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豪快なヨルバ・ファンク アデデジ [西アフリカ]

Adédèjì  YORUBA ODYSSEY.jpg

おぉ、新作はだいぶサウンド・カラーを変えてきたなあ。
前2作は洗練されたジャジー・ポップで、ヨルバ・メロウネスとでも
形容したくなるサウンドを聞かせてくれたアデデジですけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-10-22
新作は、ゴツいジャズ・ファンクを前面に打ち出して、
ラフでタフなサウンドをアルバム全編で展開しています。

アフロビーツのシーンとは異なるフィールドで活躍するナイジェリアの新しい才能、
アデデジの新作は、デンマークの新興レーベル、ワン・ワールドからのリリース。
『ヨルバ・オデッセイ』とは、含蓄のあるタイトルを付けたもんです。
ヴィクター・オライヤ、フェラ・クティ、サニー・アデ、エベネザー・オベイなどなど、
数多くのナイジェリア人アーティストたちが録音したレゴス伝説のスタジオ、
アフロディジア・スタジオにおもむき、わずか3日間で仕上げていて、その後、
アデデジが拠点とするギリシャ、アテネで、ポスト・レコーディングを行っています。

アフロビートの ‘Oruku’ から、アルバムはスタート。
粘着質な反復リフがなんかエロくって、ユニークな曲。
フェラ・クティのトリックスターなキャラクターが憑依したかのような、
アデデジのヴォーカルもいい。おかげで、いきなり冒頭からアガる、アガる。
このオープニングだけで、これまでの作品とはガラッと違うのが印象づけられます。

2曲目からは怒涛のアフロ・ジャズ・ファンク責め。
リズム・セクションとホーン・セクションが一体となったグルーヴ感が、
息つかせぬイキオイで迫りくるので、心臓バクバクもんですよ。
‘Ojeje’ では、リズム・セクションにホーン・セクション、そしてコーラス隊が
くんずほぐれつする間を縫うように、アデデジがジャズ・マナーなギター・ソロを弾きます。

やっと一息入れられるのは、テンポを落とした5曲目の‘Lagos Blues’。
女性コーラスがゴスペルを思わせ、アデデジの歌いぶりにも、
説教師のようなニュアンスが感じられる曲です。
アデデジはレゴスの教会の聖歌隊で歌い始め、
10歳で聖歌隊のリーダーを務めているので、ゴスペルが基礎にあるんだろうな。
この曲でも、アデデジはウェス・モンゴメリーふうのギターを弾きまくっています。

‘Ololufe Mi’ はヨルバ・ハイライフ、‘Ayinla’ はジュジュですよね。
‘Ayinla’ は、トーキング・ドラムとパーカッション陣によるイントロに始まり、
リズム・ギターとホーン・セクションがジュジュのリズムをリードします。
やがて複雑に入り組んだリフをコーラスが歌い、
ドラムスがフィルを入れまくるというアレンジ。
こんなカッコいいジュジュ、初めて聴くなあ。一転、トランペットがソロをとると、
ぐっとジャジーになったりと、その曲構成は実にユニークです。

King Jossy Friday.jpg

曲のほとんどはアデデジの自作曲ですけれど、他人の曲を2曲カヴァーしていて、
1曲がキング・ジョシー・フライデーの‘Gbanja’。
キング・ジョシー・フライデーは、オグン州のヨルバのサブ・グループ、
エバド(イェワ)人の音楽ボロジョを、現代化したギタリストです。
ぼくもボロジョの音楽家は、キング・ジョシー・フライデー一人しか知らないので、
ボロジョの実態をよくつかめていないんですが、アデデジが取り上げるとは意外でした。

もう1曲が、なんとアパラの巨匠、ハルナ・イショラの‘Ori Ni’。
アパラを取り上げるとはビックリなんですけど、ホーン・セクションも入って、
ちょっとアパラには聞こえないサウンドに変貌しています。
こんなカヴァー曲のセレクトからも、『ヨルバ・オデッセイ』の深淵が伝わってきますね。

ンバクァンガみたいなギターで始まるラスト・トラックの‘Tales of Agege’ まで、
これまでどんなヨルバの音楽家も成し得なかったユニークな音楽を、
アデデジはクリエイトしていて、あらためてその才能に感服しました。

Adédèjì "YORUBA ODYSSEY" One World AAONE2022 (2022)
[10インチ] King Jossy Friday & His National Toppers Band "WESTERN STATE SPECIAL" Philips West African 6386.012
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Kawaii エレクトロニカ・ジャズ/フュージョン ドミ&JD・ベック [北アメリカ]

DOMi & JD BECK.jpg

世界中大絶賛のドミ&JD・ベック。
8月13日放送のNHKの音楽番組「おげんさんのサブスク堂」で、
松重豊がいまイチオシと、鼻息荒く紹介したんだけど、
星野源にアメリカでライヴを観たとあっさりいなされて、
唖然とする松重がちょっとカワイソーだったけど、面白かった。

ワタクシも一聴して、こりゃ買いだと走ったんですが、CDショップにあるのはEU盤ばかり。
EU盤を回避して、オリジナルのUS盤を購入するいつもの手段で、
アメリカの Amazon にオーダーしてみたら、なんとEU盤が送られてきた(呆)。
えぇ~? なんだよー、こんなの初めてだぞ。いったいどうすりゃ、いいねん!

どうでもいい話はこれくらいにして、もうご存知ですよね。
03年生まれの超絶技巧のドラマーと、00年生まれ、パリ国立高等音楽院ピアノ科卒、
バークリー音楽院を大統領奨学金全額支給で入学した鍵盤奏者のデュオ。
19歳と22歳にして、ハービー・ハンコック、フライング・ロータス、ルイス・コール、
ザ・ルーツ、サンダーキャット、アンダーソン・パークなどと共演経験を持つこの二人。
名だたるアーティストがラヴ・コールを送るのも、このデビュー作を聴けばナットクです。

高速ドラムンベースを涼しい顔で人力演奏するJD・ベックのドラミングには、
マッドリブ育ちのヒップ・ホップ・ビートが身体に染みついてますね。
8歳からドラムスを、12歳でプロデュースを始め、
多くのアーティストの楽曲制作に関わってきたというんだから、底知れぬ才能だよなあ。
オープニングで、ストリングスをフィーチャーしたゴージャスなプロダクションだったのは、
意外な演出でしたけれど、そこからも汲み取れる複雑なハーモニーに、
二人の音楽性の深さがわかります。

高音をカットした、くぐもったドラムスの音質で、エッジの立たない音像の作り方が、
キーファーやブル・ラブ・ビーツあたりのセンスに通じますね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-08-28
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-03-30
甘美な鍵盤とともに中低音が豊かで、ポップでキャッチーな楽曲を、
鮮やかなエレクトロニカ・ジャズ/フュージョンに昇華しています。

