜん違い、
ソフトな声で、包み込むような歌に味わいのある人です。
マリア・テレーザ・デ・ノローニャが好きな人なら、
カルロス・ラモスもぜったい好きになると思いますよ。

カルロス・ラモスは07年リスボン生まれ、
44年にアマリア・ロドリゲスのライヴ盤で有名なファド・ハウス、カフェ・ルーゾでデビューしました。
もともとは歌手でなくポルトガル・ギタリストで、ベルタ・カルドーゾの伴奏を務めていたそうです。
二十歳を越えた頃から、ポルトガル・ギターを弾きながら歌ったところ大評判となり、
一躍有名なファディスタになったんだそうです。

カルロス・ラモスのオリジナル・アルバムでCD化されているものは、
ぼくが知る限り3タイトルありますけれど、一番好きなのが59年作の“EVENING IN LISBON”。
タイトルがなんで英語なのかはわかりませんが、
カルロスらしい心あたたまるファドが堪能できる作品です。
セカンド・ギタリストを入れず、ギターとポルトガル・ギター2台だけのシンプルな伴奏が
いっそう弦の響きを美しく際立たせていて、カルロスの歌唱を引き立てます。

Carlos Ramos "EVENING IN LISBON" iPlay IPV1448-2 (1959)
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愛のタランテッラ オルケストラ・ポポラーレ・イタリアーナ [南ヨーロッパ]

OPI.jpg

どういうわけだか、ぼくがタランテッラを聴くのは、毎年冬です。
南イタリアの気候を考えれば、真夏の太陽の下の方が似合いそうなものに、
タランテッラのアルバムに出くわすのがいつも冬なもんで、
<タランテッラ=冬>になってしまったというわけです。
で、今年の冬もまた、強烈なタランテッラのアルバムと出会っちゃいました。

民俗音楽学者で作曲家のアコーディオン奏者アンブロージオ・スパラニャが07年に設立したという、
総勢20名を超すメンバーからなる、オルケストラ・ポポラーレ・イタリアーナのデビュー作。
アンボロジオのアコーディオンに、マンドリン、ヴァイオリン、チェロ、ギター、ハーディーガーディー、
バグパイプ、タンバリンなどなど、多彩な楽器が縦横無尽に出入りしながら、
タランテッラの狂騒を繰り広げます。

タランテッラは、毒グモに刺された際に毒を抜くためのおまじないとして踊っただとか、
ダンスが毒グモに指された時の痛みの様子に似ているからだとか、いろいろな言い伝えがあります。
そんな伝説のひとつに、女性たちにとって性欲の解放を示唆するものがあって、
毒グモに刺されたと称して女性たちが狂ったように踊るのは、
性欲を発散させるための、破廉恥な踊りが許されたからだという説があります。
真偽のほどは知りませんけれど、音楽を聴く限り、この説が一番納得感がありますね。

高速タンバリンが刻む6/8拍子にのって、女性歌手が高い声を絞り出すように歌い、
アコーディオンが女性歌手の従者のように伴奏を付ける曲など、
まさに女性解放そのものをイメージさせます。
このアルバムではさまざまな男女歌手が歌い、
野性味あふれるタランテッラのダンス・チューンばかりでなく、
オカリナが吹かれる叙情的な曲などもある、奥行きのあるアルバムとなっています。

Orchestra Popolare Italiana "TARANTA D’AMORE" EGEA MR022CD (2009)
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フラメンコとアラブ・アンダルースの邂逅 エル・レブリハーノ [南ヨーロッパ]

ENCUENTRO.jpgCASABLANCA.jpgPUERTAS ABIERTAS.jpg

SP時代のフラメンコは素直にいいなあと思えるんだけど、
新しいフラメンコって、どうもしっくりこないというか、
特にパコ・デ・ルシア以降のフラメンコは、まるで別物の音楽のように思えます。

