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生々しく土臭い古典音楽 アリム・ガスモフ [西アジア]

Alim Qasimov  MORQE SAHAR.jpg

ポピュラー音楽とは別次元で、魂を揺さぶられる音楽があります。
ぼくにとっては、アゼルバイジャンの古典音楽ムガームがそのひとつ。
イランで発売された、ムガーム当代最高の歌手
アリム・ガスモフの新作DVD付2枚組CDが素晴らしくって、
ひさしぶりにアリム熱が再燃してしまいました。

イラン北西部タブリーズでのコンサート・ライヴを収録したものなんですが、
DVDでのアリムのパフォーマンスが絶品なんですよ。
いまやアリムは世界各国に招かれるようになりましたけれど、
住民の多くがアゼルバイジャン人のタブリーズは、
いわばホームグラウンのようなものだから、
リラックスしてのびのびと歌うには、最高の環境だったんでしょうね。

タイトルの「モルゲ・サハル」は、イランの古典声楽の大物シャジャリアンが歌った
マーフール旋法のタスニーフだとのこと。
でも、ここではもちろんペルシャ語ではなく、アゼルバイジャン語で歌っています。
シャジャリアンが歌ったというそのタスニーフは未体験ですけれど、
聴かずしても、アリムの方がぜったい素晴らしいだろうという確信が、ぼくにはあります。
http://bunboni58.blog.so-net.ne.jp/2013-05-14

アリムの歌をバックアップするのは、
タール、ケマンチェ、クラリネット、ダヴル(太鼓)の4人組。
ネイじゃなくて、クラリネットを使うところが面白いですね。
曲によってはネイも使っていますが、
メインはクラリネットで、トリッキーな音をアクセントに使ったりして、効果をあげています。

太鼓も、イランならダウルじゃなくトンバクを使うはずだから、
こんなところがイラン音楽とアゼルバイジャン音楽の違いなのかなあ。
あと、ジャケットでアリムが蛇皮のダフを持っているのに目を奪われたんですが、
DVDでは普通の皮のダフを使っていました。
蛇皮のダフなんて初めて見ましたけど、平手で叩いて痛くないんでしょうか。

現在のイランの音楽家によるタスニーフより、アリムのムガームの方に親しみを覚えるのは、
イランほど過度に洗練されていないからですね。
アリムには民俗的な土臭さがたっぷりあって、
イランのタスニーフを歌っても、なまなましさを感じられるところが一番の魅力です。

歌の主旋律に装飾していく各楽器のフレーズが、
歌の強弱に合わせて当意即妙に応答していくさまは、古典音楽特有の優美さですね。
クラシックでいうところの、ピアニッシモからフォルティッシモまで自在に変化するダイナミクスと、
微分音を多用する音の揺らぎが、時に繊細に、時に嵐のように音楽を波立たせます。
そうした演奏の中で、アリムがタハリールを炸裂させれば、もう恍惚となるほかありません。

[CD+DVD] Alim Qasimov "MORQE SAHAR : TABRIZ CONCERT" Barbad Music no number (2014)
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トルコ北部黒海沿岸の伝統舞踏ホロン エミネ・ジョメルト、オルハン・カンブル [西アジア]

Emine Cömert  HORON.jpg

この夏はホロンがくる!のだそうです。
エル・スールの原田さんのオススメで、聴いてみました。
トルコ北部黒海沿岸のラズ人民謡歌手エミネ・ジョメルトの、
アルバム・タイトルもそのものずばりな『ホロン』。

ホロンは初体験でありますが、こりゃあ強烈なトランス・ミュージックですね。
10分近い長尺の曲ばかりで、前半に歌とコーラスのパートがあるものの、
メインはダンス・パートの後半で、ケマンチェがインプロヴィゼーションを繰り広げます。
両面太鼓ダウルのツー・ビートにのせて、ケマンチェが縦横無尽に弾きまくるんですが、
スリリングな即興を延々と繰り広げていて、このケマンチェ奏者、スゴ腕だなあ。

平坦なツー・ビートの曲と、つっかかるようなビートの曲と、
リズム・パターンは二通りあるようなんですが、なんのエレクトロも用いてないのに、
まるでテクノのように聞こえるって、どーゆーわけなんでしょう。

ヴィデオを見ると、横に並んで踊る手つなぎダンスが、
まるでリヴァー・ダンスみたいと思ったら、
ラズの商人たちが西ヨーロッパまでホロンを伝え、
アイルランドのチェーン・ダンスの起源になったという説もあるんだそうです。
遠くアイルランドまで本当に伝わったのかどうかは別にしても、
ギリシャ、ブルガリア、マケドニア、アルメニアあたりの民俗舞踏って、
こういう横並びで踊るステップ・ダンスが多いですよね。

それにしても、ケマンチェ奏者オヌル・オスカンの超絶技巧はスゴイです。
旋回するメロディを延々反復するかと思えば、ぱっと場面展開して、
一足飛びに跳躍して高いキーで別のメロディに移っていったりと、
まさしく変幻自在。これで踊ったら、トランスしそうですね、ほんとに。

ケマンチェとダウルのたった二人で、
これだけスリリングな演奏を繰り広げる天然ミニマル・トランスもすごいんですが、
そこに、オマール・スレイマンのダブケもびっくりなシンセを取り入れ、
エレクトロニック・ダンス・ミュージックに仕立てる輩までいるんですね。
それがこちらの、オルハン・カンブル。

Orhan Kambur  CURCUN ELA.jpg

バグパイプのトゥルムが響き渡り、古風な伝統音楽が始まるかと思いきや、
そこに打ち込みの四つ打ちが滑り込み、さらにケマンチェが絡んでくるというオープニング。
歌がこれまた素っ頓狂で、コーラスとともに、ホイ、ホーイ、ホ~イ!と威勢のよいかけ声。
このキテレツなキャラは、イー・パクサといい勝負。ポンチャック・ホロンか?
バグラマーなども登場して、サウンドはけっこう伝統色豊かなんですけれど、
ドラムマシンの強烈なビートが耳残りします。

一方、打ち込みを使わない伝統様式の演奏では、
ハルク(民謡)歌手としての実力をオルハンは聞かせていて、
タハリール的な技巧なども披露しているんですけれど、
やはり面白いのは、エレクトロ・ポンチャック・ホロンの方ですねえ。

肩や手を組んだ男性もしくは女性同士が一列ないし半円に並んで踊るホロンは、
前かがみになって足を投げ出したり、突然じゃがみこんだりと、結構激しいダンスで、
これは黒海で捕れるいわしが、海で泳いでいる時に突然網にかかり、
もがく様子を表しているのだとか。
リゼ、トラブゾンといったあたりの黒海地域にも行ってみたくなりますね。

Emine Cömert "HORON" AK Sistem no number (2014)
Orhan Kambur "CURCUN ELA : SÖZLÜ TULUM HORON" Senseç Müzik no number (2014)
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モノクロームなトルコ古典歌謡 ミネ・ゲチェリ [西アジア]

Mine Geçili  MİNE’L AŞK.jpg

ここのところ、ちっとも休みを取ってないなあと思っていた矢先、
映画の試写の案内を受け取って思い立ち、有休を使い、
『パプーシャの黒い瞳』というポーランド映画を観てきました。

す・ば・ら・し・い・映画でした。

これほど美しいモノクローム映画を、ぼくはこれまで観たことがありません。
場面が変わるたびに、がっちりとした構図の映像が画面いっぱいに広がり、息を呑みましたよ。
ジプシーの一団が馬車で移動していく様子をロング・ショットで捉えた映像など、
バロック美術を思わせる古典絵画のフレーミングを思わせましたね。

映画を観ているというより、重厚なファイン・アートの写真集を、
ゆっくりと時間をかけてめくっているような、そんな映画。
そう、例えるなら、アンセル・アダムスの写真集を眺めるかのようで、
映画というより、動く写真集とでも呼びたくなります。

ジプシー初の女性詩人をめぐる物語の内容そのものより、
映像に心奪われっぱなしの131分でした。
ここ最近、というより、ここ数年、映画館に出かけて観た映画がハズレ続きだったので、
こんなに胸を熱くして映画館を後にしたのは、本当に久しぶりでした。
4月4日から岩波ホールでロードショー、その後全国で順次公開とのこと。
ぜひ観に行かれることをおすすめします。

映画の感動を引きずりつつ、家に帰っ真っ先に聴いたのが、
トルコの女性歌手ミネ・ゲチェリの新作。
第一印象が良くなくて、しばらく放置していたCDなんですけれど、
あの美しいモノクローム映像の感動にふさわしいサウンドのような気がしたんです。
聴き直してみたら、ジャスト・フィットでしたね。

ミネ・ゲチェリといえば、5年前のゼキ・ミュレン集のデビュー作が鮮烈な印象を残した人。
新作も古典歌謡路線というのに飛びついたんですが、第一印象はパッとしませんでした。
あまりに端正というか、平明にさらさらと歌いすぎてて、情感の乏しさは否めません。
でも、あらためて聴いてみると、古典歌謡をここまで軽く歌うのは、現代の情緒なのかも。
ちょっとドライすぎやしないかという最初の印象も、
これこそ現代の古典歌謡の味なんだろうなと思い直したのでした。

Mine Geçili "MİNE’L AŞK" Yavuz & Burç Plakçılık no number (2014)
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イランのウム・クルスーム ガマル・アルモルーク・ヴァズィリ [西アジア]

Qamar ol-Moluk Vaziri.jpg   Ghamar Molouk Vaziri.jpg

ガージャール朝からパフラヴィー朝へと移行したイラン王政時代に活躍し、
「イランのウム・クルスーム」とも呼ばれた伝説的な女性歌手
ガマル・アルモルーク(ガマロルモルーク)・ヴァズィリのリイシューCDがリリースされました。
26年からHMVやオデオンなどへ200枚に及ぶレコードを録音したにもかかわらず、
世界大戦時のレコード会社への爆撃で原盤は破壊され、復刻が遅れたとも言われます。