主役の二人が、余裕すら感じる演奏と歌声を聞かせるのに、
錚々たるゲストたちの方が緊張みなぎっているところが、面白い。
サンダーキャットが硬質なベース音で存在感を際立たせる‘Bowling’、
ハービー・ハンコックが“SUNLIGHT” 時代を思わすヴォコーダーを駆使した‘Moon’、
カート・ローゼンウィンケルがリキの入ったギター・ソロを弾きまくった‘Whoa’ などなど、
トンデモな若い才能を前に、大のオトナがマジで必死になってる様子が伝わってきます。

DOMi & JD BECK "NOT TiGHT" Apeshit/Blue Note 00602445908363 (2022)
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R&Bの秋 メン・アット・ラージ [北アメリカ]

Men At Large  LOVE BENEFITS.jpg

ジェラルド・リヴァートに発掘された巨漢デュオ、メン・アット・ラージの新作。
92年のデビュー曲‘Use Me’ を1曲目で再演しているので、へぇと思ったら、
これ、あの‘Use Me’? ぜんぜん別の曲に聞こえるんだけど。
ニュー・ジャック・スウィングに特に愛着はありませんが、
独特のハネのある16分三連を聴くと、やっぱ懐かしい気分になりますね。

その同じ曲とは思えない‘Use Me’以降は、ミッド/スローが並んだアルバム。
キャッチーなメロディで惹きつける派手さはないものの、
落ち着いたムードで聞ける佳曲が多くて、リラックスできますねえ。
二人のまろやかなハーモニーも健在で、‘Real Close’ なんてトロけます。

92年のデビュー作以降、メン・アット・ラージを聴いていませんでしたが、
3作目からジェイソン・チャンピオンが抜け、メンバーを替えて活動していたんですね。
オリジナル・メンバーの、デイヴ・トリヴァーとジェイソン・チャンピオンのコンビ復活は、
なんと26年ぶりなんだそうです。

二人のヴォーカル・スタイルは、競い合うタイプじゃないので、マイルドなんですよね。
ラップふうのヴォーカルでトラップ・ビートにのる曲もあるけれど、
自分たちのスタイルに引き寄せているから、
トレンドに色目を使ったニュアンスにならず、めちゃ好感持てます。

秋の気配を感じられるようになると、R&Bが恋しくなるんですよ。
去年のアフター7を、また聴き返し始めたところに、嬉しい1枚が増えました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-10-11

Men At Large "LOVE BENEFITS" SoNo Recording Group no number (2022)
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アフロ・ジャズ・ファンクなハイライフ・ジャズ ジェドゥ=ブレイ・アンボリー [西アフリカ]

Gyedu-Blay Ambolley  GYEDU-BLAY AMBOLLEY AND HI-LIFE JAZZ.jpg   Blay Ambolley  Afrikan Jaazz A New Sound In Town.jpg

19年の前作では、ヴェテランらしい懐の深さで、
快調なファンキー・ハイライフを聞かせてくれたジェドゥ=ブレイ・アンボリー。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-12-07
3年ぶりの新作がハイライフ・ジャズと知ったら、
ここ最近ジェドゥのファンになった人にとっては、意外かも。

ハイライフ・ジャズというと、古くはクーラ・ロビトス時代のフェラ・クティが
試行錯誤していたジャンルとして知られていますけれど、
のちにこのスタイルを打ち出した音楽家が、ギタリストのエボ・テイラー。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2013-03-05
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-06-13

ハイライフの歴史の中では、傍系のジャンルというか、
変種のような存在ですけれど、ナイジェリアのサックス奏者のピーター・キングが、
デビュー作でハイライフ・ジャズを演っていたこともありましたね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2013-10-01

ジェドゥも、デビュー作をエボ・テイラーのプロデュースで制作したように、
ファンキー・ハイライフを身上としつつも、
エボからハイライフ・ジャズの影響を受けていたのかもしれません。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2013-04-18
ジェドゥは、01年にハイライフ・ジャズのアルバムを制作していて、
本作は21年ぶりに再挑戦したアルバムなのでした。

オリジナル曲にモダン・ジャズ時代のクラシック・チューンを交えた01年作と、
今回も同様の企画ですけれど、今作はアレンジが素晴らしいですね。
01年作でも演っていた ‘All Blues’ ‘Round Midnight’ ‘Footprints’ の再演に、
コルトレーンの ‘A Love Supreme’ まで取り上げているんですが、
ベル・パターンのハイライフのリズムを忍ばせた、
ハイライフとジャズを融合させたアレンジが鮮やか。
そのアレンジの手腕がジャズ・マナーでなく、
アフロ・ジャズ・ファンク・マナーなのがミソなんであります。

ハイライフはそのときどきの流行に応じて、ラテン、カリプソ、ソウル、ファンクなど、
さまざまな外来音楽を取り入れてきましたけれど、
その咀嚼の仕方に共通するセンスがあって、
それがモダン・ジャズを取り入れたハイライフ・ジャズにもみられます。

それは、ジャズ側に身を寄せるのではなく、自分たちの土俵に引き寄せるやりかたで、
晩年のトニー・アレンがジャズにアプローチしたのは、
これとは真逆のジャズに寄せていく方法論だったたからこそ、
ユニークな作品となったのでした。

20年ぶりに聴くジェドゥのハイライフ・ジャズは、
すごく洗練された仕上がりで、スタイリッシュと形容しても過言じゃないでしょう。
ラップの元祖ともよく言われるジェドゥのヴォーカルが、
ヒップ・ホップ的な感性ともシンクロして、めちゃカッコよく聞こえますよ。
オリジナル曲も、カリビアンとボサのテイストを加えた
‘Enyidado’ のトロピカル・ムードなんて、サイコーじゃないですか。

本作のリリースに合わせ、EU諸国を精力的に回るそうで、
う~ん、ライヴ観てみたいなあ。

Gyedu-Blay Ambolley "GYEDU-BLAY AMBOLLEY AND HI-LIFE JAZZ" Agogo AR139CD (2022)
Blay Ambolley "AFRIKAN JAAZZ: A NEW SOUND IN TOWN" Simigwa no number (2001)
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熱帯歌謡の美味を探して セルジュ・ルブラッセ [インド洋]

Serge Lebrasse Le Prince Du Sega.jpg

せっかくの機会だから、もう少しモーリシャスのセガの話をしましょう。
太鼓と歌だけで演奏されていたモーリシャスのセガに、
はじめて西洋音楽を取り入れたのがチ・フレールであったことは、以前書きました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-10-22
チ・フレールに始まったセガのポップ化をさらに推し進めたのが、
セルジュ・ルブラッセだったのです。

30年生まれのセルジュ・ルブラッセは、9歳で父親を亡くし、
14歳の時に小児麻痺が流行して学校が閉鎖されたことを契機に、
家計を助けるため、働き始めます。
森林局で働いていた時にチ・フレールと出会い、ルブラッセも触発されて
セガを歌い始めるようになります。

イギリス陸軍に入隊してエジプトへ赴任し、帰国後は学校の教師として働きますが、
モーリシャス警察音楽隊のリーダー、フィリップ・オーサンの目にとまり、
教職のかたわら歌手として雇われて、
ポール・アンカなどのヒット・ソングを歌うようになります。
あるとき、ルブラッセの自作のセガを聴いたオーサンは、公式の演奏の場で
ルブラッセに自作曲を歌うように促し、58年にパリのヴェンパン・スタジオで録音した
‘Madame Eugene’ が島で大ヒットとなります。