そんなぼくでも好きなフラメンコ歌手に、エル・レブリハーノことファン・ペーニャがいます。
フラメンコ史上最高の歌手ラ・ニーニャ・デ・ロス・ペイネスの養子でもあった人で、
多くのフラメンコ・アーティストを出した名門ペラーテ・デ・ウトレーラ一族のひとりです。
ギタリストとしてキャリアをスタートさせたレブリハーノは、
パケーラ・デ・ヘレスなど有名なダンサーの伴奏を務めながら、カンテ(歌)の技術を磨き、
カンタオーラ(歌手)に転向してからは、アントニオ・ガデス舞踏団の一員にも参加するなど、
伝統的なカンテ・ホンドの歌手として名声を高めました。

ぼくがレブリハーノを最初に知ったのは、85年の“ENCUENTRO” です。
このアルバムは、イギリスのグローブスタイルからもリリースされるなど、
当時のワールド・ミュージック・ブームでも注目を浴び、
従来のフラメンコ・ファンよりも、幅広い層の音楽ファンにアピールしました。
グローブスタイルがこのアルバムを取り上げたのは、
モロッコのグループ、オルケストラ・アンダルシ・デ・タンゲルと共演した異色作だったからです。

『出会い』というアルバム・タイトルどおり、
フラメンコとアラブ・アンダルース音楽との融合は、驚くほどしっくりといっています。
それもそのはずですよね。フラメンコもアラブ・アンダルース音楽も、
イベリア半島にイスラーム帝国が繁栄していた時代に発展した音楽だったのですから。
その後アラブ・アンダルース音楽は、レコンキスタによって東へ東へと追われ、
マグレブの地にたどり着いて継承されてきました。
フラメンコとはいわば兄弟のような関係にあったのだから、
実験的作品といってもしっくりと融合するのは道理で、
両者の邂逅は、いわば歴史を証明したものでもあったわけです。

レブリハーノは、98年にも同様の企画で、
荘厳なオーケストレーションを従えた“CASABLANCA” をリリースしました。
レブリハーノも力のこもった歌いっぷりを聞かせていて、大力作ともいえる内容だったのですが、
曲によってはアレンジが重厚すぎて、やや胃もたれもする感もあります。

ぼくが好きなのは、“ENCUENTRO” の発展ヴァージョンともいえる、
05年の“PUERTAS ABIERTAS”。
モロッコ人のヴァイオリニスト、ファイサル・コウリッチとの共同名義作で、
オーケストラやコーラスは“CASABLANCA” 以上に厚みを増していますが、
ドラムスとベースを加えた逞しく引き締まったビートが快感です。
リズムにキレがあるため重苦しくなく、“CASABLANCA” のような胃もたれ感がありません。
ファイサルは“CASABLANCA” でも共演していたミュージシャンで、
ペドロ・ゲラ、ケパ・フンケラ、ガブリエル・ヤコブといったアーティストとも共演している人です。

ここ数年、アラブ・アンダルース音楽への関心が高まっていますけど、
レブリハーノが話題に上らないのは、ちょっと残念です。

El Lebrijano "ENCUENTRO" Ariola 9J257240 (1985)
El Lebrijano "CASABLANCA" EMI 7243-8-23416-2-8 (1998)
El Lebrijano y Faiçal "PUERTAS ABIERTAS" Ediciones Senador CD02852 (2005)
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叛逆児の夏 ムヤヨ・リフ [南ヨーロッパ]

Muyayo Rif.jpg

くそ暑い夏をぶっとばせとばかりに、痛快なバンドがバルセロナから登場しました。
「ほ~ら、バテてる場合じゃねーぞ。元気出せー!」と、
あふれんばかりのエネルギーを放射しまくります。
素性をよく知らぬまま、試聴した印象が良くって買ってきたのですが、すっかり引き込まれて、
毎朝の通勤時のウォーキングを景気づける、格好の一枚となっています。

ぼくの場合、ウォーキングは1年365日、台風が来ようが大雪になろうが、
毎朝晩、通勤時二度の30分速歩がやみつきになって、もう8年になりますけど、
今年の夏は、歩き終えた後に流れる汗の量がハンパじゃないです。
でもムヤヨ・リフのサウンドを聴いていると、
全身から滝のように噴出す汗の不快さも忘れ、気分は爽快。