じっさいSP音源はこれまでほとんどCD化されておらず、
ぼくが知る限り、これまでカルテックス盤1枚があっただけです。
それだけに今回フランスでCD化された2枚組は貴重で、音質が良いのも嬉しいですね。

ガマルは、24年に女性歌手として公の場でイラン初のコンサートを開き、
26年には女性歌手として初のレコーディングを行なっています。
ガマルがエジプトの大歌手ウム・クルスームに例えられるのは、
ウムが父親からコーランを習ったように、ガマルは宗教音楽の歌い手だった祖母から歌を習い、
二人とも幼い頃から公の場で歌を歌う環境で育ち、古典声楽のトップ歌手に上り詰めたからですね。

ガマルが古典音楽を正式に学び始めたのは、
16歳の頃、ある結婚式の集まりで歌を披露していたところ、
タール奏者で古典音楽の巨匠モルテザー・ネイダーヴッドに
才能を見初められたのがきっかけだったそうです。
20年代当時最高の作曲家だったアーレフ・ガズヴィニーも、ガマルのために曲を書いています。

ガマルの黄金時代の録音を収録した本作には、歌曲タスニーフを12曲、
無拍の即興詩アーヴァーズを10曲、有拍の即興詩ザルビー1曲が収められています。
やはりなんといっても聴きものなのは、華麗なタハリールを駆使したアーヴァーズですね。
最高度の技巧を駆使したパワフルなヴォイス・パフォーマンスは、
時代を越える透明な美しさがあります。 

ウムがのちの大統領となるナーセルからも称賛され、
亡くなるまでエジプト国中の人々から愛され続けたのに比べると、
ガマルの輝かしい時期は、若き日のわずか十年程度にすぎませんでした。
36・7年頃を最後にレコーディングの場から遠ざかり、
40年代末には人々の前からも姿を消してしまいます。
晩年はチフスを患い、しゃべることもままならなかったそうで、
最後は孤独のままに息を引き取り、死後3日ほど経ってから発見されたといいます。
王政時代を代表する歌手としては、あまりに悲しい最期でした。

Qamar ol-Moluk Vaziri "LA MUSIQUE CLASSIQUE IRANIENNE" Association Pour Le Developpement De La Musique Du Monde Musulman ADM3-1
Ghamar Molouk Vaziri "PERSIAN TRADITIONAL MUSIC VOL.1" Caltex 2595
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アゼルバイジャンのムガーム名人たち [西アジア]

Great Singers Of The Republic Of Azerbaijan.jpg

アゼルバイジャンの伝統音楽ムガームを代表する歌手といえば、
アリム・ガスモフが真っ先にあげられますけれど、
SP録音時代のムガーム歌手たちを、これまで聴いたことがありませんでした。
今回イランのマーフール文化芸術協会からリリースされた、
20世紀前半に録音されたアゼルバイジャンの名歌手たちによるムガームの録音集は、
そんなぼくにとっては興味シンシンのアルバムです。

なんでも、05年にアゼルバイジャンで非営利目的で出版された16枚組CDブックをもとに、
マーフールが2枚組に再編集したものだそうで、
本盤には10人の歌手による35曲が収録されています。
歌手のほぼ全員がシュシャ出身で、
アルメニアとの紛争が続くナゴルノ・カラバフを出自としているのが注目されます。

ナゴルノ・カラバフは、アゼルバイジャンの西部にある自治州だった地域で、
アルメニアとアゼルバイジャンが領有権をめぐって激しく争い、
現在、事実上アルメニアの支配下となっています。
92年に共和国として独立宣言したものの、
独立を承認する国のない未承認国家となっている地域ですね。
なかでもアゼルバイジャン人にとって文化的な中心地であり、
音楽と文学の古都であるシュシャは、90年代前半の戦闘によって、
多くの史跡が焼失し破壊されてしまいました。

そのシュシャで最高のムガーム名人とされた
ジャッバール・カーリャークディ=オグル(1861-1944)が、
もっとも数多い8曲を収録しています。
アリム・ガスモフが25歳で優勝したのも、
ジャッバールの名を冠した歌唱コンテストだったそうですね。

このほか収録されているのは、メジド・ベーブドヴ、イスラム・アブドラエフ、セイド・シュシンスキー、
ズルフィー・アデゲザーロフ、ハン・シュシンスキー、ヤグーブ・マメドフ、
アブリファート・アリエフといった往年のハネンデ(ムガーム歌手)たち。
イランの古典声楽アッバースに特有の、
裏声と本声を行き来する技巧を駆使する歌唱法タハリールが多用され、
ムガームがイラン古典声楽と共通する
西アジアの芸術様式を持つものだということを再認識させられます。

Jabbar Qaryaghdi-oghlu, Kechechi-oghlu Mahammad, Meshhedi Memmed Ferzeliev, Mejid Behbudov and others
"GREAT SINGERS OF THE REPUBLIC OF AZERBAIJAN" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD387
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蘇る19世紀のオスマン古典歌曲 [西アジア]

GIRIZGAH, Alaturka Records.jpg

地味といったら地味なアルバムなんですけど、
そんなところが美味となっている、トルコ古典歌謡復興ここに極まれりの2枚組です。
トルコのレコード会社カランの制作かと思いきや、カランはディストリビュートだけで、
12年にスタートした新興レコード会社、アラトゥルカの初リリース作品なのだそう。
こんな激シブなアルバムが第1作なんだから、スゴイな。
こういう音楽にちゃんと需要があるっていうことですよね。

アラトゥルカ・レコーズの主宰者で、プロデューサーのウール・イシュクが弾く
ウードにチェロをはじめ、ネイ、カヌーン、ケマンチェ、ルバーブ、
ヴァイオリン、チェロ、クラリネット、ダルブッカ、デフをバックに、
男女12人の歌手たちがオスマン古典歌曲を淡々と歌い綴った内容なんですが、
レパートリーがすごい。

近年の古典歌謡ブームで女性歌手たちが取り上げられるような20世紀半ばの曲ではなく、
さらに古い19世紀の曲を取り上げているんですね。
トルコ語オンリーでさっぱり読めないライナーノーツには、
それら作曲家たちの略歴が載っているんですが、生没年ともに19世紀の人もいたりして、
もっとも古いオスマン古典歌曲を聴けるアルバムといえそうです。

そんないにしえのオスマン古典歌曲を歌う12人の歌手たちの、
いともさりげない風情がいいんですね。
大仰さやいかめしさなど微塵も感じさせない歌い口のおかげで、
無理なく歌の味わいに身をゆだねることができますよ。
最初に、地味が美味になっていると書いたのはそういうことなんですが、
余計な装飾を削ぎ落とし、芸術的洗練を極めた典雅な歌唱表現が、
たっぷりと披露されているというわけです。

秋に向かうこれからの季節、虫の音とともに宵時に聴くのに、
またとない相棒になってくれそうです。

V.A. "GIRIZGÂH : ALATURKA RECORDS / TAŞPLAKLARIN KALDIĞI YERDEN" Kalan 645 (2013)
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50年代のゼキ・ミュレン [西アジア]

Zeki Müren  BIR TATLI TEBESSÜM.jpg

ここ数年、トルコ古典歌謡サナートの女性歌手が次々とデビューし、
ちょっとしたブームになっていますね。
古典声楽のスタンダードばかりでなく、新作古典も多く書かれ歌われているところに、
サナートが時代とともに更新され、息づいていることを実感します。

最近の女性歌手の愛聴盤がよりどりみどりあるとはいえ、
サナートで一番深い満足感を得られるのは、やっぱりゼキ・ミュレンですね。
ゼキを聴いていると、基本のキに戻れるような安心感を得られます。

日本に初めてゼキ・ミュレンのCDがどどっと入ってきたのは、90年のことでした。
顔のデカいおっさんが女装しているという不気味ジャケが強烈で、
これがトルコの大歌手なのかとビビりながら聴いたもんでしたが、
当時入ってきたCDはほとんど晩年のものだったので、あまり好きにはなれませんでした。

歌がめちゃくちゃ上手いのはわかるんですけど、大スター然とした下世話な歌い方が、
イヤらしくなった美空ひばりみたいで、カンベンしてくださーいという感じ。
そんなゼキの印象が一変したのは、
初期のSP録音を編集した“BIR TATLI TEBESSÜM” がきっかけでした。
このCD、ジャケットは後年の女装姿の写真をあしらっていますけど、
内容はもっと若い二十代の時のもので、そのみずみずしい美声にびっくり。
繊細なコブシ回しとソフトな歌いぶりにいっぺんで魅了されました。

いやあ、若い頃のゼキって、こんなに良かったんだあ、とすっかりマイってしまい、
それからまたゼキのCDをずいぶん買ったんですが、
結局50年代の初期録音はこれ1枚しか見つからず。
トルコには博物館が建てられているほどの大歌手だというのに、
もっとも素晴らしかった若い時の録音がまともにCD化されていないとは、
なんだかこんなところも美空ひばりと似てますね。

Zeki Müren  1955-63 KAYITLARI  RECORDINGS.jpg

そんなわけで長くこの1枚だけで、ゼキ・ファンを名乗っていましたけど、
02年にカランがリリースした2枚組の“1955-63 KAYITLARI / RECORDINGS” は、
長年の渇きを癒す絶品でしたね。古典スタンダードをたっぷりと歌った芸術性高いゼキの歌声は、
後年の芸能人ぽい派手な歌いぶりとは、まるで別人でした。