この‘Madame Eugene’ を1曲目に収録した、
ルブラッセのリイシューCDとの出会いは、ぼくには衝撃でした。
モーリシャス警察音楽隊(L'Orchestre Typique De La Police)の演奏が、
とんでもなく魅力的なんですよ。
ギター、ピアノ、ベースに、管楽器と打楽器を加えた小編成の楽団が
サロン風の演奏を繰り広げるんですけれど、
ヨーロッパのダンス・バンドの編曲技法を採り入れ、
フルート、バス・クラリネット、トランペット、サックスが対位法を用いた
カウンター・メロディを展開するという、洗練されたアレンジを聞かせるんですね。

さらに、ヴィブラフォンやチェレスタを使って、エキゾティックな味を加えるところなんて、
アーサー・ライマンやマーティン・デニーを連想せずにはおれないもので、
マラヴァン(マラカス)、トライアングル、ルーレなどの打楽器が生み出す
セガのリズムは、まさしくインド洋のラウンジ・ミュージックでした。

これはぼくの推測ですけれど、セガのポップ化を進めた影の立役者は、
フィリップ・オーサンだったんじゃないでしょうか。
セルジュ・ルブラッセをフックアップしたのもオーサンならば、
ルブラッセ自作のセガを評価して、彼に歌わせ、録音までしているんですからね。
チ・フレールの時代には、まだアコーディオンとトライアングルという
素朴な伴奏だったのを、モーリシャス警察音楽隊の洗練されたバンド・スタイルに
アレンジしてセガを録音したのは、画期的な出来事だったはず。

たとえば、ジュジュやルンバ・コンゴレーズのような
他のアフリカ音楽の成立過程を考えてみても、
チ・フレールからセルジュ・ルブラッセへの変化は、
二つも三つも飛び級したかのような発展をしているからです。

それまでモーリシャス警察音楽隊が演奏していたのは、
西洋音楽のスタイルの軍楽だったり、ポピュラー曲のコピーだったと思われます。
ルブラッセもポール・アンカなどのヒット・ソングを歌っていたというのだから、
オーサンにとっても、セガをポップ・スタイルにアレンジして演奏するのは、
かなりチャレンジングなことだったはずです。

当時教職の身だったルブラッセが、オーサンに促され、
自作のセガを公の前で歌うのは、勇気のいることだったと語っています。
なぜなら当時のモーリシャスでは、セガは下層庶民の娯楽で、
もともと奴隷の音楽とみなされていたからです。
上流階層の人も交じる公共の場でセガを歌うことは、考えられないことだったんですね。
そうした事情は、ルブラッセばかりでなく、警察音楽隊のリーダーという公職にあった
オーサンにとっても同じだったはずで、
オーサンはかなり進歩的な、開かれた人物だったんじゃないでしょうか。

セルジュ・ルブラッセの名をぼくが初めて知ったのは、『ラティーナ』の94年1月号に載った
森田純一さんの記事、「混合するモーリシャス~クレオールの音楽」がきっかけで、
森田さんはモーリシャス現地でルブラッセに取材をしていました。
記事中で「セルジュ・ルブラッセの歌が聴ける唯一のCD」として、
プラヤ・サウンド盤のコンピレ“SEGA NON STOP” を紹介していて、
そのCDは無許可で出て「問題が多い」と書かれていただけに、記事の翌年に、
ルブラッセの署名入りでリイシューされた本作を見つけたときは、カンゲキしたものです。

この1枚で、セガの魅力に目を見開かされて、その後もいろいろ探したものの、
60年代のセガが聞けるのは、とうとうこの1枚しか見つかりませんでした。
その後手に入れたルブラッセのEPが、4枚ほど手元にあります。

Serge Lebrasse_EP1.jpg   Serge Lebrasse_EP2.jpg
Serge Lebrasse_EP3.jpg   Serge Lebrasse_EP4.jpg

イギリスのタンブール・ミュージックから出たこのリイシューCDは、
『ポップ・アフリカ700/800』に載せましたけれど、
のちにジュイエから、ジャケットを変えて再発売されています。
また、時代が下った03年には、
ルブラッセの孫世代のような若い女性歌手と一緒に出したCDもあります。

Serge Lebrasse  BEST OF SEGAS.jpg   Serge Lebrasse & Linzy Bacbotte-Williams  ALLEZ BABA.jpg

2000年代に入ってから、新たに出た60年代録音のリイシューでは、
先の2枚同様、‘Madame Eugene’ を皮切りに12曲が選曲されていて、
59・60年録音と書かれていますが、‘Madame Eugene’ は58年録音なので、
クレジットは不確かですね。とはいえ、どうやらクロノロジカルには並べているようで、
伴奏はすべてモーリシャス警察音楽隊です。やっぱりこの時代の録音が最高ですね。

Serge Lebrasse  SEGATIER DE I'ILE MAURICE.jpg

今回調べていてわかったんですが、このアルバムの続編で、
60~65年録音を収録した第2集も出ていたようです。
この第1集と第2集はストリーミングにあるので、ぜひ聴いてみてください。

Serge Lebrasse "LE PRINCE DU SEGA" Tambour Music CDTAMB3
[EP] Serge Lebrasse "Oté La Réunion/La Rivière Taniers/Sega 3 Z (Zene Zens Zordi)/Femme Hypocrite" Dragons EVP2005
[EP] Serge Lebrasse "Kokono Pas Lé Mort/Dire Moi" Dragons VPN127
[EP] Serge Lebrasse "Maurice Mo Pays" Dragons VPN130
[EP] Serge Lebrasse "Seychelles, Bijoux De L'Océan/Ding, Dong, Banane" Tropic TP109
Serge Lebrasse "BEST OF SEGAS : ORIGINALS 1957-1969 VOL.1" Juillet ESSEL2501
Serge Lebrasse & Linzy Bacbotte-Williams "ALLEZ BABA" Meli Melo Music BEE010903CD (2003)
Serge Lebrasse "SEGATIER DE I'ILE MAURICE: VERSIONS ORIGINALES VOL.1 1959-1960" Kanasuc no number
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知られざるモーリシャスのセガ ロジェ・クランシー [インド洋]

Roger Clency  ROULÉ CLENCY.jpg

前回取り上げたレ・ピトン・ド・ラ・フルネーズのアルバムに、
モーリシャスのセガ・シンガー、ロジェ・クランシーの‘Séga Pêcheur’ がありました。
オリジナルは70年にASから出たEPに収録されていた曲ですけれど、
LPにもCDにもなっておらず、当然ストリーミングにもないので、聴くことはできません。

ロジェ・クランシーはマリー・ジョゼーとの夫婦デュオで、
60~70年代に数多くのEPを出した、モーリシャスの代表的なセガ・シンガー。
残念ながら当時の音源は未復刻なので、まったく知られていません。

