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ミナスの変拍子ジャズ ダヴィ・フォンセカ [ブラジル]

Davi Fonseca  PIRAMBA.jpg   Davi Fonseca  PIRAMBA package.jpg

すごい、すごい、という噂は耳にしていたけれど、
フィジカルが手に入らず、いつもの悪いクセでずっと聴かずにいた、
ミナスのピアニスト、ダヴィ・フォンセカのデビュー作。
ダヴィ・フォンセカ本人所有のストック分を放出してもらったという、
レアな逸品を入手することができました。

いかにも自主制作らしい凝ったパッケージで、
クリーム地にデザインされた封筒の下にある切り取り線をピリピリと破ると、
グレーのスリーブ・ケースが出てきて、
なかに透明オレンジのCDスリム・ケースが封入されています。

ピアノとヴォーカルのダヴィ・フォンセカのほか、アレシャンドリ・アンドレスのフルート、
アレシャンドリ・シルヴァのクラリネットに、
ヴィブラフォン兼ビリンバウ、ベース、ドラムスという6人編成。
ゲストにアコーディオンのラファエル・マルチーニ、
ギターのフェリーピ・ヴィラス・ボアス、
ヴォーカルのモニカ・サウマーゾという面々で、
今のブラジルのジャズ・シーンに注目する人なら、最高のメンバーでしょうが、
個人的には相性のあまりよろしくない人も多く、やや心配。

ですが、のっけのビリンバウとパンデイロのイントロから始まる変拍子曲で、
はや白旗降参しちゃいました。
何拍子だ、これ?と思わず指折り数えちゃいましたよ。17拍子かな?
7拍子のパートもあって、行ったり来たりするんですよ。うわぁ、難度高っ!
ミナスらしい美しいハーモニーのなかに、異物感のある不協和音を混ぜたり、
主旋律と対旋律を楽器を変えながら動かすポリフォニーの使い方など、
アンサンブルを自在に動かすめちゃ高度なコンポジションが圧巻。

一方、ヴォーカルのメロディは素朴なペンタトニックだったり、
シンプルに聞かせるところがミナスらしくて、ワザありコンポーズですねえ。
変拍子ばかりでなく、ポリリズムも多用されていて、
端正にさらっと演奏しているんだけど、複雑な仕掛けがあちこちに施されているという、
なんだか知的ゲームのような音楽です。
全曲変拍子というヘンタイぶりと、スリリングなリズム・ストラクチャーなど、
エルメート・ミュージックと比肩するプログレッシヴなブラジリアン・ジャズですね。

Davi Fonseca "PIRAMBA" Savassi Festival no number (2019)
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フジ+アフロビーツ+ゴスペル アデワレ・アユバ [西アフリカ]

Adewale Ayuba  Fujify Your Soul.jpg

ひさしぶりにヴェテラン・フジ・シンガー、
アデワレ・アユバの新作を聴くことができました。
18年の二部作 “BONSUE RELOADED” 以来ですね。
アユバは、パスマやスレイモン・アラオ・アデクンレ・マライカのような
ドスの利いたがらがら声ではなくて、シワがれ声の歌いぶりに味のある人。
ヘヴィー級にはないライト級シンガーならではの軽みと、
ポップなセンスがあるのが、他のフジ・シンガーにないアユバの個性です。

パスマの新作にアフロビーツを取り入れたトラックがあって、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2023-06-01
フジのマンネリ・サウンドにも、ようやくブレイクスルーが来たかと
喜んだんですが、アユバの新作にもアフロビーツ、あるんですよ。

それが ‘Koloba Koloba’ で、長尺の2曲の間に挟まれて収録されています。
21年にシングルで発表され、TikTokなどで8000以上のカヴァーが作られるほどの
ヒットを呼んだ曲だそうで、それゆえ新作に収められたんでしょう。
ハネのあるリズムと軽いタッチのグルーヴが心地良いトラックで、
ギター、オルガン、サックスなどの生演奏を絡め、
トーキング・ドラムのフィルがかくし味となっています。

近年ナイジェリアで盛り上がりを見せている
アフロゴスペル(アフロビーツ+ゴスペル)のプロデューサーとして活躍する
LC・ビーツがプロデュースした曲で、LC・ビーツは、
クリスチャン・ヒップ・ホップのラッパーだった人です。

人生の成功は神と幸福な結婚のおかげと歌ったこの曲も、
クリスチャン・ミュージックのアフロゴスペルのようです。
実は、アユバは2015年にキリスト教に改宗したんですね。
改宗後もイスラム系音楽のフジを歌っているのが謎で、
クリスチャンのフジってありなのか?と訝しむんですけど、多分ありなんでしょう。
LC・ビーツとのコラボは、クリスチャンとしてのアユバのマニフェストなのかも。

ちなみに、サブスクには4曲多く収録されていて、
そちらはアフロビーツではなく、ジュジュ/フジのトラック。
従来のマンネリを打破した新感覚のサウンドを聞かせているのに注目ですね。
アフロビーツがグローバライズするまでになった時代に、
ようやくフジも新たな展開を見せ始めてきて、面白くなってきましたよ。

Adewale Ayuba "FUJIFY YOUR SOUL" BA no number (2023)
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セネガルからインターナショナルへ シェイク・イブラ・ファム [西アフリカ]

Cheikh Ibra Fam  PEACE IN AFRICA.jpg

えっ! シェイク・イブラヒマ・ファル?
ジャケットのアーティスト・ネームに、一瞬セネガルのスーフィー教団、
バイファルの活動家(1855–1930)を思い浮かべたんですが、
んなわけない。早とちりでした。

オーケストラ・バオバブでシンガーを務めたこともあるという
シェイク・イブラ・ファムのインターナショナル・デビュー作。
バオバブのアルバムをチェックしてみましたが、その名前は見つからなかったので、
録音は残さなかったようです。コンサート・ツアー・メンバーにその名があるので、
バオバブと世界を回ったのは確かなのでしょう。

アルバム・タイトルの1曲目にビックリ。アフロビーツじゃん。
う~ん、アフロビーツはセネガルにも飛び火してるわけね。
というより、インターナショナル・マーケット狙いなら、
いまや必須のプロダクションなんだろうな。