Zeki Müren  ZEKI MUREN ’DEN SEÇMELER.jpg

その後、ゼキの若い頃の写真をあしらった編集盤がいくつか出て、
そのたびに買ってはみたんですが、
中身は晩年の70年代のものだったりという騙しジャケが多く、アタマにきます。
そんななかで、ホンモノの50年代録音を集めた
“ZEKI MUREN ’DEN SEÇMELER : TRT ARŞIV SERISI 1” が5年ほど前に出たんですが、
日本に入ってきていないので、ご存じない方は多いかも。
ブック形式のCDで、若き日のゼキの写真などもたっぷり入っています。
初期ゼキ・ミュレン・ファンなら必聴です。

Zeki Müren "BIR TATLI TEBESSÜM" Coskun CD008
Zeki Müren "1955-63 KAYITLARI / RECORDINGS" Kalan CD254-255
Zeki Müren "ZEKI MUREN ’DEN SEÇMELER : TRT ARŞIV SERISI 1" Ulus Müsik no number
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シックなサナート メリエン・ゼンギン [西アジア]

Meryem Zengin  Ozur Dilerim.jpg
  わーい、全曲クリップを収録した
  DVD付きCDを手に入れちゃった。
  DVD付CDが発売になるとは、
  思ってもみませんでしたねえ。
  「残り物には福がある」、じゃないな、
  「急がば回れ」、いや、それも意味違うか。
  「待てば海路の日和あり」ですね。
  えっへっへー、
  初入荷分のCDを買い逃して、大正解でしたあ。

  トルコからまたも登場した
  古典歌謡サナートの新人、メリエン・ゼンギン。
  まー、なんて美人さんなんざんしょう。

なんでもデビュー前は高校で音楽の先生をやっていたそうで、
うわあ、毎日授業参観に通いたい!なんてアホなこと言ったりして。
エル・スール優良顧客のオヤジたちが飛びついたのもむべなるかななんですが、
ぼくが乗り遅れたのは、DVDに収録されているクリップを先に観てしまったせい。

メリエン姫の美しさはさておき、なんか歌が前に出てこないというか、押し出しが弱いというか。
サナートを歌う歌唱力があるのは十分わかるんですが、
するすると歌が左から右に流れてしまって、ひっかかりが全然ない。
ちょっと物足りなく思ってしまって、すぐ手が伸びなかったんですね。
そしたらすぐに売り切れてしまって、ありゃあ。
再入荷したら挑戦してみるかな、なんて思ってたらDVD付が入ってきたというわけです。

で、あらためて聴き直したものの、線が細いなあという第一印象は、変わらず。
DVDを観てよくわかったのは、メリエンのなめらかな歌いぶりに、まったく力が入っていないこと。
デビュー作という気負いなんて、まるでなし。
その平明で、力の抜けた歌いぶりがあまりにさりげなく、押し出しが弱く感じられたんですね。
メリエンのお顔立ちから、もっと妖艶な歌いぶりや色気を醸し出す人かと予想したんですが、
そういうタイプではないご様子。上品にして控えめなお人柄のようです。

DVD全10曲すべてお召替えで楽しませてくれるメリエンは、実にシック。
60年代の歌謡番組のようなセッティングで、適度に照明を落としたステージで歌う
ノスタルジックな佇まいは、なんとも麗しく、中高年オヤジのハートを射抜きます。
歌に合わせた手振りや身体を揺らすしぐさも、ほんのかすかなひそやかなもので、
この人の育ちの良さがうかがわれますねえ。

それにしても、次々とリリースされる新人女性歌手たちによるサナートの充実ぶりは、
主役たちの実力確かな歌いぶりはもちろんなんですけど、
それを支える伴奏の良さに聴きごたえがありますよね。
ストリングスたっぷりのゴージャスなオーケストレーションは昔ながらのようにも思えますが、
ゼキ・ミュレンが晩年の80~90年代と比べれば、アレンジ面で相当向上しています。

弦セクションや各楽器のパートを立体的に配置して、歌のメロディをくっきりと浮き彫りにし、
対位法を使った編曲を用いるなどデリケイトに書かれたスコアは、
かつてのべったりと重いオーケストレーションとは格段の差があります。
音楽監督で全曲の作曲者でもあるハリル・イズルメッキが、本作の影の主役ですね。
1曲メリエンとデュエットしているから、影でもないかな。
トランペットとトロンボーンの2管を加えた東欧風の曲なども楽しめる、シックなサナートです。

Meryem Zengin "ÖZÜR DİLERİM" Mimoza Müzik no number (2014)
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インテリ・エリートが切り拓くトルコ歌謡 フェルハット・ギョチェル [西アジア]

Ferhat Göçer  FERHAT GÖÇER.jpg   Ferhat Göçer  KALBE KIRALIK AŞKLAR.jpg

トルコでいまやイブラヒム・タトルセスの人気に迫るという、噂のフェルハット・ギョチェル。
いつの間にそんな人気者になっていたのやらと思いつつ、
話題を呼んだ11年の前作“SENI SEVMEYE AŞIĞIM” も聞かないままとなっていたのは、
フェルハットの過去作にがっかりしたことが、ずっと尾を引いていたせいでした。

実は、ぼくはフェルハットの05年のデビュー作にいたくカンゲキし、
トルコ歌謡の未来を担うのはこの人だっ!とまで買っていたことがあったんです。
まず印象的だったのが、古典音楽を学んだことをうかがわせる確かな歌いぶり。
ハルクなどの民謡から東欧ジプシーの音楽、ギリシャのライカ、ルンバ・フラメンカまで吸収した
幅広い音楽性と、硬軟使い分けて歌うその実力は、新人離れしていました。
さらには、キャッチーな曲も書けるとくるのだから、
その底知れない才能には舌を巻かずにおれません。

こりゃ、すごい人が出てきたなあと思ったら、67年生まれで遅いデビューとはいえ、
イスタンブール大学の医学部在籍時に声楽を学び、
国立オペラ・バレエ団にオペラ歌手として入団していたという、異色の経歴の持ち主。
大学卒業後インターンで転勤となったため、国立オペラ・バレエ団を退団するものの、
外科医として勤務するかたわら、
イスタンブール大学院声楽科で学び直したというのだから、すごい努力の人です。

その後、トルコ初となる個人所有の交響楽団アナドル・アリアラルを設立し、
文化観光省の後援でトルコ各地をツアーして大成功を収めたというのだから、驚きます。
アルバム・デビューする前に、すでに相当なキャリアを積んでいたわけで、
歌手兼外科医というとてつもないインテリ・エリートなのでした。
デビュー作のソフトで甘くスムーズな歌い口を聞いて、
ぼくはギリシャのマノリス・リダキスとイメージをダブらせていたんですけど、
育ちの良さをうかがわせる歌いぶりは、タトルセスのような裏町苦労人とは
明らかに出自が違うことを示していました。

ところが、そのあとがいけなかったんですよねえ。
デビュー作のヒットでさらにポピュラリティを得ようと制作側が色気を出したのか、
セゼン・アクスから楽曲提供を受けた2作目は、ポップス寄りのプロダクションとなってしまい、
デビュー作でみせたフェルハットの幅広い音楽性が封じ込められてしまいました。
3作目でも、またしてもセゼン・アクスの曲を取り上げたほか、
アルバム・ラストでは何を勘違いしたのか、ハウスにアレンジした曲を歌うという、
フェルハットの才能に泥を塗るような仕上がりに、バッカじゃないのと怒り心頭。

2作連続フェルハットの音楽性を生かせないプロダクションに幻滅し、
以来、ぼくはフェルハットのことをすっかり忘れていました。
というわけで、前作についてエル・スールの原田さんが、
「トルコのヨルゴス・ダラーラスになろうとしている」とほめていたのを気にしつつ、
そのままやりすごしてしまったので、新作をリベンジのつもりで聴いてみました。

いやあ、しばらくフェルハットを聴かないうち、自信に満ちた歌いっぷりとなりましたねえ。
原田さんがダラーラスを引くのもナットクの抑えの利いた歌唱が、
張り上げ一辺倒になりがちなトルコ歌手との違いを聞かせます。
考えてみると、ぼくも最初にマノリス・リダキスを思い浮かべたのは、偶然といえば偶然。
フェルハットに、トルコの歌手にはないギリシャの歌手が持つような資質を、
原田さんもぼくも感じ取ったってことなんでしょうね。

この新作は、いわゆるトルコ大衆歌謡路線のプロダクションで、
デビュー作ほどカラフルな音楽性を発揮してはいませんが、
ブズーキ・バンドをバックにしたライカあり、軽くスウェイする洗練されたリズムありと、
ドラマティック一辺倒ではない、さまざまな表情をみせてくれます。
古典や民謡にギリシャ歌謡も咀嚼したフェルハットの実力をみせてくれた本作、
あらためてもう一度、この人に注目しようと思います。

Ferhat Göçer "FERHAT GÖÇER" DMC DMC20183 (2005)
Ferhat Göçer "KALBE KIRALIK AŞKLAR" Emre Grafson Müzik H.E.205 (2013)
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アナトリアの哀しみ ミネ・クーシュ [西アジア]

Mine Kuş  HÜZNÜN SESI.jpg

トルコの音楽はここ数年古典歌謡ばかり聴いていたので、
ハルクを聴くのは、ずいぶんひさしぶりな気がしますね。
ミネ・クーシュという女性歌手、それほど若くは見えませんが、これがデビュー作とのこと。
落ち着いた歌声とこぶし使いは、すでに相応のキャリアを積んだ人とお見受けします。

『哀しみの声』というタイトルどおり、
哀感たっぷりのスロー中心の楽曲をじっくりと聞かせるアルバムで、
こういうハルクがぼくは一番好きですねえ。
ミネの歌いぶりは大向うなところのない丁寧なもので、
歌いこみすぎず、抑制の効いた感情表現が鮮やかです。
凛としたたたずまいは、胸の奥にしまい込んだ哀感をじわりと伝えるようで、グッときますよ。