レユニオン音楽のヴィンテージ録音を復刻したタカンバが、
モーリシャスも掘ってくれたら良かったんだけれど、
タカンバは活動停止しちゃったからなあ。
モーリシャスの魅惑の熱帯歌謡は、
欧米のDJ連中が掘ってるのより一時代前の60年代に,、
たんまり眠っているんですけどねえ。

ロジェとマリー・ジョゼーとコンビも、60年代録音があるはずなんですけれど、
ぼくも聴いたことはないんですよねえ。
LP時代は、観光客向けのステージ衣装で、ダンサーたちとともに写った
レコードが何枚かありましたっけ。
ほかにも、ロジェのソロLPがあった記憶がありますけれど、手元にはなく、
CD時代になってから出た、04年作の1枚を持っています。

このCDが絶品なんですよ。
オープニングから、コロコロとしたバンジョーの響きと、
アコーディオンの涼し気な音色に誘われて、
セガの朗らかなリズムに頬がゆるみます。

ロジェのバックで囃子役の男女が、ちゃちゃを入れたり、
のどかなトランペットがフィーチャーされるのもなんとも楽しくって、
これぞセガのムードです。ロジェのコミカルな歌いぶりも、
セガの大衆芸能らしい性格をよく映し出しています。

ドラムスの生音や、キーボードの加工していない音づくりが、
これほどここちよいアルバムも、なかなかないですよねえ。
まるでデモ・テープみたいなサウンドですけど、
60年代のアクースティックな歌謡セガに通じるローカルらしい味わいで、
これをチープと呼ぶ人は、心が曲がってます。

『ポップ・アフリカ700/800』の選盤では、
ミッシェル・ルグリに席をゆずってもらったので、
ロジェ・クランシーは紹介できませんでしたが、
ミッシェル・ルグリのアルバムと全く遜色のない内容です。

思えば『ポップ・アフリカ700/800』でセレクトしたシリル・ラムドゥー、
ミッシェル・ルグリ、トントン・アンペーニュだって、
聴いたことのある人が、いったい何人いるのやら。
現地産CDはいまや入手不可能だし、ストリーミングにあるわけないし、
容易に聴けない状況が、クヤシイったらないですよ。

Roger Clency "ROULÉ CLENCY" Wannado Production W059/04 (2004)
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フランス発ノスタルジックなインド洋音楽バンド レ・ピトン・ド・ラ・フルネーズ [西・中央ヨーロッパ]

Les Pythons De La Fournaise  L’ORCHESTRE DU PITON.jpg

フランスにこんなバンドがいたなんて!
レユニオン出身のルネ・カデ(ヴォーカル、ギター)を中心に、
フランスの若いミュージシャンたち9人が集まったセガ楽団、
レ・ピトン・ド・ラ・フルネーズであります。
インド洋のクレオール・ダンス歌謡のセガがエレクトリック化した時代の、
60~70年代の曲を歌うとは、な~んて、酔狂な連中なんでしょうか!
こちらのツボを押しまくってくれる選曲に、もう、ナミダがちょちょぎれます。
レユニオンにある火山の名前を、グループ名にするだけありますね。

60~70年代のセガといえば、多くのインディペンデントのレーベルが現地に生まれて、
EPが続々発売された時代ですね。
歌謡セガが、エレクトリック化によって一気にポピュラー化が進んだ時代でもあります。
当時のEPをコンパイルしたコンピレが、ここ数年やたらと出ているんですけれど、
それらのコンピレの選曲が、サイケ/チープ趣味に偏っているのがイケスカなくて、
当ブログで無視し続けていることは、カンのいい読者ならばお気づきのはず。

ところが、このレ・ピトン・ド・ラ・フルネーズの連中は、いいシュミしているんですよ。
クロード・ヴィン・サン、マキシム・ラオープ、フランソワーズ・ギャンベールなどの
レユニオン勢に、ファンファン、ロジェ・クランシーというモーリシャス勢の
セガやマロヤの名曲を取り上げ、原曲のアレンジをほとんどいじることなく、
現代に蘇らせているんですね。
エレクトリック・セガのもっとも美味しいところ、ツボがわかっていて、ご同慶の至り。

Maxime Laope  ILE DE LA RÉUNION.jpg

せっかくなので、ぼくがカンゲキしたレパートリーをご紹介しておきましょう。
レユニオンの名クルーナー、マキシム・ラオープの‘Madina’ は、
90年のLP“LES MEILLEURS SEGAS DE MAXIME LAOPE” がオリジナル。
92年に出たCD“ILE DE LA RÉUNION” に入っていました。
もう1曲のマロヤの‘Maloya Tantine’ は、タカンバ盤で聴くことができます。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2013-02-15

クロード・ヴィン・サンの名曲‘Maloya’ は、50年代末か60年代初期のころの録音で、
オリジナルはタカンバ盤で聴けるほか、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-10-20
時代の下った70年代に、アコーディオンをオルガンに代えて
再演したシングル盤もあります。
このシングルでは、ギター、エレピ、ドラムスをクロードの息子たちが演奏していて、
ボンゴ・ジョーのコンピレに、この再演ヴァージョンが選曲されていました。

でも、お手本にしているのはオリジナル録音のほうで、
アコーディオンをフィーチャーして、歌を男女二人で歌っているところは、
原曲に忠実です。エレクトリック・ギターが、エキゾティックでブルージーな
メロディを強調しているのが、すごく良い感じ。

Fanfan  ILE MAURICE.jpg

モーリシャスのファンファンの‘Belina’ は、オコラ盤に収録されていました。
オコラ盤は、アルバム・タイトルの「セガ・ラヴァンヌ」が示すとおり、
平面太鼓ラヴァンヌを叩きながら歌う伝統的なアフロ色の濃いセガですが、
こちらではバンド・アンサンブルで聞かせます。
キャッチーなメロディが、いかにもセガらしいポップな曲で、
ギターのリックがいいフックを作っていますねえ。
オリジナルの ♪ ベリナ ベリナ ♪ を連呼するところがないので、
歌詞を変えているみたい。

レユニオンでマロヤのグループを率いた初の女性歌手、フランソワーズ・ギャンベールが
78年に出した ‘Tantine Zaza’ は、彼女のニックネームにもなった代表曲。
ストラット盤のマロヤ・コンピレに選曲されていました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2017-09-16

Françoise Guimbert  PANIANDY.jpg

フランソワーズのプリティ・ヴォイスが、クールな音色のエレピとあいまって、
ブルージーなマロヤに得も言われぬ味わいを醸し出していたヴァージョンでしたが、
エレピの代わりに、エレクトリック・ギターとアコーディオンが
オリジナルのクールなムードを演出して、女性シンガーの若々しい声が、
フランソワーズの歌のニュアンスをよく模しています。
ちなみにこの曲、フランソワーズが01年に出したソロ作でも再演されています。

レ・ピトン・ド・ラ・フルネーズの演奏には、田舎ふうのいなたい味わいが溢れていて、
ドサ廻りのダンス・バンド的風情にグッときちゃうんですよ。
いまどきこんなノスタルジックなインド洋音楽をやるなんて、
フランス人らしいエスプリだよなあ。
メンバーの名前をみると、カヤンブ、ルーレ、ラヴァンヌ、サティの打楽器奏者が、
ひょっとするとレユニオンもしくはモーリシャスの出身者かもですが、
ほかのメンバーはフランス人のようですね。
女性歌手の一人が、ヴェトナム系の名前なのが気にかかります。