モータウンに所属したザ・ボーイズの元メンバーで、
シャニースやボビー・ブラウンのリミックスを手がけたハキム・アブドゥルサマドが
アレンジとミキシングを担当しているから、抜かりありません。
ハキム・アブドゥルサマドは、エイコンの06年作 “KONVICTED” のプロデュースや、
ユッスーの19年作 “HISTORY” のエンジニアリングも担当していましたからね。

しかもプロデュースには、シェイク・イブラ・ファム自身に加えて、
ワールド・ミュージックの敏腕マネージャー、ジュリー・リオス・リトルの名もあります。
現在彼女は、シェイク・イブラ・ファムのマネージャーをしているのだそう。
世界進出するに万全な布陣を敷いた本作、
セネガリーズ・ポップを飛び越えた意欲的な作品となっています。

中央アフリカ出身でブリュッセルのディープ・ハウス・シーンで活躍するヴェテラン、
ボーディ・サットヴァをフィーチャーした冒頭のアフロビーツの ‘Peace In Africa’、
セネガルのフォーキーなメロディとトロンボーン・サウンドを絡ませた ‘Yolele’、
カーボ・ヴェルデ系フランス人レゲエ・シンガーを迎えた ‘Diom Gnakou Fi’、
マリ出身の母親がよく歌っていたというゲレ人のダンス・チューン ‘Ayitaria’ では、
ゲストのシェイク・ローがフレッシュな歌声を聞かせます。

さらに、オーケストラ・バオバブの看板歌手バラ・シディベと、
サックスのチェルノ・コイテを招いた ‘The Future’、
ルンバ・コンゴリーズ・スタイルのギターが輝く ‘Coumba’ などなど、
趣向の凝らしたトラックは聴きもので、
イブラ・ファムの伸びのあるヴォーカルが、どの曲でもよく映えています。

Cheikh Ibra Fam "PEACE IN AFRICA" Soulbeats Music SBR159 (2022)
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修道女の人生に寄り添ったピアノ エマホイ・ツェゲ=マリアム・ゲブル [東アフリカ]

Emahoy Tsegé Mariam Guèbru  THE VISIONARY.jpg   Emahoy Tsege-Mariam Gebru  JERUSALEM.jpg

エチオピアの修道女ピアニスト/作曲家、
エマホイ・ツェゲ=マリアム・ゲブルに光が当たることなど想像もしなかっただけに、
ミシシッピ・レコーズのリイシューを契機とした再評価には、ちょっとびっくりしています。
旧来のエチオピア音楽という文脈からではなく、
新しいリスナーを獲得しているのは、この人の評価としてふさわしいですね。

06年にエチオピ-ク・シリーズの第21集で出た時には、
エチオピアにはこういう人もいるのかと驚きましたが、そのネオ・クラシカルなピアノは、
濃厚なエチオ・グルーヴを好むファンがスルーするのも、致し方無いところ。
ぼくは関心を持ってフォローしていたので、
12年にイスラエルで出たピアノ・ソロ・アルバムも聴いていましたが、
今となっては、それもちょっとしたレア盤となっていたようですね。

今回ミシシッピがその12年作から7曲、
72年の3作目から3曲を選曲した編集盤を出したんですが、
それを見てさすがに腹が立ち、書き残さずにはおれなくなりました。
批判記事をテーマにしないのが、当ブログのモットーなのではありますが。

ミシシッピの編集盤は、わずか10曲しかコンパイルしておらず、
収録時間35分11秒というケチくささなんですよ。
12年のピアノ・ソロ・アルバムは、全13曲収録時間60分33秒で、
72年に西ドイツで出た10インチ盤の全7曲を含め、
おそらく全曲をCD1枚に収録できたはずだっていうのに。
どうしてこんな中途半端な編集をする必要があるんですかね。

そもそもミシシッピが出したエマホイの2枚のLPも、
エチオピーク第21集の曲をバラして出しただけのこと。
エチオピークが廃盤になっているわけでもないのに、
こんな尻馬に乗ったLP出して、なんの意味があるんだとフンガイしていたんです。

以前からミシシッピのリイシューのやり口に反感いっぱいだったので、
今回もまたか!と怒りをおぼえた次第。
ついでに言うと、ぼくが『レコード・コレクターズ』にミシシッピのレコードを
けっして取り上げないのは、そういう理由からです。
(だからなのか、『ミュージック・マガジン』に書く人がいるけど)

LP時代からCD時代に移り、収録時間が延びたことで、
曲数多く復刻できるようになったというのに、
プレイリストの時代に移って、ヴァイナルに回帰する酔狂の挙句、
曲数を減らして出すって、どんだけバカなんですかね。
レアCDをリイシューするのはたいへん結構だけど、
短縮化して出すレーベルって、根性曲がりすぎだろ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-08-02

書いてるだけでもムカムカしてくるんで、もうこれくらいにして、
エマホイ・ツェゲ=マリアム・ゲブルの紹介をしましょう。
エチオピアのエリック・サティだとかドビュッシーなどと形容されるとおり、
エチオピア旋法(ティジータ、バティ、アンバセル、アンチホイェ)を
ほぼ感じさせない独自のピアノを弾くエマホイは、
アズマリに端を発するエチオピア音楽とは無縁の音楽家です。

近代エチオピアを代表する知識人として尊敬される文学者で政治家の
ケンティバ・ゲブル・デスタ(1855-1950頃)の娘として生まれた人ですからね。
エチオピアの下層民である音楽家とは、
天と地ほどにも違う上流階層の出身だったのです。
6歳で父が若き日に神学を修めたスイスへと渡り、女子寄宿学校でピアノを習い、
ヴァイオリンも学びます。63年にファースト・アルバムを録音したのも、
ハイレ・セラシエ1世のはからいがあったからなのでした。

しかしそうした身分に生まれたからこそ、エマホイの人生は、
挫折した運命と苦しみの代償の物語だったと、
フランシス・ファルセトは、エチオピーク第21集で語っています。
第二次イタリア・エチオピア戦争でアディス・アベバがイタリアに占領され、
1937年にエマホイとその家族は、イタリアのアシナラ島の収容所に送られ、
のちにナポリ近郊のメルコリアーノに強制送還されます。
戦後にようやく解放されると、エマホイはエジプトへ渡り、
カイロで再び音楽の勉強を始め、44年になってエチオピアへ帰還します。