最高記録更新しまくりのこの夏にピッタリのこのバンドは、
ラジオ・ベンバ・サウンド・システムのベーシスト、ガンビートがプロデュースした新人バンド。
3人のホーンズに、エンジニアやマネージャーまでがメンバーに数えられて、総勢11人。
バルセロナのストリートでの演奏活動を制限する、公徳法に反対して制作された
コンピレーション・アルバム“BARCELONA POSTIZA” にも参加していました。
ゲストにコスト・リコの女性ヴォーカルのメリ、チェ・スダカのレオ、
ラジオ・ベンバのフリオが参加しているのは、バルセロナ・コネクションそのままですね。

レゲエ、スカ、ルンバをミクスチャーしたロック・サウンドにのせ、
スペイン語・英語・フランス語を交えてアジるように歌うスタイルは、まさにマヌ・チャオ直系。
バルセロナのミクスチャー・ロック・バンドって、ツカミはいいんだけど、演奏が雑なのが多くて、
2~3度聴くとイヤになっちゃうことが多いんですけど、
このバンドの演奏力は確かだし、音楽性も豊かで、その逞しさ、ホンモノです。

夏フェスにぴったりといった感じのバンドで、フジロックに来たら盛り上がりそうですねぇ。
酷暑の2010年の夏を記憶する1枚となりました。

Muyayo Rif "CONSTRUMÓN" Kasba KM00410 (2010)
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ファドの館に連れていって アナ・モウラ [南ヨーロッパ]

Ana Moura.jpg

アナ・モウラの新作、いいですね。
前作“PARA ALÉM DA SAUDADE”に続き、今作も伝統ファドのスタイルで歌っています。
もともとロックやポップスを歌っていて、20歳過ぎてからファドを歌うようになった人なので、
03年のデビュー作はいかにもファド修行中といった生硬さが目立ちましたが、
07年の前作ではかなりこなれた歌いぶりを聞かせるようになっていました。

サラ・タヴァレスのアルバムにゲスト参加した時の、リラックスした歌いぶりが印象的だったので、
あんな感じでファドが歌えたらいいのにと思っていましたが、
4作目にあたる本作でようやく肩の力が抜け、ひと皮むけた歌声を聞かせます。
アマリア・ロドリゲスの真似をやめ、自分のファド表現を身につけたのでしょう。
以前に比べのびのびと歌っていて、吹っ切れたのを感じませす。

プロデュースはこれまでのアルバム同様、ファド界の重鎮ジョルジュ・フェルナンドが務めています。
ジョルジュは晩年のアマリア・ロドリゲスの伴奏ギタリストも務めた大ヴェテラン。
かなりのイケメンで、ジョルジュがウィンクするとマダムもイチコロと評判のオヤジです。
今作もほとんどがジョルジュ作によるオリジナル曲が占めています。

伴奏はジョルジュの弾くギターと、ポルトガル・ギターを中心とする
弦楽アンサンブルによる伝統ファドのスタイルですが、
1曲だけ、ブルターニュの笛ボンバルドのようなダブル・リードの管楽器と、
男性コーラスをフィーチャーした曲が出てきます。
ライナーを見ると、ガイテイロス・デ・リスボアがクレジットされていました。

ガイテイロス・デ・リスボアはポルトガルの伝統音楽を新たにリファインした音楽を目指したグループ。
グループ名のとおり、ポルトガル北部のミーニョやトラズオスモンテスあたりの田舎でよく使われる
バグパイプのガイタをフィーチャーしたグループです。
ぼくはビリビリいうダブル・リード系の管楽器が大好きなので、
チャルメラみたいなノイジーな響きを聴くと、ぞくぞくしてしまうんですよねえ。
またこの曲には、ジャズ系ベーシストのユリ・ダニエルも加わっています。
アナの歌との相性も良く、1曲といわず、もっと共演してもらいたかったですね。