伴奏がまたスグレモノ。
アクースティックな音感を生かした音づくりで、
きらきらと煌めくタンブールの硬い高音と、むせび泣くズルナの響きが強調されています。
ゆったりとしたリズムを叩く大太鼓を前面に出し、
ドラムスとベースのリズム・セクションを控えめにしているところも好感が持てます。

晴れやかな声にアナトリアの抒情が映えた、美しい一枚です。

Mine Kuş "HÜZNÜN SESI" Arda 130 (2013)
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夏の宵とノスタルジア セマ [西アジア]

Sema  EKHO Ⅱ.JPG

レコードの針音ノイズで始まるアルバム、なかなか憎い演出じゃないですか。

セイヤン・ハナム、ムルシデ・ハナム、デニズ・クズ・エフタリャなど、
トルコ共和国成立後のイスタンブールで活躍した、
いにしえの女性歌手たちのレパートリーを歌った企画作。
4年前にこんなアルバムが出ていたとは、気付きませんでした。
タイトルには第2集とあり、第1集は06年に出ているみたい。そちらも聴いてみたくなりますね。

タンゴ、フォックストロット、オペレッタなど、戦前トルコ歌謡往時のスタイルのまま、
ピアノ、バンドネオン、チェロ、ヴァイオリン、クラリネット他の
室内楽の伴奏にのせて、しっとりと歌っています。
セマというこの女性歌手、見かけからしてだいぶヴェテランのよう。
ヴェテランにありがちな、癖で歌うところがないのはいいですね。
繊細かつ丁寧に歌っていて、感情を抑え目にした歌唱に好感が持てます。

オペレッタではやや演劇的な歌い回しもしますけれど、それでもケレンは感じさせません。
タンゴやオペレッタという、ぼくの苦手な部類の曲も気持ちよく聴けるのは、
セマの品の良い歌唱のおかげです。
伴奏もなかなか秘めやかで、艶やかなレトロ気分がふんわりと薫ってきて、とてもいいムード。
悩ましくも妖しいメロディが暑さ疲れの身体にじんわりと染み込んで、コリをほぐしてくれます。
夏の宵に聴くのに、うってつけの一枚ですよ。

Sema "EKHO Ⅱ : EFSANE HANIMLAR" Hammer Müzik HMCD044 (2009)
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イラクのイケメン・シンガー マジッド・アル・ムハンディス [西アジア]

Majid Al Muhandis  ANA WAYAK.JPG

サドゥーン・ジャビルと一緒に届いたのが、マジッド・アル・ムハンディスの去年の新作。
Iraq でカタログ検索していたら、一緒に網にかかりました。
マジッド・アル・ムハンディスは、今年初めに書いた
チュニジアのサベール・ルバイとも似たタイプのシャバービー・シンガー。
これといった強烈な個性はないものの、堅実に聞かせる人で、
レーベルもロターナだから、クオリティも確か。
ダンス・ポップス仕様のやかましい打ち込みも登場しません。

イラクの男性シンガーといえば、カゼム・アル・サヒルという大スターがいますけど、
マジッドはカゼムより一回り若く、71年バグダッド生まれ、クウェート育ち。
90年代にヨルダンで歌手デビューし、01年のバーレーンの音楽祭と
02年のヨルダンの音楽祭で頭角を現し、
その後UAEへ活動拠点を移して、キャリアを積んだといいます。

Majid Al Muhandis  ENJANEAT.JPG   Majid Al Muhandis  ENSSA.JPG

ぼくは06年の“ENJANEAT” でマジッドを知り、若々しくセクシーな歌いぶりに惹かれました。
泣きのメロディを、練れたこぶしを利かせながら歌うところは、若さに似合わぬ上手さがあります。
08年の“ENSSA” では、洗練されたアーバン・タッチの曲から、
パーカッシヴな湾岸サウンドのハリージまで、
シャバービーの幕の内弁当アルバムに仕上がっています。

新作はこれまでと同じ路線で、さらにサウンドをグレイド・アップさせた印象。
ゴージャスな弦オーケストラと、ウードをフィーチャーした正調アラブ歌謡もあるなど、
幅広いレパートリーの曲はツブそろいのうえ、サウンドもカラフル。一級品のシャバービーですね。
ラストのスローなんて、泣きのこぶしを丁寧に回すマジッドに、アラブ女は泣くんだろーなー。
イケメンなマジッドくんの歌いぶりも成長著しい快作です。

Majid Al Muhandis "ANA WAYAK" Rotana CDROT1841 (2012)
Majid Al Muhandis "ENJANEAT" Rotana CDROT1269 (2006)
Majid Al Muhandis "ENSSA" Rotana CDROT1446 (2008)
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知られざるイラク古典歌謡 サドゥーン・ジャビル [西アジア]

Sadoon Jabbir TRIBUTE TO NAZIM AL-GAZALI 1.JPG   Sadoon Jabbir TRIBUTE TO NAZIM AL-GAZALI 3.JPG

芸術的洗練を高め過ぎた現代イランの古典歌謡に魅力を感じない話は前にしましたけど、
お隣イラクの古典歌謡の現代ものは、そういえば聴いたことがありません。
それどころか、どんな歌手がいるのかさえ知らなかったので、
あらためてアラブ音楽CDサイトで探してみたら、
サドゥーン・ジャビルという男性歌手に出くわしました。

サンプルを聴いてみたら、古典音楽らしからぬナマナマしい歌声にびっくり。
カタログにはこの人のアルバムが2枚載っていて、どちらもイラク古典音楽の名歌手といわれる
ナジム・アル=ガザリ(1921-1963)のレパートリーを歌ったものでした。
カタログには第2集が抜けてましたけど、さっそく第1集と第3集をオーダーしましたよ。

うわぁ、イランの芸術的な古典音楽とは、まるっきり違いますね。
ざっくばらんというか、あけすけな歌い方をする人で、格調高さとはおよそ無縁。
rを強い巻き舌で発声し、語尾のhを叩きつけるように歌います。
こぶしの回し方も気風がいいというか、ケレン味たっぷりで、
そのディープな歌い口には、親しみをおぼえます。
エジプトの洗練された古典音楽とも趣を異にする、庶民感覚が魅力の歌手ですね。

イラクの古典歌謡イラキ・マカームは、「千夜一夜物語」が成立した
アッバース朝の時代にも遡る、バグダッドの都市歌謡です。
バグダッドはエジプトのカイロとも並ぶアラブ音楽の中心地で、
旋法名と同じマカームを称しているのが、面白いところ。

イラクの古典音楽というと、ムニール・バシールに代表される器楽が有名なわりには、
古典歌謡にどんな歌手がいるのか、ほとんど知られていません。
サドゥーン・ジャビルがどういう人物なのか調べてみましたけど、文字情報は見つからず、
そのかわりYoutubeにはかなりの数の映像があがっていました。
おそらくイラク国内では、有名なヴェテラン歌手なのだろうと思われます。

サドゥーンがカヴァーしたナジム・アル=ガザリもその歌声は未体験だったので、
早速Youtubeでいくつか聴いてみたところ、なかなか豪放な歌いっぷり。
こういう味わいが、イラク古典歌謡の特徴なんでしょうか。
う~ん、もっとイラキ・マカームを聴いてみたくなりました。

Sadoon Jabbir "TRIBUTE TO NAZIM AL-GAZALI 1" CBA CD148 (2000)
Sadoon Jabbir "TRIBUTE TO NAZIM AL-GAZALI 3" CBA CD150 (2000)
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ロマンティックなシャルク エズギ・キュケル [西アジア]

Ezgi Koker  Sade.JPG

またまたトロけるような古典歌謡の女性歌手が、トルコから登場しましたよ。
エズギ・キュケル、28歳。
まだハタチ台ながら、いやその若さだからこそのみずみずしい柔らかなメリスマに、
オヤジはもうメロメロ。
デビュー作とは思えない力の抜けた歌い口と慈愛に満ちた歌いぶりに、
ただただため息がもれてしまいます。

ウード、カーヌーン、ベース、チェロ、ヴィオラの弦楽器が織り成す、
たおやかなアンサンブルもなにをかいわんやですが、楽曲の美しさにもうっとりさせられます。
作曲者のクレジットをみれば、タンブーリー・アリ・エフェンディ(1836-1902)、
ムアリム・イスマイル・ハック・ベイ(1865-1927)といった19世紀の作曲家に、
40年代に数多くの映画音楽を作曲したサーデッティン・カイナク(1895-1961)や
セラハッティン・プナール(1902-1960)の曲がバランスよく取り上げられていて、
いにしえの古典と大戦前後の軽古典のもっとも美味なところを、こころゆくまで味わえます。

芸術的ともいえる古典歌謡のレパートリーを揃えた本格的な作品ながら、
ことさら格調の高さを押し出さない歌と演奏が、今のトルコの良さですね。
この風通しの良さが、古典音楽を現代にいきいきと甦らせている秘訣でしょう。
21世紀の現代に、シャルクをこれほどロマンティックに響かせるなんて、
ほんとにいい仕事をしていると思います。

このトルコの自由さと対極にあるのが、イランの古典歌謡ですね。
ダストガーに忠実となるあまり、伝統保存の悪しき形式主義に陥っているかのよう。
型どおりに歌うだけのお行儀の良い演唱からは、生命力を感じ取ることができません。
イラン古典歌謡の大歌手といわれるシャジャリアンが、そのいい例じゃないでしょうか。