しかし彼女は、エチオピアの上流社会の権力と陰謀に絶望してしまい、
信仰の生活を選び修道女となりますが、修道院での過酷な生活にも耐えられず、
アディス・アベバの孤児院で教える道を選び、再び音楽を始めるようになります。
そして67年に母親とともにエルサレムへ渡り、エチオピア正教会の事務所で働きます。
72年に健康状態が悪化した母を看病するためにいったんエチオピアへ戻り、
エチオピア正教会の総主教の秘書を2年間務めますが、
メンギスツの独裁下で宗教迫害に耐え兼ね、
84年にエルサレムのエチオピア修道院へと戻って、
今年の3月26日、99歳で亡くなるその日まで過ごしました。

苦難と孤立の道を歩み、運命に翻弄された彼女のピアノには、
その音楽がどのようにして生まれたのか知らぬ者をも胸打つ響きがあります。
それが、エチオピア音楽という枠外で人を魅了するようになったゆえんでしょう。

Emahoy Tsegé Mariam Guèbru "THE VISIONARY" no label no number (2012)
Emahoy Tsege-Mariam Gebru "JERUSALEM" Mississippi MRI200
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エクスペリメンタルR&Bの逸材 リヴ [北アメリカ]

Liv.e  GIRL IN THE HALF PEARL.jpg

過激なエレクトロで彩られた1・2分台の曲が次から次へと飛び出し、
頭クラクラ、混沌としたサウンドに翻弄されていると、
あっという間にラスト・トラックへと行きつき、トートツに終わってしまい、ボーゼン。
「なんじゃこりゃあ!」と、松田優作みたく思わず叫んじゃいましたよ。
すぐさまアタマからリピートしてしまい、
すっかりこのアルバムの中毒性にヤラれてしまいました。

ダラス出身、ロス・アンジェルスを拠点に活動する、
R&B系新進シンガー・ソングライターの初フル・アルバム。
ドラムンベース? アンビエント・テクノ? アブストラクトR&B?
ヴェイパーウェイヴ? なんと表現すればいいのかわからないトラックが並びます。
プロダクションはえらくエクスペリメンタルなんだけど、
強烈に惹き付けられたのは、甘美な音色とメロディの美麗さゆえ。

最近のR&Bって、めちゃくちゃ音色の選択が良くなったと思うんだけど、
特にこのアルバムなんて、デリカシーの塊みたいな音響。
音の輪郭がくっきりとしていて、不快な響きがいっさい出てこない。
最近、電子音楽やアンビエントにも抵抗なく楽しめる作品が多くなったのって、
間違いなく音選びのチョイスとセンスの向上のせいだな。

リヴが絶叫する場面ですら、ぜんぜん耳に痛くならないのは、
声が浮遊するサウンドスケープに織り交ざって、
ナマナマしい感情表現がメロウなサウンドにくるまれているから。
こんな激情の伝えかたもあるんだねえ。斬新だなあ。
音楽一家に生まれ、エリカ・バドゥやロイ・ハーグローヴらが通った
ブッカーT・ワシントン高校からシカゴ美術館附属美術大学に進んで
アート、音楽を学んだという人だから、その才覚は確かですよ。

すっかりこのアルバムにマイっていたら、
なんとタイミングよく来日するというので、楽しみにしていましたよお。
ビルボードライブ東京、6月18日セカンド・ステージ。
開演前のステージに、どーんとドラムスが鎮座していたのは、意外や意外。
そういやリヴの実兄は、スナーキー・パピーやRC&ザ・グリッツで叩いていた
タロン・ロケット。なので、お兄さんを連れてきたのかと思ったら、違いました。
リヴをサポートするのは、白人男性のドラマーと、
シンセ・ベースを操る黒人男性の二人。リヴもサンプラーをかなり操作します。

いやぁ、強力なステージでした。
リヴのヴォーカルがとにかくストロング。シアトリカルな表現力がダイナミックで、
エリカ・バドゥを苦手とするぼくも、ねじ伏せられちゃいました。
エリカより断然いいじゃん、まじで。
ドラマーがサンプリング・パッドをスティックで叩いてプリセットのビートを鳴らし、
ドラムスの生演奏は、フィル・インを入れたり、ソロで大暴れするというスタイル。
螺旋状のエフェクト・シンバルもセッティングしてありましたよ。

リヴもサンプラーを使ってヴォーカルを加工したり、
モニターにマイクを向けてハウリングさせたりしながら、
アルバムでは1・2分の曲を、ぐんと引き延ばして聞かせます。
サンプリング・ループと生演奏がバトルになる場面では、
トランシーな磁場を生み出すほどでしたよ。

最後に余談ですが、
リヴにサインを入れてもらったCD、日本では手に入りません。
アマゾンにも流通していないので、ぼくはバンドキャンプから購入しました。
さすがにライヴ会場には持ち込んで販売するだろうと思いきや、それもなし。
もうアメリカでは、フィジカルで商売する気がまったくないんだね。

Liv.e "GIRL IN THE HALF PEARL" In Real Life Music inreallife066CD (2023)
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ポップ・ミュージックを無効化したグローカル ファイザル・モストリックス [東アフリカ]

Faizal Montrixx  MUTATIONS.jpg

ウガンダの電子音楽といえば、ニェゲ・ニェゲ・テープスの独壇場といった感じですけれど、
このファイザル・モストリックスは、グリッタービートから登場。
カンパラのエレクトロニック・ミュージック・シーンで
中心的存在のパフォーマーだといいます。
プロデューサー、DJ、コンポーザー、ダンサーという、
さまざまな顔を持つエンタテイナーで、いわば現代的な大衆演芸家なんでしょう。

本作を聴いて、すぐに音楽家じゃなくて大衆演芸家というイメージが湧いたのは、
既存の音楽というか、楽器演奏していた人じゃなさそうと感じたからです。
DAWで音楽制作をする人って、既成の音楽の作法にとらわれずに
音楽を作れる自由さがありますよね。
ポピュラー音楽が発展してきた経路をすっとばして、
ローカルな民俗音楽と電子音楽を接続させた面白さを感じるんです。