Les Pythons De La Fournaise  SLP!.jpg

すでに10年の活動歴があり、本作は3作目だということを知りました。
3作ともLPリリースで、CDは限定制作だったみたいですね。
12年の前作CDを入手したら、こちらでもクロード・ヴィン・サン、マキシム・ラオープ、
ジュール・アルランダといったレユニオンの名作曲家たちのセガを取りあげていました。
モーリシャス伝説のチ・フレールの‘Charlie O’ を
70年代エレクトリック・セガふうにカヴァーしたのなんて、痛快そのもの。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2009-10-22

鍵盤、ギターなどのエレクトリック楽器を、オールド・タイミーな音色使いで
ノスタルジックな演出するところなど、脱帽するほかありません。

Les Pythons De La Fournaise "L’ORCHESTRE DU PITON" Catapulte CATACD031 (2021)
Maxime Laope "ILE DE LA RÉUNION" Piros CDP5163 (1992)
Fanfan "ILE MAURICE: SÉGA RAVANNE" Ocora C560137 (1999)
Françoise Guimbert "PANIANDY" no Label CDH-l.oi01 (2001)
Les Pythons De La Fournaise "SLP!" Catapulte no number (2012)
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奇跡のアルメニアン・ソプラノ ザベル・パノシアン [西アジア]

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今年はアルメニアの歴史的録音の力作リイシューが続きますねえ。
トルコのカランがレーベル創立30周年を記念して、
『アメリカのアルメニア人』と題した3枚組CDブックを出しましたけれど、
今度は、アルメニア系アメリカ人社会で1910年代後半から20年代にかけて
人気を博したというソプラノ歌手、ザベル・パノシアンのCDブックが出ました。

カランの3枚組CDブックは、イスタンブールやイズミールで育まれた都市音楽から、
地方の農村の民謡、アルメニア民族舞踊を器楽化したダンス曲など
内容が多岐にわたり、資料性の強い内容でしたけれど、こちらは違いますよ。
美しい横顔の写真に惹かれ、どこのどなたかも知らずに買ったんですけれど、
深い哀しみを湛えたアルメニア独特のメロディを、
これ以上ないほど美しく歌っているその歌唱に、息をのみました。

1917年3月と18年6月にニュー・ヨークのコロムビア・スタジオで録音した11曲、
テイク違いを含めた21トラックが収録されていて、もう絶品なんです。
SPのナチュラルなチリ・ノイズの向こうから、ザベル・パノシアンの
繊細なソプラノ・ヴォイスが聞こえてきて、金縛りにあいます。

1曲目に収録された、ザベルの代表曲となったアルメニア民謡、
‘Groung’ でのポルタメントの美しさといったら、めまいがしてきます。
CDラストに同曲のテイク1が収録されていて(1曲目はテイク2)、
中盤にもテイク7が収録されています。

当時、移民歌手の録音は1・2テイクが通常で、
最大でも3テイクしか録らなかったのに、
7テイクも残したのは、異例中の異例だったようです。
テイク1とテイク2が17年録音、テイク7が18年録音なのは、
売れ行きが良かったからの再録音で、この曲は20年代にわたり
ロング・セラーになったのでした。

そんなエピソードを含むザベル・パノシアンの生涯が、
80ページに及ぶブックレットに詳しく書かれていて、
50点以上の貴重な写真も載っているんですね。
CDの素晴らしさにカンゲキして、一気読みしちゃいました。

1891年生まれのザベル・パノシアンは、幼少期からアルメニア聖歌を歌い、
少女時代には幼稚園の助手を務めながら、
典礼聖歌を指導をしていたというのだから、
バツグンに歌の上手い女の子だったんでしょう。
1907年にアメリカへ渡り、すぐに結婚した同郷の男性との生活を送りながら、
本格的な声楽を学ぶため、複数の教師に師事しています。
当時ニュー・ヨーク、フィラデルフィア、ボストン、シカゴでアペラ・ハウスが
続々オープンしていて、ザベルはボストン・オペラ・カンパニーに所属していました。

この録音のあとザベルは全米を巡業し、ロンドン、マンチェスター、パリ、ギリシャ、
エジプト、ジュネーブ、ローマ、ミラノと巡業し、ヨーロッパで大スターになります。
この巡業では、シューベルト、モンテヴェルディ、ベルディ、プッチーニ、ビゼー、
ロッシーニといった芸術歌曲を歌っていたようです。

ザバルがアルメニアの民謡や古謡を歌ったコロムビアのレコードは、
31年にアルメニア語のレパートリーがカタログから廃棄されたことで、
すっかり忘れられ、歴史の彼方へと消えていきました。
カナリー・レコーズを主宰するSPコレクターのイアン・ナゴスキーが、
今回復刻するまで、LP化されたこともなかったようですね。

知られざるアルメニア歌曲の、魂を奪われるような深淵さをもったソプラノ・ヴォイスに
すっかりヤラれて、ここのところのヘヴィロテ盤となっています。
今年のベスト・リイシュー・アルバムですね。

[CD Book] Zabelle Panosian "I AM SERVANT OF YOUR VOICE" Canary no number
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ぴちぴち跳ねるマラガシー・ビート ベリケリ&ザマ [インド洋]

Berikely & Zama  ELAELA.jpg

しばらくマダガスカルの音に接していなかったからか、
めっちゃ新鮮で楽しめた、マダガスカル/フランス混成グループのデビュー作。

カボスを弾き歌う在フランス・マダガスカル人シンガー・ソングライターのベリケリと、
ル・マン在住のギタリスト、エリック・ドボカが出会って結成されたザマは、
マダガスカル人パーカッショニストとフランス人兄弟のベーシストとドラマーを含む5人組。

全員マダガスカル人なんじゃないの?としか思えない、
オーセンティックなスタイルのサレギ、ツィンジャカ、バナキを演奏していて、
フランス人ミュージシャンたちのマダガスカルのリズムの咀嚼ぶりが鮮やかです。

完全人力演奏によるアクースティックな音づくりが、
マダガスカル現地産と聞きまがうようなサウンド・テクスチャなんですよ。
軽快にハネるサレギのビートなど、見事なまでにマラガシ・マナーで、
ぴちぴちと弾けるサウンドが、胸をすきますねえ。

フランス人ミュージシャンの音楽的背景がちらりと見えるのは、
エリック・ドボカがスークースぽいギターを弾く‘C'est Le Moment’ や、
‘Salama’ で披露されるエリック・ドボカのジャジーなギター・ソロや、
トマ・ブシュリーのベース・ソロくらいじゃないですかねえ。

ベリケリのサビのある声も土臭い歌いっぷりも、マラガシーらしくていい感じ。
ハーモニーをとるバック・コーラスとのバランスも、申し分ありません。
現在はフランスのナントに暮らすベリケリですけれど、
マダガスカルで85年にデビュー作を出して、
‘Tara Avion’ のヒットでマダガスカル全土に知られる有名人だそう。
ぼくはこれまでまったく知らない人だったので、少し調べてみたんですが、
マダガスカル盤CDは見つけられず。カセットだけだったのかなあ。