イラン音楽ファンを敵に回しそうですけど、ぼくはシャジャリアンにまったく魅力をおぼえません。
タハリールの技巧ですら、ぜんぜんスリルを感じないんだから、どうしようもないですね。
江差追分みたく、こぶしを回す数を数えてやってるんじゃないかっていう味気なさ。
最近欧米でも演奏活動をして評判となっている若手のムハンマド・モタメディも、
典型的なシャジャリアン以降の歌手といった感じですね。

イラン古典歌謡のアーヴァーズにナマナマしい生命力があったのは、ゴルパまで。
イランの古典音楽は芸術性を高めるあまり、洗練の退廃に至っているんじゃないでしょうか。
エグバール・アーザルやターヘルザーデなど、戦前のアーヴァーズ歌手が持っていた
パワフルでのびやかな歌唱表現を、もう一度取り戻してもらいたいものです。

自由な新風を送って魅力を増しているトルコ古典歌謡を聴いていると、
イランの音楽エリートたちが古典音楽を不自由にしてしまったのは、なんとも残念でなりません。

Ezgi Köker "SADE" Kalan CD592 (2012)
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アルメニア・ポップスの会心作 ナナ [西アジア]

Nana  SIRAHARVEL EM.JPG

アルメニアン・ポップって、しばらく聴いてなかったなあ。
ここのところトルコやアラブの古典歌謡の良作が続き、
生音アンサンブルの蕩けるような美しさに魅入られていたこともあって、
打ち込みをベースにしたポップスを耳にする気にならなくなってたのも正直なところ。
でも、まあ、そういうアーティスティックな音楽とは対極の、
通俗な大衆味こそがアルメニアン・ポップスの醍醐味なので、
求めるものが違うってことなんですけどね。

で、ひさびさのアルメニア・ポップスなんですが、
中堅女性シンガー、ナナの新作が会心の内容でした。
ちょと古臭い言い方をすれば、バリバリのエスノ・ポップって感じ。
疾走する打ち込みのビート感がグルーヴィーで、実に爽快なんですよ。
パキパキしたリズムが、ジャストで打ち込まれる感覚が快感です。
一歩間違えれば、デリカシーに欠けるチープなプロダクションとなるところを、
ぎりぎり踏みとどまって、アゲアゲ感をうまく演出しています。

ナナは04年にデビューした女性シンガーで、これが6作目とのこと。
クセのないヴォーカルで伸びやかな歌いぶりを聞かせ、
万人向けの親しみやすいポップ・シンガーといったところでしょうか。
特に強い個性は感じさせませんが、
ピチピチとしたサウンドにナナのヴォーカルがよく映えます。

サウンドのカナメとなっているのは、ガルモンとドゥドゥク。
どちらも耳をつんざくような音色を響かせ、強烈なアルメニア臭を撒き散らしています。
ところが、クレジットにはどういうわけか、ガルモンやドゥドゥクの文字がありません。
どうやらこのアルバムで演奏されているのは、
ガルモンの音色を真似たシンセと、ドゥドゥクのように聞こえるクラリネットのようです。
アルメニア人の手にかかれば、クラリネットもドゥドゥクのように、
かすれた響きで泣かせることができるんですねえ。

全18曲、収録時間79分超と、ちょっと詰め込みすぎの感はありますが、
8人ものアレンジャーを迎え、あの手この手でアルメニアの民俗性を盛り込んだ快作です。

Nana "SIRAHARVEL EM" Hamik G. Music PRCD14291 (2013)
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黒海の月明かりに照らされて メフタップ・デミル [西アジア]

Mehtap Demir  SÖYLE MEHTAP.JPG

メフタップ・デミルは、トルコの女性歌手。
「月光のデミル」とはまた、なんてロマンティックな芸名なんでしょうか。
チュルキュレリン・センフォニシの歌手として活躍してきたデミルの、
満を持してのソロ・デビュー作です。
タイトルもその名前にちなんで『月の光に語って』とあるとおり、
詩情豊かなオリエンタル浪漫あふれるアルバムに仕上がっています。

デミルは幼い頃からアナトリア民謡を学び、民族音楽学の学位も持つ、
才色兼備な歌手にしてケマン奏者。
このアルバムでもアナトリアの伝統に拠った自作曲に、黒海沿岸民謡はじめ、
アゼルバイジャン、マケドニア、ウィグルの民謡を取り上げています。
西アジアや中央アジアのフォークロアにも通じたデミルならではのレパートリーですが、
フェミニンな歌い口がまた美味。ハルク歌手にありがちな、しつこくメリスマを利かせることもなく、
さらりとこぶしを回しながら、情の深さが伝わってくるところなど、ゾクゾクしますねえ。

伝統楽器を中心としたアンサンブルがまた聴きもの。
ケマン、バグラマー、カーヌーンなどの弦に、
ズルナ、ネイ、ドゥドゥク、クラリネットの管の響きの美しさといったら。
アルバム冒頭の30秒でトロけること、保証しますよ。
アゼルバイジャン民謡では、アゼルバイジャンのアコーディオン、ガルモンも弾いています。

多彩なレパートリーの持ち味を引き出したアレンジも鮮やかで、
タンゴ、ライカ、ジプシーの香りも楽しめる贅沢さ。
どんぶらこ、どんぶらこと、小舟をこぐようなゆったりとしたリズムで、
平面太鼓の乾いた響きがルバーナを想わす曲では、
ムラユを聴いているような錯覚さえ覚えます。

黒海の月明かりに照らされて揺れる水面を、そのまま音楽にしたようなアルバムです。

Mehtap Demir "SÖYLE MEHTAP" Akustik Müzik no number (2012)
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蘇るイスタンブールのサロン オヤ・イシュボーア [西アジア]

Oya Isboga.JPG

いや~、トルコの古典歌謡、大充実じゃないですか。
シェヴァル・サムの新作を聴き惚れる毎日に、
またまた蕩けるような女性歌手のアルバムが届きましたよ。

83年生まれ、まだ20代の若さというオヤ・イシュボーアが
2010年に結成された「トルコ・コーヒー楽団」なるグループと共演したアルバム。
これが2作目というオヤは、揺れるメリスマも技巧的すぎない素直な歌いぶりで、
抑制の効いた落ち着いたヴォーカルが魅力です。

カーヌーン、ケマンチェ、ウード、チェロ、ピアノ、パーカッションなど、
純アクースティックなアンサンブルが、慈しむように旋律を奏でるのを聴くだけでも、
うっとりとしてしまいます。こういうふうに楽器を歌わせるのって、
ジャコー・ド・バンドリンのショーロと共通するものを感じますね。

古典歌謡を範とした楽団リーダーのオリジナル曲を中心に、
ゼキ・ミュレン作曲のタイトル曲なども含む、
ノスタルジックなムードの佳曲が並んでいるんですけれど、
サナート一辺倒というわけではなく、アゼルバイジャンの伝承曲など彩のあるレパートリーが、
アルバムの魅力を倍加させていますよ。

シェヴァルの妖しさいっぱいの歌のあとでオヤを聴くと、どこまでも涼しげで、
クセのないさっぱりした歌唱と、古き良き時代を思わすサウンドとの絶妙なマッチングに、
かつてイスタンブールのサロンを賑わせた歌姫もかくやと思わせます。

Oya İşboğa "YAĞMUR" Mag Yapı ve Sanat Evi no number (2012)
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色香薫るトルコ古典歌謡 シェヴァル・サム [西アジア]

Sevval Sam  TEK.JPG

待ってました!
歌手兼女優のトルコの才媛シェヴァル・サムが放つ古典歌謡アルバム第2弾。
06年のデビュー作“SEK” のみずみずしい古典歌謡に衝撃を覚えた当方としては、
待ちに待った企画。やっぱ、この人の魅力は、古典でこそ輝きますねえ。

“SEK” 以降、毎回異なる企画でアルバム制作を重ねてきたシェヴァル。
クラブ系ミクスチャー、黒海沿岸歌謡、アラベスク古典と、
その意欲的な姿勢は高く買うものの、正直“SEK” 以上の満足は得られませんでした。

で、今回再度古典歌謡に取り組んでくれたわけなんですが、
う~ん、やっぱこの人のこぶし使いは、めちゃくちゃ色っぽい。
「触れなば落ちん」といった、しなだれるようなこぶし回しは、シェヴァル独特の個性ですね。
デビュー作を聴いた時、こんなにアダっぽい古典歌謡があるのかとノケぞったものですけど、
今回も全編で艶っぽいヴォーカルを発揮していて、もうメロメロです。

2枚組というヴォリュームながら、どちらも40分弱の収録時間なので、
分量的にはアルバム1枚とたいして変わりません。
ディスク1のオープニングで、前奏のペシュレヴから始まるという
古典声楽の形式にのっとった構成になっているのは、デビュー作と同じ趣向。
器楽パートのペシュレヴに続いて切れ目なく歌い出すレパートリーも、
ゼキ・ミュレン、サーデッティン・カイナク、ミュゼイェン・セナールなど、
これまたデビュー作と同じ趣向で、まさしく“SEK” の続編となっています。

シェヴァルの風が舞うような歌いぶりは、
古典歌謡の格調高さを妙に意識させることもなく、どこまでも爽やか。
崩れ落ちるようなこぶし回しはデビュー作より安定感をみせ、
ますます妖しさを増しています。

今年はミネ・ゲチェリやアスルハン・エルキシとトルコ古典歌謡の充実作が続き、
年間ベスト10にどれを選ぶべきか、こりゃ悩ましいですね。

Şevval Sam "Ⅱ TEK" Kalan CD575 (2012)
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つつましいハルク歌い ネスリン・ウルス [西アジア]

Nesrin Ulusu  LEYLI LEYLI.JPG

トルコのハルク歌手ネスリン・ウルスのアルバム。
新作かなと思って手を伸ばしたら、06年の旧作でした。
全編生音中心、弦アンサンブルにネイやズルナなどの管楽器が
彩りを添えた音づくりとなっています。
よく聴けばドラムスとベースも加わっているんですけど、
ほとんど目立たず、サポート役に徹しているところが好感大。