アフロフューチャリズムの可能性って、
ポップ・ミュージックを無効化したグローカルにあるのかも。
モストリックスは、トラック・ドライヴァーの父親がケニヤやコンゴから持ち帰った
カセットやCDを通じて、ポップ・ミュージックも聴いていたそうですけれど、
そうした音楽を通過した形跡はまったく聞こえてきません。

地元の割礼儀礼カドディで演奏されるトランシーなリズムを、
ヒップ・ホップ、テクノ、ディープ・ハウス、アマピアノなどを参照して
クリエイトしたのが、ファイザルの音楽といえるようです。

本作には、フィールド・レコーディングされたフォークロアな歌や、
コール・アンド・レスポンスの歌、太鼓、笛、親指ピアノの演奏が
ふんだんにカットアップされています。
そうしたローカルなサウンドスケープとビートが、彩としてではなく、
音楽のベースとしてしっかりと根を張っているからこそ、
電子音楽になじみのない当方でも、強烈に惹かれるみたいです。

Faizal Montrixx "MUTATIONS" Glitterbeat GBCD141 (2023)
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世界的な交響楽団と再構築したマレイ伝統歌謡 ダヤン・ヌールファイザ [東南アジア]

Dayang Nurfaizah  BELAGU II.jpg   Dayang Nurfaizah  BELAGU II  back.jpg

マレイシアから伝統歌謡が聞こえなくなって、はや10年。
ポップとR&Bばかりになってしまって、
自分の視界からすっかり消えてしまっていたマレイシアですけれど、
目を見開かされるゴージャスな伝統歌謡作が登場しました。

それがなんとマレイシアのR&Bシンガー、
ダヤン・ヌールファイザの新作なのだから、オドロキです。
81年サラワク州都クチン生まれのダヤン・ヌールファイザは、
99年のデビュー以来、マレイシアのポップ/R&Bシーンで最高の人気を誇り、
02年はマレイシアのレコード大賞AIMで最優秀楽曲賞を受賞し、
00年代のトップ・セールスの記録を樹立した大スター。

とはいえ、当方その時代のCDを1枚も買っておらず、
名前を知るだけの人だったんですが、
21年に初のマレイ伝統歌謡アルバムを制作したことで注目するようになりました。
1500部限定のCDを買いそびれている間に、その続編が出てしまったんですが、
この続編がとてつもなく絢爛豪華なレコーディング。

マレイシアのミュージシャンとともにハンガリーのブダペストへ赴き、
ブダペスト・スコアリング交響楽団と共演したんですね。
たった2日間のレコーディングで
全9曲を仕上げたというのだから、これぞプロフェッショナル。
プロデュースとアレンジは、前作同様ピアニストのオーブリー・スウィトが務めていて、
制作チームによる事前準備やリハーサルを抜かりなくやったのでしょうね。

ブダペスト・スコアリング交響楽団のマエストロ、ペテル・イレーニが
マレイ伝統歌謡の解釈に心を砕いたという発言からも、
相互理解がコラボレーションの成功を生み出したことがよく伝わってきます。
レパートリーは、P・ラムリー作の3曲に、アフマド・シャリフ、アフマド・ジャイスほか、
オーブリー・スウィト作の新曲も1曲用意されています。

ダヤン・ヌールファイザの丁寧な歌唱ぶりが、見事です。
アスリ、ジョゲット、ザッピンといった伝統歌謡に求められる表現力は十分で、
情感の込め方や繊細なコブシ使いの技量も確かですねえ。
‘Ketipang Payung’ のチャーミングさなんて、
往年のサローマをホウフツさせるようじゃないですか。

フォトブック形式でリヴァーシブル装丁の特殊仕様ジャケットには、
サラワクの伝統的な刺繍で頭から肩を覆うベールの
ケリンガム keringkam をまとったヌールのポートレートのほか、
ブダペストの観光スポットで撮られたフォト・セッションに、
ブダペスト・スコアリング交響楽団との録音風景など、
多数の写真が収められています。

最初このアルバムを聴いたとき、まっさきにウクライナ国立管弦楽団の伴奏で歌った
ヒバ・タワジの14年作 “YA HABIBI” を思い浮かべましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-11-29
この衝撃は、あのアルバム以上かな。
心がほっこりするラストの余韻まで、今年最高のアルバムです。

Dayang Nurfaizah "BELAGU II" DN & AD Entertaintment no number (2023)
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奄美シマ唄で実現した日本初のSP録音復元 中山音女 [日本]

奄美シマ唄音源研究所会報.jpg中山音女 奄美 湯湾シマ唄.jpg

まさか本当に実現するなんて!

12年前に奄美の中山音女のSP録音が復刻されたとき、
CD音源のピッチがあまりにもおかしく、速回しであることは歴然だったので、
戦前ブルース研究所の技術で音源を修復してもらいたいとボヤいたことがありました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2012-06-26
とはいえじっさいのところ、実現を期待などしていませんでした。
だって、戦前ブルース研究所はその名のとおり、戦前ブルースを対象としていて、
その他の音楽のSP録音などに興味はないでしょうからね。

ところが、戦前ブルース研究所員の菊池明さんが、
同じく戦前ブルース研究所員のブルース・ミュージシャン仲間とともに、
沖島基太さんが営む「奄美三味線」へ三味線体験で来店したのが事の始まり。
そこで中山音女のCDを聞かされた菊池さんは、
すぐに速回しであることを悟って指摘すると、
沖島さんから修正の相談を受けたというのです。

しかもなんという縁なのか、菊池明さんの母親がなんと奄美大島の出身で、
母方の祖母や伯父伯母などから、幼少期に奄美のシマ唄を聴いた記憶があったそうで、
めぐりめぐる縁の不思議さもあいまって、
沖島さんとともに中山音女のSP録音復元の旅が始まったといいます。

まず菊池さんがCDからピッチ修正をした仮音源をもとに、郷土研究者に聴いてもらい、
一次資料の収集にとりかかります。
宇検村教育委員会が保管していたSPの貸与を許され、
次いで本丸ともいえる、日本伝統文化財団のCD制作のもととなった
SP原盤を所有するシマ唄研究家の豊島澄雄さんからすべてのSPを譲り受け、
本格的な復元調査が始まったのでした。
その復元調査の一部始終が、
奄美シマ唄音源研究所会報第一号「とびら」にまとめられ、
2枚のCDが付属されて500部が制作され、「奄美三味線」で販売されています。