Berikely & Zama "ELAELA" Abrazik BAZ001/1 (2022)
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滋味溢れるフルベ・サウンド サヘル・ルーツ [西アフリカ]

Sahel Roots  DIARKA.jpg

うわぁ、ぼくの大好物の楽器の音色!
コロコロと可愛らしい音色を出す1弦楽器、これ、クンティギだよねぇ。
頬をゆるませながら、CDのクレジットをチェックすると、
ジュル・ケレンという聴き慣れない楽器名が記されていました。
あれ? クンティギじゃないんだ。

クンティギはナイジェリアのハウサの楽器で、
このデュオはマリだから、楽器名が違うのも当然か。
西アフリカのサバンナ一帯で、広くある楽器なんでしょうね。
形状はンゴニを小型化したもの。クンティギはおもちゃのような小ささですけれど、
YouTube でジュル・ケレンを見ると、ボディには洋梨型のくびれがあり、
どうやら木製のンゴニとは違い、半切りにした瓢箪をボディにしているようです。
サイズも、クンティギよりひと回り大きいかな。
でも音色は、弦を1本だけ張ったウクレレみたいで、
クンティギとまったく同じ、乾いた愛らしい響きを奏でます。

サヘル・ルーツは、この1弦楽器のジュル・ケレンと1弦フィドルのソクを弾く、
アダマ・シディベと、カラバシとドゥンドゥンを叩くアラサン・サマケの二人組。
93年カラ生まれのアダマ・シディベと、
83年ガオ生まれのアラサン・サマケはバマコで出会い、
19年から共に活動を始め、今回5曲入りのデビューEPを出したんですね。
このシブいサウンドから察するに、二人ともプール人かな。
ラスト・トラックの曲名は‘Takamba’ とあるので、
ひょっとしてアラサン・サマケは、ソンガイ人かもしれませんね。

Zoumana Tereta  NIGER BLUES.jpg   Zoumana Tereta  SOKU FOLA.jpg

収録時間18分45秒、わずか5曲だけのミニ・アルバムですが、
フルベ(プール)音楽好きにはたまらないサウンドです。
アダマ・シディベは最初の3曲でジュル・ケレンを、あとの2曲でソクを弾いています。
ソクといえば、マリ音楽ファンならプール人音楽家で、
ソクの名手のズマナ・テレタをご存じと思いますが、ズマナ亡きあとも、
こうして若手がちゃんと育っているのは頼もしいですねえ。

Alhaji Dan Maraya Jos  EMI.jpg   Alhaji Dan Maraya Jos  KUDI MASU GIDA RANA.jpg

さて、冒頭に触れたクンティギですが、ぼくがクンティギに愛着を持ってきたのは、
ナイジェリア中央部ジョス近郊のブクル出身のハウサ人グリオ、
アルハジ・ダン・マラヤ・ジョス(1946-2015)のレコードを、
40年近く愛聴してきたからです。
おもちゃみたいなクンティギを弾き倒しながら、
雄弁な歌いぶりで聞かせる、たったひとりだけの名人芸。
グリオというよりミンストレルにも通じる機知に富んだヴォーカルが、
ものすごく魅力的なんです。
この先CD化やストリーミングが実現するとは到底思えませんが、
40年前に買った2枚のレコードは宝物で、
久しぶりに懐かしく聴き返してしまいました。

さて、そんなダン・マラヤ・ジョスを思い出させてくれたサヘル・ルーツですけれど、
来たるフル・アルバムでは、このデュオの良さを損なわぬよう、
余計なゲストなど呼ばず、ぜひこの二人の演奏だけで制作してもらいたいな。

Sahel Roots “DIARKA” Mieruba no number (2022)
Zoumana Tereta "NIGER BLUES" Cobalt 09361-2 (2003)
Zoumana Tereta "SOKU FOLA: TRADITIONAL STRING MUSIC FROM SEGOU, MALI" Kanaga System Krush no number (2008)
[LP] Alhaji Dan Maraya Jos "ALHAJI DAN MARAYA JOS" EMI NEMI(LP)0043
[LP] Alhaji Dan Maraya Jos "KUDI MASU GIDA RANA" Polydor POLP151
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新しい冒険の始まり スター・フェミニン・バンド [西アフリカ]

Star Feminine Band  In Paris.jpg

ベニンのガール・グループ、スター・フェミニン・バンドの新作ですよ!
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-01-02

デビュー作から2年、うわー、演奏、上達したじゃないですか。
拙い演奏をしていたデビュー作とは、見違えましたね。
リズム・セクションがすっかり安定して、アンサンブルががぜん良くなりましたよ。
きっと猛特訓したんだろうけど、彼女たちの急成長ぶりに、目を見開かされました。
デビュー作では10歳から17歳だった彼女たちは、12歳から19歳に成長したわけで、
この年頃の子供にとっての2年間というのは、大きな成長を遂げる時期ですよねえ。
なんだかもう彼女たちのことになると、すっかり保護者目線で応援してしまう自分です。

セカンド作は、フランス、スイス・ツアーを成功させて、パリで録音されたもの。
パンデミックの状況下で国外ツアーを敢行するのは、まるで障害物競走のような
困難の連続だったと、ライナー・ノーツに書かれています。
パスポートの取得から、未成年者の夜間労働の許可証ほか、
その他各種証明書の煩雑で非能率な手続きを、乗り越えなければなりませんでした。
そのうえ、ベニンでは未成年者はワクチン接種を受けることができないため、
ワクチン接種にも大変な苦労があり、ツアーの先々でも何度も検疫で足止めされたようです。

そんなさまざまな障壁を乗り越えながら、最初フランスに到着した彼女たちは、
エスカレーターにどうやって乗ればいいのかわからずに立ちすくみ、
電気のない炎天下で演奏をしてきた環境とは、まるっきり別世界の大きなステージで、
わくわくが止まらない歓喜に満ちた冒険をしてきたのですね。

ポリリズムが応酬するオープニングの‘We Are Star Feminine Band’ は、
まさにコンサートのオープニングにぴったりの曲。
ハーモニー・ヴォーカルが少女たちの一体感を強調して、
ブリッジを挟んで、ジュリエンヌのベースが倍テンポで演奏し始めると、
がぜんバンドのグルーヴが大きくなって、アンサンブルがヒート・アップします。
22年3月に12歳を迎えたばかりのバンド最年少のドラマー、アンジェリックは、
デビュー作ではリズム・キープに必死といった感じだったのが、
今作ではフィル・インにもゆとりがありますよ。

新たにユニセフの大使という役割を負うようになったスター・フェミニン・バンドは、
アフリカ社会のなかで選択肢を持たない少女たちの現状を、ダイレクトに訴えています。
‘Le Mariage Forcé’ で子供の見合い結婚の強制に抗議し、
‘L'excision’ は、性器切除に反対するなど、彼女たちに差し迫っている状況が、
複雑なポリリズムによって演奏されると、その切迫さがより生々しくリスナーに届きます。