74年ドイツ生まれのネスリンは音楽一家に育ち、幼い頃からトルコ民謡に親しんでいた人とのこと。
こぶしを多用しないやわらかな歌唱が、この人の良さですね。
ぐりんぐりんのこぶし使いが苦手という人には、ぴったりじゃないでしょうか。
柔らかな女性コーラスとともに歌う、ふんわりとしたさりげないこぶし使いに、心がなごみます。

このアルバムは全体に明るい曲調が多く、そこも彼女の持ち味によく合っていますね。
通奏低音のように静かに流れるシンセと、華麗なプレイを聞かせるサズをバックに歌った曲など、
ほかの歌手なら居住まいを正されるような緊張感が生まれそうなところ、
ネスリンが歌うと堅苦しさがなく、とても親しみやすくっていいんですよね。

アップ・テンポのダンス・チューンも織り交ぜたハルクらしい民謡アルバムながら、
泥臭さを感じさせず、すっきり聞かせた一枚。
つつましさと女らしい柔らかさにあふれた歌ものアルバムとして、
広く女性ヴォーカル・ファンにもアピールしそうです。

Nesrin Ulusu "LEYLI LEYLI" Ulusu Müzik no number (2006)
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繊細なる哀しみ エィレム・アクタシュ [西アジア]

Eylem Aktas  DIZI MUZIKLERI.JPG

とある方と女性歌手の好みについてあれこれ話し合っていたら、
「マジメなタイプの歌手が好きなんですね」と言われてしまい、面食らってしまいました。
控えめなタイプが好きなのは確かだけど、だからって「マジメ」かどうかは別な話。
不良を気取ったロックや、チンピラなヒップ・ホップがキライで、
伝統音楽をこつこつと鍛錬してきたような人が好きだから、そんなふうに思われるのかなあ。

マジメかどうかという価値観で、ミュージシャンの好みを考えたことなどこれまでなかったので、
その指摘はすごく意外というか、新鮮ではありました。
ただひっかかるのは、その人が言う「マジメ」には否定的なニュアンスがあって、
「インパクトに欠ける」とか「味わいに乏しい」を言い換えているような印象もあったんですけどね。
「マジメ」を揶揄ではなく、肯定的に使いたいぼくからすれば、
「余計な自意識をひけらかさない」美点こそ「マジメ」と呼びたいところですけど、
自意識の塊みたいなおゲイジツ志向のミュージシャンを誉めそやす人や、
芸能的な性格の強いノヴェルティなシンガーを見下す人には通じない話かも。

で、そんな指摘がもろに的中なのが、トルコのシンガー、エィレム・アクタシュでしょうか。
ジャケット・カヴァーの清楚な顔立ちが好みなんて言えば、
ほら、やっぱ学級委員長タイプの、マジメぽい人が好きなんじゃないと言われてしまいそう。
品の良いお嬢さん然としたライナーの写真に目を細めてしまうワタシは、
やっぱりマジメな優等生が好みなんでしょうか。

それはともかく、エィレム・アクタシュのこのアルバム、楽曲の美しさがただごとじゃありません。
これだけ繊細な哀しみにあふれたメロディ揃いというのも、近年稀じゃないですかね。
すくった水があえなく零れ落ちていくのを、スローモーションで見るようなはかない美しさ。
そんな美しさをさりげなく表現するエィレムの、あっさりとした歌いぶりに感じ入ります。
感情を込めすぎない丁寧な歌唱が、かえって楽曲の持つ哀しみを引き立てているんですね。

アレンジャーを6人も配し、サズ、ピアノ、カーヌーン、クラリネットなどの生音をいかした
端正な伴奏も申し分なく、美しくも哀しいトルコ歌謡必殺の1枚といえます。

Eylem Aktaş "DIZI MÜZIKLERI" ADA Müzik no number (2011)
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レトロなアナトリア娘 セヴジャン・オルハン [西アジア]

Sevcan Orhan  ZEMHERIDEN ÖTESI BAHAR.JPG

いいジャケットでしょ?
古い映画のワン・シーンのような、レトロなファッションに身を包んだ、
トルコのハルク系若手女性歌手セヴジャン・オルハンのアルバム。
思わずジャケ買いしたんだけど、1・2度聴いたきり、そのまんまになっていたのでした。
歌は上手いんだけど、どうも訴えるところが弱いというか、
歌が伴奏に埋没してるような印象で、パッとしなかったんですよね。

先週CDの整理をしていて、棚にしまう前にもう一度と思って聴いてみたら、印象が一変。
あれぇ、こんなに良かったっけか。
サズやギターを中心とした弦アンサンブルに、
クラリネットやドゥドゥクなどの管楽器やガルモンなども加えたハルクらしい伴奏ながら、
レパートリーはトルコ民俗色一辺倒というわけではありません。
バルカン・ブラスを取り入れた曲や、ロックぽいアレンジの曲なども織り交ぜ、
ポップス寄りになりすぎない、ギリギリなところで抑えたプロデュースのさじ加減がいい按配です。

ヴォーカルのインパクトが弱いという印象は、どうやらミックスのせいだったようです。
プロデューサーがプロダクションに力を入れすぎて、
伴奏を聞かせたいがために、歌と伴奏をイーヴンにしたんじゃないのかしらん。
派手なサズの早弾きが出てきたりしますからね。
いずれにせよヴォーカルの押し出しが弱いんじゃ、歌手のアルバムとしてはまずいですよね。
ミックス、やり直してほしいです。

セヴジャンのヴォーカルに集中して聴けば、コブシ回しは達者だし、ヴィブラートも美味。
見かけによらぬ太く力強い声で、色気を求める人には向きそうにありませんが、
歌い上げすぎずさっぱりと歌う自己主張の強くない歌唱スタイルは、ぼく好みです。

Sevcan Orhan "ZEMHERIDEN ÖTESI BAHAR" Özdemir Plak no number (2011)
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トルコ美女が歌う古典歌謡 アスルハン・エルキシ [西アジア]

Aslihan Erkisi  NEVESER.JPG

トルコのポップスって、ハルクのような民謡系のアルバムでもプロダクションが厚塗りなうえ、
打ち込みがドガスカとうるさく、コブシもぐりんぐりんクドイくらい回して、胃もたれしてしまいます。
そんなわけで、ここ5・6年は古典歌謡・伝統音楽系にしか興味が向かわなくなってしまいました。

そんな嗜好を決定づけたのが、女優兼歌手シェヴァル・サムの06年デビュー作の“SEK”。
ウード、ヴァイオリン、チェロ、カーヌーンなどの弦楽器の生音アンサンブルにのせて、
さらりとしたメリスマを聞かせるシェヴァルの歌声に魂を抜かれ、それはそれは溺愛したものです。
うん、ほんとにこのアルバムは、よく聴いたっけなあ。

Sevval Sam  SEK.JPG

その後のシェヴァルは、エレクトロなミクスチャー・ミュージックに挑戦したり、
アラベスクの歴史を振り返ったりと、女優さんらしく一作ごと意欲的な作品をリリースするも、
個人的にはこのデビュー作“SEK” を凌ぐものはなく、
ああ、誰か、こんなアルバムをまた作ってくれないものかと、ずっと願っていたのです。

で、待つこと5年。出ましたねぇ。78年ドイツ生まれの才媛というアスルハン・エルキシ嬢による、
トルコ戦前歌謡の女流作曲家兼歌手ネヴェセル・キョクデシュ・シャルクラルの作品集。
アルバム出だしの優美な弦楽アンサンブルの演奏に、いきなり胸をきゅっとつかまれます。
<楽器が歌う>とはまさしくこのことで、背中がゾクゾクもののこういう音楽を聴くと、
機械音をもて遊んでヤバンな音楽を作ってる場合じゃないぜと、
余計な一言も洩れようというものです。

古典声楽を学んだという、アスルハンの心根の優しさを感じさせる声が、またいいじゃないですか。
頬にあたる地中海のやさしい風を感じさせるメリスマとでもいいましょうか、
しつこくなくあっさりすぎもしない、絶妙なバランスの歌いぶりに、すっかりトリコとなっています。

Aslihan Erkişi "NEVESER : NEVESER KÖKDEŞ ŞARKILARI" Akustik Müzik no number (2011)
Şevval Sam "SEK" Kalan CD389 (2006)
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ボスポラス海峡を渡るカモメ ミネ・ゲチェリ [西アジア]

Mine Geçlili  GECE KİRPIKLİ KADIN.JPG

新年を静かに迎えたのは理由があります。
下の娘が冬休みを利用して、暮れに顎の手術を受けたのです。
歯の噛み合わせを改善するための手術で、1年半前から準備してきたこととはいえ、
全身麻酔をする手術なので、家族みな緊張してその日を迎えました。

全身麻酔といえば、ぼくにとってはクララ・ヌネスの83年の医療事故が忘れられず、
顔には出さねども、正直不安でいっぱいでした。
無事手術は終わり、ホッとはしましたが、術後の矯正もあり、しばらく娘の不自由は続きます。
というわけで、我が家はクリスマスも正月行事もない年末年始となったのでした。

それにしても、次女は、去年の我が家の十大ニュースを独占しました。
暮れの大手術はトドメのようなもので、トルコ語オリンピック出場でアンカラへ行くわ、
交通事故に遭うわ、学年一位の成績を取るわと、話題てんこ盛りの一年でした。
なかでもトルコ行きは、一番の青天の霹靂というか、
引っ込み思案な次女の成長ぶりが実感できた、親として一番嬉しい出来事でしたよ。