この冊子を読むと、研究調査はつくづく人の出会いだと
感じ入ってしまうエピソードが満載。
そもそも菊池さんに奄美とゆかりがあったところからしてそうですけれど、
さまざまな郷土研究家の協力や支援をもらい、
かのSPレコード・コレクター、岡田則夫さんとも出会って、SPを借り受けています。

冊子には、三味線弾きが直傅次郎であると特定するまでの謎解きや、
録音場所を特定するために、
昭和初期の奄美本島の電力供給事情まで調べ上げています。
それは供給電力の周波数がSP録音機器の回転数に影響するためで、
戦前ブルースのSP復元調査研究の知見によるものでした。
そうした調査の行方を読み進めていくと、まるで一緒に調査をしているかのような
冒険気分に陥って、ハラハラ・ドキドキがとまりません。

半世紀前の三味線ケースに入っていた調子笛の音程を調べ、
調律音程から正しい再生音を探る仮説を立てて検証を進めていったり、
音女と傅次郎の古い写真をみて、取りつかれたように道なき道の山中を冒険するなど、
これはもう、ロマンとしかいいようがないでしょう。
こういう情熱が物事を動かし、人の心を揺さぶるんです。

そしてついに完成した日本初のSP録音復元、それが奄美シマ唄で実現したのでした。
一聴して、あまりの違いにノック・アウトを食らいましたよ。
CD音源とはなんと200セント(=全音)をはるかに超える違いがあったというのだから、
ヒドイものです。ようやく落ち着きのある声でよみがえった音女の歌声。
そしてなにより傅次郎の三味線に、生々しさが戻りました。

SPの速回しに気付くのは、ヴォーカルよりも器楽音ですね。
人間の声だと違和感を気付きにくいですけれど、器楽音はすぐにヘンだとわかります。
CD2枚目のラストに収録されたアゲアゲのダンス・トラック、
六調の「天草踊り」「薩摩踊り」を聴けば、日本伝統文化財団CDとの音の違いは
誰でもわかるでしょう。これこそが三味線の音ですよね。

冊子には、復元したSPの写真が
レーベルの拡大写真とともにずらっと並べられていて、壮観の限り。
歌詞カードや当時の月刊誌に載ったレコード広告も転載されています。
ここ数年、こんなに興奮したことって、なかったなあ。
情熱と執念の賜物の復元CDです。

[Book] 奄美シマ唄音源研究所会報第一号 「とびら」 奄美シマ唄音源研究所 (2023)
中山音女 「奄美 湯湾シマ唄-1-2」 Pan PAN2301, 2302
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サンバ・パウリスタ古豪の集い エンコントロ・ダス・ヴェーリャス・グァルダス [ブラジル]

Encontro Das Vellhas Guardas.jpg

あぁ、こういうサンバが心底好き。
伝統サンバの新作を聴いたのって、何年ぶりだろう?
聴き終えて、満ち足りた思いでデータベースを打ち込んでみたら、3年ぶりでしたよ。
そうか、2021年も2022年も、伝統サンバの新作CDを1枚も買ってなかったのか。
伝統サンバ、冬の時代であります。

というわけで、長い渇きを癒すことができた1枚は、
イデヴァル・アンセルモ、ゼー・マリア、マルコ・アントニオ、
3人のサン・パウロのヴェテラン・サンビスタを集め、
エンコントロ・ダス・ヴェーリャス・グァルダスの名義で、
サンバ・エンレードを数多く作曲したサンバ・パウリスタの名作曲家
タリズマンことオクターヴィオ・ダ・シルヴァにオマージュを捧げた企画アルバムです。

Ideval Anselmo.jpg   Velha Guarda Do G.R.C.E.S. Unidos Do Peruche.jpg
Velha Guarda Nenê De Vila Matilde.jpg

イデヴァル・アンセルモは、
2012年のベスト・アルバムにも選んだ、ぼくの大好きなサンビスタ。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2012-10-24
ゼー・マリアはウニードス・ド・ペルーシェのアルバムで、
マルコ・アントニオは、ネネー・ジ・ヴィラ・マチルジのアルバムで聴いていましたよ。

ただ今回のテーマである作曲者のタリズマンというサンビスタは、
寡聞にしてぼくは知らず。解説によると、
もともとはリオ北地区のウニードス・デ・ロシャ・ミランダのサンビスタだったとのこと。
サン・パウロのエスコーラ、カミーザ・エルジ・イ・ブランコを創設した
イノセンシオ・トビアスに誘われてサン・パウロへ移住し、
カミーザ・エルジ・イ・ブランコのサンバ・エンレードや数々のサンバを作曲して、
サン・パウロの重要作曲家になった人だそうです。
というわりに、生年月日も没年月日も不明というあたり、
自身のレコードをほとんど残さなかったからなのでしょうか。

本作はSESCの制作なので、さすがにプロデュースはしっかりしていますねえ。
ルーカス・ファリアという人が音楽監督を務めていて、
サンバ/ショーロのレジオナル編成に、
曲によって管楽器を起用して、サウンドはパーフェクト。
チューバ、バリトン・サックス、アルト・サックスを加えた
‘Há Um Nome Gravado Na História’ なんて、最高です。

知らない曲ばかりと思っていたら、
ベッチ・カルヴァーリョが79年の最高傑作 “NO PAGODE” で歌っていた
‘Meu Sexto Sentido’ が出てきて、おぉ! この人の曲だったんですねえ。

Embaixada Do Samba Paulistano.jpg

ラスト・トラックの ‘Biografia Do Samba’ がタリズマンの代表曲で、
69年のサンバ・エンレードとのこと。
イデヴァル・アンセルモが参加していたエンバイシャダ・ド・サンバ・パウリスターノの
アルバムのオープニングでも、この曲がメドレーで歌われていましたね。