ベニンのヴードゥー由来のリズム、サトに、コンゴのルンバやレゲエなどのリズムを
さまざまにミックスしたリズム・フィギュアもこなれ、
ルンバのセベンのようなダンス・パートでのギター・リックや、
オルガンやバラフォンのキャッチーなフレーズも効果を上げていますね。

演奏力に合わせて、メッセージを伝えるコミュニケーション能力も
格段に向上した彼女たちの今後の新たな冒険が、ますます楽しみです。

Star Feminine Band "IN PARIS" Born Bad BB157 (2022)
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知られざる地方版エド・ハイライフ ワジリ・オショマー [西アフリカ]

Alhaji Waziri Oshomah  WORLD SPIRITUALITY CLASSICS 3 THE MUSLIM HIGHLIFE OF ALHAJI WAZIRI OSHOMAH.jpg

ぎゃはは、これは暴挙だ!
ルアカ・バップが、こんな超ローカルなナイジェリアのハイライフをリイシューするなんて、
いったい誰が想像できたでしょうか。
いやぁ、酔狂にも程があるぞといいつつ、けっこう喜んでおります、ワタクシ。
ルアカ・バップが出したってところが、痛快じゃないですか。
「デイヴィッド・バーンの」という宣伝文句につられて、買ってください、みなさん。

アフリカ音楽ファンの間でも、おそらく一番人気がない、イボ系ハイライフ。
セレスティン・ウクウ、ステファン・オシタ・オサデベなんて大物ですら、
ロクに知られていないのが現状ですからねえ。
イボ系ハイライフの裾野はとてつもなく広くて、イボのサブ・グループや周辺の民族ごとに、
それぞれ異なるシーンがあって、レコードも大量にあるんですよ。
内戦(ビアフラ戦争)以降は、おそらくレゴスにすら流通しなかったであろうと思われる、
ナイジェリア南東部州のみで地産地消したローカル・レーベルの作品が、
大げさでなく星の数ほどあります。

今回ルアカ・バップがリイシューしたワジリ・オショマーも、そうした一人。
イボではなくて、ナイジェリア南部中央に位置する、
エド州北部に暮らすアフェマイ人の音楽家ですね。
アフェマイ人が暮らす地区、エツァコを代表するミュージシャンとして、
地元では「エツァコのスーパー・スター」とあがめられてきた人ですが、
エド州を出れば、ほぼ無名といってよい存在。

エド出身といえば、ヴィクター・ウワイフォが、ナイジェリア全土で人気のある
ミュージシャンとして有名ですね。エド人はベニン王国の末裔で、
イボ人とは異なる民族の歴史を持っていますけれど、
エフィクやイジョといった周辺の民族と音楽性が共通しているため、
イボ系ハイライフと便宜的に一緒に括られるんですが、
アフェマイ音楽をベースにしたワジリ・オショマーは、
エド・ハイライフとみなされています。
アフェマイ人はエド人と近隣関係にあり、
いわば地方版エド・ハイライフといったところですかね。

ワジリの活動初期にあたる73~77年は、デッカに録音をしていましたが、
本作は78年以降のシャヌ・オルやベニン・シティのレーベル、エボンホンに録音した
曲から選曲されています。ブックレットの解説を、DJとしても活躍する
ナイジェリア人研究家のウチェンナ・イコネが書いていて、ピンときました。
5・6年前だったか、フランスのレコード屋が、
ワジリの80年のエボンホン盤を限定リリースでLPリイシューしたとき
(日本語のオビを付けた、フランス人らしいマニアぶりに驚いた記憶があります)、
ウチェンナ・イコネがライナーノーツを書いていたんですよね。

ひょっとして、ルアカ・バップにこの企画を持ちかけたのは、彼なんじゃないの?
真相はわかりませんが、彼が書く解説は信頼がおけます。
あれ?と思ったのは、ワジリ・オショマーは47年生まれと書いてあったことくらいかな。
ぼくの手元の資料には、48年2月12日生まれとあります。
本作のウチェンナの解説に書かれていないことを、少し補足しておきましょう。

ワジリ・オショマーは、アフェマイの伝統音楽アグビから音楽家としてのキャリアを
スタートさせた人で、アグビをハイライフのサウンドを借りて現代化したんですね。
ワジリがトラディショナル・サウンド・メイカーズと自己のバンドを名付けのも、
むべなるかな。
アグビは、収穫期に太鼓ほかの打楽器アンサンブルと歌い手たちが
コール・アンド・レスポンスする音楽で、オショマの初期録音のデッカのカタログを見ると、
アグビ~ネイティヴ・ブルース~ハイライフと変遷しているという記録があります。
ワジリの父親チーフ・スレ・オショマー・アディカレは、
メイキディと称される太鼓の名手だったそうですが、アグビの音楽家だったのでしょう。

きちんとリマスターされた本作は、
盤質の悪いオリジナルのナイジェリア盤LPや、紙パック製CDとは、
比べものにならないハイ・クオリティの音質を楽しめます。
とても売れそうにないCDですけど、何も知らずうっかり買った人のわずかでも、
こういうローカルなハイライフを好きになってくれたら、いいんですけれどねえ。

Alhaji Waziri Oshomah "WORLD SPIRITUALITY CLASSICS 3: THE MUSLIM HIGHLIFE OF ALHAJI WAZIRI OSHOMAH" Luaka Bap 6 80899 0100-2-3
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一匹狼の民謡無頼派 中西レモン [日本]

中西レモン  ひなのいえづと.jpg

民謡クルセイダーズや俚謡山脈に続く、民謡の新解釈派でしょうか。
中西レモンは、初代桜川唯丸流の江州音頭を学び、
関東に広めようと活動している人とのこと。
若い頃から東北の民謡や越後の瞽女唄に興味を持ち、
各地を訪ねて人と出会い、フィールドワークしながら歌ってきたんだそうです。

家元という制度に与しなかった、一匹狼の無頼派たる心意気が、
中西の歌いぶりからビンビンと伝わってくるようじゃないですか。
こぶし回しに、しっかりとした鍛錬を感じさせる一方で、
技巧に溺れない歌への情熱が、野趣な味わいとなって
しっかり溢れ出ているところが、頼もしいですよ。

そしてそんな中西をバックアップする、伴奏のアレンジのたくらみが、またスゴイ。
昭和歌謡な「ホーハイ節」、インドのタブラとイランのダフが伴奏する「斎太郎節」、
キューバのトローバに変貌する「とらじょさま」など、どんだけ引き出し持ってんだと驚嘆。
シンガー・ソングライターのあがさという人がアレンジをしているんですけれど、
レゲエやアフロビート、はたまたクンビアといった、ワールド・ミュージック的音楽要素を、
いっさい援用していないところが、この人、わかってるというか、知識の深みを感じます。