トルコといえば、昨年はこれといった作品がないなと思っていたら、
ちょうど娘が入院準備を始める頃に、ミネ・ゲチェリの本作に出会えました。
ウード、カヌーン、ケマンチェ、チェロ、アコーディオン、ピアノ、ギターといった、
アクースティックな楽器が織り成す優美なアンサンブルを伴奏に、
トルコ大衆歌謡の巨匠ゼキ・ミュレンの作品を歌った素晴らしいアルバムです。

オリエントの洗練の粋を極めたプロダクションは、
モノクロ写真の階調の美を見るかのような繊細さにあふれ、
たゆたうエーゲ海の波のようなメロディにのせて歌う、
ミネの哀愁のこもったこぶし回しを目を瞑って聴いていると、
ボスポラス海峡を渡るカモメが瞼に浮かびます。

娘がトルコ語を習っていたトルコ人の先生に、トルコの音楽が大好きですと言ったら、
ぜひイスタンブールにいらっしゃいと誘われちゃいました。
いつか娘の案内で、トルコへ行けたらなあと思います。

Mine Geçili "GECE KİRPIKLİ KADIN" Mega Müzik 34Ü.963 (2010)
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イラン近代化の時代に ルーアンギス [西アジア]

Roohangiz.JPG

先月エグバール・アーザルとターヘルザーデの話題を取り上げたばかりですけど、
またしてもイラン古典声楽の深淵に触れることのできる、とびきりの1枚に出会えました。
それがこのルーアンギス(と読むのでしょうか。どなたか教えてください)。
今回初めて知った名前で、どういう人かとあわてて調べてみると、
1904年、歴史と文学の古都シラーズに生まれ、1928年にプロ・デビューして、
イランを代表する女性歌手として活躍した人だそうです。

2005年にカルテックスから“PERSIAN TRADITIONAL MUSIC” シリーズの1枚として
リリースされていたようなんですが、こんなシリーズが出てたとは気付きませんでしたねー。
同時代のイランの名女性歌手カマール・オル=モルーク・ヴァジリの2タイトルと
レザー=ゴリ・ミルザ・ザリも出ていますが、レザー=ゴリはイラン・マーフール盤とダブり曲が多く、
ぼくはルーアンギスが一番のお気に入り盤となりました。

解説皆無で曲数表示も違っているというのは困りものですが、
1曲目のヴァイオリンを伴奏に歌う華やかなタハリールに、いきなりノックアウトをくらいました。
ルーアンギスのタハリールの技巧も見事なら、
歌に寄り添うヴァイオリンのなまなましいプレイがまたすごい。
歌手の息づかいまでも模写するかのようなフレージング、
その繊細なプレイからダイナミックに変貌する演奏ぶりに、ほれぼれとしてしまいました。
たいへんな名手であることは確かですが、この演奏家、いったい誰なんでしょうか。

ほかにもタール伴奏のアーヴァーズでタハリールを披露する曲もあり、
ルーアンギスの実力は明らかですが、
彼女の専門はタスニーフ(歌曲)だったらしく、このアルバムも大半がタスニーフで占められています。
曲によってはコーラスも伴ったオーケストラ伴奏がなんとも魅惑的で、
当時の古典音楽が西洋音楽の影響を排除していなかったことがうかがいしれます。
タスニーフのメロディーの美しさはまさに絶品で、古典音楽の堅苦しさはまったくありません。

この録音が行われた当時のイランは、西欧列強の従属から放たれ、
近代化へと向かおうとしていた時代。ダイナミックな時代のうねりが
古典音楽にも写し取られていたように感じるのは、まんざら深読みでもないでしょう。

Roohangiz "PERSIAN TRADITIONAL MUSIC VOL.4" Caltex 2598
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アンカラへ旅立った娘 ジェラール・ギュゼルセス [西アジア]

Celal Guzelses  SARK BULBULU_KLASIKLER 1.JPG   Celal Guzelses BIR GUZEL KI.JPG

高校2年の次女がトルコへと旅立ちました。
130カ国から千人を超す子供たちが参加する、「国際トルコ語オリンピック」へ出場するためです。
学校の先生の勧めでトルコ語教室へ通っているうちに、話がとんとん拍子で進み、
オリンピックの歌唱部門へ出場することになったんですね。

そんなオリンピックがあることも知らず、
娘からトルコに行きたいと相談された時は面くらいましたけど、
ぼくが一緒についていきたいくらいで、おお!ぜひ行ってこいと即答したものです。
ぼくも初めて海外に行ったのが高校2年の時だったので、
彼女にとってこのトルコ行きは、得難い体験ができるはずです。

オリンピックは約2週間アンカラで開催され、娘は学校行事の関係で、
閉会式を待たずに帰国する予定となっているんですけれど、
どんな土産話を持ち帰ってくるのか、いまから楽しみです。

娘を成田まで見送り、家に戻って思わず手を伸ばしたのが、
トルコの名歌手ジェラール・ギュゼルセスの往年のSP録音。
15年くらい前に出た復刻集を愛聴していましたが、
最近新たなリイシュー作を手に入れたところでした。

ジェラール・ギュゼルセスは、ヌーレッティン・セルチュクが完成させたトルコの古典声楽を、
大衆的なくだけた感覚で歌い、ナイトクラブの人気を集めた人。
ヌーレッティンの洗練とは対照的な、野性味のある歌が魅力です。
イラン古典声楽のタハリールにも似た技巧を用いますが、
どこか無骨なところがジェラールの持ち味といえます。
あー、ぼくもアンカラへ飛んでいきたくなりますね。

Celâl Güzelses "ŞARK BÜLBÜLÜ - KLASIKLER 1" Kilic no number
Celâl Güzelses "BIR GÜZEL KI" Coskun 96.34.Ü.044.109
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ヴィンテージ時代のタハリール エグバール・アーザル、ターヘルザーデ [西アジア]

Eghbal Azar EGHBAL AZAR VOCALS VOL.Ⅰ.JPG   Eghbal Azar EGHBAL AZAR VOCALS VOL.Ⅱ.JPG
Eqbal Azar 3.JPG   Eghbal Azar SINGING AT 100s.JPG
Taherzadeh TAHERZADEH VOCALS.JPG   Taherzade 2.JPG

イランのタハリールくらい、人間の声が持つ表現力のスゴさに圧倒されるものはありません。
オホオホオホオホオホ…と裏声と本声を行き来する技巧を駆使するその唱法は、
古今東西のこぶし音楽で最高度の技巧と賞賛されるのも、素直にうなずけますね。

ぼくは二十年前、イランの名歌手ゴルパのCDでタハリールを初体験し、
イラン古典声楽アーヴァーズの魅力に取り憑かれましたが、
その後イランのマーフール文化芸術協会が復刻する、
ヴィンテージ時代のアーヴァーズの名録音を聴いて、
ますます古典声楽の世界にのめりこむようになりました。

蝋管時代のヴィンテージ録音を聴いてよくわかったのは、
ゴルパの華麗なるタハリールのテクニックが、かなり洗練されたスタイルだということ。
タハリールは時代が下るほど、繊細かつなめらかになっていったようです。
それが証拠に、カージャール朝末期の名男性歌手エグバール・アーザルの蝋管録音を聴くと、
そのパワフルなタハリールに圧倒されます。
昔のタハリールは、速く・強い、というのが特徴。
100年以上も昔の録音と思えないそのなまなましさは、圧巻です。
ハイ・トーンばかりでなく、低い声でもタハリールをやっていて、
その壮絶ともいえる響きには、頭がくらくらしてきます。

1866年生まれのエグバール・アーザルよりひと回り下の世代にあたる、
1882年生まれのターヘルザーデを聴くと、ひたすらパワフルだったタハリールが、
天上から降り注ぐような華麗さを伴う表現へと変化したことがわかります。
ターヘルザーデは、即興のタハリールと詩を連続して歌う技巧を駆使し、
より高度な声楽形式を完成させた人として知られていますが、
タハリールの表現を深めた人でもあるのでしょう。

ターヘルザーデは、タハリールなしで詩のみを吟唱している曲も歌っていますが、
有拍の作曲された歌謡詩タスニーフではなく、あくまでも即興詩のアーヴァーズであるところに、
こだわりというか、即興を重視する姿勢がよく表れています。
解説によれば、当時アーヴァーズの歌手とタスニーフの歌手の間には一線が引かれていて、
アーヴァーズの歌手がタスニーフを歌うのは、プライドが許さなかったのだとか。

フリー・リズムのパートを拍節のあるパートより重視するイランの古典音楽は、
西洋音楽でいえば、カデンツァをメインとするのにも等しいことといえます。
繊細な即興感覚を尊ぶ美意識は、アラブ音楽やトルコ音楽にもなく、
世界中の音楽のなかでも稀な、イラン独特のものといえますね。

Eghbal Azar "EGHBAL AZAR VOCALS VOL.Ⅰ" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD45
Eghbal Azar "EGHBAL AZAR VOCALS VOL.Ⅱ" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD46
Eqbâl Âzar "SONGS OF EQBÂL ÂZAR 3" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD256
Abolhasan Egbâl Âzar "SINGING AT 100S" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD138
Taherzadeh "TAHERZADEH VOCALS" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD44
Tâherzâde "SONGS OF SEYYED HOSEYN TÂHERZÂDE 2" Mahoor Institute of Culture and Art M.CD285
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夫をスルタンにする方法 ムスタファ・カンドゥラル [西アジア]

Ozel Turkbas.JPG

う~ん、ゾクゾクしちゃうタイトルですね。
69年にアメリカで出たベリー・ダンスの教則レコードなんですけど、
アメリカで15万枚、トルコでは100万以上のセールスをあげたっていうんだから、スゴイ。
ハウ・トゥものとは思えぬ大セールスになったのも、その扇情的なタイトルとジャケのせいで、
いまでも中古レコード屋でよく目にするし、一時期はモンド盤扱いされてましたね。
04年にトラディショナル・クロスローズがCD化し、昨年日本盤でもリリースされました。