コクの深い芳醇なサンバを最高の伴奏で聞かせたアルバム、
これ以上の至福がありましょうか。

Encontro Das Vellhas Guardas "TALISMÃ: NEGRO MARAVILHOSO!" SESC CDSS0174/23 (2023)
Ideval Anselmo "MEMÓRIA DO SAMBA PAULISTA" Sambatá/Tratore SAM017-02 (2012)
Velha Guarda Do G.R.C.E.S. Unidos Do Peruche "MEMÓRIA DO SAMBA PAULISTA" Sambatá/Tratore SAM012-2 (2008)
Velha Guarda Nenê De Vila Matilde "MEMÓRIA DO SAMBA PAULISTA" Sambatá/Tratore SAM16-02 (2012)
Embaixada Do Samba Paulistano "MEMÓRIA DO SAMBA PAULISTA" Sambatá/Tratore SAM009-2 (2008)
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コンゴ・ブラザヴィルのレジェンド フランクリン・ブカカ [中部アフリカ]

Franklin Boukaka.jpg

72年2月に発生したクーデター未遂事件への関与から31歳で殺害された、
コンゴ共和国(ブラザヴィル)音楽のパイオニア、フランクリン・ブカカ。
年月を経てもフランクリン・ブカカが後進にリスペクトされ続けていることを
実感したのは、99年に結成されたヒップ・ホップ・グループ、ビソ・ナ・ビソが
デビュー作 “RACINES...” のオープニングに、フランクリン・ブカカの
‘Ata Ozali’ をアルバムのイントロとして取り上げた時でした。

Bisso Na Bisso  RACINES....jpg

若きラッパーたちが、先人たちへのリスペクトを掲げたアルバムの冒頭に、
ブカカの歌をフィーチャリングしたのには、グッときましたねえ。
それでさえ、もう四半世紀近くも前のことで、今は昔なんですけれども。
そのフランクリン・ブカカのアンソロジーを、フランスのフレモオ・エ・アソシエが
3枚のディスクにまとめて出してくれました。

40年10月10日、フランス領コンゴの首都ブラザヴィルで音楽家の両親のもとに生まれた
フランクリン・ブカカは、コンゴ川を挟んだベルギー領コンゴの首都、
レオポルドヴィルと行き来しながら、ネグロ・バンド、アフリカン・ジャズ、
ヴォックス・アフリカといった数多くの名バンドで活動してきた歌手です。
特に、ジョセフ・カバセレ(グラン・カレ)のアフリカン・ジャズの主要メンバーが
ベルギー領コンゴ独立に関する円卓会議の文化使節としてブリュッセルに旅立ったとき、
残留組としてレオポルドヴィルに残されたブカカやロシュローなどの
若手メンバーたちがジャズ・アフリカンを結成し、
のちにヴォックス・アフリカへと発展したことは、よく知られた話。

ところが、ブカカはヴォックス・アフリカが旗揚げして
まもなくブラザヴィルへ帰郷してしまい、
昔の仲間が所属していたサークル・ジャズに参加します。今回のアンソロジーでは、
そのサークル・ジャズ時代の60年代録音が、まとめて29曲も聴けます。
サークル・ジャズの録音は、これまでパテが復刻したLPが1枚あったくらいで、
ぼくも聴くのは今回が初めて。植民地時代が終わり、二つのコンゴは統合されるべきだと
歌ったブカカの代表曲 ‘Pont Sur Le Congo’ も、ようやく聞くことができました。

ギネアの名門楽団ケレティギ・エ・セ・タンブリニとの5曲が収録されたのも画期的。
ギネアのシリフォンから、ブカカがケレティギ・エ・セ・タンブリニと共演した
シングルを出していたことは知っていましたけれど、
これまたじっさいの音を聴くのは初めてです。
ブカカがタンブリニと共演することになったのは、70年にギネア・ツアーを行ったからで、
そのときにケレティギ・エ・セ・タンブリニがバックを務めたんですね。

Franklin Boukaka A PARIS.jpg

冒頭のビソ・ナ・ビソがエディットした ‘Ata Ozali’ を収録した
71年のアルバム “A PARIS” は、ディスク1冒頭に全曲入っています。
このアルバムをアレンジしたマヌ・ディバンゴが、
人生における素晴らしい思い出のひとつとして挙げている名作です。
同じく71年にコンゴにやって来たキューバのオルケスタ・アラゴンがブカカと親交を結び、
のちに本作収録の ‘Mwanga’ をカヴァーしています。

Franklin Boukaka  SES SANZAS ET SON ORCHESTRE CONGOLAIS.jpg

そしてぼくがブカカのキャリアでもっとも重要とみなしている、
ジル・サラ・プロデュースの67年録音は、ディスク2の冒頭にこれまた全曲収録。
『ポップ・アフリカ800』に載せたブカカの最高傑作です。
2台のサンザ、ギター、ベース、サックス、マラカス、コンガのグループを率いて、
ビギン、チャチャチャ、パチャンガ、ルンバ・コンゴレーズを歌っていて、
アフリカとラテンとカリブが混淆した最高の演唱がここにあります。

ブカカの植民地主義者へ抵抗した政治姿勢は、
コンゴではボブ・マーリーやフェラ・クティと匹敵するものとして捉えられていることを、
今回の解説で強く認識させられました。暗殺のいきさつが不明なままであることも、
殉教者として神格化されたことにつながったのですね。

Franklin Boukaka "L’IMMORTEL" Frémeaux & Associés FA5838
Bisso Na Bisso "RACINES..." V2 VVR1005632 (1999)
Franklin Boukaka "A PARIS" Sonafric CD50048 (1971)
Franklin Boukaka "SES SANZAS ET SON ORCHESTRE CONGOLAIS" Bolibana BIP333 (1967)
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トゥアレグのディープなトランス・ミュージック アル・ビラリ・スーダン [西アフリカ]

Al Bilali Soudan  BABI.jpg

ティナリウェンの新作に心底落胆。
歌うべき内実を失ったサウンドに、耳を覆いたくなりました。
そんなところにトゥアレグのグリオ・グループ、アル・ビラリ・スーダンの新作が届いて、
これでティナリウェンに別れを告げても、未練はないと考えるまでになりました。