ぼくが買ったポルトガル盤は、通常の片開きのデジパックではなく、
縦・横の二方向にパタンパタンと開く、変形デジパック仕様の限定版。
向きも通常のデジパックと90度違って、縦長の形となっています。
モノクロームの仕上がりも美しいジャケットです。
3年前の来日公演を見逃してしまったので、また来日してほしいですねえ。

Ana Moura "LEVA-ME AOS FADOS" Universal 2722688-0 (2009)
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ティーンが歌うファド ジョアナ・アメンドエイラ [南ヨーロッパ]

Orhos Garotos.JPGAquela Rua.jpgMagia Do Fado.JPG

新世代のファド歌手はどうも玉石混淆といった感じで、人気と実力が相反している人もチラホラ。
そんななかジョアナ・アメンドエイラは、確かな歌唱力で安定したアルバムづくりをしている一人です。
日本でもライスから発売されているアルバムはよく知られていますが、
十代の頃リリースしたアルバムについては、あまり知られていないんじゃないでしょうか。

ライス盤の解説を読むと、ジョアナはわずか12歳でリスボンのファド・コンクール、
グランデ・ノイテ・ド・ファドに史上最年少で出場したとあります。
そして翌94年には、最優秀女性歌手部門で優勝するという偉業を達成。
この年頃でフツーなら、アイドル歌手のオーディションだろうに、それがファドのコンクールですよ。
13歳で最優秀女性歌手って…、スゴすぎです。

とはいえまだ未成年ですから、夜間営業のファド・ハウスで歌うことはできず、
しばらくは学業を優先したそうです。そりゃ、そーだ、まだ中坊ですもん。
16歳でデビュー作(左)を録音し、本格的なプロ歌手として活動を始めます。

デビュー作での歌声は幼さを隠せないものの、その歌い回しはすでに熟達していて、舌を巻きます。
ジョアナは18歳になるのを待って、
リスボンの名ファド・ハウス「クルーベ・デ・ファド」の専属となりますが、
その18歳の時に制作した2作目(中央)では大人ぽくなった声とともに、
表現力もぐんと広がり、成長著しいところを聞かせます。

CNM移籍前のティーンのジョアナが残したのはこの2作だけですが、
この2作を編集したエンハンスト仕様のベスト盤(右)が出ていて、
2作の冒頭の曲のヴィデオ・クリップを観ることができます。
デビュー作のクリップは、リスボンの狭い坂道を走る路面電車の風景とともに、
ういういしい16歳のジョアナが写っていて、なかなかの見ものです。

Joana Amendoeira "OLHOS GAROTOS" Espacial 3200224 (1998)
Joana Amendoeira "AQUELA RUA" Espacial 3200506 (2000)
Joana Amendoeira "MAGIA DO FADO" Espacial 3200783 (2006)
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プログレ知らず ムジカノーヴァ [南ヨーロッパ]

Musicanova.JPG   Quanno Turnammo A Nascere.JPG

昨年暮れに、テレーザ・デ・シオのデビュー作CDを見つけ、
テレーザが在籍していた名グループ、
ムジカノーヴァの初期作もCD化されていることを知りました。
イタリア盤は日本では手に入りにくいので、あわててネット・ショップで探索し、
イタリアのお店からようやく届いたところなんですが、
そのことを知人に話すと、わざわざイタリアにオーダーしなくたって、
プログレ専門店に行けば売ってるのにと言われてしまいました。

えぇ~、ムジカノーヴァがプログレに括られてるの???
驚くぼくに、知人は当然だろという顔を見せます。
トラッドというジャンルからしか見ていなかったので、プログレとは思いも寄りませんでした。
考えてみればぼくは、マウロ・パガーニの『地中海の伝説』もプログレだとばかり思い込み、
あの名作を90年代に入ってから初めて耳にするという、おマヌケなこともやらかしたんでした。
ただでさえロックに疎いうえ、プログレを毛嫌いしてきたツケがこういうところに回ってくるわけですね。