トルコでミリオン・セラーとなったのは、
それまでトルコ本国ではベリーダンス・ミュージックのレコードがなかったからという、
灯台もと暗しみたいな話も興味深いところです。
ナイトクラブのいかがわしい音楽をレコードにするなんて発想は、
当時のトルコ人にはまだなかったんですね。
アルバム名義はカリスマ・ベリー・ダンサーである、オゼル・テュルクバシュとなっていますけど、
演奏はトルコのトップ・クラスのミュージシャンが勢ぞろいした一大セッション。
トルコ古典音楽や西洋クラシック音楽も身につけた精鋭ぞろいによるハイ・レベルな演奏が、
なおさら新鮮な衝撃を与えたんでしょう。

メンバーの中でも特に有名なのが、クラリネット奏者のムスタファ・カンドゥラルです。
ゼキ・ミュレンの楽団で名を挙げ、60年代からはトルコ国内ばかりでなく世界的に活躍しました。
30年、トルコ第3の都市イズミールに生まれ、
54年にイスタンブールでルイ・アームストロングとセッションをし、
60年代のはじめにはベイルートの有名ナイトクラブにレギュラー出演、
さらにインド、オーストラリア、アメリカへとツアーをして、その名が一躍有名になった人です。

Coskun  CD051.jpg   Coskun 2nd.JPG

カンドゥラルのクラリネットが堪能できる代表作といえば、トルコCoşkun盤があります。
カンドゥラルの脂が乗り切った時期の、60~70年代の演奏が楽しめます。
最近またジャケを変えて再発されていて、
新しいリイシュー作が出たのかと勘違いして買ってしまいましたけど、
現在でも廃盤とならず、入手容易な定番となっているのはイイことですね。

Mustafa Kandirali.JPG

このほか、生誕75歳を記念して制作された、
ハードカヴァーの豪華CDブックでも、充実した演奏が聞けます。
こちらは70年代録音を中心に、ジプシーの歌、ベリー・ダンスの曲、
即興ソロ演奏(タクシーム)を織り交ぜて計15曲を収録。
抑制の効いたタクシームが聴きもので、じっくりと耳を傾けるほどに味わいが深まります。
トルコ語・英語で書かれた100ページに及ぶブックレットも、読みごたえがあります。

カンドゥラルはどんなに激しくブロウしてみても、
どこか覚醒しているような感が強く、常に抑制が利いています。
だから、ベリー・ダンス音楽をやっても、プレイが扇情的にならないんですよね。
たとえばイスタンブールのロマたちが演奏するベリー・ダンス音楽と表情がまったく違うのは、
トラディショナル・クロスローズ盤の“SULUKULE : ROM MUSIC OF ISTANBUL” と
聴き比べてみれば、一聴瞭然でしょう。

ベリー・ダンスものは当たると味をしめたトルコのレコード会社は、
その後のカンドゥラルのジャケに、あからさまなヌードを配したり、
ずいぶんあざといことをしてましたけど、
カンドゥラルのプレイはそんな卑俗さとは無縁で、常にキリッとクールなのでした。

Özel Türkbaş "HOW TO YOUR HUSBAND A SULTAN : BELLY DANCE WITH ÖZEL TÜRBAŞ" Traditional Crossroads CD4323
Mustafa Kandirali "MUSTAFA KANDIRALI" Coşkun CD051
Mustafa Kandirali "MUSTAFA KANDIRALI" Coşkun no number
Mustafa Kandirali "MUSTAFA KANDIRALI" Uzelli 1302-2
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キプロスのオリーヴ [西アジア]

Music of Cyprus.jpg

キプロスの国旗が好きでした。

幼稚園生の時、カラーブックスの『世界の国旗』が愛読書で、
世界の国旗と国名や首都を、かたっぱしから暗記したものです。
幼稚園のお絵かきでは、国旗ばっかり書いてましたもんねえ。
母親に連れて行ってもらった東京オリンピックの閉会式で、
選手団の国旗が登場するたびに、その国の名前を言い当て、
周りにいたオトナたちを感心させては、得意がってたもんです。

そんな頃からお気に入りだったのが、キプロスの国旗でした。
白地の中央に、キプロス島が黄色で染め抜かれ、
その下に、緑色のオリーヴの枝が2本交叉しています。
この2本のオリーブはギリシャとトルコを表し、両民族の平和を願ったものだといいます。

ところがキプロスは、ギリシャ系とトルコ系が絶えまなく紛争を繰り返した結果、
いまや南北で分断国家となってしまい、
日常生活でこの国旗を目にすることはほとんどなくなってしまったと聞きます。
この国旗が黄と緑だけを使っているのも、
ギリシャの青とトルコの赤を意図的に排除したからなのだそうですが、
キプロスでギリシャ系とトルコ系が融和するのは、もう絶望的なのでしょうか。

そんな状況に一縷の希望を見出したくなるのが、
トルコ系キプロス人ミュージシャン、メフメット・アリ・サンリコルと、
ギリシャ系キプロス人ヴァイオリン奏者のテオドゥロス・ヴァカナスが共演した本作です。
ボストンを拠点に活動する二人が出会い、キプロスの伝統音楽集が生み出されました。
ギリシャ系とトルコ系が共演した、唯一無二のアルバムだといいます。

レパートリーは二人の家庭で伝承されてきた曲から選ばれ、
トルコ語とギリシャ語ほぼ半々で歌われています。
多くの曲で、同じメロディーを持つトルコ語の曲とギリシャ語の曲を繋げて演奏されています。
ウード、サズ、ヴァイオリン、ケマンチェ、リラなどのトルコとギリシャの弦楽器と、
ダルブッカやフレーム・ドラムの太鼓に、ネイなどが伴奏をつけています。
エーゲ海で伝承されてきた島唄らしい、ゆったりとしたこぶしを利かせた渋い歌声には、
伸びやかな明るさに溢れていて、目をつむるとエーゲ海のコバルト・ブルーが浮かびます。
後半のダンス・チューンも、キレのあるリズムでグルーヴィーな演奏を繰り広げていて、
思わずくるくると踊り出したくなります。

こうした試みがキプロス本国にもフィードバックされて、
対話と和解の道が広がってくれることを祈るばかりです。

Mehmet Ali Sanlikol, Theodoulos Vakanas "KIBRIS’IN SESI : MUSIC OF CYPRUS" Kalan 424 (2007)
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バルカンの歌 イムラン・サルカン [西アジア]

BALKAN ŞARKILARI.JPG

マケドニア移民の家系で、アルバニア生まれのトルコ人女性シンガーという、
その出自を聞くだけで、数多くの物語をその背中にしょっていそうな人ですね。
写真を見るところ、30代半ばといったところでしょうか。
あまり若くなさそうにお見受けしますが、これがデビュー作だそうです。

タイトルはずばり『バルカンの歌』。
妖しくもひらひらとした音色を響かせるクラリネットに、ぶりぶりのテナー・サックス、
さらにトランペットとユーフォニウムが加わったバルカン・ブラスが大活躍しています。
ブラスの急速調フレーズに、ぴたりとユニゾンでハモるアコーディオンや、
かくし味となっている男性コーラスなど、ひさしぶりにジプシー・サウンドを満喫しました。

マケドニア民謡をアレンジしたレパートリーを中心に、
ドラムスやベースのリズム・セクションも加え、ダンサブルに仕上げた痛快なアルバムです。
イムランのヴォーカルは、あまりコブシを使わず、ストレートな歌いぶりで、
トルコらしい端正さを感じさせるもの。
ジプシー的な歌い回しとは違った、ハルク風なところが案外聴きやすく、
幅広くアピールできそうな気がします。
ジプシー・サウンドが苦手という人にも、これならいけるんじゃないでしょうか。

İmran Salkan "BALKAN ŞARKILARI" ADA Müzik no number (2010)
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円熟したアラベスクの女王 キバリエ [西アジア]

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トルコ歌謡アラベスクの女王さま、キバリエの最新作がリリースされました。
04年の“BEN AYAKTA AĞLARIM” 以来で、しばらくぶりーと思ったら、
06年と08年にもアルバムは出ていたらしく、ぼくが気付いていなかっただけみたいです。

かつてのキバリエは、いかにもジプシー出身らしいハスキー・ヴォイスを駆使して、
コブシをぐりんぐりんに回してたものでしたが、
この新作では一歩後ろに引いた奥行きのある歌唱を聞かせ、
キバリエも円熟したなあと感じ入りました。

ごりごりの歌唱から力が抜けたことによって、さらに存在感を増したキバリエは、
アラベスクの帝王イブラヒム・タトルセスの円熟ぶりと、足並みを揃えているようにも思えます。
トルコ歌謡アラベスク界はこの二人がいる限り、安泰ですね。

のっけがタルカンの曲で、コーラスにタルカンもゲストとして加わっているんですけど、
やけに存在が薄くって、クレジットがなければ気付かないほどです。
アラベスクらしい豪華なストリングス・アンサンブルと、
ベリーダンス風のリズム・セクションをベースとしながら、
ピアノ伴奏でじっくりと聴かせる曲あり、ジタン風のギターをフィーチャーしたルンバ調の曲あり、
バグラマーが泣きのフレーズをたっぷりと奏でる曲ありと、手を変え品を変え、楽しませてくれます。
ラストのジプシー・サウンドをダンサブルに仕上げた9拍子曲も、聴きごたえがありますね。

女タトルセスと呼ぶにふさわしい安定感と重量感を示した、ヴェテランらしい作品です。

Kibariye "4 MEVSİM" Avrupa Müzik no number (2010)
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