ブルースやジャズのスケールやテンション・ノートといった、
日本民謡にない和声の使用を慎重に避けているようで、そこにもめちゃ好感が持てます。
日本民謡に限った話じゃないですけど、伝統音楽の現代化にあたって、
ジャズぽくアレンジするのとかって、凡庸なアイディアで、ダサイじゃないですか。
おそらくこのあがさという人は、そのあたりをちゃんと意識してアレンジしていますね。

アイディアは豊かだけれど、奇をてらっていない。
日本民謡の演奏に、アジア、アラブ、アフリカの楽器を使っても、
その響きが浮くことなく、しっくりと溶け合っている。
あがさのプロデュースの手腕、見事なもんです。

そしてジャケットのカヴァー・アートを描いたのは、中西レモン本人だそう。
え~! 画家としての才能もスゴイじゃないですか。
大学で絵画表現を専攻したそうで、パフォーマンス・アートや舞踏にも関心をもち
04年から14年までショーケース形式の舞台企画を運営していたというのだから、
多才ですねえ。

中西レモン 「ひなのいえづと」 ドヤサ! DYS005 (2022)
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南アのジャジー・フォーク・ソウル ピラニ・ブブ [南部アフリカ]

Pilani Bubu  FOLKLORE CHAPTER 1.jpg

南アのシンガー・ソングライター、ストーリーテラーのみならず、
テレビ番組のプレゼンター、インテリア、ブランド・コンテンツのクリエイターなどの
ビジネス・ウーマンとしてマルチな活躍をするピラニ・ブブの19年作が、
フランスでフィジカル化。南アではデジタル・リリースのみだったのです。

本作は、20年の南アフリカ音楽賞(SAMA)で、
ベスト・アフリカン・アダルト・コンテンポラリー・アルバムを受賞した作品です。
ピラニは、84年にアパルトヘイト時代にトランスカイと称された
コサ人自治区のムタタ(現在は東ケープ州)に生まれたルーツを反映して、
ンバクァンガやイシカタミヤをとびっきり洗練させたスタイル、
「ジャジー・フォーク・ソウル」を自称しています。

ここまで洗練の度を高めると、「フォークロア」とタイトルで謳ってみても、
野性味や土臭さとはまるで無縁な音楽だから、
先日記事にした、ジブチのヤンナ・モミナにカンゲキするような嗜好の持ち主には、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-09-28
いささか清く正しすぎやしないかと感じるのが、正直なところ。
なんだか、公共放送の教育番組の音楽みたいで、ねぇ。
もちろん南アらしいオーガニックな味わいなので、
一般ウケする聴きやすいアルバムだとは思いますけれども。

じっさい、この人の経歴を見れば、プレトリア大学で商学士号を取得後、
さらに法学、マーケティング、経営学を学ぶために、
アメリカのジョージア大学にも留学していて、めっちゃエリートやん。
で、じっさいビジネスの場から音楽活動に軸足を変えたのは、
12年にニュー・オーリンズを訪れた際、初めて人前で歌ったことが決め手となり、
勤めていた会社をやめたんですって。

まぁ、そういうキャリアの人なので
めちゃくちゃコンテンポラリーな音楽に仕上がるのは、当然の帰結。
歌手となるきっかけとなったニュー・オーリンズへは、
その後もたびたび訪ねてステージに立っていて、
アフリカ各国、ヨーロッパ、アメリカをツアーしています。

フォークロア・フェスティヴァルで出会ったという、
ケニヤのパビリオン、レソトのレオマイル、ガーナのスティヴォー・アタンビレ、
ワンラヴ・ザ・クボローとのコラボレーションが深まると、
彼女のジャジー・フォーク・ソウルが、また新たな発展をしそうですね。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-08-23

Pilani Bubu "FOLKLORE CHAPTER 1" Bupila/Music Development Company MCD029 (2022)
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エレクトロ+セネガリーズ・ラテン ラス [西アフリカ]

Lass  BUMAYÉ.jpg

いよいよセネガルからも、アフロビーツの影響大なシンガーが登場しましたね。
これまでに、R&Bやヒップ・ホップ、ラガの影響を受けた
新世代ンバラのシンガーはいるにはいましたけれど、
そうしたシンガーと一線を画す新しさが、
このラスことラッサナ・サネのデビュー作にはあります。

ダカール郊外の海沿いの街、ムバタルで生まれたラスは、
幼くして父を亡くし、野菜売りの母の収入では通学の交通費をねん出できず、
高校をドロップアウトして、漁師と一緒に仕事をしたといいます。
漁業の仕事をしながらも、音楽への情熱が失せることはなく、
朝から海辺へ行って、波の砕ける音に負けない声を出すトレーニングを重ね、
2年間かけて大きな声を獲得したそうです。グリオのような声が欲しかったんですね。

その後、ダーラ・Jのスタジオでデモ録音を作ってはみたものの、
チャンスに恵まれず、09年にフランスのリヨンへ渡り、
昼は警備員の仕事をしながら、歌手活動を続けます。
道が開けたのは、プロデューサーでマルチ奏者の
ブルーノ・オヴァール(パッチワークス)との出会いでした。
ブルーノのプロジェクト、ヴォイラーへ参加するほか、
エレクトロ・デュオのシナプソンとのコラボによってラスの名が次第に広まり、
チャプター・トゥーのディレクターの目にとまって、本デビュー作が実現しました。

このアルバムで聞けるラスの音楽性の新しさは、セネガル版アフロビーツともいえる
ブルーノ・オヴァールやシナプソンが絡んだエレクトロなサウンドにあるわけですけれど、
面白いのは、そうしたサウンドと、古いセネガリーズ・ラテンが同居しているところですね。
そして、ンバラの影響を感じさせないところも、興味深いです。

セネガリーズ・ポップの歴史をひも解けば、アフロ・ラテン時代を経て、
ンバラが誕生・発展し、ヒップ・ホップへと移ってきたわけですけれど、
ラスの音楽性からは、ンバラが中抜きされている印象があります。
じっさい、ラスが影響を受けたアーティストとして挙げているのは、
オーケストラ・バオバブ、アフリカンド、ハラム、ポジティヴ・ブラック・ソウル、
ダーラ・Jで、ンバラのアーティストが見当たりません。

スター・バンドやオーケストラ・バオバブのサウンドを聞かせる‘Mero Pertoulo’ や、
コンパイ・セグンドのメロディを借りたという‘Sénégal’、
さらにビックリさせられるのが、アフロ・キューバン色濃い
70年代のベンベヤ・ジャズのサウンドを再現した‘Olou’ です。
これには往年のアフリカ音楽ファンも、悶絶することウケアイでしょう。

それにしても、ラスの歌声の良さといったら。
オープニングのタイトル曲‘Bumayé’ のフレッシュな歌いっぷりには、背が伸びますね。
そしてその歌声には、匂い立つようなウォロフ臭さが充満していて、
セネガル好きにはたまりませんよ。

ヴィクトル・デメやイスマエル・ローの‘Tajabone’ にインスパイアされたという、
ラスト・トラックの‘De Du Tago’ のフォーキーなサウンドがまた妙味。
37歳という遅いデビュー作を果たしたラスの声の苦味に、
苦労人らしい味わいが滲みます。

Lass "BUMAYÉ" Chapter Two 3419262 (2022)
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