塚原立志さんが、日本のワールド・ミュージック・ファンは、
プログレ系とルーツ・ミュージック系に大別されるとおっしゃってましたけど、
その点でいえば、ぼくは典型的なルーツ・ミュージック系ですねえ。
北米黒人音楽からラテン、ブラジル、アフリカとルーツを辿り、
アジア、アラブへと興味を広げていったので、ヨーロッパは一番最後に踏み入れた場所でした。
ナポリのムジカノーヴァに行き当たったのも、
マウロ・パガーニ同様、90年代に入ってからのことです。

自分の周囲にプログレ・ファンがいなかったせいもあって、ずいぶんな遠回りをしたわけですが、
ヨーロッパのトラッドを探るには、プログレ・ファンの人に当たるのが、
案外近道なんですね。勉強になりました。

あ、それから、蛇足とゆーか、つまんない負け惜しみですが、
日本で買うよりイタリアからの通販の方が、値段はお安かったです。円高バンザイ。

Musicanova (Eugenio Bennato, Carlo d’Angiò) "MUSICANOVA" Lucky Planets LKP544 (1978)
Musicanova "QUANNO TURNAMMO A NASCERE" Lucky Planets LKP582 (1979)
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ナポリの情念 テレーザ・デ・シオ [南ヨーロッパ]

Teresa De Sio.JPG

ナポリのシンガー・ソングライター(イタリア語ではカンタゥトリーチェっていうんでしたっけ)、
テレーザ・デ・シオのデビュー作。
おお、ついにCD化された!と喜び勇んで買ったら、4年も前に出てたんですね。知らんかったー。
調べてみると、ムジカノーヴァの初期作もCD化されてるじゃないですか。こりゃ、手に入れなきゃね。

テレーザのデビュー作は、南イタリアの伝統音楽をモダン化した重要グループ、
ムジカノーヴァの中心メンバー、エウジェニオ・ベンナートが音楽監督を務めています。
当時テレーザはムジカノーヴァの一員だったので、ソロ・プロジェクトとして制作されたわけですね。
その後テレーザはポップスぽい方向へ行ってしまったので、ぼくにとってはこの1枚だけの人です。

このアルバム、今聴いてもまったく古さを感じさせません。
古いどころか、アクースティックなプロダクションで伝統をモダン化する手法は、
90年代以降のワールド・ミュージックを先取りしていたともいえるんじゃないですかね。
べらんめえなナポリ弁で歌うテレーザのヴォーカルはパンチが効いていて、
一皮めくればアラブが顔を出す南イタリアの土俗性と、
モダン化したサウンドの協調ぶりが見事です。
このアルバムが出た78年は、マウロ・パガーニのソロ・デビュー作やアレアの“1978”が出るなど、
イタリア音楽にとってエポック・メイキングというか、重要な年でもありました。

その後ベンナートは「タランタ・パワー」を標榜し、タランテッラのリズムを前面に押し出し、
地中海周縁サウンドの構築に力を入れ始めるわけですが、
すでにこのアルバムでタランテッラのリズムが聞けることに、今ようやく気付きました。

Teresa De Sio "VILLANELLE POPOLARESCHE DEL ’500" Lucky Planets LKP552 (1978)
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セレブの気品薫るファド マリア・テレーザ・デ・ノローニャ [南ヨーロッパ]

Maria Teresa De Noronha_Saudade Das Saudades.JPG

朝晩、めっきり冷えるようになってきました。
こういう季節になってくると、聴きたくなるのがファドです。
気力十分の時は、アマリア・ロドリゲスやルシーリア・ド・カルモを聴くんですが、
疲れていてリラックスしたい時は、
マリア・テレーザ・デ・ノローニャやカルロス・ラモスが定番となっています。

ちょっと最近は疲れ気味なので、ノローニャ気分になることが多いですかね。
で、いつも手が伸びるのが、65年のアルバム“SAUDADE DAS SAUDADES”です。
ノローニャの最高傑作といえるこのアルバム、聴くたびにホレボレとしてしまいます。
以前はEMIから出ていましたが、今はソン・リブレから再発されています。
ポルトガル盤はプレス数が少ないうえ、流通も悪いので、
見つけたら即買っておかないと、あとで後悔すること必至です。