前作はテハルダント3人とカラバシ2人でしたが、
カラバシが一人離脱して4人編成となったようです。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-06-02
といっても、家族と親類縁者によるグリオたちだから、
出入り自在のゆるやかなグループなんでしょうが。

アンプリファイド・テハルダントの強烈なサウンドが空気を切り裂き、
尋常じゃない緊張感に満ち溢れていた前作からは一転、
アンプラグドのアクースティックなサウンドとなって、
デビュー当時のサウンドに戻っています。

10・11年にバマコで録音されたデビュー作は音質がプアでしたが、
今回は整った環境でレコーディングしたとみえ、
デビュー作とは見違える音響で、トランシーなタシガルト(タカンバ)が
ダイナミックに迫ってきます。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2014-01-09

しつこいまでに反復を繰り返しながら、
トランスを生み出すグルーヴが、このグループの真骨頂。
このディープさこそ、いまのティナリウェンが失ってしまった
トゥアレグ音楽が持つナマナマしさですね。
今、日本に呼んでほしいのは、ティナリウェンじゃなくて、アル・ビラリ・スーダンだよ。

Al Bilali Soudan "BABI" Clermont Music CLE073 (2023)
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新世代南ア・ジャズの旗手 ボカニ・ダイアー [南部アフリカ]

Bokani Dyer  RADIO SECHABA.jpg

ボカニ・ダイアーの新作は、彼がこれまでに吸収してきたさまざまな音楽を、
洗いざらい披露してみせたといった感じかな。
いや、それだけじゃないな。
ボカニ自身のヴォーカルを全面的にフィーチャーするという新たな冒険も加えて、
ものすごく多面的なアルバムに仕上がりましたね。

ボカニ・ダイアーのバイオは、11年の2作目を取り上げた時に書いたので、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2016-11-22
ここでは省きますが、本作は、その後ボカニが参加したマブタで示した
グローバルな新世代ジャズをさらに前進させたものとなっています。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2018-05-06

ボカニが20年にパンデミックのロックダウン下で発表した “KELENOSI” では、
エレクトロニックな表現を大胆に取り入れ、ロバート・グラスパーの影響色濃い
アコースティックとエレクトロニクスのテクスチャーを聞かせていましたけれど、
今回はボカニ自身のヴォーカルを乗せたことで、より雄弁になりました。

南ア国民を裏切ってきた指導者への怒りをツワナ語で歌った ‘Mogaetsho’、
‘Move on’ ‘State Of Nation’ の2~4曲目は、
R&B/ヒップ・ホップ色濃いトラック。
前半はグローバル・ジャズの影響の色濃いトラックが並びますが、
中盤から、南ア独特のヴォーカル・ハーモニーを聞かせる曲が登場します。
ボカニの妹シブシシウェ・ダイアーとともにツワナ語で歌う ‘Tiya Mowa’ や、
‘Ke Nako’ ‘Spirit People’ ‘Amogelang’ といったトラックですね。

‘Ke Nako’ は、20年に出された南ア・ジャズのコンピレーション “INDABA IS” の
オープニング曲の再演で、コンピレでは6分50秒あった演奏がこちらは4分39秒と、
トランペット・ソロが始まったところでフェイド・アウトしてしまうのが、なんとも残念。
本作はコンパクトにまとめたトラックが多いんですが、
ステンビソ・ベングのトランペット、リンダ・シカカネのサックスなど、
耳を引き付けるソロも随所で聴くことができます。

アルバム・ラストの ‘Medu’ は、ボカニは作曲のみで、演奏には参加していないインスト曲。
南アらしいレクイエムを思わせるホーン・アンサンブルのメロディに、グッときます。

Bokani Dyer "RADIO SECHABA" Brownswood Recordings BWOOD0304CD (2023)
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アロマテラピーのヴォイス ジャネット・エヴラ [北アメリカ]

Janet Evra  HELLO INDIE BOSSA.jpg

ふんわりとした声質にトリコとなったジャズ・ヴォーカリスト、ジャネット・エヴラ。
18年のデビュー作はいまでもよく聴き返していますけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-11-23
一年前に新作が出ていたのを、ずっと気付かないままでいました。

21年にはピアニストとの共同名義でスタンダード集も出ていたようなんですけれど
(これまた未聴)、3作目の本作はジャネットのオリジナル曲が中心。
今回も自主制作なんですね。
う~ん、ぼくが夢中になる人って、どうして売れないんだろうなあ。
インディに甘んじるかのようなタイトルを見て、思わず考えこんじゃいましたよ。

でもまあインディだからこそ、のびのびと自分がやりたい音楽ができるわけで、
デビュー作のジャケットにも、そんな飾らない気さくさが表れていましたよね。
ジャネット写真のジャネットの腕に、虫に刺された紅い跡がくっきりとあって、
これ、メジャー・レーベルだったら、ぜったいレタッチして消すよなあと、思ったもんね。

そんなことはさておき、本作はデビュー作と同じメンバーに、
ヴィブラフォンが加わっただけなんですが、
エレクトリック・ギターやローズを効果的に配置するなどの
アレンジが功を奏していて、少しサウンドが華やかとなりましたね。

でも、心を落ち着かせるアロマのようなジャネットの声は、
デビュー作とまったく変わっていません。
ボサ・テイストのオリジナル曲を、フローラルな香りで包み込むような
やわらかなヴォイスで歌いつづっていきます。

その声を聴いているだけで、心がおだやかに身体もリラックスして、
まさにアロマテラピーのような音楽といったら、これ以上のものはありません。

Janet Evra "HELLO INDIE BOSSA" Janet Evra no number (2022)
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60年代コンパ黄金期の名作 ラウル・ギヨーム [カリブ海]

Raoul Guillaume  Haiti Chante Et Dance.jpg

50~60年代ハイチ音楽のリイシューCDならば、あらかた買ったつもりでいましたけれど、
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2021-10-25
ラウル・ギヨームの見たことのないCDを、エル・スールのデッド・ストックの中で発見。
えっ?と思って、
すぐさまスマホでエマニュエル・ミルティルさんのハイチ音楽ディスコグラフィを
チェックしてみたら、なんと64年作のリイシューだということが判明。
(Volume 3 と記載のレコードを参照されたし)
http://musique.haiti.free.fr/discographie/fiches/raoulguillaume.htm