ノローニャのファドは、ダイナミックにコブシを回すアマリア・ロドリゲスとは正反対の個性で、
素直な美しい発声と滑らかな歌い回しが持ち味です。
その歌唱も対照的なら、生まれや育ちも対照的で、
アマリアがリスボンの貧しい家庭の生まれなのに対し、
ノローニャはポルトガルとカスティリア両国の王家の血筋を受けたという名家の出身。
しかも結婚後は伯爵夫人となったほんまもんの超セレブですから、
最近の成金セレブとは訳が違います。

Maria Teresa De Noronha.JPGノローニャのCDといえば、絶頂期といえる56年から71年までの計74曲を4枚のCDに収め、貴重な写真を満載した36ページのブックレット付豪華CDブックという決定盤が出たんですけれど、リリース後まもなく、ヴァレンティン・デ・カルヴァーリョ音源の権利がEMIからソン・リブレに移ってしまい、すぐに廃盤となってしまったのは不運でした。
EMI盤が廃盤になっていたことを知らず、以前『レコード・コレクターズ』で紹介してしまい、ある方から手に入らないじゃないかと、お叱りを受けてしまいました。も、申し訳ありません…。
“SAUDADE DAS SAUDADES”を再発したのだから、このCDブックも再発してほしいものです。

Maria Teresa De Noronha "SAUDADE DAS SAUDADES" EMI 07243 495277 2 0 (1965)
Maria Teresa De Noronha "MARIA TERESA DE NORONHA" EMI 7243 577037 2 7
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いとしのサラ サラ・タヴァレス [南ヨーロッパ]

Xinti.jpg      20061002_Sara Tavares.jpg

サラ・タヴァレス嬢の新作が届きました。

05年の“BALANCÊ”にゾッコンとなり、
それ以来、サラはぼくのアイドルとなっています。
ひばりのようなキュートな歌声に宿るコケティッシュな表情が、
めちゃくちゃチャーミングなんですよぉ。
ひそやかなメロディと、しなやかにスウィングする横揺れのリズム感が、
羽根布団のような心地よさ。
今作もセンスのいい小品といった感じの佳曲が並んでいて、すごく嬉しくなりました。

サラはカーボ・ヴェルデ移民二世のリスボンっ子。いわゆるアフロピアンですね。
オーガニック感覚のニュー・ソウルや
ブラジルのMPBに影響を受けた音楽性をベースとしていて、
カーボ・ヴェルデ音楽からの直接の影響はほとんど感じさせませんが、
センチメントなメロディには、
カーボ・ヴェルデ人の望郷の念ソダーデが流れているともいえそうです。

3年前に急遽来日が決まり、六本木のスイートベイジルで行われた
渡辺貞夫の「A NIGHT with SADAO」コンサートに、
ゲスト・ヴォーカルとして出演していたんですよ。
ほとんど告知もされなかったので、聞き逃した方が多かったんじゃないでしょうか。

ぼくもサラが来日しているという情報をつかんだのは、
すでに2日目のステージが終わったあとの3日目になってからのこと。
びっくりしてナベサダの事務所に電話をすると、

サラ単独のコンサートやイヴェントはないとの返事。
なんて、もったいない!と地団駄を踏んだものの、
もっと困った事にスイートベイジルの日程は、
ちょうど渋谷Bunkamuraでやっていたフェスティバル・コンダ・ロータ2006
「ラマダンの夜」のコンサートと、完全にバッティングしていたのでした。
ど、どーしましょ!?
しかたなく、ぼくは10月2日にパキスタンの
ファイズ・アリー・ファイズのカッワーリーを聴いたあと、
後半のカイハン・カルホールをパスしてタクシーに飛び乗り、
六本木へかけつけてサラを見たのでした。

せっかく来日したのに、
ゲストとしての数曲しか聞けなかったのはなんとも残念でしたが、
“BALANCÊ”がヘビー・ローテーションだった絶好の時期にご本人を見れて、
すごく嬉しかったです。

今度はメイン・アクトでの来日、待ってます。

Sara Tavares "XINTI" World Connection 43082 (2009)
Sara Tavares "BALANCÊ" World Connection 43058 (2005)
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