おぉ~、こんなCDが出ていたんか!とオドロいて、早速買ってきました。
原田さんもぜんぜん記憶にない様子で、サッカー・ボールの写真に変えられた
ダメ・ジャケットのせいで、ノー・チェックだったそう。
そうだよなあ、こんなジャケットじゃあねえ。

ラウル・ギヨームという50~60年代ハイチ音楽の重要人物を知る人なら、
見逃すわけにはいかないアルバムですけれど、
こういうしょうもないジャケットに変えられてしまうと、気付けないよねえ。
フランスのADはこういうダメな改悪ジャケが多いんですが、
アメリカのミニは逆に、オリジナルの観光客相手にしたパッとしないジャケットを、
風格のあるデザインに変えた名リイシュー作があります。

Raoul Guillaume  Mini.jpg

それが62年作のリイシューで、かつて「ハイチ音楽名盤40選」で載せたことがあります。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2010-02-23
さきほどのエマニュエル・ミルティルさんのハイチ音楽ディスコグラフィでは、
Volume 8 と書いて、出所不明扱いにしていますけれど、
Disque 2 として記載されているレコードと同内容のアルバムです。

この時代とほぼ同時期のアルバムなので、
充実した黄金時代のコンパが味わえることは、言うまでもありません。
ヌムール・ジャン・バティストやウェベール・シコーに比べると、
日本では知名度が低いラウル・ギヨームですけれど、その実力は両者に引けを取りません。

ちなみに今回見つけた64年作も、ミニがCD化した62年作も、
LPは持っていませんけれど、それよりも前のレコードを何枚か持っていますので、
最後にご紹介しておきますね。

Raoul Guillaumme Et Son Group  10.jpg   Michel Desgrottes & Raoul Guillaume  10j.jpg
Raoul Guillaumme, Webert Sicot.jpg

Raoul Guillaume Et Son Group "HAÏTI CHANTE ET DANCE" AD Music AD018 (1964)
Raoul Guillaume Et Son Group "RAOUL GUILLAUME ET SON GROUP" Mini MRSD2030 (1962)
[10インチ] Raoul Guillaumme Et Son Groupe "AUTHENTIC HAITIAN MERINGUES'" Ritmo 827 (1959)
[10インチ] Michel Desgrottes Et L’Ensemble Du Riviera Hotel & Raoul Guillaume Et Son Groupe
"AUTHENTIC HAITIAN MERINGUES'" Ritmo 828 (1959)
[LP] Raoul Guillaume & Son Group, Michel Desgrottes Et L’Ensemble Du Riviera Hotel, Weber Sicot Et Son Ensemble "HOLIDAY IN HAITI WITH HAITIAN MERINGUES" Monogram 840
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コブシこそフジのアイデンティティ ワシウ・アラビ・パスマ [西アフリカ]

Wasiu Alabi Pasuma  LEGENDARY.jpg

アフロビーツはCDでまったく出なくなっちゃったけど、フジはまだCD健在。
コロナ禍が明け、現地買い付けのナイジェリア盤CDと久しぶりにご対面できました。
だけど、まぁ、ずいぶんとジャケットがぺらっぺらになっちゃったねえ。
ペーパー・スリーヴがボール紙じゃなくて、薄いコート紙みたいなのになっちゃった。

なんだかこれを見て、80年代のキューバ盤LPを思い出しちゃいましたよ。
オマーラ・ポルトゥオンドの “CANTA EL SON” とか、
グルーポ・シエラ・マエストラの “¡Y SON ASÍ!” とか。
もはやジャケットとは呼べない、内袋みたいな薄さのジャケットでしたね。
どちらも83年のレコードだったけど、キューバ経済がドン底の時代のもので、
物資不足だったんでしょうねえ。

さて、そのペラペラの新作フジCDで良かったのは、
実力最高で定番の、スレイモン・アラオ・アデクンレ・マライカとワシウ・アラビ・パスマ。
偶然にも、二人ともロール・モデル・エンターテインメントという、
初めて聞くレーベルからの新作です。新興のレコード会社に移籍したんでしょうか。

若手のスレイモン・アラオ・アデクンレ・マライカが絶好調で、
ここでも、これまでに2度ほど取り上げてきました。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2019-07-04
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2020-03-12
今回の22年の新作 “PASSWORD” も長尺の2曲という構成で、
気合の入った充実作でしたけれど、
今回はワシウ・アラビ・パスマの方を取り上げましょう。

パスマの新作を聴くのは、“2020” 以来です。
https://bunboni58.blog.ss-blog.jp/2022-04-19
昨年10月に出た本作は、3・4分台の曲が3曲続いたあと、
後半が6分台、12分台、そしてラストが32分台の長尺曲という
構成になっています。

第一声のガラガラ声に、はや頬がゆるんじゃうんですけど、
パスマの力量のあるフジ声はあいかわらず絶好調。
肉感たっぷりのファットな歌声にホレボレします。
今回新味を感じたのが、3曲目の ‘God Bless Nigeria’。
トラップ・ドラムやトーキング・ドラムのアンサンブル不在で、
バック・トラックがウチコミとシンセのみで作っているんですね。

ウチコミは明らかにアフロビーツのセンスのビートメイキングで、
そこにジュジュ/フジ特有のシンセを絡ませ、
アフロビーツ時代に対応したフジを生み出しています。
ひと昔前なら、トーキング・ドラム・アンサンブルが不在で、
ウチコミのフジなんて、サイテーのひとことで終わった気がしますけれど、
ジュジュのサウンドに接近してきたフジが、フジのアイデンティティを保ちながら、
アフロビーツ時代にも対応できるサウンドを獲得したと実感できる曲です。

この曲を聴いて、フジのアイデンティティは、
パーカッション・アンサンブルばかりじゃなくて、
強力なコブシにあるんだってことを、あらためて再認識させられましたよ。
今回こうしたプロダクションはこの1曲だけでしたが、
アフロビーツ時代に更新していくフジのサウンドとして、この方向性はありですね。
もちろんそのためには、鍛えられたフジ声によるコブシ回しあってこそですけれど。

Alhaji Wasiu Alabi Pasuma "LEGENDARY" Roll Model Entertainment no number (2022)
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